スピカでの合宿の夜。
日が暮れ真っ暗な夜の中、すでに皆さんが宿舎に引き上げていったにもかかわらず今だに私は外に居ました。
というのも、丁度いい裏山を見つけ、いい感じの坂路があったのでひたすらそこを駆け上がっては降りての繰り返しを行なっている最中です。
「ハァ…ハァ…、778本目ッ!…」
ドンッ! と脚に力を込めて一気に坂路を駆け上がる。
今日は合宿所までコンダラを引いてきてクタクタなどという柔な鍛え方は私はしていません。
次はなんたって、クラシックの前哨戦があって、すぐに皐月賞です。
鍛えれる時に鍛えておかねば後悔しちゃいますからね。
そんな中、私が坂を下り終えたところで1人の男性が私に声を掛けてきた。
「もうそのくらいにしておきなさい」
「ハァ…ハァ…オカさん…?」
「全く、目を離したらすぐこれだ。言っただろう? 身体が基本だとな」
そう言いながら、トレーニングトレーナーであるオカさんは汗を流している私の肩にそっとタオルを掛けてくれた。
私はため息を吐くと仕方がないといった具合に息を整えて、近くに置いてあった飲料水に口をつける。
飲料水を飲んだ私は改めてオカさんの方に向き直ると口を開きこう話し始めた。
「…トレーニングしてないと落ち着かないんです、すいません」
「焦りか?」
「…まぁ、そうかもしれないですね」
私はトレーニングトレーナーであるオカさんの鋭い指摘に困ったような表情を浮かべ、引きつった笑みを浮かべながら肩を竦める。
正直、その通りだ。
私はあのTTG駅伝で走り出したシンボリクリスエス先輩の背中を目の当たりにした。
そして、彼女は私の新走法や実力をあの駅伝で推し量っていたはずである。
彼女とやりあうのはきっとクラシックが終わり、有馬記念となることだろう。しかし、私自身、今の実力でシンボリクリスエス先輩を打ち負かせる自信はまだ無い。
「さあ、今日はもう上がりだ。風呂に入って寝ろ、明日も早いぞ」
「私としては夜通しでも辞さないのですが…」
「それ以上、駄々をこねるならスズカにも言ってもらった方が良いか…」
「すいませんすぐやめます」
私は手のひらを返したようにすぐに走る体勢をやめてオカさんに駆け寄ります。
この間、スズカさんに言われたばかりだというのにこのことを言われたらなんて怒られる事か。
私としてもそんなことで怒られるのは非常に不本意である。
それから宿舎に帰りまして、私は皆さんと食卓を囲みながらご飯を食べます。
「ここのご飯美味しいですね! スズカさん!」
「スペちゃん…相変わらずね」
「ですねー、そんなんだからウエストキツくなるんですよ」
「ギクッ!」
「…ですが、身体にギプス着けて重しを手足に付けて食後にこのブルボンブートキャンプをやれば、あら不思議! 貴女の理想のボディが…」
「アフちゃん?」
「すいませんもう黙ります、尻尾掴まないで…」
私の尻尾をガシッと掴み顔は笑っているが目が笑っていないスズカさんの言葉に冷や汗が流れ出てきます。
怖いよー、怖いよー。
スズカさんは普段は大天使なんですけど、ライスシャワー先輩と一緒である一定のラインを越えるとおっかなくなります。
過度なトレーニングはすんなと暗に言われているわけですからね、私はそれに従うまでです。
「ふふふ、可愛い後輩ですこと」
「お、マックイーン、ようやくアフの可愛さに気づいたか、こいつちっさいし本当めちゃくちゃ可愛いんだよー! ずるいよなー」
マックイーン先輩とゴルシちゃんからそう言われる私。
ちっさいのは余計じゃい! 伸びないんじゃ!
高い本棚なんかぴょんぴょんしても上の本が取れないし、棚から物を出す時も梯子使わないと取れないんですよ!
「あぁー、わかります、アフちゃん先輩癒されますよね〜、可愛い可愛い」
「むぎゅっ!?」
そう言いながら、私の頭を激しくハグしてくるダスカちゃん。
どことは言わないですけど、顔に当たる母性がやばいです、これはママと言いたくなりますわ、すごいバブみを感じます。
まあ、どちらかといえば、私も母性が高い方なんでしょうけどね、どことは言わないですけど敢えてね。
とはいえ、私的には幸せなのですが、このままだとダスカちゃんの胸に溺れて死んでしまうので私は彼女の胸の間からひょっこりと顔を出します。
「ぷはっ! 食事中なんですよ、もー」
「あ、ごめんなさい」
「…ま、許してあげますけどね、可愛い後輩には私は寛大なので」
そして、私の株もさりげなくにあげておくスタイル。
こんな可愛い後輩を叱れるわけがないじゃないですか、まあ、道を示すために叱咤するのはあるかもしれませんが、別に悪いことはしてませんしね。
むしろ、私個人としては良いことです。
「何事もほどほどにですね、我ながら良いこと言いましたよ、今」
「お前が言うな」
「はいそうですね、ごめんなさい」
私の会心の一言はばっさりとオカさんから切られてしまいました。
いや、ぐうの音も出ないのでね、見事な一撃です。私から真っ先に出たのが謝罪の言葉だった事から察してください。
まさか、言葉のアゾット剣で背中から刺されるとは、そんな私とオカさんとのやりとりを見て愉悦に浸っているスペちゃん達を見ていると顔をひきつらせるしかありませんね。
「そういえばさ、アフちゃん今日はどの部屋に泊まるの? 私とスズカさんの部屋?」
「そうですね、私は特殊な訓練を受けてますのでそこら辺の土の上で寝袋でも構いませんけれども」
「あの、ここ軍隊じゃないからね? アフちゃん」
スズカさんの優しくも引き攣った笑顔からの言葉に満面の笑みを浮かべながら、自信満々に答えた私の言葉はザックリと切られる。
え? 最初、軍隊みたいなノリだったじゃないですか! あれはなんだったんですか!
てっきり、私は軍隊じみたきついトレーニングばかりするものだと思ってましたので。
あ、ちなみにアンタレスでも土の上で寝るなんて訓練は行なっていませんのであしからず、私が勝手に言ってるだけです。
「それじゃアフは私の部屋だな」
「それは嫌です」
「えー、なんでだよー」
「ゴルシちゃん絶対寝てくれませんもん、私が寝ようとしたらなんかちょっかいかけてきそうですし」
「あちゃーお見通しだったかー」
「おい」
やる気だったんかい、お前、私はジャスタウェイちゃんじゃないんですよ!
なんでそんなことに付き合わなければならないんですかね、絶対嫌です、安眠妨害は万死に値します。
ちなみにゴルシちゃんはジャスタウェイちゃんにいつもそんなことをしているとトレセンでは有名な話です。
名マイラーになんてことを…。
さて、話を戻しますが、実は私の部屋は手違いで用意できなかったみたいなんですよね。
まあ、合宿に参加したのも割と急でしたし、オカさんの部屋が確保できていただけでもよかったです。
というわけで誰かと相部屋になるみたいな話なんですが、ベッドが足りてないみたいな話なので私は寝袋の提案をしたわけです。
さて、そんなことを言っていると私をハグしたまま上機嫌に尻尾を揺らしているダスカちゃんがこんな提案をしてきました。
「なら私と一緒に寝ましょうよ! アフちゃん先輩!」
「えー…」
「いいじゃないですか! ほら! アフちゃん先輩からパパの匂いがしますし!」
「ダスカちゃん…、それ多分、タキオン先輩の匂いですよ? 私のじゃないんですが…」
「細かい話は良いんですよ! ね!」
そう言いながら、頬ずりしてくるダスカちゃんにめんどくさそうな表情が思わず出てしまう私。
絶対、朝起きたら窒息しかけとるやつやぞそれ。
私は既にブライアン先輩で体感済みですからね、ダスカちゃん、自分の胸に手を当てて揉んでみてください、それに沈められたら私は朝生きている自信がありません。
という訳で、私はダスカちゃんの腕からするっと抜けるとテクテクと歩いていき、ウオッカちゃんの肩をポンと叩く。
「寝るなら私はウオッカちゃんと一緒の部屋で寝ますよ」
「え!? オレとですか!?」
「寝るならテイオーちゃんかウオッカちゃんが1番良いかなって思って、なんか安心というか安パイと言いますか」
「ホント!? ボクは全然良いよ!」
そう言いながら、喜んだようにはしゃぐテイオー先輩。
まあ、テイオーちゃんに関してはルドルフ先輩のことがありますのでそこは信頼できると私が個人的に思っているだけですけども。
スペ先輩と寝ようと考えはしたんですけど、スペ先輩はなんだか寝相が悪そうだという大変失礼なことを考えてしまいました。
あと、スズカさんとの相部屋の空気感を壊したくないなーという個人的な思いからです。
スズカさんと一緒に寝るとなるとこれまた気を遣いすぎて伸び伸び寝れないかなーとか勝手に思い込んでるだけですけどね、良い匂いはしそうだとは思いますけども。
ゴルシちゃんは論外、マックイーンさんは怖い、ダスカちゃんはおっぱい。
となると、あとは気を遣わなくても良さそうなテイオーちゃんとウオッカちゃんが無難かなという結論に至った次第です。
まあ、こんなことを長々と考えてはいたんですけど、ぶっちゃけ誰とでも一緒に寝る分には構いませんけどね。
流石に朝起きたらウオッカちゃんの尻で窒息させられるとかいうことはないでしょう(恐怖)。
「まあ、じゃあ今日はウオッカちゃんのベッドて一緒に寝ます。ダスカちゃんは明日で最終日前にはテイオーちゃんで」
「なあなあ! 私とは!」
「ないです」
「えー! そりゃないぜーアフー」
「あーもー、わかりましたよ! じゃあトレセン学園に帰ってからですね!」
「ホントか! 約束だかんな!」
そう言いながら、迫るゴルシちゃんに根負けした私は面倒臭そうにそう告げます。
たかだか夜に一緒に寝るだけというのに! 抱き枕にされる私の身にもなってください、ブライアン先輩で慣れましたけどもね。
というわけで、1日目はウオッカちゃんの部屋に泊まる事になりました。
ベッドはもちろん共有です、大丈夫、私はいびきかいたりして煩くないので。
「なぁ、アフちゃん先輩…」
「ん? 何ですか?」
「狭くないですか?」
「私は身体ちっこいですから平気…ってなに言わせるんですか」
そう言いながら、ウオッカちゃんと背中合わせに寝る私はノリ突っ込みを入れます。
まあ、実際、狭くはないですね、私的には幅は取りませんし、邪魔なら私は床で寝ることも辞さないですけども。
するとしばらくして、ウオッカちゃんは私の方にクルリと振り返りジーッと私の背中に視線を向けてきます。
なんかゾワゾワするー! 背中がゾワゾワするー!
人の視線ってたまに気になりますよね、背中合わせで良かったじゃないですか。
そして、ウオッカちゃんは背中を向ける私に向かいこう問いかけて来ました。
「なあ、アフちゃん先輩」
「ん? なんですか?」
「あの…ハグしたまま寝ても良いか?」
「……………」
まさかのウオッカちゃんの言葉に私はなんと答えるべきか思わず躊躇してしまいました。
ダメとは言い辛いですけども、良いと言うのもなんというか負けた感があってなんとも言えません。
しばらく考え込む私は静かな沈黙の後に苦笑いを浮かべたまま背後で照れ臭そうにモジモジして悶絶しているウオッカちゃんにこう告げます。
「…えっと…、好きにしてください」
「!? な、なら! する!」
「あ、はい」
抱き心地に定評のある私。
ぬいぐるみ歴はもはや半年以上あるのかな? そんくらいのベテランですよ、もう背後からハグされるのにも慣れっこです。
というか、私ってそんなに抱き着きたくなるようなサイズですかね、いや、実際にお願いされてるんだからそうなんでしょうけど。
これ、私の分身を人形にして売ったら儲かるんじゃないでしょうか…。
ビジネスの香りがプンプンと漂って参りました。
そんな感じで最初の合宿の日は過ぎていきます。
さて、私は果たして皐月賞までにもっと強くなる事が出来るのでしょうか?
なんだか不安になりつつも、この合宿を通してみなさんの良いところを少しでも盗んで成長しようと志すのでした。