変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第四十七話 内側から狂いゆく」

 風との戦いを終え、夏凜や友奈と顔を合わせながら、ひとまず一件落着したと思っていたが、

 辛くも勝利した俺を待っていたのは、世界が白く染まり、樹海化した世界であった。

 

「ここは……」

 

 周囲を見渡すと、どうも壁ギリギリの場所に移動していたらしく下には海が見えた。

 場所の把握をしながら、俺は次に自身の状態を見る。

 

 満開したことで強化された武装と少し伸びた昏色のコートが自らの眼に映りこむが、

 徐々にそれらから紫黒色の粒子が漏れ出ている。

 

 恐らくだが、完全に満開が解けるまであと3分程度だろう。

 あまり馬鹿に出来ない自身の勘で判断を下しつつ、端末で地図を開く。

 樹海化をしているが、まさかもうバーテックスが復活したのだろうか。

 久しぶりに移動してしまった為、まずは合流するべく俺は何気なく端末を見ると、

 

 大量の赤い点が、壁を通り抜けてこちら側に入り込んでいた。

 

「―――――ぁ?」

 

 呆然とした声が自らの口から漏れる。

 だが、瞬きをしても右手に持っている俺の端末は、淡々と正確な情報を所持者に教える。

 

「……」

 

 無言で操作した後、端末の指示する方角に顔を向けてモノクルを片目に装着する。

 モノクルの遠視と勇者の力、そして満開によって得た残りのエネルギーを駆使して見る。

 見た先の光景は、

 

「東郷……」

 

 巨大な樹木の根のような物で編み込まれた壁に向かったのはもう数年も前になる。

 今まであえて再度訪れることをしなかったが、数年経っても何一つ壁は変わっていなかった。

 そんな白緑色の壁には煙を上げて、ポッカリと穴が開いていた。

 そして開いた穴からは、大量の星屑がギチギチと歯を鳴らして樹海へ入り込んでいた。

 

「―――――」

 

 壁の上からこちらに背を向ける形で東郷はどこかを見ていた。

 それだけで俺は何となくだが理解した。

 誰が何をしたのか、察せない訳がなかった。

 

 脚に力を入れ跳躍を繰り返し、東郷のいる場所へ向かうのは容易かった。

 ふと風の後遺症が気になったが、それよりもまずは現状の打破を優先するべきだろう。

 途中で満開の限界時間が訪れたが、自らの手足に異常は無かった。

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 しばらくして、オレは東郷のいる壁に辿りついた。

 

「やあ」

 

「―――――」

 

「東郷さんは、こんなところで何をしているんだい?」

 

「―――――」

 

 オレの呼びかけに対し、東郷は返答をせず、こちらに飛翔する星屑を撃ち落とす。

 ライフルや生前ロボットアニメで見たことのあるファンネルを使用し、空を舞う星を蒼い弾丸が撃ち滅ぼす中、

 振り返ることなく東郷美森は、端的にこう言った。

 

「壁を壊したのは――――私よ、亮くん」

 

「なぜだ」

 

 周囲に星屑が無くなり、銃声が消え静寂が戻る中で、オレは直球で東郷に切り込む。

 やがて武装を解いた東郷は、ようやくこちらに振り向いた。

 その深緑の瞳がオレを見るが、それでも東郷は変わらず無言を貫く。

 

「……」

 

「東郷さん。当たり前だがこの状況で無言になるのはいけない。それは――」

 

「壁の外を見たわ」

 

「―――――」

 

 その一言に、今度はオレが黙り込んでしまった。

 

 紅の世界を見た。

 明確なる死と絶望と紅蓮の灼熱で彩色されたあの世界を見たと言う。

 黙り込んだオレに代わって、一呼吸を置いて東郷が重い口を開いた。

 

「今日、乃木さんと話をしたら、真実を教えてくれたわ。……真相は自分で確かめるべきだって」

 

「―――――」

 

「それと、かっきーにもよろしくって」

 

「―――――」

 

 東郷は知ってしまったのだ。

 この世界の真実に。虚構で塗り固められた世界の真実を認識してしまった。

 それだけで聡明な彼女は簡単に理解できたのだろう。

 

 勇者としての御役目に縛られて、延々と戦わされる。

 そんな勇者という名の生贄になる未来が、東郷の瞳に映りこんだ。

 僅かに息を呑んだオレの様子に対し、眼を細めた東郷は背を向けて歩き出す。

 

「亮くんも知っているでしょ。この世界の真実の姿を」

 

「―――――」

 

「壁の中以外、全て滅んでいる。そしてバーテックスは13体で終わりではなく、無数に襲来し続ける」

 

 東郷の後ろを、2メートルほどの間隔を作り無言で歩きながら話は続く。

 久方ぶりに結界を通り抜け見た世界は、自らの色褪せた視界ですら紅の色に染まった。

 空を見上げると、白い多くの星が瞬きながら赤い空を移動していた。

 

「この世界にも、私たちにも未来はない。私たちは満開を繰り返して、身体の機能を失いながら戦い続けて……」

 

 低い声音で、東郷はこの世界の残酷さを語る。

 穏やかそうに見え、理性的に話しているライフルを持った少女の様子に対し、

 語る内容に無言で続きを促しながら、オレは拳銃を左手に、黒剣を右手に出現させる。

 

「いつか大切な友達や―――――楽しかった日々の記憶も忘れて……」

 

 対人用の兵装を出現させるオレに対して、東郷は拳銃を出現させる。

 悲嘆に暮れ、片手に拳銃を出す東郷は、構える訳ではなく自分の肘を抱き、白い肌に爪を立てる。

 生贄となる自分が想像できたのか、東郷はその深緑の瞳に掠れた決意を宿してオレを見た。

 

「それでも、私たちは戦い続けなければならない」

 

「―――――」

 

「その先にあるのは、明確なる破滅の道。だから、皆がこれ以上苦しむくらいなら……」

 

「―――――」

 

「私がこの世界を……終わらせる。そうすれば友奈ちゃんも亮くんも、勇者部の皆がこの生き地獄から解放される」

 

「それで神樹……様を倒す為に、壁に穴を開けたのか」

 

 なんとなく、いつもの薄い笑みを浮かべて笑ってしまう。

 それが気に入らなかったのか、東郷は眉を顰め、視線と共に銃口を向ける。

 明確に敵対するという意志が籠められていたが、オレはそれを気にも留めなかった。

 

「―――――何が可笑しいの」

 

 左手を広げ、思わずクツクツとした笑いを口から溢す。

 目の前にいる存在が面白くて、苛立って、憎くてしょうがなかった。

 

「東郷、ソレは傲慢だな。独り善がりでしかない考えだ。……大体友奈やオレ、勇者部の誰かがそう言ったのか? 『助けて東郷さーん』って。……誰も言ってないよな?」

 

 銃声が響く。

 蒼い弾丸に頭を狙われたが、バリアのおかげで仰け反る程度で済む。

 だが、それでも撃たれたという事実に変わりはない。

 

「亮くん、分かって。神樹様さえ倒せば、それで終わりなの。もう誰も二度と辛い思いをしなくて済む!」

 

「ソレはつまり、オレ達の生きている世界を壊すと言っているんだよな、東郷。友奈を殺し、樹を殺し、風を殺し、夏凜を殺し、世界を地獄の炎で焼き尽くす。皆を殺すつもりなのか?」

 

「―――――そうよ。これ以上友達も大切な人も傷つくことに、私は耐えられない!」

 

 肯定する東郷を見る。

 目の前にいる少女は、かつてのオレと同じ状況に立っていた。

 初めて世界の真実を知った時、初代から情報を得た時、オレも同じ様な事を考えていた。

 

 そして、東郷は選んだ。

 いつか訪れる生き地獄を味わうよりも、先に地獄を回避する方法を。

 もしかしたらオレも選んでいたかもしれない、世界に反旗を翻し、神樹を殺すという道を。

 死という“終焉”でありながら、同時に訪れる“救い”を求めた。

 

「そうか」

 

 だが、オレは選んだ。

 たとえこの世界が偽りの物でしかなくても、日常で見上げるあの空が虚構に塗りつぶされていても。

 友奈や園子がオレに笑いかける限り、神樹に守られたあの世界がオレにとっての居場所だと。

 だからオレは死を敵と認識し、崩壊へ至る道に対して足掻き戦う決意を抱いた。

 

 双子座の残りとの戦いの際、園子はこう言った。

 「この先どんな答えを出しても、私は貴方達の味方である」と。

 それは即ち、同じ地獄を見たオレたちが異なる答でも静観しているということ。

 

 同時にオレは既に答を園子に告げた。

 だから園子には分かっていたはずだ。

 加賀亮之佑と東郷美森は異なる道を選ぶことを。

 なればこそ、この先の結果がどうなっても園子は悲しみこそすれ、仕方ないと頷くだろう。

 

「……考え直す気は無いか」

 

「ないわ」

 

 それが最後の通告のつもりであり、優しさだったが、東郷はにべもなく断る。

 それで終わりであった。

 

「……」

 

 “オレ”は思う。

 もしもここにいたのが友奈だったら、夏凜だったら、説得しようとしたのだろう。

 己の心を砕いて、東郷の心情に共感し、共に涙をこぼすこともしたかもしれない。

 だが、それでも東郷は決めた意見を覆さないだろう。

 

 なぜならば。

 日常でも稀に起きる極端な行動を、誰にも相談せず勝手に行うのが東郷だからだ。

 だから―――――

 

「そんなに大事な人が傷ついてくのを見たくないなら―――――、一人で先に死ねよ、東郷」

 

 冷静さを保ちつつも、オレは東郷に対して殺意を抑えられなかった。

 

 もしも東郷が勝手なことをしなければ、生き地獄を回避する為に大赦への襲撃をしても良かった。

 他には次の勇者適正持ちに変わってもらうなど、やりようはいくらでもあったのだ。

 だが目の前の少女は相談も何もせず、勝手な行動と傲慢な意志で世界を滅ぼそうとしている。

 

 許せなかった。

 許す気もなかった。

 

 友奈を、園子を、風を、樹を、夏凜を、世界を殺そうとする“敵”を、

 オレは心の底から、死んでしまえという殺意を持って睨みつける。

 あえて憎悪に満ちた言葉を塗りたくるように繰り返す。

 

「迷惑なんだよ……。そんなに他の人が傷つくのが嫌なら、一人でさっさと死ねよ」

 

「―――――っ」

 

 理性の歯止めが利かない。

 いつもなら言わないような言葉を、悪いとも思わずに口から吐き出す。

 殺意と憎悪に満ちた言葉に僅かに怯む東郷に失意を感じながら、

 

「――――何、これ」

 

 ふと視界の端で、友奈と夏凜が結界の外に飛び出してくるのを見つけた。

 オレの視線がそちらに向くと同時に、視線誘導を受けた東郷がそちらを見て隙ができた。

 その隙を見て再び左手の銃を構えると、瞬時に東郷も照準を合わせてきた。

 

 銃声が響く。

 引き金を引いたのは一瞬で、紅と蒼の弾丸が正面から交差し、火花が散り砕ける。

 

「亮ちゃん!? 東郷さん―――――!?」

 

 友奈の悲鳴を、冷静な意志が聴覚からシャットアウトする。

 自らの神経は敵の撃破に向けられる。

 弾丸の接触と同時に、脚力に物を言わせて、東郷の下へと跳ぶように地面スレスレを走る。

 相容れないことを理解した敵がすぐに蒼い弾丸を撃つが、拳銃であったことが仇になった。

 

 猛烈な勢いで迫るオレに対して、東郷は愚かにも武装を変更しようとした。

 強力な銃と交換しようとしたのだろうが、それは悪手であり、隙となりうる。

 目の前の一人にだけ聞こえる程度の声量でオレは悪意をぶつける。

 

「―――――周りを巻き込むなよ……白黒女が」

 

「あぐっ―――――!!」

 

 黒剣を横薙ぎに振るうと、動きの鈍い東郷の胸を、鈍く光る黒い刀身が容易く捉える。

 右手に感じる重い感触と、致命傷としてバリアに防がれたことに不快さを感じる。

 ―――――だがまずはバリア越しに一撃を入れたことに、薄暗い快感を覚える。

 

「なにやってんのよ!? 二人とも!!」

 

 紅の空の下、眼前で起きる事態に夏凜が吼える。

 その叫びを耳から流しつつ、距離ができた目の前の反逆者に迫る。

 

 風との戦いで理解したが、バリアを持っている勇者同士の戦いでは『衝撃』が鍵となる。

 通常攻撃では致命傷を与えられないが、バリア越しで衝撃を与えることが出来る。

 ソレは実際に風にも通用し、大剣を落とさせることに成功した。

 

「オオッ―――――!」

 

「……!」

 

 短く吠え、瞳に殺意を宿す敵に走り寄る。

 狙うは頭、首、心臓など人体の急所。そこに確実に衝撃を与えるべく接近するが、

 先程の一撃で吹き飛ばしたことが仇になった。

 

 およそ二歩分の距離が生まれる中、ライフルを肩に構え、東郷がこちらを真っ直ぐに狙う。

 同時にファンネルのような武器が出現し、明後日の方向から同時に蒼い弾丸をオレに向け射出する。

 

 己の視線は、剣は、殺意は、全ては、東郷に向けられる。

 蒼い弾丸が自らの身体に当たる前に、オレの剣が貫ける――――――

 

「―――――っ!!」

 

「――――ぁっ!!」

 

 黒剣の剣尖が青い装束を纏う東郷の心臓へと、黒の光束が奔る中で、

 殺意を唄う複数の弾丸が昏い装束を纏うオレの全身へと、蒼き雹が降り注ぐ中で、

 

 突如現れた全てを呑み込む業火の塊に、オレは再び結界の内側へと弾き飛ばされた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 己の頬に何か硬い衝撃を感じた。

 重い目蓋を開き、瞬きを繰り返すと、自らの意識が再覚醒するのを理解した。

 

「―――――」

 

 自らの呼吸音に耳を澄ませながら、オレは無様にどこかに転がっていることに気が付いた。

 どうやら、樹海の根を枕に惰眠を貪っていたらしい。

 ゆっくりと緩慢な動きで腕を起こすが、身体が軋む。

 

「ん―――――、一体何があった……」

 

 巨大な根に背中を預け疑問を口に出すと、意識を失う寸前の出来事を思い出す。

 地獄の如き紅の世界で、東郷との戦いに決着をつけようとした矢先、

 左手の方向から、突如炎の塊に殴り飛ばされるような衝撃を受けたはずだ。

 

「そうか……思い出した」

 

 戦いの最中、あの場所が壁外であることを僅かにだが忘れかけていたらしい。

 爆炎に呑まれ、頭を衝撃で揺さぶられる中で、その姿を見た。

 

「乙女座か」

 

『復活したんだろうね』

 

「――――初代か」

 

『それなりに早い回復だったね』

 

 意識的に呼吸を繰り返す。

 痺れの残る身体を動かし、上空を見上げると、白い星が空で煌めいていた。

 蛇遣座との戦いの際に見た光景と似てはいるが、あの時ほどの統率は感じられない。

 

「あれから、アイツ等はどうなったんだ……?」

 

『乙女座の攻撃を受けて、バラバラの方向に飛ばされたよ」

 

 ということは、オレもそのまま落ちたのだろう。

 それなりに高い根の上に転がり落ち、衝撃によって気絶していたらしい。

 ここにいる原因は分かったが、今更な疑問がふと脳裏を過った。

 

「なあ、初代。俺はこれまで3回の満開をしたけどさ―――――2回目と3回目は何を失ったんだろうな」

 

 疑問だった。

 それなりに運がいい方だと自負しているが、腕も足も、眼も鼻も耳も問題はない。

 少なくとも表面上では分かりやすく失われた色覚以外は何も分からないのだ。

 

『そうだね、ボクも少し疑問に思ったけれども―――――それは些細な問題でしかないと思うよ』

 

「些細って」

 

『キミの内側で何を失おうとも、戦闘において戦える身体と記憶があるなら問題はないはずだ。多少攻撃的になっていたら、敵対した友人を救おうという偽善に溢れた優しさが失われていたら、困るのかい? むしろ運が良かったと自らの幸運を褒め称えるべきだと思うよ。眼が見えない訳ではない。声を出せない訳じゃない。手足も動く。なら今はソレで良いじゃないか』

 

「―――――」

 

 その通りだと思う。

 オレの身体は、心は、間違いなく何かを失くしているのだろう。

 だが、オレ自身は決して失くした物に気づくことができないのだろう。

 

『そんなものよりも、まずは壁を塞ぎ、反逆者を排除することを優先するべきだと思うよ』

 

「――――そうだな」

 

 優先順位を考えろと言う初代に、オレは頷き肯定する。

 どの道、現在も壁に穴は開いており、敵は復活し始め侵攻してくる。

 そして、仲間だと思っていた勇者の反逆の問題をどうにかしなければ、明日は来ないだろう。

 どうにかしなければ未来は見えないのだ。

 

「なら、まずは――――」

 

 異常なまでに感じる身体の倦怠感に顔を顰める。

 意識を喪失している間、冷たい根に体温を奪われ続けたことが原因か。

 

「……まずは」

 

 まずはどうするべきか。

 背中を根に預け目蓋を下ろすと、生暖かい泥沼に身を委ねるような停滞感が、

 切迫した状況に置かれるオレの心を抱擁し、意識を霧散させるのを感じる。

 

 火炎にバリア越しではあるが焼かれる前ほどの感情の跳ね上がりが無かった。

 身体中の血潮が燃え上がるような殺意も、憎悪も、いつの間にか感じなかった。

 東郷の傍から離れたからか、それともあの地獄に立っていないからか。

 

「―――――」

 

 自分の心が均衡を保てず、不安定であると客観的に理解した。

 そんな矛盾に満ちた己の心に蓋をするように、疲れた肉体の回復をしていると、

 

「ほら、起きなさい!」

 

「……かりん」

 

 新たに壁の外を、この世界の真実を知った一人が、三好夏凜が目の前に立っていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「少し話をしましょう」

 

「……断る」

 

 いつの間にか勇者の装束を纏って根の上にいるオレを見つけた夏凜は、

 結界を通り抜け、入り込んでくる数体のバーテックスに背を向けた。

 その顔は真実を知った者として絶望に塗り固められた顔ではなく、寧ろ爽やかな顔であった。

 

「ほら、煮干しあげるから」

 

「……」

 

 適当な冗談を交わす余裕もあるようだ。

 常備している煮干しの袋から、一匹だけこちらに差し出す。

 受け取ったソレの頭の方を唇に咥えると、満足気に頷いた夏凜も一匹唇に咥えた。

 

「夏凜、風は何を失ったんだ」

 

「眼よ」

 

 先ほどまで戦っていた相手である風は、残りの眼を失ったという。

 結果、近くにいた樹のことすら分からなくなるほどの錯乱状態に陥ったという。

 それをどうにか落ち着かせるのに少し時間が掛かったのだと二刀流使いは言った。

 

「……で、亮之佑。あんた、どうしたい?」

 

 貰った煮干しは、時間が経過するほど渋い味になる。

 その苦さを今は美味いと感じながら、今度はオレが答える。

 

「東郷を……止める。この偽りの世界で、オレは皆と明日を迎えたい」

 

 その先に東郷を殺すことになったとしても。

 そう続けそうになる口を閉じると、夏凜はその言葉を受けてやや苦笑した。

 

「友奈と同じこと言っているわね」

 

「……?」

 

「あの娘、泣いてたわ」

 

 パキリと音を立て、夏凜は煮干しを食べる。

 口の中を動かす夏凜を見ながら、確かに友奈なら言いそうだなと思った。

 ようやく痺れの取れた身体に鞭を打ちながら立ち上がろうとすると、

 

「亮之佑。私ね、もう大赦の勇者として戦うのはやめたわ」

 

「―――――は」

 

 勇者であることに拘りを、誇りを持っていたプライドの高い少女の言葉に耳を疑った。

 

「これからは勇者部の一員として戦う」

 

 両手に赤い光を輝かせ、少女の両手に刀が出現する。

 こちらに背を向ける夏凜を見て、オレは一言だけ問うた。

 なぜなのかと。

 

「私たちの勇者部を壊させたりはしない。何よりも、友奈の泣き顔を見たくはないから」

 

「―――――」

 

 軋み冷えた身体を動かし、オレは無言で戦友の隣に立つ。

 お互いに顔は見ない。

 

 見るべきは、見据える先にあるのは、倒すべき敵たちだ。

 それらが結界を通り抜けて侵入してくる。

 

 乙女座【ヴァルゴ・バーテックス】

 射手座【サジタリウス・バーテックス】

 蠍座【スコーピオン・バーテックス】

 魚座【ピスケス・バーテックス】

 蟹座【キャンサー・バーテックス】

 

 昏いコートと赤い装束が時折吹き込む強い風にあおられ、生き物のように風の中で揺れる。

 苦味しか感じなくなった煮干しを一思いに飲み込む。

 少しの休憩のおかげか、心なしか体力が戻った気がして夏凜に礼を言う。

 

「煮干しも悪くはないな……もう一匹くれよ」

 

「なんで上から目線よ……また今度ね」

 

「しょうがないな」

 

 呟きながら、遠くを見る視界が時たまぼやける。

 心労と、繰り返された複数の戦闘があったせいだろう。

 妙に頭が重いのは変わらず、オレは首を何度か横に振る。

 

「まずは、再生したあいつらを殲滅しなきゃいけないけど……」

 

「どうした?」

 

「亮之佑は、東郷の方を頼める?」

 

「……二人であいつらを倒した方が良いんじゃないか?」

 

 甲高い耳鳴りが脳を掻き毟り、自分の体内を巡る鼓動が聞こえる気がした。

 しかし、意識を喪失する前に比べて、どす黒く煮詰めた憎悪は薄れはすれど、

 今も胸中から消え去ることはない。

 

 大切な人のために、明日を迎えるために、殺害を実行する覚悟は未だ消えてはいない。

 道を違えた東郷を正そうとも、説得しようとも思わない。

 

「恐らくだけど、樹と風は東郷の下へ向かうと思う。だけど今の東郷を止められるとは思えない。だから――――」

 

 東郷に感じる憎悪は消えない。

 自らの大切な人を、世界を壊そうという裏切り者に感じる、軋むほどの殺意は、

 

「―――――あんたに、東郷の方と壁を頼みたい」

 

 信頼を寄せる隣の戦友の言葉に、目覚めた理性が辛うじて抑え込んだ。

 首を傾け、右隣を見ると、こちらを真剣な眼で見る夏凜と眼が合う。

 

「……」

 

 その真摯な意思を感じる瞳から、彼女の左肩にあるゲージへと視線を移す。

 あれだけの数に対して一人で戦うのならば、流石に無傷でいけるとは思えない。

 なんとなくだが、夏凜がどれだけ勇者部を好きかが分かった気がした。

 

「友奈の泣き顔を見たくない……か。分かったよ。キミの頼みを引き受けよう」

 

「ありがとう」

 

 なぜか礼を言われるが、それに対しては何も言わずに端末で東郷の位置を探ると、

 夏凜の言った通り、樹と、驚くことに風の表示も近くにあった。

 

「それじゃあ、任せたわよ」

 

「任された」

 

 お互いに背中を向ける。

 振り返るなど無粋なことはしない。

 

 夏凜は目の前の脅威の打倒の為に戦う。

 そしてオレは、背中を向けるに相応しい戦友の頼みの為に東郷を止める。

 

 今はそれで十分だった。

 交わした約束が、湧き上がる負の感情に楔を打ち込む。

 

「また会おう――――――夏凜」

 

「ええ、必ず」

 

 背中越しにお互いに別れを告げる。

 きっとこの夏凜に会うことはもうないだろう。

 どの道、夏凜が満開をするならば、後遺症を負うのは間違いない。

 

「―――――さあさあ! ここからが大見せ場!! 遠からんものは音に聞け! 近くば寄って、目にも見よ!」

 

 残っている体力は僅かであるが、もう一戦闘はいけるだろう。

 頼もしい啖呵を背後に聞きながら――、

 

「これが讃州中学二年、勇者部所属、三好夏凜の実力だああぁぁぁっ――――!!!」

 

 叫びと共に、背後で花が咲き誇るのを感じた。

 同時に脚に力を注ぎ戦線を離脱し、オレは跳び立ったのだった。

 

 

 




夏凜の格好良い活躍は原作を見て下さい。(ステマ)

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