弥生賞
私が今まで積み上げてきたものは正しかったのか?
いつも私は自問自答し、くる日もくる日も坂を登り続けてきた。
それは、私を目指していた人を目指して。
それは、私を鍛えてくれた親愛なる育ての親に夢を見てほしくて。
私はもう一人の自分と常に戦いながら、ひたすらに身体を鍛え上げる事に夢中になって私は走り続けた。
走り抜けた先にはどんな光景が待っているのか、私は懸命にそれを追い求めた。
そうして、私はいよいよその時を迎えようとしている。
クラシック第一弾、皐月賞。
その前哨戦、弥生賞の幕が今開けようとしていた。
レース場控え室。
私は静かに自分が今まで身につけてきた重い重石を外していきます。
身体に常に負荷を掛け、鍛えて鍛え上げた身体。
ガチャンという音と共に私は身に纏っていた大ダービー養成ギプスを外します。
大ダービー養成ギプスを外し、下着姿になった私は深い深呼吸とし、酸素を身体に多く取り込み呼吸を整えます。
この大ダービー養成ギプスはもう使うことはきっとないでしょう。
身体に十分な負荷を掛けましたし、全身のバネとインナーマッスルは身体についたと思います。
鏡に立つ私は自分の身体を改めて見つめ直します。
あれ? なんかモチモチしてそうなんですけど? あれだけ絞ったはずなのに。
主に太ももとか胸とかお尻とか。
いや、逆にそこにいっちゃった可能性もありますかね、私は自分の触り心地が良い尻を自分で確かめつつ顔を引きつらせました。
ウエストはベストですね、おへそのラインなんてきっと人差し指で撫でたくなるような綺麗さだと思いますし我ながらですが。
今日は新しく買った黒と白のストライプの下着なんですけど、まあ、問題ありますまい。
こいつは新しい勝負下着とします。
「ふむ、我ながら良い身体になったと思いますね」
一見、モチモチしてるように見えますが走る時には強靭な筋肉になりますからね。
ボンキュボンに見せかけた巧妙な筋肉、ウマ娘として生まれたからなんでしょうけどね。
じゃないと私とライス先輩、姉弟子なんてプレデターと張り合ったり、元コマンドーの筋肉モリモリマッチョウーマンの変態、もしくは筋肉の祭典、エクスべ◯タブルズになっている事間違いなしですよ。
鏡で我ながら確認したくなる身体です。
それからしばらくして、気配を感じた私はツカツカと扉の近くにまで歩いて行くと扉を開きます。
「で、なんで貴女達は扉に耳を当ててスタンバッてるんですかね」
「あいたっ!」
「あぐっ!」
そう言って、私が下着姿のまま扉を開くとそこには雪崩れ込むようにして控え室に入ってくるお馬鹿さん達二人の姿が。
アグネスデジタルちゃんとメジロドーベルさんのお二人ですね。
何やってんですかね、二人とも、私の控え室に耳を当てたりなんかして。
顔を上げたメジロドーベルさんは鼻血を垂らしてますからね、もー、仕方ない人ですね。
「あ、アフちゃん!? なんて格好…っ!?」
「あー、別にどうせ控え室なんてウマ娘しか来ませんしね、はい、鼻血出てますよー、顔を上げてくださいねー」
「ふがっ!?」
騒がしいのでティッシュでドーベルさんの鼻を摘まみ上げる私。
私はブラジャーとパンツ一丁の姿で何してるんでしょうね、しかもレース前というね。
既に起き上がっているアグネスデジタルさんはニマニマした表情を浮かべながら私の事を舐め回すように見てきます。
なんだねその目は、まるで中年のおっさんのような眼差しじゃないですかね。
「なんですか?」
「アフたん痴女説!! 胸熱ッ!?」
そう言いながら目をキラキラさせるアグデジさん。
そう言われてもナリタブライアン先輩とヒシアマ姉さんの部屋で全裸で寝てたことなんてザラですし。
裸にひん剥かれた(自滅した)のがそもそも原因なんですけど、あと、痴女じゃねーです。ちょっと雑なだけですいろいろと。
というか二人ともいつの間に意気投合してるんですかね?
「私は激励しにきたんだけどたまたま、そこで出くわしちゃってね」
「いやー、私としてもアフたんの激励と聞けばそれはもう行くしかないでしょ!」
「アフたん言うな、あと、激励する人はあんな風に扉の前で耳をピトピトさせませんから普通は」
そうか、普通ではありませんでしたね(自己完結)。
あ、私は当然、普通ではないです、私がこんなんだから変態をまた生み出してしまったんですね、業が深い。
レース前に何やってんですかねーもう。
クラシック前哨戦を前にして私は頭が痛くなりそうですよ、未だに下着姿のままですけども、流石にちょっと寒くなりました。
「アフたんそんなものぶら下げてー、その格好はやばいよー、こんなんファンが見たら昏倒者が続出だよー」
「下から持ち上げるな、下から。 というか着替えますので出てくれませんかね?」
たゆんたゆんと背後から胸をさり気なく揉んでくるアグデジさんにジト目を向けながらそう告げる私。
私は掛けてある体操着に手を伸ばし、袖を通して着替え始める。
私としては胸揉まれようが下着姿を見られようが全然気にしないタイプですからね、はい、雑ですねごめんなさい。
「アフちゃんそんな隙だらけだからブライアン先輩やゴルシから目をつけられるのよ」
「ドーベルさん? でっかいブーメランぶっ刺さってますよ?」
着替え中の私を見つめながら心配そうに告げるドーベルさんに容赦ない一言。
このアフトクラトラスッ! 容赦せんッ!
というか着替えにくいので早く出てくれませんかね? 鼻血また出かけてますよドーベルさん。
というわけで私は二人を控え室から叩き出すととりあえず体操着に着替えて髪の毛をサラリと靡かせます。
「やっぱり体操着似合うわねー、アフちゃん」
「気合い入りますからね、これ着ると」
「クラシック前哨戦だからね、強いウマ娘ばかりだから油断大敵だよ」
そう言って、私に真剣な眼差しを向けて告げるアグデジさん。
さっきまで私にセクハラしていた人とは思えないですね、確かに油断は禁物です、フランスにネオユニヴァースちゃんが行ったとはいえ、まだ、有力なウマ娘達が居ますから。
私は思わず武者震いといいますか、尻尾も元気よくフリフリと左右に揺れています。
私が控え室から出ると通路には私に親しみ深い先輩方がチームの垣根を越えて激励に来てくれていました。
「いよいよだな、アフ」
「ここから、クラシック本番だぞ」
腕を組むブライアン先輩と期待感を私に寄せ、にこやかに微笑むシンボリルドルフ先輩。
「みっともねーレースすんなよなー」
「アフ! かましてこい!」
いつものように姉御肌なヒシアマ姉さんに法被を着て商売衣装を身に纏うゴールドシップ。
「アフ! みせてやれ! お前の実力!」
「アフ! 気合いば入れて! けっぱってこい!」
そして、義理母のトレーニングで同じ汗水垂らしたバンブーメモリー先輩に地方から今や世界にまで挑戦せんとしているメイセイオペラ先輩。
「アフ、負けるんじゃねーぜ」
「科学的にも君の圧勝は必然だろうが、応援してるよ、アフ」
「アフ先輩! 頑張って!」
「俺たちも応援してるからさ!」
ナカヤマフェスタ先輩やアグネスタキオン先輩。
それに、私が合宿で共に走ったスピカのダイワスカーレットちゃんにウォッカちゃんまで駆けつけてくれた。
たかだか、G2レースに大袈裟ですけどね、クラシック第一弾というわけでもないというのに皆さん私を心配しすぎです。
「アフちゃん、貴女ならきっと大丈夫」
「そうそう! スズカさんや私たちとあれだけ走り込んだんだし!」
「きっと勝てる!僕も保証するよ! アフちゃん!」
サイレンスズカ先輩、スペシャルウィーク先輩、トウカイテイオー先輩からの心強いエール、私としても非常に嬉しいですし、頼もしいです。
うん…。いや、そうなんですけどね?
いや待って、あと何人居るんですか? 激励人数あと何人居るんですかね? ちょっと多過ぎじゃないですかね?
あれです、誕生日パーティーで派手に祝ってくれるのはいいですけど、一日ズレてる感が半端ないんですけども。
どんだけ心配性なんですか皆さん、私のこと気にかけ過ぎです。
「ヘイ! ゴーホーム! 激励はかなり嬉しいんですけど! たかだかG2レースに通路に来過ぎですから! ほら! 他の皆さん困惑してるじゃないですかッ!」
「「あ…」」
「とりあえず観客席に戻りましょう…、私は大丈夫ですから、ね?」
そう言って、私が申し訳なさそうに苦笑いを浮かべ、皆さんに告げると周りを見渡し、気づいた皆さんは顔をひきつらせる。
G1レースではありません、G2レースです、そりゃ、そうなりますよね、通路塞いでるのほぼほぼG1実績のあるトレセンの中でも有名なウマ娘ばかりですもんね。
私の一言で顔をひきつらせた皆さんは尻尾をたらんと垂らしながら渋々、観客席へ戻って行く。
うん、皆さんの激励自体は嬉しかったんですよ確かに。
でもね、通路で端から申し訳なさそうに息を殺してね? レース場に向かうライバルのウマ娘達の姿を見てたら居た堪れないじゃないですか。
私としましてもそれは流石に不本意ですので、これは致し方ないと言わざる得ません。
来るなら今度、私が凱旋門賞に殴り込む時に来てください、その時が一番、心が折れそうだと思うので。
「はははは、アフ、いつも通りみたいで安心したぞ! 入れ込み過ぎてるんじゃないかと思って皆にお願いしたんだがな、いらぬ心配だったか」
「……貴方の仕業でしたか…全く…」
そう言って、私は呆れたように肩を竦め、通路の先で待っていたオカさんからの言葉に溜息を吐く。
わざわざそんな気遣いをしてくれなくても大丈夫だというのに、むしろ、応援に来てくれた皆さんに申し訳ありませんでしたよ。
とはいえ、肩に入っていた余計な力を抜くのには役に立ったとは思います。
オカさんは満面の笑みを浮かべたまま、私の背中をパンッ! と叩くと一言、こう告げてきます。
「さあ、行ってこい」
「えぇ、任せてください勝ってきます」
そうして、気を取り直した私はゴキリッと首の骨を鳴らしてレース場に足を踏み入れる。
強化ギプスを身につけて、さらには重石を手足に身につけた上での過酷なトレーニング。
自らの身体に課したその厳しいトレーニングの数々はきっと嘘はつきません、勝利に飢え、貪欲にライバルを蹴散らすだけです。
私の横顔を一目見たオカさんは意味深な笑みを浮かべていました。
クラシック前哨戦、弥生賞。
私はそのレースを勝ち取るため、ゆっくりとターフを踏みしめ、芝の感触を感じながらゲートへと歩みはじめるのでした。