「………………」
筆が進むというが、実際にはキーボードの上を指が奔るだけだ。
それによって生まれるのは、文章という媒体。
小説を書くのは好きだ。
趣味でもあるし、何よりも現実から目を背け、自分の世界に没頭できるからだ。
指が奔る。
---
夏が終わった。
朝顔の季節が通り過ぎ、人々が半袖をしまい衣を変える季節。
柿原は、苑を連れて海に来ていた。
既に時期を過ぎた海。秋雨が降りそうな天気。
そこに人はなく、空も海も荒れ模様だった。
少年の思いを表すように空は曇り空であり、いつ雨が降るか心配であった。
『なぁ、やっぱ帰ろうぜーお嬢。こんな時期に来たってつまんねぇだろ?』
『…………ん』
『お嬢の思考って、俺よく分かんねーよ。雨が降ってくる前にさっさと帰るからな?』
とある家のご令嬢、苑を連れ歩くのは、従者の柿原。
彼の乗るバイクに乗り、季節外れの海を見るためわざわざ遠出してきた。
『え? 雨に打たれてもいいって……本当にどうしたんだよお嬢』
『別に……なんでもいいでしょ……』
苦笑いを浮かべる柿原から目を背け、砂上をゆっくり歩きだす苑。
無言で海辺を歩きまわろうとするが、慣れない砂場で躓いてしまい、柿原に庇われる。
庇った柿原は地面の砂が口に入ったのか、渋面を作り唾を吐き捨てる。
『ペッ、まっず。ほらお嬢。慣れない足場なんだから、無理して先行するなよな。
ちゃんと俺が、お嬢をエスコートするからさ』
『――――じゃぁ……』
手を差し出す彼の苦笑いに導かれるように苑は恐る恐る手を伸ばして、柿原に掴まれた。
しばらく2人で浜辺を歩き出す。
彼らの気持ちはいざ知らず。
海は空の色と同様に深く沈み込み、大きくうねりながら波頭を白く煌めかせる。
『それにしても、どうしてこんな時に来たんだ?』
『人がいないから……』
『なるほどね……。確かに夏なら、うだるような暑さに加えて人も多いからな。俺も人混みってのは嫌いだしな。それを踏まえてみると、まぁ悪い景色じゃないか』
穏やかな海よりも、冷たく黒く。
目の前の海に向かって意地の悪い笑みを浮かべる柿原。
そんな中で、その笑みを沈めるべく限界を迎えた黒雲から数多の水滴が零れだす。
『あーあ、降ってきちまったよ……。ほら、お嬢。あっちの建物に移動するぞ。
チッ……仕方ない、一旦雨宿りだ』
『わっ! ちょま!』
恐らく、「ちょっと待って!」と苑は言おうとしたのだろう。
そそくさと目に見えた建物に向かって移動しようとする柿原に手を引かれる中で、砂に足を取られてしまい転んでしまう。
『お、おい。大丈夫か……盛大にずっこけるなよ。怪我は無いか? まぁ砂場だし大丈夫だと思うけど。って、だから雨が降る前に移動しよって言ったじゃんか』
『いや、今のは柿原、お前のエスコートが下手だったと思うのだけれども……』
ぶつくさと何かを呟く少女の砂で汚れたワンピースを手で払う柿原。
ある程度砂も地面に落ち、「よし……」と満足気に呟いた。
そして苑の顔を見て、柿原は小さく噴き出した。
『って、顔もか……。フフッ、酷い顔だな。こうなったら、もういっそ全部濡れちまった方が汚れも落ちるかもな。自然の雨水をシャワー替わりにしようぜ』
二人して、しばらく空を見上げる。
そして、
『――――ほら、綺麗な面になってきたじゃんか』
『ん』
雨水が苑の顔に付着していた砂を流れ落とし、
彼女の青く澄んで光るような、彼女本来の美貌を見せる。
残った砂をハンカチで落とした柿原は彼女を連れて雨水から避難しようとするが、その動きをまた苑が止めた。
『―――――どうした?』
『海を見たい……』
『―――――しょうがないお嬢だな。分かったよ。俺もずぶ濡れだし、こんな土砂降りだからかな?
なんかテンションが上がってきたよ』
そう言って柿原は苑をエスコートし、海岸へ向かう。
彼らの肢体を、雨が濡らし冷やしていく。
途中、震える彼女の体に自身のコートを羽織らせる。
白い手袋は、細くも柔らかみを帯びる女性の手をしっかり握る。
降りしきる強い雨が、彼らを余すことなく濡らしていく。
そんな中、柿原がポツリと呟いた。
『なぁ、お嬢。俺は今までもこれからも、お嬢が何考えているのか全然分からないけどさ。この景色は、俺も気に入ったよ。荒れ狂う海ってのは、穏やかなだけの海よりも俺は好きだ』
『―――――』
『なんていうか、今までお前の行動を見てきたけど、一度も俺はお前に飽きたことがないよ』
目の前の荒れ狂う海は、それを見つめる彼らに押し寄せては引き返す。
なんとなく目の前の自然の猛威に、本能が恐怖を感じる。
気が付いたら、あの昏い海に吸い込まれ沈んでしまいそうな……。
そんな光景を、苑は黙って見つめる。
そんな彼女を見る柿原は話を続ける。
『手―――離すなよ。お前のような無口な女なんて、ほっといたら迷子になっちまう。だからこれから先、お前がまた躓いて転んでも、目の前の波に攫われても、必ず捕まえてやるから。この手を俺は、離さないから』
少女は見上げる。
いつの間にか背の大きくなった少年は、そんな彼女に優しく微笑む。
『だから、お前も俺の手を離さないでくれ。お前の手を掴む俺を。どうかお前も離さないでくれ。
俺が傍から離れようとしても、遠くに行こうとしても、この俺の手を決して離さないでくれ』
そう言って、柿原は微笑む。
優しく、愛おしく、慈愛と親愛をもって目の前の少女に微笑んだ。
そんな彼に、少女は―――――――
――――――――――――――――
――――――。
---
「ビュォオオオオオオゥ!! いいよ~これ!」
深夜。
とある病院の隔離棟。
1つ分のフロアを占領し作られた空間の最奥。
誰もいない棟の中で、唯一人の気配のある個室があった。
そこは鼠一匹、何者の侵入も許さず、人に祀られた場所。その中心に彼女はいた。
ベッドにその身を置き、片目や片手に包帯を巻く少女。
滑らかな、以前よりもややくすんだ金髪を残った片手で払うのは、
ここでの生活によってできた癖だ。
彼女の名前は、乃木園子。
カチャカチャ……と、キーボードの上を片手がダンスを踊る。
そのダンスを舞う手も片手だけなので、少女は休憩を多く入れる。
最初は看護師にやらせていたが、どの看護師も1月も続かずこの病棟を去っていった。
仕方がないので、少女は片手でPCを操作する。
これが現在の園子の生活だった。
この生活にも随分と慣れたと少女は思う。
住めば都と言う。
大赦は少女を当初は別の場所に入れようとしていたが、
とある時期の、とある行動が生み出した結果によって、至って普通の病室に移された。
普通の病室にしては随分と広く、隣人もいないが。
「ふっふっふ……」
少女は空想をするのが好きだ。
空想をして、それを文章の媒体に起こす。
その一連の作業をしていると、気が付くと1日が終わる。
時に書いたり、書かないで思い出に浸ったり。
そんな風に時を過ごしていた。
ある程度の行動の自由は許されていた。
だから、多少の不自由には目をつむる。
要は慣れてしまえばいいのだ。完全な不自由という訳でもないのだし。
「久しぶりに書いてみたけど~、王道物って実は初めてかも~」
いつも通りの独り言。呟かなければ喋り方を忘れそうになる。時々仮面を着けた人とも話すが、堅苦しく、正直に言うと園子は好きではなかった。
本日の執筆活動を終えて、片腕でノートパソコンを畳む。
ふと少女は自分の過去の作品を振り返る。思えば真っ当な恋愛小説なんて初めてかもしれない。
小説投稿サイト。
あれはいつの話だったろうか。
とある少年に背中を押されて、趣味で小説を書いていたら、気が付くと多くのファンがいた。
今はまだリハビリ中で、両腕で書いていた時よりもまだ早く書けていない。
だが趣味で書いているのだ。この惨状なのだから、できたら許してほしいと少女は思った。
「――そう言えば、メールは見てくれたのかな……」
なんとなく、ベッドから窓を見る。
この部屋を希望したのは、窓から空が見えるからだ。
ここからだと時々夜空の星を見ることができるのが、少女の楽しみの一つだった。
「……ミノさん、……わっしー」
夜の間はカーテンレースを開いて、景色が見えるように頼み込んだ。
その甲斐があり、夜だけカーテンを開けてもらえた。
もともとこのフロアは貸し切り。隔離された最上階だ。
随分とVIPな対応だなと少女は思う。警備も厳重で侵入者など決して入ることの出来ない場所だ。
ここには、誰も来ることはない。
「かっきー……」
そっと、その渾名を呟く。
「あの後も、元気そうで良かったよ~」
「心配だったからね……」と誰にともなく一人少女は呟く。
大赦は闘いが終わった後、少女の捧げられた肉体の量に比例するかの如く、
園子に従うようになった。
彼らは園子の言う事には何でも言う事を聞き付き従うが、園子が偉い訳ではない。
確かに乃木家は格式が非常に高い家だが、意味が違う。
彼らは園子という人を見てはいなかった。
園子を通じて神を見るように、園子という腫物を扱うように、恭しく振舞われた。
「―――――」
その事に対しては、園子は特に思うことは無かった。
この病院すら支配する大赦は、神樹様を祀る組織。
この四国における裏側の絶対的なる支配者だ。
彼らから祀られる園子は、元の家柄も含めて敵など存在せず。
大赦には、英雄として、勇者の生き残りとして、組織の切り札として崇め、祀られていたのだ。
「――時間が経つのは早いな~」
だがそんな事は、園子にとっては既に大したことではない。
少女にとって、使える手足が増えただけの事。
この部屋を希望した際には、反対する人間は少し微笑むだけで土下座をする始末。
少し怒りを示しただけでこれなのだ。
大の大人が、ベッドに座る体の不自由な少女にする行為。
無力な少女に対して行うその行為は、見る側にしてみると些か滑稽に感じられた。
神が人間を見る視線というのは、地面を這いずる虫を見るようなのだろうと園子は思った。
こんな非力な少女を、神に供物を捧げたことでコロリと態度を変える。
普段祈りもしない信者が、有事の際にだけ祈りを捧げる姿のようだと感じた。
「―――――あ! お月サマだ~」
だから、園子は基本的に彼らのことは気にしなかった。
今現在は肉体的不便はともかく、生活的不便性は感じられなかった。
常人なら耐えられずとも、空想や小説という手段が彼女を生かしていた。
もっとも、その小説すら大赦に監視されているのは最早お笑い種である。
「―――――」
もしかしたら、私は飼い慣らされているのかもしれない。
園子はそう思ったこともあったが、異常なまでの大人の豹変さにその考えも捨てた。
これも、もしかしたら彼の存在があるからなのかもしれない。
彼がいたから、園子もまだ死んでいなかった。
「かっきー……」
また園子は呟く。
名前を呟くたびに、その顔を思い出す。
名前を呼ぶたびに、その声を思い出す。
彼の仕草を、表情を、癖を、ちょっとした言い回しを思い出す。
全ては記憶の中。思い出と呼ばれるモノだ。
だが、記憶という回廊、その先にある何よりも勝る思い出は、今もなお色褪せない。
「かっきー」
その渾名を呼ぶ度に、溜息が零れる。
もしかしたら、彼があの窓から颯爽と入ってくるのではないか。
そんな淡い幻想を抱く度に、動かないはずの心臓に熱がともったような、そんな気持ちになれる。
体中に電気が奔るような、そんな気持ち。
月が窓から病室を照らす。
月光は太陽ほど眩しくなく、園子にとっては好ましく感じる光だった。
もう何度繰り返し、その度に見た光景だろう。
園子は思う。
10回か、100回か、1000回か。
「数え忘れちゃったな~」とまた一人で独り言を呟き、苦笑した。
こんな生活だけれども、園子はまだ笑うことができた。
「………………」
ふと、その月を雲が覆い、室内の月光は消え去る。
月は見えない。
園子の両親も園子の前では恭しく接し、昔とは随分と接し方が変わってしまった。
話しかければ応えてくれるのに、何か機械を相手にしているような。
「………………」
季節の変わり目は雨も多いからか、黒々と強い雲が空を覆う。
星空も見えない。
園子の大切な戦友たちは遠くへ行ってしまった。
彼女一人を残して、手の届かない場所に逝ってしまった。
もうきっと、二度と彼女たちが帰ってくることはないだろう。
人を構成する物は何かと問われたら、きっと多くの人はこう答えるだろう
―――――記憶だと。
「………………」
園子は窓際から視線を移す。
常人には耐えられない孤独の生活。それでも彼女の心が死なず、生き長らえているのは理由がある。
琥珀色の瞳が映すのは、目の前のオーバーベッドテーブル。
そこにあるのは小型のノートPC、それを照らす小さな蛍光灯。
そして、
「…………フフッ」
それを見る度に、少女の口から思わず笑みが零れ落ちた。
それこそが、明確に彼との絆を表しているように感じられた。
その絆が、“乃木園子”という存在をこの世に残しているのだと、少女は漠然と思っていた。
目蓋を閉じ、少女は過去に思いを耽る。
= = = = =
『なぁ、園子。どうかこれを、受け取ってはくれませんか――――』
『――綺麗』
彼が、亮之佑が渡した花。
全ての闘いが終わった後、傷ついた少年に攫われて、一日だけの濃密な夜を過ごした。
たった一夜だけの密会。
2人きりの密会。
彼とはもっと話したいことが多くあった。
もっと触れ合っていたかった。
運命に裂かれた、時の流れを埋めるように。
時の流れが作った、孤独を埋めるように。
だけど、運命はそれを許さなかった。彼にはその時間すらなかったのだから。
それでも、少しだけ話をすることができた。泣いて、怒って、そして最後に……。
密会の去り際に、彼が私にプレゼントした贈り物。
それを見たとき。
園子は随分と昔に、初めて彼と出会った瞬間を思い出した。
彼の手から出された小さな花。
“どうか俺と、お友達になってくれませんか?”
そう言って。
柔らかく、どこか意地悪そうに、不安そうに微笑む彼と、最初の友達になった。
あれから、ずっと一緒にいた。
いろんな時を共に過ごした。
彼との記憶が何一つ失われなかったことに、後になって私は感謝した。
懐かしい出会いを思い出す。
きっと、いや間違いなく彼も狙ってやったのだろう。
昔と同じ手法。気障に笑う少年。
無事だった手から渡される物。
そして、ニヤリと笑う彼は、それの花言葉を口にした。
『なぁ、園ちゃん―――――知っているか?』
『この花は、誰よりも園子にこそ相応しいと俺は思っている』
思えば、あの時も綺麗な夜空だったと私は思い出した。
『この色は、世界でも作るのが不可能だとされていたんだ。だけど、当時の人々が努力した結果、なんと不可能だと言われた色を作り出す奇跡を起こしたんだ』
『―――――』
その光景を覚えている。
鮮明に。繊細に。
濃密な時間で過ごしたひと時は、熱と共に、心が覚えている。
少しわざとらしさを感じる、彼のちょっとした演技。
彼の身振り手振り、その真面目な視線は全て私に向けられていた。
私にだけ。
それを理解した時、
彼に握られた手から、私という存在が熱によって溶け出してしまいそうな、そんな気がした。
彼は一呼吸おいて、こう言った。
『その花に与えられた言葉には、奇跡以外にも、こんな言葉がある―――――』
クツクツと彼は笑い、昏くやや赤みがかった瞳を私に向けて。
「この言葉が、誰よりもお前に相応しいよ」と、月夜の下でそう囁いた。
= = = = =
目蓋を開く。
蛍光灯は既に消した。
今再び、月明りが部屋を照らす。
その明かりに照らされる中、閉じたノートPCの脇に、小さなコップがあった。
その小さなコップには、6本の青紫のバラが飾られていた。
一本一本相当時間をかけて作られたのだろう。
その造形は本物を凌駕する精巧さの造花だった。
決して枯れぬ、青がかったような紫色のバラ。
いや、紫がかったような青色のバラだろうか。
見る角度によって色合いが変わる、不思議なバラの花。
気品があふれるそれは、達人の域に達した者のみが作れる至高にして絶対なる存在を誇る。
その花言葉は、
「神の祝福……」
それらを見つめる。
計6本のバラは、今日も咲き誇り続ける。どれだけの時を迎えても尚、散ることはない。
園子はそれらに話しかける。
「ねぇ、かっきー」
「私ね、貴方と出会えたことが何よりも嬉しかった。貴方と過ごした日々が輝かしかった。もう会えないと思っていたけれど、また会えたことが嬉しかった」
「あんな風に情熱的に口説かれたのは、かっきーが初めてなんだよ~」
少女は呟く。花からの返答を期待してはいない。花を通して彼を見た。
病的に青白い頬に微かに朱が差す。
彼女は確かに一人ではあったが、決して孤独ではなかった。
少女は慈愛を持って花を慈しむ。
誰も彼もが彼女の前から姿を消した。
こんな生活をする中で、唯一残った彼を誘拐しようなんて、馬鹿な事を思ったりもした。
だが、それは彼にとっても、私にとっても駄目だ。
彼はまだソレを知らない。
それが彼との約束だ。
「………………」
苦しいと思わない訳がない。
悲しいと思わない訳がない。
寂しいと思わない訳がない。
逢いたいと思わない訳がない。
そうであっても、少女は待ち続ける。
彼との約束。
少女からは少年には会いには行かないこと。
それに当たって、少女は少年とある賭けをした。
運命が彼を導くのが先か、それとも時間が彼を導くかは分からない。
それでも、
「かっきー。私は、待っているから……」
この虚構で優しい世界で、一人の少年が乃木園子を見つける日を。
少女は一人、白い牢獄で待ち続ける。
前作のリクエスト要素付き幕間でした。
今話を持って前作品が終了しました。
以降より、『変わらぬ空で、貴方に愛を』の真のスタートです。
これからもどうぞお楽しみください