それは、スタートの号令と共にゲートが開き、レースが始まってすぐの事だった。
「うおおおおおおおおお!!」
「はあああああああああ!!」
ガツンという音を立てて、スタートを切ったビワハヤヒデとデイラミがいきなり体をぶつけ合い激突した。
優位なポジション争い、その2人のすぐ後ろにはブライアンとダラカニがいる。
そう、この2人をいかにして最終コーナーで有利に送り出せるのか、これが今回の勝負のカギになっているのだ。
「いきなり日欧トップスピードでの削り合いだァ! 激しいポジション争いッ!」
この凄い光景に観客席にいた実況も思わず身を乗り出してしまう。
ビワハヤヒデとデイラミのいきなりの削り合い、最強姉妹対決、姉同士のプライドをこれでもかとばかりにぶつけ合っている。
実況はマイクを握りしめたまま声たかだかに叫んだ。
「もはや相手を薙ぎ倒さんとばかりに互いに身体をぶつけ合っていますッ! 姉としてのプライド同士の激突ッ! これは熱いッ!」
その光景に観客席からは大歓声が上がる。
デイラミに臆せずぶつかるビワハヤヒデ。
全てを投げ捨ててでもデイラミを止める、そんな気概に満ち溢れているスタートだった。
「随分と鍛えてきたみたいですね! ハヤヒデッ!」
「あぁ!! お前達を……いや! お前を倒すためにな! デイラミッ!」
その返答にデイラミは思わず自身の中にある昂りを抑える事が出来ずに笑みを浮かべてしまった。
そうだ、この感覚を久方ぶりに忘れていた。
自分の前に立ちはだかる強者、己の限界を越えて挑んでくる者達、その者たちと戦えるという満足感。
「私の欲をお前は満たすに値するのか見ものですね! ハヤヒデッ!」
「ッ……!?」
身体をぶつけるデイラミの雰囲気が変わった。
不気味な笑みを浮かべるデイラミの眼には漆黒の炎が浮かんでいるような錯覚さえ感じる。
強者との戦いに飢えたその獰猛な眼には何が映っているのだろうか……。
そんなデイラミの豹変した姿を見たダラカニは思わず冷や汗を垂らしながらこう呟く。
「……久々にみるな、あの姉者……」
「……なんだと」
「よく見ておけよブライアン、ああなった姉者は相当強いぞ、世界最高峰BCターフを取った怪物の底力は伊達じゃ無い」
そうダラカニがブライアンに告げた矢先のことだった。
先程まで拮抗していたはずのビワハヤヒデとデイラミの2人のポジション争いに歪みが生まれ始めた。
ジリジリとデイラミがハヤヒデの身体を弾き飛ばしながら強引にポジションを奪いにやってきたのである。
(……なんだこのプレッシャーは……ッ! クソッ! ポジションを維持できないッ!)
鍛えに鍛え抜かれたビワハヤヒデの足の筋肉をフルに活用して押し返さんと粘る。
体を押し返そうとすればするほどどんどん押し込まれてしまう。
体を激しくぶつけても体幹、デイラミの体幹が全くブレない。
それでも何度も何度もハヤヒデは押し込まれないようにデイラミに身体をぶつけてポジションを死守しようと足掻く。
だが、デイラミはそんなことは知らんとばかりにハヤヒデを易々と弾き飛ばしてみせた。
これには観客席の実況も目を見開く。
「おっとォ! ビワハヤヒデッ! ここで後退ッ! レース序盤のポジション争いッ! 制したのはやはりデイラミだァ!」
そのポジション争いにデイラミが勝ったのを見計らい、すぐさまダラカニは動き始める。
すぐさま、デイラミの背後についたダラカニは後退したハヤヒデの背後に控えるブライアンを一眼見ると余裕のある笑みをこぼした。
(どうだ、日本の最強姉妹ッ! これが私の姉だッ!)
デイラミの背中を見つめるダラカニ。
偉大なる姉は世界でも指折りの実力を持ったウマ娘だ。
その実力はあのトップスリーにも匹敵する。
そんな先頭を走るデイラミの背中を見て、ブライアンは冷や汗を流し、少し前のことを思い出していた。
それは、自分がレースに飢えていた時のことだ。
随分前だが、ナリタブライアンは飢えていた。
それは、勝利への渇望かそれともライバルとの熱い熱戦を期待してからか、それは、わからない。
だが、ある時、自問自答をした。果たして、この飢えはどこから来るものかと……。
誰にも理解されない孤高ゆえの悩み、勝利に勝利を重ねてもずっと走り強敵を追い求めてきた。
このトゥインクルシリーズで数々のウマ娘を薙ぎ倒してきたナリタブライアン。
そんな彼女にはもう、この場所で走り続ける意味さえも見失いそうになりかけていた時期があった。
そんなある日、とあるウマ娘をレース場で見かけることになる。
それは、綺麗な青鹿髪をした小さなウマ娘であった。
だが、その姿を見たナリタブライアンには衝撃が走った。
鍛えに鍛え抜かれたしなやかな身体、それでなお、まだ、G1すら取ってもいないのにも関わらずルドルフやシービーのような何かとんでもない殺気と雰囲気を感じた。
そして、そのレースは言うまでもなく圧巻の一言だ。
強い、強すぎる。だが、勝ったのにも関わらず、佇む青鹿髪のウマ娘は何か悟ったように周りのウマ娘を見渡していた。
その時、ブライアンは思った。
あぁ、彼女もまた、自分と同じように飢えているのだと。
圧倒的な力持っているがばかりに飢えを癒せぬままにいるのだろうと。
そのウマ娘に興味が湧いたブライアンは彼女と話をするきっかけを経て、先輩、後輩として親しくなることができた。
だが、そのウマ娘を間近で見ていたブライアンは当初抱いていたものとは違うものを彼女からたくさん学ぶことになった。
【命駆け】、彼女の走りはまさしくそれを体現したようなそれだった。
散るならレース場にて、強敵との激闘を経て死ぬということを彼女は身をもって体現してみせたのだ。
ブライアンには衝撃的だった。
それだけじゃない、彼女は世界にまで喧嘩を売り、世界の名だたるウマ娘達相手にも物怖じせずに強気で挑んでいった。
その末に、彼女は日本のウマ娘が誰もが到達し得なかった欧州三冠という凄まじい戦果を挙げてみせたのだ。
そこには血反吐を吐くような努力をしてきた姿もブライアンは見てきている。
ただただ飢えてるだけじゃない、自ら道を切り開きその飢えさえも超越し、それ以上のものを彼女は常に追い求めていた。
アフトクラトラス、それが彼女の名前だ。
そして、ブライアンは彼女に触発され世界へと挑んだ。
飢えた自分を満たせるのはもしかすると世界の猛者達なのかもしれないと。
そして、出会った。その一角と。
「ナリタブライアンね、なかなか良いウマ娘だったわ、……まぁ、けど井の中の蛙、大海を知らずと言ったところかしらね」
その名はシーバード。
世界最強、世界一位の強さを誇るウマ娘を前に海外のあるレースの一つでナリタブライアンは大敗を喫した。
3位という結果、もちろん、この時走ったレースで負けたのはシーバードだけという訳ではない。
2位で入賞したデイラミ、彼女にもかなり引き剥がされての大敗であった。
「まぁ、ダラカニとは良い勝負をするかもしれませんね姫」
「そうかしら? まぁ……敗者には変わらないのだけど。こういう相手にはなんて言った方が良いかしらね?」
「かける言葉なんて無い? ですか?」
「そうそう、それそれ」
そう言いながら紅茶を片手に肩をすくめるシーバードに静かに頭を下げるデイラミ。
息を切らしながら、ナリタブライアンは2人の顔を見た。
まるで涼しげな表情で話をする2人、それは、2人が余力を余したままこのレースを勝っていた事を物語っていた。
シーバードはナリタブライアンの耳元に近づくと静かにこう告げる。
「……貴女の飢えの底は随分と浅いのね」
「!?」
それは、遠回しに自分よりも勝利に飢え続けている者達が世界には当たり前のように数多くいる事を示すような言い回し方であった。
これまで、その連中をさも当然のようにねじ伏せてきたとばかりの態度がシーバードの強さを物語っていた。
世界の壁、当初こそアフトクラトラスの凱旋門賞ついでにG1を自分も全て勝つつもりで挑んだが、まさか、こんな怪物と走る機会を得る事ができるとは夢にも思わなかった。
ゲートが開き、ビワハヤヒデの背中を追走するナリタブライアンはふとその時のことを思い出していた。
あの時、走ったシーバードの言葉が今のブライアンを駆り立てている。
あの時のレースの勝敗についてはなるべく知られないようにトレーナーにも口止めし、ブライアンはアフトクラトラスや皆にも話をしてはいない。
それは自分にとっての戒めも兼ねていたからだ。
「……姉貴、私達はこっからだろ」
ブライアンはそっとビワハヤヒデの背中に手を添える。
そして、ブライアンはある時に悟った。
そう、自分の飢えにある根源、それはこの姉の背中をずっと追いかけて、そして、時が満ちた時にこの背中を追い抜く事だ。
自分の姉はこんなもんじゃ無い、一年半という年月を経て、自分の姉は更に強くなった。
その確信がブライアンには確かにあった。
そして、序盤をデイラミに制されたハヤヒデもまたそのブライアンの手を通して改めて瞳を静かに閉じる。
この一年半、自分はなんのために身体を鍛え抜いてきたのか。
全てはこの時、この時のためだ。
姉としてのプライド、背中を見せる事をミホノブルボンに約束した。
屈辱を味わった友たちの想いを受け取った。
BNWは、決して弱くはない、自分とクラシックを切磋琢磨したあの2人は強かったのだと世界に必ず証明する。
その想いの火はまだビワハヤヒデの中で消えてはいない。
ビワハヤヒデは思いっきり自分の頬を叩くと声高にブライアンにこう告げる。
「あぁ、当たり前だ、いくぞブライアンッ、しっかり着いてこいッ」
「あぁッ!!」
弾き飛ばされたビワハヤヒデの眼は死んでなんていなかった。
もっと猛々しく、荒々しく、獰猛にどんなになってでもデイラミに食らいつく。
いや、食らいついてやるという気概と気迫に満ち溢れていた。
巻き返しを図るかのようにビワハヤヒデの急加速、さらにそれに追従するナリタブライアン。
巻き返しと逆襲を胸に、今、2人の足はより速く、風を置き去りにして駆けていく。
観客席のある一角。
ビワハヤヒデとナリタブライアンが走るレースを遠めで見ていたキズナはある疑問が頭に浮かんでいた。
それは通常のレースとは異なった今回のレース運びについてだ。
これまでに見たことがないレースの動きについてキズナは疑問を素直に隣でレースを見ているメジロドーベルへと投げかける。
「なんか、ダラカニさんとブライアンさん、ずっとデイラミさんとハヤヒデさんの背中にくっついてますね」
「そうね」
「あれってなんでですか……?」
そのキズナの疑問にメジロドーベルは目を静かに閉じ、そして、冷静な口調で淡々と語り始めた。
「スリップストリームね、走行中のウマ娘の真後ろに発生する空気抵抗が小さいエリアを利用して加速する走法なんだけれども、あの場合は意図的にそうして2人は走っているわ。
──理由はただ一つ。温存するため。
最後の直線、そこで2人を送り出して一気に勝負を決めるためよ」
メジロドーベルは冷静にそのレースでの意図を汲み取り、それを問いかけてきたキズナへと落とし込んだ。
そう、これは最終直線、ダラカニとブライアンとの一騎打ちにどれだけ有利に持っていけるかが肝になっている。
スリップストリームには前を走るウマ娘が一身に空気抵抗を受けなければならない、そうした場合、どれだけ最終のコーナーまでにどちらが有利にレースを運んでいるのかが勝敗を左右する。
今のところ、有利なのはデイラミ達の方だが……。
「おっとここでビワハヤヒデが更に加速ッ! ナリタブライアンがそれに追従してデイラミ姉妹を追撃にかかるッ!」
ここで、ビワハヤヒデ達が動いた。
いや、ここで動いておかなければこのままズルズルとデイラミ達のペースでレースが運んでいたのは間違いない。
デイラミ達に主導権を握らせたままレースを進めるのは、後のレースの展開に響くのは火を見るより明らかだ。
「やっぱり動いたッ!」
「いけぇ! ハヤヒデェ!」
それを目の当たりにしたタイシンとウイニングチケットもビワハヤヒデの勝負駆けに身を乗り出して声を上げる。
おそらく、この勝負を左右するのはレース中盤の展開。
ここが、おそらく天王山、勝負の分岐点になるのは皆が理解していた。
「……そうこなくてはなァ! ビワハヤヒデェ!」
「さぁ! 第二ラウンドと行こうかッ! デイラミッ!」
再び背後から追走し追い上げてくるビワハヤヒデに笑みを浮かべ、待っていたと歓喜するデイラミ。
ダラカニは逆に驚いていた。
あれだけ、序盤に姉との力量差を見せつけられてもなお、諦めていないビワハヤヒデのその精神力に。
そして、徐々に追い上げたビワハヤヒデは再びデイラミへと並ぶ。
「くっ……しぶといッ!」
「私の姉を舐めるなよッ」
並んだダラカニにそう告げるナリタブライアン。
そうして、レースは徐々に進んでいき、いよいよ、その運命の中盤戦へと入ろうとしていた。
果たして、この中盤戦を制するのはどちらなのか……。
観客席にいるウマ娘達は手汗を握りながらその勝負の行方を見守るしかなかった。