遥かな、夢の11Rを見るために   作:パトラッシュS

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重圧

 

 

 

 漆黒の髪が揺れる。

 

 背後から迫り来る黒い影、それは日に日に大きな存在へと変貌していく。

 

 執念の結実か、復讐を果たすためかはわからない。

 

 だが、その影の事はよく理解していた。背後から迫り来る黒い影はいつも自分の隣に居たのだから。

 

 いずれ、鍛えに鍛え抜き、研ぎ澄まされたその肉体で己に迫り来ることはわかっていた。

 

 時は満ちつつある、漆黒から放たれる鋭く光る眼差しが、私のすぐ側に。

 

 

 私はその瞬間、ベッドからガバッ! と勢いよく上体を起こした。

 

 身体から溢れ出てくる冷や汗、そして、乱れる呼吸、息を切らしている私はじっと自分の手を見つめると先程の光景が現実ではない事を実感する。

 

 

「…はぁ…はぁ…、ゆ…夢…でしたか…」

 

 

 それにしても、現実味がある夢だった。

 

 いや、夢というよりは悪夢に近いだろう。彼女自身、たかだか自分がこれほどまでに取り乱すというのは未だに経験が無かった。

 

 それほどまでに、心の片隅にある危機感が彼女自身の中で大きくなっていたのである。

 

 

 クラシック最終戦、菊花賞。

 

 

 その距離は3000m、私にとっては長いと感じる距離だが、その距離は彼女にとっては絶好の距離。

 

 心臓の音がまだ鳴り止まない。

 

 私はベッドから降りるとリボンが付いた刺繍の入っている薄い水色のショーツとはだけた白シャツを上に着たまま、月明かりが照らす窓の外の夜空の景色を気分転換に見つめる。

 

 

 親友であり、チームメイトであり、そして、ライバルである漆黒のステイヤー。

 

 彼女は確実に力をつけてきている。それを肌で感じたのはダービーの時からだった。

 

 全力を使った私に唯一、諦めずに喰らいつこうとしていた。

 

 そもそも、普段の地獄のようなトレーニングについてこれるのはライスシャワーとアフトクラトラスくらいだ。

 

 自分と同等か、下手をすればそれ以上のポテンシャルがそもそもライスシャワーには備わっているのだ。

 

 莫大なトレーニング量で実力のあるウマ娘達を今までねじ伏せてきた私には密かな恐怖があった。

 

 私以上の実力、才能を彼女が持っていたとしたら? 自分の存在価値は一体どれくらいのものなのだろうかと。

 

 積み上げてきた努力を超えられたら、力を超えてこられたら自分は一体何を糧にすれば良い?

 

 私は寒気がする自分の身体をギュッと抱きしめたまま蹲る。

 

 窓から差す月明かりはそんな私を静かに照らすだけだった。

 

 

 

 それから、翌日。

 

 皆さん、私、アフトクラトラスはいつものように元気に今日もミホノブルボンの姉弟子と共に坂を爆走中です。

 

 秋のレースも本格化していき、ミホノブルボンの姉弟子も菊花賞前に前哨戦の重賞レースを控え、一段と気合いが増しています。

 

 ただ、私は姉弟子が日に日にその様子がおかしくなりつつあることが少し気掛かりでした。

 

 それは毎日毎日、併走しているのだから気づかないわけがありません。明らかに以前よりもキレが落ちています。いつものような走りができていないようなそんな違和感を感じました。

 

 しかし、姉弟子は一向に私に話す気配はありませんでした。

 

 最近では、義理母の表情も曇り、時間を測るたびに非常に機嫌が悪いです。

 

 

「その走りはなんだ一体! タイムも落ちてきとるぞ!」

 

 

 タイムウォッチを握りしめている義理母の怒号がこうして、ミホノブルボンの姉弟子に今日も飛ぶ。

 

 コンディションが明らかに落ちてきているのが側から見ても明らかだった。

 

 私が見てもそう感じるのだから義理母としてもこの事態は深刻に受け止めているはずだ。

 

 これは明らかにスランプと言ってもいいだろう。息を切らしている姉弟子は悔しそうに歯を食いしばっていた。

 

 こんな姉弟子の姿を私は今まで見た事が無かった。まるで、何かに追われているかのような焦りと怯えが見てとれる。

 

 私は思わず、息を切らしている姉弟子の側に近寄るとそっとタオルを差し出してこう話しかける。

 

 

「姉弟子…、あまり無理は…」

「はぁ…はぁ…、構うなッ!」

「…あっ…」

 

 

 だが、姉弟子は私が差し出したタオルを乱暴に弾くと息を切らしながら鬼気迫る表情を浮かべそう告げてきた。

 

 その顔を見た私の背筋にゾクリッと悪寒が走る。

 

 姉弟子は必死なのだ。クラシック三冠は一生に一度の栄光、そして、義理母からの期待もある。

 

 そんなプレッシャーと姉弟子は戦わないといけない、背後から迫る挑戦者を退けなくてはいけない。

 

 そう考えると、私は確かにこうなったとしても不思議ではないなと思った。勝者とはいえ、いや、勝者だからこそ、余裕など無いのである。

 

 

「…はぁ…はぁ…ご…ごめんなさい…そんなつもりは…」

「姉弟子…」

 

 

 私は膝に手をつき、呼吸を整えている姉弟子の手を優しく握る。

 

 私には姉弟子が戦っている重圧がどれだけのもので何を背負っているのかは正直な話、本人では無いのでわからない。

 

 しかし、私は姉弟子の身内だと思っている。私がこの世界に来て父も母もいなかった。そして、前世では既に他界していた。

 

 前世では親孝行をもっとしとくべきだったと後悔をしたものだ。後悔をしたところでそれは既に遅かったのだが。

 

 そして、私は孤独だった。そんな中で私の家族だと言える人が義理母やライスシャワー先輩も含めて三人もこの世界でいる、こんな幸せはない。

 

 だから、力になりたいと思うし、私は彼女達を好いている。

 

 

「わかりました。…けど、姉弟子、これだけは忘れないでください私はいつも姉弟子の味方ですから」

「…妹弟子」

「私は心配してませんよ、姉弟子なら大丈夫です」

 

 

 そう言って、私は姉弟子を頭を軽く抱擁するとスッと踵を返してその場を静かに後にする。

 

 これくらいのことしか、私にはできない。

 

 何故なら、姉弟子が自分との戦いに勝たなければ結局は同じだと思っているからだ。

 

 勝負の世界は厳しい、何が起こるのかはわからない。

 

 姉弟子自身がどうするべきなのかは姉弟子自身が決めて、道を切り開く他はないのだ。

 

 どんなに強いと呼ばれたウマ娘でさえ、敗北することはある。そんな勝負の世界で勝ち抜くためには自分自身との戦いに勝たなくてはいけない。

 

 深呼吸をし、呼吸を整えるミホノブルボンの姉弟子は義理母を真っ直ぐに見つめると力強くこう告げる。

 

 

「追加をお願いしますっ! マスターッ!」

 

 

 力強い声で姉弟子は真っ直ぐに義理母に告げた。

 

 その声に義理母も気合いの篭った声で返し、再び、姉弟子は途方も無い坂路を駆け始めた。

 

 流石は我が姉弟子である。あの気合いならきっとスランプなぞ、問題無い筈だ。我ながら良い仕事をしたのでは無いでしょうか?

 

 おっと、もうこんな時間ですね、私も今日は散々坂路を登りましたしもういいでしょう。

 

 今日はおとなしく寮に帰って、風呂に浸かってゆっくり休んでナリタブライアン先輩の胸の中でスヤスヤ眠るとしましょう。

 

 よーし、今日は何しましょうかねー、ニンジン賭け限定ジャンケンでも…。

 

 

「おっと、アフトクラトラス、どこに行く?」

「ですよねー」

 

 

 そうは問屋が卸さない、いい仕事したわーと帰宅モードに入っていた私の肩を義理母はしっかりと捕まえていました。

 

 なんでや、私良い仕事したやろ!

 

 それとこれとは話が別と、なるほど、そう来ましたか、うん、もうこうなったらなるようにしかなりませんね。

 

 義理母に捕まって、トレーニングしませんなんて言えるはずがない。多分、今、私の背後では鋭い眼光が光ってるんじゃないですかね?

 

 振り返った私に義理母は無情にもプランを練った特製筋力トレーニングメニューを手渡して来た。

 

 

「個別の筋力トレーニングだ、やれ」

「…あの…その…これ死んじゃう…」

「なら死ぬな、以上、返事」

「イエスマムッ!」

 

 

 そう言って凄い圧を放ってくる義理母の一言に血涙を流しながら敬礼する私。

 

 人の心とは一体…、なるほど人の心がない人には関係ありませんでしたね、人の皮を被った鬼でしたね。

 

 まさかの有無を言わさない鬼の所業。

 

 おほー! また明日、筋肉痛にらっちゃうのぉ(ビクンビクン)。

 

 私も重賞があるから仕方ないとはいえ、このメニューには涙が出ますよ、最近、思ったんですけど私、意外とドMかもしれない。

 

 ヒシアマ姉さんに言えないですよね、いや、私がドMかもしれないって事はきっとヒシアマ姉さんもドMに違いないんです。

 

 直感なんですけどね、はい。

 

 そんなこんなで義理母からメニューを伝えられた私は監視役の義理母の弟子であるトレーニングトレーナーと共にトレセン学園のトレーニングジムへ。

 

 

「ぬああああ!! こんちくしょーめぇー!」

 

 

 私はクッソ重たいペンチプレスを声を上げながら気合いを入れて持ち上げる。

 

 筋肉を付けるのも下半身だけだとバランスが悪いですからね、もちろん、上半身もこうやって鍛える事でちょうどいい感じになるらしいです、義理母曰く。

 

 目指せ、ペンチプレス120k! あ、ちなみにミホノブルボンの姉弟子は軽く100k以上持てるらしいです。化け物ですね、はい。

 

 次は天井から吊りさがっている縄に足に繋いで、下にマットを敷きます。

 

 その状態で宙ぶらりんになり、ダンベルを両手に持ったまま腹筋トレーニングです。

 

 

「さぁまだまだ行くぞォ! 残り300本」

「ぬぐあああああああ!」

 

 

 悲鳴に近い声を上げて、上体を起こす私。

 

 私のトレーニング光景を見ている周りのウマ娘達もこれにはドン引きである。そりゃ、こんなトレーニングするとか何処のグラップラーだよとか思われても致し方ありませんね。

 

 

 ウマ娘と生まれたからには一度は夢見る地上最速のウマ娘ッ!

 

 チームアンタレスとはッ! 地上最速を目指す! 頭がぶっ飛んだチームの事であるッ!(以下神イントロ)。

 

 

 あ、喉乾いたんで後で炭酸抜きコーラ飲んで良いですかね? オイオイ、死んだわ、あいつ。とか言われそうですけどね。

 

 大丈夫です。毎回毎回死んでます、主に身体がですけどね。

 

 そんな感じで、後はおんなじくらいすんごい筋トレを背筋やらその他の筋肉に負荷を掛けてするわけですよ。ほぼ毎日ですけども。

 

 ミホノブルボンの姉弟子も例外ではありません。多分、坂路トレーニング終わった後に義理母とするんではないですかね?

 

 今、私がやっているトレーニングかそれ以上のものを。

 

 そんな私の姿を見ていた二人組みのウマ娘はというと?

 

 

「相変わらずヤバイな…アンタレス」

「えげつないわよね…アレを普通にこなせるアフトクラトラス先輩も凄いけど」

 

 

 そう話す二人組みは汗をタオルで拭いながら顔を引きつらせているウオッカとダイワスカーレットの二人である。

 

 おう、やってみるかい? 明日は部屋から一歩も動けなくなるぞ、経験者が言うんだから間違いない。

 

 私は汗だくになりながら、そんな私を観察している二人にジト目を送る。

 

 すると、彼女達はサッと視線を外しやがりました。

 

 もうこれはあれですね、後で先輩権限でウオッカちゃんの太ももかダスカちゃんの胸で癒してもらうしかないですね。

 

 というか、私、気合い入れすぎて、先程から女の子が出してはいけないような声を溢しているような気がしてならないのですけど多分、気のせいだと思いたいです。

 

 まあ、だいたい、私の普段のトレーニングを見ているウマ娘達からの評価は大方知ってましたけどね。

 

 慣れって怖いですね? もう慣れましたし。

 

 ウチじゃターフを走るトレーニングだけでも手足に重石を付けて負荷を掛け、なおかつ、フルパワーで走るのは基本中の基本です。むしろ、更に負荷を掛けてやることも割と普通だったりしますからね。

 

 周りのウマ娘達がドン引きするのも気持ちはわかりますとも、私ももう帰ってブライアン先輩のベッドで寝たいです。

 

 

 迫る菊花賞、ミホノブルボン先輩のクラシック最終戦は果たしてどうなるのか。

 

 そんな姉弟子の心配もする間もなく、義理母から言い渡された地獄の筋力トレーニングをこなした私はフラフラとなりながらそのままトレセン学園の大浴場へ。

 

 キッツいトレーニングの後は風呂に入らなきゃやってられません。

 

 

「あー…もう…うごかなひ〜…」

 

 

 こうして、私は水死体のようにお風呂でいつものようにプカプカと浮くのでした。

 

 しかしながら、ミホノブルボン先輩の様子はいまだに気がかりです。

 

 菊花賞もそうなんですが、義理母もなんだか最近、調子が良くないような気がします。

 

 何もなければいいのですけれど。

 

 そんな考え事をしながら私は一人、風呂の天井を見上げる。

 

 ライスシャワー先輩もミホノブルボン先輩も両方好きな先輩二人の対決。

 

 どちらを応援すれば良いのか未だによくわからないですが、少なくとも二人とも応援したい気持ちは同じ。

 

 二人のように私もまた、次のレースに対してもっと気を引きめねばと思うのでした。


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