変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第四十三話 少し前の奇術師とお姫様の話」

「やあ、園ちゃん。いつの間にかミイラ女みたくなっちゃって……」

 

「―――かっきーこそ。ウサギみたいな眼の色になっちゃって……」

 

 夜の12時を少し過ぎる頃。

 月明りが僅かに窓から入り込む光を背に、奇術師が寝台の上の少女に逢いに来た。

 本来は非常識な行為であるが、それは少女を隠していた大赦に非があると少年は責任転嫁する。

 

「……」

 

「……」

 

 薄暗い部屋の中で、爛々と輝く紅の瞳の持ち主は、無言で寝台に近寄る。

 そこに足音は生じず。闇夜と同化する昏いコートが纏う主の気配をも溶かし込む。

 いつの間にか窓から流れる風は止み、部屋には静寂が戻る。

 僅かに消毒液の匂いがする密室にて、響く音は2人の小さな息遣いだけであった。

 

「かっきー。私ね、ずっと貴方のことを待ってたよ~」

 

「俺も、逢いたかったよ」

 

 小さな丸い椅子を少女のベッドの右側に持っていき腰を掛ける。

 奇術師の血紅の瞳に、寝台に横たわる少女が映り込む。

 

「色々あったよ。ここまで来るのに」

 

「うん」

 

 少女は。乃木園子は。

 右目を包帯で巻いていても、かつて見た穏やかな左目は何も変わっていなかった。

 ベッドに座っているから分からないが、背も少し伸びているのかもしれない。

 しばらく無言の空間が生じる。

 

「……」

 

「えっとね、かっきー。お互い、色々と話をしたいと思うけど……」

 

 先に口火を切ったのは園子の方であった。

 ゆったりとした薄紫色の病院着から、包帯を巻いていない右手を少年に向けて伸ばす。

 亮之佑はその細くも僅かに体温を感じる白い手を取り、赤い手袋で包み込む。

 興奮しているのか、目を輝かせ早口になる少女に、

 

「園ちゃん、ゲームをしよう」

 

「ゲーム?」

 

 園子の耳朶に響く穏やかな声が、彼女の続けようとした言葉を優しく遮った。

 怪訝な目を向ける少女に対し、奇術師は静かに自由な片手で金色のコインを取り出した。

 なんてことはない、ゲームセンターで見かけるような何処にでもあるコインだ。

 それを物珍しく見つめる寝台の上のお嬢様が、まるでオウムの様に口を開いた。

 

「そう、簡単なゲームです。今からコイントスをして表か裏、どちらかを指定し、出た方が先に質問が出来るっていうゲームだが……やるかい、お嬢様?」

 

「―――――」

 

 随分と昔。

 かつて二人の小さな子供が遊んでいた時、少年が戯れでよく使っていた口調とゲームだ。

 それを理解したのか、囚われの少女は無事な琥珀色の瞳を夜の病室の中で一人煌めかせる。

 

「いいよ~。それじゃあ私は……表で」

 

「なら俺は裏だな」

 

 右手の親指で弾かれる黄金色のコインは窓から僅かに届く月光を反射する。

 天井に届かんほどに綺麗に弧を描き、やがてコインは元の場所へと戻り、

 

「裏」

 

「これでかっきーに勝ったことないような気がするな~」

 

「気のせいさ。それじゃあ、しばし質問にお付き合い下さいませ」

 

 

 

---

 

 

 

「まず、園子も勇者ということでいいんだよな……?」

 

「うん、そうだよ」

 

 先ほどよりも椅子とベッドの距離は縮まっていた。

 それでも拳一個分ほどの空間を開けつつ、俺は園子へといくつか質問をする。

 今回の園子の病室への侵入は、彼女自身に逢う為でもあるが、聞きたいこともあったからだ。

 

「……」

 

 本人を目の前にしても、己の感情は静寂を保っていた。

 不思議と勇者服が自制の念というか、感情よりも理性を優先させるような気がする。

 念のために武装と装束の解除はしないのは、そういう抑制効果もあるらしい。

 

「私は二年前まで大橋の方で勇者をやってたんだ~。二人のお友達と一緒にえいえいお~ってね。……今はまあこんな感じになっちゃったけどね」

 

 ほにゃほにゃとした笑みを浮かべた園子はこちらの目線を読んだのか、

 「敵にやられた訳じゃないよ~」と話を続けた。

 

「私、これでも強かったからね~」

 

「……」

 

 ふと、いつかの光景を思い出す。

 もう2年前、初めて勇者服を身に纏い、右も左も分からず、星に怯え、根の世界に恐怖を感じ、

 壁を越えてやってくる大きな存在に絶望を感じた時。

 俺と、もう一人を守るべく立ちはだかったあの背中は、あの姿は目蓋の裏に焼き付いていた。

 

「かっきーはさ、満開したんだよね。あのワーッと咲いてワーッと強くなるやつ」

 

「ああ、まあ二回ほどだけど」

 

「そっか」

 

 具体的に言うと、あれは満開ではない。

 というよりも俺は少女たちとは違い、満開の真似事をしているに過ぎない。

 より正確に言うと、神樹からのエネルギーを単純に飛翔性能や火力の上昇に注いでいるだけだ。

 友奈や東郷の様な巨大なアームや移動台座が出現する訳ではない。

 

 もとより使える武器に関しては最初から全て決まっている。

 それは拘束具によって封じられていたが、解除した今となっては武器の制約はない。

 

「ねえかっきー」

 

「うん?」

 

「―――――咲き誇った花は、その後どうなると思う?」

 

 俺の返答に対して少し目蓋を閉じていた園子は、

 やがて開いた瞳を再び俺に向け、望んでいた回答をプレゼントしてくれた。

 

「満開の後に、散華という隠された機能があるんだよ」

 

「―――――」

 

「満開の後、身体のどこかが不自由になったはずだよ」

 

 だが予期していた回答は、決して軽くはない衝撃を俺に与えた。

 与えられた真実に、その重さに思わず黙り込む。

 そんな俺の姿を見ながら、園子は唄うようにして話を続ける。

 

「花一つ咲けば一つ散る。二つ咲けば二つ散る。神の力を振るうことに対する代償が散華。その代わりに勇者は決して死なないんだ」

 

 いつの間にか、目線は白く細い手へと下がっていた。

 推測はしていた。恐らく、もしかしたら、そうではないのかと。

 都合の良い力などありはしない。バーテックスを撃退するだけの巨大な力を、何の訓練も覚悟もしていない少女が簡単に扱って良い訳では無かったのだ。

 

「かっきー。この姿はね、戦い続けてこうなっちゃったんだ」

 

 遅すぎる真実を含んだ内容に対して、園子の声は穏やかな物であり、静かであった。

 再び俺は顔を上げ、ゆるゆると視線を手から園子の顔へと戻した。

 

「その姿は、代償でそうなったんだな」

 

「――――うん」

 

 その細い身体の至る部分に白い包帯が巻かれている。

 握っている手は、キチンと食べているかどうか不安になるぐらい細く小さく感じた。

 

「何回の満開をしたんだ……?」

 

「13回」

 

「―――――」

 

「えへへー、私って結構強いんだよ? 精霊が14体もいて大量の武器でズガーンだよ。多分かっきーでもわっしーでも敵わないんじゃないかな」

 

 今度の返答は早かった。

 眼帯のように巻かれた右目と長い髪を覆う包帯部分から視線を外し、俺は園子を見つめる。

 

「痛むのか……?」

 

「ううん。敵にやられた訳じゃないからね。……ただ何も感じないだけだよ」

 

 何も感じないと、身体の一部が樹木の様になっただけであると園子は言った。

 どこかに諦念の混ざったその声を除けば、以前と何も変わらない様子であった。

 だが、その姿が俺には泣いているように見えた。

 

「……穢れなきその無垢な身であるからこそ、大いなる力を宿せる。その力の代償として、身体の一部を供物として捧げる。それが勇者システム」

 

「要するに園子もあいつ等も、皆神樹……様への大人達からの生贄ってことだろ?」

 

「かっきーもだよ。だからこそかっきーが勇者システムを扱うことができるのが不思議なんだよね。大赦の中でもわちゃわちゃと偉い人たちが話をしていたよ」

 

「まあ……そうだよな」

 

「ごめんね、大赦の人たちもあのシステムを隠すのは思いやりの一つではあると思うんだよ」

 

「……」

 

「でも私はそういうの、ちゃんと言って欲しかったけどね……」

 

 無垢な少女たちと異なり、無垢で純粋だが少年である俺は、基本的に勇者にはなれない。

 それが本来の理であったが、それは初代との関係を持つことにより解決済みだが、

 それらの情報はおいそれと口外することは出来ないし、

 俺自身もどこで誰が聞いているか分からない以上、不用意に情報を出す気は無かった。

 

 夜会においての出来事に関しては、開かれる条件として、内容については一切の口外をしないというのが初代との仮契約時からの約束事である。

 園子になら話をしても良いと思うかもしれないが、実は破った場合の最悪なペナルティがある。

 

 すなわち、因子の切断だ。

 今現在、俺は初代との契約で彼女との因子を繋ぎ、彼女の勇者システムを起動させている。

 

 つまり彼女との間におけるいくつかの約束事は、絶対に守らなくてはならない。

 単純な話、今後も勇者として勇者部の少女たちと戦うことができるかは、初代次第ともいえる。

 勇者の力は決して俺自身の力ではないのだ。

 そういった事情から、初代は真の意味で俺の半身であり、共犯者と言える。

 

「もうこんな時間か……」

 

 途中でコートのポケットから取り出した二本の缶コーヒーを二人でチビチビと飲みながら話をしてきたが、

 ふと腕時計を見ると朝の4時だった。

 時間を確かめているのに気が付いたのか、園子が口を開く。

 

「かっきーと話をしていると時間が経つのが早いね」

 

「そうだな……。俺もそう思うよ」

 

 椅子から立ち上がる。

 残念だが時間切れのようだ。大赦もそろそろ侵入した鼠に気が付くだろう。

 うまく潜入したが、流石にこれ以上はマズいだろう。

 

「園ちゃん、また逢いに来るよ」

 

「あ――――――」

 

 園子の身体を抱きしめると、消毒液の匂いと、仄かな彼女自身の匂いを感じた。

 抱きしめてみて判る彼女の身体は随分と病的なまでに細く、簡単に折れてしまいそうだった。

 視線を下ろすと、以前よりもややくすんだ金色であったが、その長い髪は相も変わらず美しかった。

 

「―――――」

 

「―――――」

 

 園子の身体を抱きしめ、金の髪を撫でていると、少女は最初は僅かに身体を強張らせたが、

 やがて緊張した身体に柔らかさが戻り、おずおずと動く右手が俺の背中へと回った。

 

『私の傍にいて、一杯お話をしたいな~とか?』

 

 ふとここではないどこか遠くで、抱きしめる身体よりも小さな少女の声を思い出した。

 あの時見た鮮やかな夢について聞こうか悩んで、俺は結局本人に聞くことはしなかった。

 

 あの悪夢に救いを感じた俺を否定し、救ってくれたあの金髪の少女とは別れたきりだが。

 それでも目の前の少女と交わした約束だけは、これ以上違えたくはなかった。

 だから――――

 

「そう言えば、園ちゃんに言う順番を間違えたな……」

 

「……?」

 

 少しだけ抱きしめる力を緩めて、園子の顔と向き合う。

 園子の顔は右目部分を包帯が覆っているが、左目に疑問を浮かべる姿は昔と変わらなかった。

 

 拳一個分ほどの距離を自らが埋めて、抱き寄せるようにして少女と向かい合う。

 自らの腕の中で、戸惑いの感情を瞳の中に浮かべる少女に告げる。

 

「――――園子、ずっとずぅぅっと貴方に逢いたかった。……あの時の約束を守れなかったことを、俺は後悔していたよ」

 

「―――――」

 

「俺はお前の傍にいたいよ。お前の傍にいて一杯話をしたいよ。今まで一緒に居られなかった時間の代わりに、これからは共に過ごしていきたいよ」

 

「―――――わ」

 

 ポロリと琥珀の瞳から、宝石の様な何かがこぼれ落ちるのが見えた。

 ソレは、俺が園子に再会した時に言おうと決めていた言葉であった。

 だがその言葉は満開の後遺症やバーテックス、死者などによっていつの間にか忘れていた。

 胴体に回された右手が俺の装束を握り締めるように掴む。

 

「私も……逢いたかったよ、かっきー……」

 

 何かが剥がれ落ちるように、園子の両目から涙がこぼれ落ち、包帯を滲ませる。

 彼女が口を開くたびに、涙をこぼすたびに。

 欠けていた何かが埋まるのを感じた。

 

「ずっと、逢いたくて……でも大赦の人たちはどれだけ言っても許してくれなくて……」

 

「うん」

 

「だから……だからかっきーが私に逢いに来てくれて、嬉しかったよぉ……」

 

 そこは白い部屋であった。

 白い物しかなかった。俺の視界がそういう風に認識しているだけかもしれないが。

 その白いベッドに座る白い少女に、初めて色が付いた気がした。

 

 

 

---

 

 

 

 その後、俺は病室から撤退……しなかった。その原因は園子自身にある。

 大赦側に俺と園子が接触したという事実を認識されるよりも重要な理由が多々できた。

 

 園子の肉体は13回の満開により、身体機能を神樹に捧げてしまった。

 満開を繰り返し、神樹の身体……つまり神の身体に近づいた園子は、大赦によって祀られていた。

 

「園子様……!!」

 

「彼に手を出したら許さないよ、絶対に」

 

「―――――」

 

 身体の約半分ほどを神樹に捧げた園子は、どうやら大赦側の切り札として、

 もしくは神に近い存在として、この白い病室で一人、仮面を着けた大人達に祀られていた。

 

 それは日の出に近い時間帯になった時であった。

 流石に気づかれた俺と園子を囲むようにして、病室の扉から白い礼服を着た大人達が入ってくる。

 そして無言で白い部屋の床に、和服の礼装と黒い烏帽子、白い仮面を着用した大人達が平伏した。

 その光景はなかなかに衝撃的であった。

 

 それなりに広い病室に何人かの仮面を着けた大人達が平伏する先にいるのは、俺と、ベッドに身体を預ける包帯少女だ。この時ようやく“神に近づく”ということの意味をなんとなく俺は理解した。

 脱出の時間を既に過ぎていた俺は、どうにか不敵な笑みを浮かべるばかりだ。

 

 だが、こちらは最初から勇者服と武器を持ってここへ来ている。

 対する大赦の人間たちは丸腰のように見える。

 たとえ平伏している全員で飛び掛かられても、近接格闘術で対応しながら――――、

 

「それとこれからかっきーはここに泊まるから用意してね~」

 

「……! 園子様、それは……」

 

「いいよね」

 

「―――畏まり、ました」

 

「よろしくね」

 

 いつもどおりの笑みを浮かべながら、目線だけは彼らから離さないでいると、

 園子が何かよく分からないことを言った気がした。

 平伏していた大赦側の一人、変装していた際に出会った老女の神官も思わずといった様子で声を出したが、園子の神の声で状況は一変した。

 

 相手の出方を待っていた俺の手を、赤い手袋越しにだが園子の無事な右手が触れた。

 俺は部屋の出口へと下がっていく大赦の人間達を警戒しながら、

 

「どういうことだ……?」

 

「こういうことだよ~。かっきーは私の大事なお客様だから、以前から大赦の人にはきつく言ってたんだ。それに全然話は終わっていないし、いいでしょ?」

 

「――――本当に崇められているんだな」

 

「そうだよ、半分神様みたいなものだからね。それにかっきーも満開して捧げた供物の分だけ大赦の人たちも祀っていると思うから、昔と違ってそう邪険に扱われることはないと思うよ~」

 

「そうなのかね……」

 

 その言葉に俺はある出来事を思い出した。

 水着……いや旅館での食事などの待遇だ。あの時はまだ満開していなかったが、豪勢な食事が出た。

 あの時点で、これから捧げられることを既に大赦は予期していたのだろう。

 

「まあ助かったよ。ありがとう園子様。……なんかお泊りになっちゃったっぽいけども、いいの?」

 

「うん。かっきーが話をしたいように、私もかっきーと一杯お話がしたいな~」

 

 そう言って、ベッドの上から立ち上がる俺を園子は見上げる。

 そこに秘められた言葉の真意を、瞳に宿った感情を俺はなんとなく理解した。

 しばらく考えてから、やがて俺は苦笑と共に、

 

「分かった。大赦の許可が取れたのなら、とりあえず昼寝してからゆっくりと話をしようか」

 

「……! うん!」

 

 正直に言って、今の俺にとって失うものは何もない。

 あの頃の思い出を語れるのは、ここにいる二人だけだ。

 宗一朗も綾香も死んだ。安芸先生とはあれから連絡が取れなくなっていた。

 園子の両親とも随分と会っていない。もう顔も忘れられただろう。

 

 なし崩し的に一泊することになったが、園子の嬉しそうな顔を見るのも久しぶりなので了承する。

 腕時計を見ると朝7時だった。

 園子の方を見ると気が抜けたのか、うつらうつらとし始めた。

 

「安心して眠ってくれ、園ちゃん」

 

「――――うん。お休み、かっきー」

 

 そう言って、園子は眠りについた。

 小さく寝息を立てる少女の寝顔に久しく感じなかった何かを思い出しながら、

 小さな丸い椅子に座りなおし、俺も眠りについて――――。

 

 

 

---

 

 

 

 夢から目覚めて感じるのは、いつも鈍い頭痛だ。

 睡魔に抗い、重い目蓋を開き瞬きをすることで意識を浮上させる。

 

「――――ここは」

 

 ぼんやりとしていたのは最初の数秒のみ。

 やがて眠気と乖離し覚醒する意識が、己のいる場所を認識する。

 

「ああ、そうだったな……」

 

 認識したことを、間延びする声であえて口にする。

 そうして更なる意識の覚醒を促しつつ、己の状態を確認する。

 背中に柔らかな感触を感じながら、俺は仰向けで途絶した情報を収集する。

 

 ゆっくりと視線を移動させる。

 白い部屋であったが、少し生活感を覚える部屋である。

 

 一組の木製の丸いテーブルがある。

 その上には酒のビンや愛用の拳銃、赤い手袋、改造中のモノクルが置かれている。

 更にいくつかの部品や銃弾が床に落ちているが、身に覚えがない。

 

「んんっ……」

 

 咳払いと共に白い毛布を跳ね除け、灰色のソファから身を起こす。

 自らがいる白い部屋にはベッドもあった。

 しかしそれは現在折り畳まれ、扉付近に置かれている。

 

 決して寝ぼけてソファで寝ていた訳ではない。

 ただ単純な話、睡眠を取る環境を追求した結果、ソファで眠るのが良いことに気がついた。

 パジャマ代わりのすっかり着慣れた生活感のある勇者装束を見下ろす。

 

 昏いコートや手袋といった部分を最近になって外すようになったが、

 根本的に大赦の人間を信用していない俺は、院内にいる間は最低限の武装は解かなかった。

 素足で移動し、大赦の人間に寝床として与えられた病室に隣接する洗面所で顔を洗う。

 

「二日酔いかな……」

 

 微妙な頭痛に顔をしかめつつ独り言をつぶやく。

 やがて冷たい水で顔を洗い終え、鏡で己の顔を見る。

 いつも通りの、不愉快な彩りの世界が映る自らの視界の中で、不機嫌そうな少年の顔が見返した。

 

「まずいな……」

 

 あれから大赦が部屋を用意してくれ、目を覚ました俺と園子は、それから多くの話をした。

 俺の話す勇者部の話一つ一つに園子は目を輝かせた。

 園子は園子で、俺と別れた後の勇者として活動していた頃の話を聞かせてくれた。

 

 開いた溝を埋めるように、裂かれた時間を埋めるように俺たちは昔話をし合った。

 一つ一つお互いにとって大事な話をした。

 長い、長い話だった。

 語り尽くせばまた日が暮れた。

 

 喉が疲れると、たまに手品やいくつかの芸を病室で披露した。

 と言っても基本的に病室な為に、出来ることと言ったらテーブルマジック程度だ。

 しかし、少し制約があるという状況で、どのマジックをするかという事に思考を回すのが楽しかった。

 

 コインマジックやカードマジックなどを園子や大赦の人間達(顔は相変わらず隠しているが)を呼んで披露した。

 これがやけに大赦の人間達には高評価であったらしい。

 興奮した声で「亮之佑様!」と嬉しくない拍手と歓声を貰ったが、笑顔で応じた。

 

 大赦側は、園子に危害を加える訳でもなく病院のフロアに引き篭もり始める俺に、

 園子ほどではないが、勇者特権でいくつかの物を頼めば与えてくれるようになった。

 

 学校もあった気がしたが、大赦が手を回してくれたらしい。

 そんな感じで、面白い話や手品を終えて満足して眠る園子を見守った後、

 夜は部屋に戻り手品の仕込みやモノクルを始めとする道具の改造などに勤しんでいた。

 

 そんな生活を院内で過ごし、気がつくと1週間が経過していた。

 

 いつか乃木家で泊まった時に起きた現象が再び俺を襲っていた。

 簡単に言うと、帰るタイミングを完全に失ったが、住んでみたら別に悪い環境じゃないし、

 正直な話、この生活もいいかな……と気に入り始めていた。

 

 

 

---

 

 

 

「そういえばさ、今度のバーテックスって来ないな……」

 

「かっきー達は、バーテックスを撃退したんだよね。それは凄いと思うんよ。私達の世代では追い返すのがやっとだったからね~」

 

 話をする中で、俺達は共にあの壁を抜けて真実を見た共通の関係であることが分かった。

 同時に、園子もこの世界の先がどうなっているのかを理解していたことを俺は認識した。

 大赦は『神託』というものを用いることで、バーテックスの次の襲撃の時期が分かるらしい。

 

 一応は勇者として活躍している俺を信用したのかは不明だが、少し前に神官達が次の敵の襲来を俺達に知らせた。

 平伏する神官達を見下ろしながら了承の意を示すと彼らはすぐに下がった。

 非常に事務的な人間達ではあるが手品や大道芸を見せると結構な反応を示すので、やはり彼らも人間であると思ったが、仮面を取らないのだけが少しだけ気に食わなかった。

 

「園ちゃんの世代の勇者で、わっしーっていうのは東郷美森であってるんだよね?」

 

「そうだよ~。確かあの時かっきーも会ったよね」

 

「ああ」

 

 園子が言っているのは、恐らく俺が初めて樹海化に遭遇した時の話だろう。

 端末には東郷の写真もあったので園子に見せればすぐに確定しただろうが、

 現在俺の端末はタイミング悪く風の下へとまとめて送られたらしい。

 

「かっきー」

 

「うーん? ………来たか」

 

 そんな話をしていると、勇者の感覚と言うべきか、

 園子に続いて、俺も敵が来たことを察した。

 端末が無いため、樹海化警報の不快なメロディが無いのが少しだけ寂しく感じた。

 

「それじゃあ行ってくるよ、園子」

 

 徐々に世界が樹海へと姿を変える中で、俺は園子と向き合った。

 少し残念であるが、しばしの間お別れだ。

 

「うん。―――あっ、ちょっと待って」

 

 病室から出て行く俺を引き止めた園子は何かを逡巡した様子だったが、

 やがて世界が白く染まる最後の少ない時間で、こう質問をしてきた。

 

「かっきーは、私たちにとって不都合な世界を見てどういう結論を出したのかなって」

 

「……」

 

 それは交わされる会話の中で、なんとなくであるがお互いに避けていた物だった。

 だがこうして1週間共に過ごす中で、俺は一つの結論を出した。

 こちらを見上げる園子の白い頬にそっと触れ、顔を近づける。

 

「俺は……」

 

 このまま戦った先にあるのは、園子と同じ未来なのかもしれない。

 それは怖いと思う。痛みもなく樹木の様な状態にはなりたくはない。

 なりたくはないが。

 

「この世界を護りたいとか崇高な事は思わない。けれども俺はまだ、園子や勇者部の面々ともう少し日常を楽しく過ごしていたいから。だから――――」

 

「――――」

 

「だからそれを妨げるなら、例え誰が相手であっても容赦はしないよ」

 

「―――うん。どんな答えでも私は貴方達の味方だよ」

 

「また会おう」

 

 それで最後だった。

 世界が白く染まる。

 その答えが正しいかは不明だったが、名残惜しく感じる手を園子から離す。

 意識も白くなる中で、ふと頬に柔らかな感触を感じて――――。

 

 

 

---

 

 

 

 多くの情報を得て俺は再び戦場に帰還し、双子座を轢いて、自宅へと戻ったのだった。

 実に二週間と数日ぶりの我が家は、中が荒らされていた。

 その状態を見て、思わず叫ぶ。 

 

「だ、誰がこんなことをやったんだ……!?」

 

『キミだよ。半身オブニート』

 

「―――――いやニートじゃないから……」

 

 自宅に帰ってすることはまず掃除からという事実に、俺は愕然としたのだった。

 

 

 




今回、亮之佑はバーテックスが襲来した為に帰りましたが、
逆に来なかった場合あと1か月は園子の所にいたかもしれないという設定。

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