変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第二話 無力に怯えて」

 その一組の男女に初めて会った時、別に思うことは無かった。

 俺が覚醒してから体感時間1週間が経過した頃だったか。

 まだ耳に奔るノイズに、動けない不安にイライラし始めていた頃だ。

 

「……?」

 

 俺は誰かに抱き上げられた。

 太く逞しい腕、俺を見下ろす男女。白い髪をした男と、黒い髪をした女だった。

 男が口を開いた瞬間、突如不快であった耳元で響くノイズが止み静寂が広がる。

 

「お前の名前は――」

 

 その瞬間が、明確なる『俺』の誕生。

 俺の肉体は今まで弱まっていて、父母共に来られない場所に俺はいたらしい。

 彼らと視線を交わらせると、力強い響きで、

 

「――加賀亮之佑(りょうのすけ)だ」

 

 その日、俺は名前を与えられた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから少しだけ時間が流れた。

 屑の俺が、月夜の下で誓いを立て、死んで生まれ変わった。

 本当の意味で、『加賀亮之佑』という第二の人生を送る決意を抱いたのだ。

 

 そして俺は、この世界で生きるには何をすべきかを考えていた。

 例えば勉強、運動、スキル磨きなどだ、前世で怠っていた自分を磨く行為についてだ。

 

 だがハイハイを覚えた子供に運動ができるか――否、物理的に無理だ。

 ハイハイをする子供にシャーペンか鉛筆が持てるか。否、親が持たせてくれない。

 ハイハイする子供のスキル磨き――保留、内容次第だが子供故に選択肢は少ない。

 

「あー、あむ、じゃぱにーず」

 

 そっと呟く。この行為に意味はないが、なぜか口角が上がる。

 周囲に敵影なし。我、自由行動の天啓を得たり。

 

「は――」

 

 さて、問題だ。

 子供でも出来るスキル磨きとは何かを考えると答えは簡単だった。

 

 ――本を読み、教養を高めることだ。難易度はさして高いものではない。

 ここが日本である事は既に分かっている。両親の会話も現在は理解ができる。

 前世でもしっかりと勤勉に義務教育は受けたので、漢字は問題ではないのだ。

 そういう意味で俺は剣や魔法のある異世界に転生しなかった事を、少しだけ幸運に思った。

 

 文字が読めること、万歳!

 日本語が聞こえること、万歳!

 日本語が喋れること(舌ったらず注意)、万歳!

 

 ――異世界無双はできなかったけど。

 

 普通って大事なんだね。そんな当たり前の事実に俺は安堵の溜息を吐いた。

 こちらには継続された意識と記憶という唯一無二の固有技能が存在している。

 前世からの知識は、おそらく何者にも勝る優れた武器になるだろう。

 

 己の努力次第ということだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そういう訳で俺は、まず読書を通じて情報集めから取り掛かった。

 簡単な目標としては、家にある本の完全読了である。

 

 家にあったのは十冊程度。宗一朗や綾香が読書家というわけではないだろう。

 ちなみに宗一朗が父親。綾香が母親であり、どちらもまだ若々しい。

 父さん、母さんと呼び合い乳繰り合っていたが、甘い雰囲気になると名前呼びになる。

 

 そんなことよりも、家にあった本についてだ。

 

 子供向けの勧善懲悪な絵本やコーヒーの淹れ方。

 指輪の手入れの方法と適当に買ったような書籍の中で唯一関心を引いた物。

 

 『楽しい四国の観光方法』というこの地に関する詳細な観光本。

 『勇者と魔王』というシンプルな名前の小説。

 『狼泥棒列伝』という気障な仮面の義賊の泥棒話を書いた小説。

 

 絵本や小説はともかく最初の1つは勉強になった。

 前世では全く四国と縁がなかった為だ。

 観光ガイドは純粋に助かり、なおかつ写真を眺めるだけでも面白い。

 例を挙げると、瀬戸内海、瀬戸大橋を一望できるというゴールドタワーの存在を知った。

 結構な分厚さがあり、読むだけでも数日は掛かる。

 

「――!」

 

 今更ながら、丸亀城というのも四国にはあるらしい。

 ガイド本によると高さ日本一の石垣を有した『石垣の名城』として有名だという。

 一人で行く観光は俺はあまり好きではないが、それでも何となく気になる城だった。

 生前は旅行すら億劫で、ネットで検索し写真を眺めているだけで満足だった。

 

「おおきい……」

 

 瀬戸大橋というのも見てみたい。

 馬鹿みたいに大きい橋で、本州と四国をつなぐ唯一の橋だ。

 本州がどうなっているのか分からない以上、ここに何か手がかりがあるかもしれない。

 

 ガイド本は地理だけではなく食事の紹介もしていた。

 四国という地はうどんくらいしか食べるものがないかと思っていたが、それは違うようだ。

 骨付鳥など、まだ見ぬ俺の新しい地元への興味を湧かせる良い本だった。

 

「……」

 

 他の小説は勉強自体にはならなかったが、

 時間を潰すことができることと、純粋に文学少年としての血が騒ぐ。

 棚にあるどの本もシンプルに面白いものばかりだ。

 

 数週間かけて、ゆっくりと色々な本を読んでいく。

 両親は絵を見ているのだろうと、ときおり絵本を追加で買ってくる。

 そんな彼らに感謝して、脆弱な身体が力を持つまで知識を蓄える。

 

 久しぶりに本に触れる日々。

 そんな中で、一際俺の興味を惹く不思議な本と出会った。

 

 幼い俺が最も惹かれたのは『狼泥棒列伝』という小説。

 狼が人間に進化したという謎の気障な泥棒が理不尽な社会に対して反発し、やがて個性豊かな仲間といろんなお宝を盗むというファンタジーな作品だ。

 結果ではなく、獲物を手に入れる過程が楽しいと主張する主人公はコミカルだ。

 

 昔アニメで見たサル顔の泥棒を思い出すが、あれは義賊ではないらしい。

 更に、この本のおまけに、ストーリー内で義賊が使っていたトリックのタネが載っていた。

 簡単なものから難しい手品。こういうネタ晴らしみたいなものはどうかとは思うが。

 

 なんとなく出来そうだと、そう思って実際にやってみた。

 

 書いてあったのは10円硬貨を隠す。

 相手の注意を逸らし消えたと思い込ませる、簡単なトリック。

 当たり前ではあるのだが、読むのと実際にやるのでは勝手が違った。

 

 俺にとっての幸福はインターネットに触ることが出来なかったこと。

 新鮮な身体、新鮮な気持ちで挑戦しようとする時間があったことだ。

 

 数日かかって、10円玉の偽装トリックが出来るようになった。

 小手先の技術だが、一度できるようになるとペン、輪ゴムを使った応用テクニックが利くようになった。

 

「――、やった!」

 

 子供だましのちょっとした芸だ。

 それでも、その“ちょっとした”達成感に思わず頬が緩む。

 

 この身体は物覚えも良く器用だ。

 ひとまず泥棒列伝に書いている手品をマスターしよう。そんな目標が出来た。

 

 

 

 ---

 

 

 

 他にやる事もなくさらに2週間が経過し、少しずつだが速さと精度に磨きがかかる。

 相手のものを、当人に悟らせずすり替えるというある種の技術だ。

 犯罪じゃないか? と思うが出版はされているのだから、公に認められているのだろう。

 

「……ふふっ」

 

 しかし楽しい。やればやるだけ技量があがるのを感じる。

 この本に載っていた狼泥棒。かっこいい二つ名があるが、ひとつだけ不名誉な二つ名がある。

 コミカルなキャラ付けをしたかったのか『パンツ泥棒』という残念な物だった。

 

 狼泥棒が若い頃、女性から華麗に奪い取り公衆の面前にさらす。

 それに赤面する女性の反応を楽しむという、実に清々しい屑加減に好感を持てる。

 正直何を考えているのか分からないが、堂々としているその様は素晴らしいと感じた。

 

 ひとまず俺の目標はこれだ。

 パンツ泥棒と言うか、それを為せるほどの技量はあって損じゃない。

 ここまでの熟練度に達するのは一体どれだけ時間がかかるのだろう。

 

 だが目指してみたい。このまま技量を上げればきっとできる。

 

 ――今度は何者かにはなれる筈だ。

 

 記憶をもって転生を果たすなんて訳の分からない存在がいる。

 事実は小説より奇なり。こんな言葉がある。ならきっとできるはずだ。

 最初からできないなんて決め付けるべきじゃない。そんな考え方は前世に捨てた。

 

「――――」

 

 どんな世界でもやることは変わらない。

 基本は一緒、努力をすること。なら、やることは一つだ。

 ひたすら反復する。本気で努力するとあの月夜に誓いを立てたのだ。

 それがどんなものでも、成長期が終わるまでは死ぬ気で研鑽していこうと思う。

 

「まぁ……」

 

 いきなり下着は無理だろう。

 小さなことからコツコツと始めようじゃないか。最終目標として是非やりたいが。

 

 何事も小さな努力からだ。

 忘年会だろうが、二次会やパーティーであろうと俺の敵ではなくしてやる。

 見る者全てが俺の手品に惚れ込む姿を想像すると、面白いくらいにやる気が湧いた。

 俺は狼泥棒が決め台詞に言っていた言葉を、なんとなく呟いてみた。

 

「――ショータイムだ」

 

 

 

 ---

 

 

 

 ところで、今の俺はまだ1歳を少し過ぎたくらいで、ゆっくりと歩き回る年頃だ。

 しかし俺は、本を読んで大半を過ごす。

 泣きもせず、黙々と本を読んでいる。傍目から見てちょっと不気味だ。

 

 少しまずいかと思って、一応本は持ち歩くがあまり両親の前では本を読まず、字を理解しているのではなくただ絵を見ているのだと、年相応な普通の子を演じる。

 たまに本の言葉を発すると、もっと覚えさせようと彼らは絵本を更に買ってくるのだ。

 その度にニコニコとしていると、そのうち本が好きなのだと認識された。

 

 脳ある鷹は爪を隠す。

 流石に1歳児が本を読んでも、傍から見れば文ではなく挿絵を見ていると思うだろう。

 しかし現実に他の一歳児を知らず、我が世界は宗一朗と綾香と、愛用本のみ。

 この家と庭が俺の世界なのである。準引きこもりといっても問題はない。

 

 もしものことがあっても、今捨てられる訳にはいかない。

 出来る限り、両親に不気味がられないように従順な子供でいよう。

 

 そんな決意と共に、昼寝、本を読む、または見る。

 それを繰り返す物静かな子として俺は日々を送り始めた。

 

 

 




無⇒手品師(修行中)

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