菊花賞の前哨戦、京都新聞杯。
その距離は2200m、菊花賞の前哨戦というにはあまりにも距離差はあるが、重賞レースにしてみればレベルが高いレースである。
ナリタタイセイ、ヤマニンミラクル、キョウエイボーガンをはじめとしたそれなりに実績を積んできた先輩達がズラリと並び。
その中で一際、異彩を放っているライスシャワー先輩とミホノブルボン先輩の二人の姿があった。
これは菊花賞前哨戦、本番に向けて決して手抜きなどできないレースだ。
そんな中、私はメジロドーベル先輩と共に観客席の最前列で今回はレースを見守ることにしていた。
はっはー、たこ焼き売るとでも思いましたか? 残念、今回はたこ焼きは無しです。たまには私も普通に見ますよ普通にね!
「ふふふふ、こうして並んでレースを観れるなんて嬉しいわね」
「ソウデスネー」
普通って何でしょう? 誰か私に教えてください。
隣で腕を絡めて身体を密着させてくるメジロドーベル先輩に私は棒読みのまま、死んだような眼差しで応える。
観客席の方々は微笑ましそうにそれを眺めているのですが、私としてはなんとも言えないメジロドーベル先輩のスキンシップ振りに困惑不可避なんですが、それは。
ラブコメの主人公なら、顔真っ赤にしてやめろよー、人が見てんだからさー、みたいな事を言ったりするんでしょうけれど。
この台詞もなんかカチンと来るときありますよね? 気持ちはわかります。
その光景を実際に目の当たりにした経験がある皆さんはとりあえず手に構えている鉄パイプと釘バットはしまって冷静になりましょう。
私はウマ娘ですし、なんといいますかもういろいろと悟ってると言いますか、ウマ娘という性別的に一緒な時点でもうそんな事は考えてませんね。
せいぜい身体を密着させてくるメジロドーベルさんのバストサイズを分析するくらいですよ。
イチャつくカップルにRPG(ロケットランチャー)ぶっ放したいと思う人の心情を私はよく理解しているのです。
私がそんなん見たらC4爆弾で、辺り一帯を無かった事にしたいなって思いますもの。
カップルの愛の巣を焼き討ちですか? 素晴らしいと思います。
実際やったら放火で捕まるのが難点ですが。
さて、私は迫るメジロドーベルさんの顔をぐいぐい片手で引き剝がしながら静かに京都新聞杯のレース出走を待つ。
鼻息荒くないですかね、ドーベルさん。大丈夫かなこの人。
「つれないわね、そんなところも可愛いんだけど」
「分かりましたから、その鼻血を拭いてください、もう」
そう言って私は携帯ティッシュでドーベルさんが垂らしている鼻血を丁寧に拭ってあげる。
まるでおっきな娘がいるみたいですね。
はっ! まさか、これが母性っ! いやいや、違いますね父性ですね! これは、そう思いたいです。
とりあえずお前は胸おっきいから母性にしとけって? やかましいわ!
しかしながら、垂れてくる鼻血か拭っても拭っても溢れ出てきてます。
興奮しすぎでしょうドーベルさん、頭にドーパミンが激しすぎてアドレナリンがドバドバ出てるんですかね? なんか怖い。
そんな中、私達に声を掛けてくるあるウマ娘がいた。
「…おっ、アフトクラトラスじゃないか」
「…あ、エアグルーヴ先輩じゃないですか、先輩も観に来てたんですか?」
そう、お尻の弾力性がモチモチしているプロポーション抜群のチームリギルのエアグルーヴ先輩である。
何故、私が彼女のお尻の弾力性を知っているかというと以前、リギルとの合同練習の際にマッサージを担当した事があるからだ。
あの時はミホノブルボンの姉弟子からマッサージという名の拷問を受けたヒシアマ姉さんの悲鳴が木霊したものである。
力士の股割り並みかそれ以上ににやばいですからね、実際。
そのおかげで私の身体はめちゃくちゃ柔らかくなったんですけども、足を盛大に開いて地面にペターンって足が広がりますし。
まあ、話が逸れましたが、そんな感じで私は以前からエアグルーヴ先輩とは面識はありますしヒシアマ姉さん同様によく可愛がってもらっています。
そして、エアグルーヴ先輩の登場にメジロドーベル先輩は何やら不機嫌そうな表情で私にこう問いかけてきた。
「貴女は…?」
「あぁ、こちらはチームリギルのエアグルーヴ先輩で、お尻の感触が抜群に柔らかい先輩です」
「ちょっと待ておい」
そう言って、青筋を立てたエアグルーヴ先輩は顔を真っ赤にして私の頭を片手でがっしりと鷲掴みにする。
何にも間違ってません、お尻はすんごく柔らかかったですし、私の記憶ではその印象が物凄く強かったので。
なので、ギギギギと頭蓋骨から変な音が聞こえてきますのでエアグルーヴ先輩やめましょう。頭が割れちゃうのー!
片手で頭を持ち上げられ、プラーンと両足が宙に舞う私は思わず声を上げる。
「あだだだだっ…!! ごめんなひゃいっ!! エアグルーヴ先輩は太ももが凄かったですっ! モチモチしてましたっ!」
「…んー? 観客達の前で何を言ってるんだお前は?」
「エアグルーヴ先輩、私も手伝います、前から」
「ぎゃーっ! 頭が割れりゅうぅぅぅ!」
そして、正面からは私がエアグルーヴ先輩の太ももや尻を触ったと聞いて目にハイライトが無くなったメジロドーベルさんがアイアンクローをぶち込んできました。
あばーっ! 私は嘘はいってないのにー!
お尻が駄目だから足を褒めたのにこの仕打ち、別に尻や太ももくらいええじゃろが!私なら触らせてあげますよ! 喜んで! ただし触らせるのはウマ娘に限りますけどね。
一通り、私にアイアンクローを終えた二人は力尽きた私を地面に落とすと、何故か握手を交わす。
「そう言えば、一つ上ですし、何度かお見かけした事がありましたね、こうして話すのは初めてですが」
「あぁ、よろしく、…それにしてもなかなか良い腕力だな? 良ければ、今度併走パートナーになってくれないだろうか?」
「よろこんで」
京都新聞杯を見る前にダウンさせられた私を他所に何故だか仲良くなる二人。
たかだか太ももが柔らかいとか尻が柔らかいとかで大げさな、ここにいる観客席の皆さんに対するサービスですよ。
だってエアグルーヴ先輩くらいの美人の太ももやお尻が柔らかい何て聞いたらテンション上がるではないですか、誰だってそう思う、私だってそう思う。
私なんて、尻も太もも、胸さえも柔らかくてモチモチしていて抱き心地が良いなんて皆が知ってるくらいです。
しばらくして、復活した私は頭を抑えながら立ち上がります。うーん、まだ頭痛がする。
立ち上がった私はエアグルーヴ先輩にジト目を向けながらこう話しをし始めた。
「…まったくエアグルーヴ先輩はやんちゃなんですからぁ」
「お前は鏡を見てみろ」
「おうふ」
容赦ないエアグルーヴ先輩の一言! アフトクラトラスには効果抜群だ! まあ、それを言われてしまってはグゥの音もでませんね。
私がやんちゃと言われましても、確かにその通りですからね。行動を振り返れば一目瞭然ですし、ちくしょうめ。
さて、そんな茶番をしている間に京都新聞杯のファンファーレが鳴り響く。
その曲に合わせ会場も盛り上がります。
すると、今回のレースについて、エアグルーヴ先輩がこのような話を私達にしてきました。
「あの二人はやはりレース前から別格だな、今日のレースはあの二人か」
「姉弟子とライスシャワー先輩でしょう? まぁ、私の姉と先輩ですから当然ですよねっ!」
「なんでドヤ顔してるんだお前が」
ふんすっ! と自慢気に語る私にジト目でそう告げてくるエアグルーヴ先輩。
そりゃ、貴女、私は普段から地獄のトレーニングに付き合ってますからね、ドヤ顔もしたくなりますよ。
そんなこんなで、私は何故かいつのまにか背後に回ったメジロドーベルさんに抱えられたまま、レースを見守る。
あれ? なんで私、いつのまにか何事もないかのように抱えられるんでしょう? ちょっと異議を唱えたい。
そして、実況席からはこのレースについて、アナウンサーが実況していた。
「おまたせしました。菊花賞トライアル、11Rは京都新聞杯。G2、芝の外2200m、今年は10人。最後にミホノブルボンが入りました、これで体制は整いました」
最後の枠入りが終わり、レース場ではゲートインした全員が走る構えを取る。
そして、パンッ! とゲートが開くとともに一斉にスタート、もちろん、先頭はミホノブルボンの姉弟子が取りに行く。
いつも通りの展開、ライスシャワー先輩はミホノブルボン先輩の後ろにすぐに控えて勝機を伺う。
ミホノブルボン先輩は背後を気にしながら、先頭を走る。
(四番手…か…、そう来ましたか)
それは四番手に控えているライスシャワー先輩を警戒してのことだ。
このトライアルレースもそうだが、京都のレース場はライスシャワー先輩が得意としているレース場。
警戒しないわけにはいかない、それに、前回に比べて彼女は格段にレベルを上げてきているのだ。
それからのレース展開はいつものように運んでいた。言うならば、ミホノブルボン先輩が望んだような展開だろうか。
だが、いつものようなレースに変化があったのは第4コーナーを曲がった時だった。
(ここだっ!)
パンッ! と弾けた様に地面を蹴り上げ、ライスシャワー先輩が一気にミホノブルボン先輩に対して間合いを詰めたのである。
これには、レースを見守っていた私も思わず立ち上がってしまいました。
これはもしかすると、あるのやもしれない。
これには、ミホノブルボン先輩も驚愕した様な表情を浮かべていた。それに伴うかの様にミホノブルボン先輩の足にもエンジンが掛かる。
「ミホノブルボン先頭! ミホノブルボン先頭! リードはまだ三身差くらいはまだある。そして二番手にはライスシャワー!」
勢いよく最後の直線を爆走する二人、ライスシャワー先輩の眼光がミホノブルボン先輩の背後でキラリと光る。
そして、その差はジリジリと縮まっていた。
先程まで、三身差あった差がみるみるうちに縮まっている。そして、それを背で感じているミホノブルボン先輩にも焦りがあった。
差されてしまうかもしれない。
「ハァ…ハァ…、くっ…!」
「はあああああああぁぁぁ!!」
だが、それには完全に距離が足りなかった。
ミホノブルボン先輩は間一髪、ライスシャワー先輩が伸びきる前にゴールを決めた。
後方とはまだ差があったものの、ゴール、ライスシャワー先輩が伸びきる前に決着をつけたような形だ。
一見危なげなさそうに見えるこのレースだが、そうではない。これは完全にミホノブルボンの姉弟子にとっては黄信号のレースだ。
出来が悪かったとかならばまだ良い、逆だ。
ミホノブルボンの姉弟子の出来が良いからこそ、今回のレースでこの展開だから、危ういのである。
このレースを見ていたエアグルーヴ先輩は表情を曇らせたまま、こう語る。
「…これは、危ういな」
「エアグルーヴ先輩もそう思いましたか」
ミホノブルボン先輩が1着でゴールしたものの、エアグルーヴ先輩の言葉に私も同意せざる得なかった。
2200m重賞のトライアルレースでこのレベル、となれば、ライスシャワー先輩はきっと菊花賞では凄まじい伸びが期待できてしまう。
ミホノブルボン先輩の三冠は非常に危うい、さらに、レースでのライスシャワー先輩のあのプレッシャーは脅威だ。
私を抱えているメジロドーベルさんは続ける様にこう語り始める。
「アレ、距離があれば、全然、差されてても不思議じゃないわよ…、次3000mなんでしょう?」
「はい、ライスシャワー先輩、相当、力つけてきてますね」
このレースで明らかになった事は3000mのレースでライスシャワー先輩があれ以上の伸びが期待できるという事だ。
実力の菊花、地力の力がものをいう次のレースに向けてのトライアルレースでのこの結果。
今日走ったミホノブルボン先輩はそのことを悟ったかもしれない。
このままだと、危ういという事を。
レース場で息を切らし、呼吸を整えているミホノブルボンの姉弟子は静かに奥歯を噛み締めていた。
「ハァ…ハァ……」
負けてはいない、トライアルレースは勝った。
だというのに、不安が拭えない、そんなミホノブルボン先輩にライスシャワー先輩はゆっくりと近寄っていく。
それは、明らかな手ごたえを感じたからだ。
前回のダービー、そして、皐月賞での雪辱。その雪辱を返せるレベルにまで自分は成長している。
そして、自分はミホノブルボンと肩を並べられるレベルになったという明確な手ごたえをライスシャワー先輩はこのトライアルレースで感じる事ができた。
だからこそ、ライスシャワー先輩はミホノブルボン先輩にこう告げる。
「ハァハァ…次の菊花賞…私は貴女に勝つわ…ブルボンちゃん。貴女を超える」
「…そう…ですか…」
「えぇ…、次の優勝は必ず貰うッ」
そう明確にミホノブルボン先輩に告げたライスシャワー先輩は静かに踵を返し立ち去っていく。
だが、そこまで言われてミホノブルボン先輩はライスシャワー先輩に何も言い返そうとはしなかった。
その理由はわからない。だが、重賞を優勝したというのにその顔には笑顔が一切なかった。
その後、ファンを迎えたウイニングライブでは、ライスシャワー先輩と並び笑顔を作っている様でしたが、それが作り笑いなど、私にはすぐにわかりました。
不安が残るレース、そんな中で心から笑い歌を歌うなんて、私にも無理です。
ミホノブルボンの姉弟子のウイニングライブを見届けている最中、エアグルーヴ先輩はゆっくりと私達から立ち去って行きます。
「帰られるのですか?」
「あぁ、見たいものは観れたしな」
「…そうですか」
そう告げるエアグルーヴ先輩の言葉に肩を竦める私。
確かにウイニングライブはオマケみたいなものですからね、なんか、私に限っては自分が走っていないレースのウイニングライブのセンターやったりしたこともあるんですけども。
見たいものは観れたか。確かに、レースだけで考えればライスシャワー先輩の差し足の鋭さは非常に勉強にはなりますよね。
「ミホノブルボンさんに伝えといて、次のレース気を引き締めておかないとやられるわよってね」
「えぇ、もちろん、私も言うつもりでしたから」
「…ふっ…そうね、それじゃ私は行くわ」
そう言って、背を向けて立ち去っていくエアグルーヴ先輩を見届ける私とドーベルさん。
トライアルレースには勝てたミホノブルボンの姉弟子、本当なら祝ってあげるのが良いのだろうが、そうも言ってられそうにない。
それはきっと、今、ステージで歌って踊っているミホノブルボン先輩自身も自覚している事だろう。
素直にここまでミホノブルボン先輩に迫るライスシャワー先輩が凄いと私は思う。
今日のレースの展開がもし、菊花賞で再現されたのならば、そう考えると、私は思わず背筋が凍りつきそうになった。