5月。
先の戦いを終え、俺たちは再び日常へと帰ってきた。
時間にすれば2日程度。されど過ごした時間は濃密であり、決して忘れやしないだろう。
「…………」
さてさて、本日の俺は一体何をしているのか。
ここは勇者部の部室。
授業は先ほど終わりを告げ、楽しい楽しい部活のお時間だ。
風と樹は昨日に引き続き、とある部活の助っ人をしているらしい。どこかは覚えてはいない。
友奈は本日日直の仕事で遅れてくるので、今は東郷と2人だけだ。
仕事は今日は無いらしくお休みだ。探せばあるだろうが、そんな聖人になった覚えはない。
「夏も近づく~八十八夜。野にも山にも若葉が茂る〜」
「茶摘の歌ね」
生前聞いたことのあるフレーズをなんとなく口ずさむ。
隣でパソコンを弄っていた東郷が聞いてくるので、肯定の意味を込めて頷き返す。
「あれに見えるは茶摘じゃないか〜、フンフニャラーラララ……」
「うろ覚えじゃない……」
「まぁ聞きなよ。東郷さんや」
左手で東郷を指し示し、右手で静寂を求めるべく人差し指を唇に近づける。
素直な彼女はそれだけで口を噤み、俺の次の言葉に耳を傾ける。
そんな可愛げたっぷりな東郷に優しく微笑む。
「実はさ……」
今日は別に東郷に歌を歌おうと思った訳ではない。
『八十八夜』とは雑節の一つで、立春から数えて88日目の日を示し、5月2日頃に当たる。
なんでも、この時期は明け方にかけて遅霜が発生しやすく、
農作物に被害が出る恐れがあるため、農家に対して注意喚起のために作られたのだという。
それはともかく。
「この前さ、美味しそうなお茶の葉を見つけてさ……」
椅子を東郷の車椅子に近づけ、先日隣町で買ってきたお茶の葉の袋をプレゼントする。
紳士あたりには「貢いでいるんですかー?」と言われそうな光景だが、知ったことではない。
部活メンバーで飲むことを前提として、断られにくい状況に持ち込む。
「そんなわけで、誰よりも東郷さんにお茶を淹れて欲しいなって。ぼた餅と合いそうだし」
「もう……亮くんったら。仕方ありませんね」
彼女の深緑のガラスをジッと覗き込む。
渾身丁寧に頼み込むと、東郷はやがてほんのりと頬を染めて了承してくれた。
「……」
俺のおねだりを受けて彼女は穏やかな笑みを浮かべる。
手馴れた動きで車椅子のハンドリムを回し、お湯の準備をする。
その後ろ姿をぼんやり見ながら俺は思考に耽る。
俺は基本的にはコーヒー党だ。紅茶よりは好きで、朝食ではトーストと一緒に飲んでいる。
……のだが、たまに東郷の淹れる緑茶やら日本茶やら、
彼女が淹れるお茶が突然飲みたくなってしょうがなくなる。
中毒性があると言えば分かるだろうか。
「……」
彼女が準備をする中で、気配は立てずに東郷の隣に忍び寄る。
隣で真剣な顔をしている東郷の顔とその手元、彼女についているぼた餅を交互に見る。
彼女の双丘は、グレーのカーディガンに包み込まれてなお、その圧倒的存在感を示していた。
「……」
大きいなとしか感想を抱けない己の無知を、この瞬間ほど恥じたことはないだろう。
樹は言わずもがな、風ですら……否、おそらく勇者部では誰も彼女には勝てないだろう。
東郷の一呼吸ごとに僅かにフルフルと揺れるソレは、下から見上げたら圧巻だろうなと思わせる。
そんな俺の視線には気づかないぐらいに集中しているのか、東郷は茶葉を急須に入れていく。
先ほどからお湯を急須に入れた後、睨みつけるように急須を見る姿に俺はふと疑問を抱いた。
優先順位において、知的好奇心が無言で見続けることよりも上回る。
浮かび上がる疑問に対して、仕方なく東郷の曲線の美しい部位から目を離して話しかけた。
「ねぇ東郷さん。そろそろいいんじゃ……」
「―――静かに!!」
「は、はい」
こちらを見もせずに発せられる彼女の声に少しビクつき黙り込む。
そうして彼女とさらに20秒ほど急須を見つめ無言で過ごした。
あまりお茶を淹れたことは無いが、新茶はこの手法が一番美味しくなるらしい。
「高ければ良い訳じゃないのよ、亮くん」と一度言われたことを俺は思い出した。
そんな中、神妙な顔をした東郷は急須を持ち上げ、軽く2、3回ほど回転させた。
「―――――」
用意しておいた3つの湯呑みに、東郷は均等にお茶を注いでいく。
湯呑みから立ち上るもうもうとした湯気が期待を立ち上らせる。
「友奈参りましたーーー!」
そんな時、部室の扉が横にスライドし、友奈がやってきた。
日直の仕事を終え、一仕事終えました感を顔から出しつつもいつもの明るい笑顔を見せる。
「2人とも、何をやって……」
「『―――静かに』」
友奈がこちらにキラキラした目線と共に話しかけてくるので、
先ほどの東郷の真似(声は完璧に東郷)をしつつ、指を再び唇に近づける。
さすがにお向かいさんだけあって、何かを理解した様子ですぐさま黙り込んだ。
ここは茶道教室では無いのだが一応ソレっぽいノリなので、ここは東郷に乗っておく。
ちなみにさっき湯呑みが3つだったのは、そろそろ友奈が来る予感がしたからである。
友奈に座るようにアイコンタクトをすると、察しのよい彼女は俺の向かいの椅子に座った。
「どうぞ」
「ははっ」
「ありがとう、東郷さん」
やがて東郷から渡される湯呑みを頂く。
作法なんて正直よく分からないので適当に手の中で湯呑みをクルクルと回した後に、
湯気が出るばかりに熱いソレに息を吹き込む。
己の息に邪魔され白く立ち昇る湯気が乱雑になるのを見つつ、湯呑みに唇を触れさせる。
「―――――」
思わずため息が出た。
新茶は渋みや苦みが少なく、若葉の爽やかな甘みと香りが口の中で広がる。
しばらくズズッとお茶を飲む。
ふと何やら楽しそうにこちらを見る東郷の姿に俺は気がついた。
お礼の言葉を言ってなかったと思い出し、無言でお茶を飲む友奈を尻目に告げる。
「お前のお茶なら、毎日飲みたいな」
「ふふっ……そんな急に。照れるわ、あなた」
「いやいや真面目にさ。お前が嫁になったら旦那も仕事をがんばれるよ」
「もう……」
「……」
隣に座る東郷と会話を続ける。
満更でもない様子で頬を染め照れる東郷は実に可愛いなと思いつつ、お茶を啜る。
もちろん彼女が淹れたお茶はとても美味しく、毎日淹れてくれるというなら飲むのは本当だ。
「ふふっ、ありがとう。あ、ぼた餅もあるわよ」
「食べるーー!!」
東郷のぼた餅という言葉に、すかさず友奈も食らいついた。
友奈の笑顔とは違い、微笑を……いつもよりも艶のある微笑みを東郷は見せる。
その姿を目に刻みこみ、この時間を楽しむことにした。
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部活も終わり、あとは帰宅するだけだったが。
ここで少し事件が起きた。
「あ、あら……?」
「どうしたの? 東郷さん」
東郷が言うには、なにやら車椅子に違和感を感じるという。
そのため友奈と協力して東郷の乗る車椅子を素人目で調査すると、
どうやらキャスタが故障し、方向転換にやや支障が出始めているのが分かった。
一応東郷が家に連絡をして、専用の車で学校まで来てもらうらしい。
また予備の車椅子を所持しているため、修理期間中に困ることは無いらしい。
「くっ、もっと改造を……」
今何か東郷が言った気がしたが、俺の気のせいだろう。
とりあえず話し合った結果、俺が東郷を背負って学校の駐車場まで。
友奈が故障している車椅子を持っていくことになった。
「ごめんなさい、迷惑をかけて」
「そんなことないよ。ね! 亮ちゃん」
「もちろん」
「2人とも……」
「俺たちの友情に乾杯」
「か、乾杯」
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そんな訳で俺は東郷をおんぶしているのだが、口元が歪まないように必死だった。
放課後ともなると、夕暮れが眩しく感じるがソレどころではない。
俺の、加賀亮之佑の全ては今、背中の神経に注がれていた。
東郷の青いリボンで結ばれた一筋の黒く艶のある髪は、夕暮れの風によって揺れる。
まるで誰かの指先のように俺の頬をくすぐる彼女の清らかな髪を心地よいと感じた。
それと同時に。
背中に感じる豊かな双丘は彼女の鼓動と俺の背中に挟まれ、その形を柔軟に変える。
……いや、見えないが。神経と感触が俺に教えてくれる。
「ありがとう……」
「えっ、何が……?」
「なんでもない」
思わず口が動いてしまう。
友奈では感じられない双丘の感触。決して彼女を舐めている訳ではないが、現実は残酷だ。
もちろん彼女は彼女でそれなりにあるのは知っている。
「……むしろ感謝をするのは私の方よ、亮くん」
「えっ……?」
そんな俺の思考を知ってか知らずか、背中で感じられる感触に重みが増す。
俺の耳元でそっと囁く東郷の吐息は心地良く、同時にこそばゆい。
かろうじて動く明晰なる頭脳が、東郷に対してのフォローを要求している。
「ひ、人って字はさ……互いに寄りかかっているよね。人と人は支え合って生きているんだからさ。ほら、夫婦とか……。それに親友が困っているのに見過ごす奴がどこにいるのさ。東郷さんの我侭なら俺はいつだって歓迎するよ」
「―――うん」
「……」
やや回らない口で言葉らしい何かを東郷に語っていると、首に回される彼女の細腕に力が篭った。
そんな中でふと、俺の頬に東郷の白い頬が触れてきた。
目を合わせるか少し悩んだが、止めておいた。
「…………」
「…………」
「…………」
全身から、東郷の香りが肉体に染み込むのを感じる。
東郷美森という存在に己が溶け込みそうな感覚になる。
もはや言葉など要らなかった。
俺たちは駐車場へと、できる限りゆっくりと、この時間を楽しむように歩いていった。
夕暮れに映る影は、いつの間にか一つの影となっていた。
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東郷と友奈が乗り込んだのを確認して、俺も帰路につく。
無言で歩く。
「……」
背中に、体に感じていた東郷の熱はもう残ってなく、後に残ったのは全身に感じる寂寥感だった。
そろそろ夕暮れも終わり、空に星の瞬きが見え出す。
「―――――」
そういえば、明確にこの世界が前世とは違うなと感じたのは、空も要因の一つだったと思い出した。
生前、都会どころか田舎にいた時ですらあまり見られなかった夜空の星。
それに比べて、この世界の空はあまりにも綺麗だった。
排気ガスや人が減ったことや、何百年もの時間が経過したこと。
言ってしまえば、別の世界だと言えばおしまいなのだが。
「……空が綺麗だな」
そう呟くと、5月だというのに、なぜか寒さを感じて足を速めた。
家までもうすぐとなった頃。
俺は玄関に明かりが灯っていることに気がついた。
誰だという疑問に対して答えは二択あるが、片方の選択肢は今までも無かったので解消される。
そんな時、俺の端末が震えたので画面を見た。
『結城友奈』と表記される液晶をタップし耳に当てる。
「……もしもし」
『あっ、亮ちゃん! 今どこー?』
「家。もう着くよ」
『分かった! それで……亮ちゃん。ゲームをしない……?』
「ほう」
彼女からその手の話題が振られるのは珍しいので立ち止まり、彼女の声に集中する。
鈴音のような声から発せられるゲーム内容は、別にゲームというよりはゴッコ遊びだった。
いくつかルールを加えつつ、始めることを了承する。
『やったー! じゃあ言ったとおりにね!』
「分かった。なら友奈も言ったとおりにね」
『うん!』
そう言って電話が切れる。
唐突に起きた事に苦笑しつつ、家の門扉を開け、玄関まで向かう。
扉を開けると、
「ただいまー」
「おかえりー。
にへらっとした笑みを浮かべ、こちらにトテトテと歩いてくるのは友奈だった。
俺がいつも料理をする際に着用する赤茶のエプロンを私服の上に身に着けている。
これから始めるのは、なんてことのないゲームだ。
友奈は瞳を宙に泳がせ、文言を思い出したように、やや頬を赤らめて俺を見る。
彼女の両手がせわしなく動き、やがて後ろに回される。
「えっとね……ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ、私?」
「もちろん――――」
家の扉は施錠しなければいけないのは常識人なら誰でも知っていることだ。
いかに神世紀とはいえ、キチンと施錠は怠らない。
誰かの侵入も邪魔もさせやしないべく、後ろ手に鍵を掛け直して微笑んだ。
「もちろん、
【リクエスト要素】
・東郷と亮之佑による夫婦芸を、自分もやりたくなり即座に実行する友奈
・東郷のぼた餅(意味深)を背中で堪能する亮之佑
リクエスト者に感謝を。