いつか見たあの景色。
私と姉弟子、ライスシャワー先輩の3人が共に走るレース、大好きな先輩達と共に駆けるレースを私は望んでいた。
そして、そこには必ず、義理母が私達の走りを見てくれている。
普段は鬼のように厳しくて、怖い義理母だけれど、私達のレースを送り出す時はいつも背中を優しく押してくれた。
父も母も居ない私、だけど、私は義理母を本当の母だと思って接していた。
私にとってはかけがえのない家族、親だ。
義理母は私に本当の親ではないことを謝ってきたことがあった。
だけど、私にはそんなことは関係なかった。怖くておっかなくてもそこには誰よりも愛情があることがわかっていたからである。
「遠山さんの身体の事ですが……その大変申し上げ難いのですが…」
だから、私は白衣の先生からの話は全く聞く気になれなかった。
義理母の話を聞いても、現実を受け止めきれない私はきっと幼いのかもしれない、もっと大人にならなければならないのかもしれない。
だけど、そんなことができるわけがなかった。気がつけば手に力を込めて膝を握りしめるように拳を作っていた。
悔しさと悲しみで胸がいっぱいだった。
義理母の入院した病室に訪れた私は途中、街で買った見舞い品を持って義理母の病室を訪れた。
「…あの…おかあさん…」
「ん…、来てくれたんか」
「…うん」
そう告げる私は静かに義理母の元に見舞い品を持っていく。
おかあさんと呼んだのは何年振りだろうか、いつもは義理母と呼び、トレーナーと呼ぶことが多かった。
病院に入院するまではずっと義理母やトレーナー、本当はもっと親子らしい事をすべきだったのだろうなと私は少し反省している。
義理母だって今は辛い筈だ。私が少しでも義理母の力にならなくてはいけない。
義理母が喜べばいいのだが、今回のお見舞い品に私は無難に箱詰めされたプリザーブドフラワーを選んで持って来た。
私は義理母のベッドの側にそれを置くと、義理母の側に近寄り何も言わずにギュッと抱きしめる。
「どうしたんだい、急に」
「…なんでもない」
「そうかい、この間のレース、頑張ったみたいだね」
そう告げる義理母は抱きしめて来た私の頭を優しく何度も撫でてくれる。
今は一線から退いた義理母は私に対して、こんなところに来ないでトレーニングをしろなんて言わなかった。
それは、義理母自身が私に対して後ろめたい気持ちがあったからかもしれない、だけど、私は義理母からそんな風に怒鳴って欲しかった。
義理母を抱きしめる私は震える声でこう話をし始める。
「…必ず…、私が必ず三冠を取ってみせますから…だから、だから…戻って来てください、絶対」
「アフ…、お前…それは…」
「無理なんて言わせませんっ! 私はっ! 貴女に見てもらいたいんですっ! 私のトレーナーは貴女だけなんですっ!」
私は義理母を抱きしめたまま、震える声でそう告げた。
姉弟子と義理母に見てもらいたい、貴女達に育ててもらった私が勝つところを、遠山厩舎の集大成は間違いじゃなかったってところをみんなに証明したい。
そして、私がそれを1番に届けたいのは親でもありトレーナーである義理母なのだ。
すると、義理母は抱きしめてくる私の肩をそっと掴むとゆっくり引き離し、優しい眼差しでこう話をし始める。
「話は聞いているよ。お前、トレーナーを付けないで走っているようじゃないか」
「私には要りません…」
「アフ、そうはいかん」
義理母の眼差しは真っ直ぐに私を真剣に見据えたままそう話を続ける。
それは、私の母として、そして、トレーナーとしての義理母の心から私を思っての言葉なのだったのだろう。
確かにその通りだ。ナリタブライアン先輩やライスシャワー先輩からもそれは言われた。トレーナーも付けずに練習を行えば、いつか、私の足が壊れてしまうだろうと。
言っている事はわかる。だが、私の目標を達成するにはそれくらい必死でやらなくてはならないのもまた事実なのだ。
だが、義理母はそんな私の心情を見透かしたかのようにこう話をし始めた。
「他のトレーナーにトレーニングを見てもらえ、お前のトレーニング方法じゃ、いつか負ける」
「それは…っ!」
「ハードなトレーニング管理が独自でできるわけがなかろうが、バカタレ。 その道のプロはあの学園には揃うておる」
その義理母の言葉に私は言い返すことが出来ずに思わず視線を逸らす。
わかってはいたのだ自分でも、先輩達から言われて自覚していた部分は多少はあった。
ただ、私は認めたくなかっただけなのだ。
チームスピカの併走にも、チームリギルとの合同練習もしたことは確かにある。
だが、これから先、私が勝ちに行くにはどうすべきなのか、それは、私自身がよく理解していた。
「…私は…」
「見せてくれるんだろう? 私に三冠ウマ娘を」
「…っ!?」
私は義理母の言葉に思わず涙腺が熱くなる。
そうだ、見せてあげたいのだ。元気な義理母と姉弟子に、私はこれだけ成長したんだと見せてやりたいのだ。
そして、また、共にターフを駆けたいと願っている。
思わず涙が溢れ出てくる中、私はそれを慌てて拭い、何事も無いように振る舞う。いつもいつも泣いていたのでは義理母も良くならない、これは義理母がレースに帰ってくるまで取っておくべきだろう。
あの場所に義理母もミホノブルボンの姉弟子も、二人は必ず戻ってくると私は信じているから。
「はいっ!」
私は涙を拭って、笑顔を浮かべて義理母の言葉に応えた。
それは、久方ぶりの心からの笑顔だったと思う。
私のすべき事はわかっている。今、私がしなくちゃいけないのはレースを勝つ為に最善を尽くすことだ。
いつも、義理母と姉弟子がやっていたように一生懸命になって身体を仕上げる事。
義理母は私に言った。三冠ウマ娘を見たいと。
だったら私がやるべき事はもう一つしかない…。
義理母の見舞いから翌日。
私はシンボリルドルフ会長と生徒会室で対面していた。テーブルに置かれている紅茶を啜っていたルドルフ会長は私の目をジッと見つめるとゆっくりとそれを置く。
ルドルフ会長は何故、私がここに来ているのか既に悟っているようだった。
会長は笑みを浮かべると懐かしそうに、私にこう話をし始める。
「君が最初にトレセン学園に来た時も、私にこんな風に対面していたな」
「…そうでしたかね」
「あぁ、まさかあんなに緊張していた君がこんな問題児だとはあの時は思いもしてはいなかったがな」
ルドルフ会長は一つ一つ思い出すように優しい表情を浮かべたまま私にそう語る。
そう言われると、何も言えない。確かに私は義理母やルドルフ会長にはかなりお世話になったと思う。
特に問題児として、私は好き勝手にしていたし、生真面目なルドルフ会長からはかなりお説教とタンコブを浴びせられた記憶がある。
私は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべると、テーブルにある紅茶をスッと口に運んだ。
今まで、先輩達に甘えていた日々、楽しかった思い出、そして、必死に走って鍛えるトレーニングの毎日。
だが、それらの日々を送れていたのは会長とライスシャワー先輩と義理母、そして、ミホノブルボンの姉弟子が居てくれたからだ。
私が何故、ルドルフ会長の元にやって来たのか、それは、病室で交わした義理母との約束を果たすためだ。
ルドルフ会長は真っ直ぐに私を見据えたまま、こう語り出す。
「私と同じ皇帝の名を持つ君だからこそ言っておこう。彼のトレーニングは厳しいぞ」
「…えぇ、平気です。厳しいのには、慣れてますから」
真っ直ぐに瞳を見つめてくるルドルフ会長に私は笑みを浮かべたまま、静かにそう告げた。
皇帝を支えた伝説。
それは、ルドルフ会長一人ではもしかすると成し得なかった7冠という未だに破られる事の無い記録。
私が伝説を超えて、もっと強くなるにはそれしか無いと思うに至った。
皇帝を鍛えし、トレーニングトレーナー、義理母という最高のトレーナーを欠いた私はその方の力が必要不可欠だった。
その私の表情を見ていたルドルフ会長は肩を竦める。覚悟に満ちたその眼差しを見れば何を言っても揺らがないだろうという確信があったからだ。
「わかった、私から話しておこう、オカさんにな…」
「…ありがとうございます」
その言葉を聞いた私は、深々とルドルフ会長に頭を下げた。
皇帝の名を持つ彼女を支えたトレーニングトレーナー、それが、私がルドルフ会長に申し出た願いだった。
オカさんの愛称で呼ばれるトレーニングトレーナーはトレセン学園の中でも随一のトレーニングトレーナーである。
確かにチームトレーナーの東条ハナさんかスピカのトレーナーさんに一度はお願いしようかと私は悩んだ。
だが、オハナさんはネオちゃんのトレーナーであるし、スピカのトレーナーさんは私には優し過ぎるのではないかと思いとどまるに至った。
そして、私が白羽の矢を立てたのが、シンボリルドルフ会長を皇帝と呼ばれるまでにした名トレーニングトレーナーなのである。
紅茶を啜るルドルフ会長はクスリと笑みを浮かべると満足げに私にこう語りはじめた。
「これも何かの縁かな…」
「奇しくもですけどね」
「君の才能は私は転入してきた時から買っているよ、君なら…見せてくれるかもしれないね」
そう告げるルドルフ会長は遠い眼差しで、窓から外を見つめていた。
あの日、勝ったジャパンカップ、世界の強豪達を退けてルドルフ会長は優勝を果たした。
もしかするとルドルフ会長は私には夢の続きを期待しているのかもしれない、私が世界最高峰のレースで皇帝という名を轟かせることを。
期待をしてくれている事は嬉しいが、私はまだ重賞を圧勝したとはいえ3戦しか走っていないウマ娘だ。
その事を踏まえた上で、期待を寄せてくれるルドルフ会長に私はこう話をする。
「私はこれからもっと強くなります」
「あぁ、楽しみにしてる。私の可愛い後輩だからな」
そう告げるルドルフ会長は私の頭を優しく撫でてくれた。
こうして、私は義理母との約束を果たすために新たにトレーニングトレーナーを迎えて、G1レース朝日杯FSに向けてトレーニングに励むことに。
生徒会室を後にした私は静かに廊下を歩いて自分の寮へと戻る最中だった。
その道中、見知った顔の先輩とふとすれ違う。
それは、鼻にシャドーロールを付けたナリタブライアン先輩だった。
すれ違った私とブライアン先輩は足を止めて互いに背を向けたまま、会話をしはじめた。
「良い顔付きになったな、アフ、強者の顔だ。吹っ切れたか?」
「気のせいですよ」
「フッ…、そうか」
そう言って、背を向けたまま、互いに笑みを浮かべるナリタブライアン先輩と私。
可愛がっていた後輩の成長は素直に先輩として嬉しいのかもしれない、ナリタブライアン先輩は特に可愛がってくれましからね。
それに、ナリタブライアン先輩が言ったようにトレーニングトレーナーも私は付けることにしましたし、これでなんの憂いも無い筈だ。
ブライアン先輩と他愛の無い話を終えた私は、軽く頭を下げると振り返らないままスタスタと足を進めようとする。
すると、振り返らない私にブライアン先輩は一言、声を上げてこう言葉をかけてきた。
「今夜はちゃんと待ってるぞ」
その言葉に思わず驚いたようにビクッと身体を硬直させて、慌てて振り返る私。
な、なんであの人はそんな恥ずかしい事を平然と廊下で言うんですかね…、全く。
他のウマ娘の方が聞いていたら、変な誤解を受けるというのに、気にする素振りが皆無なのが逆に清々しく感じる。
そんな私の反応を面白がってか、ブライアン先輩はさらに話を続け始めた。
「お前の肌が恋しくて仕方ないんだ。ぬいぐるみが居ないとな。私はこう見えて寂しがり屋なんだよ」
そう言って、一方的に私になんの躊躇もなく添い寝に誘ってくるナリタブライアン先輩。
聞く人が聞けば変な誤解を招くような言動ばかり、聞いていた私も頭を抱えて左右に首を振るしかありませんでした。ナリタブライアン先輩らしいといえばらしいんですけどね。
そんな私の気持ちなぞ知らんとばかりに、ブライアン先輩はプラプラと手を挙げたまま、去っていく。
呆れたようにため息を吐いた私は肩を竦めるとその背中を見送った。
見送るブライアン先輩の背を見つめる私の顔からは思わず笑みが溢れていた。
私も自分の目的地に向かって今日から新たに歩みを始める。
そう、今日から新たに始まるのだ。
義理母と姉弟子、そして、ライスシャワー先輩との日々を取り戻すための戦いが。
その過程で例え、修羅となろうとも構わない。
ファンから嫌われようと孤独となっても私はきっと諦めずに走り続けるだろう。
それが、王者だと私は知っているのだから、だから、私は私の王道を征く。
顔も知らない親が名付けてくれた皇帝という名前に恥じぬように。