さて、一晩トレセン学園の分校に泊まった後。
翌日、現在、私は分校のグラウンドに来ています。
グラウンドでは見慣れた先輩を分校のレジェンドの方が指導しています。
しかもお二人ともめちゃくちゃ美人なんでね、そりゃもう目立ちますよ。
「はぁ……はぁ……」
「ワキちゃん、休憩入れようか?」
「……い、いえ! 先輩! まだ私は走れます」
「……うーん、でも足のリズムが乱れて来てるから……あまり無理しても古傷が痛むかもしれないわ」
「……うっ……、はい……」
そう言って、指導しているウマ娘を宥めるように告げる綺麗な鹿毛の美人さん。
長い鹿毛の髪は艶があり、儚げさがどことなく漂うその姿は心惹かれるように魅力的に見えます。
二人が並んでいると本当の姉妹のように見えますね。いやー、華がありますよ。
私はお二人に近づいていくと声を掛けます。
「スズカさんも来てらしたんですね」
「……!? ……あ、アフちゃん」
「あら、ワキちゃんの知り合い?」
「はい、この娘は私の後輩でアフトクラトラスです」
「はじめまして、随分可愛らしい後輩ね」
そう言うとクスクスと笑う鹿毛の美人さん。
その一連の仕草に心打たれたように思わずドキッとしてしまいました。まさか、これが恋?
いや、ウマ娘同士ですからね、流石にね? 違いますよね? 大丈夫だよね、私。
私の方をニコニコしながら見つめてくる美人さん、あまり見ないで! 私溶けちゃうっ! 目からビーム出てくるわけではないですけど。
「私の名前はキーストン、たまにこうやってワキちゃんの指導をしてるの」
「ワキちゃん?」
「それは、私の愛称ね、幼少期によくそう呼ばれていたから……」
「なるほど……、脇フェチの方が喜ぶからワキちゃんってわけじゃなかった訳ですね」
「アフちゃん?」
「……ごめんなさい、なんでもないです」
スズカさんからガシっと右胸を掴まれ圧を掛けられ間合いを詰められた私は思わず冷や汗を垂らしながら目線を逸らし謝る。
キーストン先輩は有名ですね、超特急の名で知られるウマ娘です。まあ、詳しい話はおいおいしていけたらなと思います。
胸を捥ぐぞと言わんばかりのスズカ先輩の圧に背筋が冷え冷えですよ。
やめなされ……やめなされ……。
「……ほ、ほら、ジョ、ジョークですよ! 私なりの愛情表現というか何というか……」
「……愛?」
「え、えぇ、はい、そうです!」
「そうなの、なら許してあげます」
そう言うと、スズカさんは何故か上機嫌で私の掴んでいた胸をパッと離します。
んー? 何故、上機嫌? 何故私は許されたのか、コレガワカラナイ。
そんな中、キーストン先輩は面白そうに私とスズカさんのやり取りを生暖かい眼差しで見つめていました。
「仲が良いのね、二人とも」
「ふふ、後輩ですので、ちょっと残念な娘なんですけど」
残念な娘って言われた。
残念って事はないでしょう!? えっ! 私、残念な娘だったの!? 確かに雑なところはありますけども!?
「そう……、ねぇアフちゃん?」
「はい、なんでしょうキーストンさん」
「よかったら一緒に併走とトレーニングしないかしら? せっかくだから」
「是非」
アイヤー! 私は思わずキーストンさんを前にして拳と手のひらを突き合わせる。
これは遥か昔から伝わる一子相伝の拳法の礼で天帰掌というやつですね。
今日は走るには天気(天帰)がいい、なんちって。
ん? 待てよ、私、こんな事したら下手なトレーニングするものなら天に召されるという事になるのではないでしょうか?
それはやばい(恐怖)。
「じゃあ、やりましょうか。私達が逃げるからしっかりとマークしてきなさい」
「なるほど、わかりました」
「これで、アフちゃんも立派なストーカーね」
「人を犯罪者に仕立てるのはやめてください、というか私はむしろされてる方なんですがそれは……」
悪戯気味の笑みを浮かべ告げるスズカ先輩の言葉に苦笑いを浮かべる私。
という事は、逃げ切りしている二人を捕まえればすなわちセクハラを合法的に行えるという解釈でいいって事ですよね!(違います)。
そう考えた私はスズカさんの胸をジッと見つめる。
「ん? どうしたの?」
「いえ、何も……」
悲しいかな、スズカさんの胸は真っ平らでした。
いや、真っ平らというわけでもなく微かな膨らみはあるんですけど、キーストンさんのを見ると余計にその……。
おっとこれ以上はいけない、翌日、私が湾岸に浮かんでしまいます。
「それじゃ行くわよ」
勢いよくスタートを切るキーストンさん、それに続くようにスズカさんも私を一目見て笑みを浮かべるとスタートを切る。
追いついてみなさいなと言わんばかりの挑発。
やってやろうじゃねぇかこのヤロー!
見ててください! 遠山監督! 愛弟子! アフトクラトラス! 行きます!
なお、私のメンタルは.231の模様。
そこ、クソ雑魚じゃんとか言わないで!
そんなこんなで私は二人の後を追いかけるようにスタートを切りました。
それからしばらくして。
私は現在、二人との駆けあいを終えて地面にうつ伏せになって転がっています。
カテナカッタ……。
無理や! あんなん無理や! だってめっちゃ超特急やったもん! そんなん無理やもん!
まあ、私はあいも変わらず手足にクソ重たい重石付けてるんですけどね、後ちょっとで捕まえれそうだったのになぁ。
「ほら、アフちゃんだらしないから起きなさい!」
「ひゃん! お、お尻をぶっ叩かないで!」
あふん、なんか良い音が鳴りました。
スズカさんはなんか手の感触を確認するように自らの手を見つめると柔らかいと呟いてました。
柔らかいのか、私のお尻。
すると、キーストンさんはにっこりと微笑んだまま私にこう告げてくる。
「……皐月賞はさっき走った2000m、どうだった? 走った感想は」
そう言って、走った感想を求めてくるキーストンさん。
どうと言われてもなんと言ったら良いか……、捕まりきれなかったことを考えると詰めが甘いのかなとは感じました。
「背中、とても遠く感じましたね、お二人とも」
「あら、でも最後は競りにきてたわよ?」
「……んー……、まだ、ブライアン先輩に言われた軸がブレてるなと個人的には感じましたね、軸の筋力を更に鍛えないとと思いました」
皐月賞に向けた課題を見つけるに至りました。
まだまだ伸び代がたくさんあるということですね、私は、身長を見ても明らかだと思います。
え? 身長はもう伸びないから諦めて、ですって、なんでや! 私の身長まだ伸び盛りやろ!
でも伸びてないんですよね最近、悲しいなぁ。
慰めて、銀河の果てまで(涙)。
「あ、アフちゃん、そう言えば、ライスシャワーちゃんも来てるわよ?」
「え?」
「専属トレーナーのマトさんと見かけたわ、何というか……鬼気迫るような感じだったけど……」
スズカさんの言葉に目を丸くする私。
ライスシャワー先輩もこの分校に来ていたとは思いませんでしたね、いや、最近、凄い厳しいトレーニングをしているとは聞いてはいました。
何かに取り憑かれたように、ひたすらに身体をいじめ抜いているらしいです。
私は口を開き、何故、ライスシャワー先輩がそこまでしてトレーニングを行うのか思い当たる出来事を口に出す。
「天皇賞……春……」
「対マックイーンの特訓かしらね……」
スズカさんは私のつぶやきに対し、静かに呟く。
王者メジロマックイーン、日本の中でも長年の歴史ある天皇賞の春を連覇しているチームスピカの名ステイヤーである。
そして、今年、怒涛の三連覇を賭けて、天皇賞春への挑戦を明言した。
その王者、メジロマックイーンに挑戦すべく声を上げたのが、我がアンタレスの誇る関東の刺客、ライスシャワー先輩である。
お二人の話を聞いていた私は静かに呟く。
「連日の厳しいトレーニングを積んでるとは聞いていました……」
「会って……なかったの?」
「はい、完全に最近はシャットダウンしてましたね、ライスシャワー先輩の方が……ですが……、私は何度か会おうとはしてたんですけど」
私はそう言って、困ったような笑みを浮かべスズカさんにそう答えた。
ライスシャワー先輩の現状は私も把握していません。
すると、さっきまで笑みを浮かべていたキーストンさんは真顔になり、静かな眼差しで私を見つめたままこう告げてきます。
「なら観に行きましょうか、彼女の様子を」
「……えっ?」
「貴女も見とくといいわ、天皇賞春を勝ち取るためにあの娘がどんな事をしているかを……ね」
意味深なセリフを吐く、キーストンさん。
私はその言葉に唖然としたまま目を丸くする。
ライスシャワー先輩の事はよく理解しているという自覚は私にはある。きっと過酷なトレーニングをしていると思っていました。
しかし、キーストンさんの表情から私は疑問に感じました。
アンタレスでは当たり前に行われているスパルタトレーニング、それは、私もこなした事がありますし、理解もできています。
だが、私がキーストンさんに案内されて、ライスシャワー先輩のトレーニングを目の当たりにしたそれは、想像絶する姿でした。
「……ぜぇ……ヒュゥ……ぜぇ……ぜぇ……」
そこに居たのは、痩せ細り、身体を絞りに絞りきっているライスシャワー先輩の変わりきった姿でした。
しかも、マトさんはそれを見てもなお、毅然とした態度でその姿を眺めています。
「ライスシャワーッ! まだだ! もっと走るぞ!」
「……はぁ……ぜぇ……、は……はい……」
「もう限界だ、やめさせよう! ライスシャワー、休めお前……っ!」
「いいや、ダメだッ!」
「おいっ!」
ライスシャワー先輩の変わりきった姿を見て、スズカさんは口元を押さえて愕然としていました。
私もまた、その姿に目を見開いて言葉が出てきません。
なんで、そんな身体になっているのか……、明らかに上限を振り切っているオーバートレーニングをしているのは見て明らかです。
だが、マトさんは鬼と化してました。
そして、そのトレーニングを受けるライスシャワー先輩もまるで幽鬼のように走ろうとしています。
「メジロマックイーン……ッ! ……はぁ……はぁ……、必ず……差す……刺すッ! ……差すッ!」
「そうだ、お前にはまだ強くなる、走れる! もっと走れる!」
「……ああああああああッ!!」
「マジかよ……おい」
そのライスシャワー先輩の姿に愕然としている短髪の鹿毛のウマ娘。
彼女はそのライスシャワー先輩の放つ圧に後ずさりするばかり、なぜなら、このトレーニングを始めてもう膨大の数をこなしているからだ。
呆然としているそのウマ娘を置き去りに再び駆け始めるライスシャワー先輩。
「ダイコーター……、もうどれくらいやってるの」
「……ありえねーよ……もう日を跨いで走ってやがんだよ……それだけじゃねぇ、馬鹿みたいな筋力トレーニングと減量をしてやがるっ! アイツッ!」
「!? なんですって!」
「私は止めようと何回も言ってたんだ、だけど……」
そこから、鹿毛の短髪の伝説のウマ娘の一人であるダイコーター先輩は話すことをやめた。
ダイコーター先輩はキーストン先輩としのぎを削りあった伝説的なウマ娘の一人だ。菊花賞ではキーストン先輩を破った実力派のウマ娘でもある。
そのウマ娘でさえ、あの姿のライスシャワー先輩に言葉を失っていた。
あの姿は何かが取り憑いているとしか思えなかった。マトさんもまた、その姿を見てもなお毅然としている。
私は震える声でマトさんに摑みかかる。
「……と、止めないと……あ、あのままじゃライスシャワー先輩が……」
「ダメだ! 手出しは許さん」
「ですけど!」
「……アイツが選んだことだ、アイツがマックイーンに勝つにはッ! これしかない」
私は目を見据えて告げるマトさんの真剣な眼差しに言葉を失った。
私は走るライスシャワー先輩に視線をむける。
ライスシャワー先輩は走ることを止める気配が全くなかった。その眼には研ぎ澄まされ、何かを悟っているようなものさえ感じる。
そして、コースを回ってきたライスシャワー先輩はゆっくりと口を開き私に告げる。
「ぜぇ……ぜぇ……アフちゃん……」
「ライスシャワー先輩……、も、もう……」
「……まだ……まだよ……もっと……もっと! もっと走らないと……あの娘には勝てないッ! だから……」
ライスシャワー先輩はヘロヘロの中、私の肩をガシリと掴んで顔を近づけてくる。
私はその眼に思わず恐怖を感じてしまいました。
常軌を逸している。その目の中には狂気を感じました。
「邪魔をしないでッ! ……今、邪魔されたら、私、何するかわからないから」
「!? ……ッ」
私はライスシャワー先輩の力強く漆黒の眼差しと圧に絶句する。
そんな私の顔を見ていたマトさんは悲しげな表情を浮かべて、静かに頷く。
それは、最早、何者の言葉を聞く気はないというライスシャワー先輩の決意に他ならなかった。
漆黒の鬼、まさしくその言葉通りであると言わざる得ない。
「……狂ってる……」
スズカさんが溢した言葉。
だが、私も今回ばかりはそう思うほかなかった、最早、過酷を通り越し、狂気の沙汰になっている。
そして、私はその姿を見て改めて思った。
殺意を持っているあのライスシャワー先輩の姿がきっと、正しいあり方なのだと。
だが、私には同時に怒りが湧いてきた。
「……私は……私には過酷なトレーニングをすることをやめさせて、貴女はそうやって! そうやって自分を追い込むつもりですかッ!」
「……!?」
「納得できませんッ! ライスシャワー先輩ッ!」
そう言って、私は声を上げる。
私はトレーニングトレーナーを付けてもちろん、過酷なトレーニングを課しているが制限を設けられている。
だが、ライスシャワー先輩は以前、私が過酷なトレーニングを課していた時に止めに来た。
これでは、私を止める理由に納得がいかない。
しかし、足を止めたライスシャワー先輩は立ち止まると私の方を見てこう告げ始める。
「……私と貴女の持ち合わせている才能は違うわ……アフちゃん」
「そんな事で納得できると……」
「あるのよ! 関係がっ! 」
ライスシャワー先輩は怒鳴るようにしてまっすぐに私を見つめ告げてくる。
そして、自分と私との違いをライスシャワー先輩はゆっくりと語り始めた。
「ぜぇ……ぜぇ……。天皇賞春は3200m、さらに、国内でもっとも歴史があり、距離が長い過酷なレースだわ……マックイーンに勝つには……ステイヤーとして全てを削ぎ落とす必要があるの……」
「だからって……」
「……私だって……本来なら……、こんな無茶なトレーニングなんか望んでいないわ……、でも、しなきゃ勝てないの……天皇賞はッ!」
私の目を真っ直ぐに見て、力強く、ライスシャワー先輩は告げる。
痩せこけ、明らかにオーバートレーニングをしているのがわかる顔色を目の当たりにして、その本気度がわかる。
過酷な長距離レースを勝つにはそれ相応の覚悟と努力が必要とされるのだ。
「貴女は……、こんな無茶はしてはダメよ……」
「……いやです」
「アフちゃん!」
「そう言うとわかっていて! 私と会うことを敢えて避けていたんでしょう! ライスシャワー先輩は!」
そう言うと、私は真っ直ぐにライスシャワー先輩を見据える。
ライスシャワー先輩はわかっていた。
きっと、この過酷なトレーニングをしている姿を見て、私がそのトレーニングを良しとし更に己を追い込むであろうと。
だが、それは、私のウマ娘としての人生を棒に振らせてしまうかもしれないという懸念がライスシャワー先輩にはあったのだろう。
「言ったはずです、ライスシャワー先輩、私は貴女と姉弟子を超えると」
「……そうよっ! だけどそれはッ!」
「私は今、はっきりとわかりました。こんなものを付けてトレーニングしているだけでは足りないと、今、貴女が自覚させてくれましたよ」
そう言うと、私は手足に付けていたリストバンドの一つを投げ捨てる。
そして、地面に触れるとともに陥没するリストバンド、それを見ていたダイコーター先輩とキーストン先輩は驚いたように目を見開く。
「……私は義理母の弟子です、貴女のおかげで目が覚めました、ありがとうございます」
「アフちゃんッ」
スズカさんに呼び止められますが、私は背を向けて早足でその場から静かに立ち去って行きます。
私の中では、まだ足りないという悔しさが湧き出てきました。
今のままではダメだと、自分はもっともっと過酷な環境に身を置かないといけない。
例え、命を削ろうとも、身を削ろうとも、レースに勝つために今以上にもっともっと凄まじいトレーニングを積み重ねなければならない。
ライスシャワー先輩は言っていました。例え泥を啜ろうとも何をしようとも勝つと言っていました。
私には覚悟が足りてなかったということです。
静かに荷物をまとめて、トレセン学園の分校を後にする私。
気がつけば、私の目にもまた、ライスシャワー先輩同様に狂気が根付いていた。