静かな夢の中で、私はふと、記憶の奥底にある情景を目にしていた。
そこは、白い病院だった。
ほのかに暖かい風が窓から吹き抜ける中、私の頭を優しく撫でてくれる手。
その人が誰かは分からない、だけれどもその手には暖かみが確かにあった。
ふと、扉が開く音が聞こえる。
そして、聞こえて来たのは私の事をいつも愛情を持って檄を飛ばしてくれた義理母の声だった。
「……名前は決まったのかい?」
その人はその言葉に柔らかな笑みを浮かべ、静かに頷く。
そして、義理母はどこか悲しそうな眼差しを私に向けていた。
そんな義理母から視線を私に向けた名前もわからないその人はゆっくりと語る。
「アフトクラトラス……。この子の名前です」
「ギリシャ語で皇帝か、少々大それた名前じゃないかい?」
そう言いながら義理母はフッと優しい笑みをこぼしていた。
だが、私を撫でるその人は左右に首を振る。
それは、きっとその名前に込めた想いがあったからだろう。
「……この子なら……それに相応しいウマ娘にきっとなれる筈です。貴女が見てくれるのでしょう?」
「……はっ! ……私に鍛えられて音を上げそうだがね」
「ふふ、それくらい厳しくないと強くならないでしょうから」
その人の言葉に義理母は思わず笑みをこぼす。
義理母と話すこの人は一体誰なのか、私には思い出せない。
きっと、記憶の奥底に本当に眠っていた記憶なのだろう。
義理母はその人の顔を見つめながらこう語り出す。
「……難儀な世の中だね……」
「仕方ないです……それがこの子の為ですから」
そう言いながら、その人は悲しげに窓の外を見つめる。
深刻そうに重く語るその言葉に義理母は深いため息をついていた。
そこには、やはり親子を引き離すという事に対する罪悪感もあったのだろう
「それで本当にいいのかい?」
「……申し訳ありません、こんな事お願いして……」
「言うまでもないよ、……気にするな」
義理母はその人の肩にそっと手を置くと優しく頷いた。
その人の顔はよくわからない、だが、彼女の眼からは透明の滴が流れ落ちていた。
ふと、私はそこで目を覚ました。
いつの頃の事だったか、たまにこうしてぼんやりと夢で見てしまう。
「……ふあぁ……」
私の朝は早い。
普段から時間びっしりに詰め込んだトレーニングタスクをこなさないといけないので仕方ないんですが。
私の胸元を見ると気持ちよさそうに私の胸元に顔を埋めてるウマ娘がいます。
いつの間に紛れ込んできたんだこの人。
「……むふぅ……まんじゅうやわらかぁい……」
「誰の胸が饅頭だ、おい」
軽くテイオーちゃんの頭をパシンと叩く私。
人の胸をぷよぷよと持ち上げよってからに、いっつも一緒に寝たウマ娘はこうですよ、後輩2人、特にお前達だぞ。
あの2人は元気してるんでしょうかね、なんというか、親心といいますか、やはり、少しばかり心配ではあります。
姉弟子が私の事をいつも考えてる気持ちがよく分かりますね。
「ほら、走りますよ! 気合い入れて! 起きてください!」
「ぶへっ」
今日見た夢に関しては気にはなりますが、とりあえずおいといて、私はテイオーちゃんと共に早速トレーニングへ。
テイオーちゃんをつよつよにして、頑丈で柔らかい身体作りをしてあげないといけませんしね、会長からも言われましたし。
「とりあえず手始めにこの丸太を担いで登りますよ」
「ま、丸太!?」
そう言って、ドンッとバカでかい丸太をテイオーちゃんの前に置く私。
ちなみに私はギプス付きなので悪しからず、前回死にかけたあの戒めどこいったんだというツッコミは野暮ってもんですよ。
鍛えないと強くなんないから仕方ないです。今は亡き義理母もそう言ってました。
しかし、テイオーちゃんは左右に激しく首を振る。
「無理無理無理!? こんなの担いで登るなんて正気じゃないよう!?」
「そら頭いかれてないと海外ウマ娘となんてやりあえないですからね」
「……いや、海外のウマ娘でもこんなトレーニングしないと思うけど」
それはそう、こんなことやるのはアンタレスくらいなもんですから。
そこの君、アンタレスに入らないか?
アンタレスはいいぞ、至高の領域に近い。
毎日阿鼻叫喚としたトレーニング、意味のわからないタイトトレーニング、筋肉が悲鳴をあげるのはたまらないぞ?
どうだ? 最高だろう! 君もアンタレスに入ろう!
こう言うと晴れ晴れとした表情で『断る!』と新入生から言われるんですよね〜。
せっかく、コスプレまでして、カッコいいポーズまで取りながら勧誘したのに解せぬ。
この一件から私は新入生を勧誘するのに向いてない、このアホが、なんて皆から言われてしまいまいました。なんでだよ。
まあ、そんなことはさておき、駄々をこねるテイオーちゃんに私から一言。
「丸太かコンクリートか選べ、さぁ」
「……ま、丸太で」
究極の選択、慈悲は無い。
なんだよぉ〜、こんな時のためにクッソ重い鉄球まで用意してたのに無駄になってしまったではないですか。
仕方ない、私が使いましょう。勿体無いですし。
「アフちゃん頭大丈夫?」
「私が頭が大丈夫かどうかですって? そらもう大丈夫に決まって……」
「ごめん、元からおかしかったね、聞いた僕がバカだった」
「よし、そこになおれ、軽トラックに身体結びつけてやるから」
私はテイオーちゃんに満面の笑みを浮かべて告げる。
おい! 誰が元々頭が残念な子だ! お尻ペンペンしますよ!
え? なんで皆さん目を逸らすんですか? こっちを見なさい、アフちゃん怒らないから。
「全く、お前達は朝から元気だな」
「あ、カイチョー!」
「あ! お尻が弱そうな人だ!」
「なんだ朝から引きちぎられたいのか? アフ」
「引きちぎるってどこをっ!?」
私の胸をですか!? やめてくださいよ、ただでさえスズカさんに会うたびに毎回引きちぎられそうになるんですから!!
やーい鉄板ーって煽った日にはノーモーションで顔面にグーパンチですからね。
私じゃなきゃ見逃しちゃうね(なお直撃)。
「今から山登りか……、無理は……いや、多少の無理もしないとだな、なんせ時間がない」
「か、カイチョー……」
「私も私で今からオカさんと追い込みだ、お前がこちらに来ても多分、ボロボロになるだけだぞ」
そう言いながら、ルドルフ会長は片手から重しを外すと軽く地面に投げる。
会長が投げたそれは凄い音を立てて地面にめり込んだ。
あー、あれ、私があげたやつ付けてたんですね、どうりで最近拳が重いと思いましたよ。
てか待ってください、そんなの付けて私の頭に拳骨してたんですか!
頭がもっとバカになったらどうしてくれるんですか!
もし、拳骨されたらキタちゃんのムチムチの太ももに頭を乗せて癒してもらおう、そうしよう。
代わりに私の太ももで膝枕してやるからそれでいいでしょう、等価交換です。
「では、丸太は持ちましたね! 行きますよ!」
「なんでそんなに軽々と!? あーもうっ! わかったよー!」
今からこれで吸血鬼を倒す!
これくらいの勢いが必要ですよテイオーちゃん!
一方その頃、私達がいる山の宿舎、もとい秘境の寺にはある一行がやってきていました。
「ぜぇ……ぜぇ……さ、酸素薄過ぎ、本当にこんな場所でトレーニングなんてできるの?」
「……登るだけで死にそうになるな」
そうカノープス御一行です。
私達がトレーニングを行なっている山、標高もかなり高く、酸素も薄いのでハードトレーニングの負荷も通常の二倍行えるという好立地なのです。
なので、普通のウマ娘なら、まあ、こんな場所でトレーニングなんて普通は考えません。
そう! 普通のウマ娘ならね!
大丈夫です。私達は普通のウマ娘から外枠に飛び出ちゃってるウマ娘なので、何の問題もないんです。
おいそこ、わかってたとか言わない。
「おや、珍しいお客さんだ、君達は確か……?」
「!?」
「えっ!? か、かか会長!?」
そんな彼女達を見つけたのはルドルフ会長その人です。
なんとルドルフ会長は一度見た人の顔は忘れないという特技を持っているんですね、あとおまけにめっちゃ寒い親父ギャグのレパートリーもいくつか持ってるんですけども。
まあ、私の顔は嫌という程見ているので会長は忘れたくても絶対忘れないと思いますけどね。
てなわけで、そんなルドルフ会長から見つかったカノープスの面々でしたが、会長はそんなカノープスの皆さんに嬉しそうな顔でこう話し始めた。
「もしかして君たちもトレーニングをしにこの山に来たのか?」
「あ……ま、まあ、はい」
「良い志じゃないか! どうだろう? 良ければ私達のトレーニングに参加しないか?」
その提案を受ければ待ち受けているのは地獄。
そんなことはこの時の彼女達は知る由もなかった。
まさか、ルドルフ会長が提案している共同トレーニングが常軌を逸したアンタレス式であることを誰が予想できるだろうか?
以前のトレーニングから逃げていた私だったら身の危険を察知してすぐさま断りを入れているところですよ。
私も成長したんだなぁ、としみじみ思います。
「君達のやる気に感動したッ! 今日から共に汗を流す仲間として! 共に邁進しよう!」
「え、あ、あのー……」
「今からオカさんとの追い込みだ! さあ着いてこい!」
そして、私が入学してからわかりませんが、なぜか話をスルーするルドルフ会長。
多分、ルドルフ会長がこうなってしまったのは私のせいかもしれません、すまんなカノープスの皆さん。
この後、標高が高い山での凄まじい追い込みに死に体になったカノープスの面々が倒れていた姿を見て、トレーニングから帰ってきた私とテイオーちゃんが運んだのは言うまでもない。