私が挑む初の重賞レース東京スポーツ杯。
重賞競走(GIII)であり、朝日杯フューチュリティステークス(G1)の前哨戦として位置づけられている。
本来なら、海外に飛び出して、BCジュヴェナイルターフに向かった方が良いのだろうが、海外ウマ娘と今やり合うには私にはまだレースの経験が足りない。
まだ国内レースも二勝、それに義理母も姉弟子も私の側には居ない。
そんな中、私が海外遠征をしたりすれば、惨敗してしまう事だってあり得てしまう。
私自身、海外レースを一度も走った事は無いし向こうの芝の感触にだって慣れないといけない。
そんなリスクが大きなことに対して先走り、負ける方が私は嫌だ。
それよりも確実に力をつけて、来年の欧州レースを戦う方が勝率は高くなるだろう。
焦る必要は無い、まだ時間はある。
それよりもまずは目の前の東京スポーツ杯の方が大切だ。
「ネオちゃんとゼンちゃんは回避したのなら…問題はない…か」
私は静かに準備運動をしながら呟く。
ネオちゃんとはネオユニヴァース、ゼンちゃんはゼンノロブロイの二人のことだ。
東京スポーツ杯の距離は芝1800m、ゼンちゃんはおそらく距離適性を考慮して、2000mのレースに視野に入れて、多分、朝日杯は回避するだろうと私は思っている。
それは、朝日杯ではなく、同じくG1のホープフルステークスに出走するのが一番、ゼンちゃんの脚質を考えれば可能性が高いからだ。
そして、おそらく、次でぶつかるのが一番可能性が高いのはチームリギルのネオユニヴァースことネオちゃんだ。
正直、どれだけ力をつけたかはわからないが、かなり鍛えているとはフジキセキ先輩からは以前聞いていた。
ネオちゃんのポテンシャルは元々高い、本来なら皐月賞、ダービーを取るほどの実力を秘めた天才だ。
そう、私が居なければの話ではあるけれど。
ネオちゃんが強いのは私は知っている。だけど、負けるつもりは毛頭なかった。
その彼女との戦いが先に待っている。こんな重賞ごときで足踏みなどしていられない。
しばらくして、ゲートインの指示が私に飛んでくる。いよいよ、レースだ。
私は横目でライバルとなるウマ娘達を確認しながら、静かにゲートに入る。
そして、レース前の慣例のファンファーレ。
私は深呼吸をしながら、自分の心臓をできるだけ落ち着かせるように心がけた。
クラウチングスタートの姿勢を取り、その時を静かに待つ。
「……………」
間を置いて、パンッ! という音と共にゲートが勢いよく開いた。
私は足に力を込めて、どのウマ娘よりも勢いよく飛び出し、出来るだけ先頭を取りに駆ける。
先行を取る事は当たり前、私らしい走りをするなら取りに行く努力をすることは惜しまない。
後ろから迫るウマ娘達を見ながら私は先行を取る。スタートダッシュは良好、特に問題なく取りたかったポジションを無事に確保することに成功した。
見た限り、レースの展開に影響は無さそうだ。
レース場の外から私を見つめるヒシアマゾン先輩は隣にいるナリタブライアン先輩にこう語る。
「スタートのキレは一級品だな、もうポジションを確保してやがる」
「あいつの場合は別に差しでもいけるんだろうがな、アマさんも見習った方がいいぞ?」
「っるせー! あたしは追い込みだから別に関係無いんだよっ!」
「はいはい…」
そう言って、ヒシアマゾン先輩の言葉を聞き流すナリタブライアン先輩。
スタートに関しては瞬発力は抜群に鍛え抜いた自負が私自身にはある。
莫大な量の坂路と重石を使った数々のトレーニングは間違いなく私を化け物に変えてしまったのかもしれない。
とはいえ、この世界ではそんな化け物や怪物と呼ばれるウマ娘が平気でゴロゴロ居るような世界だ。
私の力など、たかが知れてる。なら、それを超えれるように私は努力するしかないのだ。
「これは良いペース、アフトクラトラス良い位置につけています」
私の走りに実況アナウンサーも賞賛の声を送ってくる。
先行は得意な戦法、しかも、これだけ理想的な展開なら何ら問題もない。距離的にも不安要素は皆無だ。
なら、迷う事はないだろう、先行をキープしつつ、私は自分のポジションを見失わないように軽い足取りで走る。
全然距離的にもレースの速さ的にも足を余すような展開だ。
ペースを見て、私はすかさず、残り800m付近から徐々に足の回転スピードを速める。
残り600m付近、逃げの戦法を得意としているウマ娘と並んだところで一気にギアを上げていった。
実況に座る名物アナウンサーは声を荒げた。
「先頭はやはりアフトクラトラス! アフトクラトラスですっ! 速い速い速いっ! まだ離していきますっ! もう何身差ついたでしょうかっ! まだ離しますっ!」
私は呼吸を入れながら、軽い足取りでドンドンと後方との差を広げている。
というより、もう既に千切っていた。後ろを振り向かずとも、それはわかる。
重賞というよりは普通のオープン戦と同じくらいの感覚だった。
私が鍛えすぎたせいなのかはわかりませんが、別に勝てれば何でも良い、私は後ろを振り向く事なく余裕ある10身差くらいの差をつけてゴールを決めた。
これが、私の重賞初勝利。
あまり実感は無いが、会場は異様に盛り上がっていた。
息を切らさないまま、私は観客席に座るお客さん達の元に足を運ぶと一礼する。
そんな中、レースを終えた私はため息をつくとそそくさと退散することにしました。
この後はもちろん、ウイニングライブがあると聞いてましたが、私は全く出る気にはなりません。
会場からそそくさと退散する私ですが、レースを終えた私を通路でバンブーメモリー先輩がタオルを持って待っていてくれました。
「お疲れ様! どうだった? 初の重賞は?」
そう言って、満面の笑みでタオルを手渡してくれるバンブーメモリー先輩。
私に初の重賞の感想について聞いてくるバンブーメモリー先輩。
私は軽く頭を下げて、バンブーメモリー先輩からそれを受け取り、お礼を述べて汗を拭いながら静かにこう告げる。
「…前哨戦にすらなりませんでしたよ」
一言だけ、静かな口調で告げた私は汗を拭いながら何事も無いかのように彼女の横を過ぎていった。
バンブーメモリー先輩はそんな私の反応を見て悲しげな表情を浮かべているようだった。
手ごたえを感じなかったのは事実だ。
今回の東京スポーツ杯にネオちゃんが出てくれば多少は違っていたのだろうが、私には正直な話、楽に勝てたレース。
望んだレース展開に望んだ走り方、何もかもが問題なく進みすぎた。
特に他のウマ娘が食らいついてくる様な展開もなく、残り600mのあの時点で私は勝ちを確信するに至った。
事実、私はこのレースでRタイムを叩き出していたし、これだけ簡単に勝てるレースならば前哨戦というには程遠い。
朝日杯はこれの比では無いだろう。ネオちゃんに加えて、もっと強敵が立ち塞がってくるはずだ。
それでも、私はそんな連中に対して勝ちを譲る気は微塵もない、徹底的にやり合う腹づもりである。
ウイニングライブは私が出ることを拒否したので代わりに下の着順の方が代行してやってくれる事になりました。
そして、レース終了後、ウイニングライブに出なかった私はすぐに坂路のトレーニングに入ります。
姉弟子ならきっとこうしていた筈です。
いや、私は姉弟子を超えねばならないのだから、これくらいは当たり前なんだ。
あれくらいの勝利でウイニングライブをする暇があれば、私は次のレースも必ず勝つ為の努力を選ぶ。
私自身のエゴかもしれませんし、これが正しい事なのかどうかはわかりません。
だけど、私は負ける事は出来ないんです。
他のウマ娘や観客からどう思われようとも関係ありません。私は強くなりたい、今以上に、負ける事なく遥かに強くなりたい。
私が知っている強くなる方法はこれしか思いつかない、トレーナーが居ない今、私は自分自身で自分をもっと厳しくしないときっと負けてしまうかもしれない。
坂路を走る中、私は息を切らしながら水を口に入れ呼吸を整える。
そんな中、息を整えている私に静かに近づいてくる3人のウマ娘がいた。
「そこまでにしとけ、アフ」
「…アフちゃん」
「はぁ…はぁ…、何の用ですか」
息を切らしながら私は3人のウマ娘に対して険しい表情でそう問いかける。
声をかけてきてくれたのはナリタブライアン先輩とライスシャワー先輩、ヒシアマゾン先輩の3人だ。
しかし、先輩3人とはいえど私は笑顔を作る様な余裕はない、私は3人の言葉を無視して再び坂路に足を向ける。
だが、それに待ったを掛けたのはナリタブライアン先輩だった。
私の肩を掴むと真剣な眼差しで私にこう話をし始めた。
「…残りのウマ娘としての人生を全て棒に振るつもりか」
「…ぜぇ…ぜぇ…、離してください」
「ブライアンの言う通りよ、アフちゃん」
肩を掴み、制止するナリタブライアン先輩の手を振り解こうとした私に対して、ライスシャワー先輩はブライアン先輩の言葉を肯定するように私に告げてきた。
ウマ娘としての人生を棒に振る。確かにそうかもしれない。
今の私は昼休みも、寝る時間も、プライベートの時間も全て削りトレーニングをしている。
だが、そうする事でしか私は姉弟子達に帰ってきてもらう方法が思いつかないのだ。
「トレーナーも付けないでこんな限界値を超える様なトレーニングを毎回していたら本当に貴女の足が壊れてしまうわ」
「…私のトレーナーは…」
「わかってる」
私の言葉を遮るようにナリタブライアン先輩はそう言った。
わかっているのなら、止めないでくださいと私はナリタブライアン先輩の目を真っ直ぐにに見て訴える。私のトレーナーは義理母だけなんだと。
そんな中、ヒシアマ姉さんは私の側によると私に対してこう語り始めた。
「…メジロドーベルとバンブーメモリー先輩がお前の事心配してな…、メジロドーベルなんか、泣きながらお前の事をお願いしてきたんだぞ」
「…そうですか」
「なぁ…、もういいだろ、アフ」
ヒシアマ姉さんは私に悲しげな表情を浮かべたまま、そう告げる。
何が良いんだろうか、義理母の事か、それとも姉弟子の事なのか、それとも私自身の事なのだろうか。
私には何が良いのかわからない、私には義理母がトレーナーで姉弟子が私にとっての目標なのだ。
義理母のトレーニングが厳しくて苦しい時、いつも私はサボろうとしていた。
それが当たり前だと思っていたし、あんなトレーニングしてたら身体が持たないとか思っていた。
だけど、それを耐えてこれたのは義理母が私を認めてくれていたからだ。姉弟子やライスシャワー先輩が側に居てくれたからだ。
その人が帰ってこれる場所を私が守らないといけない、私がしっかりして、勝って義理母と姉弟子を待ってあげてないといけないのだ。
「妥協できません…、私は今まで甘えてきたから…」
「そういう事じゃないんだ、アフ」
そう言って、ナリタブライアン先輩は私を優しく抱きしめた。
小さく、泥だらけでボロボロになった私の身体を何の躊躇なく彼女は抱きしめてくれた。
そして、ライスシャワー先輩もそれに続くように抱きしめ、ヒシアマゾン先輩は私の頭を優しく撫でてくれた。
「みんなお前の事が心配で大事だから言っているんだ」
「…それは…」
「わかったから、貴女の気持ちは…、だからどうすればいいか皆で考えましょう? ね?」
ライスシャワー先輩は優しい笑みを浮かべて私にそう告げる。
皆さんにはただでさえ、協力してもらっているというのにそんな事まで考えてもらうなんて私には申し訳無くて仕方がなかった。
私の問題だから、私自身がどうにかしないといけないと思っていたのに。
静かに笑みを浮かべた私は抱きついてきた二人を引き離すと小さく笑みを浮かべてこう告げる。
「ありがとうございます…、わかりました。少しだけですが考えておきます」
「!? アフ…」
そう告げると私は一礼し、その日のトレーニングを切り上げることにした。
優しい先輩方に恵まれて、私は本当に幸せ者ですね、私自身ももっと考えないといけないなと思わされました。
トレーナーについて、少し考えないといけないのかもしれませんね。
義理母と姉弟子が居なくなって私自身が少し神経質というか、ピリピリしていたのかもしれません。
とはいえ、笑みを浮かべる事はここ最近では全くと言っていいほど無くなりました。
ウイニングライブを辞退したのも、心の底から笑えないライブをするのがファンの方に失礼だと感じたからです。
いつか、私が心から笑えるようになったらライブをしようとは思ってはいます。
そのいつかは、いつになるかは全く見当もつかないんですけどね。
私はレースとトレーニングでボロボロになった身体で寮に戻りながらそんなことをふと考え思うのだった。