これは、俺たちが東郷の暴走を止め、穴の開いた壁から入り込んだ侵入者達を撃破した後。
全員仲良く大赦によって病院送りとなり、意識の無いうちに端末も気づけば回収され、
その後、意識の戻らない友奈と盲目の風、そして夏凜がまだ入院していた頃の話だ。
= = = = =
「亮之佑――――頼みがあるのだけど」
「はい」
俺や樹、東郷は既に退院して、時折このように見舞いに訪れるのだが、
そんな時病室に来ていた俺は、風に樹の身の回りの世話をして欲しいと頼まれた。
樹はアタシがいないと一人じゃ生きていけないのだと、悲しげに、切なげに寝台の上で呟いた。
流石に過保護だと思うのは兄弟も家族もいないからだろうか。
人間は自身が危機的状況にあると認識した時に力を発揮する生き物だ。
身の回りの事ぐらい自分一人で出来ると思うのは傲慢でしかないのだろうか。
しかし、まだ中学1年生の少女を一人家の中で暮らさせることに、保護者として不安であるというのもよく解る。
「―――――」
だからこそ。
紳士たる俺としては、悲しげな顔をして頼みこむ盲目の少女に震える手で握られると断れない。
その想いに対して、断るという鬼畜な真似をすることはできない。
白い産毛のある金髪の少女の手をマッサージ感覚で揉むとハリのある温かさを感じ取った。
「アタシの片目の視力が完全に戻るまでで良いからっ……!!」
「――――分かりました」
「亮之佑……!!」
「ただし、キチンと療養して下さいね」
幸い少し前から己の眼の色覚は戻りつつある。
なおかつ、俺は既に友奈という一人の家事未経験の少女を鍛えた実績がある。
その時の話を以前風にした際、何とも言えない顔をされた。
いずれにせよ男である自分に信頼を寄せてくれる事実が、薄情者になりたくないと思わせた。
「――任せて下さい。風先輩」
包帯の取れない両目部分を見ながら、真摯な思いで俺は風に告げた。
彼女から樹の実生活がどんな感じか、どれだけ可愛いかは、日々の生活で聞かされている。
どれだけ大事な存在であるかを聞かされている。
「俺が樹を理想の妹にしてみせますから」
「いや……身の回りの世話だけでいいからね……? マジで、本当に」
「冗談ですよ」
そんな訳で更にいくつかの細々とした話をし、俺は風から合鍵を預かることになったのだった。
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「えっと……お世話になります」
「いえ、こちらこそ」
犬吠埼家のリビングのテーブルを間に挟みこみ、俺と樹は向き合う。
最近になって満開によって捧げられたはずの供物が戻ってきたらしく、
順調にリハビリを行えば元に戻ると大赦や医者には言われている。
まだ声に僅かながらたどたどしさの残る少女を見ながら、椅子から立ち上がる。
「それじゃあ、早速昼ごはんを作るけど、樹は何か食べたい物とかはあるか?」
「……う、どんで」
「――了解」
こんな幼い少女にもしっかりとうどん因子が刻み込まれているのだという認識を得ながら台所に移動しつつ、自宅から持ってきたマイエプロンを上着の上から着る。
「……」
ふと、自身が着用した赤いエプロンを見下ろす。
友奈も小学校の頃、俺と料理の修行をしていた時はこのエプロンを着ていたなと感慨深く思いつつ、未だに意識の戻らない赤い髪の少女に対して、ふと少しだけ考えてしまった。
そんな俺に、躊躇いがちに樹は話し掛けた。
「……ぁ、あの、亮さん」
「――――うん? どうした? 樹」
「えっと、手伝い、ましょうか?」
「……」
いつも台所に立っている風ではなく、他人な俺が立っていることに違和感でもあるのだろう。
もしくは一人だけ何もしない事に耐えられないのか、樹がか細い声で手伝いを申し込む。
胸の前で両手を組みながらこちらを見上げ、揺れる薄緑色の瞳に風の面影を感じながら、
「じゃあ、手を洗って……まずは冷蔵庫から長葱を取ってくれるか?」
「はい」
その手伝いを承諾し、二人で料理に取り組むことにした。
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「美味しかった、です」
「うん、お粗末様」
夜ご飯はカレーにしたが、口に合ったのかご満悦な様子で樹は告げた。
片付けを終えて、一服していると樹が自身の湯呑みに視線を下ろしていた。
もしかして食後のコーヒーの方が良かったのかと思い尋ねると、首を振りながら違うと告げた。
「私は、お姉ちゃんがいないと、駄目なんだなって思いました」
少女が言っているのは、退院して数日で汚くなり始めた部屋の惨状のことだろう。
姉に甘えて自己管理も碌にすることができない自分が嫌であると悲しげに言う。
「それで……?」
「私は……お姉ちゃんの、負担には、なりたくないんです」
風の隣に立てる妹として、せめて自分で身の回りの事ができるようになりたいと、
治り掛けな声で、それでも懸命に喉を震わせて、樹は自分の想いを口にした。
「亮さん。私に料理を、教えてくれませんか?」
「ふむ……」
正直意外な気持ちではあったが、今までのように甘えるだけの関係なのは嫌なのだろう。
姉が妹を想うように、姉想いの可愛らしい少女であると俺は思う。
いずれにせよ、料理を覚えたいと言っているのは非常に分かるのだが、
「俺が教える場合は、料理だけでなくて洗濯や掃除も覚える事が条件だ。料理も大事だが、自分の身の回りの事を自分で出来るようになりたいなら、他の事も覚えないとね」
「は、はい」
「あと、俺は風先輩とは違って甘くはないけども、いいのか?」
「―――――」
妹に優しいのはきっと姉の特権だろう。
対して俺には妹も弟もいない。その可能性は己の無能さが殺したのだから。
教え方は厳しいという俺の言葉に対し、樹は逡巡したがやがてコクリと頷いた。
「良い子だ」
その瞳には、愛する姉の為に自分も頑張ろうという強靭な意志を感じた。
両拳を握り締め、家事を覚える事に意欲的であるのが伝わった。
その姿を見て、思わず頬が緩むのを感じた。
「樹。俺に師事を乞うのならば、キミは間違いなく立派な妹として風先輩の負担どころか、これから先風先輩と共に活躍できるだろう」
「はい!」
「良い返事だ」
そんな訳で本人の希望あって俺は樹に、一人でも生きていけるように家事を教え込むことになった。
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「おにぎり、ですか」
「ああ。これなら火も使わないし……あとは味噌汁を作って一品おかずを作る感じかな」
次の日、眠っていた樹を耳元で囁くように起こし、洗面台に寝ぼけ眼な少女を送り込む。
耳を押さえながら戻ってきたパジャマっ子はまだ寝ぼけているのか、俺を風と間違えていた。
姉が恋しい妹がようやく覚醒し、俺の作った朝ご飯を食べ終えた後、早速修行を始めた。
流石に初回から火を使うような料理は危険なので、練習としておにぎりを採用した。
「じゃあ樹。まずは俺が見本を見せるから、よく見といてくれよ?」
「はい」
隣で見る少女に教え込むべく、俺はおにぎりの作り方を実践する。
既にご飯は炊きあがっており、現在は少し温度を冷まさせている。
「まず、手を軽く水で湿らせて、塩をひとつまみ摘まむ」
「……」
「それでご飯の量はこれぐらいにして……具を入れて、手を三角形にして力を抜いて握ると……」
「……!」
「こんな感じかな。握る時は少し米が熱いけど我慢してね」
ふくよかな熱い米を握り、鮭の具を入れたおにぎりを皿に置く。
三角形に出来上がったソレを見ながら、次は樹がおにぎりを作るのを見る。
必死な形相で俺のやった行動を再現しようとする姿を見ながら、手を洗いつつ俺は昔を思い出していた。
東郷に出会う少し前から友奈に料理を教えていたのだが、あの頃は酷かった。
それでも彼女はめげずに取り組み、褒めてイチャついていたら随分と上達していた。
「こう、ですか?」
「……そうそう。いい感じだよ」
ふと気を抜くと過去に飛びそうになる己の意識の手綱を握り締める。
行動をしているというのは良いものだと俺は思う。
なぜならば、動いている間はあまり考える事が少ないからである。
着々と樹も風も後遺症が治ってきている。だから―――――
「うーん……」
ふと樹の唸り声に暗い思考が掻き消される。
樹の作ったおにぎりは、お世辞にも形の良い物では無かった。
三角というよりは丸く、更には力を籠め過ぎて米粒が潰れてしまっている。
先ほど俺が作ったおにぎりと並べてみるとその差が判る為か、樹は失意に項垂れてしまう。
「樹。最初にしてはかなり上手いと思うぞ」
「本当ですか……?」
「お世辞を言ったつもりはないよ。それに料理ってのは反復練習みたいな物だよ。俺だって最初の頃はこんな感じだったよ」
「亮さんも、ですか?」
「ああ、それでも毎日毎日作ってたらいつの間にか上達してただけだよ。風先輩だってそうさ」
己の不出来な物を見て落ち込む樹に俺は励ましの言葉を告げた。
俺の不出来な励ましに対して、樹が下を向いていた顔を上げる。
その姿に誰かを重ね、懐かしさと寂寥感に襲われそうな気がして、薄い笑みを浮かべてしまう。
「……?」
「いや、なんでもないよ。……なあ樹、料理において大事な物ってなんだと思う?」
「えっと……調味料、とかですか?」
「それもあるけど、料理において大事なのは……そう、愛なのさ!」
「……あい」
急にどうしたんだ、みたいな顔をする樹に対して、俺はクツ……と微笑み掛ける。
非常にベタな話ではあるが、昔の人はよく料理において大事なのは『愛』であると言っていた。
昔の俺も何を言っているのか解らなかったが、実際に作ると先人の言葉の意味が分かる気がした。
「つまり、大切な人が美味しいって笑みを浮かべてくれる姿を思い描けば、次はもっと上手になろうって思えるってことさ。樹の作ったご飯なら風先輩はきっと美味しいって言ってくれるさ」
「……」
「それに樹は、こうして自分を変えるべく努力を始めたんだ。それが風先輩の為にという理由なら上達しない訳がないよ」
「……お姉ちゃんの、為に」
俺の言葉を咀嚼しているのか、その目蓋を下ろし、眦を震わせる樹は、
再度目蓋を開きこちらを見上げる頃には、先程までの弱気な意思は感じられなかった。
その姿に、俺は誰かの姿を重ねて、つい左手を伸ばして少女の小さな頭を撫でてしまった。
金色の渦を渦巻いてきらきらと震える幼き少女の髪は、抵抗なく髪の間を指が通した。
樹の短めな髪の毛を触っていると、ふと妹がいたらこんな感じなのかと思ってしまった。
後悔しても遅いというのに、未練たらしく思う。
そんな苦笑する俺を、樹は綺麗な瞳に疑問を浮かべて見上げた。
「妹……ね」
「亮さん?」
「…………いや、埃がついてた。さて、それじゃあもう一つ作ってみようか」
「はい!」
「……」
先ほどよりも一つ一つの工程に注意を払い、先程の俺が教えたとおりの事を忠実に再現し、
時折俺がアドバイスを送っていると、少しずつだが最初よりも形の良い物が出来始めた。
誰かの為―――――風の為に樹は懸命な意志で、これからは物事を為していくだろう。
「―――――」
その姿は、その容姿は、似ても似つかないというのに。
なぜか俺は、大切な赤い髪の少女との思い出に、過去の幻想へと想いを過らせるのだった。
---
それから俺が少しずつ樹に家事を教え込み始め、遂に明日、風が退院する日になった頃。
短い期間なりに成長した樹の言葉に耳を傾けつつ彼女の服を畳む。
ちなみに白系が多い下着は樹が畳み、その後皺を作ることなく俺の隣で他の服を畳む。
「おっ、畳むの上手くなったじゃないか。また一つ上達したな」
「えへへ……なんだか、亮さんってお兄ちゃんみたいですね」
「風先輩ほど甘くした覚えはないけどな」
最初の頃と比べて一人で家事が出来るようになった少女と雑談を交わしていると、以前よりもたどたどしさの薄れた声で樹が俺に話し掛けた。
「でも優しかったです」
「そう? ……まあ、いずれにせよ樹もちゃんと成長できたと俺が保証しよう。後は風先輩を驚かせるだけだ。きっと泣いて驚くだろうさ」
「はい、頑張ります!」
「……」
本当に成長したと俺は思う。
最初の頃、うどんは作れるというので後ろで見ていたら、知らぬ間に生物兵器へと進化した。
如何に女子中学生の作ったうどんでも胃が耐えられないので、その辺りは厳しく教え込んだ。
その甲斐あって、随分とまともな物を作れるようになったと心から思った。
畳み終えたのを確認し、衣服を自室に持っていくのを確認しながら、自前のエプロンを着用する。
あっという間に最終日となった事を感慨深く思いつつ、僅かに愛着を持ち始めた台所に立つ。
最後の晩餐として今日は何を作ろうかと考えていると、後ろに気配を感じた。
「あ、あの、亮さん」
「うん?」
「手伝います!」
「……そっか、じゃあお願いするよ」
頭一つ分ほど背丈の小さい少女と並び立ちつつ、調理を始める。
今日は最終日だったし、豪華に作ろうと思いつつメニューを考えていた時であった。
「亮さんは……」
「ん」
「料理をしている時、いつも誰が喜んでいる姿を思い浮かべているんですか……?」
思わず包丁を動かしていた手を止めて、隣にいる樹の方を見ると数秒だけ眼が合った。
咄嗟に真顔からいつもの不敵な笑みを浮かべつつ、先に俺が眼を逸らした。
その質問を受けて、自分は誰の喜ぶ姿に料理を始めたのだったかを考えた。
料理を覚えたきっかけは、綾香に仕込まれたからだ。
当時は後悔しないという魂に刻み込んだ誓いに従い、あらゆる事を貪欲に吸収した。
通常の子供ならばきっとグレるような黒いスケジュールではあったが、あの頃は充実していた。
綾香や宗一朗に料理を作った時は随分と喜ばれたのを覚えている。
「そうだな……」
それから時が流れ、一人暮らしをすることになった時。
外食気味だった俺が再び自炊を再開するようになって、ある少女と一緒にご飯を食べた。
一人で食べるご飯よりも、誰かと一緒に食べるご飯がどれだけ美味しい物なのかを教えてくれた。
そうして「美味しい」と偽りなき笑顔で告げた赤い髪の少女の姿が、ふと脳裏を過った。
「大切な人とか、かな」
「友奈さんですか?」
「―――。もちろん樹もだよ」
「むぅ……」
そんな風に揶揄すると、少女はほんのりと頬を赤らめながら困ったように眉を顰めた。
その姿を見ているとふと悪戯心に囚われてしまい、話を逸らしつつ別の話題を提示する。
「そうだ樹。ちょっとお願いがあるんだけど」
「は、はい。亮さんのお願いなら、なんでも頑張ります!」
「ん?」
ソレに何か意味があった訳ではない。本当に何となく程度の考えでしかなかった。
もしも、俺にも妹がいたのなら、きっとこんな感じだったのだろうかと。
同じ時間を過ごす中で、年下の少女と絆を紡ぐ中で、愚かしくもそんな事を考える時があった。
そんな、ただの自己満足でしかない頼みを口にした。
「じゃあ……一度でいいから俺のこと、お兄ちゃんって呼んでみてくれないか?」
そんな奇抜なお願いに対して、樹は大きな目を見開いた。
驚愕にこちらを見上げながら、それでも愚者の願いを叶えるべく、薄紅に唇を震わせる。
「お兄ちゃん」
「―――――」
瞳を潤ませ、微笑を浮かべた樹は、何も聞かずただその言葉に想いを乗せて一言告げた。
その言葉に心の底で湧き上がった感傷に頬を緩め、俺は思わず頭上を仰いだ。
白い白い天井が、無機質に俺と樹を見下ろしていた。
= = = = =
「やっと着いた……!!」
後ろに重たい荷物を背負いつつ、ようやく犬吠埼家に辿り着いた。
よほど衝撃的であったのか、未だに目を覚まさない背後で気絶したままの少女を背負いなおし、
意識が無い為に判明した実は安産型である事実を脳のメモに記しながら、チャイムを鳴らす。
チャイムを鳴らして数秒後に、ドアノブが回され、家の住人が顔を出す。
こちらを見て驚きの顔を作り、同時に背中に乗っている自らの姉の姿に目を丸くする。
「お姉ちゃん!?」
「ああ……えっと、偶然会って怪談話をしていたら気絶してた……。けどそろそろ目を覚ますと思うから。あとこれ卵。冷蔵庫に入れといてね」
「うちの姉がすみません。……お茶でも飲んでいって下さい。お兄ちゃん」
「……いや、でも」
風が退院すると同時に俺は合鍵を返還し、いつも通りの生活に戻った。
そんな中で少し変化があり、時折樹が何を思ったか俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶようになった。
それに対して俺も特に注意する事もないのだが、公の場で呼ばれると在らぬ噂が更に増えるので、
最低限、二人きりの時限定で呼ぶようにお願いしていたのだが、
「そうよ、せっかくだし上がってきなさいよ。亮之佑」
「……!」
「ちょっと話をしましょう……ね、お兄ちゃん?」
「―――――」
どんな顔をしているか見たいが、それ以上に振り向くことは出来ない。
気絶していると思い口の滑った樹に対して、残念ながら眠れる獅子は目覚めていたらしい。
首に回される腕の柔らかさや背中に感じる双丘以上に、その腕に篭められた力と声の低さに、
俺は為す術も無く頷きながら、犬吠埼家で夕飯をご馳走される事になった。
「お姉ちゃんは今日どこに行ってたの?」
「アタシは……ちょっと買い物にね? それより樹は何やってたのよ」
「実は今日ね、勇者部の皆でお姉ちゃんと――」
椅子に震えて座りながらも、姉妹二人で台所に立って調理をする光景を、俺は僅かな笑みを浮かべて眺めるのであった。
【リクエスト要素】
・事あるごとにお兄ちゃんムーブなかっきーに対して、つい実の姉の前でお兄ちゃんと呼ぶ樹。