変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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平和な日常回です


「第三十六話 世界に彩りは無く、痛みに溢れる」

 夢を見ていた。水の中で溺れる夢だ。

 

 意識が上昇する感覚は、水面に浮かび上がる時と似ている。

 身体全体に及ぶ倦怠感と、衣服が吸い込む水の重みで沈んでいく。

 

 手を伸ばす。

 水面は近いはずなのに、そこから光が見えるのに、届かない。

 

 助けを求めて無我夢中に動く。

 ジタバタともがく醜態をさらすが、誰も自分を助けてはくれない。

 口を開くと待っていたとばかりに黒い汚水が己の中に入り込む。

 

 鼻から、口から、水が内部へと潜りこむ。

 それで終わり。人が死ぬには十分だ。

 

「――――――」

 

 手を伸ばすが、誰も助けてはくれない。

 光は届かず、闇に抱き込まれる。ソレは祝福であり、呪いであり、愛であった。

 それだけの話だ。

 

 

 

---

 

 

 

「――――――、………」

 

 虚ろな夢は、目蓋を開けると終わりを告げた。

 夢から覚めると鈍い頭痛が響く。

 その痛みは心地の良いソレとは真逆の存在であったが、視界に掛かる靄が払われた。

 

 意識がやがて眠りから乖離し、肉体に血が巡り出す。

 両手を動かし動くことを確認し、目の周りを押し込み軽いマッサージを施す。

 その後、眦を力ませた後、再度目蓋を開く。

 

 白い天井だが、よく見るとややヒビが入っているのは長年この施設が使われた証拠だろう。

 見覚えのある部屋だった。同時に、何かが異なっていた。

 

「あー」

 

 声を確認する。しゃがれた声は朝特有のソレだが大事な事は他にある。

 自らの思考が稼働を開始する。手足が動く事を確認する。

 ここが病院のどこかであると直感する。視界は――、

 

「……」

 

 自らの肉体を横たえたまま、瞳だけを動かす。

 白く、それでいて薄暗い部屋だ。

 ベッドの近くには小さな白いテーブルが目につく。

 次に灰色の床に目を下ろす。

 白いカーテンは窓が閉められているのか、風に揺れる様子もない。

 周囲は暗く、恐らく夜だろう。

 

「……」

 

 違和感の正体が掴めそうで掴めない。

 ナースコールをするかは少々保留する。

 そうしていると、掛け布団と自らが発する熱とベッドの柔らかさに微睡み始める。

 ソレを少し堪えて薄暗い部屋の中、一人思考を進める。

 

 どうやらあの戦いの後、大気圏の突入に成功し、地上に帰ってきたようだ。

 ここが天国でなければそうなるが、色々生き残れた要因があるのは間違いない。

 

「……」

 

 自らの手を見る。

 暗いからだろうか、灰色の手のように見える。

 身体に痛みは特に感じられない。怪我も無いようだ。

 掛け布団を掛け直す。戦場を駆け巡った戦友達もきっとこの病院のどこかだろう。

 

 自らの体内時計と照らし合わせても、前戦闘からさほど時間は経過していないと感じる。

 それだけ分かれば、今は十分だ。

 目蓋を閉じると暗い天蓋が視界に広がる。

 それに安堵を覚え、次はせめて不快な夢を見ないことを祈って朝を待った。

 

 自らの異常を知覚したのは、朝になり医者とナースの顔を見てからだった。

 

 

 

---

 

 

 

 入院着に着替える。

 なんだかんだで結構着る機会のあるコレは、灰色をしていた。

 先ほど知り合いの禿げ医者と話をし、それなりに可愛いナースから血を抜かれた。

 

 指定された談話室へと向かっていると、廊下のT字路にて友奈を見つけた。

 亮之佑が彼女を見つけると同時に、少女は柔和な笑みを浮かべる。

 

「友奈も診察終わったのか」

 

「うん、きっちりばっちり血を抜かれたよ」

 

「俺もだよ」

 

 そういって灰色の入院着を捲くり、友奈は困った様に笑いながら腕を見せる。

 彼女の細く白い腕、肘の部分に小さな白いガーゼが貼られている。

 二人して談話室へ向かおうとすると、

 

「亮ちゃん」

 

 唐突な行動で、何もできなかった。

 友奈から目を背ける形で顔を逸らした亮之佑は、自らの顔を撫でる手に気がつき、

 次いで、眉をひそめた友奈との距離が近いことに気がつく。

 

「……亮、ちゃん」

 

「どうした……?」

 

 友奈の手はひんやりとしていて心地良いと亮之佑は感じたが、

 その両手が完全に頬に触れ、逃れることを許さないとばかりに力を強めると少し慌てた。

 

 思わず目を細めるが、逃がさないとばかりに少女の目は大きく見開かれる。

 柔く白い彼女の童顔が亮之佑の視界一杯に広がる。

 目を逸らそうにも、自らの顔を押さえる二つの手がその行為を許さないとばかりに強まる。

 

「えっと」

 

「……どうした、じゃないよ」

 

 とっさに逃れようとするが、既に掴んでいた彼女の力の方が強く抵抗は許されなかった。

 下がろうにも後ろは壁で、しばらく無言でお互いの瞳を覗き込む。

 眉をひそめる友奈の瞳には亮之佑だけが映りこむ。

 

 そこに映りこむ少年は、しばらく少女を見返した後。

 そっと目の前に映り込む光景に対して、瞼を閉じて対応する。

 こちらを見て潤む彼女の瞳の色をまだ思い出せることに少年は人知れず安堵する。

 

 ひとまず、彼女の質問に対してどう答えるかを考える。

 可能な限り、友奈という少女に対して嘘は言いたくないと考えて、結局正直に言う。

 というより流石に誤魔化しは利かないようだ。

 

「―――戦いの疲労によるものだって、医者が言ってた。療養したら治るらしい」

 

「そう、なんだ」

 

 安堵のため息をつく友奈の声に、そっと薄目を開く。

 ここで下らない嘘を言うつもりはない。小さな嘘はいずれ不信感を生む。

 そんな事を少年は考える。

 

 先ほどと変わらず、不安そうな顔をする友奈。

 同時に、「治る」と医者が言ったと聞いたからか、友奈はやや安堵の笑みを浮かべる。

 目の前の少年の事が心配で堪らないという表情は、少年の心に薄暗い快感をもたらした。

 

「えっと、今の目の色もカッコいいと思うよ。赤色で」

 

「あー、うん。心配してくれてありがとう。……そうらしいね。友奈はどこか異常はないの……?」

 

「うん」

 

「嘘ついていたら、くすぐりの刑に処すよ。本気の」

 

「それは嫌だなー」

 

 軽口を友奈と言い合いながら、瞼を開くと再び見慣れぬ世界が広がる。

 目を開けているよりも、瞼を閉じると広がる暗い世界に安心しそうになる。

 早く慣れなければと思いつつも、再度暗く閉ざした瞼の中で鈴音の声に酔いしれる。

 

「……」

 

「……本当に大丈夫?」

 

「まぁ、ぼちぼちだよ。今は友奈という人肌が恋しくて」

 

 そんな軽口を叩きつつも、目の前で不安の減らない彼女を抱きしめる。

 病院着越しに彼女を感じる。

 瞼を閉じるから分かる彼女の鼓動、息遣い、声、匂い、体温。

 “それらは”何ら変わってないという事実に安心し、女子特有の柔らかい身体を抱きしめる。

 

「――――」

 

「――――ん」

 

 友奈はそんなお向かいさんのスキンシップにしょうがないなと思いつつ、

 おずおずと両腕を少年の背中に回す。

 少しでも彼の不安が減ってくれるように、そう思いながら抱きしめ返す。

 

「……行こっか」

 

「そうだね」

 

 しばらくして、名残惜しくもあったが、ここが病院であったことを思い出す。

 入院棟でもあり、既に遅い時間でも人はそれなりにいるが運が良いらしい。

 少々恥ずかしげに微笑み合い、無言で談話室へと向かうべく二人して移動する。

 

 そんな中で、亮之佑は立ち止まり、窓から外を見つめる。

 

「―――――っ」

 

 その光景を見て一瞬だが、本当の意味で異世界に来たように感じた。

 そっと景色から目を逸らし、病院にいることに感謝した。

 

 生まれる吐き気を噛み殺し、なんでもない顔をしながら、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

---

 

 

 

『続いてのニュースです。昨日未明、工事中の高架道路から大型トラックが落下し、多数の死者が出た事故に関する続報です』

 

 談話室に着くと、既に主だった勇者部の面々が揃っていた。

 当たり前だが彼女たちも入院着に着替えており、ニュースを見ていた。

 ニュースを見ると、もう16時なのかと驚く。

 

『続いて、火災によって6人の死者が出た事故についてですが――――』

 

 無言で近づくと、最初にテレビを見ていた風が気づいた。

 

「おっ、2人も診察終わったのね」

 

 頷く傍らで、風の顔をじっくりと見る。

 風は、左目部分を白い医療用眼帯で覆っていた。

 何があったか聞くか少し悩んでいると、視線に気づかれたのか風が友奈との会話をやめる。

 

「……あっ、これね。この眼が気になるか。これは先の暗黒戦争の中、魔王と戦った際、奴の魔力暴走を封じるために犠牲になったのだよ……」

 

「な、なんだって―――!」

 

「いや、左目の視力が落ちてるんだって」

 

「ちょっと、今良い感じだったのに!」

 

 適当に風の設定に驚いていた感じで対応するが、その茶番が我慢の限界にきたのか、

 最終的に夏凜が茶々を入れてしまう。

 そんな中、もしかしてバーテックスから何かを貰ったんじゃと顔を曇らせる友奈に、

 

「あー、違う違う。戦いの疲労によるものだろうって。勇者になるとすごく体力を消耗するらしいから。この眼も療養したら治るってさ」

 

「そうなんですか……」

 

「なんたってアタシたち、一気に7体もバーテックス倒して、1体を撤退させたからね。体も疲れるのよ……って、亮之佑こそその眼どうしたのよ!」

 

「ふっ……これは、カラコンでひゅ」

 

「戦いの影響で、眼の見え方に少し異常が出たそうなんです」

 

「そっか……」

 

「……」

 

 さすがに見た目の方は誤魔化しが効かず、風に聞かれると他の勇者部員にも見られる。

 少女たちに注目される状況の為、真面目な顔をして風の真似をする。

 

 そんな訳で右手を顔に当てつつ茶化すと、隣にいた友奈にわき腹を突かれる。

 変な語尾みたくなった俺に代わり、先ほど説明した事を友奈に告げられてしまう。

 

 ゴホンと空咳をして、やや白けた少女たちの目を回避すべく、

 他に身体に異常が出た人はいないかと戦友たちに聞いてみると、東郷が答えた。

 

「他には樹ちゃんの声が出ないみたい。勇者システムの長時間使用による疲労が原因で、すぐに治るだろうとお医者様が言ってたんだけど……」

 

「……そうか」

 

 東郷の言うとおり、樹の方に目をやると困った顔をして唇を指で示した。

 疑った訳ではないが、喋れないというのは生活に難があるだろう。

 

 無言で佇んでいたからか、次第に空気が淀みだす。

 医者が言っていたが、本当に治るのかという不安に包まれた空気だ。

 その空気を読んだのか友奈は両手を広げて注目を集める。

 

「そ、そうだ! 私たちバーテックスほとんど全部やっつけたんだよ! お祝いしないと……ね? 亮ちゃん」

 

「そうだね、友奈の言うとおりだともさ……。諸君、宴の時間だ! 大いに食らい、飲もうではないか! 酒ダルを持って来ーい!」

 

「いや、あんた何キャラよ」

 

 

 

---

 

 

 

 テーブルに売店で買ってきたお菓子とジュースを広げ、皆で乾杯する。

 祝勝会とも言えない小さなソレは、疲れた心を癒した。

 

 風の堅い音頭に笑い、腐ったような色のお菓子を食べた。

 飲んでいたコーヒーは缶だからかあまり問題なかった。食べている最中、ひどく頭痛がした。

 端末自体は、一応念のためということでメンテなど行わず点検のみですぐに返還された。

 

 その小さな宴が終わり、解散後のことだった。

 東郷の入院する部屋に東郷本人と車椅子を押す友奈、俺が向かう。

 誰もいない静かな廊下で、友奈の声が響く。

 

「亮ちゃんと東郷さんはまだ入院が長引くんだね。私は明後日だから」

 

「検査に時間がかかるらしいって。まあ東郷さんと仲良く病院で暮らしているよ」

 

「……友奈ちゃん」

 

「何?」

 

「身体のどこか、おかしいところ、あるよね」

 

「え?」

 

「さっき談話室でジュース飲んでいた時、友奈ちゃんの様子、変だったから」

 

「……うーん。でも大したことじゃ――」

 

「話して」

 

「………味、感じなかったんだ。ジュース飲んでも、お菓子食べても……」

 

「……」

 

「でもでも、大丈夫だよ。亮ちゃんの眼と同じじゃないかな? すぐに治るよ。でも、お菓子もご飯の味も分からないなんて、人生の7割は損だな〜」

 

 無言で前で車椅子に座る東郷の様子は見えない。

 なんてことなく言う友奈の様子は何も変わらない。

 穏やかな表情を浮かべていたが、その様子に俺は打ち震えた。

 

 気がつかなかった。

 

 彼女の異変に、東郷は気がついても、俺は気がつけなかった。

 他の事を見ている余裕は無かった―――否、そんな事は言い訳にはならない。

 例え、目の前に広がる世界がどんな物に成り果てようと、

 俺は彼女の異常にも、キチンと眼を向けなければならなかったのに。

 

 吐き気がした。

 

 

 

 

 

 夜。

 食事として出された御盆の上に載るソレらを見る。

 この時、世界を構成する色というのが、どれだけ大事か理解した。

 

 米はかびた色をしている。

 サラダは萎びた灰色に近く、肉は言わずもがな。早い内に慣れなければいけない。

 御盆の上に載る食事は腐っていないはずだという事も分かっている。

 けれども、変わり果てたソレらに吐き気が止まらず、ほとんどを残した。

 

 たまらずトイレに向かう。

 洗面台で手を洗いながら、改めて鏡で自分の顔を見た。

 

「―――――」

 

 黒い髪は変わらない。

 健康とは程遠い肌は、病的に白く見える。

 だが、後ろに映る世界は随分と灰色に見える。

 そして何より、自らの目は、他の人々は赤い色になったと言っていたが。

 

「ひどいな……」

 

 変わり果てたことに思わず笑う。笑うしかなかった。

 

 

 全てが色褪せた世界の中で。

 鏡を覗く瞳は、赤黒い血の色をしていた。

 

 

 


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