宿舎に案内された私の前には今、二人の怪物が立っている。
一人は淀の刺客と言われ、ヒットマンと名高いライスシャワー先輩。
もう一人は、同じ義理母の元で極限まで鍛え抜かれた筋肉モリモリマッチョウーマンの元コマンドー、ではなく、スパルタの風と名高いあのミホノブルボン先輩だ。
ミホノブルボン先輩は私の顔を二、三秒ほど見つめると納得したかのようにこう話をしはじめた。
「なるほど、貴女がマスターが言っていた私の妹弟子でしたか。はじめまして、姉弟子のミホノブルボンです。話は義理母から聞いてます」
「あ、はい! えっと! よろしくお願い致します!」
そう言って、汗を拭うミホノブルボンの差し出された手を握り返す私。
彼女の身体から立ち昇る湯気と圧力、手から伝わってくる握力が改めて、彼女があのミホノブルボンである事を認識させてくるようだった。
私の手を握ったミホノブルボンは無表情のまま、ジーッと私を見つめるとこんな事を言いはじめる。
「妹弟子よ、私のことは今日からお姉ちゃんと呼んでくれて構いません」
「えぇっ!? いや! なんでそうなるんですか!」
「私は実は一人っ子でして、あの母から鍛えられた貴女なら私のトレーニングにもついてこれるでしょう? だからです」
「そこは一人っ子と私が貴女のトレーニングに付いていけるのは関係あるんですかね?」
そう言って、何言ってんだこいつとばかりに首を傾げてくるミホノブルボン先輩に私は顔を引きつらせる。
いや、その理屈はおかしいと思ったのは多分、私だけではない筈だ。
すると、私達のやりとりを見ていた綺麗な黒髪で小柄な身体のライスシャワー先輩はクスクスと笑みを浮かべながら私にこう語りはじめた。
「フフっ、ブルボンちゃんはストイック過ぎて周りの娘達がトレーニングに付いてこれなかったからね、新しく入ってくることになった貴女を心待ちにしてたから…」
「むっ…、それは聞き捨てなりません。ライスシャワー、貴女は私について来てたでしょう」
「…私は…人より努力してないと自信が無いから…、体格的にも恵まれてるとは言いがたいし…、それに私は嫌われ者だから…」
そう言って、ミホノブルボン先輩に対してライスシャワー先輩は自信無さげに苦笑いを浮かべていた。
だが、ライスシャワー先輩の身体を一見すれば、それは私にもわかる。彼女の言うその努力の跡というものが。
義理母から鬼のように鍛えられた私が言うのだから間違いない。その小さな身体には凝縮された無駄のない筋力が備わって…。
…っていかんいかんぞ! 義理母と姉弟子のせいで頭の中まで筋肉になりかけてるじゃないか!
私は勢いよく左右に首を振り、ライスシャワー先輩の小さな手を勢いよく握った。
「そんな事はありません! ライスシャワー先輩が嫌いだなんて! 少なくとも私は大好きです!」
これは、私の本心だ。
私は知っている。彼女の名を持つ馬が私にどれだけ生きる力をくれたのか、そして、道を示してくれたのかを。
その小さな身体に宿る熱い闘志を私は知っているからこそ、自己嫌悪なライスシャワーの言葉は辛かった。
すると、ライスシャワー先輩はニコリと柔らかく微笑むと、私の握りしめた手にそっと左手を添えてこう告げはじめた。
「ふふ、ありがとう…アフトクラトラス」
「共に小柄な身体同士、頑張りましょう!先輩! 相撲も体格じゃないですから! ね!」
「…相撲とレースを比べられるとちょっと困るかな」
私の力説に苦笑いを浮かべるライスシャワー先輩。
確かに、相撲とレースはまた違ってはいるが、体格差じゃないというところではきっと一緒の筈だ。多分。
それに嫌われ者と言ってはいたが、私は大好きである。それはもう、ライスシャワー先輩の姿を見てると尚更、面影があるのでそう感じていた。
打ち解けてきた私はライスシャワー先輩に笑みを浮かべたまま、こう告げる。
「私のことは気軽にアフちゃんとでも呼んでください、ライスシャワー先輩」
「アフちゃん…ですね、わかりました、それじゃよろしくね…、アフちゃん」
そう言って、快く呼び名を承諾してくれたライスシャワー先輩。小さい身体から魅せられる様な笑みがキュンと胸を突く様だった。
きっと、私の名前、無駄に長くて呼びにくいだろうし、そちらの方が親しみやすい。うん、我ながらいいセンスだ。捻りがイマイチだけれども。
とはいえ、今日からお世話になる二人とこうして何事もなく打ち解けられるのは本当に嬉しい限りだ。
これからの寮生活が実に充実した楽しみなものになるだろうと少しだけ期待感が膨らんでしまう。
すると、ミホノブルボン先輩は腕を軽く回し始めるとこう話しをしはじめた。
「さて、では妹弟子よ。来て早々なのですが、これから坂路200本追い込みを行います。早く準備しなさい」
「…はっ?」
そのミホノブルボン先輩の言葉を聞いて、これからの学園生活に希望を抱いていた私は硬直してしまった。
まだ、宿舎の部屋に入って、会話して、だいたい30分程度くらいしか経っていない。だが、ミホノブルボン先輩は何をやってるんだ早く来いと言わんばかりに期待に満ち溢れた眼差しを私に向けてくる。
おい、その目を止めろ! 見るんじゃあない! この間まで義理母から何千本も坂路を走らされたんだよ! 私っ!
すると、ミホノブルボンの話を聞いていたライスシャワー先輩は首を傾げて、それに対してこう告げはじめた。
「え…っ? 今から、200本坂路を走るの?」
「えぇ、そうです」
何事も無いように、これがごく当たり前に告げてくるミホノブルボン先輩。
当たり前じゃないよ、それは明らかに坂路の本数が多すぎるよ。どうなってんの! この人の思考!
良いぞ! ライスシャワー先輩! もっと言ってあげてください!
新入生も初めての学園生活で緊張してるので今日はやめておきましょう的な! そんなアクションを起こしてくれれば、多分この人も引き下がってくれる筈です!
やっぱり、ライスシャワー先輩は強くて頼りになる先輩だなぁ…。
「切りが悪いので、休憩を挟んで400本にしましょうか、そちらの方が効率が良いです」
「あっばばばばばばば!」
と、思っていた時期が私にもありました。
なんでじゃ! 増えとるやないかい! 200本も増えとるやないかい!
休憩を挟めば増やせばいいってもんじゃないよ! いや、休憩無しで400本走る方が確かにキツイけれども! そういう問題じゃないよ!
思わず、私はライスシャワー先輩からの信じられない追い討ちを聞いて目が白目になってしまう。
そうだった、この人もこう見えて大概、ストイックでしたね…。ははは…、もう笑うしか無かろうて。
「ほう、名案ですね。確かに休憩を挟めば効率的に身体に負担も分散出来ますし、流石です、ライスシャワー」
「そうですか、それなら良かったです♪」
満面の笑みを浮かべて納得したように頷くミホノブルボン先輩に喜びを露わにするライスシャワー先輩。
なるほど、これが、『はじめまして♪死ぬが良い』ですか、納得しました。まさか、身をもって思い知る事になるとは思わなんだ。
義理母のスパルタの教えが、ここまで根深いとは…。
すると、ミホノブルボン先輩はまっすぐに私の目を見据えるとゆっくりと話をしはじめた
「貴女は朝日杯があるでしょう。さらに、その前には東京スポーツ杯が控えています。その前にはデビュー戦にOP戦に勝たねばなりません」
「は…はい、そうですね」
「私達も春には皐月賞があり、その前哨戦のスプリングステークスがあります」
「つまり…」
「妥協をしてる暇は無いって事です♪」
こうしてミホノブルボン先輩、ライスシャワー先輩の一言に休みを欲していた私の思いは一気に霧散させられてしまった。
いや、確かにわかる。だが、出会って話して30分程度で転入生に坂路400本走らせるこの先輩達は一体なんなんだろうか。
有無を言わせず、ジャージを装着した私は二人に引き摺られるがまま、トレセン学園の坂路コースに引っ張り出される事になった。
なぜ、こうなってしまったのか…、ホロリと思わず涙が溢れ出そう。
さて、それでは場面は移り変わり、私が二人に引き摺られ連れてこられたのは、トレセン学園内にある急な坂路コース。
学園にある彼女達が使う坂路は急な作りになっており、別名、サイボーグ専用坂路と呼ばれている。
その名の通り、中山の坂を更に急にしたものを用意しており、だいたい、その距離は1,085mほど。
これをひたすら登りまくり足腰を鍛え続ける作業。
更にそのあとは鬼のようなトレーニングメニューがびっしりと詰まっているというのが学園内での彼女達の日課だそうだ。
普通に考えて死んでしまうわ! 頭おかしいと思います(白目)。
と思うでしょう? しかし、ご安心ください、私はトレセン学園に入る前にはおんなじようなトレーニングを義理母からさせられていたのである程度、免疫がついてました。
つまり、私も頭がおかしいって事なんでしょうね、ケツが四つに割れる日もそう遠く無い気が…、あ、もう四つだったかな?
そして、坂路コースを前にした私はライスシャワー先輩にトレーニングに入る前にある人物を紹介してもらった。
「あ、アフちゃん、この方が私の坂路のトレーナーでマトさんって言うの」
「よろしく」
「あ、はい、よろしくお願いします」
学園特別トレーナーのマトさん。
なんでも、ライスシャワー先輩の坂路の指導を引き受けてるベテランのトレーニングトレーナーだとか。
マトさんか…、なるほどなと納得してしまった。何がとは言わないが、ライスシャワー先輩の鬼トレーニングの影にこの人ありと言われてもなんだか納得してしまいそうだ。
そういうわけで、私はライスシャワー先輩、ミホノブルボン先輩と共に転入して1日目にして地獄を味わう事となった。
トレセン学園のウマ娘はイチャイチャしてる百合ワールド満載だと思っていたそこの貴方。
他はそうかもしれないが、私の泊まることになった宿舎はフルメタルジャケットかプライベート・ライアンみたいな軍隊式ですのであしからず。
「走れ! ノロマども! まだ坂路メニューの半分も終わってませんよ!」
「イエスッマムッ!!」
「もうバテましたかっ! よーし! それならあと百本追加してやろう! どうだ! 嬉しいですか!」
「最高です! ありがとうございます!」
何故かノリノリで私と併走しながら追い込んでくるミホノブルボン先輩。それに応えながら坂を駆け上がる私とライスシャワー先輩。
義理母がだいたいこんな感じだったので、それを真似ているのはよくわかる。
しかしながら三人で併走しながら全力で声を上げて坂を駆け上がるので私の身体全体が悲鳴を上げていた。
これは、確かにほかの娘が同じ部屋になったのなら、『部屋を変えてください…(震え声』となってもなんら不思議でも無いだろう。
というか、私も若干、そんな気もしないわけでは無い。だが、ついていけているあたり、私もこちら側のウマ娘なんだろなと自己完結してしまった。
ライスシャワー先輩にはマトさんから更に檄が飛び、そのトレーニングの迫力は相当なものだった。
背中から滲み出るような青と黒が混じり合ったオーラは多分、幻ではなく現実である。思わず、私もその光景を目の当たりにして『ヒェッ!』と悲鳴を上げてしまう始末。
そして、坂路の鬼ことサイボーグ、姉弟子、ミホノブルボン先輩もまた凄まじい追い込みで坂を信じられない速さで駆け上がっていくものだから度肝を抜かされる。
私は正直言って、現状、この二人に全く勝てるビジョンが持てなかった。
あれだけ、義理母の元でスパルタトレーニングを積んできたと思っていたのに、どうやら井の中の蛙だったらしい。
でも、同時にこうも思った。
この二人と一緒にレースを駆けたいと、隣で走りたいとそう思った。
なら、負けてられない!
私は、悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、彼女達の走りに食らいつくようにサイボーグ専用坂路を駆け上がるのだった。
ちなみに気がつけば、坂路400本の間に挟むはずだった休憩がどっかに消滅してしまったのは余談である。