自分らしい走り
私は現在、チームスピカの併走パートナーとしてターフを駆けている真っ最中である。
併走しているのはスペシャルウィークことスペ先輩だ。だが、身体が重いのかスペ先輩はやや遅れ気味に私と併走をしている。
あ、ちなみに私の手足にはもちろん重石がぎっしりと詰め込まれたバンドを身体に付けて走っています。
基本的に本番のレース以外ではアンタレスではこの重石を外すことは禁止とされてます。
ちなみにこれは、バクシンオー先輩をはじめとしたアンタレスのメンバーも共通して行っているトレーニングです。
しかしながら、私と姉弟子、ライスシャワー先輩の付けている重石は外して地面に落とせば、軽く地面が陥没するほどの重石です。
どれくらい重いかというと、具体的な例を挙げるなら某忍者漫画の中忍試験でゲジマユの人がリストバンドを外した時に地面が減り込みましたが、あれくらいの重さだと思って頂けたらなと。
しばらく併走をした後、私の隣に居るスペ先輩は息を切らしながら、膝に手を置き肩で息をしていた。
「はぁ…はぁ…、あ、アフちゃん…、ちょっと休憩」
「えっ? も、もうですか?」
「いやいや、結構な量走ったよ、7周も回ったし」
そう言って、息を切らしているスペシャルウィーク先輩は笑みを浮かべる。
あ、うん、まあ、確かに7周は走ったのであるが、私は息を全く切らさないまま、あまりに早い休憩に困惑する。
というより、休憩とかあったのですね、というレベルだ。そもそも、休憩という概念自体久方ぶりに聞いたような気がする。
アンタレスでは休憩を入れようとは考えてはいるものの、いつのまにかトレーニングに火がついて休憩という概念自体が吹っ飛んでしまっていることが多い。
なので、下手をすれば休憩自体が存在しないということもザラにあるのだ。
致し方ないので、スペ先輩が休憩している間に私はトウカイテイオーちゃんをこっそり呼び出して併走の続きを再開することにした。
だってほら、アンタレスのトレーニングペースだとスペ先輩が下手をすると口から何か出てしまうかもしれないではないですか、なので、私は敢えてそうすることにしました。
「テイオー先輩、走りますよー」
「おっ! 併走待ってたよ! やるやるー!」
そう言いながら、笑顔で私の元に駆け寄ってくるテイオーちゃん、一方で休憩を全く取らずに涼しい顔で彼女を呼び出す私に対してスペ先輩は信じられないといった表情を浮かべていた。
実際、トレーニング量を私自身もスピカに合わせてはおきたいんですけれど、下手に合わせ過ぎてもアンタレスのトレーニングに復帰した時に身体がついていかなくなってしまうという事になりかねない。
なので、それを理解している私自身の見解としては楽をしたいといっても、義理母のトレーニングについていける範囲での楽という訳だ。
下手に手を抜きすぎても、それは私自身の為にならないことは承知だ。
私は誰にも負けたくない、負けないことを願われている。
だからキツいトレーニングを文句を垂れながらこなしてきたし、何より、勝つ為に必要な事だと思ってやってきた。
だが、スピカに来て、私の前にいるこの人達はどうだろう。
アンタレスほどの鬼のようなトレーニングを積んでいないながらもその足には力強さがあり、そして、一人一人に莫大な才能があった。
サイレンススズカ先輩の逃げ足はまさに天性の物。
トウカイテイオー先輩のレース運び、マックイーン先輩の捲り、スペシャルウィーク先輩の先行から一瞬にしてキレる脚、ダイワスカーレットちゃんのスタイリッシュな走り、ウォッカちゃんのパワフルな差し脚、ゴルシちゃんの追い込みでの凄まじい豪脚、スピカでは一人一人の才能がより輝いている。
天才はいる。悔しいが。それはまさにそうだと言わざるを得ない。
なら、私や姉弟子、ライスシャワー先輩はどうだろう。彼女達のように才能や体格に恵まれている訳じゃない。
私は才能があると言われてはいるが、自分ではそう思っていない、私など、ルドルフ先輩やブライアン先輩の才能になんて及ばないと思っている。
彼女達と併走しているうちに、私はその彼女達が持つ才能が羨ましいとも思った。
「アフちゃん速いねぇ…、はあはあ…。これは僕ももっと頑張らないと」
「いえ…、テイオー先輩の脚にはまだ及びませんよ。私の力無さを改めて感じました」
「あんだけ走って息を切らさずよく言うよ、もう」
笑みを浮かべて答える私にテイオー先輩は顔を引きつらせながら、大の字になってターフに転がる。
ミホノブルボンの姉弟子はこんな才能がある人達を地力の力だけでねじ伏せて来たのかと改めてその凄さを私は実感した。
足りない、私には足りていない。
それだけの覚悟がまだ足りてないのだろう。私の走りには何かが足りていない気がする。ミホノブルボンの姉弟子と同じ逃げ足での走り切る形が私にとっても最善の走りなのだろうか?
逃げか、それとも、差しなのか、先行なのか、追い込んで一気にぶち抜くのか。
私自身がその走り方をまだ見定めていない、やろうと思えば多分、全部やれる自信はあるがそれは果たして通用するのだろうか?
どれだけ、今、私が息を切らさずターフを走っていたとしても2400mの一発勝負のレースでスピカのメンバーに勝てるかと問われればそれは厳しいと言わざる得ない。
だから、彼女達がなんだか、私は羨ましかった。きっと姉弟子やライスシャワー先輩はもっと羨ましかったんだろうなと思う。
それでも、二人が今、クラシックで主役として戦えているのはきっとその悔しさをバネにしているからなんだろう。
すると、彼女達とのターフ併走の後に、私の側にスピカのトレーナーさんがスッと現れた。
「なんか悩み事か?」
「…あっ…えっと…」
「言わなくても走りを見てればわかる、俺が何年トレーナーをやってきたと思ってるんだ?」
そう言いながら、スピカのトレーナーさんは私の肩をポンと叩いて笑みを浮かべていた。
この人は本当に聖人じみて優しい人である。
他所のチームの所属である私に対してこんな風に声をかけてくれるとは思いもよらなかった。
私は肩を竦めるとスピカのトレーナーさんに向かってゆっくりと話をしはじめる。
「才能の壁ってやつですかね、自分が誇れる走り方をまだ見つけられないなって思いまして」
「…そうか」
「スピカの皆さんと今日走ってわかりました。姉弟子やライスシャワー先輩が見ていた景色がどんなものだったのか、改めて」
そう私は淡々と話しながら、スピカのトレーナーさんは黙ってそれに耳を傾けている。
努力や積み重ねが才能を覆せると義理母は言う。例え、恵まれた才能がなくても、血筋じゃなくてもそれが特訓や積み重ねで覆せると。
私は姉弟子やライスシャワー先輩よりも恵まれている今の現状を本当にありがたく思わなくてはいけない。
勝負の世界は時に非情なのだ。
スピカのトレーナーさんは私のその言葉を聞いて納得したように笑みを浮かべていた。
「遠山さんがお前にウチの併走パートナーを許可した理由がよくわかったよ、なるほどな、あの人らしい」
「……へ?」
「なんでもない、ほら、午後からマトさんのとこでトレーニングだろ? 早くしないと遅れるぞ、お前」
スピカのトレーナーさんは私にそう告げると優しく背中を片手でポンと押した。その手は暖かく力強かった。
背中を押された私は後ろを振り返り彼の顔を見る。なるほど、これは確かにスピカの皆が走れる訳だと納得してしまった。
後ろを振り返った私はスピカのトレーナーさんの目を真っ直ぐに見据えたまま力強く頷き、その場から駆け出す。
そんな、私の後ろ姿を見つめながら、スピカのトレーナーさんは残念そうな表情を浮かべた。
「ほんと羨ましいな、ウチのチームに来てほしかったよ、アフトクラトラス」
スピカのトレーナーは彼女の持つその本質に気づいていた。
才能が劣っていると彼女自身は思っているのだろうが、とんでもない。
彼女の才能は光り輝くダイヤの原石だ。
おそらく、アンタレスの過酷なトレーニングをこなさなくともその才能はトウカイテイオーやマックイーン達に相当する程。
名だたる名ウマ娘達とも充分に才能だけで渡り合うポテンシャルを秘めているのだ。
だからこそ、リギルのトレーナーである東条ハナも彼女には目をつけていたし、勧誘も行なった。
だが、それをわかった上でアンタレスのチームトレーナーを引き受けた遠山は過酷なトレーニングを彼女に課したのである。
それ以上の境地が彼女から引き出せると見抜いていたからだ。
そして、保護者である自分だからこそ彼女がそのトレーニングに耐えられる事を把握していた。
とんでもない怪物が来年、ターフに舞い降りる。
チームスピカのトレーナーは直感的にそう感じた。
クラシックが終わり、彼女がもし、スペシャルウィークやトウカイテイオーの走る路線に出てきたらと考えるだけでゾッとする。
アンタレスの集大成は二人いる。
立ち去っていくアフトクラトラスの背中を見つめているスピカのトレーナーは彼女の背中を見送ると静かに踵を返すのだった。
午後からライスシャワー先輩との過酷なトレーニングに合流。
菊花賞に向けて、それはもう、ライスシャワー先輩の目には闘志が満ち溢れていた。坂路を共に駆け上がる私もそれに釣られるように脚に力が入る。
ライスシャワー先輩の差し足はまさに無駄がなく、研ぎ澄まされ、洗練されたものに毎日積み重ねるごとに変貌していく。
それは、私にとっても有り難い事だ。キツい坂路を登る中で学ぶことが非常にたくさんある。
「ああああぁぁぁ!!」
「があああぁぁぁ!!」
併走する私と共にデットヒートするライスシャワー先輩の走りにトレーニングトレーナーからも思わず笑みが浮かんでしまう。
成長が目に見えてわかる。皐月賞、日本ダービーの屈辱をバネにライスシャワーの目つきが明らかに変わった。
しかも、次は3000m。ライスシャワーにとっては最高のコンディションで距離も適正だと言える距離だ。
そして、一通りの過酷なトレーニングが終わるとライスシャワー先輩のトレーニングトレーナーであるマトさんは私の肩を優しくポンと叩いた。
「アフトクラトラス、吹っ切れたような顔だな」
そう告げる彼の顔は優しい表情だった。
私が前回のトレーニングに比べて打ち込む姿勢が格段に違っているのだからそれはそうなるなと思わず息を切らしながら苦笑いを浮かべる。
自分の走り方が見えてきた。今ならわかる、スピカの皆さんやライスシャワー先輩と走ってトレーニングをした今なら。
私自身、見直せた。どんな走り方が私らしい走り方なのかを。
息を切らしながら、私はマトさんにこう告げはじめる。
「ぜぇ…ぜぇ…。私の…、私の得意な走りは誰がなんと言おうとっ! 逃げ先行っ! 時々差しですっ!」
「…ふむ」
「ミホノブルボンの姉弟子の猿真似とか言われるかもしれません、差し足はライス先輩の走り方に似てるとか言われるかもしれません! だけどっ…」
トレーニングのしんどさからか、息を切らしながら、下を向いていた私はそう言いながら顔を上げると隣にいるライスシャワー先輩の眼を真っ直ぐに見つめ、そして、改めてマトさんに向き直った。
そう、誰がなんと言おうと私の走り方はそれだ。自分で導き出した走り方、逃げと先行、そして、ライスシャワー先輩を見習って学んだ差し。
私自身の走り方はこの走り方だ。スピカの皆さんの走り方を身をもって学び、そして、これだと確信した。
「私はこの走りで勝ち続けます。誰にも負けません、いや、負けたくありません」
ライスシャワー先輩にも姉弟子にもきっと追いついてみせる。そして、必ずこの走り方で勝つ。
きっと、海外でも日本でも私はどんなウマ娘よりも強くなってみせる。
ライスシャワー先輩はそんな私の顔を見てニッコリと微笑んでいた。
身近にいるウマ娘の成長が嬉しかったのか、ライバルとして戦うと言い切る私の言葉が嬉しかったのかはわからないがその表情は優しかった。
誰しも抱いている夢がある。私が抱いている夢はいつか夢の第11Rでミホノブルボンの姉弟子やライスシャワー先輩と共に走って勝つ事だ。
それに、日本と海外を股にかけた前人未到の両国三冠制覇、私は来年、誰も見たことがない栄光を掴みに戦いに行くことを密かに胸のうちにしまっていた。
いよいよ、クラシック最終戦がある秋が近づいてくる。
私も重賞に向けて、一層、頑張らねばと固く心に誓うのだった。