変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第五十四話 にゃんにゃんにゃんにゃんにゃす!」

「ん……」

 

 近くて遠いどこかから軽快な音が鳴り響いている。

 鼓膜から入り込んだ音が頭蓋骨を揺らし、そこから音を伝って手足の先まで駆け抜ける。

 同時に眠気が身体から排出され、意識が覚醒する。

 

 ひどく緩慢な身体の感覚と鈍い思考を引きずりながら俺は目を開けた。

 開かれる視界は、見慣れた讃州中学校の教室の風景を映した。

 

「―――寝てたのか」

 

 独り言を呟きながら、俺は軋む体を机から離す。

 変な体勢で眠っていたからか腕に跡がついているのを確認しながら、

 

 ―――視界に異常が発生していることに気がついた。

 

 まだ夢なのかと思い、慌てて瞼を擦っても目の前に広がる世界は変わらなかった。

 バーテックスの襲撃かと思い端末を見れども、異常は見つからなかった。

 

「うーん」

 

 確かに危険な訳ではない。

 満開の時の後遺症のように世界の色彩が失くなった訳ではなく、

 幻覚症状が発生して、世界が肉塊になったといったグロな展開でもない。

 むしろ平和であることを喜ぶ程度の展開なのだ。

 

「―――――」

 

 自らの机に突っ伏し、俺は目の前の視界を黒く染め直す。

 そうしながら俺は「もしかしたら今日は文化祭だったか」と考えるが、

 それにしては流石に露出が激しすぎると考え直した。

 

「亮さん、大丈夫ですかにゃ?」

 

 現実を受け入れるか否か、もしくはこれが夢か判別がつかないが、

 これから一体俺はどうするべきかを考えていると、やや低い声が近くから鼓膜へと届いた。

 

「一世か……」

 

「はい、代表」

 

「代表はやめい」

 

「……ボス?」

 

 今は腕で視界を隠していて見えないが、己の友人は間違えるつもりはない。

 赤嶺一世は、俺が最初に友達に選んだ赤嶺家長男坊で次期当主である。

 

 人形を愛する紳士として覚醒し、現在は紳士と淑女を纏める副官的な立場にいる。

 というのも、少し前から着々と増えつつある有能な人材を纏めてグループを作る中で、

 代表者が欲しいという事になり、全会一致で俺が選ばれたのだが、勇者など色々と忙しい。

 

 そんな訳で着々と有能へと成長しており、信頼のおける一世に副代表を頼むことにした。

 彼は人形が絡まなければ実に懸命で勤勉であり、見込んでいた通りの有能であった。

 やはり変態こそが世界の頂点に立つ権利があるのだと、俺はその姿を見て確信した。

 

 彼以外にも多くいる有能なる紳士淑女達とならば、卒業後にその気があるならば、

 会社を立ちあげるのも夢じゃないかもしれないなと思ったのは別の話だ。

 そんな紳士の方向に向かって飛ぶ意識を、再び戻したのは彼の声であった。

 

「……もしかして具合が悪いんですか?」

 

「いやね、ちょっと寝すぎて常識が狂ってしまったのかなと」

 

「亮さんがおかしいのはいつもじゃにゃいですか」

 

「―――はっ」

 

 可愛げのない反応を返されたことに対して思わず鼻で笑いながら、

 俺はようやく現実を受け入れる覚悟を胸に秘めて、目蓋をそっと開けた。

 

 ―――肌色の光景が目の前に広がっていた。

 

 世界はどうして、こんなにも俺に優しくないのだろうと思った。

 常識は、倫理観は、道徳は、そういった普通の物は亮之佑を置いて逝ってしまったらしい。

 周りを見渡せども、辺りに広がるその光景に対して異常であると認識しているのは誰もいない。

 

 加賀亮之佑以外に誰もいない。

 

「なあ、一世。今日ってさ、文化祭かその準備か何かって……その、あったっけ?」

 

「―――? いえ、普通の平日の放課後ですが……」

 

 声の調子を落とす俺に、一世の対応は常のように真摯だ。

 だからこそ、当たり前の『日常』を過ごしている紳士を名乗る友人の言葉に、

 それでもなお俺は無言で何かしら望む答えが返ってくるのを祈り、彼の瞳を見た。

 

「なあ、一世。どうしてお前はそんな格好をしているんだ?」

 

「本当にどうしたんですか。いつも着用しているじゃにゃいですか」

 

「―――――」

 

 その一世の答えに、俺の頬が強張るのを感じた。

 あえて彼の顔に固定していた視線の錨を外し、緩慢な動きで彼の上から下までを見る。

 

 端的に言うなれば、一世は現在半裸の状態であると言っていい。

 彼は現在、サスペンダーの巻かれた上半身の裸体を惜しげもなく露出させていた。

 首元には白い付け襟が着用され、その上から黒の蝶ネクタイが締められている。

 また少年の下半身は、濃い黒のスラックスという装いである。

 

「……?」

 

 俺の熱烈な視線を受け、少し気恥ずかしくなったのか頬を搔く手には白い手袋がされている。

 

「亮さんだって、いつもその恰好じゃにゃいですか」

 

「……そうなんだ」

 

 その指摘を受けて、俺はようやく軋む椅子から立ち上がり自らの体を見下ろすと、

 半裸の装備という一世だけでなく、周りの紳士やクラスメイト(男)はこの恰好であった。

 ちなみに女子に関しては、今は脳内の情報の処理が追い付かないので後で考えるとしよう。

 

「――――あ、でも手袋は赤なのか……あと指輪は定位置か」

 

 どうでも良い視覚情報を脳に収めながら俺は呟く。

 首に巻かれたチェーンと指輪に何となく触れて、いつもの冷たい感触を確かめる。

 残念ながら、常識が狂っているのが自分か世界か自信が無くなり始めた頃、

 しばらく無言を保った末に俺は―――――帰ることを決意した。

 

「悪い一世。どうも寝ぼけてたようだ……それじゃあ俺は先に帰るよ、お疲れ」

 

「お疲れ様です。にゃんにゃんは程ほどにして下さいね」

 

「―――?」

 

 そんな風に一世と会話をしていく中で、一人また一人と帰宅していく。

 ふと会話の中で何か違和感を覚えたが、些細な事でしかないと決断を下した。

 そして俺は世界に取り残されたという思いを抱え、逃げるように教室を飛び出したのだった。

 

 

 ---

 

 

 

「それにしても、意外とこの恰好も悪くないな」

 

 玄関に向かいながら、俺は一人孤独に呟いていた。

 この未知の世界に順応を始めた体を褒め称えながら、この半裸装備を気に入り始めていた。

 学校の廊下を半裸で歩くという新たな経験値を積む機会はそうそうないだろう。

 

 文字通りの意味で風を切って歩くというべきか、

 服越しではなく直接に感じるソレに何かが目覚めそうな感覚を受け入れるか悩んでいると、

 

「メイド服……? いや水着か……?」

 

 玄関の下駄箱で何やら話し合っている二人の少女、友奈と東郷を見つけた。

 少女達の姿を遠目に見つけ、自然と足が急く中でも己の双眸は彼女らが纏う物に注目した。

 その光景を目の前に、俺は思わず喉を鳴らした。

 

 何故その可能性に気づかなかったのかと俺は思った。

 男の服装が狂ったのならば、女の服装も狂わない訳がないのだ。

 

 思えば、先程までクラスの女子や淑女達とは放課後ということもあり会わなかった気がする。

 もしくは素通りしたものの意識の蚊帳の外だったのかもしれないが、

 そんな事はどうでも良いと、俺はこの異世界に連れてきてくれた神様に感謝の念を捧げた。

 

「ありがとう、ゴッド……」

 

「あれ、亮くん?」

 

「――――うにゃ」

 

 ふと口からこぼれ落ちた言葉を聞き、振り向いた東郷と奇声を上げる友奈。

 そんな彼女達に対して、俺は咄嗟に挨拶をする事はなく、ただ己の眼にのみ専心していた。

 無言を貫いたまま、俺はゆっくりと目を細めた。

 

「―――――」

 

 ところで、『メイドビキニ』という言葉を知っているだろうか。

 本来は清楚なイメージのあるメイド服に、露出の多い水着であるビキニを組み合わせるという、

 割と安易な発想のコスチュームではあるが、生前いた俺の国の紳士淑女業界では人気があった。

 

「―――――」

 

 彼女達の頭部には、白いフリルの着いたカチューシャと猫耳が装着されてある。

 首元を飾る白い付け襟にはリボンが結ばれ、その胸部をビキニタイプのフリル付き水着が覆う。

 そのまま剥き出しの程よく引き締まった腹部を一度通過しながら、

 黒いミニスカートと前掛けの白いエプロンまでを、上から下まで見直してから俺は話しかけた。

 

「―――。さて二人とも、そんな所でどうしたんだい?」

 

「えっとえっと、なんでもにゃいよ! ねっ、東郷さん?」

 

「え? ……えぇ、そうにゃ」

 

「……ほう」

 

 問いかけに対して、慌てて背後に何かを隠す友奈とそれに同調する東郷。

 それを見逃しても良かったのだが、俺に対して何かを隠すというのも珍しい。

 

「友奈」

 

「にゃ、にゃにかな? 亮ちゃん」

 

「…………何を隠しているんだい、友奈」

 

「にゃんの事か分からにゃいよ!」

 

 話をしている間も歩き彼女達との距離を詰めた俺は、真っ直ぐに友奈の目の前で立ち止まる。

 両手を背後に回して、必死に何かを隠しているのをバレないようにしている彼女の姿を、

 上目遣いで此方を見上げる友奈の瞳を覗き込むと、薄赤い瞳はすぐに揺れ出す。

 

「―――――っ」

 

 肩を竦め、心なしかカチューシャの猫耳も垂れ下がっているように見える友奈は、

 少し目力を籠めた俺と対峙しながら後方に下がるが、背後にある靴棚に逃げ場を失くす。

 そんな分かりやすい嘘を吐く少女の顔の隣付近に手を置く。

 

「そうか、分かったよ……友奈」

 

「亮ちゃん……」

 

 僅かに安堵と、少しの罪悪感を瞳に滲ませる友奈に、俺は穏やかに微笑む。

 そんな紳士な俺が穏やかに微笑んだことで、伝染したかのように友奈も微笑んだ。

 第三者から見れば、半裸の紳士が猫耳ビキニメイドに壁ドンしている絵面であるが、

 この世界では何も問題などは無いのだろう。きっと。

 

「分かったよ、友奈。キミが自分から言うまで―――――」

 

「んっ……」

 

 そうして微笑み合う中で、俺は赤い手袋に隠された両手を伸ばし、

 少女の剥き出しになった脇腹へと這わせると、くすぐったさに思わず少女は吐息をこぼした。

 そうして安堵に固まった体に柔らかさが戻ると同時に、

 

「―――――くすぐるのを止めない!!」

 

「にゃああぁぁあぁ――――!! くすぐっはぁああっ――――!!」

 

 指が肌色の舞台の上で、拙いワルツをひたすらに回り続けた。

 唐突に与えられた刺激に体をくねらし、唇から屈託のない派手な笑い声を撒き散らす赤い少女。

 笑い狂う少女が暴れるのに対して、決して逃がさない為に俺は友奈の股下に足を突っ込む。

 

「ゆうにゃちゃん! 発情期かにゃ亮くん……!!」

 

「あれ、東郷さん。肩にゴ〇ブリが」

 

「にゃあああぁぁあああっ……!!」

 

「ニャッハー!」

 

 

 事態が収束するのに、約10分ほど掛かった。

 

 

 

 ---

 

 

 

「こ、腰が抜けたにゃ……」

 

「勇者なら大丈夫」

 

「勇者は関係ないと思うにゃ」

 

 震える手で渡されたソレは、白い手紙であった。

 読んでよいかと目線で尋ねると、息絶え絶えになった友奈がコクコクと頷いた。

 起伏の激しく僅かに汗が滲むお腹を押さえる友奈を尻目に手紙の中身を閲覧すると、

 

「ラブレターだと……!」

 

 友奈宛で『気持ちを抑える事が出来ない、好きですにゃ』と言った旨の内容が書かれていた。

 加えて、『薄っぺらい笑みを浮かべた鬼畜男に貴方は渡さないですにゃ』という内容もあった。

 

「誰がネコに小判だ……」

 

 暴言染みた言葉を文章として送り込んできた相手は、自身の名前を書いていなかった。

 加えて、返事を貰うために待ってるという場所は空き教室で、指定した時間がなんと今日の放課後で今から1時間後であった。

 俺の視線を受けて、困った顔をした友奈が手を顎に当てた。

 

「その、ニャブレターを貰っちゃったんだけど……」

 

 おずおずと、昔テストの点数が最悪で東郷にお説教を頂く数分前の時の顔を友奈はしている。

 きっと優しい友奈は、文面にあった俺への暴言を隠そうとしたのだろう。

 そんな可愛らしい赤毛の猫耳少女に、一呼吸おいて俺も口を開いた。

 

「―――――まあ、友奈は可愛いから」

 

「そうかにゃ? 私は東郷さんみたいに綺麗じゃにゃいし、樹ちゃんみたいに可愛い訳じゃないにゃ」

 

「―――――」

 

「それに夏凜ちゃんみたいにカッコよくもにゃいし、風先輩みたいに大人っぽくもないにゃ」

 

「……」

 

 風に関しては、大人っぽいと言うよりもおっさんぽいという評価が正しい。

 渡された手紙を友奈に返し、自分に自信を持つことのできない臆病な少女に笑いかけた。

 

「友奈」

 

「―――――」

 

「友奈は可愛いよ――――誰よりも。それは俺が保証するよ」

 

 その言葉に、友奈はゆるゆるとこちらを向く。

 形の良い眉を顰め、少女は頬を紅潮させ薄紅の瞳を揺らした。

 しばし友奈と視線を絡ませるが、その瞳に映る快活さはいつもよりも薄れている。

 

「でもにゃんか……私、どうすればいいのか分からないにゃ~……」

 

「友奈はソレ、受けるの?」

 

「私は……」

 

 口ごもる友奈の姿は、どちらかというと学校よりかは加賀家で二人の時に多く見る機会がある。

 ラブレターに動揺する友奈の顔を正面から見ていると、

 

「――――にゃ! 私は……確か……」

 

「東郷、お前は友奈のラブレターを見て気絶したんだ」

 

「……亮ちゃん」

 

 ありもしない虫に気絶していた東郷が目覚めた。

 目覚めたての少女が敵対する前に原因を隠すと、ジト目の友奈が左手を伸ばし俺の横腹を突いた。

 こそばゆいソレに対して、にゃんにゃんするべきか考えたがループしかねないので我慢する。

 

「そうにゃ! 一大事ですにゃ。一刻も早く可及的速やかにこの危機的状況を排除し、友奈ちゃんの身体的・精神的安寧を守るべきにゃ!」

 

「じゃあ、東郷さんはこの状況をどう打破する気なんだ?」

 

「簡単にゃ。私が行って断ってくるにゃ。同時に二度と友奈ちゃんに近づけないようにしっかりと拷問―――聞き取り調査をするにゃ!」

 

「よろしい、ならば俺も協力しよう」

 

 人とは分かり合えない生き物だ。

 なぜならば、人は多くの顔を持ち、息を吐くように嘘をつくからだ。

 だが、今この瞬間だけは真の意味で俺と東郷は分かり合えたのだと思う。

 

「―――私達なら倒せない敵なんていないにゃ!」

 

「―――そうだな」

 

 東郷の言葉には真摯な響きと自信があった。

 結城友奈の為であれば、加賀亮之佑ならば決して断ることなどしないという自信だ。

 殊に友奈の親友であると自負する東郷だからこその直感的な自信である。

 

 それは正しかった。

 無言で交わされる視線と握手には力強い意思が篭められていた。

 深緑の瞳は少年の瞳を見つめ、血紅の瞳はその瞳を見返しながら堂々と彼女の双丘を見下ろした。

 その視線を上げると再度目が合い、俺と東郷は微笑みあった。

 

「ナイスぼた餅!」

 

「―――――」

 

「待って待って二人とも! 自分で断るから!」

 

 慌てた友奈に止められるまで、東郷の膂力が俺の手を砕かんと骨を軋ませた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「それで、友奈は結局どうしたいんだ?」

 

「……断ろうかなって。だって……」

 

「―――――?」

 

「ううん。……それよりもきっと手紙をくれたこの人は、すごく勇気を出してやったことだと思うんだにゃ」

 

 一瞬友奈の瞳を逡巡が過ったが、それはすぐに閉じた瞼に隠される。

 その反応を俺は訝しんだが、今は優先することがあると切り替える。

 どの道、友奈が差出人にどのような行動をしたいか察しがつく程度には絆を育んだつもりだ。

 

「……要するに、相手を傷つけないような断り方をしたいのだと?」

 

「にゃす」

 

 胸に手を当ててラブレターを握りしめる友奈を見つめる。

 その儚げな笑顔は、僅かであれどいつもの笑みを浮かべていた。

 いつまでも見ていたいと思わせる心中、それを余所に思考は現実的な解答を導く。

 

 差出人は不明であるが、指定している時間はそれなりに近い。

 加えて、差出人の名が無いラブレターというのは個人的には好きではない。

 生前いた世界ならともかく、神世紀ならば悪戯という可能性は低いと思うが、無いとも限らない。

 

 ならば、何があってもすぐに駆けつけることの出来る案が良いだろう。

 常に最悪の状況を予期し、尚且つ俺を馬鹿にした男の顔と弱みを握るべきだろう。

 一人で行きたがる友奈を説き伏せることは決して不可能ではない。

 

「なら既に俺と付き合っていると言って断ろうか」

 

「にゃ?」

 

「もう既に俺と付き合ってますって理由なら、しょうがないってことで諦める確率が高いだろ?」

 

「でも……」

 

「全く傷つかないなんてことはないよ友奈。どのみち相手も振られる事を覚悟の上で言っているんだろうし。それにこれなら相手も大して傷つかないだろうさ」

 

「……分かったにゃ」

 

 そう言いつつも納得のいかない表情の友奈に対して、俺は他の手段がないか東郷を見たが、

 聡明で賢明で友人思いな彼女は特攻すること以外は思いつけないらしい。

 他の勇者部を呼びつけようにも少し時間が掛かるだろう。

 あと必要なのは、彼女自身の意志である。

 

「――――友奈。俺が彼氏じゃ嫌か?」

 

「そんなことないにゃ! むしろ……」

 

「むしろ?」

 

「―――。……うにゃ」

 

 いつものように薄い笑みを顔に貼り付けた俺は、随分と意地悪な顔をしていたのだろう。

 なぜか胸に友奈が縋り付いてくる。熱い吐息の感触を感じ、何となしに頬を掻いた。

 行為の意味は少し不明ではあるが、友奈本人の同意は得たと思って良いだろう。

 

「―――――」

 

 震える手を伸ばし、友奈の剥き出しの背中に手を回すと、

 ビクリとしつつも無言を保ったまま俺の胸板に顔を当て、表情を赤い髪で隠す。

 細い髪の感触のこそばゆさは彼女の温度に、匂いに、柔らかさに塗り潰される。

 

 友奈の行為に理性を溶かされながら、脳は変わらず冷淡に次の行動を促す。

 そう、にゃんにゃんは家にお持ち帰りしてからでも出来る。

 今は何よりも、ムシケラの告白を振らなければならない。

 その後は。

 

 ―――いつものように弱みを握り、叩きのめさなければならない。

 

 俺は優先順位を間違えない。

 後悔しないように、間違えてはならないのだから。

 

 

 

 ---

 

 

 

 目の前の指定された教室は、三階のとある空き教室であった。

 何の変哲もない引き戸の先に人の気配を感じながら、東郷の方へと俺は視線を向ける。

 

「―――――」

 

「――――にゃ」

 

 今のは恐らく「分かったわ亮くん。後方待機で射撃準備をしておくのね」ではなく、

 ただ無言で頷いて「教室前で待っている」という意思を示したのだろう。

 頷いた際に揺れた色白の双丘に口の端が僅かに動くが、どうにか堪える。

 

「―――――」

 

 右隣から突き刺さる赤色の視線を躱しながら、引き戸に手を掛けて開ける。

 開けた扉から先に友奈を通し、その次に東郷にサムズアップしてから俺が入る。

 

「失礼しにゃす!」

 

「―――――」

 

 酷く嫌な予感がした。

 その人物の後ろ姿に、軽い頭痛と僅かな怒りを覚えた。

 

 その人物は女子であった。

 見た目は俺達と同年代の少女は、友奈や東郷と同じく黒を基調としたメイドビキニを着用している。

 あえて異なる点を挙げるというなれば、少女は細い指に蒼い指輪を通していることだろう。

 

「やあ――――茶番劇をどうも」

 

 おどけた口調に対して、声の調子は静かであった。

 意地の悪い笑みを口の端に浮かべた少女は振り向きながら、仄かに赤昏い瞳を俺たちに、

 明らかに俺を見つめる目つきは、穏やかなものであった。

 

「えっと、あの、はじめましてかにゃ?」

 

「―――――そうだね、はじめましてだね。結城友奈」

 

「なんで、名前を……」

 

「さあ?」

 

 適当な椅子に腰を掛けた初代は、クツクツと笑いながら肘掛けに頬杖をつく。

 そんな不遜な態度に戸惑う友奈を尻目に、俺は初代に問いかけた。

 

「なんで――――」

 

「なぜボクがラブレターを出したのかかい? その質問は前提が間違っている。アレはボクが出した訳ではない。他の小娘だがこの事態の収束の為に活用させて貰った。それとも、なぜボクがこの場所にいるのかかい? ボクも不思議だよ」

 

 話しながら指輪の世界の王は、肩にまで伸びる艶のある髪の毛先を指で弄りつつ、

 どこか虚空からある物を取り出し、机に置き両手を広げた。

 

「ここは指輪の世界か? 答えは否であって、キミはあと少しで世界から消える」

 

「ぁ」

 

 それは時計であった。見慣れたそのデザインに思わず唇から掠れた息が漏れた。

 己の視界がそれを捕捉すると同時に、脳が何かを察した。

 

「初代」

 

 それは時計であった。見慣れたそのデザインは俺が使っている物であった。

 加賀家の、俺が使用している部屋の、ベッドの脇に置かれていた時計であった。

 

「にゃんだい?」

 

「あとどれくらいだ?」

 

「……あと一分」

 

 察しが良くて助かるよと呟き、黒い毛先を弄る初代の猫耳メイドビキニ姿を脳内保存し、

 慌てて俺はキョトンとしている友奈の方へと振り向いた。

 

「えっと亮ちゃん、一体にゃにが……。友達にゃの?」

 

「―――――」

 

 戸惑いの表情の友奈に何を説明するかを考えて、俺は説明を放棄した。

 その行為に意味はない。

 

「友奈!!」

 

「にゃ、にゃい!」

 

 剥き出しの肩に手を乗せて、俺は彼女の顔を見る。

 その懸命な形相に目を白黒させながら、少女は両手を胸の前で組んだ。

 何かを悟ったのか、赤く潤む瞳はただ一人だけを見つめている。

 

「――友奈。俺、実はショートポニーテール萌えなんだ」

 

「ほぇ……? ―――――ん」

 

 驚くほどに柔らかな唇の感触は、一瞬だけ触れるようなソレは、

 俺の首に手を回した友奈が何かを言うよりも早く。

 たった一言だけ、万感の想いを籠め、俺が耳元で囁くように友奈に伝えて、

 

「----」

 

 

 世界は容易く終わりを迎えた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 甲高いアラームを止めて、目蓋を開く。

 白くぼやけた視界で己の寝台に横たわったまま微睡んでいると、意識の覚醒が始まるのを感じた。

 そうして自らがどこにいるのかを理解した。

 

「……ぁ」

 

 自分の部屋であった。

 女子として普通の部屋であると少女は思う。

 

「……」

 

 ふと唇に指を当てると、先ほどの感触が思い出せるような気がした。

 その行為が何か気恥ずかしく感じられ、友奈は目蓋を閉じた。

 

 いけないことだと分かっている。

 本当は今すぐに起きなくてはならないと。

 

 それでも、きっと彼が起こしにきてくれると思うとつい甘えそうになる。

 彼に溺れてしまいそうになる自分の心になんとか喝を入れようと思うが、

 

「もう……五分だけ」

 

 願わくば夢の続きを。

 そんな他力本願な願いを神樹様に祈り、友奈は再び目蓋を下ろし毛布を被ったのだった。

 

 

 




【第五幕】 番外の章-完-

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