イギリスダービー前日。
私はあれからずっと、義理母と姉弟子とともに鍛えに鍛え抜いた。
ダラカニに見せつけられた敗北、海外流の洗礼。
それらを踏まえた上で何が自分に足りないのかを考えた。
ただハードなトレーニングをこなしていれば強くなる訳じゃない、その為の目的、段階を踏まえてレベルを上げなければ成長には繋がらない。
私はあの時のレースを見直して、さらに、自分に足りないところを徹底的に改善するように意識した。
「ギアの段階を更に向上させて、7速まで上げるとは……考えましたね、義理母」
「ふん、単純な話だ。地に足をつかせるならばしっかりと踏み抜く力を身につけておけば良い話、足を馴染ませれば自然と力も入るようになる」
五段階のギアを七段階まで引き上げ、走る速度を上げる。
こうする事によって本来なら走り辛かった芝も次第に克服することができ、なおかつ、更なる加速も見込める。
ただし、その代償ももちろんある。
「身体への負担は大きいがな……あまり、乗り気にはならん手だ」
義理母は顔を顰めて、隣にいる姉弟子に語る。
私の「地を這う走り」も、本来、身体に大きな負荷がかかる走りだ。あまり、身体への負担をかけずに軽減したいところだが、イギリスダービー、キングジョージ、凱旋門という大レースを前にしてそんな悠長な事は言ってられない。
「ハァ……ハァ……」
「アフ、今日はこのくらいにしとこう」
「いえ、後もうちょっと……」
「ダービー前日だ、無理をするとパフォーマンスが落ちる。身体を休めるのも大切だ」
ブライアン先輩はそう言うと中腰になって呼吸を整える私の頭を優しく撫でてきます。
確かにその通りです。身体に無茶をさせすぎては本末転倒、雪辱戦もあったもんじゃないですからね。
あの美人さんめ、ちょっと身長が高いからと調子に乗りよってからに、別に身長で負けてるからとかスタイルが羨ましいとか思ってないし! 悔しくないもん!
今の流行は私やヒシアマ姉さんみたいな、身長低くてスタイルが良い抱き心地が良い体型が理想的だもんね、この野郎。
「まあ、なんにしろ、明日のレース展開はわからんからな……」
「強いウマ娘ばかりですしね」
レベルが格段に上がるレースではなかなか勝つことは難しい。
その通りだ、私が走るレースはこれから先、強いウマ娘、それもG1級の怪物達しか出てこない。
そんな怪物達を力でねじ伏せ、自分の勝利を切り開くにはその覚悟と代償が必要。
私にはわかっている。これが本当に正しい走りなのかと言われれば、決して正しいものではない事くらい。
だけど、私はずっと信じてきた。
義理母を姉弟子を……そして、ライスシャワー先輩を。
あの人達の背中を見てきたから今の私がある。きっと、ここまで、私が来ることはなかったとも思う。
「……ッ……」
そして、そんな中、私はふと、定期的に訪れるあの謎の現象に陥った。
ガクンッと力が入らず急に足が下がる現象である。呼吸をゆっくりと整えれば自然と治る現象であるが、いかんせん身体に違和感を感じてしまうものだ。
だが、そんな事を言っても仕方ないし、別に負担が掛かる走りの反動だと思えばそこまで気にするものでもない。
ここまで来て、余計なことを言って三冠レースがおじゃんなんて笑えない。
「……? どうしたアフ?」
「……い、いえ! ちょっと疲れが溜まってたみたいです! 足が軽く痙攣してるみたいで」
「……そうか、珍しいな……クールダウンはしっかりしとけよ?」
ギアを無理に上げているし、そういうこともあるだろう。
ナリタブライアン先輩は笑顔を浮かべ答える私にそう思ったに違いありません。
うん、それは間違いなくそうです。ギアを上げた反動はかなり来てますからね、それを選んだのも私です。
しかし、ナリタブライアン先輩は私をしばらくジッと見つめると静かな声色でこう話し始める。
「……無理はするな、絶対にだ……」
「何言ってるんですか、無理なんてしてませんよ」
「それなら良いんだ、……明日のイギリスダービー、頑張るんだぞ」
ナリタブライアン先輩は優しい眼差しをしながら私の頭を優しく撫でそう告げてくる。
……もしかしたら、何かしら察していたのかもしれませんね。
私の事をどれだけ知っているかはわかりませんけれども、少なくとも見抜いているような気はしていました。
「ぬふー……イギリスのベッドってふかふかだなぁー」
私は言葉に甘えて寝室にあるベッドにヘッドダイビング。
海外のホテルのベッドって柔らかいですよねー、ふかふかするー。
安眠間違い無し、今日もがんばりましたし、明日に備えて寝ないと。
「……反動……か……」
私はベットに寝転がりながら、スッと自分の足を優しく撫でる。
この子にはかなり無理を強いて来たのは自覚しています。よく、私について来てくれているものだと感心するくらいです。
絶え間ないハードワーク、鍛えに鍛えた身体。
だが、そのトレーニングは諸刃の剣でもあります。
私は自分の走りに誇りを持って走っていますが、身体のことを今のいままで労ってきた事はあまりありませんでした。
「……無茶させちゃってごめんね」
思わず、そんな言葉が口から出てしまいます。
強靭な筋肉をつけるためにたくさん痛めつけ、悲鳴を上げさせて来た身体。
食事は意識してなるべく改善してますが、やはりそれでも身体の筋肉に無理を強いているのは変わりありません。
「明日は頑張るからね、一緒に頑張ろう」
自分に言い聞かせるように、足を優しく撫でた後、布団を被る私。
私と共に頑張ってきた相棒。
たまにはこうして愛でてあげないと可哀想ですからね。
それに七速による必殺の走り、これにも新たに名前を付けました。
名付けてアフちゃんストライド。
等速ストライドのパクリとか言わないでください、大丈夫です、ちゃんとオリジナルですから。
明日はきっと皆さんが驚くようなレースをお見せしてみせます。
翌日、イギリスダービー当日。
たくさんのウマ娘がこの試合を見に各国から集まってきます。
もちろん、ウマ娘だけではありません、地元の方はもちろんのこと、様々な国から名だたるウマ娘達を一目見ようと大勢のファンが押し寄せます。
そんな中、行われるパドック。会場はすごい盛り上がりを見せていました。
一方、こちらは控室。
私は勝負服に着替えながら、静かに精神統一をします。
ここからは、人外魔鏡の領域。
強者しかいない世界、時として、ウマ娘としての限界を超える事を求められる厳しい世界。
ポテンシャルが高いウマ娘は当たり前、私が対峙する相手はそんな方ばかりです。
自然と緊張はありません、あるのは自信とプライド。
私はチャンピオンになる為に海を渡り、このレースに挑むのだ。
「よし!」
バシッと平手を両頬に叩きつけて気合いを入れ直す私。
海外仕様にした、私の勝負服、日本のウマ娘として、私は胸を張り、正々堂々と立ち向かう。
そんな中、会場は1番人気のウマ娘、ダラカニがパドックで皆さんの前にその姿を現していた。
「……ワンダフォー……」
「Oh……アメージンッ!」
その美しい身体に会場は見惚れ、彼女の逞しい姿に息をのんだ。
完璧な調整、完璧なトレーニング、完璧な強さ。
全てを兼ね備えている事が一眼見てわかる。これが、アイルランドの至宝、唯一無二の強さ。
パリのトップモデルを見ているような錯覚さえ感じさせるその立ち振る舞いはすぐに会場の人々の心を掴んだ。
そんなダラカニを観客席から見つめるウマ娘達がいる。
そう、イギリスダービーを見に集まった、世界で最強を成すウマ娘達である。
「……素晴らしい仕上がりね」
「ありゃ決まりかもなぁ」
そう言いながら、世界ランク1位のウマ娘、シーバードに笑いながら告げる世界ランク3位のウマ娘、リボー。
だが、そんなリボーにシーバードは肩を竦めるとこう告げる。
「あら? まだレースも始まってないのに早計でなくて?」
「見りゃわかるだろうよ、他のやつと目が明らかに違う、クリスキンとアラムシャーくらいか? それでも厳しいと思うがな」
はっきりとした言葉でそう告げるリボー。
実力があるウマ娘、クリスキン、アラムシャーの2人は仕上がりはあの中ではかなり出来てはいたが、このダラカニのそれに比べるとどうしても見劣りしてしまう。
今日は間違いなく、ダラカニ、そう言い切れてしまうほど、他を圧倒していた。
だが、そんなリボーの言葉に異を唱えるウマ娘が現れる。
「おいおいおい、そりゃシーバード姉さんが言うようにまだ早いんじゃないのかい? リボーの姉さん」
「あん?」
「あら?」
そう言って会話に割り込んできたウマ娘に眉をひそめるリボーと笑みを浮かべるシーバード。
そこに居たのは、いかにもアメリカンギャングを感じさせるようなスカジャンと短パンのダメージジーンズという格好をした露出の高い格好に、髪の左側をドレッドで編み込んだ青鹿毛のウマ娘。
彼女は日本のウマ娘が出るという事で日本の知人を連れてアメリカからわざわざこのイギリスダービーを見にきたのである。
「サンデーサイレンスじゃない? わざわざアメリカから?」
「まぁな、セクレタリアトの姉御から誘われてよ、コイツを連れて見にきたわけ、あ、イージーゴアの野郎も来てるよ」
そう言って、親指で後ろを刺しながらドカリと椅子に座るサンデーサイレンス。
皆さんはこの名前に馴染みが深い事だろう。
そう、あの、サンデーサイレンスである
アメリカ三冠のうち二冠(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス)、さらにブリーダーズ・クラシックを勝つなどG1を6勝する活躍を見せ、エクリプス賞年度代表馬に選ばれたのは有名な話である。
また、日本のウマ娘達の礎の一つを築き上げたのも彼女だ。
その縁から、日本とアメリカを行き来する彼女はあるウマ娘を連れて今回、イギリスダービーの観戦に訪れた訳である。
サンデーサイレンスが指す指先、そちらに視線を向けるシーバードとリボー。
そこに居たのは、お馴染みのチームスピカに所属する芦毛の名優、メジロマックイーンの姿がそこにあった。
彼女は忌々しそうに青筋を立てながら、乱雑な紹介をするサンデーサイレンスにこう告げる。
「相変わらず貴女は! なんでそんなに雑なんですの!!」
「別に良いだろうが、お前もちょっと前まで私と変わらない感じだったくせにさー」
「貴女ねぇ!?」
そう言って、痴話喧嘩をし始めるメジロマックイーンとサンデーサイレンスの2人。
アフトクラトラスの試合を見に行くからと、半ば強引にイギリスまで拉致られてサンデーサイレンスに連れてこられたマックイーン。
確かにレースは見たかったのだが、世界的なウマ娘達に対してあの紹介の仕方はあんまりだと憤慨するのは当たり前だ。
「よろしくね、マックイーン」
「でだ? 話は戻るがよ、なんでわかんねーんだサンデー」
「そりぁ……」
「レースは何があるかわからんからな」
そう言って、サンデーサイレンスの言葉を遮るようにして現れたのは猛々しい赤が入り混じる栗毛のウマ娘。
スラリとした逞しい身体に抜群のスタイル、そして、自己主張の激しい胸。
ダイナマイトボディというのはこういう身体付きのことをいうのだろう、そして、鋭く綺麗に澄んだ綺麗な瞳と端正な顔つきは見た者を惹きつける。
赤いライダースジャケットに白いチューブトップ、黒いタイトスカートで現れた彼女は笑みを浮かべてシーバードの隣に座った。
「あら、セクレタリアト、今きたの?」
「ついさっきだ、道が混んでてな」
「姉御ー、私のセリフ取らないでくれよぉ」
シーバードにつぐ、世界ランク第2位、アメリカの誇るウマ娘、セクレタリアト。
その異様な雰囲気は圧巻の一言に尽きる。
だが、リボーは偉そうに腕を組み、シーバードの隣に座るセクレタリアトに向かって意地悪な笑みを浮かべたままこう告げた。
「とか言って、どうせいつもの大食いだろ? 口元にケチャップ付いてるぞ」
「……むっ……」
リボーから指摘されたセクレタリアトは図星なのか慌てて口元を拭いて誤魔化す。
こんな軽い会話を繰り広げてはいるが、ここにいる三人は世界トップスリー、もちろんそれだけではない、マックイーンが周りを見渡せば名前を知っているウマ娘ばかりである。
明らかに自分は場違いなのでは? 思わずそう感じてしまうほどの壮観な光景だ。
そんな中、パドックは滞りなく進む。
会場は先程のダラカニの話題で持ちきりだ。
だが、そんな中、空気が一変する。
「アフトクラトラス!」
それは、もう1人の注目を集めているウマ娘の名前が挙がったからだ。
会場はシーンと静まり返る、そして、私はゆっくりと会場に足を進めた。
そして、身に纏っていた白いマントを取ると、中腰に構えて手を前に差し出す。
会場はそんな私の奇怪な行動に戸惑っているようであった。
まるで、着物のような勝負服、髪には髪飾りが付いており、それが、イギリスという地では異質な和を醸し出していた。
どこからか、桜が舞うようにパドックのステージに立つ私に降りかかる。
そんな中、静まり返る会場で私は中腰のまま、真っ直ぐファンの皆さんを見つめ、向かいこう告げる。
「お控ぇなすって!」
ドンっと、身構えている私に一斉に視線が集まってくる。
引き締まった綺麗な身体つき、そして、色艶やかな和服姿の勝負服、それに皆、目を奪われていた。
深呼吸を入れた私はゆっくりとそのまま口上を述べはじめる。
「あっしは生まれも育ちも日本、ならず者のウマ娘として育ち、長らく闘争、競争の中に身を置いて参りましたが、姉妹達の助けにより己の真に挑むべきものを諭され、恥ずかしながらこの地に参った次第でございやす」
私の中腰からの口上に静まり返る会場。
それでも真っ直ぐに、私はあるウマ娘を見据えたまま言葉を続ける。
「全ての競争、闘争において、存分に力を振るわせていただきたく思いやす、日本のウマ娘が1人、アフトクラトラスと申します」
私はそう言って静かに会場に頭を下げる。
すると、先程まで静まり返っていたはずの会場は割れんばかりの大声援が上がった。
私の仁義を切る口上を見て、周りの観客達の興奮が止まらない。
「クレイジーッ! ジャパニーズ! ヤクザガールッ!」
「oh……! オーマイガッ!」
日本からヤク◯なウマ娘が来た! ジャパニーズマフィアウマ娘が来た!
しかも、かなりの実力があるウマ娘、パドックで見たあの体つきを見れば見た人はすぐにわかる、このウマ娘は只者ではないと。
会場が賑わい、盛り上がる。
(あのおバカは……ッ! 全く)
そんな、派手で破天荒なアフトクラトラスの登場に思わずメジロマックイーンは頭痛がした。
品位もクソもあったものではない、名だたるウマ娘達が集まる世界の大舞台で何をしているのだと声高に叫びたかった。
アフトクラトラスは3番人気、ダラカニ、アラムシャーといった強いウマ娘よりも期待値は低い。
別にそれは良い、全てはレースで証明すれば良い話だ。
相変わらずのアフトクラトラスの破天荒ぶりに、頭を抱えているマックイーン。
だが、そんなマックイーンとは裏腹に、ほかのウマ娘達は彼女の口上に対して興味深そうな反応を示していた。
そんな、私の派手な登場を見届けていたリボーは面白い物を見つけたとばかりに意味深な笑みを浮かべる。
「……ワリィ、さっきの訂正するわ、……こりゃおもしれーレースになる」
それは確信であった。
ダラカニ、一強と思っていたが、存外、そんなことも無さそうだと。
あのウマ娘が身に纏う雰囲気は、確かに何かが違っている。
あの啖呵を切るウマ娘の実力はまだわからないが、身体つきを見ればおのずと測れるものだ。
そこにいる世界の実力者達はそのリボーの言葉に納得したように頷いていた。
世界的なウマ娘達が注目するイギリスダービー。
その勝負は既に始まっていた。