変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第十九話 貴女と共に、今日を生きる」

「――――」

 

 唐突に目蓋に白い光が差し込み、意識が浮上する。

 

 ここはどこだ。

 ゆっくりと視線を動かしてあたりを見渡す。

 気が付くと、俺は全く見知らぬ部屋にいた。

 

「……?」

 

 知らない天井。

 靡かないカーテン。

 電池の切れた時計。

 空気に舞い踊り光に反射する埃。

 冷たいベッド。

 近くの簡素な机には、白い花の花瓶。

 

「…………ぃっ」

 

 一体何が起きたのだ。そう言おうとしても喉が乾いて口が回らない。

 なんとなく推測を立てる。

 ここはおそらく病室なのだろう。

 冷たい体を起こそうとして、俺はバランスを崩した。

 事故にでも遭ったのだろうか。だとしたら最悪だと冷笑を浮かべる。

 

「おっとっ―――――、…………あ?」

 

 ふと上半身をベッドから上げる際、右腕に違和感を覚えた。

 目を向ける。

 右腕が動かなかった。

 それと同時に、全身という全身を熱が思い出したように肉体を駆け巡った。

 熱が暴れまわり、俺の意識を阻害する。

 

「あっ、ぐ――――!」

 

 声にならない叫びが病室に響くと、いつか見たことのある禿げ医者とナースたちがやってきた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 どうやら骨折だそうだ。

 2日ほど寝込んでいたらしい。慌ただしく何もできず退院処置が施された。

 退院後、俺は右腕を三角巾で吊るしタクシーで自宅に帰宅した。

 先ほど返還された指輪と端末をポケットに入れ、門扉を開ける。

 

「それにしても……」

 

 いつの間に骨折をしていたのか。

 どうやら俺は、事故にあったらしい。

 なんでも、大橋が崩れたときに巻き込まれたのだとか。

 

「まったく、俺も不運だな……」

 

 よりにもよって右腕。

 利き腕は少し困る。

 回復には、およそ2ヶ月もかかるらしい。

 大道芸の都合上、左腕も利き腕と同様に使うことができはするが、

 やはり不便だ。

 

「やれやれだぜ……」

 

 溜息をつきながら、空を見上げた。

 もう秋も終わりそうだった。

 コタツを押入れから出さないとな。クックック。

 

「――――」

 

 いや、そんな訳がないだろ。

 しっかりと俺は思い出していた。

 紅の世界。死の世界。

 虚構の世界。

 そして、

 

 ――地獄を見た。

 

 あの景色を覚えている。あの熱さを忘れるわけがない。忘れられるはずがない。

 臆病風に吹かれ逃げ出した。運命との追いかけっこ。

 街が無かった。人は誰もいなかった。苦しくて立ち止まってしまった。

 運命に追いつかれ、一度は絶望に屈した。あの苦痛の記憶を忘れるわけがない。

 だが、

 

「それから…………」

 

 それから――――――どうなった? 思い出せ。

 何が起きた? 思い出せ。

 

「それから――――」

 

 頭の芯がズキズキと響く。急激な痛みが頭蓋を駆け巡るが、今は無視する。

 園子と会えた。会話をした。死星を見た。花を見た。下を向いた。思い出を見た。

 そして、そして、そして……? 

 

「アプリだ」

 

 あの時光った謎のアプリ。あのアプリを起動した。

 それで確か、

 

 ぁ

 

 

 ---

 

 

 

 ・

 

 

 

 ---

 

 

 ……思い出せない。

 頭が痛む。魂が軋んでいる。

 まるでそれを思い出す事こそ、本当に死を呼ぶと言わんばかりに。

 

 ただ、僅かに覚えているのは。

 記憶に靄がかかったように黒く、昏い何かに包まれて、安心したような感覚。

 鍵が掛けられたような感覚。何をしても決して思い出せない物。

 

 ただ、微かに記憶しているのは。

 誰かに抱きしめられたような、暖かい何かを得て。

 それと同時に何かを失ったような、そんな気がした。

 

「園子は――――、……どうなった?」

 

 事故に遭遇した人の中では、そんな人はいなかったらしい。

 

「なんだよ、一体……何が」

 

 情報が足りない。

 片手で携帯端末を開く。

 あのアプリ。黒百合の花の背景で螺旋が踊るあのアプリ。

 

「たしか、『Y.H.O.C.』だったよな……」

 

 だが、いくら探しても出てこない。検索にもヒットしない。

 霧のように消失でもしたのか、元から無かったように影も形も無かった。

 あの逆樹のアプリも無かった。一体どういうことだろう。

 

「―――――」

 

 結局、あれからどうなったか、なに一つ手がかりは掴めなかった。

 

「―――入るか」

 

 俺は玄関で何をやっているのだろうか。ひとまず家に入ろう。

 なんにせよ、自宅には帰ることができた。

 負傷はしたけどそれだけ。手はいずれ回復する。

 まさか、全部夢だったなんて到底思えるはずがなかった。

 

「ただいま……」

 

 俺は自宅のドアを開けて、一人呟いた。

 応えるものは誰もいない。

 その日は、眠れなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 もともと一人暮らしだったが、

 片腕ということもあって、非常にハードな生活を強いられていた。

 最初の頃は辛うじて御飯は炊けるので、惣菜とサプリでなんとかしていたが、

 それを見かねた友奈が俺の世話をすると申し出てきた。

 「サプリじゃお腹が減っちゃうよ!」と。

 

 いやいや友奈さんよ、お前ご飯作れないでしょうが。

 全部お母さんにやってもらっているでしょう? 

 確かに外食ということも考えた。

 だが、こんな姿で外をうろつきたくはなかった。

 無駄に人の視線が刺さるのは非常に不愉快で仕方なかった。

 

「いいから、大丈夫だって」

 

 だから、友奈の誘いを俺は断っていた。

 これは俺の問題だからいいよと、同情ならいらないと拒否した。

 だけど、片腕の生活は予想を遥かに超えるほど厳しくて、

 慣れるのに随分と時間が掛かってしまい、

 学校では、気が付くと彼女が俺の介護係として決まってしまった。

 

 だから、これ以上彼女に情けないところは見せたくなかった。

 見せられないのに、なぜかいつも以上に彼女は頑固で譲らなかった。

 どうしても私生活で俺の手伝いをしたいのだという。

 

 そんな友奈を見るのは珍しく感じた。本当に珍しく、俺たちは口論した。

 だけど、俺も家の中にまで来て生活を手伝って貰うのは申し訳が立たない。

 何より友奈がそこまでする理由がないので結構ですと、結局玄関の扉を閉めた。

 

 それなのに。

 その次の日も。

 また次の日も。

 更にその次の日も。

 

 チャイムの音と共に扉を開けると、友奈は俺の家の玄関で佇んでいた。

 晴れた日も、曇りの日も。

 いつも決まった時間に、友奈は俺の家を訪ねてきた。でも俺は断った。

 その繰り返しだった。

 ここまで来ると、意地と意地の張り合いだった。

 

 そんな戦いとも呼べない何かは、そう長くは続かなかった。

 決着はすぐだった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 あれから5日目。

 その日は雨が降っていた。

 秋から冬に替わる間の雨。冷たい雨が降りしきる。

 シトシトと冷たい雨が曇天模様の黒い化粧を作る。

 

「………………」

 

 いい加減諦めて欲しかった。

 理由を尋ねても、なぜだか黙っているばかりだった友奈。

 俺を見て笑うんじゃなくて、不安そうな顔を浮かべるばかり。

 そのくせ、俺の顔色を上目遣いで窺うことになんとなく苛立った。

 

 俺が頑なに断るのに、なぜか首を縦に振ろうとしなかった。

 いつもなら、「大丈夫だよ」と言ったら「分かったよ!」と空気を読むスペシャリスト。

 正直珍しかった。今まで見たことのない彼女。

 そんな彼女が、どうしてそこまで俺の生活を助けたいのか分からなかった。

 

「………………ん」

 

 時計の針が小刻みに鳴る。

 テレビを消してソファに横になり目蓋を閉じる。

 目を閉じると、外で降っている雨の音と心臓の鼓動が耳朶に響いた。

 片目を開いて時計を見る。

 

「――そう言えば、この時間帯か……」

 

 今日はチャイムが鳴らなかった。

 ようやく諦めたのだろうか。勝ったと思いつつ、残念がる自分がいるのは無視した。

 

「―――――」

 

 変な予感がした。気配というべきだろうか。なんとなく体を起こして、玄関に向かう。

 素足に伝わる廊下のひんやりとした感覚が少し肌寒かった。

 流石にいるはずがない。こんな雨なんだ。諦めただろう。

 そう思いながら、俺は家の戸を開ける。

 

「―――ぁ」

 

「…………」

 

 玄関の戸を開けると、友奈がいた。

 雨が降る中で、服は随分と水を吸っていて黒く染まっていた。

 赤い髪から水が滴り落ち、潤んだ薄紅色の瞳には少年が映り込んでいた。

 しばらく、ルビーのような緋色の瞳とガーネットのような昏い瞳が交じり合う。

 

「……なんで」

 

「……チャイム、鳴らなくて」

 

「――――。風邪……また引くぞ。……入れよ、友奈」

 

「……うん」

 

 その姿があまりにも寂しげで悲しげで、だから俺はその冷たく柔らかい手を引いて家に招いた。

 体から滴り落ちる水滴を友奈は気にしていたが、そんなものは後で拭けばいい。

 体温が下がった彼女を乾いたタオルで拭く。

 ワシワシと髪を拭かれるのを、目を閉じて俺にされるがままな少女。

 

 それから慌ててお風呂の用意をして、友奈を入浴させている間に濡れた服をハンガーに掛け、彼女の着替えを用意した。用意しながら思った。

 

「――――」

 

 あーあ、招いてしまったよと、少しだけニヤけながら思っていた。

 一度例外を作れば、今後はズルズルと行くのだろう。

 それならしょうがないと、そう考えながら脱衣所へと向かった。

 

 初めての喧嘩、と呼べるような何かは、こうして幕を下ろした。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そう。結局俺は根負けした。

 予想以上に頑固で強情な少女に負けてしまったのだ。

 妙なプライドはそれっきりで鳴りを潜めた。

 

 そのあと、お風呂上がりの彼女と話をした。

 風呂上がりでほんのりと頬が上気する少女に少しドキドキしながら、今後について話をする。

 聞くところによると、既に両親から許可を取ったという。

 凄まじい行動力と、あの体育会系の両親らしいと思った。

 

 俺個人としては、ただ与えられ世話をされるだけの生活は嫌だったので、

 家事などの仕方を俺が友奈に教えるということで妥協した。

 もともと1人で家を切り盛りしてきたのだ。

 ある程度のことをやらせるつもりだ。

 もうすぐ中学生になると言っても、小学生ならば家事のやり方なんて知らないだろう。

 料理は火や包丁を使うので大きくなった時に、と約束をした。

 正直ままごと程度の感覚でしかなかったが、せっかくなのでしっかりやることにした。

 

 「家事を覚えたら、友奈のお母さんもきっと喜ぶぞ」と言ったら、

 ようやく友奈も、俺に少しだけ笑った。

 

 

 

 ---

 

 

 

「これぐらいでいいの?」

 

「そう、そっと注ぐんだ」

 

「うん!」

 

 まず、洗濯のやり方を教えた。

 洗剤の量、洗濯機の使い方。

 太陽が眩しい日に、洗濯物を外に干した。

 太陽光を浴びて、洗濯物がふきながしのように翻った。

 

「ここは、折り目に沿ってたたむんだ」

 

「……こう?」

 

「そうそう。友奈、手際いいじゃないか」

 

「えへへ……ありがとう」

 

「それじゃ、今度は一人でやってみて」

 

「うん!」

 

 夕方には乾いた洗濯物のたたみ方を教えた。

 初めてで戸惑う彼女の横で、服のたたみ方を懇切丁寧に教えた。

 そういった日常生活で必要な術というか。

 花嫁修業というのだろうか。そういった事を教えつつ手伝って貰う。

 

「…………」

 

「亮ちゃん、大丈夫?」

 

「ん? 大丈夫だよ」

 

 口にはしなかったが、なんか通い妻みたいだなと思った。

 そんな風に、新しくできた弟子の横で、

 俺は片腕を吊りながら、日々成長する彼女を見守っていた。

 

 その修行と呼ぶべき物は、本人の口から友奈のご家庭にも伝わったようで。

 もともと以前の風邪の看病など、年単位で関わることが多くなった結城家には、

 以前から莫大な信頼を得ていると自負していたのだが。

 

 後日、食材の購入のためスーパーに行くと、友奈のお母さんに遭遇した。

 友奈のお母さんは、「最近娘が手伝ってくれるようになったのよ〜」と喜んでいた。

 随分と感謝された。ついでに、「お義母さんと呼んでもいいのよ?」とも言っていた。

 

 いえいえ、まだ早いですよ。友奈は可愛いですからね、お母様。

 あらあらうふふ~な笑い声とクツクツとした笑い声が混ざる中。

 スーパーで、やや恥ずかし気に顔を赤らめる友奈を出汁に、主夫と主婦のトークが進んだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

「亮ちゃーん!」

 

「……よお、いらっしゃい」

 

「えへへ、結城友奈、参りました!」

 

「うむ。入るが良い、曹長」

 

 片腕では行動範囲が限られる中で、友奈は毎日引き篭もり気味の俺の家を訪ねてきた。

 一度許してしまったら、本当に毎日来るようになった。

 もともとコンビニよりも近い場所に位置すること。

 というよりも自宅のお向かいであること。道を挟んですぐだ。

 勿論、彼女本来の図々しいというか、グイグイとどこまでも進む性格であることもそうなのだろう。

 

「そういえば、もうすぐ2年か……」

 

「わっ、もうそんなになるんだ!」

 

「時が経つのは早いな」

 

「そうだね〜!」

 

 そろそろ1年と半年以上の付き合いを、学校でも私生活でも過ごす中で。

 冗談抜きで俺は誰よりも、友奈と加賀家で一緒に過ごす時間が増えた。

 「最近誰よりも亮ちゃんと一番お話ししているよ!」って言われた時は、ちょっと反応に困った。

 なんとなく、じゃれついて誤魔化した。

 

 それからは、ゆったりと時が進んだ。

 

 時には、友奈の宿題を一緒に解いてあげた。

 その日分からなかった授業の内容について復習をしあった。

 時々一緒に昼寝をしてしまうこともあったが、目覚めた時に目が合うと逸らされた。

 「何かしたの?」と聞くと、「何もしていないよ!」とそっぽを向かれた。

 

 時には細々とした家事を教えた。

 集中力は高い彼女。スポンジのように吸収していく彼女が面白くて、ついつい真面目に教えてしまった。

 

 時には「お泊りしてもいい……?」などと上目遣いで聞いてくるので、

 いいよーと笑いながらお酒をジュースと偽って飲ませたら、お互いにとって悲惨なことになった。

 内容はお互いの名誉のために公言はしない。

 死なば諸共。共通の秘密を握ることになった。

 

 時にはお風呂に入っている時に突撃をした。……友奈が、俺に。滅茶苦茶背中を洗われた。

 いずれ報復を予定している。計画の内容は極秘事項だ。

 

 そんな中で、加賀家には私服や歯ブラシを始めとした友奈の私物が増え始めた。

 もう聖布を盗む必要は無くなったのだ。本物がすぐそこにあるのだから。

 神樹ではなく友奈本人に拝をすると、ワタワタして慌てていた。

 「私じゃなくて神樹様にね?」と優しく怒られた。でもコッソリ友奈を拝むことにした。

 

 時には友奈に誘われて秋の紅葉を見に行った。

 木という木が銅色や金色、燃えるような朱色に染まる秋の木々。

 血の滴るような真っ赤な山の紅葉がちょうど友奈の頭に落ちたので、取ってあげた。

 「ありがとう!」と言ってソレを受け取る友奈に対して、「まるでデートみたいだね」と茶化すと、

 「デートだよ!」とにへらっと笑いながら言い返してきた。

 ――言うようになったじゃないか小娘が……なんて思いながら。

 俺から目を逸らす彼女の頬がうっすらと朱色に染まっていたように見えたのは、

 秋の紅葉が光を反射したからということにしておいた。

 秋の名残が町の街路樹を彩る中を、俺たちは散歩した。

 

 時には、特に話すことがなくても一緒にいた。それだけだった。

 雨が降る中で、俺が本を読み、友奈が押し花を作るだけ。

 特に何か話題がある訳ではない。

 だけどもこの空間では無言が苦痛でなく、

 時々お互いの存在を確かめるべくそちらを見て、ちょうど目が合うと思わず微笑みあった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 気が付くと季節は11月になり、寒くなってきたのでコタツを早めに出すことにした。

 腕が回復しないと何も行動できないので、家で友奈とゴロゴロ。

 寝る時には、勇者服で寝ると治癒力が上がると初代からの助言を貰い、パジャマとして使った。

 ちなみに、初代もアプリ使用後の記憶はないという。

 

 そんなゆったりとした生活の中で、少しずつ紅の悪夢を見る頻度が減った。

 ようやく、この頃からまともに眠れる日が少しずつ増え始めた。

 今の俺にとって、友奈と過ごす日々に恥ずかしながら、精神的に随分と助けられたのだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 コタツに二人。

 ストーブを点けているのに、彼女となんとなく肩を寄せ合う。

 触れ合って分かる人肌の暖かさに涙が出そうになる。最近はいつもこうだ。

 

「どじゃーん!」

 

「おおっ、肉じゃがじゃないか」

 

「へっへー。お母さんの自慢の一品なんだって」

 

「おいしそうだな。友奈のお母さんって、本当に美人で良い人だよね~」

 

 リハビリついでに編んでプレゼントした手編みのセーターを着る友奈。

 そんな友奈を見れば分かるように、その母親も実に可愛らしかった。

 綺麗系ではなく、こう……大人の中に残るあどけなさというか。

 スーパーや結城家で話すのが結構楽しかった。

 中の人的に非常にグットだった。

 人妻なのもさらに萌えた。浮気は燃える。

 

 ――そうだ! 明日は親子丼にしよう。そうしよう。

 

「…………」

 

「うん? どうかした?」

 

「……ううん」

 

 少しばかりムスッとした友奈。微妙に思考を読まれたのか……? いや、違うか。

 最近気が付いたのだが、彼女の他の人に対しての態度は、大抵笑顔で空気を読む良い娘なのだが。

 

 俺と二人きりの時は、スッとしたり、泣いたり、目で語り掛けたり、触れ合いを求めてくる。

 これはどういう心境の表れなのだろうか。分かりづらい。

 

 友奈がジャガイモを箸で持って、俺の口に近づけてくる。

 至近距離で見るジャガイモは白い湯気を放ち、黄金色に近い色。仄かな香りが食欲を擽る。

 

「ん? どうした?」

 

「あーん」

 

「……いや、いいよ。自分で食べられるし」

 

「………………」

 

「わ、分かったから。そんな目で見ないでくれ。友奈に拗ねられると、どうしたらいいか分からなくなる」

 

「……拗ねてないもん」

 

 もんって。本当にどうした? 

 俺が怪我をしてから、なぜか随分と親身に世話をしてくるようになった少女。

 箸で渡される芋を頬張りながら俺は思った。

 

 宗一朗よ、お前の言う通りだったぞ。

 物理的に弱さを見せることになったけど、結構効果があるじゃないか。1ポイントやろう。

 原因が思い浮かばないし、なぜか全く嬉しく無かったのが残念だったが。

 

「ねぇ、亮ちゃん。今度料理も教えてくれない?」

 

「腕が治ったらね……」

 

「約束だよ?」

 

「――分かったよ」

 

「やったー!」

 

 そんな風に、俺が家事を教えて、友奈が家事を覚える。

 結城家からお裾分けでおかずが届いたりすると、

 俺も張り合って左手一本でおかずを作ってお裾分け返しをしたり。

 ご近所(お向かい)付き合いも良好だった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 12月。

 寒さが本格的に増す中で、ようやく俺のギプスが取れた。

 

「遂に俺の右腕が封印から解き放たれたのだった……」

 

『誰に言っているんだい、半身。頭大丈夫かい?』

 

「辛辣かよ」

 

 初代には退院後、何度か夜会に招かれた。

 あの件について話し合ったが、どうにも記憶にないというか、

 初代曰く、あのアプリが指輪世界に干渉して外の世界が見られなくなったらしい。

 外を見ることができるようになったと思ったら、俺は大橋の近くにボロボロで倒れていたらしい。

 

 今、俺は指輪を通じて初代と話している。

 状況としてはリア充が携帯片手にベッドの上で、

 彼女とおやすみの前にラブラブな言葉を吐き合っていると思ってほしい。

 ただし、話している内容は血を吐くような嫌な内容だが。

 

 この携帯電話的な機能についてだが。

 どうも一度夜会に招かれた事と、勇者適正値の上昇で可能になったらしい。

 便利でいいね。

 指輪に目を向ける。

 

「本当に何も覚えてないんだよな?」

 

『キミも大概しつこいね。しつこい男は嫌われるよ』

 

「そのセリフはモテる女にしか言う権利はない」

 

『ふむ……、最近は少し元気になったじゃないか。少し前まで死にかけだったのが嘘のようだね』

 

「―――――」

 

 クツクツと笑う声に思わず押し黙る。

 ベッドに横になり、解放された右腕を顔に押し当てる。

 部屋の電気が腕に遮られ、一時的に視界に闇を形作る。

 

 地獄の夢は、俺にとってだいぶトラウマになったらしい。

 今まで小手先の技術を学んで強くなったと勘違いしていた馬鹿には良い薬だったが、

 効きすぎて全く眠れないことが問題だった。

 

『そのせいで、余計に誰かさんに心配も掛けさせているしね』

 

「…………初代」

 

『なんだい……?』

 

「おやすみ」

 

『あぁ、良い夢を』

 

 久しぶりに、紅の夢を見た。

 でも、眠れないことは無かった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それからも、俺の家に友奈はよく来た。

 最初は治った右腕を見せつけるとちょっと微妙な顔をしているのが気になったが。

 俺があるものをプレゼントすると、随分と喜んでいたのを覚えている。

 なんとなく喜んでいるついでに、俺は友奈を抱きしめた。

 

「亮ちゃん……どうしたの?」

 

「……いや。友奈、今までありがとうって意味で。そして」

 

 そっと抱きしめた体躯から離れて彼女の目を見る。

 こちらを見る瞳は俺への信頼と、他にもいろいろな物が混ざっていた。

 それらはよく分からなかったが、言葉にしないと伝わらない物があることを俺は知っている。

 だから、

 

「そして、これからも俺の家に来てくれると、俺は嬉しい」

 

「――、うん!」

 

「―――――」

 

 にへらっとした彼女の笑顔は、いつもよりも妖艶で可憐に見えた。

 これだけでそこら辺の男ならきっと撃沈するだろう。

 だって現に、俺はそれに見惚れていたのだから。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それからもあっという間だった。

 クリスマスの日には、サンタだってやっているしいいだろうということで、深夜に友奈の部屋へ窓から侵入してプレゼントを置いた。

 色々危なかった。

 大晦日から正月は、結城家で過ごさせて貰った。

 途中で加賀本家にも帰った。

 夜会で世間話をしたりした。

 

 そこら辺は、いずれ語る時がくるのかも……しれない。

 

 

 

 ---

 

 

 

 3月。

 卒業式も終わり、俺たちは小学校を卒業した。

 とはいえ、讃州小学校から讃州中学校に変わる程度なのだが。

 

「亮さん!」

 

「俺たちは、永遠に紳士で、友達さ!」

 

「亮さんっ!!」

 

 他の中学校に行く男たちとあつーい涙とハグを交わし。

 同じ中学校に行く紳士達とは、またよろしくと笑いあった。

 

 桜が舞い散る中、一人帰宅する。

 今日は友奈とは別々だ。

 一人帰る中で、俺は自分との対話をする。

 

「――――――」

 

 結局、俺には何かを変えられたのかは分からない。

 園子に頼まれた“わっしー”という少女も行方が掴めない。

 園子自身の行方も分からない。

 結局アプリも消えたまま。

 あれからまだ一度も、勇者服に変身してあの場所には行っていない。

 

 ただ無様に暴れまわっただけ。

 何も掴めず、何もこの手には残らなかった。

 抗った先にある、その果てにある結果すら分からなかった。

 

 俺は忘れない。

 あの虚構に満ちた世界。あれこそがこの世界の真実だと知ってしまった。

 

 だがそれでも。

 あの世界が真実だと受け入れ、自分の中で折り合いをつけることは出来た。

 それはこの数ヶ月、傍にいた誰かさん達のおかげ。

 それでも随分と時間が掛かってしまったが。

 

「―――――」

 

 なんとなく首元の指輪を弄る。

 情報が得られなくても、初代との会話は随分と気が楽になった。

 今度の夜会には何かプレゼントをしようと思っている。

 リアクションが楽しみだ。

 

 あの地獄に関して、友奈に相談なんてできる訳が無かった。

 「何か隠しているよね?」という追及を躱し続けるのは非常に骨だった。

 「えっ、なんのこと?」と聞くと、「分かるよ、亮ちゃんのことなら……」と笑っていた彼女に驚いた。

 彼女との付き合いも、もう2年が経過したのか。

 

 桜並木を通る。

 今年も桜が咲き誇る。風が吹くと、雪のように桜の花びらが降ってきた。

 桜が足元に散り敷いて雪のようだった。

 なんとなく、上を向いて歩いてしまう。

 

「―――――」

 

 きっと、いつかアレと対決する時が来るだろう。

 なんとなく分かる。

 運命はあの時、俺を取り逃がした。

 俺は逃げ切ったが、近い未来にまた対峙することを直感した。

 その時がどうなるかなんて、俺には分からない。

 

 未来のことなんてどうなるかは分からない。

 人生は、選択の積み重ねで出来ている。

 決まった運命なんて物は無い。

 だって俺が抗ったように、運命には反逆することができるのだから。

 

「ん? ――――引越しか?」

 

 加賀家が見えてきた。

 ふとお向かいさんの家の、隣の家に目を向ける。

 やや大きめのお屋敷。

 園子の家ほど大きくはない武家屋敷。

 

 運搬用の大型トラックから、荷物が運ばれていく。

 

「あとで様子を見に行くか……」

 

 新しい出会いの予感がした。

 だが今は素通りする。

 そうして、俺の家の前に辿りつく。

 取っ手に手を伸ばす。

 

 そうそう。

 冬の日。俺の右腕が完治した日のことだが、俺はあるモノを友奈にプレゼントした。

 それには、別にお手伝いの必要性が無くても、家にいつでも来ていいよという思いと、

 結城友奈になら、それを託せるという信頼を込めた物。

 ついでに言うと、

 チャイムのたびに玄関で待たせるのが申し訳なくて、ようやく渡せたという思いもあった。

 

「ただいま……」

 

 家の扉を開ける。

 そのプレゼントは、俺の日常を少しだけ変えた――。

 

 友奈が廊下に出てくる。

 こちらを見てルビーのような瞳を輝かせて、にへらっとした笑みを浮かべた。

 

「おかえり!」

 

 ――それは、自分の鍵を使うことが減ったことだった。

 

「ただいま……友奈」

 

 

 




【第二幕】 小学生の章-完-


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