変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第三十三話 海が凪ぎ、静かに嵐を待つ」

 縹渺と広がる海原は、見ているモノが如何に矮小な存在かを教えてくれる。

 同時に、白い砂浜と彩色豊かな水着を身に着けた女達を呼び寄せる夏の海でもある。

 男達はいつの時代も、夏の海に対して感謝の心を忘れてはいけないのだ。

 

「―――――」

 

 しかし、双眼鏡を片手にパラソルの影に潜み、それでもなおシートの下から砂の熱さを感じる。

 夏風は素肌に生暖かさをなびかせ、じわりと背中に汗を感じさせる。

 たまらず亮之佑は己の額を殴るようにして汗をふき取る。

 

「あづい」

 

 わずか3文字。されどそこに篭った言葉には、少年の危機的状況を物語っていた。

 もはや喋ることすら億劫であると感じ、無言で佇み、汗をそっと拭った。

 そんな亮之佑の目には、動かない海と屹立した雲の景色が壁のように照り輝いて映った。

 

「風先輩。ソレ……」

 

「あげないわよ」

 

「……前から思ってましたが、風先輩ほど女子力に優れた女性を知りません」

 

「一口だけよ」

 

 赤と青のビーチパラソルの下に生まれた影に潜む亮之佑は、隣にいた犬吠埼風に話しかける。

 しかし無碍にも少年の願いは口を開く前に切り捨てられるが、数秒後に手のひらを返す。

 風から手渡されるかき氷一口分を、できるだけ大きく口を開けて少年は食べる。

 その様子を姉の近くにいた樹に苦笑される。

 

「っていうか、意外ね。アンタなら友奈や東郷とで遊んでそうだけど」

 

 風の声に導かれ、首から下げていた双眼鏡を少年は目に当てる。

 レンズから覗かれる景色は、肌色が作る豊かな谷間しか見えない。

 もう少しだけ倍率を下げると、可憐なる少女たちの水着姿とご尊顔を拝めるようになる。

 

 友奈と東郷は何やら楽しそうに話をしている。

 確かに彼女たちと戯れて遊ぶのも良いと少年は思うが、

 

「いや、俺も年ですしね。この炎天下で遊ぶと体力も削れるし、日焼けもするし……」

 

「女子かアンタは!?」

 

「そんな訳ないでしょお姉さま。……ほら、にぼっしーが参りましたわ」

 

「えっ、本当だ」

 

「誰がにぼっしーよ、まったく……」

 

 亮之佑の昏い瞳の向く方向に風も向くと、準備体操を終え、いつでも動けるといわんばかりのアピールをしてくる夏凜がパラソルの方向に歩いてきた。

 亮之佑が無言でミネラルウォーターを渡すと、サンキュと夏凜は告げ、ペットボトルの蓋を開ける。

 

 普段は服という衣に隠されたその乙女の肢体を惜し気もなく外に曝け出し、汗がほんのりと鎖骨を流れる様子は、亮之佑に「こいつ意外とあったのか」という認識に改めさせるには十分だった。

 同時に夏凜のは友奈未満という事で興味の失せた亮之佑はそっと彼女から目を逸らした。

 

「プッハー! さて風。こっちの準備はできているわよ!」

 

「しゃあない。瀬戸の人魚と言われた私が格の違いを見せてやるわ」

 

「呼ばれてるの……?」

 

「自称です」

 

 競泳の準備に入る風から余ったかき氷を恵んでもらう。

 屋台は近くにあるが、歩きたくなかった。さらに言えばどちらかというとイチゴ味の気分ではあったが、しょうがないのでブルーハワイ味がする青い氷を口に運ぶ。

 

「―――ぅ!?」

 

 唐突な冷たさが一瞬頭痛を生み、呻く。

 呻きながら、かき氷に掛けられるシロップ自体の味は色以外変わりないことを思い出す。

 それを思わず夏凜に告げると、

 

「へえー、っていうかなんでこのタイミング……?」

 

「お先ぃ!」

 

「あっ、待ちなさいよ風!」

 

 図らず風の手助けをすることになってしまった。

 慌てて風を追いかける夏凜の背中を亮之佑はぼんやりと見ながら、

 まぁかき氷の恵みの分だけは仕事はしたかなと思いつつ双眼鏡で二人の姿を追う。

 

「夏凜もいつの間にか、部にとけ込んだなぁ。あ、そういえば樹さ……」

 

「はい……?」

 

 かき氷がなくなり、両手でしっかりと双眼鏡を構え彼女たちの行方を追いつつ、

 たまに近くを通る肌色率の高いお姉さま方の方に視線を誘導されながらも、隣に座る樹に話しかける。

 

 樹は樹でレモン味と思われる黄色のかき氷をプラスチックのスプーンで掬い口に運ぶ。

 一口頂きたいなと思いつつ、来るべきタイミングを横目で確認しながら、

 

「樹の夢って歌手なんだね」

 

「ぶふっ――!!」

 

 夏の暑さに油断していた樹に端的に伝えた。

 樹の小さな口からキラキラしたモノが綺麗なアーチを描き、やがて砂に音を立てず落ち蒸発する。

 しかしそれを見届ける前に、慌てた樹が亮之佑にズイッと近づいた。

 少年を見る瞳はいつになく動揺を抱き、口は金魚のように開いては閉じられる。

 

「――ぇっ、どこで、あ、あの、誰にも、ぅえ……?」

 

「落ち着こう。元凶が言うのもアレだけども。はい、深呼吸」

 

「―――、ふう……」

 

 慌てている時に浴びせられる冷静な言葉は、僅かにだが樹にも作用した。

 素直に深呼吸をする樹の一部分をジッと見る亮之佑は、

 「成長はこれからだよ、なんせ姉の方はあるのだから」と心の中で慈愛をもって微笑む。

 

「……?」

 

「い、いや」

 

 やがて落ち着いた樹に、彼女の顔に浮かぶ数々の疑問にどう答えるかと、

 右手でなんとなく顎をさすり、亮之佑は答えていく。

 

「安心しなよ。先輩にはまだ話してない」

 

「そ、そうですか。良かったぁ……。それで、亮さんはどこでソレを知ったんですか……? 私、お姉ちゃんにだって話したことないのに」

 

 血を分けた姉に自身の夢を知られるのは恥ずかしい年頃の女の子は露骨にホッとため息をつく。

 樹の疑問はもっともだろう。己の意識では唯一の肉親にすら話したことのない乙女の秘め事。

 

 それを世間話をするように暴露されるとは思わなかったのは、先ほどの動揺が物語っている。

 その様子を見ながら、逡巡の末に亮之佑は話を続ける。

 

「俺の友達の、その友達が偶々ある歌手の応募サイトの運営幹部でさ。作っておくと便利なのが友達なんだよ」

 

「はぁ……」

 

「世界って狭いよね。人脈っていうのがここまで有効に活用できるまでには時間が掛かったよ」

 

 亮之佑の口から放たれたのは、樹の想像の遥か雲の上だった。

 せいぜいが何処からか聞き耳を立てていたのかも知れないとか、彼の頭脳が推測という形で作ったのかも知れないと思っていた。隣でクツクツ笑う彼に畏怖と尊敬の念を抱きつつ、問いかける。

 

「えっと、それでどういう……?」

 

「いやね、ちょっとした事を聞きたかったんよ。俺に無くて、樹にあるもの」

 

「……?」

 

 目の前で笑顔を浮かべる少年からそっと目を逸らし、樹は近くの砂を手に取る。

 日の光によっては黄金色にも見えるソレは、樹の手のひらから僅かな熱と共にこぼれ落ちる。

 その姿を見ながら亮之佑は言葉を続ける。

 

「夢だよ」

 

「夢、ですか」

 

「己の歌を他の人に聴かせようなんて、常人はあまり思わない。ここの意識の違いが夢を持つ者と、そうでない者を分けるのかなって。だから樹はどういう意思で応募を決意したのかなって」

 

「ひみ……」

 

「あっ、急に風先輩に何か小言を言いたくなってきちゃったな~」

 

「ず、ずるいですよ。……分かりましたよ」

 

 クツクツと意地の悪そうな笑みを口元に浮かべつつ、その目には樹に対する揶揄いの念はなく。

 むしろ、風の様な穏やかな草原を思わせる瞳を樹はその黒い瞳の奥に感じた。

 その目に誘導されるように自然と口が動いた。

 

「私のは夢ってほどじゃないんですけども……」

 

「うん」

 

「やってみたい事ができたんです。それがクラスメイトや勇者部の皆に誉められた歌だったんです」

 

「それだけ……?」

 

 彼が何を聞きたいのかを樹は考える。

 歌についてか。応募しようと決めた事か。そもそも自身が能動的に動こうと決めた根本的な事か。

 亮之佑の瞳には何も映らず、樹には彼が聞きたい事がよく分からなかったが、少し考えて口を動かす。少しでも自分の思いが伝わるように。

 

「やりたい事ができた、それだけなんです。でも理由なんてのはどんな物でも良いってお姉ちゃんが教えてくれたんです。頑張る“理由”があれば、どれだけ苦しくても目標に向けて頑張りきる事ができる。私は、お姉ちゃんの後ろじゃなくて隣にいたいんです」

 

「……そっか」

 

「はい」

 

「ありがとね、聞けて良かった」

 

「あの、亮さん!」

 

「どうした……? 焼きとうもろこしでも食べたいのかい?」

 

「えっ……」

 

 いつの間にか両者共に体育座りをして話していると、亮之佑が指を明後日の方向に向けた。

 彼の指が示す方向には、青いシャツを着た中年のおじさんが汗をかきながらも行列を作る多くの客たちを相手に焼きとうもろこしを売りさばいている。その屋台から漏れ出る醤油の何とも言えない匂いに一瞬樹の胃袋がうめき声を上げたが、無言で首を振り問いかける。

 

「いえ、そうじゃなくて。……その、亮さんの夢ってなんですか……?」

 

「俺か……」

 

 樹の問いかけに、亮之佑は手元に空気の入っていない浮き輪を取り寄せる。

 その手の先に見慣れぬ蒼い指輪を見かけ、樹が問いかけようとすると同時に。

 

 少しだけ悲しそうに微笑む少年は右手をこするように見せつけ、左手で浮き輪を上下に振る。

 すると一瞬で膨れ上がり、あっという間にドーナッツ型になった浮き輪を樹は呆然と見つめる。

 

「―――俺の夢は、最高の奇術師になることかな!」

 

「おおっ」

 

 先ほどの笑みとはうって変わり、

 にんまりとした笑顔で堂々と己の夢を語り、努力する先輩の存在は、樹には少し。

 

「……眩しいですね」

 

「眩しいと言うよりは暑くなってきたし泳ごうか、樹」

 

「ふふっ、そうですね」

 

「あっ」

 

 浮き輪を腰に装備し、時折双眼鏡で明後日の方を見つつも友奈や東郷の下に歩く亮之佑を、

 足の裏に砂の熱さを感じた樹は一瞬で追い抜き、一足先に海の冷たさを堪能する。

 

 その姿に間違いなく彼女たちは同じ遺伝子を持つ姉妹だと亮之佑は感じ、

 浮き輪を持って追いついた亮之佑は誰にも聞こえない程度の音量で、樹にだけそっと告げる。

 

「俺は応援するよ。その明瞭ではない夢を」

 

「……はいっ、ありがとうございます!」

 

 そう告げ、自分に笑いかける少年の姿を樹は見上げる。

 不思議で面白くて、カッコいい先輩だなと海に浸かりつつ樹は改めて思った。

 

「ところで、どうして浮き輪を……?」

 

「俺は海やプールに限らず水に嫌われているのさ」

 

「それって泳げないってことじゃ……?」

 

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

 やがて夕方になり、ビーチには人も少なくなった。

 朱を流しながら灼熱の太陽が海に沈み、夜を生み出す。

 その少し前に生み出される暮れ方の紫紺の水平線をぼんやりと見ていると、

 

「帰るわよーー」

 

「はーい」

 

 勇者部一行も旅館に移動することになった。

 己の名前が他人に呼ばれることを好ましく思いつつ、最後に目の前の黄昏の海と別れを告げる。

 そんな中で、東郷に日焼け止めを塗るという定番にして素敵イベントを友奈に取られてしまったことをふと思い出す。

 

 荷物を抱えながら、そのイベントを取られたショックで言うのを忘れていた言葉を思い出し、友奈に駆け寄る。

 ピンクのビキニにミニスカートという普段見ない水着姿に対して感想を言うべく亮之佑は口を開く。

 

「友奈さんや」

 

「なーに?」

 

「その水着、似合うよ」

 

「ありがと」

 

「……ん? アタシは?」

 

「風先輩もいい感じですよ。その模様とかセクシーですね」

 

「そうでしょ? 分かっているじゃな〜い。大体なんでアタシは男たちにナンパされないのか意味が分からないんだけど、どう思うよ? それに比べて亮之佑にはアタシから漂う大人の色気もとい、この身から溢れんばかりの女子力が―――――」

 

 黄昏の海に背を向け、旅館に向かう。

 その足に淀みはなく、僅かな疲れと満足感を残し、

 少年たちは迫る紫紺の水平から逃れるように、空腹に従って歩き出した。

 

 歩き出した。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 水着から浴衣に少し苦労しつつ着替えた後、指定された部屋に向かう。

 

「あの~、部屋間違ってませんか?」

 

「いえ、そんな事は。ごゆっくり」

 

 俺たちの着いた旅館ではやけに豪華な料理でもてなされた。

 流石に豪胆な風も少し豪華すぎないかと懸念していたのだが、

 

 大赦が絡む旅館であることもあり、勇者として選ばれた俺たちの事を最上位の客として認識しているのか。経験と時間がその身に刻まれた笑顔からは、客をもてなすという理念だけが感じ取れた。

 

「私たち、高待遇のようね」

 

「一応御役目の途中だけれどもリフレッシュも大事だろうし、大赦がらみの旅館ならいいんじゃないの?」

 

「つまり、食べちゃっても良いってことね」

 

 と、東郷が座布団に座るのを筆頭に、舌なめずりをする風も座る。

 その後全員が座ったのを確認し、風の音頭で「いただきます」をする。

 

「蟹さん蟹さん、ご無沙汰してます。結城友奈です!」

 

 蟹の鋏を指で摘まみにこやかに挨拶をする友奈はこの料理の光景を家族に送るという事で、携帯で写真を撮る。そんな友奈に釣られる様に女性陣が思い思いに撮り始めた。

 女性ってこういうの好きだよねーと思いつつ、俺も端末のカメラ機能を起動し夏凜に向ける。

 

「まったく揃いも揃って……」

 

「夏凜、こっち向いて」

 

「えっ!? 料理を撮りなさい、料理を!」

 

「そう言いつつも、引き攣った笑顔と共にピースをする夏凜だった」

 

「変なナレーションを入れるな」

 

「ほら、蟹やるから」

 

「え、いいの……?」

 

 蟹様の足をいくつか譲ると、ムッとした顔があっという間に平常モードへと戻った。

 俺は手に入れた浴衣夏凜のピース写真をどうしようかと考えつつ、目の前の料理に――

 

「亮ちゃん、ピース!」

 

「やれやれ……ピーーーース!!」

 

「おっ、いい声ね。けれどねアタシの声のほうが凄いわよ……、ピーーーーーース!!!」

 

「……ふふっ」

 

 ――集中できなかった。

 蟹様が起こす変なテンションは、東郷ママに全員が怒られる5秒前まで続いた。

 

「………」

 

 そんな中で、ふと園子の家でも蟹を食べたっけと思い出すと、自然と左手が握り締められた。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 食事を終えると風呂に入った。

 旅館の広々とした温泉に入ると、身体に溜まった疲れが染み出るのを感じる。

 

「あ〜、効くわ〜」

 

 小型のライオンの石像。

 その口から発せられるお湯のちょうど下で、湯圧をひとしきり感じた後。

 コーヒー牛乳の瓶を片手に、マッサージチェアのコンボを楽しむ。

 

「効くわー……」

 

 身体の節々が軋みを上げている。

 ぼんやりと手でほぐしながら牛歩のごとき足取りで寝る為の部屋に向かう。

 

 長く冷たい廊下をスリッパ越しに素足が感じ取る。

 この後は特にすることもなく寝るだけだ。

 指定されている部屋の襖を開けると、畳に敷かれた布団が6つ。

 

「あっ、来たわね」

 

「俺もここで寝るのね……」

 

 既に女性達によって5つの布団が占領されている。

 樹、風、夏凜と向かい合うように、東郷、友奈、そして空いている布団という構図だ。

 

「普通さ、ここは俺だけ個室のベッドとかじゃないの……?」

 

「何さらっとワンランク上の物を要求してんのよ」

 

「……」

 

「何よ?」

 

「夏凜はあれだね。髪を下ろすと可愛いね」

 

「なっ―――!?」

 

「あっ、もちろん普通の状態も素敵だよ」

 

 適当に夏凜をからかい、やや頬を赤らめる彼女に微笑みながら余った己の布団に身を横たえる。

 隣を見るとこちらをジッと見る友奈と目が合いつつも、赤い視線を躱し風と話をする。

 

「それにしても、なんで俺もここなんですかね」

 

「さあ……、でもアンタなら大丈夫でしょ」

 

「……」

 

 それは俺を男として見ていないのか、それとも信頼されているのか。

 きっと後者の方だろうと俺は結論付け、女性陣から一定の信頼を得ていることを嬉しく思った。

 そして、俺が来たのを皮切りとして、乙女+紳士による夜の会話が幕を上げた。

 

 紳士がいるにも関わらず、彼女たちは平然と際どい話を始める。

 風を筆頭に、恋の話を始める。

 「では、誰か恋をしている人はいますか……?」という友奈の発言に静まりかえる空気の中で、

 俺は友奈の方に視線を向けるが、彼女は頑なに俺と目を合わせようとはしなかった。

 

「まぁ、皆勇者でそれどころじゃなかったですしね」

 

「そういうアンタは何かあるの……?」

 

「あれは、2年の時だった……」

 

 夏凜が風に話を振ると、およそ10回目になる風のチアガールの話を聞く羽目になった。

 久しぶりに聞く彼女の話は微妙に以前より盛っている気がしたが何も言わないでおいた。

 夏凜は1回目だし、聞き応えはあっただろうが、俺たちにとっては眠いだけだった。

 

「えーい、次の話題。友奈! 際どい話をして」

 

「ええっ、無茶振りですよぉ……」

 

「いや、友奈ならきっとある!」

 

「あ、ありませんよ!」

 

「際どい話なら任せて下さい」

 

「東郷のは別の意味で際どいでしょ……っていうか夏凜もう寝ているし」

 

「可愛い寝顔ですね」

 

「しゃーない、アタシ達もそろそろ寝よっか。夜更かしは乙女の敵よ」

 

 そうして部屋の電気が樹によって消され、俺たちは眠りについた。

 端末を充電するべくコンセントに繋ぎ、皆でおやすみを言い、床につく。

 電気を消した後、東郷による怖い話もあったがスルーした。

 さて眠るかと目蓋を下ろし、眠ろうとして――

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

「―――――」

 

 部屋に響くのは時計の針が時を刻む音と、

 少女たちの寝息と、時折風が呟く寝言だけだ。

 

「―――――」

 

 眠れなかった。

 別に思春期特有の彼女達の甘い匂いや息遣いにドキドキしたとかではない。

 むしろ、そんな理由だったらどれほど良かっただろうかとため息をつく。

 隣を見ると、安眠なご様子の友奈が枕に顔を埋めている。

 

 そっと彼女の紅色の艶のある髪を撫でる。

 ずれていた毛布を掛けなおし、起こさないようにそっとその場を離れ、窓辺の椅子に座る。

 暗い海を窓から見下ろし、椅子に背中を預けるとギシッという音を立てた。

 

「……」

 

 亮之佑にとって、眠れないということは最近はよくあることだと思っている。

 己の城でもある家で眠れる時に眠れれば十分だ。

 最低限の睡眠は確保しているし大丈夫だと割り切り、指輪に己の意識を集中させる。

 

 やがて、己と蒼い指輪の鼓動が一つになるとき。

 亮之佑の意識は肉体を離れ、指輪に吸い込まれた。

 

 

「……ん?」

 

 そこは常夜の世界だ。

 それがこの世界の常識であり、度々訪れる亮之佑にとっても慣れたものだ。

 だが、今日の世界は少し有様が異なっていた。

 

 まず草原ではなく、一面砂浜だった。

 時折黒い髪をなびかせる冷風は、潮の匂いがする海風へと変わっていた。

 この世界の象徴でもある桜の大樹は変わらないが、その先は青い海が広がっている。

 

 そして、大樹の下で優雅にこちらを見下ろす初代は、なぜかビキニ姿だった。

 そして俺も海水パンツとサンダルのみという格好だった。

 世界は形が異なれど、その創造主が変わった訳ではない。無言のまま砂の丘を歩く。

 

「やあ、せっかくだから向こうと同じくそれっぽい世界に変えてみたけど、どうかな?」

 

「微妙」

 

「ボクも、たまには素直に褒められたくなる時があるのだけれども」

 

 黒いビキニは隅に赤いハートマークの模様があり、作成者による遊び心を感じさせる。

 決して華やかではない、淑やかな彩りの水着に身を包んだ少女。

 

 日に焼けることを知らない白い肌は月夜の青白い光とランタンの燈色によって照らされ、

 彼女の独特の雰囲気も含めて、目の前に映る少女がとても美しく感じた。

 曲線の美しい胸を持ち上げるように腕を組み微笑む初代に、俺は苦笑という態度で接する。

 

「―――似合うよ」

 

「それはどうも」

 

 誘われるまま白い椅子に座り、白いカップを手に取る。

 カップの中にある琥珀色の液体は、言葉では表現しづらい謎の味がした。

 初めて飲むソレに眉を顰めて、俺は思わず目の前の少女に問いかけた。

 

「これは……?」

 

「お茶だよ。飲むだけで僅かだが因子量が増えるというスペシャルな物だ」

 

「……」

 

 別段不味い訳ではなく、かと言って美味しい訳でもないソレは、

 残念だが、次に飲む機会があったら是非とも遠慮したいと感じる味だった。

 俺が椅子に座りカップの液体を飲むのを見届けた初代は、やがておもむろに口を開く。

 

「さて、それじゃあ今回は世間話は抜きにして、話をしようか」

 

「ああ」

 

「とはいっても、あまり時間もないが……そうだね、まずは乃木園子の件は残念だったね」

 

「……」

 

 数日前、遂に俺は全ての病院を一通り探し終えた。

 しかし結論から言うと、園子は見つからなかった。遅かったのだ。

 全ての情報は大赦によって消されてしまい、既に繋がりは絶たれてしまった。

 分かっていたが、何の手がかりも掴めないというのは精神的にキツイものがある。

 

「まぁ、落ち込むのも無理はないだろうね。一連の動きによって新たな人脈とコネ、何より変装術を一流のソレに昇華させられたが……」

 

 赤い瞳は、それじゃあ満足できないんだろうと問いかけてくる。

 その通りだった。思考はともかく、感情が悲鳴を上げていた。

 ともすれば発狂しそうになるソレを無理やり抑え込み、どうにか日々を生きていた。

 

「もう少しすれば宗一朗が会わせてくれるというらしいが、どうする気だい……? いっそ彼にこの件を預けて、バーテックス撃破の方に今は尽力してみては如何かな」

 

「……確かに、このまま腐っていても園子が見つかる訳じゃない。振り出しに戻ってしまったけれども、決して無駄になった訳じゃないさ。宗一朗を信用していない訳でもないが―――」

 

「―――背後の大赦が信用できないと」

 

「そうだ」

 

 初代の言うことはもっともだ。

 勇者としての御役目と学業、合間に園子探しと休む暇も無く神経を削ってきた側としては、何も掴めないという結果は残念で仕方がない。初代の言うとおり、いずれ宗一朗が会わせてくれるのであればこちらも安心できるが、果たして本当に会うことができるのかという不安と危惧が付き纏う。

 

 そもそも会わせるというのに時間が掛かること自体が懸念の材料でもあるのだ。会いたいだけなら会わせることは可能なはずだ。それすらさせないのには明らかに何かが関わっていると考えて間違いない。

 

「では、キミにこれ以上の手があるのかい」

 

「……」

 

「無言は肯定と同義だよ。キミにできる事は行ったが大赦の方が上手だった。それだけだ。掴めない物に想いを寄せるのも良いけれども、目の前に迫る脅威の方が優先度は高いはずだよ。まずはそちらの対処に専念した方がいい。この世界が潰れて困るのはキミだってそうだろう……?」

 

「まぁ、そうだな」

 

 結局は割り切るしかない。悪いのは捜索に手間取った自分なのだから。

 頭を振り、強制的に考えないようにして、他の話題に移る。

 議題は園子からバーテックス関連にシフトする。

 

「結局、その13体目については何も分からないのか」

 

「そうだね。記録では、黄道十二星座の名を冠する12体のバーテックスが襲撃を仕掛けるようになったのは、実は最近の方なんだよ。そもそも、ボクとしてはなぜ十二星座なのかという方が疑問だね」

 

「と、いうと?」

 

「言葉通りさ」

 

 そう告げる初代は、カップに残る琥珀色の謎液体を飲む。

 そうして喉の渇きを癒したであろう彼女は唇を舐める。

 

「星は、太陽系が属する銀河系に約2000あると言われていた。それだけじゃない。星座だって季節ごとに変わる。春、夏、秋、冬という風にボクたちから見上げる夜空は時と共に姿を変える」

 

「確か、全天88星座だっけ。アンドロメダとか」

 

「そうだね、その中に黄道十二星座も含まれている訳なのだけど。どうしてたったの12体しか攻めてこないのかが疑問なんだよね……。でだ、ボクとしては簡単な答えを推測したのだが」

 

「敵が舐めプしていたとか……?」

 

「油断ってことだね。ソレもあるんじゃないかな。だって星っていうのはボクたちの時代、つまり人類の全盛期ですら文字通り無限で観測できなかった星は多くある。相手側の兵力というのは不明だが、その気になれば星屑だけで間違いなく人類を滅ぼすことができるのは過去に証明されているからね」

 

「回りくどいのは好きじゃないんだ、分かりやすく言ってくれ」

 

 そんな俺の様子に初代は片方の眉を釣り上げるが、

 しょうがないとばかりに話をまとめる。「推測だけどね」と言う初代は、

 

「つまりだ。人類が300年掛けて少しずつシステムを改良させたように、あちらも敵を送ることでこちらを確実に屠る情報を得る。あちらにとっては12体での襲撃なんて唯の前菜。新しく作られた13体目こそが本命で、確実にこちらを滅ぼすために何らかの準備でもされているんじゃないかな」

 

「……、前途多難だな」

 

「それに、13体目を倒したからって終わりではない可能性が高いのはキミも気づいているのだろう?」

 

「敵は随分と多いものだな……」

 

「どんな風に生きても、敵を作らない者なんていないのさ」

 

 初代は口元を歪ませクツクツと笑う。

 その様子を見ながら、俺はあの紅の世界を思い出し、彼女から目をそらす。

 

 ふと桜の大樹の奥に広がる海を見た。

 海は泥のように黒々とし、時折風に凪いだ海が夜空を映し出す。

 己の視界には、黒と見間違えそうな紺色の海が広がっている。

 その光景を見ながらカップに残った液体を飲み干すと、先程よりも苦く感じた。

 

 

 


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