変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第一話 目覚めの夜」

 意識の浮上は、水面に顔を出すのに似ていると思う。

 瞼を開けると、ぼやけた視界、目の前に白いモノがボンヤリと映り込んだ。

 ジッと目を凝らし、ピントが合ってようやくソレがどこかの天井であると理解した。

 

 天井を見ていると先ほどの惨劇を思い出す。

 俺は、あれからどうなった? 緩慢と動く脳裏で、そんな疑問は尽きない。

 

 しばらくジッとしていると、誰かが此方に来た。

 禿げ頭の眼鏡という外国で見そうな白衣を着た人物がこちらを見下ろす。

 ここは病院なのだろうかと半覚醒状態で医者らしき男を見上げ、状況を確かめ――

 

「――ぁっ、――ぇぉ!」 

 

 恐らくだが、この時の俺は寝ぼけ眼で目の前の男に話しかけたのだろう。

 目の前の男は医者だと直感した。確認の意味を込めて問いかけようと思った。

 そう思っていたが、口から出たのは、喘ぎ声か呻き声のどちらにもとれる声だった。

 

 自分でもゾッとするような声が耳朶に響いた。

 一瞬誰か他の人がいるのかと思ったが、すぐに己の口から発したのだと気づいた。

 

(なんだこれは)

 

 その声に、不安が湧く。

 不安が己の意識を完全に覚醒させる。

 

 そして、気が付く。

 先ほどから自分の体が動かない。

 

 必死で動かそうとして、かろうじて指先が動く。

 懸命な意思で眼球が動くが、周囲の景色は白いままだ。

 

(――まさか)

 

 身体が動かないことに恐怖と焦りを感じた。

 頭に奔る謎のノイズを無視して必死に全身に力を籠めるが、肉塊にでもなったように動かない。

 というよりも、先ほどから下半身の感覚がない。

 

(まさか……え? そんな馬鹿な、誤っている、こんな――)

 

 ふと嫌な予感に駆られた。

 人が大勢死んだであろう大事故だったのだ。そもそも生きていることすら神の奇跡。

 それは同時に、手術をして生存しても後遺症は絶対に残るレベルかもしれないということだ。

 

(生き残ってしまった……のか)

 

 恐らくではあるが、そうなのだろう。この意識が残っているとは、つまりそういう事。

 神は俺が嫌いなのか。願いは届かなかった。

 いや、当たり前かと自嘲する。

 

 微妙に頭にノイズが奔っているのは後遺症か何かだろうか、医者に治せないほどの。

 男がまた話しかけてくる。だがノイズのせいでうまく聞こえない。

 あれから何が起きた。何日が経過したのか。分からない。思い出せない。

 

「おへるtよにkたつ!」

 

(――なんだって?)

 

 と、気が付くと白衣を着た男に持ち上げられた。

 この距離で辛うじて何かを言っているのが聞こえるが、全くわからない。

 同時に目の前の男は、成人男性である俺を、こうも容易く持ち上げたことに気がつく。

 

 それに、俺はこう思った。

 ――寝たきりだったら多少は体重も落ちているのだろう。そうであって欲しい。

 ――そもそも、キチンと手足は付いているのだろうか。そうで無いと困る。 

 

「あっ――――、あぇあ――――!!」

 

「そgk、しおごえgじゅ!」

 

 自分でもなんて言っていたのか分からない。

 それに気が付いた時、俺は自分の身体を見るのが怖くなった。

 リアルで植物人間。しかも達磨。その生き地獄の可能性が脳裏をよぎる。

 現実を否定するように瞼を閉じると、暗闇が眼前に広がり、僅かに安堵した。

 

(まったく、俺は何をしているんだ……)

 

 やがて、現実を直視するのを止め、俺は再度昏々と眠りについた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから体感で3ヶ月が経過し、病院を出ることになった。

 それだけあれば愚鈍な屑にも状況が理解できた。

 

 苦痛の源たるノイズは、最初の1週間ほどでキレイさっぱりなくなっていた。

 快適だ。静かでとてもいい。不快さなどは最初からなかったかのようだ。

 

(静かな事が逆に怖いが……)

 

 結論から言うと、俺は赤ん坊になっていた。抱き上げられた時、己の身体を鏡でみて分かった。

 なぜ前世の記憶を持ったまま生まれたか分からないが、持っていて困ることではない。

 昔見たテレビの特番でも前世の記憶を持っていた人がいたらしい。ならばきっと確率は低いのだろうが、そう珍しくもない話なのかもしれないと、無理やり理解する。

 

(――これが、転生ってやつか……)

 

 昔、夢見た幻想郷。

 

 引きこもって小説やネットを読み漁るだけの愚かな男が夢見た、決して叶わぬ物。

 これが現実か、長すぎる幻か、果てない夢なのか、未だに俺には分からなかった。

 もしかしたらこれも死ぬ寸前に見ている、死への旅路の途中に夢想しただけの夢か。

 

(どうでもいい) 

 

 白い部屋から、どこかへと俺は移され現在はどこかの木造の建築物にいる。

 禿げ医者の次点に、あの白い部屋で多く見たのが一組の男女。

 

 この数ヶ月、俺がよく見たのがこの白い髪の男と、黒髪の女だった。

 それだけの期間、曲がりなりにも共にいれば分かる。

 彼らが俺の両親、または育ての親らしく、25歳で死んだ俺から見てもやや若く見える。

 

(どうでもいい)

 

 白い部屋からこの新居へと移り数日で分かったが、ここはどうやら日本らしい。

 周りを見渡すと日本語らしき字がチラホラと見える。

 両親も見慣れた日本人の顔だ。洋服の装いはなんとなく生前見たものと似通っている。

 もしくは、ノイズが止むと同時にこの世界に適応して自動で日本語に見える説が捨てられない。

 

「…………」

 

 頭上にあるのはどこかで見たような玩具。シャンデリアの劣化版のような物が鬱陶しい。

 耳をすませると時折音声が聞こえる。

 テレビは見られなかったが、おそらくは別の部屋にあるかもしれない。

 視界が届く範囲に見える家具等は和を重んじた装飾の凝った品々が多い。

 

(そんなことよりも、だ)

 

 今の俺にとっては重要なことはただ一つだった。

 この身体が動かないことが何よりも問題だった。

 

(夢ならそれでも構わない。せめて肉体が動いてくれ)

 

 

 

 ---

 

 

 

 夢は醒めず、更に半年が経過した。

 両親の会話も良く聞こえる。完全に日本語だった。

 

 あの時のノイズは、他の世界の言語を脳が自動的に日本語に変換していた? 

 脳がそれに適応するためにずっと耳鳴りがしていた? 分からないから寝よう。

 そんな妄想で日々を食い繋ぐ、食べては寝るだけの日々がようやく終わった。

 

 この頃になると、俺の新しいスキル:四足歩行 が解禁になった。

 

(スキルって、ゲームかよ……)

 

 下らないことに思考が移る。ついゲームチックな思考をする。ゲーム脳ここに至れりだ。

 しょうがない。動けないストレスを妄想と睡眠で回避した結果だ。

 だが初めて自由に己の意志で移動できるという当たり前なことに、俺は感謝した。

 

「最初は泣かないから心配だったけど、元気で良かったわ」

 

「そうだな……」

 

 両親、育ての親がそんなことを言っていた。

 赤ん坊らしくなくてすまない。泣いている場合ではないのだ。

 ハイハイについてだが、移動手段を得た俺は様々な情報を手に入れることができた。

 まずこの家。結構裕福なお家であり、木造建築で2階へ繋がる階段を発見した。

 

 他には結構使い込まれたキッチンや、ソファのある大きなリビングもある。

 客間は数部屋あった。そして、大きな木や花が手入れされた庭は非常に景色がいい。

 やや古いが大きく立派な屋敷、というのが俺の評価だ。 

 

「………………」

 

 まぁ……赤ん坊という俺から見る光景が全て大きく見えるだけかも知れないが。

 他の家も少し遠くに5~6軒見える程度。別段おかしなところはない。

 近所の住人は遠くでたまに見かける程度だ。

 俺が生前見た、日本の街並みに似てはいるのだが――、

 

(ここが日本なのは分かったが、問題は場所が分からない。俺の知っている地元ではないのは間違いないだろうけど。だが都会という訳でもない。地方都市だろうか。中部か、東北だろうか。どの道パソコンがあれば楽なんだが……)

 

 家の窓から判る情報では、ここが都会か田舎なのかすら判別がつかない。

 残念だが、視界の届くところではパソコンを見つけることは出来なかった。

 無い物をねだっても意味がないが、代わりに謎を解消するチャンスは巡ってきた。 

 

 収穫があり、なんと『テレビ』を発見したのだ。

 文明の利器にして科学の象徴。かつての三種の神器の一つ。

 4kテレビ。高画質だ。

 

(この世界でも、あのチャンネルはあるんだな……) 

 

 ニュースは貴重だ。テレビのニュースの有難さにこれほど感謝したことはない。

 昔はテレビなんて、撮り溜めたアニメぐらいしか見なかったからだ。

 これによって情報を細々と得ることが出来るようになったが――

 

(完全に日本だ。確かに中東とか、最低な環境に生まれなくて、裕福っぽい家庭に生まれて良かったけどさ……)

 

 ――などと思っていたのだが、

 母親か父親に抱えられ、テレビを見ていると俺はいくつか気になることに直面した。

 

「――?」

 

 どうして他県の話がでないんだ? いや、世界の情勢はどうなった? 

 世界の警察アメリカはどうした。中国はどうした。北朝鮮はどうなった。

 核やドル、選挙、EU、為替、相場、大統領。話題なんていくらでもあるはずだ。

 腐れマスコミがそれらのネタを偽装してでも提供するはずだ。

 

(なぜ全く話題に上がらないんだ?)

 

 俺はテレビから時々聞こえる『神世紀』というテロップや言葉が気になっていた。

 テレビによると、今は神世紀287年だそうだ。

 

(いや……それいつだよ!)

 

 疑問は尽きないが、テレビから得られる情報などたかが知れている。

 だが、それでも俺は確定した情報を手にした。

 確定した情報というのは実にいいものだ。なにせ、決して揺ぎ無いのだから。 

 

 ここは『香川県』らしい。

 つまり俺は、いわゆる異世界転生はしたが、ゲームや小説で見たあの剣とか魔法で成り上がるようなチートなファンタジー世界に来た訳ではないようだ。

 

(そこはいいんだが。なんだろうか、この違和感は)

 

 時間が経てば経つほど膨れ上がる違和感。

 この香川県、というか四国がどうもおかしい。不信感が募る。

 テレビから時々発せられる単語。例えば日付にしてもそうだ。

 

(神世紀287年っていつだよ。平成はどこいった……)

 

 いや、流石に時代が経過しすぎて平成の年号は変わったんだろう。

 だが287年ってなんだ。昭和だって100年ないぞ。西暦が変わったのだろうか。

 

(おそらくだが、ここは俺の知っている日本とは似ているがどうも何かが違う。似て異なる、並行世界というヤツか何かだろうか)

 

 確証が持てない。

 昔のニート時代を思い出す。パソコンと右手が嫁だった時代。

 2chでオカルト板を読み漁っていた時、別の世界に行った人の体験談というスレがあった。

 

 当時はくだらないと思いつつも、

 物語としては面白くてついつい似たような話を読み漁り、異世界に行く方法を試したものだ。

 エレベーターに乗ったり、紙に文字を書いて寝たりした。

 

(気になるな)

 

 無言で俺はこの家にもある神を祀っているという神棚を見上げた。

 あれはどの家にでもある代物らしい。

 

 

 

 ---

 

 

 

 謎は尽きない。

 そんな俺が思考を練りながら、廊下をハイハイしていたときだ。

 ある日、窓からこの家の広大な庭を見ていた時。

 

(ほう)

 

 俺の父親はどうやら格闘技の使い手だったらしい。

 右手に逆手の模擬剣を持ち、ひたすらにシャドーと戦っている。

 俺も、昔ああいう中二病染みた真似をしたことがある。

 

(――キレイだ)

 

 だが、あれは違う。美しいと感じた。

 醜悪な真似事ではなく、彼が生み出す一つ一つが、技として無駄のない動きだった。

 洗練された動きというのは、単純に動きを切り取れば絵になると思った。

 

 刺突。切り下げ、切り払い。水平に流れる閃光。

 何かを明確に切り裂くような、流動なる技術の集大成。

 汎用な例えだが、まるでゲームのキャラの如き動きだった。

 

 男の一つ一つの動きに、俺は思わず息をするのを忘れ、ひたすらに魅入った。

 

「――――」

 

 男はひたすらに何かと戦っていた。時に何かに勝ち、時に何かに負ける。

 その動きが1時間ほど続く間、俺はずっとその男の後ろ姿を目に焼き付けた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そして、有り余る時間と共に膨れ上がった知的好奇心が、俺の中で蠢いていた。

 

(この違和感が気になってしょうがない……)

 

 それから俺は己の知的好奇心に則り、能動的に情報を集めるべく集中して行動した。

 俺はひたすらに両親の会話、テレビのニュースや父親がテーブルに置く新聞に注意を置き、多くの情報を集めた。

 幾ばくか時が過ぎた夜。人が寝静まる頃に、じっくりと俺は情報を吟味していた。

 

(シンジュサマ、タイシャ、ノギケ……か)

 

 多くの時の中でよく出た言葉で俺の知らないワード。

 どうもこの国は、シンジュサマという存在への信仰が凄まじい宗教国家らしい。

 その存在、シンジュサマが当たり前なのだという。

 

 ――あの世界との決定的な違い。

 相違点の発見は時間の経過と共に、得られる情報量に比例して増えた。

 もともと四国については良く知らなったが、流石にこれは断定していいだろう。

 

(ここは地球の日本、香川だが……)

 

 あの世界とこの世界は決定的に違う……はずだ。

 いや、間違いなく俺が知らない世界だ。

 明確に俺が生前いた、あの屑しかいない後悔と絶望に満ち溢れた世界ではない。

 それが分かった。その確信に触れ、思わず笑みが浮かぶ。

 

 ――もしも、もう一度人生をやり直せるのなら。

 

 あの死の瞬間。俺は神に願った、叶わぬ願い。

 そんなご都合主義も甚だしい、惨めな男が最後に抱いた願いが叶った。

 偶然か必然かは分からないが、どちらでもいい。俺は、やり直しの機会を得た。

 

 昔の記憶を持って転生を果たした。

 これで楽しめない奴は人生を損している。人生とは楽しんだものが勝つのだ。

 あの時『もしも』が叶うなら、俺も覚悟を決める決意をしたと思い出す。

 

 この瞬間、今まで夢であると感じていた意識が、体が一致するのを感じた。

 

「―――――」

 

 興奮に思わず溜息が出る。

 そんな俺の意識に、室内の暗闇に光がさし、揺り籠から見上げると窓から月が見えた。

 それは黄金の満月であり、雲ひとつない満天の夜空だった。

 

 それは俺を祝福するかのように、とても美しい光景だった。

 あちらの世界で、美しいと感じた光景は何一つなかった。

 

 ――あぁ、今宵は良い夜だ。

 

 腐った己の深淵に、先の見えぬ闇に、暖かい光が差し込む。

 その光が俺の腐ったモノを浄化するのを感じた。

 その月光に照らされ、夜空が俺を見下ろす中で、

 

 誓いをここに。

 

 ――俺はもう一度頑張ろう。この新しい人生を。

 ――決して後悔することのないように、本気で生き抜いてやる。

 ――俺はもう、けっして後悔だけはしない。

 ――いつだって不敵に笑って、楽しく生き抜いてやる。誰よりも。

 

 左手を伸ばす。

 己の短き手では掴めない。月にも、星にも、手が届かない。

 

 黄金の月、曇りなき夜空は星が降るようで。

 俺が人生で初めて美しいと感じたこの夜空を、夜を、俺は決して、忘れることはないだろう。

 

 

 

 ――この誓いは、決して忘れはしない。

 

 

 


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