変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第十三話 萎れた花に、愛おしさを感じて」

 何が起きたのか、俺には分からなかった。

 

「――ゆ……」

 

 友奈の家に向かうと玄関辺りで友奈が倒れていて、瞬く間に肝が冷えた。

 パジャマ姿でぐったりとしている彼女に慌てて駆け寄る。

 

 その体に触れると熱を感じた。

 

 腕の脈に触れてみる、――ある。

 友奈の顔を見てみるが意識は、――ない。

 胸を揉んでみる、――あまりない、心臓は動いているが。

 口に手を近づける、――呼吸はしているようだ。

 

「友奈!」

 

「――ぅ……りょ……ちゃん」

 

 そっと呼びかけると眦が震え、ルビーのような赤い双眸が開かれる。

 ややぼんやりとし焦点が定まらないようだったが、何度か呼びかけると意識が戻る。

 少し考えて、本人に聞いてみる。

 

「大丈夫か? 救急車を呼ぶか?」

 

「えへへ、大丈夫……大丈夫だから……」

 

 咄嗟にそういう聞き方をしたことを、俺はしまったと後悔した。

 俺も少し冷静じゃないようだ。

 友奈は自分のことに関しては極力人に迷惑を掛けたがらない。抱え込む少女だ。

 自分を犠牲に、他の人を救おうとする――勇者の様な少女だ。

 

 そして、自分のことでは決して弱音を吐こうとしない困った少女でもある。

 この1年、伊達に傍にいたわけじゃない。

 案の定フルフルと首を横に振る。

 

「友奈のお父さんと、お母さんは?」

 

「――朝早くに、仕事の都合で出かけたよ……」

 

「――――」

 

 なんてことだ。

 腕時計を見る。

 現在時刻は、7:30を少し過ぎた程度。

 話を聞くと、急に体調が悪くなったのは少し前だという。

 最低でも30分は床に倒れていたのかと思うとゾッとする。

 俺が来なかったらどうする気だったのだろうか。

 

 そう問い詰めたかったが、友奈は困った顔で愛想笑いを浮かべるだけだ。

 仕事で忙しい両親の邪魔をしたくないという。

 だからちょっと熱があるけど大丈夫だよと、そう偽ったのだ。

 虚構の笑みを浮かべて、必死に元気であることを演じて。

 そして見送った後に――。

 

 言葉少なめに俺に説明する友奈だったが、俺にはそういった想像は容易かった。

 この子は優しいのだ。

 己を犠牲に人のために尽くす子だ。

 だからこそ、最も傍にいる俺が……いや、そうじゃない。

 ギュッと抱きしめると、友奈の柔らかく細い体がいつもより熱を持っているように感じられた。

 

「――――っ」

 

 色々言ってやりたいことがあるが呑み込む。

 歯を食いしばる。

 

 ――切り替えろ。

 今は思考を切り替えろ。そして集中せよ。

 心臓の音が煩い。手の震えが邪魔だ。

 脳に全神経を張り巡らす。

 カチッと己の内に潜む黒い何かと考えが一致する。

 

 

 ――これより我が専心は、彼女のために捧げられる。

 

 

 思考が加速する。

 ここからの動きを緊急構築。

 何をすべきか、どうすべきか。

 如何に効率よく友奈をこの状況下から救出すべきか、模索を開始。

 慌てず、冷静に動け。

 だが早く――、

 うまく――、

 正確に対処せよ。

 

 原因はなんだ? 

 即座に昨日のことを思い出す。

 学校では問題なかった。では――

 

 雨。

 あの大雨だ。

 

 あの冷たい雨に体温を奪われたのだ。

 油断せずにどこかで無理やりでも雨宿りをすべきだったのだ。

 

 ――――――――もう遅いと思うよ? 

 

 そんな声がどこからか聞こえた気がしたが無視する。

 雨、熱、両親への想い、無理をしすぎた代償。

 それらの要因から、最も考えられる可能性を考慮する。

 おそらく友奈は――風邪の可能性が高い。

 しかも床で意識を失いさらに悪化した可能性が見られる。

 

「もうちょっとだ。頑張れよ」

 

「……うん」

 

 彼女の体を抱きかかえて、本人の部屋に向かう。

 ピンクのバランスボールが配置され、棚にはいくつかの漫画本がある。

 ところどころに小動物の人形が置かれ、全体的に女の子の部屋だと認識させる。

 

 そのまま友奈自身のベッドに寝かせる。

 次にお風呂場から桶を持ってくる。水を注ぎ、虚空からタオル(小)を出す。

 大道芸はもはや体の一部みたいなもの。

 どうやったかは秘密だ。

 緑のタオルを水に浸し、雑巾を絞る時の要領で余分な水を排出する。

 そのまま友奈の額に乗せる。

 これで最低限の処置を完了する。

 

 次に、俺は学校に連絡を入れた。

 最近習得した大道芸の一つ。

 完全な声マネ(知り合いのみ)で対処すべきか悩んだが、普通にやることにした。

 

「あ、もしもし私――」

 

 友奈が熱を出したこと。現在仕事の都合で両親が不在だということ。

 急遽お向かいさんである俺が看病をすること。

 幸いにも、クラスの担任の先生は理解してくれた。

 変ないちゃもんをつけられなくて良かった。

 神世紀万歳。

 

 続いて食材の確認をする。

 顔パス入場をしたとはいえど、他人の家の冷蔵庫の食材を使う気にはならない。

 しかし、米は別だ。

 米櫃から2合ほど頂き、お粥の調理のために大急ぎで米を砥いでおく。

 ここで一度、俺は二階へと駆け上がった。

 友奈の状態を確かめるためにだ。

 ドアをそっと開け、顔の赤いお姫様が眠るベッドに駆けつける。

 

「……すぅ……すぅ」

 

「――――っ」

 

 寝顔を見るとつい気が緩みそうになるのを抑える。

 タオルを額から取り上げ、もう一度桶の水で浸し再び載せる。

 一応、友奈は眠ってはいるようだ。

 だが後で多めの水分と食事、薬を飲ませないと。

 

 眠っている今がチャンスということで、慌てて自分の家に一度戻る。

 戸棚からストックしている風邪薬を回収する。

 その後自転車でスーパーに行き、食材その他もろもろを購入する。

 全力で家まで戻り、再度結城家に向かう。

 

 ここまでで約1時間が経過した。

 

 

 ---

 

 

 途中、友奈は何度か起きはしたのだが、熱のせいだろうか意識はぼんやりしていた。

 ひとまずスポーツドリンクをコップに入れ、ストローを挿して飲ませた。

 上体を起こさせ、ゆっくりと飲ませる。

 風邪を引いたときは大抵これを飲む。

 その後トイレに行かせた。

 途中肩を貸したが、随分とヨタヨタしていた。

 水分を摂らせ出すことで熱を下げる。一般療法だが、なんとでもなるだろう。

 これで熱が下がらないなら、友奈には悪いが救急車を呼ぶ。

 

 午前中は慌ただしく動いていた。

 昏々と眠り続ける友奈。

 その間、俺はお粥の準備、その他氷枕を作ったり色々と細かな準備をしていた。

 

 

 ---

 

 

「……ぅ……うーん」

 

「よう、起きたか」

 

「――亮ちゃん」

 

 11時頃、友奈が目を覚ました。

 

「食欲は? おかゆあるけど食べるか?」

 

「うん……食べる」

 

 いつもの元気ハツラツ! とした姿はどこへ行ってしまったのだろうか。

 明るい笑顔はなく、暗い顔で多少立ち直りはしたが、やや頬が上気している。

 俺はそこに萎れた花の幻想を見た。

 

(――枯れるなよ)

 

 そんなことを思いながら、

 その顔を横目に俺は鍋からお椀にお粥を入れてくる。

 今回はベターに梅干しと塩で微調整したものだ。味見も済ませた。

 梅干しは唾液を多く分泌させ、唾液の消化酵素には消化を手伝う作用がある。

 せっかくなので食べさせる。

 

「ほら、あーん」

 

「…………あー」

 

 抵抗はせず、

 ほんのりと顔を赤らめた姿はそのままで、レンゲですくったお粥を友奈は食べる。

 ひな鳥が親鳥の餌を待つ。

 そんな姿を俺は一瞬思い浮かべた。

 

「よく噛めよ」

 

「……うん」

 

 モグモグと、ゆっくりと噛んで飲み込む。

 もう一口食べさせようとしたとき、唐突に友奈は俺に謝ってきた。

 

「亮ちゃん、ごめんね」

 

「――何が?」

 

「今日、学校休ませちゃったから」

 

「……友奈の居ない学校は魅力が4割減だから。友奈の看病の方が俺はいいよ。

 あと、そこはごめんじゃなくて、ありがとうの方が嬉しいよ」

 

「うん……。ちなみに残りの割合は?」

 

「え? ああ、残り6割は給食が3割。男友達が2割。授業が1割かな」

 

「ふふっ」

 

 冗談めかしてそんなことを喋ると、何が壺に入ったのか、友奈は笑った。

 虚構のそれではなく、愛想笑いでもなく。

 微笑だけどいつもの、にへらっとした笑みを浮かべた。

 

「亮ちゃん」

 

「…………」

 

「ありがとう」

 

「……ああ」

 

 

 

 ---

 

 

 

 お粥も食べ終わり、少しゆったりした時間が流れた。

 窓から見上げる空。

 空は昨日とは随分と化粧の仕方を変えたようだ。

 青く澄んだ空に、白い雲が漂っていた。

 

 友奈のベッドに背中を預け本を読みながら、

 ふと俺はある重要なことを思い出す。

 

(そういえば、下着とかシャツは汗を吸わせてそのままにすると風邪の要因になるんだっけ)

 

 生前の知識。

 というか、自分の経験談だ。

 いわゆる夏風邪という奴は、汗をかいた状態を何もせずにいた結果。

 体が冷えることで、風邪の要因になるのだ。

 お腹を出して寝てしまったせいもあるが、あれは後悔したものだ。

 

 そっとベッドの近くに寄る。

 手を布団に潜り込ませる。

 パジャマの中に手を忍ばせると、汗を掻いたのかジワリと湿っていた。

 

「亮……ちゃん?」

 

 きょとんとする彼女を無視して、ベッドから出して立たせる。

 背中側は汗でややパジャマの色が変色していた。興奮はしない。

 

「友奈」

 

「どうしたの?」

 

「――俺のお願い、聞いて……くれるか?」

 

 ちょっと申し訳なさそうな、それでいてシリアス風味な顔を作る。

 ぼんやりと俺を見ていた彼女だったが。

 

「うん。私にできることなら、なんでも言って!」

 

「ん?」

 

 だいぶ元気を取り戻したのか、やや明るい笑顔だった。

 いや、そこはいいんだ。

 今、なんでもって言ったな。

 

「じゃあ、これから行うのは医療行為だから。許してね」

 

「――? えっと、……何が……」

 

「許すと言ってくれ!! どうしても重要なことなんだ! 頼むっ! 友奈!!」

 

「えっ、あっ――――う、うん。分かった。亮ちゃんを許す、よ?」

 

 突然の展開に驚いたのか目を白黒とさせるが、なんとか了承を得る。

 よし。

 

「じゃあ、万歳して」

 

「はい」

 

「そぉい!」

 

 ゆったりと緩慢とした動きで両手を上げる友奈。

 素直でよろしい。

 俺は素早く無駄のない無駄な動きで彼女のパジャマの上着を脱がす。

 

「ぁっ…………やぁ…………っ!」

 

 思考の隙を一秒も与えず、すかさず俺は動く。

 友奈のパジャマのズボンを引き摺り下ろして、全力でベッドに押し倒す。

 そのまま素早くパンツに手を伸ばす。桜の模様が可愛らしいピンク色をしていた。

 

「ひやああっ! ――――ムグっ」

 

「こらっ、暴れるな! 大人しくしろオラッ」 

 

「~~~~っ」

 

 流石に抵抗され、ベッドの上で揉みくちゃになる。

 医療行為のために、俺はシャツと同じで湿っていた小さな布切れを取り合う。

 友奈が状況を理解して抵抗の悲鳴を上げるが既に遅い。

 騒がれると厄介なので、タオル(小)を口に押し込む。

 

 ヒャッハー。

 当然だが風邪ひきの弱々しい体と、俺の健康な体では速さも力の差も違う。

 そんな状況の中、涙目で必死に抵抗する友奈に俺はあらゆる術を用いて剥ぎ取りに成功する。

 

「はーい、それじゃあ失礼しますね~」

 

「んっ……!」

 

 精神的にも体勢的にも優位に立った俺は真面目な顔を作る。

 そのまま、既に水に濡らしたタオル(大)と着替えを取り出しながら――――

 

 

 ---

 

 

 窓を開けると、部屋の熱気が外に逃げるのを感じる。

 一度部屋の換気をする。

 空気の入れ替えというのは大事なものだ。

 窓から見る空には7つのアーチが浮かぶ。

 

「おお……!」

 

 通り雨でも降ったのだろうか。

 この世界に来て初めて肉眼で見た虹は、とても美しく感じられた。

 突然浮かび上がった巨大なアーチにしばし目を奪われると、

 後ろからグスッ……グス……と、鼻水を啜る音と嗚咽が聞こえてくる。

 

「―――――」

 

 深呼吸をする。冷たい空気が俺の肺を伝って、再び外へと吐き出される。

 …………。

 さて、そろそろ換気もいいだろう。

 戻るか、現実へ。

 

 

 ---

 

 

 

 窓を閉め振り返ると、きちんと布団を被り友奈は寝ていた。

 ただし、頭まで被って亀のようだった。

 お嬢様はご立腹なようだ。

 

「………………」

 

 俺がやったことは単純だ。

 抵抗されると体力が低下してしまうので、腕を押さえつける。

 体の汗という汗を丁寧に拭き取る。特に蒸れていると思った部分は優しくじっくり丁寧に。

 

 最初は暴れていたが、真面目にやっているのが伝わったのか徐々に抵抗を止める友奈。

 その後、新しい下着と替えの寝間着を着せた。

 パジャマやタオルは洗濯に、パンツは俺のポケットに。

 抵抗なんて何のその。さっさとやったさ。大道芸を舐めんなよ! 

 

 全工程の完了に、300秒掛からなかった。

 処置が終わった時、彼女は赤い顔でピクリともしなかったが。

 

 医療行為だから文句はつけられないのだ。うん。

 許可も取った。うん。

 ちんたらと脱いでいたら悪化は免れないから仕方ない。

 きっと俺も疲れていたのだろう。うん。

 ちょっとアレなテンションでも医療行為だから。うん。

 

 ベッド近くに座り、亀さんの頭付近にゆっくりと話しかける。

 ややくぐもっていたが、コミュニケーションはとれた。

 相変わらずグズついているが。

 

「なぁ、悪かったよ。でもさっきも説明しただろう? これはどうしても必要な医療行為だって」

 

「……全部拭かれちゃったよぉ……」

 

「友奈が拭いていたら風邪が悪化するよ? 遅いしスピーディーにやらないと悪化するだろ?」

 

「……全部見られたよぉ……」

 

「医療行為だから。それに下着が一番濡れると拙いから」

 

「……私、もうお嫁にいけない体にされちゃった……」

 

「人聞きの悪いことを……なら、俺が貰ってやるよ」

 

「本当かな……?」

 

「本当だよ。俺、嘘つかなーい」

 

「………………」

 

 俺は絶対に非だけは認めなかった。

 非を認めるとただの強姦魔みたくなるので、これは必要なことだと言い張る。

 俺にとってはこれが最善の手だと思っていたから。

 これ以上の症状の悪化だけはどうしても防ぎたかった。

 あらゆる負の可能性は削ぎたかった。

 

 例え、友奈から恨まれることになったとしても。

 

 やや落ち着いたのか、布団という甲羅から赤い瞳までを出す結城亀奈氏。

 別に襲おうとしたわけじゃない。

 医療行為だから、違うから。

 

 彼女の額に新しい濡れタオルを乗せる。

 まぁ、まだ不貞腐れているのは伝わってくるので、

 唐突にさっきのパンツを見せつけて目の前で色々やってやろうという欲望に駆られるが、流石にこれ以上やると本気で怒られそうなので、ここからはめちゃくちゃ甘やかしにかかる。

 

 それはそれで見てみたいと思う自分はそっとしまい込む。

 それはさておき、いつまでも機嫌を損ねられると俺も悲しいので――、

 

「お詫びにアイス奢るから」

 

 と言うと、ピクッと布団が動いた。

 ふむ。

 

「ハーゲンダッツ1つ。高いよ~? 美味いよ~? 高級なんよ~?」

 

「……」

 

「2つで」

 

 この時点で爛々と輝く二つの潤んだ双眸が布団の中から俺を見上げるが、やや反応が薄い。

 涙目で睨むんじゃない。

 仕方ない。

 

「3つで」

 

「…………」

 

「特大の芸も見せちゃうよ~? 友奈のためだけの」

 

「…………」

 

 沈黙が重い。財布は軽くなり始める。

 これはちょっと不味いかと思ったが、ボソッと少女が呟いた。

 

「…………も」

 

「え?」

 

「―――かめやのうどん、大盛りも」

 

 そう言って、プイッと俺から目を逸らす。

 あぁ、うん。

 うどんか、うどんね。そうだよね。ありがとうございます、うどん様。

 まぁ妥当か。安いものだ。

 

「分かったよ、お姫様。今度一緒に行こうな……」

 

「うん……えへへ」

 

 そうして頭をナデナデしていると、

 案外余裕なのか、俺と目を合わせると少女はいたずらっ子ぽく、にへらっと笑った。

 仕返しのつもりだろうか。

 昔は従順だったのに。

 誰に似たのだろうか、この小悪魔め。

 今後の成長が楽しみだ。

 

 しばらく優しく頭を撫で、髪の一本一本丁寧に手櫛を通していると、

 友奈は気持ちよさそうに目を瞑った。

 

 

 ---

 

 

 午後。

 お腹も膨れて眠くなったのか、

 薬を飲ませた後、ベッドでは友奈がスヤスヤと眠りにつき、

 俺はその近くで漫画を読んでいた。

 

 この漫画は友奈の部屋の棚から取ってきた。

 暇そうにじゃれ付く俺に、読んでいいよーと許可をくれた。

 

「――――」

 

 寝息と、時折ページをめくる音だけが今この世界にある。

 時折本から目を離し、内職に勤しむ。

 右手で本を読み内職をしつつ、左手で友奈の手を握っていた。

 最初握った時は少し驚いたようだったが、今はこの通りぐっすりだ。

 最初は随分とバタバタしていたが、容態も落ち着いた。

 

「――ふぁぁ」

 

 欠伸が俺の口から零れる。俺も少し疲れたのかもしれない。

 だが俺の仕事も、もうすぐ終わりだろう。

 

 部屋の時計を見てみる。

 そろそろ17時を過ぎて18時になりそうな頃。

 夕日も沈み、お月様がシフト交代にあたり顔を出す頃。

 

 友奈から聞き出したところ、

 友奈のご両親が帰ってくるのは早くて20時前だという。

 ふむん。

 そろそろ夕飯の準備をするか。

 

「――よっこら、しょーい……お?」

 

 そっと足に力を入れて立ち上がるのを阻害した何か。

 ぎゅっと握られた左手。そうとう力を入れたのか外れる気がしない。

 やむなく俺は、一本一本丁寧に彼女の指を剥がしていく。

 やがて掴みどころをなくした彼女の右手がだらりと下がる。

 その手を布団の中に入れながら、ふと彼女もきっと寂しかったのだろうと思った。

 

(風邪は一人でひくと寂しいからな)

 

 そしてドアへ向かう俺に。

 部屋を出る俺に、後ろから誰かが囁いた。

 

 

 ――――どうしてキミは、ここまでして彼女の看病をしているんだい? 

 

 

 振り返るとベッドには友奈がいた。他には誰もいない。

 

「――――」

 

 彼女を見つめる。

 桜が咲いたような赤い頬にあどけなさを残している少女は、

 やや赤いけれども透き通った肌で、長い睫で、瞼を閉じている。

 とっても可愛らしい少女だ。

 容姿だけじゃない。

 その明るい性格には随分と助けられた。

 

 俺にとって恩とは返すものだ。例えどのようなものだとしても。

 本人にとってはたいしたことではなくても。

 いつもの人助けなのかもしれなくても。

 

 ――いつかの桜の光景を思い出す。

 あれから一年が経過した。誰よりも友奈と同じ時を共に過ごした。

 

「――――」

 

 あの日。あの場所で。

 俺にとっては友奈にそれで救われたのだから。

 だから助ける。理由が必要だというならそれで十分だった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 キッチンを再び借りて、夕飯はどうするか考える。

 昼は梅のお粥だった。

 卵粥なんてどうだろうか。栄養もあるし。

 あとは林檎を摩り下ろして食べさせて……。

 

 献立を考えながら調理を進める。

 今日の夕御飯の準備を進めていると、後ろに気配を感じた。

 

 いや厳密には階段を下る音で分かってはいたが、

 トイレか何かだろうと思っていた。

 だからキッチンにきて、じっと何も言わず此方を見てくるのは少し気まずかった。

 

「――どうかしたのか?」

 

「…………」

 

 赤髪の少女は何も言わない。

 何かを言いたそうだったが口を開きかけてうつむく。

 風邪を引くと心が弱るのは分かるのだが。

 

 料理はほとんど出来上がった。

 あと少しだが。

 

「ほら、風邪がまたぶり返すぞ。すぐ行くから」

 

「……うん」

 

 返事はするが戻る気配も動く気も感じられない。

 ちょっと驚いたが、きっとこれは彼女なりのわがままと受け取ればいいのだろうか。

 しばし俺は彼女を見て、逡巡する。

 

 作業の手を止めて振り返る。

 俺が何も言わず彼女に近づくと、友奈はきゅっと目を瞑った。

 怒られるとでも思ったのだろうか。まったく。

 

「そぉい!」

 

「ぅえ!? ……ちょっ……亮ちゃん……」

 

「いいから」

 

「……」

 

 間抜けな掛け声とともに彼女を抱っこして階段を上がる。

 この甘えん坊め。

 友奈を抱きかかえて部屋まで運ぶ中、お互い特に喋ることはしなかった。

 

 それでも。

 友奈が何も言わずに抱きついてくるのは全て熱のせいだろう。

 俺も何も言わずに軽い体を抱き抱えて部屋まで運んだのは、その熱が伝わったのだろう。

 そうして何も言わず、俺は友奈をベッドまでお持ち帰りした。

 

 ベッドに寝かしつけて、戻ろうとする俺の手を少女の手が掴む。

 

「ん?」

 

「…………ぁ」

 

 どうして掴んだのか彼女も分かっていないらしい。そんな顔をする。

 だけど、俺はその瞳に不安が浮かぶのを見た。

 だから、

 

「――――傍にいてやるよ、今はまだな」

 

 と安心させるようにその手を優しく握り返した。

 夕飯は少し遅れるが、それは許して欲しいものだ。

 そう言うと、友奈は嬉しそうに「うん」と返事をして目を閉じた。

 

 気がつくとすっかり夜だった。

 月の光がベッドに注ぐ。

 彼女の閉じた瞼が月明りに照らされて、青白く光る大きな花のように見えた。

 月と俺が見下ろす中、安心したように眠りにつく彼女の細く柔らかい手を。

 繋いだ手を今度は離さないように。

 優しく握り締めた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「――うん?」

 

 いつの間にか、少し眠っていたらしい。

 外でなにやら騒音が聞こえる。車のタイヤとエンジンの音。

 車が入ってきたということは、ようやくこの家に彼女の親が帰ってきたようだ。

 これで俺の仕事もおしまい。

 後のことは彼女のご両親に託して、華麗に帰宅するとしよう。

 少し名残惜しいが。

 

「友奈……」

 

「んにゅ…………亮ちゃん?」

 

「――――」

 

 そっと彼女を揺り起こす。

 俺に起こされて此方を見るその双眸は、やがて状況を理解したのか。

 不安そうに、残念そうに、思い上がりでなければもう少し一緒にいて欲しそうに尋ねてきた。

 

「帰っちゃうの……?」

 

「そんな寂しがりやな友奈に、俺から愛を込めて」

 

「――ふぇ?」

 

 そんな不安そうな顔をするなよ。

 左手を擦って、俺は3本の花を出す。

 ゆっくりと俺はその3本の花を彼女の手に渡すと、「わぁ〜……!」と喜びの声を上げて受け取った。

 俺の代わりとして役立ってくれよ。

 

「……きれい」

 

 甘い溜息を吐いて。

 彼女のトロンとしていた目が見開かれる。

 友奈は、その花をじっと見つめる。

 

 それはピンクのバラだった。 

 友奈には分かるだろうけど。

 花言葉は『感謝』。

 貴女にずっと感謝していました。これからも貴女に感謝を。といった意味らしい。

 寝ている間に作っていたのと、前に作っていたのを合わせて何とか3本。

 本当はもっと多くの本数をプレゼントしたかったのだが。

 時間が掛かり、少なくはなったが1本1本丁寧に作った。

 

 随分とチープなものだが、いつかのように造花だ。

 とはいえ、あの頃よりも更に技量は上がり本物そっくりに仕立てた。

 永遠に枯れることはない本物よりも精巧なピンクのバラ。

 

 ()()()()()()()()()()()()、今この瞬間を騙すことくらいは、きっとできるだろう。

 

「――またな」

 

 花を見つめる友奈に気づかれないように、そっと音を立てず部屋から抜け出す。

 最後に扉を閉める瞬間。

 俺が見た彼女は、いつもよりも艶やかな笑顔を浮かべていた。

 

 

 




---その後のお話---

この後、友奈の風邪を貰い寝込んでしまう哀れな少年。
加賀亮之佑。
次の日、友奈に優しく看病されるも色々と同じ目に遭う。因果応報。
もうお婿に行けない……と涙目で呟く少年に、
なら私が貰ってあげるっ! えへへ……といつもの元気な笑顔で言ったという。
ある意味で、更に二人は仲良くなったらしい。距離も近くなったとか……。


---


ちなみに、どうして赤ではないかというと、亮之佑も花言葉には詳しくはなかったが、
流石に「赤」のバラの花言葉の意味を知っていたから、「ピンク」になった。
気障な言動をしていたが、そんな亮之佑でも友奈に正面きって渡すのは、やや気恥ずかしかった。

ピンクのバラには。
「感謝」という意味以外にも「美しい少女」「愛の誓い」などの意味もあるが少年は知らない。
更に言うと、本数でのバラの花言葉があり、3本のバラの意味は「愛しています」だが。
少年はそこまで調べていない。珍しく詰めが甘かった。
友奈が倒れたことに少なからず動揺していたのだろう。
1本よりは多い方が良いかな?……ぐらいの気持ちで渡したらしい。

だから。
押し花が趣味で、花言葉に詳しい結城友奈が、彼からピンクのバラを3本貰った時。
少女が何を思ったか。
それは、乙女だけの秘密である。



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