変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第二十三話 暖かくささやかな幸せ」

 5月の中旬。

 中間テストが終わった。

 同時に、ある一人の少女の点数も終わっていたことが判明した。

 

「ねぇ、友奈ちゃん。私あの時、ちゃんと言ったよね……」

 

「…………はい」

 

「…………」

 

 俺には何もできない。

 ――悲しいね。

 そう思うことしか、他人事で目の前の状況を見ることでしか、隣にいる般若の恐怖から逃れる術を俺は知らなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 俺は今、東郷宅にお邪魔している。

 友奈の家の隣と、非常に近くて距離的にも楽だ。

 最初に訪れた時は大きいなーとは思ったが、園子の家ほどではないな、ぐらいの感想だった。

 武家屋敷特有の長い廊下を通り抜けると、

 東郷の部屋――紛らわしいな――美森の部屋に案内された。

 

 しばらく東郷と他愛もない雑談をしていると、友奈が来た。

 非常に小動物のような動きをしている。

 目を合わせようとしても、絶対に見ないという強靭な意思を感じる素早さで眼球が動いている。

 

 本日はテストが返ってきたので、そのまま直で東郷の家に遊びに来た。

 無論、友奈の点数も問いただすためでもある。

 今日は一緒に帰ろうと誘っても渋るので先に来てしまった。

 そういう訳で彼女は、時間をかけて緩慢なる動きでここまで来たらしい。

 

「――――」

 

 俺はそっと友奈の顔を見る。

 あぁ――。

 死刑を待つ囚人の顔なんて生前も今世も終ぞ見たことなんてないのだが、

 きっとこんな顔だったのだろう、そんな感想を思い浮かべた。

 

 東郷はベッドに座って友奈を見下ろす。

 俺は手持ち無沙汰に東郷のベッド近くに腰を下ろす。

 ついでに彼女の黒タイツに覆われたおみ足をさりげなく流し目で眺める。

 友奈は座布団に座り、震えていた。

 

 三者がそれぞれの思いを持ち、全員が集ったところで、東郷が口を開いた。

 早速、正座で座る彼女に追及を掛けるべく東郷ママが出現する。

 

「ねぇ、友奈ちゃん。早速だけど試験の結果を見せてくれないかしら?」

 

「――えっと、それが東郷さん。答案がどこかに、いっちゃったみたいで……」

 

「ここにあります」

 

「ぇ」

 

 友奈が引きつった笑みを浮かべ抵抗しようとするので、とどめをさす。

 目の前に裏返しにした彼女の答案用紙を置く。

 

「なぁ友奈、お前の口から東郷さんに言うんだ。今なら罪も軽いぞ」

 

「――――、はい……」

 

 準備が整ったので、東郷ママに頷く。

 俺の合図を理解したらしい東郷は友奈に点数を聞く。

 逃れられない状況に観念したらしく、友奈はポツリポツリと点数を吐いていく。

 ちなみに答案の点数自体は俺も聞いていない。

 

「えっと、まず理科が73点……」

 

 その後もポツリポツリと点数を述べていくが、どれも平均程度だった。つまり普通程度ではあった。

 そして、社会、国語、英語ときて、最後に聞くべきは数学の点数だけになった。

 東郷が尋ねる。

 

「それで、数学は何点だったの?」

 

「――っ」

 

「友奈ちゃん?」

 

 あっ。

 この瞬間、俺は察した。

 

 この反応は恐らく数学は赤点だったのだろうと。

 同時に思った。確か讃州中学校の赤点は35点未満だった。

 まぁ中間だし大丈夫だろうと楽観的な俺の思考すら凍りつかせる一言が、

 彼女の紅椿を思わせる形の良い唇から僅かな震えと共に発せられた。

 

「8点……」

 

「……? 略さずに頼む」

 

「だから、その、8点でした……」

 

「――――」

 

 思わず俺は彼女に聞き返してしまった。

 8点とはなんだろうか、28点とかの8点ということだろうか。

 …………。

 ところで、8という数字を横にすれば、無限になるなと俺はたまに思ったりする。

 無限って言葉は素敵だなって俺は思う。無尽蔵のエネルギーというのは男のロマンで……

 

 バンッ! 

 

 思考が遠くへ旅立とうとすると、何かを叩く音が聞こえてくる。

 反射的に音の方向に目を向けると東郷がテーブルに手を叩きつけていた。

 彼女の華奢な体が震えている。寒いのだろうか、それはないだろう。

 

「と……東郷、さん」

 

「友奈ちゃん……」

 

 震え声の友奈がおそるおそるといった具合で東郷に話しかける。

 その時、俺は見た。

 そこには目を限界まで見開き、静かにブチ切れた般若が降臨していた。

 

「……だから、私言ったよね。勉強会開こうか? って。

 部活だけじゃなくて、きちんと勉強にも精を入れるって約束したよね、友奈ちゃん」

 

「は、はい……」

 

「約束を破り、あまつさえ赤点。しかも8点。友奈ちゃん!!」

 

「ごめんなさーい!!」

 

 教育ママにがっつりと叱られる娘。

 俺はそれをぼんやり見ていることしかできなかった。

 完全に自業自得なので助け舟を出す気にもなれず、

 あれほど大丈夫と言ったのは何だったのだろうかという残念感が胸中に過る。

 

「…………」

 

 東郷が友奈をお叱りしている間、俺にできることは、

 黒のニーソックスと黒のタイツはどちらがいいかの議論を脳内で交わすことだけだった。

 ガーターベルトには興味はない。

 

 

 

 ---

 

 

 

 ――つまり、黒のハイニーソが生み出す、太ももとスカートの間の絶対領域こそが……

 

 ――異議あり! 議長。黒タイツには即ち、破くという禁断の奥義が……

 

 ――ん? 議長! 外をご覧ください! 

 

 ――なんだね……これは!? 

 

 東郷の友奈への説教に時折相槌を打つふりをしながら、俺は長考に更けていた。

 一人五役で行う重要な討論も既に1時間が経過した。

 

 黒ニーソと黒タイツの討論が盛んに進む中(ちなみに、白は全会一致で否決になった)、

 気がついたら東郷の長ーいお説教が終わり、躾のお時間らしい。

 東郷の御膝に友奈がうつ伏せになる。

 長時間の説教にぐったりとした友奈は既に息絶え絶えの様子だ。

 

「――――」

 

 改めて女子の制服を見る。

 オフホワイトのプリーツワンピースに胸元の赤いリボンが目立つグレーのショートジャケット。夏服もあるが、それはまだだ。

 東郷はその上に学校指定のカーディガンを着たりして暖かくしているなど個性を感じる。

 東郷の御膝の上でお仕置きを待つ友奈。

 彼女の制服のスカート部分が捲られ、パンツもずり下げられ、可愛いお尻が外部に姿を現す。

 

 パチンッ! 

 

 既に刑がスタートしていた。

 東郷も俺がいるのだから尻叩きは控えるだろうなと思っていたが、そんなことは一切なく、むしろ逆効果だったらしい。今回は本気で怒っているご様子。

 

「――ぁぅ」

 

 唐突な痛みが奔ったのか、友奈はうめき声を上げる。

 制服という日常でよく見る中で浮かび上がるスカートの中の白い臀部。

 ぷっくりと肥えた尻肉は東郷の手が叩くとパチンと大きな音を立て、振動に揺れる。

 同時に、白い桃に微かに朱色が帯びる。

 

「反省しなさい、友奈ちゃん!」

 

「東郷さん! 待ってよ。りょ、亮ちゃんがいるから……」

 

 パチンッ! 

 

「言い訳は聞きません! 手をどけなさい!」

 

「ひぅ! …………うぐっ!」

 

 どうやら完全に東郷もキレたようだ。俺がいようがいまいが関係ないらしい。

 まぁ、これで反省してしっかり勉強してくれることを祈ろう。

 友奈も嫌なら逃げればいいのにと思うが、なまじ良い子で実際に赤点を取ったことへの罪悪感で動けないのかも知れない。

 

 今回の件で俺も決めたことがある。

 東郷……さんのことはできるだけ怒らせないようにしよう。

 もしも彼女を怒らせた場合は、俺の持ちうる全てを使い全力で撤退し、時の経過が解決してくれるのを待とう。

 俺はそんな決意をしながら、友奈へのお仕置きを見届けるため己の眼球の神経に力を注ぐ。

 

 パチンッ! 

 

「友奈ちゃん」

 

「……んっ!」

 

 一発一発に怒気のこもった平手。

 魂がこもったような容赦なき一撃は東郷さんの掌を赤く染めるが、同時に友奈のお尻も、頬も一撃ごとに赤く染まっていく。

 

「――――約束破って、ごめんなさいは?」

 

 パチンッ! 

 

「んっ……ご、ごめんなさい……」

 

「もう一度!」

 

「約束破って、ごめんなさいっ!」

 

 手の跡が残るんじゃないかと思うような音と共に揺れる桃尻。

 東郷さんの掌が友奈の臀部を叩く度、彼女からは嗚咽が小さくこぼれる。

 叩かれる度に桃尻が揺れ、内腿が痛みにより自然と内股になる姿は臆病なウサギを連想させた。

 

 パチンッ! 

 

「――――嘘ついて、ごめんなさいは?」

 

「……ぅっ……嘘ついて、ごめんなさいっ!」

 

 ついに羞恥か痛みによる生理的なものか、

 それら全てが混ざり込んだ恥辱の念が友奈の目尻から涙という形で溢れ出す。

 

 謝罪と共に息がこぼれる。

 必死で俺から臀部を隠そうとする手が遂に崩れ落ちた。

 手に握られていた8点の答案が中空を漂い、重力に従いやがて畳に落ちる。

 だが、この場にいる誰もそれを気に掛けることはなかった。

 

 彼女が羞恥を帯びた顔を俺に向け、助けを求めてくるが、俺は断る。

 彼女の正面に回りこみ、目からこぼれる涙を指で拭き、顎を持ち上げ赤い瞳を覗き込む。

 

「なぁ友奈。俺さ、あのとき言ったよな。本当に大丈夫かって?」

 

 東郷さんに一度手を止めてもらい、友奈と少し話をする。

 全身を小刻みに震わせるその姿は同情を感じさせるが、ここで甘やかす訳にはいかない。

 

「――うん」

 

「それでお前、俺に大丈夫って言ったよな。でも結果は赤点だ。数学だけだからいいって訳じゃない。赤点を取らないと約束をしたにもかかわらず、結局取ったことに俺も東郷さんも怒っているんだ」

 

「――――っ」

 

「お前は結果的に、俺や東郷さんに嘘を吐くだけでなく、何よりも自分自身を裏切ったんだよ」

 

「――――ごめんなさい……」

 

 俺から告げられた事実が頭蓋に浸透したかのように友奈は大きく瞳を広げる。

 勉強を疎かにして赤点を取った。それによって起きた結果を目の当たりにする。

 呻くように、後悔するように、罪を告白するように、友奈の口から謝罪がこぼれる。

 

「ごめんなさい、亮ちゃん。東郷さん。

 私、今度から真面目に勉強頑張るから。赤点なんて二度と取らないっ……!」

 

「そうさ……赤点なんて取ったら勇者失格さ。でもお前は今、反省できたろ?」

 

「うん……」

 

「なら、お前は大丈夫だよ。友奈」

 

「亮ちゃん……」

 

 そっと東郷さんの膝に乗っている友奈の体を抱き寄せる。

 回される腕。

 背中におずおずと回される彼女の腕は、しっかりと力が篭もっていた。

 友奈は反省できた。

 ならばこの先、今回のような赤っ恥をさらすことはないだろう。

 幼馴染としての直感が告げていた。

 

 少しの間だけ抱きしめると、友奈の細い身体は温かくずっとこうしていたい気持ちに駆られる。

 至近距離で彼女に微笑むと一瞬きょとんとした後、にへらっとした笑みを浮かべた。

 そっと彼女とおでこを合わせるとしばし平穏な時が流れる。

 そんな中で俺は彼女の小さな耳にかかる赤い髪を払いのけ、

 ため息と共に彼女の耳朶に響くように囁く。

 

「……だけど、お仕置きはしないとね。ねぇ、友奈」

 

「なーに?」

 

「100引く8は……?」

 

「えっと、92。……!」

 

 気が付いたようだ。テスト前に俺が言った言葉をどうやら思い出したらしい。

 事前に東郷さんとも話をして既に決めてしまった。

 それ以前に、どの道結城友奈にコレを避ける術などもうない。

 そしてこれはある種の儀式であり、避けることはここにいる誰もが許さないだろう。

 

「さっきの分含めて、あと87回だから。頑張って」

 

「――――ぁ」

 

 その絶望の声は意識したのか無意識の産物か。

 そして、可愛らしいお尻に振り下ろされる無慈悲な平手。

 

 パチンッ! 

 

「友奈ちゃん。亮くんはそう言いましたけど、罰は罰ですから」

 

「あっ――――ひぐっ!」

 

 86

 

 友奈から離れて、俺は東郷さんの右隣へ移動する。

 ちょうど友奈の後ろに回りこむ形になる。

 いい景色だ、という感想を思い浮かべる。

 そのまま、一発一発に魂込めるべく力を溜める、怒れる少女に話しかける。

 

「東郷さん」

 

「何? 亮くん……?」

 

 ご乱心の彼女に、こちらに怒りが来ないように出来る限り俺は気遣うように微笑む。

 

「えっと、疲れたら言ってね。交代するから」

 

「ふふっ、優しいのね。ありがとう。それじゃあ遠慮なく」

 

 パチンッ! 

 尻肉は叩くほどに揺れ、赤い髪の少女からは嗚咽がこぼれる。

 振り上げられる手には手加減などない。

 躾という言葉は好きじゃないが、もうこれは誰にも止められない。

 

 85

 

 故に俺に出来ることはただ一つ。

 東郷さんの隣で、この光景を目に刻み込むだけだ。

 上がる口角は手で隠し、眉はひそめ怒ってますアピールは欠かさない。

 そして、東郷さんのお仕置きの一つ一つに友奈が鳴く中で、

 俺はゆっくりとカウントしていくのだった――――。

 

 

 

 ---

 

 

 

 7月。

 

「えっ、先輩モテたんですか?」

 

「勿論よ! アタシだってモテまくったんだからー!」

 

「へー」

 

 そいつの顔を見てやりたいと思いつつ、長靴を履いた足で川を探索する。

 途中見つける空き缶などのゴミをトングで回収し袋に入れていく。

 あれから時間は少し過ぎた。

 

 現在は放課後の部活動中だ。

 友奈はソフトボール部に助っ人として。

 東郷は将棋部に助っ人として。

 そして今回、仕事の無い俺と風は地域清掃ボランティアとして自主的に川での清掃活動中だ。

 

 何気に二人きりでの活動は初めてだなと思いながら手を動かす。

 その最中、同級生のチアリーディング部の女の子から頼まれた伝言を思い出して彼女に伝えた。

 来年もお願いします、という趣旨の伝言を伝えつつどういう事かを聞くと、

 なんでもチア部からのヘルプで助っ人をしたところ、偉く気に入られたという。

 

 凄いじゃないですかと俺は普通に風を褒めた。

 基本目上の人間には敬語を使い媚を売りつつ、弱みを握るスタイルを俺はしている。

 しかし風にはこれまでの付き合いを考慮して、そういうことはしていない。

 純粋に先輩、後輩としての付き合いを楽しんでいる。

 生前はこんな関係築けなかったからな。

 周囲との蹴落とし合いが酷かった……。

 

 そうやって適度に褒めつつ清掃活動に従事しながら雑談をしていると、

 彼女は「女子力が溢れ出してモテ期が到来した時があった」と勝手に語り出した。

 そんな風にドヤ顔するのと純粋に興味があったので聞いてみると、「え? 気になる? じゃあしょうがないな。可愛い後輩に教えてあげよう」と意気揚々と続きを話し始めた。

 

「実はチア部のヘルプに行った時、アタシのチアリーダー姿に惚れた生徒に告白されちゃったのよ!」

 

「ほうほう」

 

「しかも、2人」

 

「凄いですね……いつですか?」

 

「この前、うちの野球部が県大会まで進んだじゃない? その後で告白されたのよ〜!」

 

「おぉー!」

 

「それでねそれでね――」

 

 女子力というより家事力の高い目の前の少女を見据える。

 健啖家である目の前のブロンド髪の少女に入れ食いするとは、その男は見る目はあるらしい。

 それともチア部のユニフォーム補正だろうかと考える。

 6:4ぐらいだろうと思うことにした。

 

 それから、風の口から語られる内容を要約するとこうなる。

 ・チア部の助っ人として、大会中ずっと野球部の応援をしていた。

 ・大会が終わった後、その野球部の男子に屋上に呼び出された。

 ・お前のチア姿に惚れたんだ、付き合ってくれ!

 ・だが断る!

 

「えっ、そこでなんで断っちゃたんですか? 顔ですか?」

 

「いや、顔じゃなくてさ……なんか同年代の男子って、子供っぽく感じちゃうのよね~」

 

「あー……あるあるですよね、そういうの」

 

 なるほどね。よくいる年上がいい系女子。

 同年代は子供にしか見えない、精神が早熟するタイプ。

 俺の場合は、周りにいるのはぱっと見年上でも全員等しく年下にしか感じない。

 友奈も、東郷も、そして目の前の先輩も。

 

「その後も、その男子はアプローチをし続けたわ……その度にアタシは断ったけど」

 

「…………」

 

 その男はきっと一途だったんだなと思う。

 こんな風に調子に乗っている少女をずっと好きでアプローチしていたのだ。

 俺は知らないその男に心の中で敬礼をした。

 

「その後にね、また別の人からラブレターが届いたのよ。

 いや~、あの時はマジモテ期来ちゃったなって思いながら行ったのよ。そしたら……」

 

「ゴクリ」

 

「女の子だったのよ! 当然アタシにはそっちの気がなかったから断ったんだけど、愛の言葉を囁いてくるのよ。さて、困ったな~ってところで、さっきの男子が屋上に乗り込んできたの」

 

「修羅場ですね、ある意味」

 

「そうね~。片方女子だけど、アタシを取り合って口論をするシチュエーションっていいな~とか思っていたんだけどさ。アタシは蚊帳の外。それでその後どうなったと思う?」

 

「……仲良く屋上から飛び降りたとか?」

 

「それやったらアタシここにいないからっ! ……一週間後、その二人は付き合いだしたのよ。アタシへの思いを語るうちに、気持ちが通じ合ったとかで」

 

「――――」

 

「いや~、最近のアタシってモテて酷かったのよ。来年またやったら誰かのハートを射止めちゃったりして……アタシって罪な女ね」

 

 フフッと笑う先輩に俺は曖昧に笑った。

 笑うことしかできなかった。

 果たしてそれはモテたと言えるのだろうか。

 

「あっ、亮之佑。いくらアタシが魅力的でも、アタシに惚れないでよ?」

 

 は? 

 

「そうですね。風先輩は素敵な女子ですからね。先輩に惚れる男もきっと多いでしょうね」

 

「やだな~もう! 褒めても何もでないんだぞっ」

 

「ハハッ」

 

 もう一度言うが、笑うことしか出来なかった。

 決して鼻で笑わないようにだけはした。

 そんな俺の笑いを、ピタリと止める話題を風が出す。

 

「でも亮之佑、アンタも凄いわよね」

 

「えっと、何がですか?」

 

「結構噂になっているけど……アンタって友奈と東郷、どっちが本命なわけ?」

 

「…………え?」

 

「最近アンタ達の関係が結構噂になっていてさ。ちょっと気になって」

 

「……あぁ、そういう話ですか……」

 

 お前もなのか。

 最近、そういった揶揄いが増えてきた。

 友奈と東郷、二人との関係。

 

 曰く、友奈と俺が付き合っていて、東郷さんとは浮気をする関係だとか。

 曰く、両方とも自分のモノにして鬼畜なプレイをさせているとか。

 曰く、自分の家に連れ込んで新婚ごっこをしているとか。

 

 誰かがそんな風に噂をするようになった。最後あたりは微妙に間違っていないような気もする。

 これだけ噂が立つと周りは薄っぺらく笑ってきて「お前らって付き合っているのか」と聞いてくる。

 大きなお世話だと思うが、適当に誤魔化す。

 キリがないからだ。

 紳士達はそういうのを察して聞いてこないが。いい奴らだ。

 

「――――」

 

 正直そういう餓鬼の揶揄いは俺には鬱陶しくて仕方がなかった。

 鬱陶しいので、全員の弱みを握って一人一人確実に潰していくかを真剣に考えた。

 

 中学生というのは男女が一緒にいるだけで邪推を抱き、変な噂を流す。

 高校生も変わらないが、他人の浮いた話は噂のネタだ。

 

 そうして互いに気まずい思いをさせ、仲を悪くする。俺たちは現状そんなことはないが。

 生前でも仲良くなった子と変な噂を立てられ、苦く渋い思いを味わった。

 

「そうですね――」

 

 あぁ、本当に吐き気がする。

 お前らに一体何が分かるのだと思う。

 何も知らないお前たちが俺たちの関係に口を出すな。何様のつもりだよ。

 気安く適当なことを言って友奈や東郷を困惑させるなよ。

 

 そんなことを心の中で思う。

 冷たい苛立ちが、困惑が燻る。

 分かっているさ。

 所詮相手は中学生の餓鬼共。

 いちいち男女間に恋愛を持ち出して、そういうのを揶揄いたがる年頃だというのも分かっている。

 

「――――」

 

 だがこの思いは消えない。

 苛立ちは消えず、俺は咄嗟に笑う。笑うことしか出来なかった。

 

「俺にとって友奈も東郷さんも、本当に大事な人たちですよ」

 

「へぇ、どれくらい?」

 

「そうですね……」

 

 だが、目の前の少女については別でもある。

 お世話になっている先輩でもある。

 さっきの話のお礼もあるので真面目に話をする。

 

「――彼女たちの為になら、命を懸けられるくらいには、ですかね」

 

「そっか……二人ともいい子だもんね」

 

「はい」

 

 俺の返答を聞いて、風はふわっとした笑みを浮かべる。

 そこには先程の揶揄いの笑みはなく、大切な物を守る者の笑みがあった。

 慈愛に、敬愛に、友愛に、家族愛に。それらを含んだ―――――愛ある笑み。

 

 かつて宗一朗が、綾香が、俺に向けていた笑み。

 それと似た物を風に感じた。

 

「なんか……ゴメンね。変な事聞いちゃって」

 

「いえ、大丈夫ですよ。風先輩にもそんな人がいるんですか?」

 

「アタシ?」

 

 風。

 貴方という人の下で部活ができたことを俺は嬉しく思う。

 普段の言動はともかく、リーダーとして真面目で、人を思いやれる。

 サバサバしていてくどく感じず、心に芯を持つ。

 こういう所が俺は尊敬できるのだ。

 変に餓鬼臭くなく、俺はある種の尊敬の念を持って彼女に接している。

 

「アタシにもいるよ。妹なんだけどね……可愛いのよ、これが」

 

「先輩の妹なら、きっと凄く可愛いのでしょうね」

 

「……褒めてもあげないわよ?」

 

「……遠慮しておきます」

 

「何よー! アタシの妹が可愛くないって言うの!」

 

「いや、そうじゃなく」

 

 面倒くさい姉と本日の活動を終える。

 川から引き上げ、現地解散ということになった。

 道路が紺のリボンのように真っ直ぐに、一直線に伸びる。

 夕焼けの光で赤っぽく見える乾いた路上を風と二人で歩く。

 

「さっきさ、アタシは同年代の男子って子供っぽく見えるって言ったじゃない?」

 

「言いましたね」

 

 風が俺に話しかけてくるので目を向けると、偶然か目が合う。

 よくよく見ると彼女も瞳の色が緑だった。

 だが東郷ほど濃い色ではない。

 強いて言うなら、ペリドットグリーンと言おう。

 

 その薄緑色の瞳と目を交わらせながら歩く。

 巨大な爬虫類の様な硬いアスファルトの感触をゴムの長靴の靴底に感じた。

 

「でもさ~、なんか亮之佑ってどうしても年下に思えないんだよね。大人っぽいというか」

 

「――――ほぉ」

 

 彼女の言葉に、俺は思わず苦笑するのを止められなかった。

 急に何かと思えば……なるほどね。少し考えて口を開く。

 

「風先輩。実は俺の年齢って、現在38歳くらいなんですよ」

 

「へぇ~、ってそんな訳あるかーい!」

 

「冗談ですよ」

 

 それから帰り道をゆったりと雑談しながら帰路につく。

 なかなか有意義な時間を過ごせたと思う。得られる報酬がある訳でもなく……いや、強いて言うなら可愛い女子たちと一緒に行動できる事だろうか。偽善的な行為をする活動だと思ったが、何もしないで善を語る塵よりも100倍マシだと思えるようになったのは、この部活で彼女たちと時を共にしたからだろう。

 少なくとも、今隣にいる先輩にも影響を少なからず受けているのかも知れない。

 

「先輩」

 

「ん? どうした?」

 

「俺は先輩のこと、尊敬してますよ。讃州中学校の誰よりも」

 

 クツクツともう癖になってしまったのか、アイツの笑い声が出る。

 それはどうでもいい。

 言葉にしないと分からないこと。

 そういうのはきちんと伝えないと後々後悔を生むことを俺は知っている。

 だからはっきり言う。言葉を風に届けるために視線を向ける。

 恥ずかしいとは思うし、素面で揶揄われるのはちょっと苦手だ。

 思わず弱みを握って潰したくなる。

 だが、

 

「――ありがとね、亮之佑。あの子たちがアンタの傍にいる理由、なんとなくだけど分かったかも」

 

 真面目になるときはキチンとなる風。

 目の前の先輩なら、そんな事せず真摯な意志で返してくれる。

 きっとこの笑顔に、その男は惚れたのだろうか。

 

 

 

 

 後日。

 面白い話だったのであの二人にも聞かせようと思って、

 二人にドヤ顔で先輩の話を語ると、彼女たちはそっと目を合わせてからこう言った。

 「その話、先輩からもう3回くらい聞いたよ」と。

 

 俺は毎回、助っ人やらなにやらで運悪くその場にいなかったらしい。

 なんですとー! 

 

 

 

 ---

 

 

 

 そして時間が流れ。

 俺が初めてラジオのパーソナリティの仕事をやり遂げた日の下校中、

 甘える友奈を背負い帰路に就き、自宅が見えた頃。

 紅椿のような唇が甘い息を吐き出し、ルビーの瞳は夕日に潤む。

 そして、背中で仄かな熱を帯びる少女は、

 

「園子ちゃんって、亮ちゃんにとってどういう人なの?」

 

 と同じ調子でなんでもないように、俺の不意を突くように聞いてきた。

 

 

 


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