遥かな、夢の11Rを見るために   作:パトラッシュS

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スプリングステークス

 

 

 

 スプリングステークス。

 

 3着までの馬に皐月賞の優先出走権が与えられるトライアル競走であり、このレースは、皐月賞・東京優駿(日本ダービー)と続く春のクラシック路線、およびNHKマイルカップの重要な前哨戦として位置付けられている。

 

 さて、このレースであるが、私は現在、観客席にて、姉弟子と先輩の二人の応援にやってきた。

 

 坂路の申し子、栗毛の超特急、サイボーグとの異名を持つ、私の姉弟子であるミホノブルボン先輩。

 

 パドックにて、その姿を見たが改めて堂々としている彼女に見惚れてしまった。

 

 鍛えに鍛え抜かれた美脚に引き締まったウエスト、そして、上半身は無駄なく絞られたスラリとした筋肉が凝縮された綺麗な腕。

 

 そして、何よりもレース前にしてあの溢れ出る気迫は誰がどう見ても息を飲まざる得なかった。

 

 言わずもがな、最高の仕上がりである。

 

 

 そりゃそうだよ、私が散々付き合わさせられたし、死ぬかと思いましたよほんとに。

 

 

 しばらくして、パドックには私が応援しにきたもう一人の先輩が皆の前でその姿を披露した。

 

 淀の刺客、関東の刺客、記録破り屋との異名を持つ、私の大好きな先輩、ライスシャワー先輩だ。

 

 その小さな身体を坂路で追い込み、更に、特別調教師のマトさんとの特訓を重ね、レースの為に仕上げてきた。

 

 だが、今回のレースは1800mと彼女の本来の土俵ではない戦いを強いられる事になる。

 

 ミホノブルボン先輩と比べると、パドックからレース場を一望していたライスシャワー先輩の表情がどうにもらしくないように見えた。

 

 さらに、このレースにはもう一人、チームアンタレスからスプリングステークスに出てくるとんでもなく強い先輩が一人いた。

 

 

 電撃の爆進王。

 

 

 短距離スプリンターでまさしく化け物じみた強さを誇り、あのマイルで絶対的な強さを誇るタイキシャトル先輩をもってしてもスプリント戦で勝てるかどうかわからないウマ娘。

 

 

 サクラバクシンオー先輩である。

 

 

 最近、学級委員での仕事が重なり、なかなか部室に顔を出せなかった事もあり、私はまだ面識は無いのだが、その実力はよく知っている。

 

 1400メートル以下、スプリント戦線では化け物じみた力を発揮しており、その距離では恐らく彼女の右に出るウマ娘はなかなか居ないだろう。

 

 パドックに姿を現した彼女の身体もまたミホノブルボン先輩同様に鍛えられた凄まじく綺麗な身体をしていた。

 

 恐らくは学級委員の仕事をこなしながら、スプリングステークスに向けて仕上げてきたに違いない。

 

 だから部室に顔を出せなかったのだと私は納得してしまった。

 

 鹿毛の綺麗な長い髪を後ろに束ね、黄色いカチューシャを付けた彼女の凛々しくも逞しい姿は、優等生として申し分ない。

 

 

「ミホノブルボンにライスシャワー相手だと今日はより気合い入れないとね…」

 

 

 パドックで皆に姿を披露しているサクラバクシンオー先輩の眼はパドックを終えたミホノブルボン先輩とライスシャワー先輩の姿をしっかりと捕らえていた。

 

 とはいえ、サクラバクシンオー先輩もライスシャワー先輩同様にこの距離は本来の土俵ではなく、厳しい戦いを強いられる事になる。

 

 彼女もまた、ミホノブルボン先輩という、チームメイトであり、ライバルを倒すためにこのレースをあえて選んだのである。

 

 恐らく、このレースでそれぞれ異なる距離の同期が激突することになる珍しいケースのレースだ。

 

 普段から切磋琢磨している相手だからこそ、負けられないプライドというものがある。

 

 

 全ウマ娘がパドックを一通り終えたところで頃合いを見計らい、アナウンスが会場に流れ始める。

 

 

「それではパドックを終了致します、準備が出来たウマ娘はゲートまでお進みください」

 

 

 そうして、それぞれレースの為に準備を始めるウマ娘達。

 

 柔軟を行う者、軽く足を動かし芝の感覚を掴む為走る者とその内容は異なっている。

 

 そんな中、私の姉弟子、ミホノブルボン先輩は物凄い気迫を身に纏いながらアップをしており、周りに居たウマ娘達も思わず恐縮してしまっていた。

 

 

 そりゃまあ、首の骨をゴキリッと鳴らし、更に拳をパキパキ言わせて、軽く恐ろしい速さでダッシュして汗を流してれば皆そうなる。

 

 

 一方で、ライスシャワー先輩もアップを軽くこなしていたが、パドック同様に表情はあまり優れないようだった。

 

 そして、サクラバクシンオー先輩はミホノブルボン先輩と同様に芝の感触を確かめるように軽く走り、芝の感触を確かめている。

 

 

 それぞれ違うアップを繰り広げる彼女達の様子を観客席の最前列で眺めていた私は、隣にいる同じチームのメンバーであるアグネスタキオン先輩にこう問いかける。

 

 

「今回、どうでしょうかね。二人とも仕上げは良さげでしたけど」

「そうだねぇ……。私が見たところ、ミホノブルボン先輩は問題は無さそうだけれどライスシャワー先輩は厳しいかなと感じるな、多分、それは本人が一番わかってるとは思うけれどねぇ」

「バクシンオーの奴も出るからなぁ…、これはちょっと厳しいだろ、私もあいつの仕上がりのサポートで併走してやったけどあれも大概、化け物だったよ」

「やっぱりそうですか…」

 

 

 アグネスタキオン先輩とバンブーメモリー先輩の言葉に私も思わず表情が曇る。

 

 いや、それはレース前からライスシャワー先輩が口で話していた事を事前に知っていたから、尚更、今日の彼女の顔を見てそう思わざる得なかった。

 

 この距離、そして、ミホノブルボン先輩の仕上がりを見れば、私は厳しいと改めて感じた。

 

 さらに、スプリントのスペシャリストであるサクラバクシンオー先輩がここに加わってくればその勝負はかなり困難を極める。

 

 面子がやばいなぁ、と私はそう思った。

 

 彼女達ともし同期ならば、全くこのレースに勝てるビジョンが浮かんで来ない。

 

 

 そして、いよいよ、発走の時刻が迫ってきた。

 

 次々とゲートインを済ませるウマ娘達。ライスシャワー先輩はゲートに入ったミホノブルボン先輩の顔を真っ直ぐに見つめた。

 

 私も貴女に勝つ為に仕上げた。

 

 レースの距離が違うとはいえど、ここで引くつもりはないと目でそう告げているようだ。

 

 ライスシャワー先輩が見つめるミホノブルボン先輩はというとターフを見つめ、身体から力を抜いて集中力を高めている。

 

 一方で、サクラバクシンオー先輩はリラックスした様子で深呼吸を済ませて、集中力を研ぎ澄ませているようだった。

 

 そして、レース前のファンファーレが鳴り響いた。いよいよ、三人が激突するスプリングステークスがはじまる。

 

 

「各ウマ娘! 位置について!」

 

 

 各ウマ娘は審査員のその掛け声と共に走る体勢を取る。

 

 観客席に座る私もいよいよ、あの人達の走りを見ることができる事に対する高揚感からか強く握りしめた右手には汗が滲んでいた。

 

 そして、号令と共にパンッ! と勢いよくゲートが開いた。

 

 そこで、すかさずスタートダッシュを決めたのは…。

 

 

「さぁ、先行争い、ミホノブルボンとサクラバクシンオー、二人共に物凄いスタートを決めました」

 

 

 ゲートが開くと同時に先行を取りに走ったのはやはりこの二人であった。

 

 先行争いに入ったサクラバクシンオー先輩とミホノブルボン先輩の二人は互いに顔を見合わせる。

 

 やはり、来たかと、互いにそう感じている様子であった。

 

 

「悪いけど、このレースは貰う…!」

「私を倒せたらの話だけどね!」

 

 

 まるで、視線が交差する二人の間にはバチバチと火花が散っているようで見ていて初っ端からワクワクするような展開だった。

 

 普段から知っている身内だからこそ、余計に負けられない、その気持ちはレースを見ている私にも良く分かる。

 

 そして、その二人の様子を見つめる刺客はよく観察しながら、静かにやや後方の方で息を潜めて居た。

 

 頃合いを見て、仕留めに掛かる、レースはまだ始まったばかりだ、後半から仕掛けて勝利を掻っ攫う。

 

 黒い影、ライスシャワー先輩である。

 

 

(先頭はやはり、あの二人が取りに行ったか、勝負は400mから…)

 

 

 仕掛けるタイミングを間違えれば、恐らく勝てない。だが、自分が取るべき走り方はこのやり方だ。

 

 ライスシャワー先輩の走り方はよく、自分の脚質を理解した堅実な走り方だった。

 

 そして、一団となって駆けるウマ娘達だが、その実力差はレースが後半になるにつれてだんだんと明確になっていく。

 

 残り800mあたり、走るペースが落ちないミホノブルボン先輩の走り。

 

 その走りについて行っていたサクラバクシンオー先輩の表情は明らかに思わしくないものになっていっていた。

 

 

「…ハァ…ハァ…、なんでペースが…っ」

 

 

 そう、ミホノブルボン先輩の足にサクラバクシンオー先輩の足がついていかなくなって来ていたのである。

 

 学級委員での仕事があったとはいえ、間違いなくこのスプリングステークスの為に仕上げ来た。

 

 距離不安もあったが、それでもある程度は戦える自負が彼女にはあった。

 

 だが、蓋を開けてみればミホノブルボン先輩の走りにだんだんと足がついてこれなくなって来ている事に気がついてきたのだ。

 

 地獄の坂路を幾千も超えて、さらには、強靭な身体を作るために徹底的に足腰を鍛えるトレーニングをミホノブルボン先輩は積んできた。

 

 それに付き合った私が言うんだから間違いない、あれは、軽く死ねる内容なものばかりだ。

 

 残り400mの直線、そして、そのミホノブルボン先輩の真骨頂である化け物じみた足が炸裂する。

 

 ドンッ! とターフを蹴り、加速したかと思うとグングンと一瞬にして後続のウマ娘達を完全に引き千切ってしまったのである。

 

 

 瞬間、サクラバクシンオー先輩の表情が絶望に変わったのがよくわかった。

 

 

 圧倒的な実力差、炸裂したその足にもはや、バクシンオー先輩が対抗できるほどの足は全くと言っていいほど残っていなかった。

 

 それは、まさしく化け物と言っていいほどの強さだった。このレースを見ていた誰もがそう思った事だろう。

 

 一身差、二身差、三身差、その差はみるみるうちに開いていっていた。

 

 それを見た、ライスシャワー先輩の表情も真っ青になるのがよくわかった。

 

 仕掛ける仕掛けない以前に、もはや足を使っても追いつけないほどの圧倒的な実力差がそこにはあったのだ。

 

 

 気がつけば、彼女もミホノブルボン先輩から完全に心がへし折られていた。

 

 

 ついた身差はなんと七身差、もうこうなっては追いつきようがない、更に加速するミホノブルボン先輩の凄まじい強さにレースに出ていたウマ娘達も走る気力を根本からぶち抜かれたような錯覚を覚える。

 

 抜く、抜かれないの話の次元ではなかった、完敗だった。

 

 彼女に勝てるビジョンが全く浮かばない、レースに出ていた大半のウマ娘達がそう思った事だろう。

 

 

「ミホノブルボンこれは強いッ! 七身差! 完全に独走態勢で今ゴールインッ! 圧勝です! まさに完全無欠のサイボーグッ」

 

 

 この凄まじいレースに見ていた観客達も思わず言葉を失ってしまった。

 

 サクラバクシンオー先輩、ライスシャワー先輩と注目すべきウマ娘達がいたにも関わらず、そんなものは関係ないとミホノブルボン先輩は引き千切ってしまった。

 

 完全に心をへし折る圧倒的なその強さに、皆もなんと言ってよいのかわからないのだ。

 

 まさか、これほどまでに強いとは私も思ってもみなかった。

 

 レース終了後、ゴールを潜ったサクラバクシンオー先輩は膝に手をついてをついて肩で息をしていた。

 

 歯が立たなかった、その悔しさが単に込み上げてくる。

 

 レースを終えたライスシャワー先輩も膝から崩れ落ちるように地面に手をついた。そして、唇を噛みしめるように地面に拳を叩きつける。

 

 

「…なんで早く捕らえに行かなかったんだっ! ばかばかばかっ!」

 

 

 無様なレースを晒してしまった。

 

 その感情が吹き出してしまう、もっとやれたはずなのに何故、早く仕掛けに入らなかったのかと、自分の詰めの甘さを悔いているように地面に拳を叩きつける。

 

 気がつけば、仕掛けが遅くなり、4着、ライスシャワー先輩はミホノブルボン先輩に迫るどころか心が折られ、他のウマ娘にも前を走られているではないかと彼女自身が許す事が出来ないような出来だった。

 

 そんな中、ミホノブルボン先輩は毅然としていた。

 

 まだ、こんなところは通過点に過ぎないとばかりに平然とした様子で観客に手を振っている。

 

 私はそれを見て思わず鳥肌が立った。

 

 

 これが、あの地獄のようなトレーニングを積んできた者の境地。

 

 身体が悲鳴をあげても更に追い込み、ハードな訓練と特訓を重ねに重ね、圧倒的な力を持ってして相手をねじ伏せる。

 

 まさしく、スパルタの風だった。

 

 このレースを見ていた私は覚悟を決めなくてはいけないような気がした。

 

 あの人を超えるには本気で血が滲むようなトレーニングを更にこなさなければならないのではないかと。

 

 才能だけで挑もうなら簡単にねじ伏せられる。

 

 

 レースが終わった後、私は会場を後にするライスシャワー先輩の元に向かった。あの姉弟子の強さをどう感じたのかを聞きたかったからだ。

 

 

「ライスシャワー先輩! …あの…」

「…アフちゃん」

「…えっと…その…、今日のレースは…」

「えぇ…、無様なものを晒してしまったわね」

 

 

 ライスシャワー先輩は笑みを浮かべて、なんと話しかけたらいいかわからない私にそう告げた。

 

 しかし、彼女はミホノブルボンという怪物と対峙して、このレースを通して確信した事があった。

 

 己の完全な力不足であるという事、それが、敗因であるというのを自覚できた。

 

 

「クラシックは絶対に巻き返す、必ず刺してみせるわ…、血反吐を吐いても泥水を啜ってでも必ずあの娘に勝つ、その覚悟が今日改めてできました」

 

 

 そう私に語るライスシャワー先輩の眼は鋭く研ぎ澄まされていた。

 

 私はそんなライスシャワー先輩が纏う赤く、立ち昇るオーラの様なものが目視できてしまう。

 

 

 鬼の胎動はこの時から始まった。

 

 

 漆黒の身体に宿るのは逆襲の誓い、私はそんなライスシャワー先輩の威圧感に言葉を失ってしまった。彼女は踵を返すと私に背を向け、敗北を喫した会場を後にしていった。

 

 敗者は敗者らしく、次のレースの為に身体を仕上げるのみ、そう、本番のクラシックはまだ始まっていないのだから、勝負はこれからである。

 

 

 その後、レースに勝ったミホノブルボン先輩がウイニングライブを披露した。

 

 

 あんなに堅物でトレーニングの鬼のはずなのにウイニングライブの時は可愛く見えてしまうから不思議である。

 

 

 ちなみに私がウイニングライブで適当やった時はミホノブルボン先輩からチョークスリーパーをお見舞いされたのは記憶に新しい。

 

 

 こうして、先輩三人が激突したスプリングステークスはミホノブルボン先輩のウイニングライブで締めくくる事になった。

 

 次はいよいよクラシック戦線へ舞台が移る。

 

 これから、二人がどうなるのかを私は見届けねばと密かに固く心に誓うのだった。


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