変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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誤字報告感謝です。ありがとうございます。


「第四十一話 溺れる者は、悪魔の手を掴む」

「……」

 

 目の前の少女を見る。

 優雅な姿勢を解くことはなく、少年の視線を身に受けながらも王は椅子に座り直す。

 青白い月光に照らされ、時折銀色にも見える黒髪の先を弄りながらこちらを見てくる。

 

「言いたいことや聞きたいことがあるかもしれないが、まずは座ってくれるかな……?」

 

「……ふん」

 

 この世界では王の言葉が絶対である。

 抵抗したいのは山々だが、突っ立っていても埒が明かないことも確かだ。

 そそくさと向かいの空いている椅子に腰を掛ける。

 

「初代、ここは指輪の世界であっているんだよな……?」

 

「そうだよ。夢の続きかと思ったのかい? 先程のキミがいた場所も紛れもなくこの世界の中での出来事だ」

 

 初めて開かれた夜会で、初代は確かこう言っていた。

 ここは俺の経験した事を元に再構築された世界であると。

 だからなのか、俺が初めてここを訪れた時、戸惑いはあれど違和感は感じなかった。

 

「まさか、あんな場所がここにあったなんてな」

 

「簡単に言うと、この世界が変化せざるを得ない状況に追い込まれていたということさ」

 

「どういうことだ」

 

「キミは覚えていないのかい? それともショックで思い出せないのかな? およそ2日前のことを」

 

「……まて。初代、今日はいつだ?」

 

 そう俺が問いかけると、ジッとこちらを紅の双眸が見てくるが、

 やがてため息をついた後、白いテーブルに頬杖をつく。

 目を少し細めて初代は告げる。

 

「今日は8月26日。蛇遣座との戦闘からもう1週間と2日が経過したよ」

 

 

 

---

 

 

 

 知らない内に1週間が経過していたらしい。

 しばらく無言で目の前の少女に言われた内容を反芻するが、残念ながら記憶がない。

 今の俺が思いだせるのは、最後にテレビを見て、紙コップを投げつけたことだ。

 その後、確か禿げ医者に連れられて、安置されていた冷たい彼らを見て触れたのが最後だ。

 

「ちょっと記憶がないんだが……。まさか満開の影響か?」

 

「それはないだろう。満開の後遺症はおそらくだが使用後すぐに現れる。単純にキミの場合は記憶が途切れ途切れなだけだろう」

 

 俺の意見にやや呆れた風な様子の初代であったが、

 しばらく物思いにでもふけるような顔をした後、指を鳴らす。

 その途端、白いテーブルには茶色の液体が入った白いマグカップが現れる。

 それを見下ろすと、初代が手袋に包まれたその手をこちらに向ける。

 

「ん? 急にどうした?」

 

「カガワ☆イリュージョン」

 

「……うん」

 

 一瞬、会話の文脈がおかしくなったが、特に気にはせず忘れる。

 ぼんやりと勧められるがままにマグカップを手に取る。

 

 カップに注がれた液体を見つめると、

 ふと液面に波が立っており、自身の手が震えていることに気がついた。

 震えを誤魔化す様に無言で一口飲むと、甘い液体が舌の上を奔りぬけ胃へと流れ落ちた。

 

「話を続けよう。キミの記憶は宗一朗と綾香が死んだ時、安置室で確認したのを最後におぼろげであると」

 

「ああ……、だがそれが何の――」

 

「いつもよりも思考が鈍っているね。仕方がないから出来るだけ端的にここまでの状況を教えてやろう」

 

 そう言って、白い受け皿に白いカップを置いた初代は語りだす。

 初代は俺がここに至るまでの状況についてを、記憶の穴を埋めるようにしてゆっくりと語りだした。

 俺はそれに対して相槌も打たずに無言で聞く。

 

「遺体がキミの両親である確認が終わった後、直ぐに葬儀が行われた。あの二人がもしもの時に備えて準備していたのか、大赦の手続き等の手配もあって葬儀諸々も終えた。加賀家の遺産は一人っ子のキミの物になった」

 

 その言葉に、僅かにだが思い出す。

 確かに自分は立ち会った。思い出してきたことを確認する。

 

「問題はその後だった。キミもショックを隠せなかったのか、それから家に引き篭もるようになってね。ほとんど廃人のようだったよ」

 

 今度は何も思い出せなかった。

 ただ、なんとなくどこかで毛布に包まっていたような、おぼろげな感覚だけがある。

 

「呼びかけに答えず、あのまま食べ物も食べず、暴れて、寝て、起きて、座るだけ」

 

「……」

 

「やがて『旅に出ます』と紙に書いてキミは非行少年になって出ていき、そしてどこかの場所で力尽き、果てしない後悔によって覚めない夢を見るようになりましたとさ。おしまい」

 

「いやいや、最後のオチは嘘だって。多分だけど」

 

「さあ? 恐らくだけど、結城友奈あたりに自らの情けない姿を見せたくはなかったんじゃないかな。もしくは心配させたくはなかったとか。いずれにせよ、部屋は大荒れだったし無駄だと思うけども。尚且つ彼女は合鍵を所持している。引き篭もり戦術は彼女には通用しないから、顔を合わせる前に脱出したんだろうね」

 

「……」

 

「凄かったよ。何を言ってもぼんやりして、他の人の声も平然と無視している癖に、彼女の声が聞こえたら即座に道具を持って窓から離脱。奇術の癖が完全に身体に染み込んでいたね」

 

 正直、初代の言っている言葉を鵜呑みにするべきではないが。

 それでも絶対に無いとは言い切れない話で、自分ならやりかねないと思ってしまった。

 

「それで、お前が俺にあの夢を見せたのか」

 

「少し違うかな。キミの心があまりにも衝撃を受けすぎて、この世界の景色すら書き換えてしまったんだよ。ただの夢ならこうはならない。キミの大きな後悔と指輪が共鳴し、自身の心を守る為の世界にするべく再構築を行った。それが今回の真相さ」

 

 初代が背にする桜の大樹。そこに視線を向けても扉の様な模様があるだけだ。

 話を終えた初代は、細く真っ直ぐな黒髪を指で丸めながら微笑を浮かべる。

 無言で謎の液体を飲む彼女を見ながら、俺はなんとなく顎を触る。

 

「つまり俺は現実逃避の為に、あの夢をずっと見ていたっていうのか。2日ぐらい?」

 

「そうだね。この世界の時の流れがあちらよりもゆっくりであれ、それなりに長い夢だったかな」

 

「……そうか」

 

 再びコーヒーもどきの何かを飲む。

 身体から再び湧き出そうな昏いモノを押し込むようにして飲み込む。

 一番聞きたいことは聞けたので、話題を変える。

 

「そう言えば……俺の満開について聞きたいのだけれども」

 

「正直答える義理も無いが、それに関してはボクが後で答えると言ったからね。うん、じゃあまずは勇者システムについてだが、あれは本来、適正値が高く無垢な少女にしか扱うことができないのは知っているね? 当然キミは男だ。少年というカテゴリーではあれど、“無垢”な精神性など欠片もなく、ましてや少女でもない。ここまではいいね」

 

「微妙に棘のある説明だが……その矛盾を俺と初代の因子を結ぶことで解消したんだろ?」

 

「そうだ。それによって初めてキミは勇者の装束を身に纏うことが出来るようになった。ただし端末の方に何かしらの制約が盛り込まれたんだろうね。拘束具が装着されていた為に他の兵装が解除できなかった。それと同時にイレギュラーである為に満開に対しても問題が発生したんだ。即ち、神樹からの満開用のエネルギーをキミの身体が受け付けなかったんだよ」

 

「それは、俺が男であるからか」

 

「それもあるけども、システムの根幹が違うんだよ」

 

「どういうことだ……?」

 

「彼女達の力の源は神樹だ。神樹を信仰し、神としての力を借りることで勇者システムが起動する。だけどキミの場合は大本が異なる。いいかい? キミの力の源はこのボクであって、神樹からは力を借りることはできないんだ。だからシステムとしてゲージが溜まった後、満開した時の神樹からのエネルギーは全てボクの下へと集まる。それらをボクが再変換してあげたんだ」

 

 初代は一息に喋ると、再びカップを傾けた。

 味を堪能するように長いまつ毛を震わせ、唇を湿らせる。

 次に口を開いた際、初代は俺にある問題を出した。

 

「ちなみに、現実のキミは端末を所持していない。だが実は変身はできる。それは何故でしょう」

 

「端末ではなく、お前の力を指輪を媒体にして受け取っているからか……?」

 

「正解だ」

 

 初代によると、俺の変身は指輪だけでも可能らしい。

 だが端末が無ければ精霊バリアが張られず、即座にハードモードへと変わるらしい。

 そして、端末があるから満開も行うことが出来るらしい。

 

「……」

 

「ほかに聞きたいことは?」

 

 自身の斜め前に座る初代は、こちらを見やりながら自らの顎に触れる。

 その姿を見ながら、俺はふと偽りの夜空を見上げる。

 

 星は見えない。

 雲も見えない。

 あるのは月が一つ。

 

 そう言えば、この世界に色があると気が付いたのはいつ頃だろうか。

 これに関しては推測が立てられる。恐らくであるが、満開の影響はここには及ばない。

 なぜなら、あくまで損傷を受けたのは肉体の方だ。

 魂にまでは影響を及ぼさないために、俺は眼に広がる世界の美しさを知ることが出来る。

 

「……」

 

「……」

 

 コポコポと白いマグカップから新たな液体が湧き出す。

 白い湯気がゆっくりと空へと立ち昇った。

 湯気を目で追いかけると、自然と沼地のように深い暗闇へと溶け込んでいった。

 

「最後に一つだけ良いか?」

 

「……どうぞ」

 

「バーテックスって、本当に13体だけで終わりだと思っていいのか?」

 

 それは疑問であった。

 同時にいくつかの経験と情報に基づき、ある程度の推測はしていた。

 この世界の王にして、誰よりも長く生きて多くの知識を有した存在に問いかける。

 今度は回答に少し時間が掛かった。

 

「―――壁の外を見ただろう? 世界は終わっていた。辺りは火の海。死と理不尽が謳歌している世界だ。さらに星屑が大量にいる。そして分かっていると思うが、バーテックスは星屑の集合体だ」

 

「―――――」

 

 その言葉だけで十分であった。

 決して否定して欲しかった訳ではない。

 かと言って、少女が終わったのだと肯定してくれるとは、正直あまり思ってはいなかった。

 

「あの満開システムは効率が良い。身体のどこかを売り払い、代わりに普通ではありえない神の如き力を得る。だがデータが不足しているのか、どうにも大赦に勇者が完全に消耗品扱いされている様に見えるね。まるで人柱だ。やっていることは屑にも等しいが、この世界を救うためにはどうしようもない。小さな犠牲で世界を救える。ああ、実に素晴らしいね」

 

 あくまで傍観者を気取り皮肉めいた口調で初代は語る。

 その姿に対して、俺は不思議と怒りといった物は感じなかった。

 むしろ、ここで声を荒らげて怒る彼女の方が想像出来なかった。

 

 満開システムを作っていたのは大赦だ。

 つまりは、その後遺症が起きる可能性についての情報も得ていたはずだ。

 だが風も夏凜も何も知らされていない。

 それはすなわち、大赦はこのことを勇者には伝えないという明確な意思があったからだ。

 

「……いや待ってくれ。まだ満開システムの後遺症が治らないと決まった訳じゃ……」

 

「キミは失くしたよ」

 

「―――えっ」

 

「気が付いていないだけで、何かを失くしたのかもしれない。見た目では分からない何かを」

 

「―――――」

 

「それに、東郷美森も後遺症の回復の経過を調べていたが、その後も他の勇者が回復する見込みは全く見られなかったのは聞いているんだろう? そしてあの巨大な力に対して何一つ代償がないとはボクは到底思えないけどね」

 

「―――――」

 

 そう。

 結局大赦にとって大事なのはこの世界であり、そこに住まう住人達だ。勇者ではない。

 大赦にとっての勇者とは、恐らく敵に対する武器でしかないのだろう。

 大赦は何も知らない多くの人を救うべく行動している。

 数人の無垢で無知な少女を犠牲に目を瞑り、与える情報を与えなかった。

 

 大赦は最初から一貫して行動している。

 やっていることは切り捨てられる側からすれば堪ったものではないが。

 それでも戦えない大人なりの合理性のある戦略だ。

 未成年の少女数人に人類の命運を託すなんて愚かな真似をしないという考え。

 正直言って、もしも俺が大赦側の人間であったなら、きっとそうしただろう。

 

「―――問題は山積みだ、どうにもならない物も多い」

 

「そうだね」

 

「敵も多いし、先行きも不透明だ。……参ったね」

 

 今後も満開を行えば、何かの後遺症が出る可能性が高い。

 しかも、敵の素は壁の向こうで消えていない為、いずれ復活する可能性が高い。

 そして今後も戦えば、迎撃する勇者の損失箇所が増えていくだろう。

 

 かつて壁を越えた時、多くの星屑を見た。

 今後もバーテックスは一時的に倒しても、消えることはないだろう。

 そうでなければ、神世紀が300年も続く訳がないのだから。

 

 更に言えば、これらの情報を勇者部が知った場合の反応が予想できる。

 友奈はともかく、東郷や風あたりの一人で突っ走るタイプは非常に面倒だ。

 言うべきか、否か。判断に迷う。だが黙っている場合のリスクもある。

 

 こうなると結局八方ふさがりだ。かと言って何かの希望があるとも思えない。

 

「そうだね。キミが守りたいと思うものに対して敵が多すぎる。尚且つ、このままでは彼女達の未来がない」

 

「……」

 

「なら半身。多くの絶望を抱えた中で、キミはそれでも彼女達を守りたい、と……?」

 

 これから先の絶望に俺は嘆きの声を上げる中で、

 唐突に当たり前のことを初代は聞いてきた。

 

「ああ、もちろんさ」

 

「それは何ものよりも大事かい……?」

 

 戦いの中で、いつの間にか大事なものを失くし過ぎた気がする。

 ただでさえ取りこぼして少なくなった大切なもの。加賀亮之佑が命を賭して守りたいもの。

 考えるまでもなく即答であった。

 

「そうだ」

 

「そうか……」

 

 その分かり切った質問に、俺が肯定の意を示すのを初代はジッと見ていた。

 紅の瞳を細め、ゆっくりと、噛み締めるように初代は言った。

 

「キミが大切なものの為に、多くの敵と戦うのをボクは見てきた」

 

「……」

 

「無知は愚かな罪であるが、知った真実を隠すのもまた一つの罪だ」

 

「何を言って……」

 

「掴めない星を掴むように必死に足掻いて、それでも取りこぼしたものもある。だがそれでもキミがひたむきに努力を積み重ね、戦ってきたのをボクは知っている。その過程を全てボクも共に目にしてきた」

 

「……」

 

「これは提案だけどね、半身。ボクとキミの完全な契約を交わさないか?」

 

「けい、やく……」

 

 その言葉には真面目な響きがあった。決して茶化す訳ではなく、むしろ真摯な物を感じる。

 なによりも、その紅瞳に強靭な意志を感じた。

 

「いつか言っただろう? 因子は直結しているが、不完全な物であると」

 

「それを完全にするのが契約か。それで何か起きるのか?」

 

「別にいきなり力が増すとかではないよ。ただ因子の完全な直結により、今後二度と大赦のシステム妨害に邪魔されなくなること。また困難に直面した時にはボクの力と知恵を貸そうじゃないか。この時代の神樹を崇める人間に話をすることが出来ずとも、キミと共に道を歩んできたボクとなら話を交わし、共犯者として解決策を導く手段を共に考えようじゃないか」

 

 そんな提案をする初代。

 唐突ではあったがその甘く耳朶に響く申し出に、俺はしばらくどう返答するか考える。

 初代のソレは敵を減らし、味方となることを確約する提案だ。

 

 空を見上げると、相も変わらず偽りの夜空が俺を見下ろしていた。

 月は変わらず青白い幻想的な色彩を誇っている。

 

「メリットは分かったが――――対価はなんだ……?」

 

「契約の内容の確認をするのは大事だよね。この状況で思考停止して頷かないのは素晴らしいと思うよ」

 

「―――で、対価は? まさか命とかか?」

 

「………。そうだね、対価はボクの望みをなんでも3つ叶えること、かな」

 

「……内容は?」

 

「まだ決めていないけれども、キミの人生の中で叶えてもらおうか。代わりにキミが死ぬまで傍に居て力と知恵を貸そう」

 

 こうして行き詰ったとき、道が見えなくなったとき。

 この夜空の下で、こうやって解決策を求めて有意義な話し合いができるなら。

 誰とも出来ない相談が出来るならば。

 

「分かった。契約はどうすれば出来るんだ?」

 

「―――完全な契約の為には因子よりも強力な繋がりの儀式が欲しい。詳細は後で決めるとして」

 

 目線で立ち上がるように初代が告げる。

 向かい合うようにして立つと、ちょうど同じくらいの背丈であることに気が付いた。

 目を閉じるように言われ目蓋を閉じると、声が聞こえた。

 

「汝、ボクと契約することを誓うか」

 

「――――誓おう」

 

 突然であった。

 唇に柔らかな感触が、火花のように貫いた。

 驚きと共に目蓋を開けると、

 

「覚えておくといい。誰よりもキミの傍にいるのは、結城友奈でも乃木園子でもない。このボクであることを」

 

 

 

---

 

 

 

 円鶴中央病院。

 ここは大赦が裏で経営する病院の一つだ。

 さりとて、何か明確に他の病院と異なる点は見られない。

 

 しかし、近年老朽化の為に全体的に改修工事がされた。

 その際に新たに入院棟が作られたらしいが、その実態は隔離棟である。

 優秀な医者や看護師がせわしなく動く中で、時折白い装束を纏った人物も見られる。

 

 ここは大赦の人間も常駐しており、病院の業務のいくつかも担当しているらしい。

 実態は不明であるが、噂だけなら多い。

 

 何かを護るように。もしくは侵入するモノを外に逃がさないようにする構造だ。

 とは言え、それは侵入の下手な人間にとっての話である。

 

 通常の業務が終わり、多くの人間が病院から去る中。

 大赦に所属する人間は、その表情を仮面の中に隠し行動する。

 一人一人に与えられし役割がある中、

 

「……ん?」

 

「どうした?」

 

「いや、何か物音がしたような」

 

「私語は慎め。どうした、高橋」

 

「班長! ……いえ、気のせいかと思うのですが」

 

 夜。

 大赦が保有する現勇者に対する切り札。

 ソレの世話や監視を行う部隊が、不審な音に関しての報告をしていた。

 

「了解した。では高橋、貴方が見てきなさい」

 

「分かりました」

 

 高橋と呼ばれた男は、大赦に加入してそれなりの年月が経過していた。

 ベテランとまではいかないが、中々のスキルや経験、知識を保有している。

 そんな真面目な彼は多くの神官の中から抜擢され、今回の業務に就いていることに神樹様に感謝していた。

 

「……何もなければ良いのだが」

 

 暗い病院の廊下を歩く。隔離棟であっても消灯時間は変わらない。

 そのため薄暗い中、仄かな月光とペンライトだけが頼りだが、

 

「神樹様、どうか私をお守りください」

 

 僅かにしゃがれた声でこの世界を護る偉大な神に祈る。

 やがて同僚らから離れて、音の発生源へと向かうべく角を曲がった。

 歩きながら高橋はふと、ここ最近発生しているというコインの噂を思い出した。

 馬鹿馬鹿しいと思いつつ、

 

「……? なんだ段ボールか」

 

 角を曲がった先に、人一人分が入れそうな四角の箱が廊下に鎮座していた。

 数秒だけソレを見つめ、戻るかと思い背をむけるが、

 なぜこんな場所に段ボールがあるのかと、今更ながら疑問が頭を過った。

 

「まさか、侵入者―――!?」

 

 振り返る余裕が無かった。

 腕に何かが触れたかと思うと同時に、男の腹と首に衝撃が奔った。

 

 

 

---

 

 

 

「どうだった……?」

 

「申し訳ありません。どうやら私の勘違いでした」

 

「そうか。いや、確認は大事だ。きっと疲れたんだろう。交代の時間だ、少し休むといい」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 言葉少なに、男は言われるがまま現場を離れる。

 廊下を歩き無言で目的の場所へと向かう。

 一度思い返して、トイレへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 やや小走りに、性格の生真面目さを隠さない歩き方をする。

 そうして隔離棟の最上階へと向かう途中の時だった。

 仮面を被りし者を止めるべく、やや歳をとった女が声を掛けてきた。

 

「止まれ。園子様に何用か」

 

「―――――はい。園子様にお伝え申し上げることがございました。至急お通しいただければと」

 

「分かっていると思うが、現在園子様は既に就寝の時間帯だ。日を改めて出直した方が良い」

 

 威厳を感じるその声に対し、ひたすらに仮面をとった女は平伏する。

 おそらくはここの統治者であり、大赦の中でも経験の豊富な名家の人間なのだろう。

 家柄の良さや、覇気といった格式の高さを老神官から感じ取った。

 

「承知しました。ではまた場所を、いえ時間を改めて」

 

 

 

---

 

 

 

 奔る指が止まる。

 

「この次の話でこの作品も終わりか~。結構な長編になったな~」

 

 既に時間は深夜帯であった。

 独り言はこの生活においては必需品であった。

 看護師の注意も無いままに、執筆意欲が湧く夜の時間帯は眠るという名目で部屋には誰も入れなかった。

 

 最初の頃は執筆活動もこの肉体ではなかなかに苦労があったが、

 今ではすっかりと慣れてしまった。

 

「やっぱりお話はハッピーエンドかな~。よきかな~」

 

 遂に少女の書いていた大作は感動のクライマックスを迎えていた。

 無口のお嬢様は望まない結婚をさせられるが、そこに執事が迎えにくる話だ。

 そのまま二人は……。

 

 本日の執筆活動を終えた園子は不自由な体を動かしてパソコンの電源を消す。

 そっと自らの目蓋を押さえると、視界は黒く染まる。

 そんな中で、ふと違和感を覚えた。

 

「……?」

 

 窓を見る。

 カーテンが開かれているのは、園子が望んだことだ。

 最近は閉じていた窓が僅かに開き、風にカーテンが揺れていた。

 

「……」

 

 先ほど、小さな蛍光灯も消してしまった。

 暗い部屋の中、無言で一人園子は窓を見た。

 僅かに開いた隙間から、風が入り込んでくる。

 

「貴方は、どちら様かな~?」

 

「誰かって?」

 

 ほんの少しの不安と、それを上回る期待。

 ここは最上階だ。尚且つ監視の目も厳しい。

 普通ならば入ってはこられないが、窓は先ほどまで閉まっていたはずだ。

 月明りが僅かに部屋に入り込み、園子はこちらに近づくその姿に不安が消えた。

 

「――――泥棒です」

 

「……かっきー」

 

 おどけた口調で話をする少年に。

 一度だけ見たことのある装束を着ている少年に、想いを乗せてその名前を口にする。

 

 風貌は僅かに変わっていたが、ソレはこちらも同じだ。

 色彩の異なる瞳へ、少年へと今一度園子は、色々な想いを乗せて話しかける。

 願わくばこれが夢ではないことを祈って。

 

「かっきー」

 

「久しぶりだな、園ちゃん。―――――キミに逢いたくて、俺は空を飛んでやってきたよ」

 

 血紅と琥珀の瞳が交差する。

 それは実に、3年ぶりの再会であった。

 

 

 


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