日本ダービー当日。
会場には多くの観客で賑わっていた。
日本ダービー、それは観客を熱狂の渦へと誘う祭典。
そのレースは全てのウマ娘が必ず目指す誇りある栄冠。
日本中がそのレースを心待ちにしている。
培われた歴史、伝統、そして、強き者達によるプライドが激突する。
「……アフ、そろそろ行くぞ、覚悟はできてるのか?」
控え室でその時を待つ私も例外ではない。
高ぶる感情が抑えきれないでいる。いつも遠くから眺めるだけだったあの場所、声を張り上げ応援する立場だった私。
だが、今日は違う。
このレース、あの見ているだけだった憧れの日本ダービーを熱く盛り上げるのは私だ。
「……いつでも良いです……」
頭からタオルを被り、アップを済ませている私は勝負服に身を包んだまま義理母にそう告げる。
いつでも準備はできている。走りたくて走りたくてたまらない。
この日本ダービーというレースはそれだけの価値があるレースなのだ。
このレースに勝てれば死んでも良いというトレーナーが居た。
このレースを勝つために燃え尽きたウマ娘が居た。
魂を燃やし、自分の限界を出し尽くして戦うレース、それがこの日本ダービーである。
一生に一度の栄光、誰もがそれを手に入れたいがために走る。
私は義理母に連れられ、日本ダービーへと続く通路をゆっくりと歩く。
無敗の三冠に向けた第二冠目、それを手に入れるために積み重ねてきたものを全部今日ぶつける。
そして、会場には私の入場のアナウンスが流れ、その名前を聞いた会場は大盛り上がりを見せていた。
「続きまして! 3枠5番アフトクラトラス!」
「さあ、いよいよ来ました! この日本ダービー栄えある1番人気の登場です」
実況に入るアナウンサーも語気を強める。
本日の注目株、この日本ダービーで1番人気を獲得し、その脚は既に日本の至宝とまで絶賛されているウマ娘。
会場の熱気は既に最高潮に達していました。
「朝日杯1着! 皐月賞1着! 未だ無敗、そして無敗三冠宣言、凱旋門制覇を言い放ってみせた漆黒の皇帝が今日本ダービーに降り立ちます! 」
私はゆっくりとパドック会場に入るとマントを剥ぎ取り、勝負服と仕上げてきた身体を皆の前に披露する。
絞りきった無駄の無い筋肉、そんな凝縮されている筋肉を感じさせない柔軟な身体つきと軸が定まっている大樹が根をはっているかのような体幹。
そして、綺麗で透き通るような綺麗な水色の瞳は力強く輝いていた。
艶やかな尻尾と髪は靡く度にターフにより映える。
「おっと! アフトクラトラス! 脱いだマントを片手に高く掲げております! 裏地に何か書いてありますが! あれは……」
そこに掲げていた文字は私が以前から掲げていたスローガンのようなものです。
まあ、私がこんな風なサプライズをすることは皆さん周知なんでしょうけどね。
「完全制覇! 完全制覇の四文字です! やはり宣言通り! クラシックの無敗三冠を高々と掲げております!」
自ら追い込んでいくスタイル(白目)。
こんなことしちゃう私に会場は大盛り上がりです。確かにカッコいいけれどもいよいよ逃げ道がなくなってきた感があります。
文字、マスコット登場にしとけば良かったですかね? もう遅いですが(悲しみ)。
「アフちゃん可愛いー!」
「良いぞー! ポンコツ娘ー! もっとやれー!」
「がんばえー!」
観客達の中からも私を応援してくれるファンからの声援が飛んでくる。
え? そこはカッコいいではないの? 可愛いなの? しかもポンコツ娘なんて言われてるんですけど私。
ポンコツ……確かにポンコツですけれども。
これが普段の行いが返ってきた結果か、悲しいなぁ、もちろん頑張りますけどね。
「さあ、それでは各ウマ娘が出揃いました、やはり注目はアフトクラトラス、無敗三冠と凱旋門奪取を宣言したことで注目はより高まっています」
ゲートへ向かって歩いていく私の姿が会場の大画面で映し出される。
観客達からの歓声、期待は膨らむばかり。
とはいえ、私はそんな中でも落ち着いていました。
何故なら私は皆に支えられてこの場所に立っているからです。変に気負う事も特に考えてもいませんし、私は姉弟子やライスシャワー先輩のように積み上げてきたものを出し切るまでです。
「さてと、いっちょやりますか」
頬をパンパンと叩いて気合いを入れ直す。
これから始まるのは一生に一度の栄光を掴むための戦い。
全てのホースマンが、トレーナーが、そしてウマ娘なら誰しもが勝利を望み、力の限りをぶつけ合うレース。
「各ウマ娘、既に臨戦態勢に入っております、会場ではゲート入り前にも関わらずヒリついた空気が漂っているようです」
実況アナウンサーも異様な会場の雰囲気に思わずそう声を上げてしまう。
そんな中、会場に来ているルドルフ会長は腕を組んだまま冷静な口調で隣にいるウマ娘に話をし始める。
「どうだ? この雰囲気は日本ダービーならではのこの空気、そして、このレースで栄光をつかめるのはたったの1人だけだ」
ルドルフ会長は誇らしげに隣のウマ娘に語る。
ルドルフ会長もかつてあの舞台で走った事がある。その会長が会場の熱気を見て懐かしむような表情を浮かべていた。
それだけ、この日本ダービーにはたくさんのウマ娘が思い入れがあるのだ。
今や、海外でも日本のウマ娘が注目されつつある。ダービーを取ったウマ娘というだけでその価値は相当なものだ。
「アフトクラトラス先輩は……」
「あぁ、アレだな、……あの馬鹿はまた目立つようなことばかりして……」
ルドルフ会長は私の盛大なデモンストレーションに呆れたように頭を抱えていました。
確かにウマ娘たるもの人気は大事なのではあるが、私はどうやらやり過ぎる傾向があるようです。
まあ、それを楽しんでくれる人もいるのもまた事実なんですけどね。
「でもやっぱりカッコいいなぁ……、あと可愛いっ!」
「君の感性は大丈夫なのか? ドゥラメンテ?」
アフトクラトラスを見て、ポニーテールの鹿毛の髪を揺らしながら嬉しそうに笑顔を見せ悦に浸っている隣のウマ娘に苦笑いを浮かべながら告げるルドルフ会長。
ドゥラメンテ
新入生の中でもかなりの実力を秘めたウマ娘で以前からチームリギルに強く勧誘を勧められている彼女。
だが、彼女は首を縦に振る事はなかった。
何故ならば、彼女には憧れているウマ娘が居たからだ。そう、そのウマ娘こそ、今ダービーを走らんとしているアフトクラトラス。
自由奔放、それでいて観客や周りを巻き込むほどの問題児、とはいえ、その愛らしさから皆から可愛がられているアフトクラトラスだが、その実力は紛れもなく超怪物級。
そんなウマ娘のレースを長らく観客席から見ていたドゥラメンテは彼女に対して憧れを抱き、このトレセン学園にやってきたのである。
「あの馬鹿が、まさかこんな優秀なウマ娘を影響させてしまうとはな……」
これにはルドルフ会長も頭を抱える。
一方でそんな事を知りもしない私は準備体操をしながら、レースが始まるのを今か今かと待っていました。
ペターンと身体を柔軟させながら屈伸や動的運動を軽く入れて身体をほぐします。
色々柔らかいとか言われてるのはこれが理由なんでしょうけどね。メンタルも柔らかいとか言わないで!
「さあ、各ウマ娘、準備が整いました日本ダービー、ファンファーレです」
響けファンファーレ〜、なんとかかんとか。
うん、真面目に歌詞を覚えてないので忘れちゃいましたけどね。
日本ダービーのファンファーレが会場に鳴り響きます。鉄火場となっている会場からは合いの手が入り異様な盛り上がりを見せている。
いよいよ日本ダービーの幕が切って落とされる。
そして、ゲートインが済んだウマ娘達が一斉に構えをとり始め、私もいつも通りにクラウチングスタートの体勢を取りその時を待っていました。
隣にはシンちゃん、サクラプレジデントちゃんの2人。
もちろん、私はそのことは了承済みです。警戒されている事でしょう。
「さあ、注目される日本ダービーが……、今、スタート致しました! さあ、先頭を争いには……おぉと! これはどうした! 出ない! 前に出てこないぞアフトクラトラス!」
良好なスタートをいつも通り切った私ですが、いつものように先行を取ると思われていた走りではない事に会場はどよめきます。
これには周りのウマ娘達もざわつき始めました。
「先行を捨ててきた!?」
「っ…! 中団控えだなんてっ!」
私を警戒してきたであろうシンちゃんやサクラプレジデントちゃんはこの私の意表を突いた行動に慌てた様子でした。
それはそうでしょう、私も予想を裏切られるようなこんな不意をつかれた走りをされたのでは流石に走り辛いと思います。
私を警戒していたのならば尚更です。
オカさんと義理母の策はある意味成ったとも言えるでしょう。
ペースを乱された何人かのウマ娘はひとまず私にペースを慌てて合わせるようにして歩調を合わせてきます。
(計画通りですね、ここまでは)
わざわざ私のペースに合わせなくてもいいでしょうに皆さんは相当、私を警戒しているんですね。
お陰でレースはやりやすい状況にはなってはいるんですけども。
問題は……この後なんですよね。
「おっと、これはどうしたことか! アフトクラトラスを前に行かせまいと完全に取り囲むような状態になっております! これは流石にキツイか!」
そう、中団に控えている分、私を取り囲み易いんですよ。
進路妨害とは言いませんが、これでは抜け道がなく残りの距離で末脚を炸裂し辛いでしょう。
しかも、私自身も差しの戦法はそんなに取った覚えはない、先行で押し切った勝ち方をしてきた。
「さあ! 残りがだんだん少なくなって参りました! 距離は残り半分程度! アフトクラトラスは果たして上がってこれるのでしょうか!」
私の現在の状況に実況アナウンサーも不安なコメントを発する。
それを会場から眺めているチームリギルは静かにレースの状況を分析しながら、私の置かれている状況について話をしていた。
「……あれは捲るのキツイんじゃないか?」
「だな、アフと言えどあれだけガチガチにやられると正直キツイぞ」
中団に控えて脚を溜めている私を遠目から観察しているエアグルーヴ先輩とヒシアマゾン先輩は表情を曇らせる。
普段から自分達のように追い込みや差し足に自信があるならまだしも、ぶっつけ本番であの戦法は中々にリスキーだ。
しかも、状況が状況だけにアフトクラトラスの差しと末脚がどれだけ伸びてくるのか未知数。
だが、そんな二人の意見に対して、静かに腕を組み眺めているナリタブライアン先輩は静かにこう語り出す。
「いや、逆だ、むしろ理想的だぞ、この状況」
「はぁ? いや、どう見ても囲まれてんじゃねーかよ」
「よく見てみろ」
ナリタブライアン先輩はそう言って、首を傾げるヒシアマゾン先輩に軽く首を動かして私のいる中団を指し示す。
そして、その中団をしばらく眺めていたエアグルーヴ先輩は何かに気がついたのか目を見開くと声を上げた。
「……!? 中団の包囲網が乱れてきてる!?」
そう、よく見てみると私の周りを取り囲むように走っていた周りの歩調にズレが生じてきているのだ。
何故、そうなってきたのか、それはやはり、不意をついた私の戦法が効いてきているのだろう。
リギルと同じく、同じチームメイトとして応援しにきているアンタレスのアグネスタキオン先輩は皆にこう解説する。
「つまり、アフのペースに合わせた事で自分達のペース配分が上手くいってないんだよ彼女達は」
「……そうか、あいつのペースだとどうしても途中からハイペースな走りになるから……」
「前で走ってたウマ娘も苦しゅうなって
「あれだけトレーニングしているあの娘をずっと捉えとくなんて芸当、中々できるもんじゃないわ」
アグネスタキオン先輩の言葉に頷きながら、それぞれ私の置かれている状況が好転しつつあることを確信していた。
とはいえ、まだ不安はある、私に差し切るだけの足があるかどうかは皆も確信できてはいない。
それだけに早めから仕掛けて行こうとしない私に皆はやきもきしているようであった。
そして、いよいよ迫り来る残り800mの表記。
レースもいよいよ大詰めを迎えようとしている。レースが動き出すのはここからだ。
未だに中団から抜け出そうと動き出さない私に注目が集まる。
果たして、この日本ダービーの栄冠は誰が手に入れるのか。