「……」
目線を下げると、川面が目に入った。
いつの間にか夕暮れなのか、遠くの方で黄昏の光を次に見た。
どうしてこんな場所にいるのか。
よく覚えていないが、別に思い出したからどうだと言うのだろう。
「それに、しても」
黄昏の光を浴びた川面は、うねりうねって解きほぐした絹糸の束のように、
艶々しく、なよやかに揺れながら流れている。
そこに立ち塞がる俺を避けるように流れている透き通った流水は、両足にぶつかると泡を作る。
「―――――」
膝下まで気がつくと水に浸かる。
しばらくそうやっているが、生暖かい風が頬と水面を優しく叩き、ようやく我に返る。
いかに夏の気候であってもそろそろ夜になる。このままでは風邪を引いてしまう。
「……亮ちゃーん!」
ズボンが水を吸い込み、歩く事すら億劫に感じ、もうこのままでいいかなと思い出した時。
ふと、暖かで思いやりに溢れた声を聞いた。
遠くの方から、砂利を踏みつつそれなりの速さで走ってくる活発そうな少女。
「ゆう、な」
「うん、結城友奈です! どこに行ったのかなーって思ったら……。もしかして、この後の用事忘れちゃったの……?」
「用事? 何か、あったっけ」
「えー、酷いよ。夏祭りだよ、夏祭り! 勇者部で行く予定だよ。皆待っているよ!」
夏祭り。
日本に住まう者なら聞いた事が無い者はいないだろう。その名前の通りの行事だ。
農村社会では、夏季の農事による労働の疲れに関わる行事だったと生前聞いた気がする。
生前、誰かと夏祭りに行ったことはない。
家族とすら行ったことは無かった。だから一人でコッソリ行き、地元の屋台でわたあめを買ったりした。
そんな郷愁に駆られる様な思い出が僅かに思い出されるが、
生前のソレらは結局楽しい事があったようで無い黒歴史でもある。
まあ、その歴史が今の俺を作っているのだから、結果オーライという奴だろう。
所詮は過去の事、いや別の世界の事だ。
「はやくはやくー」
「……分かったよ」
流れる川の中から、ゆっくりと足を出して砂利道を歩く。
水浴びをしていた俺のすっかり冷えた手を、友奈は握り締めるように掴んだ。
とりあえず家で着替えないといけない。
足早に俺たちは家に向かった。
---
「亮。お前、今どき川で水浴びって……ないわー」
「いいじゃないですか、たまには童心に帰るのも大事なことですよ」
「……いや、現在進行形でお前って子供じゃないっけ」
「僕はそろそろ40歳なんで」
そんな宗一朗の戯言を聞き流し、俺は慌てて着替えを終わらせる。
たった今出来上がった洗濯物を洗濯機に詰めようとしていると、綾香が代わりにしてくれた。
「ほら、友奈ちゃんが玄関で待っているでしょう。後はやっておくから」
「あ、ありがとうございます」
「そうね、お礼として屋台で何か買ってきてね」
慌ただしく準備を終えると、玄関に佇む友奈の姿があった。
こちらに気がついたのか、にこやかに笑いかけてくる。
「待った……?」
「ううん、すぐだったね」
玄関で靴を履いていると、唐突に後ろから声がかけられた。
太い声なのは、家の住人の中では間違いなく宗一朗だろう。
「おーい、亮」
「……ん? おわっ!」
やや黄色の巾着袋を投げ渡された。
慌てつつも受け取ると小銭入れのようで、ジャラッという音がした。
廊下に顔を出した野郎は、こちらを見据えてサムズアップをしてみせた。
つまり小遣いのようだ。サムズアップを返す。
「――――――いってらっしゃい」
「……いってきます」
背後で聞こえる彼らの声を聞きながら、玄関の扉を閉めた。
やけに懐かしく感じた。
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柳の青い幹に電灯の電線をくねらせて並んでいる夜店の存在が、縁日らしい砕けた感じを与える。
そんな中で友奈と手を繋ぎ離れないように、それなりにいる人混みの中を進んでいると、
「遅刻よ、遅刻」
「ごめんごめん。連絡はさっきいれたじゃないか」
沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、
浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏まれながらも、それなりに賑わいを見せている。
個人的には、生前いた都会の方の花火大会より、それなり程度の賑わいであるこちらの方が好きだ。
暗い沿道には多くの屋台が並び、彩りに溢れた光景に眼が痛んだ。
俺たちが着いた時には、既に勇者部は全員揃っていた。
どうやら勇者部の依頼で一、二本の依頼があったのをすっかり忘れていたらしい。
携帯も持ち歩かずに俺は一体何をやっているのだろうか。
どうやら、夏の暑さにすっかり気が緩んでしまったらしい。
頭のネジの一本でも外れてしまったのか。
そんなうっかり屋さんである俺を友奈が探して、ここまで連れてきたらしい。
そんな訳で眦を吊り上げて怒る夏凜に、屋台で売っている煮干しを奢ることにした。
「あら? お二人さん、仲がよろしいですね〜。青春ですかな、グフへへへ……」
「お姉ちゃん……」
「……はい! 仲良しですよ! ねっ、亮ちゃん」
「えっ、―――――そうだな……仲良しですよ」
友奈が俺の手を繋いで引っ張ってきた事に対して、風が揶揄う。
年頃の少女ならば、同年代の揶揄いの声に堪らず手を放すと思ったが、
そんな事はなく、寧ろ友奈は無邪気な笑みを浮かべ、俺と繋いだ手を風に見せ付ける。
仲良しアピールついでに、にぎにぎしてみせた。
そんな感じでしばらく彼女と手を繋いだ後、やんわりと外した。
決して勇者部の面々に微妙に生暖かい目で見られているからではない。
東郷の下に友奈を送り出す為である。
「ところで、みんな浴衣姿だけど……どうしたんですか?」
「あ、コレ? 商店街の依頼の一つを終わらせた時に、貸して貰ったのよ。……どうよ、コレ。女子力にやられて惚れるんじゃないぞ?」
風が何か、思わず鼻で笑いそうになる事を言っていたが、
それを抜きにしても、彼女達の浴衣姿は色合いや装飾も含めて非常に似合っていた。
「――――似合ってますよ、風先輩も、皆も。浴衣の魔力で普段よりも可愛く見えますよ」
「……えっ、あっ、そう? ありがとね……」
「あ、あんた、そういう事言って恥ずかしくないの……!?」
「えっ、どうしてー? よくわかんなーい」
こういう文句は、恥ずかしがったら負けなのだ。
真顔で堂々と言い放つ。これこそが鏡の前で練習した成果である。
なんだかんだで風や夏凜にカウンターを返して反応を楽しむ事が癖になりそうだ。
思わずクツクツと笑いが出たが、風に話題を変えられた。
「ところでさ、亮之佑は準備はできてるの……?」
「準備」
「……ん? だからもう一つの依頼である、手品ショーよ」
ところで、深呼吸する時は、一度息を吐ききった方が良いらしい。
数回行えば落ち着く方法として、俺はこれを起用している。
息を吐いた後、一息に息を吸い込むと、女子特有の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
意図せず入り込んだソレを肺に満たす行為を数回行った後、俺は再び風に話しかけた。
「それ、くわしく」
「あそこに特設舞台があるでしょ? アンタの腕を運営の方が見込んで是非やって欲しいとの事よ」
「頑張ってください」
「……」
風が指をさす方向に確かに特設舞台が設置してあり、今も何かのイベント事をしている。
舞台の前では、浴衣姿で椅子に座る客や立ち見客などが、屋台の商品を食べながら賑わいを見せている。
そこには笑顔や拍手喝采があり、和やかでありながらも華やかであった。
しばし無言でその光景を俺は無表情に、あくまでクールさをもって眺めた。
心臓もクールに凍り付く中で、微笑を浮かべる樹の声援が耳を素通りする。
「あれ、結構な人がいますね。順番っていつぐらいでしたっけ……?」
「ちょっとしっかりしてよ亮之佑。アンタのは確か15分後よ。そろそろ準備して待機した方が良いかなと思ってさ」
非常に帰りたい。
身に覚えのない展開に、胸中でため息をつく俺を誰が責められるだろうか。
だが、ここで帰れば勇者部の名声に傷がつく。
尚且つ、奇術師でありながら、夏の夜に燃えない男はいない。
「……いや、ちょっとした確認ですよ。じゃあちょっと準備しますので。皆はどうするんですか?」
「当然、亮ちゃんの舞台だもん、見ないと損だよ! ねっ、東郷さん」
「そうね友奈ちゃん。亮くんの奇術の腕がどれだけ上がったか見たいもの」
不敵な笑みを浮かべながら、俺は自身の退路が消えたことを知った。
夏凜ですら何だかんだ興味のありそうな顔をして、
「せっかくだから見てあげるわよ、変な勘違いしないでよね!」みたいな事を言っていた。
まあ、彼女達の期待に満ちた目というのは心地良く感じた。
失望の眼差しでも、無能を見るような目でもない。
俺を信頼し、信じているという眼差しは、くすぐったくもあり、必ず応えようと思った。
---
……という訳で。
俺は今、大急ぎで手品ショーの準備を完了させていた。
よくよく考えたら、何かのプレゼンをやる訳でもない。
気楽に行こうじゃないか。
「ん、んー。テス、テス。ショータイム……」
次いで衣装についてだが、面倒だし勇者服で問題ないだろう。
ポケットを叩くと、色々と道具が出てくる。
左目にモノクルを装着し、いつかの黒ハットを被るとあら不思議。
奇術師かっきー、ここに見参!!
「加賀さん、出番です」
「あ、はい」
運営の方に呼ばれて、最後に深呼吸する。
なせば大抵なんとかなる、だ。全員を魅了してやる凄まじい手品ショーを見せてやろう。
舞台裏に立つ。ここから既にショーは始まっているのだ。
「―――――」
舞台に向かってハットを投げる。
回転しながら中空を舞い飛んでいく黒いシルクハットは、観客の目を引く。
「あれなにー?」
「帽子が飛んでる!」
真っ直ぐに舞台を目指し飛ぶハットは、多くの目を引く中で、舞台に降り立った。
そのハットから身体が生えるように、奇術師の姿を大衆に見せた。
どよめく歓声の中で、俺は両手を広げる。
「……」
右手にトランプを、左手には杖を。
舞台からふと周りを見ると、僅かにだが携帯を弄っている客がいる。
生徒がこっそりと何かしていても分かる教師の目線とはこういうモノなのだろう。
黒いハットを手に取る。
次に右手のトランプを全て入れ、杖で叩く。
「1、2、3……はい!」
大量の鳩が飛び出し、観客のどよめきや歓声が大きくなった。
その声に興味が湧いたのか、携帯を弄っていた客も視線をこちらに向けた。
観客が注意をこちらに向け始めたのが、こちらに向けられる視線量が増えたことで分かる。
さて、そろそろ本気を出し始めるとしよう。
緊張していることを悟らせないように、不敵な笑みを浮かべる。
「……ショーの始まりだぜ」
小声でそう呟き、赤い手袋越しに指を鳴らすと、
飛び出した鳩達が、夜空に咲く、小さくも鮮やかな花火へと変わった。
爆音が鳴り響き、こちらを見上げる大衆の顔を、緑や赤、青などの様々な色が光り、
やがて大きな歓声が響き渡った。
---
盛大な喝采が鳴り響いている。
最後に消えた俺について、司会がフォローしつつ、次の人の番が来ていた。
周囲の客は消えた俺の行方を捜しているが、見つかることは無いだろう。
伊達メガネを装着しつつ、ゆったりと沿路を歩く。
屋台でりんご飴を買いながら無言で部活メンバーを探し、やがて見つけた。
俺が撤収すると同時に彼女たちも移動したのだろう。
近づくに連れて彼女たちも気がついたのか、あちらからも近づいてきた。
「亮ちゃん、凄かったねー!」
「本当に腕を上げて……。亮くんはまた一段と奇術師になられて」
「でも、本当に凄かったわよ! 特に最後の奴ってどうやって消えたのよ!」
「あんなに堂々として、凄かったです」
俺の伊達メガネに誰もツッコミを入れない事が少し悲しく感じつつも、
口々に己の技を褒め称える友奈や東郷、風や樹に対して嬉しく感じた。
ふと夏凜の方をジッと見ると、彼女は俺の視線を受けて少々不審な動きをしていた。
「……トイレなら、確かアッチだよ」
「違うわよ! ……その、あんたの手品、結構、そこそこ凄かったわね」
「そこそこ……? ショーが始まってから、ずっと口を半開きにして見てたのをアタシ見たんだけど」
「う、うるさいわね!」
ぼそぼそと、それでも夏凜にしてはキチンとした褒め言葉に対して、
風がからかうという一連の動作を見ながら、俺は思わず微笑んでいた。
今が一番楽しいなと感じた。
「よーし、それじゃあここからは好きに行動しましょうか! 諸君! 花火まで少し時間があるから、食べ物なりうどんなり、好きに屋台を回ってきなさい!」
「それってお姉ちゃんがうどんを食べたいだけじゃないの……?」
「そ、そんな訳ないでしょ!?」
そういう訳で一度解散。
集合場所に時間指定で集まることになった。
鼻息荒く“限定”うどんの屋台へ走る犬吠埼姉妹と、連れて行かれる夏凜――うどん組を見届ける。
「それじゃあ……どうしよっか?」
そうして俺は彼女たちの装いを改めて見る。
この夏祭りに相応しい浴衣姿は、雰囲気も伴い、艶やかに妖艶に映った。
友奈はピンクの浴衣を、東郷は薄い青色の出で立ちである。
そんな綺麗処が二人。
正しく両手に花状態の俺であるが、当然野郎の視線が纏わりつく。
そんな彼らの視線に対して俺は動じず、ただ紅の目線でこちらを見る男達を威圧した。
「―――――金魚すくいとか、射的とかどう?」
「良いと思うわ。友奈ちゃんは?」
「うん、良いと思うな!」
子供の様に無邪気な笑みを浮かべる友奈は、浴衣姿もあって、
いつもよりも可愛らしく見えた。
金魚すくいの屋台に行き、東郷の方を見たが彼女は横に首を振って観戦を希望する。
流石に車椅子の身でもある彼女。この後は射的にも行く予定だし、そこで活躍してもらおう。
「友奈、友奈」
「なにー?」
「勝負しよう。多くすくったら勝ち、以上」
「いいよ。よーし、私は亮ちゃんよりも金魚を多くすくう!」
「勇者になーる!」的なフレーズが気に入っているのか、若干流用した言葉を友奈は放つ。
意気込む彼女からポーチなどの荷物を受け取り、東郷と二人で見守る。
ピンク色の浴衣を着た彼女は、汚れないように手を膝裏に入れて、裾を押さえながらしゃがんだ。
赤や黒の金魚を真剣に見つめる友奈の屈んでいる姿を見ていると、
浴衣の隙間から彼女の白いうなじや肩甲骨が覗き込めたので、ジックリと覗いていると、
「―――――、やったー! 二匹目。見て見て!」
「―――――ん」
唐突にこちらに顔を向けて、あどけない笑顔を俺に見せた。
友奈の無邪気な笑顔は、浴衣姿も相まって、いつもよりも眩しく見えた。
そんな彼女の行動に対して、俺は咄嗟に言葉を紡げなかったが、
「ええ、見てたわよ友奈ちゃん。凄いわ! その調子よ」
「えへへ……よーし、三匹目いくぞー!」
再び金魚に向きあう友奈の後ろ髪のショートポニーテールが揺れる。
そんな中で、東郷がにんまりとした笑みを浮かべてこちらを見上げた。
計算した訳ではないだろうが、車椅子に座る彼女は上目遣いで俺を見上げる。
「今、ひょっとして友奈ちゃんに見惚れたの……?」
「―――いや。簡単にすくうものだなって思っただけさ」
妖艶に笑う東郷もまた、和の服装と調和した雰囲気を感じる。
そんな彼女を見下ろしながら、俺は特に意味もなく顎をさする。
見下ろす紅の瞳と見上げる深緑の瞳が交差する。
持っていた団扇で東郷に向かって扇ぐと、少女はなびく黒い髪を押さえる。
「顔、少し赤いけど大丈夫?」
「―――東郷さんって本当に浴衣姿が似合うよね。本当に東郷さんほど浴衣姿が似合う少女はいないと俺は思うんだ。東郷さんこそ大和撫子の称号が相応しいと俺は思いますね」
「ふふっ、ありがとう。それで話の続きだけど」
「……」
ちなみにこの後、友奈は四匹の金魚をすくった。
真横に陣取る彼女たちに優しく見守られながら、一度も俺は金魚をすくうことはできなかった。
すくった金魚達は、友奈の家では飼えないので屋台の方にリリースした。
---
「東郷さんの射的、凄かったねー」
「そうだね、凄すぎて背後に立つことを少し躊躇したよ」
「もう、二人とも褒めすぎよ。あんまり褒めると撃ちますよ」
「……ん?」
ほんのりと頬を赤らめながらも満更ではない表情をする我らがスナイパー。
少しよく分からない返答をスルーしながら、集合場所に向かう。
今度は遅刻などすることもなく、さりとてあちらも遅刻することは無かった。
「いやー、ガッツリ食べたわ。これで更に女子力が上がったってもんよー!!」
「食べすぎだよ、お姉ちゃん」
「風ったら、屋台の食べ物を食い漁って大変だったのよ……」
「わー、凄いですね先輩」
満腹になったのか至福の笑みを浮かべ、満足気に頷く風。
反比例するようにやや消耗した夏凜に、煮干しを粉状にして塗した焼き鳥をプレゼントする。
正直意味の分からない品だったが、お詫びも込めてプレゼントする。
「うん、美味いわねこれ」
「それどこで売ってた奴?」
「お姉ちゃん、そろそろ自重しようよ……」
「――――冗談よ。おっとそろそろ花火の時間ね。各自準備はオッケー?」
「おっけーおっけーよ、先輩」
白いわたあめを風にプレゼントすると、なぜかシリアスな顔をして一口。
無言で一口、白い雲が赤い唇に切り取られていく。
買ったのは俺なのだが、口周りがベタベタするし、正直わたあめはあまり好きではない。
甘い物は好きだが、一口だけ食べて、後は風にプレゼントという形である。
「はむ。―――うん、美味しいわね。部長ポイント3点与えよう」
「何、そのポイント」
「合計が100点になると次期部長になれる」
「はあっ!?」
唖然とする夏凜から目を離し、空いていたベンチに思い思いに俺たちは座る。
これから花火という火の奇怪であり怪美な魔術の時間が始まる。
花火は人々を魅了し、人々に生きる希望を与え、人々に明日を生きる思い出をもたらす。
「―――――」
どこまでも広がりを見せる無限の闇。
星などなく、暗い昏い闇夜は、何者の干渉も受けつけない。
雲もなく。
星もなく。
月もなく。
そんな闇夜を切り裂くように、胸に広がるような爆音が響いた。
天を目指すように一筋の光が立ち昇る。同時に、夜空に花が咲いた。
紅の花だ。満天に開く名花のような花火に、俺は目を奪われた。
花に続くように凄まじい爆音が絶え間なく空に裂ける。
流星、五葉牡丹、花ぐるま。花火に重なる花火を。
法則性を壊す滅茶苦茶な火の乱舞。多くの色が踊り狂い、夜を明滅させた。
花火は一滴一滴が息を呑むほど瞬き、煌めいた。
「綺麗ですね……」
「そうね~」
樹がポツリと呟くのに風が相槌を打つ。
確かに綺麗だった。幻想的な風景には目を奪われた。
夜風により僅かな火薬の匂いが鼻腔をくすぐるため、団扇を扇ぐ。
「…………」
なんとなく夜空を仰ぐ彼女達の姿を見つめる。
暗い中で、彩色の多い花々が放つ光に、乙女の姿が照らされる。
風も。樹も。夏凜も。東郷も。友奈も。
皆が楽しそうに笑っている。
「平和だなぁ」
そんな言葉がこぼれた。
---
――――そんな暖かで、ささやかな幸せを、亮之佑は見ていた。
自分がなぜこんな場所にいるのか分からなかった。
実は既にバーテックスに攻撃を受けているのもしれない。
だが、これが夢であると断言するには、あまりにも残酷な物を見せられていた。
ここはどこなのか。
夢か現実か。満開の後遺症でよりにもよって脳の大事な部分が壊れてしまったのか。
目の前に広がる心地の良い彩りに溢れた世界を、亮之佑にはどうにも区別できなかった。
冷たいベンチに亮之佑は座り込んでいた。
コレは決して考えるべきではないだろう。一番見てはならないものを見せられた。
イカれた妄想に侵食されたのか、現実が何者かに侵食されたのか。
判断できなかった。
空を見上げると、闇夜の中で色彩のある花々が目に映った。
久しぶりに見るモノクル越しではない彩りに溢れたこの世界は、とても美しかった。
だからつい、こぼれてしまった。
「もう、いいかな……」
「……だめだよ~」
――――こぼれた弱音を否定する誰かがいた。
薄紫の袖口から伸ばされた柔らかな白い両手が、眼に映ると同時に両目をふさがれた。
暗くなる視界の中で、亮之佑はその声を聞いた。
「だーれだ?」
「――――ぁ」
「約束を忘れたら許さないよ、かっきー」
柔らかな感触を背中に感じた。あまやかな声が心を震わせた。
背後にいる誰かの、鈴の音を思わせる、どれだけ望んでも逢えなかった愛おしい声を聞いて。
「―――――」
亮之佑の頬を、涙が伝った。