遥かな、夢の11Rを見るために   作:パトラッシュS

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菊花賞

 

 

 菊花賞、当日。

 

 私は目が虚ろなまま、観客席からターフを見つめていた。

 

 隣にはナリタブライアン先輩とメジロドーベル先輩が座っている。しかし、今の私には彼女達の声も何も聞こえてこない。

 

 それは、昨日、義理母が私に話してくれた事が頭から離れないからだろう。

 

 そんな、虚ろな眼差しの私を見つめるナリタブライアン先輩は声をかけてきた。

 

 

「…おい、アフ…。大丈夫かお前?」

「…………」

「…アフ…、おい!」

 

 

 私はナリタブライアン先輩から肩を掴まれた衝撃でハッと我に返る。

 

 昨日の夜の事を思い出していて、すっかり先ほどからの話を聞いていませんでした。

 

 せっかくの姉弟子とライスシャワー先輩の晴れ舞台だと言うのに、私らしくありませんでしたね。

 

 私はゆっくりとナリタブライアン先輩の顔を見つめると、心配させまいといつものようにニコリと笑みを浮かべた。

 

 

「え、えぇ…大丈夫ですよ! はい!」

「…そうは見えないが」

 

 

 そう言って、私の顔をジッと見つめてくるナリタブライアン先輩。

 

 流石にこの人は鋭いですね、私はその指摘に苦笑いを浮かべると一息呼吸を入れて心拍数を整える。

 

 そんな私の様子を見ていたメジロドーベルさんは私の手にそっと手を添えるとこう問いかけてきた。

 

 

「大丈夫? アフちゃん?」

「…えぇ、何でもありませんから」

「何かあったんなら私達にちゃんと言うんだぞ? 明るくないお前はらしくないからな」

 

 

 そう言って、ナリタブライアン先輩も私の肩を優しく叩いてくれた。

 

 ほんとに優しい先輩達に恵まれてますね、私は…、ですが、この話は身内での話、他人に相談できるほど容易い悩みではないと私はそう思っていた。

 

 今はそのことを口に出すだけでも辛い、胸が張り裂けそうになります。

 

 そう、今日は姉弟子とライスシャワー先輩を応援しないと、あの二人の晴れ舞台なんだから。

 

 人生で一度の栄光、クラシックロード、あの二人の最後の戦いを私が見届けてあげなきゃいけない。

 

 義理母も姉弟子の背中を押してあげているに違いありません。

 

 姉弟子と義理母の二人三脚の背後を私は一生懸命ついて行った。ライスシャワー先輩もまた、懸命に努力を積み重ねていた事を私は一緒にトレーニングを積んでいたから知っている。

 

 その互いの集大成がこのレースでぶつかり合う。

 

 

「おい、アフ…お前泣いてんのか?」

「…えっ…?」

 

 

 ナリタブライアン先輩の横に座っていたヒシアマゾン先輩からの言葉に思わず私は呆気を取られたかのように声を溢す。

 

 ふと、自分の頬をそっと撫でてみると私は目から自然と流れ出てくる涙に気づいた。

 

 何故だかわからないが、出てきていた。湧き上がるのは悲しさと悔しさ、そして、どうしようもない感情だった。

 

 私は慌てて、グシグシと自分の目の周りを腕で拭う。

 

 そして、私はにこやかに笑みを浮かべヒシアマゾン先輩にこう告げた。

 

 

「かぁー! 目に虫が飛んできたみたいで! すいません! 気のせいですよ!」

「お、おう、そうか」

「はい! なので心配ご無用です!」

 

 

 そう言って、無理矢理でも笑顔を作って、誤魔化すようにヒシアマ姉さんに告げる私。

 

 もちろん、嘘だ。涙が出てきた理由は自分自身が一番わかってる。

 

 このレースが終われば、当たり前だと思っていた日常が変わってしまうんではないかということを私はわかっていた。

 

 だからこそ、私は見届けないといけない、2人の積み上げてきた生き様を努力の集大成を。

 

 

◇◇◇

 

 

 パドックで私がライスシャワーとすれ違った時、以前よりも格段に強くなっている事はすぐにわかった

 

 スプリングステークスから、この日まで共に高め合い、競い合ってきたライバル。

 

 私は義理母と共に厳しいトレーニングを今の今まで積んできた。そのことに関しては私は誇りを持っている。

 

 どこの誰よりも己に厳しくしてきた、そして、これからも義理母と共にさらなる高みを目指すつもりだ。

 

 この菊花賞はその為に必要な称号だ。三冠ウマ娘という称号は私と義理母が積み上げてきたものを証明する為になんとしても勝ち取りたいのだ。

 

 

「…行ってきます」

「あぁ、行っておいで」

 

 

 そう言って私の背中を押してくれる義理母。

 

 悔いが残らないレースにしようと思った。

 

 レース前に私の逃げの戦法を意識してからか、レース場に入る前に同じく菊花賞を戦うキョウエイボーガンが私の前にやってきた。

 

 自信満々の彼女は私にこう言った。

 

 

「貴女より先に逃げてやりますからね!」

 

 

 そう、堂々とした私に対しての逃げ宣言である。

 

 本来なら逃げ戦法同士、先頭争いの末に泥沼化するというリスクを考えると私は先行で彼女の背後に控えるのが一番の選択なのだろう。

 

 だけど、私は今回、そうするつもりは微塵もなかった。

 

 最後のクラシックまで、私は私らしい走りを貫くと決めていたからだ。

 

 もしかしたら、逃げの先頭争いによってレースが泥沼化した末に悲惨な結果になるかもしれない。

 

 だけど、自分はいつも厳しいと思われたトレーニングを積んできたと胸を張って言える。

 

 だから、私はいつものように走るだけだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 私がブルボンちゃんと共に戦ってきたクラシックロード。

 

 皐月賞では力の差を見せつけられ、ダービーでは悔しさのあまりレースが終わってからずっと私は泣いていた。

 

 彼女と自分と何が違うのだろうとずっと悩んでいた。

 

 だから、悩んだ分だけ走って己を鍛え上げた。

 

 トレーニングトレーナーのマトさんは私を熱心に指導してくれた。

 

 ミホノブルボンに勝ちたいという一心で私はやれることを全てやった。

 

 ブルボンちゃんとすれ違った時、私は彼女の背中ではなくもう隣に来ているんだと思った。

 

 同じチームでキツい時も苦しい時も乗り越えて共に切磋琢磨して、互いに高め合ってきた。

 

 あの背中は見えている。だったら、後は迷わず彼女を捉えるだけだ。

 

 共に譲れないプライドがある。ウマ娘として生まれたからには勝ちたいと思うのは当然の事だ。

 

 ライバルが私をここまで強くしてくれた。

 

 だから、私はブルボンちゃんに後悔の無い走りを見せるだけ、私が成長した姿を見てもらいたい。

 

 

「しっかりな、勝負は最後の直線だ」

「はいっ!」

 

 

 ステイヤーとしての私の土俵、そして、得意なレース場、条件は揃った。

 

 背中を押してくれるマトさんに力強く頷いた私はレース場に向かう。クラシックロード最後のレースを悔いがないように走る為に。

 

 

◇◇◇

 

 

 ゲートに向かう2人の後ろ姿を私は黙って見つめる。

 

 2人とも覚悟を決めた力強い背中だった。本当に私にとって誇らしい先輩方達だと改めてそう思う。

 

 暫くすると、実況席に座るアナウンサーの声が聞こえてくる。

 

 

「今年の菊花賞は18名となります。レース場の状態は良、スタート時刻は3時35分からとなります」

 

 

 ゲートに向かう先輩達。

 

 レースの時刻は刻一刻と迫ってきている。私は静かにその時を待っていた。

 

 クラシック最終戦、菊花賞、そのファンファーレがレース場内に鳴り響く。伝統のレース最終戦、果たして勝つのは誰なのか。

 

 

「今回のレースは12万人を収容しております。最後の枠入りが今終わりました」

 

 

 心臓が高鳴る中、最後のウマ娘がゲートに入る。

 

 一斉に走る構えを取る一同、距離3000m、クラシックロード最終戦、菊花賞の火蓋が今切って…。

 

 

「今スタートしました! まずは先行争い、抜け出すのはどのウマ娘か!」

 

 

 落とされた。ゲートが開いた途端にポンと飛び出していったのは逃げ宣言をしていたキョウエイボーガン先輩だ。

 

 だが、そのリードもすぐに入れ替わる。

 

 その瞬間、私は思わずその場から立ち上がった。そう、私が知ってるレース展開とは全然違っていたからである。

 

 なぜなら、逃げを宣言していたキョウエイボーガン先輩を抜き、トップに躍り出たウマ娘がいたからだ。

 

 そう、ミホノブルボンの姉弟子である。

 

 本来なら、いや、この場合、私が知ってるレース運びならばミホノブルボンの姉弟子はキョウエイボーガン先輩の背後から迫る先行策を取るレース展開だったはずなのである。

 

 それが、間違いなく無難な選択だ。3000mなんて長い距離を逃げ切ろうなんてそうそう出来るようなことではない。

 

 

「…これはっ!?」

 

 

 下手をすれば、レースが泥沼化し自滅すらあり得る大博打だ。

 

 だけど、姉弟子を隣で見ていた私ならわかる。確かに大博打ではあるが十分に勝機はあり得ると。

 

 ナリタブライアン先輩は立ち上がった私に目を丸くしていたが、しばらくして、冷静な口調でこう告げはじめる。

 

 

「逃げ策か、確かにセオリーならキョウエイボーガンと競るのは得策じゃないだろうな」

「ブライアンの言う通りだ。あれは下手すると400mでバテるぞ」

「…普通、ならな」

 

 

 そう言って、ヒシアマ姉さんの言葉に対してブライアン先輩は意味深な笑みを浮かべた。

 

 それの意図は、私も理解していた。クラシックロード最終戦だからこそ、姉弟子はきっといろいろと考えた上でその選択を選んだのだろう。

 

 きっと、自分らしい走りを貫くためにあえてそうしたのだ。

 

 だからこそ、この菊花賞ももうどうなるのかわからなくなった。

 

 

(やはり、先頭を切りにきましたか…)

 

 

 ライスシャワー先輩は静かにトップを走るミホノブルボン先輩の姿に表情を険しくした。

 

 正直な話、逃げ宣言をしているキョウエイボーガン先輩に先頭を譲り、後ろに控え足を溜めるだろうと踏んでいたのだろう。

 

 私も同じ立場であればそう考える。だが、ミホノブルボンの姉弟子はそれを裏切り、逃げに転じてきた。

 

 下手をすれば惨敗もあり得る大博打、3000mという長い距離を逃げきるには相当なスタミナがいるはずだ。

 

 それをわかった上でのこのレースの運び方にライスシャワー先輩は笑みを浮かべる。

 

 

(流石はブルボンちゃんですね)

 

 

 素直にライバルを尊敬する。

 

 ライスシャワー先輩はここにきて、自分の走り方を貫くミホノブルボンの姉弟子のその姿には脱帽するしかなかった。

 

 きっと葛藤はあったのかもしれない。

 

 勝つための最善策はもちろん、先行だろう。無難に考えればだが、しかし、ミホノブルボン先輩はそれを敢えて捨ててきたのだ。

 

 

「先頭に躍り出たミホノブルボン! ややペースは早いが3000mは持つのでしょうか」

 

 

 三冠ウマ娘という栄光。

 

 ウマ娘として、手に入れたい称号をミホノブルボン先輩は真っ向から掴みに行こうと足掻いている。

 

 私はその姿に思わず胸が締め付けられそうになった。

 

 

 私の知らないレース、私がまだ見た事がない夢のレースが目前で実現しているのだ。

 

 レースを走るミホノブルボン先輩はやはりキツそうであった。それはそうだろう、3000mなんて長い距離を走った事なんてないのだから。

 

 

(まだ1500…)

 

 

 ミホノブルボンの姉弟子は表情を曇らせる。

 

 菊花賞の距離は長い、正直、トライアルレースは意味を持たないと考えた方が良いだろう。

 

 後ろを振り返れば、ライスシャワー先輩の眼差しが真っ直ぐに向いていた。

 

 

 

 残りの距離はだんだんと無くなっていく、先頭は依然として姉弟子が逃げている。

 

 そして、運命の最後の直線、ライスシャワー先輩の目がギラリと光ったような気がした。

 

 

「ミホノブルボン先頭! だが背後から来る! 後ろから迫り来る黒い刺客! あれはライスシャワーだ! マチカネタンホイザも釣られて上がってくる!」

 

 

 残りの400mの地点でミホノブルボン先輩の背中についていたキョウエイボーガン先輩と入れ替わるように背後から2人が一気に加速し上がってくる。

 

 だが、ミホノブルボン先輩の足は色褪せない、まだスピードに乗ったままだ。

 

 マチカネタンホイザ先輩はそれ以上は伸びなかった。

 

 しかし、ライスシャワー先輩はそんなミホノブルボン先輩にぐんぐんと追いついてくる。

 

 

「やはり上がってきた! やはり上がってきた! ライスシャワーだっ! 漆黒の髪を靡かせて迫る! ここで迫る! 残り200m!」

 

 

 ライスシャワー先輩はミホノブルボン先輩に並びかける。

 

 両者の視線が交差した。観客達も思わず立ち上がり白熱するレース。

 

 だが、視線が交差する2人の間には同時に喜びがあった。遂にこの時が来たのだという喜びだ。

 

 

(待ってましたよっ!)

(勝負ですっ!)

 

 

 互いに足に力を込める2人。

 

 ピリピリとした空気が2人の間には漂っていた。だが、2人とも待ちに待ったこの時をまるで楽しんでいるかのようだった。

 

 二人の壮絶な一騎打ち、身体は限界を超え更に上へ上へと高め合っているかのようだった。

 

 ライスシャワー先輩はなかなか抜けない、ミホノブルボン先輩が僅かに抜け出しそうな雰囲気があった。

 

 しかし、その時だ。

 

 ライスシャワー先輩は僅かに姿勢を低くする。それは少しでも空気抵抗を無くしてより速く走るために編み出した走り方だった。

 

 

(…もらったっ!)

 

 

 残り50m無い地点で、ミホノブルボン先輩が僅かに抜け出した。

 

 これは決まった。私はその瞬間、ミホノブルボン先輩の三冠を確信したその時だった。

 

 一瞬だった。

 

 切れ味の良い、素早く力強い伸びをライスシャワー先輩が繰り出したのは。

 

 まるで、時間が止まっているかのような錯覚さえ感じる。一歩二歩三歩とミホノブルボン先輩に並んだライスシャワー先輩はそのまま押し切るように横から抜け出してきた

 

 

(この一瞬で…っ)

(まだだ…っ! まだっ! ここで交わし切るっ!)

 

 

 そう、ライスシャワー先輩は最後の最後まで力を蓄えていたのだ。姿勢を低くして、ミホノブルボン先輩が伸びきるその一瞬を見定めていた。

 

 伸びたライスシャワー先輩の身体がミホノブルボン先輩を交わす。

 

 

「はあぁあああああ!!」

 

 

 声を張り上げ、気合いで巻き返そうと足掻くミホノブルボン先輩。

 

 だが、交わし切ったライスシャワー先輩との差が開いてしまった。ここから巻き返すのはもう無理だ。

 

 その瞬間、ミホノブルボン先輩の表情が一気に青ざめるのが私にはわかった。

 

 ゴールが決まる。その勝者は…。

 

 

「ライスシャワー交わした! ライスシャワー先頭! リードは1身差! 今ゴールインッ!」

 

 

 ライスシャワー先輩が最後の最後にミホノブルボン先輩を交わしきった。

 

 これには場内からもどよめきが起きる。

 

 皆はミホノブルボンの姉弟子の三冠を疑っていなかった。

 

 まさか、三冠達成をライスシャワー先輩が阻止するとは誰も思ってもいなかったのだろう。

 

 

「ライスシャワー!ライスシャワーがやりました! ミホノブルボン敗れました」

 

 

 レースを走りきったライスシャワー先輩は息を切らしながら、空を見上げる。

 

 その目には涙が溢れ出ていた。ようやく、勝ち取ったG1勝利という栄光、努力がようやく報われたという気がした。

 

 そして、初の敗北をしたミホノブルボン先輩は息を切らしながら静かにその場にペタリと力なく座り込む。

 

 しばらく、呆然としていたミホノブルボンの姉弟子であったが、ライスシャワー先輩に負けた事を悟ると顔を両手で覆いながら大粒の涙を流していた。

 

 全力でぶつかり合ったからこそ、悔しかった。

 

 限界は互いに来ていたはずなのに負けた。

 

 義理母に見せるはずだった三冠の夢が潰えてしまった。

 

 

「あぁぁぁぁ……っ!!」

 

 

 ミホノブルボンの姉弟子は顔を抑え、涙を流して悔しさのあまり声を上げる。

 

 ミホノブルボンの姉弟子のそんな姿を目の当たりにした私も自然と涙が溢れ出て来てしまった。

 

 ライスシャワー先輩がG1を勝ってくれたことは素直に嬉しい。だが、それ以上に姉弟子の無念が私にはよく伝わった。

 

 きっと姉弟子も義理母の夢を叶えたかったのだろうと思う。

 

 

「…すいません…ひぐっ…」

「何、気にするな…気持ちはわかるさ」

 

 

 そう言って、隣にいたナリタブライアン先輩は優しく私の頭を抱きしめて慰めてくれた。

 

 複雑な感情が混ざり合って、心の中がグチャグチャになっているような気がした。嬉しさもある、だが、それ以上の悔しさと悲しみがあった。

 

 そんな中、菊花賞を勝ったライスシャワー先輩は嬉し涙を拭うと観客席の方へと笑顔を浮かべて歩いていく。

 

 ナリタブライアン先輩に慰められていた私はすぐに涙を拭う。

 

 二人の積み重ねた努力がぶつかり合ったレースだった。

 

 ミホノブルボンの姉弟子は確かに負かされてしまったけれど、それでも、同じチームであるライスシャワー先輩の勝利は私には誇らしいことには変わりはない。

 

 観客達に手を振るライスシャワー先輩。

 

 

 菊花賞を経て、長きに渡った二人のクラシックの戦いに幕が降りるのだった。


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