黄昏の光が眩しく目を細める。
だが、そんなものが気にならないほど思考が凍りついた。
彼女が言った言葉に対して一瞬の葛藤の末、俺はいつも通りに友奈に話しかけた。
「――どうして、友奈が園子のことを……?」
「前に、私が亮ちゃんを起こしに行ったことがあったでしょ。
その時に寝言で言っていたのと、今日の放送の時になんとなく……かな」
「―――――」
なんだそれはと思い絶句する。
いつだったか、珍しく俺が寝坊をした時に起こしに来たことが一度だけあったことを思い出した。
合鍵を渡したこともあり、勝手に家に入ってきた友奈。
俺は聞いていないが、キチンとお邪魔しますとは言ったらしい。
加賀家にいるのは基本的に俺一人。朝に誰かに起こされるのはビックリ現象だと言っていい。
特に人のベッドに上がり込み、四つん這いで布団ごと人に抱き着いて「朝だよ、起きてー」と耳元で囁かれるなんて思わなかった。「亮ちゃんの起こし方の1つだよ!」と笑顔で言われると何も言い返せなかった。
そんな風に友奈が俺の部屋に入ってくる際に、よく部屋のモノとかの質問を受けたりする。
特に意味とかはなく、「アレ前からあったっけ?」とか、そんな感じのたわいないものだ。
以前からサンチョについて聞いてくることも多いので、俺としてはうまく躱していたつもりだった。
園子については、話したことは無かったのだが……。
寝言ならしょうがないと納得する。きっと今まで気になっていたが聞けず、今日に至ったのか。
「ああ――――、園子はね」
立ち止まろうとしかけた足を無理やり動かす。
動揺する顔は、微笑で固定する。
視線はひたすらに前に向ける。
赤い瞳に見られると、なぜか酷く動揺しそうになる。
だが、
「俺の、大切な親友だよ」
そう言った。言い切った。俺の、加賀亮之佑にとって、初めて出来た大切な友人。
宗一朗に別れさせられて以来、一度も会えていない彼女を思い出す。
いや……正確には11ヶ月前に会ったっけと自嘲する。
「――そっか」
「ああ、ただ今は会っていないけどね」
「えっ、どうして?」
「――家の都合上、ちょっと遠くに行ってしまって会えなくなったんだ」
彼女の言葉が甘い息と共に耳朶に響きこそばゆい。
友奈の質問に対して俺は適当に濁し、嘘を吐くという最低の行為で対応する。
加賀亮之佑にとってはそれだけ。
あの稲穂を連想させる金色の光景は、今も覚えている。
そして、最近見た光景も。
意識して息を吸い込むとやけに冷たい空気が肺に潜り込むのを感じた。
膨らんだ肺を、言葉を紡ぐと同時に収縮させる。
「そう、なんだ……」
「勿論、友奈も、東郷さんも、俺にとっては大切な人だよ」
「……えへへ、ありがとう」
「――うん」
至近距離で交わされる彼女との会話を煙に巻く。
こういう言い方をすれば、友奈はこれ以上の詮索をしようとしない。
誰よりも空気を読む彼女は不和を生む空気を嫌う。
そういうものであることが、それなりに長い彼女との付き合いで分かっていた。
分かりながら、これ以上の詮索をさせようとしないように言葉を選ぶ自分が嫌で堪らなかった。
---
夜。
「―――――」
自室に俺はいた。
友奈は夕ご飯を食べた後、少し前に帰った。
いつも通り美味しいと言って、花が咲いたような笑顔を見せてくれる。
その笑顔が俺は好きだと言うのに、なぜか心はひどく乾いたままだった。
「――園子」
己の臀部の下に感じる柔らかい感触。
寝台は主の体重の重さに則り、俺が動くたびに薄い空色のシーツに皺を寄せる。
手をスイッチに伸ばし電気を消す。
身を寝台に横たえる。
「大切な親友か……」
分かっている。
その大切な親友と別れて、もう2年が経過した。
それから、偶然に一度だけ。
たった一度の奇跡に出会えた。
それだけだった。
あれから時間も経過した。
傷も癒え、探そうと思ったことだってある。
だが、どうやって見つければいい。
インターネットで探すことを考えたが、ネットも大赦の監視・規制の網がある。
検索ワードすら監視されているという噂もあったが流石に噂であって欲しい。
噂は噂ではあるが、下手に『乃木』の二文字を出すことはできない。
それだけ大赦にとって『乃木家』が重要な位置にあるのはよく知っている。
「―――――」
仮に、だ。
俺が香川にある病院を一つ一つ探して回るとする。
乃木家の人間だ。ある程度大きな病院にいることも踏まえて絞る事まではできるだろう。
問題は時間経過で既に退院しているのか、していないのかすら情報が足りない。
大赦による情報規制が掛けられているのは間違いないだろう。
『私が深淵を覗くとき、深淵もまた私を覗き込んでいるのだ』
その言葉を思い浮かべる。
加賀亮之佑が動くということはそういうこと。この引っ越しが無駄になる。
最悪、暗殺という可能性だってある。
実は、一度だけ普通に園子のことを探そうとしたことがある。
それが大赦側にもバレて、約2ヶ月ほど監視されることになった。宗一朗からも苦言を貰った。
それで分かった。どうしてもあちら側は、俺を園子に会わせる気がないらしい。
つまり、誰にも頼れない。
「―――――」
思わずため息が出る。焦って動いたことが完全に裏目に出た。次は覚悟しないといけない。
探すなら病院か乃木家だ。
手がかりがあるとすれば、乃木家に行けば情報も得られるかもしれない。
だが接触は禁じられている。加賀亮之佑の顔が覚えられているのはどこも同じだろう。
宗一朗との約束が解禁されるまで、まだ約半年以上ある。
思考が入り混じる。何も恐れないで動けばいいが、それは良心の呵責が煩い。
その一線を越える時、それは破滅に向かう道となるだろう。
「手詰まりだ……」
だからこそこの半年、俺はあるスキルをひたすら磨いてきた。
それは、芸達者であったこれまでの俺と、今後奇術師を名乗るにあたる明確なる境界であった。
プライドというか誇りというか、いつの間にかそんな自尊心が芽生えていた。
それも仕方がないと自分に言い訳をする。
ソレを完全に成し遂げて初めて、俺自身が名乗ることの出来る『称号』であるのだと考えていた。
故にソレが出来るまでは他人からそう呼ばれても、自分からは名乗らなかった。
かつて読んだ『狼泥棒』の話。
主人公の狼怪盗の十八番芸にして、最大難易度の技術であり俺も習得に一番時間をかけた術。
だが、俺を鍛えるための時間は止まる訳ではない。
こうしている今も、時間ばかりが過ぎていく。
時間が経過する毎に距離が遠のくのを感じた。
「一体さ、俺はどうしたらいいんだ……」
悩み呟く声は闇夜に吸い込まれ、指輪の鼓動が蒼く彩色を僅かに放った。
---
草木が生い茂る草原は、いつの間にかその領土を拡大し、随分遠くまで広がりを見せている。
冷風が俺の髪と草を揺らし、季節外れの桜の木を過ぎ行き、星空と黄金の月が昇る昏き空を駆け抜ける。見えないそれになんとなく前髪を触り、俺はそっと目を細めた。
目の前の道は一本道で、それは明瞭にどこへ繋がるかを指し示す。
視線を向けると、立派に咲き誇る枯れることなき桜の木の下に彼女はいた。
「―――――」
そちらに牛歩で向かう。
最初に目に付いたのは白く清潔さを感じるテーブルと一対の白い木の椅子。
テーブルには小型のランプが置かれ、辺りを棟色の光が柔らかく照らす。
桜木に背を向ける形でその少女は座っていた。
愛用のコーヒーでも飲んでいるのか、白いティーカップを傾け優雅に飲んでいる。
白いテーブルを挟み対面に座り足を組むのは、髪と服装を全て黒で彩色し、昏く赤い瞳と赤い手袋が特徴的な少女――――――いや、少女と呼ぶのは相応しくないのかもしれない。
「なんたって、300年は生きているご先祖様だもんな……」
「―――年頃の少女にそれはないんじゃないかな。ボクの場合は享年15歳だから、見た目の肌年齢も若く恒久的な美貌を兼ね備えている。他の女性がどれだけ足掻いても得られない永遠の若さを兼ね備えているのだが」
「見た目通りに、お前って早死にだったのね。だがそんな重い事実が明らかになっても、追加分の年齢が加味されるから関係ない」
「それってキミの言う年上属性ってやつかい?」
何を言っているのかよく分からないが、つまり年増ってことさ。
思わず鼻で笑いそうになるのを堪えるが、ジッとこちらを見る赤き双眸はやや細まる。
「女性に対する思考としては、監獄に捕らわれても文句は言えないと思うよ」
「確か、因子が定着したことで俺の思考は読めないとかじゃなかったっけ……?」
「キミの顔に書いてあるのさ」
そう言って、冗談かどうか分かりにくい事を言う少女―――――初代はクツクツと笑った。
笑いながら、彼女は俺に着席を勧めてくる。
初代は、見下ろされるのが嫌いだと言う。だから自分と同じ目線で語る人間か、自分より下から語る者でなければ話をする気はなくこの世界からも叩き消されるらしい。
無言で白い椅子に腰を掛けようとすると、
「……む?」
「どうしたんだい?」
「いや、ここまで来るのに随分と時間が掛かったような気がして」
「――そうだったかい?」
「いや、なんとなくそう思ったんだ……」
自分でもどうしてそう思ったか分からない。
唐突な思いを思考から弾き出し、そう言いながら俺は白い椅子に腰を掛ける。
月が青白い光を、白い机の上で仄かな光を放つ提燈のみがこの世界の明かりだ。
それに映しだされる彼女は黒い衣に映える白い肌を見せる。
「そんなに情欲の瞳を向けられても困るのだけども……」
「そういう視線じゃないから」
なぜか恥ずかしそうに体を揺らす初代に俺は苦笑する。
そっと差し出されるカップを覗き込む。
琥珀色の液体は、月夜を浴びて銀の波面を揺らしている。
「コーヒーはどうしたんだ?」
「飲みたかったのかい?」
「そういう訳じゃないけども、珍しいこともあるなって」
「まぁ……なんだい、たまにはいいじゃないか」
「いや―――お前には前科があるのを忘れたのか」
そう言って、優雅にカップを傾ける初代。
胡散臭いなと思いつつ、匂いを嗅ぐ。
特に異臭も感じられずおそるおそる飲むと、いつか飲んだドロリとした液体が喉を焼く。
「……何かいいことでもあったのか?」
「個人的にちょっとだけ良いことがね」
「良いことね……なんだよ?」
「乙女の秘密さ」
「乙女の概念というのは、俺の知らない内に意味が変わったのか?」
「辛辣だね……。多分キミだけだよ、ボクにそんな態度を取れる人間というのは」
「そうか?」
じっと目の前の少女を見つめる。
自称“『最も恐れられた勇者』
友奈や東郷、園子に負けず劣らずの既に死んだ美少女。
名前が分からず、目的も分からないこの世界の王。
後継者である俺を半身と呼ぶ、得体の知れない存在。聞いても決して教えてくれない。
そんな彼女に力を借りるのもどうかと思うが、そこまで嫌悪感を感じはしない。
だが彼女を見る時、決まって俺の瞳を覗き込み赤い瞳を歪ませ、彼女は嗤うのだ。
クツクツと、何もかも分かっているという笑みを浮かべる。
「あぁ、俺やっぱりお前のこと嫌いだよ」
「――――そうかい。ボクは独善的なキミのような人、なかなかに面白いと思うよ」
この一連の会話は、俺たちの間ではよく使う。
彼女には俺の挑発も皮肉も一切通用しない。
一種の侮辱にもとれる暴言。彼女はソレに怒りを覚えない。
このやりとりすら愛おしいというように柔らかく微笑みを浮かべる。
初代はそっとカップを皿に置き、唇を和らげる。
「キミのような不遜な人間は、ボクにとっては好ましいよ――――半身」
---
本題に入る。
「あれからそろそろ1年になる。こちらの準備自体は終わったが……」
「ボクもアレには驚いたよ。創作の中だけだと思っていたのに、現実でソレを成し遂げるなんて思いもしなかったよ。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったのものだ」
「褒められても何も出ないぞ。アレ自体はある種のコツを掴めばできるようになるさ」
「いや、そうそういないと思うよ。ボクもアレを見たのは初めてだ。素直に感心したよ」
「………………」
純粋な賞賛というのは、俺にとっては好ましく思うが同時に恥ずかしく思う。
ゴホンと空咳をして、話題を変える。
「実際問題、これで園子を見つけるための用意は出来た。あとはどこにいるかだが」
「キミの母校でもある神樹館小学校は調べたはずだよね?」
「ああ。あの事件以降、鷲尾須美という少女と園子は出席どころか一度も来なかったらしい。
御役目ということらしいが……他に宗一朗からは確か……」
「御役目については話すことは出来ないの一点張りだったね」
そう、宗一朗とは何度か連絡を取っている。
その為の携帯端末でもあったのだから、本来の役割を果たしていると言っていい。
たまに電話するのだが、園子の事に関しては否定的な言動が多い。
手紙を送るという意見をかつてしたことがあったが、断られた。
ボイスレコーダーならと食い下がったが、そういう問題じゃないという。
「―――――まいったね」
大人の手を借りることはできない。むしろ俺と敵対していると言っていい。
これに関しては自分一人で行動するしかないのだ。
だが基本的に情報は足りない。どうやっても園子には届かない。
「………………」
事件後、友奈の介護もあって俺の肉体自体は回復した。
その後東郷美森との出会いや、中学校生活への適応に時間を取られたのは否めない。
そもそも、俺自身は宗一朗との約束自体を無碍にする気は無かった。
時間が経過すれば、必ずまた園子に会えるという男の約束を信じた。
その上で、それでも尚俺が奇術の腕を磨き続けていたのは何故なのか。
「――大切な人に逢いたいと思うのは、当然の事だ」
思考の海に再び囚われる俺の意識を引き上げたのは、初代だった。
勇者として一度変身した後、こうして指輪の世界とたびたびコンタクトを取ることに成功した。
本人曰く、それでもまだ不完全で仮の状態でしかないらしい。
「……?」
「たとえ、その人を泣かせると分かっていても、大切な人だけは守りきると誓った人がいた」
唐突に初代は俺に語り出す。赤い瞳は静かにカップへと向けられる。
そっと一口液体を飲み、艶やかな唇が開く。
「その人は本当に大切な物以外は、全てを切り捨てた。
その代わりに、何があろうともソレだけを必ず守りきろうとした」
「……そいつはどうなったんだ?」
なぜこの局面でそんな話をするのか俺には分からなかったが、ひとまず相槌を打つ。
俺が不可解な目で自分を見ていることが分かったのだろう。僅かに彼女は苦笑する。
「死んだよ。大切な存在が勝手に遠くに行ってしまってね。
守りたいものを無くしたその人は後悔の果てに朽ち果てたという……キミと似ているね」
「――どこがだよ」
「結局キミは後悔しそうになっているじゃないか。無駄に終わるんじゃないか、行動が徒労に終わるんじゃないか。情報が足りないと諦めて、中途半端に思いを寄せ、研鑽を怠らないくせに、当人のことを考えているようで考えていない。実に独善的で自己中心的――――まさにキミのようだね」
「―――――」
非常に苛立つ感情が俺の中で渦巻く。
そんな訳がない。俺は園子のことを忘れたことなんてない。ふざけるな。
そう言おうと口を開くが、言葉は出ない。
心の奥で俺は認めそうになっているのだ。俺は園子を見捨てようとしているんじゃないのか。
この安寧の日々の中で、会えるかどうかすら分からない約束をただ待つだけで、行動はしない。
会うための手段に力を入れる。努力をしているというポーズを取っているだけではないかと。
待っていればいつか会えると信じて。
その真偽すら確定的ではないというのに。
「そんな捨てられた子犬のような目をされても困るのだけどね……」
「―――――」
言葉を紡げない俺を蔑むように、いっそ憐れむような眼を初代は向け、片手で頬杖をつく。
そして、
「いいんじゃないかな……」
「……え?」
「キミに選択権がある。選ぶのはキミだ。その責任も結果もキミのものになる。今までを準備期間にして、これまで一人で気楽に生きてきたことを辛く思っているのなら探してみるのもいい。
“後悔はしない”というのがキミの理念なんだろう? 誰にもバレずに探すための準備も完了した。
あとはキミ次第だ。自力で彼女を探し出すか、諦めて運命に身を任せるか、だ」
「――そうだな」
そっとカップを傾ける。
ドロリとした液体はいつかの線香花火のように舌の上でパチパチと踊りたて、鈍い感情と共に流れていく。
「キミはただ待つだけの家畜かい? それとも運命にみっともなく逆らう奴隷かい?」
蔑むように、信じるように小首を傾げて赤い瞳は質問を投げかけてくる。
宗一朗との酒を交わしたあの夜。
無力に打ちひしがれ、ただ震えて苦い思いをした家畜になり処刑を待つ気分。
あんな惨めな思いはもうしたくはない。
「違う……」
それよりも、もっと前。
あの日。加賀亮之佑が生まれた日を思い出す。黄金の月。無限に瞬く星空。
あの美しさに照らされ、俺は何を誓った?
「俺は、後悔だけはしない」
そうだ。
例えこの行為が無駄になっても、園子が見つからなくても、行動しなくては結果は出ない。
大切だと思うなら、探して見ればいい。
そんな当たり前のこと、言われずとも分かっている。たとえ誰からの手助けもなくても。
それだけの事をなぜ悩んでいたのだろうか。
「俺は……人間だ。奴隷でも家畜でもない」
「ではどうするんだい? 実際に香川の病院に絞っても総合病院は13はある。
キミが乃木園子を見つける前に、大赦がキミを見つけるか怪しまれたら現状は一気に不利。
二度目は無いだろう。そうなれば宗一朗も困り、キミも終わるだろうね」
「……そのためにみっちり鍛えた。お前の太鼓判付きだ。何者でも見破ることは出来やしないさ」
「高く買ってもらうのは恐縮だが、アレが実際に通用するかは未知数だ」
この女は俺を貶したり背中を押したりどっちなんだろうか。
知恵は貸してくれる。300年この世界で生きた(?)勇者である事と、その年月で蓄えられた情報量はこの世界で敵うモノはいないだろう。
「勘違いしないでもらえると嬉しいが、決断はキミの物だ。選びそして得る結果も全てキミの物。そしてボクはキミがやる気なら知恵を貸してあげるだけさ、半身」
だが、どうしても疑問は残る。
「なあ、どうしてお前は俺に力を貸してくれるんだ?」
そう聞くと、初代はパチクリと大きく目を見開き仄かに微笑した。
こういったごく稀に見せる見た目相応の行為は、その美貌も相まってたまに見惚れてしまう。
「たまには外の世界の情報も欲しいのさ……だけどその媒体も指輪といったものだからね。そういった情報を与えてくれるキミへのちょっとした餞別さ。それにこの程度、ボクの力というほどのものでもないしね。世間話のようなものさ。そして何よりキミは特別さ」
他の者ならこうはいかないよ。
クツクツと余裕の笑みを浮かべ笑う彼女は、俺にホワイトクッキーが入った皿を差し出す。
正直言って目の前の女がそんな物のために俺に協力するとは思えない。絶対に何かがある。
初代の言動を嘘臭いと思いながら、目の前に出されたクッキーの山に視線を向ける。
「また体毛入りだろう?」
「いつかのは冗談さ……こんな美少女の体毛を食べられるなんてキミなら感激だろうに」
「友奈あたりならいつでもムシャムシャしてやりたいとこだが、お前は勘弁だ」
「それは残念」
適当な軽口を叩く。
あまり残念そうな顔をしてなく、肩を揺らしクツクツと笑う初代。
そんな彼女を尻目に一枚だけクッキーを食べる。彼女曰く、因子クッキーというらしい。
相変わらずサクサクとしながら中の謎の液体で体が温まるのを感じる。
ブランデーだろうか。あまり考えないでおこう。
「ごちそうさま……」
「お粗末さま」
頭上の桜は変わらず咲き誇り続け、月夜の青銀の光もランプの燈の光も変わる気配はない。
それでもなんとなく、俺は今日の夜会が終わりに近づくのを感じた。
その直感は正解で、
「それでは、今宵の夜会もお開きだ」
と椅子から立ち上がり赤い瞳がジッと俺を覗き込む。
「なんだよ?」
「――いや、それじゃあ頑張ってくれ」
そう言って、俺を見てニヤリと笑ってパチンと指を鳴らすと同時に意識が肉体へ戻るのを感じる。
最後にボソッと初代が何かを言ったが、よく聞こえなかった。
---
麻丸総合病院は、土曜日であるからか賑わいを見せる、最寄り駅から15分の場所に位置する。
香川の中でも一際大きな病院の一つだ。
比較的軽傷を負った者や、風邪を引いたのかマスクをして受付に向かう女性。
入院患者だろうか、病院特有の……名前を忘れたあの服を着ている男が購買をうろついている。
「………………」
そして。
当然、多くの入院患者がいるであろうと思われる病棟に、その少女は無言で向かっていた。
赤い髪をまとめ、黒いキャップ帽を被る。
伊達メガネを装着し、患者の中を「お見舞いに来たんです」という素知らぬ顔で歩く。
やがて目的の場所に辿り着く。
「……ここもはずれか」
舌打ちを心の中でする少女。ネームプレートを確認するがハズレだった。
これでこの病院も隅々まで探索を終えたことを赤髪の少女は落胆と共に理解した。
念のためにドアを少し開け中を確認するが、やはり別人だった。
通常の病棟ではないとすると隔離病棟の可能性も考えなければならないが、
幸いこの病院にはないため、少女の更なる無茶の可能性は減少する。
「これであと3つか……」
思えばなかなかに苦労したと少女は思う。あれから地道な努力を重ね、効率的に病院の情報を得るために頑張った。持ちうるすべての知識と力。時折噂話やネットすら活用した。それらを用いても随分と時間がかかった。
「ついに今年も4月か……」
鈴音の声が独り言を呟く。
少女は土曜日と日曜日は、空いている時間をある人の捜索に費やした。
明らかに情報統制されている場所と時間に関しては、神経と労力を削ったのを覚えている。
この数ヶ月いろんな場所を訪れた。
その過程で新しい人脈や面白い情報を得ることも出来たが、探し人は見つからなかった。
「………………」
ふと少女は右手のガーベラの花束を見つめる。
デコイとして持ってきたが、今日は使うこともないだろうと肩を落とすが、
「あの……」
「―――!」
背後から声を掛けられ、振り向くとピンクのナース服を着た女性がこちらに話しかけてきた。
親切にも笑顔で女が少女に話しかける。少々怪しまれたかと少女は訝しんだ。
「どうされましたか……?」
「実は人を探していまして。一度助けられてお礼をと思ったのですが、どうやら部屋を間違えてしまいまして」
少女は微笑む。
にっこりと悲しそうに微笑む。対処に慣れ、使いまわしたこの言葉に大抵の看護師は面倒臭がって去るのだが、親切そうでお節介なその看護師は心配そうに話しかけてくる。おそらく新人なのだろう。なかなかに厄介な存在だと少女は苦笑した。
「一応、お名前をお聞かせ願いますか?」
「……」
当たり前だが、本名を用いることはリスクを負うことなど少女は百も承知だ。
どこから情報が大赦に通じているか分からない。
だからこそ、少女は設定については全力で力を注いだ。
たまにスリルも味わいたいと考え、設定に遊びを加えることもある。
例えば、少女が暇つぶしに読む小説の登場人物の名前を使ったりとかだ。
「柿原苑といいます」
そう言って、少女は看護師にガーベラの花束を渡す。
「もういらなくなったので」と、そう言って渡された花に看護師が気を取られた隙に移動する。
そうしてその場から離れてため息を吐く。
この病院も変な噂が立たないうちに撤収だな、と少女は思った。
人目につかないように病院を離れて、ゆっくりと駅へ向かう。
ここ最近の休日はこんな感じだ。
ふと近くのショーウインドウに目を向けると、赤毛の少女が映り込む。
それをジッと見て少女は呟いた。
「私って完璧を求める演技派だからね……。ある意味コレも萌えなのかも……」
そう言ってガラスに映る自身の姿にウインクする。
黒いキャップを被った赤い髪。
無邪気さよりかは悪戯っ子を思わせる赤い瞳。
後ろ髪を白い紐で束ね、伊達メガネを装備する。
青いショートパンツからは黒いタイツが脚を覆う。
まだ3月なのでやや黒めのコートを羽織るのは少女の趣味だ。
ショーウインドウにニコッと微笑む姿は、誰が見ても微笑ましいと感じるだろう。
「
その可愛らしい口から発せられるのは、とある少女の声だ。
少女はこの状態をこう評価する。
天然さはやや足りないが、そこはあざとさたっぷりで補充する。
そして元になった少女とは違い、とんでもなくエロいことをしてくれる。
故に無敵であると少女は自負する。
「TS物というよりネカマかな? なんにせよ最高だね……えへへ」
そう言いながらずれていた赤いマフラーを直す姿は、呟く言葉はともかく、
容姿や声など、誰がどう見ても知っている人ならきっとこう評価するだろう。
彼女は結城友奈のそっくりさんか、本人だろうと。
「今度は東郷さんあたりになるのもいいかもね!」
一番きつかったのは喉の使い分けだが、結局はコツだと少女は思う。
コレが出来るようになって初めてこれで少女は……いや、俺は遠慮なく『奇術師』を名乗ることができる。ロマンであり、夢を現実にする。実際に可能となった時、正直興奮した。
「あと少し……待っててね、園ちゃん」
せっかく違う町に来たのだから、お土産に何か買っていこうかと考えながら歩き出す。
そうして可憐な少女は、人混みに姿を消した。
芸達者⇒奇術師(変装・変声のスペシャリスト)