日本ダービーのウイニングライブ。
私は19万人の観客席にいる皆さんの前で歌を歌わなければならない。
だが、自然と緊張はなかった。
普段からふざけて歌うウイニングライブだが、今回は少しばかり事情が違う。
一生に一度の栄冠、日本ダービー。
そのレースに全てをかけて来たウマ娘がいる。
そのレースを勝つためだけに死ぬほど努力したウマ娘もいた事だろう。
だからこそ、普通ならば皆に楽しんでもらうウイニングライブだが、今回、私はそんな皆さん、ライバル達の事を思い歌を歌いたいと思っていた。
「アフトクラトラスさん、出番です」
「はい」
私はいつもと違い、淑やかな服に身を包みマイクを片手にたった一人だけで19万人の観客の前に姿を現わす。
そして、私はゆっくりと伴奏が流れてくる中、それに耳を傾けて静かに瞼を閉じる。
ここまでくるのにたくさんの事があった。
それは、全て私が成長するための糧になってくれた。
「──どうか〜♪」
私はゆっくりと口を開き歌を歌い始める。
今まで聞いた事がない私の綺麗な歌声に会場はシンっと静まり返る。
私には両親がいなかった。
母の代わりになってくれたのは厳しい義理母だった。
寂しかった事もあった。
親の顔を知らなかったでも、私はそれでも十分に満たされていた。
義理母は私にありったけの愛情を注いで育ててくれたからだ。
デビューして、姉弟子とライスシャワー先輩の背中を追う毎日。
挫けそうになり、何度も何度も逃げ出したくなる事もあったし、逃げ出した。
だけど、それでも、最後に困難に立ち向かう事を教えてくれたのは大切な家族の二人が走る姿だった。
「どうか来てほしい〜水際まで来てほしい〜♪」
違う環境でも私はもしかしたら活躍できていたかもしれない。
だけど、デビューからこうしてここまで大切なことを学ばせてくれて成長させてくれたのは紛れも無く義理母と姉弟子達だ。
毎日、毎日、雨の日も雪の日も暑い日もいつも走ってきた坂路。
走る事を教えてくれた、必死に努力し続けることを教えてくれたのは義理母と姉弟子、ライスシャワー先輩の三人でした。
「我慢がいつか実を結び〜♪」
そして、努力が実を結ぶ事を教えてくれたのも彼女達です。
返せないものをたくさん頂きました、だから、私はこの場に立っていられるんだと思います。
他の観客の皆さんも知ってほしい。
私達ウマ娘は決して一人だけで、戦っているわけじゃないんだと。
たくさんの支えがあって、涙があって、努力があって、いろんな人の思いがあってレースに挑んでいるという事を知ってほしい。
そう思って、私は静かに熱唱しました。感情を込めて少しでもその事がみんなに知ってもらえたらなと思い。
天皇賞で、懸命に努力を積み重ねたライスシャワー先輩に浴びせられた言葉。
今後、そんな言葉をウマ娘のみんなに浴びせないようにしてほしいと思い、私は歌に乗せてその思いを訴えかけるように歌いました。
「君と好きな人が百年続きますように〜♪」
私の歌声に会場は聞き入るように静まり返っていました。
そんな、私の思いが通じたのか、涙を流す日本ダービーに出たエイシンチャンプちゃんの姿も見えました。
ライスシャワー先輩は私の声に自然と耳を傾けて、涙を流し、真っ直ぐに眼差しを向けてきます。
そう、みんなたくさんの思いを抱いてレースに臨んでいる。
トレーニングトレーナーもトレーナーも私達も皆が毎日、毎日、汗を流し、切磋琢磨して時にはぶつかり合いながらも心からレースに勝ちたいと思って戦っているんです。
私の真面目な歌声に当初は戸惑っていた観客達でしたが、全て歌い切ると私は静かに頭を下げてお辞儀をしました。
本来なら3着のウマ娘までがステージに立ち、歌うところを二人に無理を言って、皆に伝えたい事があると歌わせてもらった。
賑やかなライブを期待していた皆さんの期待を裏切るような事をしてしまったなとは思いましたが、私はそれでも今回、この場を借りて義理母、姉弟子、ライスシャワー先輩、皆さんにお礼と、そして、私達がどんな風にしてここまで成長できたのかを知ってもらいたかった。
ライブが終わった瞬間、会場からは割れんばかりの拍手が響き渡ります。
「凄いぞ! アフ! 綺麗な歌声だった!」
「真面目にやれるじゃねーか! ……感動したぞ!」
私の歌声を褒めてくれるファン達からは拍手と共に温かい声援が飛んできます。
涙を流している方はきっと私が今回、こうして歌を歌った意味を理解している方々なんでしょうね。
いや、意味を理解していなかったとしてもきっと心に何か残ってくれたのだと思います。
ウマ娘として走る私達は決して楽な道のりを歩んでいるわけではありません。
勝てないウマ娘は涙を流しながらトレセン学園を後にする娘ももちろんいます。
私はそんな娘達に君には”才能がなかったから仕方がない”という冷たい言葉で突き放したりなんかしたくはありません。
見える範囲でもいい、私の姉弟子のように必死に坂を走って、懸命に頑張ればその才能はいつか開花すると信じています。
今の私があるのもきっとその事が大きいと思ってます。
だから、私は出来るだけ見える範囲でもいいのでたくさんの娘達を導いてあげたいと心から思ってます。
ゆっくりでもいい、それでも、きっと懸命にやった事はきっと報われます。
ウイニングライブが終わり、私はゆっくりと会場を後にします。
会場に続く通路には、ルドルフ会長が壁に寄りかかって待ち構えていました。
これはいつも通りお説教かな? と思わず肩を竦めて苦笑いが込み上げてくる。
すると、私の姿を見たルドルフ会長はいつもとは違い、穏やかな笑顔を浮かべ出迎えてくれました。
そして、私に向かい一言こう告げます。
「……良いウイニングライブだった」
「……ん? ……」
「なんだその間抜け面は……、良いライブだったと言ったんだ。珍しくな」
ルドルフ会長は私の間の抜けた表情に呆れたようにため息を吐く。
普段からこれだけ真面目にやってくれたら良いのにと言いたげでした。何を言ってますか、悪ふざけも割と真面目にやってます(タチが悪い)。
だが、今回、私が歌った歌を聞いていたルドルフ会長は私にこう話しを続けます。
「皆の思いを代弁して、ファンに届けようとしたんだろう、良い歌だった」
「……ありがとうございます」
「正直、感動したよ、お前があんな歌が歌えるなんて思ってもみなかった」
まさかのルドルフ会長大絶賛にこれには私もなんと答えるべきか迷いますね。
普段が普段だけにあれなんですけど、今日は日本ダービーでしたからね、流石にこのレースだけはそんな事はできません。
特にウマ娘をもっと理解して欲しいと私は思っていましたから、良い機会になったと思ってます。
すると、ルドルフ会長はだが、と言葉を区切り、一枚の紙切れを私の前に見せてきます。
「それと、これとは話は別だがな? ……後で生徒会室に来るように」
「……あっ……」
そう言って、ルドルフ会長が私に見せてきたのはゴルシと共にやった悪戯のラブレターの紙切れである。
や、やはりバレていた!? クッソ! 今回はウイニングライブ大絶賛だったから怒られないと思ってたのに!
……仕方ないですね、甘んじて説教を受け入れましょう。
私に説教するということはつまり、図星という事では……? いや、これ以上推測する事は生命の危機に直面する事になるのでやめておきましょう。
そして、立ち去っていったルドルフ会長の背中を見送った私は一仕事終えたとようやく一息入れます。
うん、まあ、日本ダービーの後だから正直疲れてたんですけどね。
本気を出しきってないとはいえ、舞台が舞台でしたので。
よし、寮に帰ってゆっくり休みますか、今日は熟睡出来そう……。
「……ッ!?」
……とその時だった、なんだか胸の辺りに違和感を感じたのは。
そして、同時に足にも一瞬、力が入らなくなった。
私は少し驚いたような表情を浮かべながらもすぐに収まったそれに、ふと、首をかしげる。
何だったのか、今のなんとも言えない感覚。
うん、やっぱり疲れてるんでしょうかね。
今日はゆっくりと休みを取って身体を調整しておかないと。
そして、会場から出た私は出迎えにきた奴に思わず引きつった笑みを浮かべる
「よう、アフ! お疲れー!」
「げぇ!? ゴルシちゃん!?」
「げぇ! とはなんだ! げぇ! とは! 祝いに来てやったんだぞー! ……ほれ」
そう言って、目の前に現れたゴルシちゃんは私に何かを手渡してきます。
それを受け取る私、なんと、意外にもゴルシちゃんから差し入れを受けるとは思いもしませんでした。
受け取ったものを見てみるとなんと栄養ドリンク、気をきかせてこんなものをくれるとは。
「……次、海外行くんだろ? ハードなスケジュールになって来るだろうから疲れが取れるようにって思ってな」
「……ゴルシちゃん……」
「バーカ、お前、私の大事な相方なんだからな! なんかあった時はいつでも助けになるぜ」
そう言って、ゴルシちゃんは私にそう告げるとバンバン! と肩を叩いてきます。
私の歌を聞いてかなんでか優しくなってるような気もしないわけではない、うむ、案外、真面目に歌うのもたまには悪くないですね。
次はイギリスダービー、日本ダービーと同じように向こうでは相当なレベルが高いレースです。
今日のように勝てる確証はありません。
そして、そのレベルも段違いでしょう。海外のウマ娘と激突する事になる初めてのレースでもあります。
無敗の三冠制覇、凱旋門賞奪取。
皆とも約束しましたから絶対にやり遂げてみせないと!
「あ、ゴルシちゃん、そう言えば後で会長が生徒会室に来るようにですって」
「あちゃー、バレたかー!」
「私もいけると思ったんですけどねー、くそー」
まあ、その前にルドルフ会長のお説教を甘んじて受けなきゃいけないんですけどね。
その後、私はゴルシちゃんと共に小一時間くらいルドルフ会長からお説教を食らうことになるのですがそれは別の話。
身体の違和感は少し気にはかかりますが、まあ、まだ気にする段階ではないただの立ちくらみだと思います。
海外に行くまでにしっかりと調整をして身体を調子を整えておかないとですね!
私はひとまず控え室で着替えを終えて、寮へとゴルシちゃんと共に向かうことにしました。
まあ、祝勝会はまた後日ですね、今日は疲れてますし、身体を休めるのが先です。
「アフちゃん」
と、私はゴルシちゃんとそんな談話をしながら寮に向かう最中でした。
私の名前を呼び、引き留めてきたのは黒鹿毛の髪を靡かせる小さな先輩の姿でした。
ゴルシちゃんは先に行ってるぞ、と呼び止められた私を置いて先に行ってしまいます。
私は呼び止めてきた先輩、ライスシャワー先輩に向き直ると笑みを浮かべたままゆっくりとこう告げます。
「……ライブ聞いてくれましたか?」
「……うん、すっごく良いライブだった……、それと、ありがとう」
「それはこちらのセリフですよ、ライスシャワー先輩」
私はライスシャワー先輩に迷いなくそう告げた。
ライブの歌の意味を汲み取ってくれたライスシャワー先輩、私は皐月賞の前、頑張るライスシャワー先輩の姿に喝を入れてもらった。
でも、あれは私が理解していなかったのだ。
ライスシャワー先輩は無理する必要があった。ステイヤーとしての身体作りのためにああいったトレーニングをせざる得なかったのである。
それなのに私は強くライスシャワー先輩に当たってしまったと思う。
そして、無理したトレーニング方法にオカさんを付き合わせてしまった。
正直、その事は二人に申し訳ないと思っている。
だが、あの時、私は焦ってしまっていたのだ、ライスシャワー先輩がまた遠いところに行ってしまうんじゃないかと。
見えていた背中がまた遠くなるんじゃないかと思って、勝手に自分を追い込んでしまっていた。
だから、ちゃんとライスシャワー先輩には謝りたかったし、今まで支えてきてくれたお礼を伝えたかった。
「本当はそういったことを……面と向かってこうして言うべきなんでしょうけど……ごめんなさい、私、不器用で……」
「ううん、十分伝わった、そして、あの歌を私の為に歌ってくれたのもわかった」
そう言って、ライスシャワー先輩は私との間合いを詰めるとそっと頬に手を添えてくる。
やはり、敵わないなと思った。私のことをよく理解してくれている。
大変な時も辛かった時期も、ライスシャワー先輩は私を気にかけてくれた。
私が今日こうして日本ダービーが取れたのはライスシャワー先輩が居てくれたから。
ライスシャワー先輩だけじゃない、アンタレスの皆さん、義理母、姉弟子、私を支えてくれたのは皆だった。
だから、私は改めて思う、私が走る理由は……。
エリモジョージ先輩が言ってくれたようにそんな皆の為、背中を押してくれる皆の為に楽しませて走る。
私は頬を撫でてくれるライスシャワー先輩の手をそっと握りしめると真っ直ぐにこう告げました。
「きっと次も勝ってみせます」
ライスシャワー先輩はそんな私の返答に満足したように静かに頷く。
ファンの皆さんにも今日の私のライブでの思いが少しでも伝わってほしいですね。
こうして、無事に栄冠を得ることのできた私の日本ダービーは幕を閉じるのでした。