変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第五十六話 ある日の休日」

「亮ちゃん、何しているの?」

 

「友奈か。見ての通り夕飯の仕込みよ、仕込み」

 

「凝ってますねぇ。うーん天ぷら?」

 

「正解」

 

 朝、友奈が自宅の向かいにある加賀家に合鍵を使って入ると、

 私服に赤いエプロンを着けた亮之佑がキッチンで一人黙々と料理の準備をしていた。

 何か手伝うかと聞いたが、もう終わるからとやんわりと断られ、リビングに移動した。

 

「……何かやってるかなぁ?」

 

 灰色のソファの背もたれからキッチンで動いている亮之佑の背中を見終えた友奈は、

 何となしに木製の小テーブルに置かれていた長細いリモコンでテレビの電源を点けた。

 電源を点けると、真面目な顔をしたキャスターが淡々と原稿を読み上げる姿が映し出される。

 

『続いてのニュースです。多くの被災者を出した四国地震から3ヶ月となる本日は―――』

 

「……」

 

 友奈はあまりニュースは見ない。せいぜいが天気予報を見たり、占いのコーナーを見る程度だ。

 更に言うなれば、バラエティーなどを見て翌日にクラスメイトとの話の口実にする程度。

 そんな彼女でも、目の前で淡々と語られている地震で多くの被災者が出た事は知っている。

 知らない訳がないのだ。何故ならば、間接的ではあれども原因は―――

 

「……熱いから気をつけなよ」

 

「――。ありがとう!」

 

「ん」

 

 思考を遮るように背後から家主の声が掛かった。

 ニュースの内容を見ていた友奈は、目の前に出でた湯気の出ている白いカップに目が移る。

 中身は色合い的に甘いココアだろうと瞬時に察した友奈は溢さないように受け取った。

 友奈にカップを渡した加賀家の主は音を立てず軽やかに距離を詰めて友奈の隣に座り込んだ。

 

「―――――」

 

「―――――」

 

 しばらくの間、世界に響くのは雑音と無言のみが全てであった。

 二人分の重みにソファが僅かに軋み音を立て、テレビの中で秒速で切り替わる映像を見ながら、

 亮之佑と友奈は晩秋の朝をお互いの温度を肩に感じながらゆっくりと過ごしていた。

 

「そういえば……」

 

「うん?」

 

 ふんわりとしたミルクの泡立ちと良質なカカオ豆による贅沢な味わいを舌上で楽しみながら、

 亮之佑が猫舌ながら温かい内に飲もうと自らのカップに息を吹きかけつつふと思い出した様に、

 

「そういえば、友奈は確か今日、東郷さんと映画を観に行くんじゃなかったっけ……?」

 

 隣で同じく両手でカップを持っている少女に話しかける。

 

「うん! もう少ししたら東郷さんが来ると思うよ」

 

「さよか」

 

 別に加賀家を待ち合わせ場所にしなくてもと思ったが、その考えはココアと共に呑み込んだ。

 単純に友奈が一緒に居てくれるというのなら、亮之佑の傍に居てくれるというのなら、

 その思いは嬉しく思うし、何よりも断る理由なんてものは一つも無い。

 

 ココアをチビリと飲みながら、立ち昇る白い湯気を甘い息遣いで吹き流す。

 両手に持つカップを友奈はクルリと横に回し、微笑を浮かべて次に口を開いた。

 

「亮ちゃんは今日どうするの?」

 

「俺か、俺はね~」

 

 薄紅の瞳が自らを見るのを感じながら僅かに体の左側に掛かる暖かさと重みに吐息を漏らし、

 亮之佑は持っていた湯気の立つカップを木製のテーブルに置く。

 

 東郷と友奈のデートを邪魔するつもりは無い。さりとて犬吠埼家に唐突に向かうのも失礼だろう。

 適当に情報収集や、本屋で新しい本を買うなど時には一人の時間も必要だ。

 

 相手が何者であろうとも、表面上は礼式を重んじると決めている少年は、

 紅の瞳に逡巡を過らせるが、隣に座る赤い髪の少女が覗き込む前に目蓋を閉じる。

 本日もいつも通りに薄い微笑を貼り付けて、クツ……と笑って、

 

「今日は―――――」

 

 

 

---

 

 

 

 自らの鍛錬は癖でありながら、既に自身の日常の習慣となってしまった。

 勇者としての御役目が終わってもなお、自らの研鑽を怠らないという意味もあり続けていた。

 自身に課せられた御役目として、勇者の候補生として、多くの同僚と日常的に訓練をしてきた。

 

 それから短くはない年月が流れた。

 

 狂おしいほどに青く光り、鉛色の空の下に広がる海。

 岩を噛む波の音や、迫るような潮の轟きが一振りごとに消えていく。

 重い木刀を二本。両手で持ち己がイメージする型に従い、無心で木刀を振るう。

 

「―――――はっ」

 

 一呼吸、一呼吸に魂を籠める。

 己の腕に、関節に、肩に、掌に、全身に意識を張り巡らせていく。

 剣は己の体の一部であるというイメージ、一振りごとに込めた一撃の威力は強まっていく。

 

 一動作ごとに筋肉や関節の動きを意識して確認し、イメージする理想の動きとズレを調整する。

 柔らかい砂を靴底で踏みしめ、両手の動きを徐々に加速させ、仮想敵と戦っていく。

 

 砂浜での自己鍛錬は、夏を過ぎた事もあり全くと言っていいぐらいに人はいなかった。

 既に時期は晩秋。時折海から吹き付ける冷たい潮風は、夏凜の頬を撫でつけた。

 

「――――ふっ!!」

 

 息を吐きながら、自らの愛剣の剣尖を抉るように突き上げた。

 日課の鍛錬を終えたところで、二刀流使いは視線を横へと向けた。

 少し離れた視線の先、砂浜で拾った綺麗な貝殻をポケットに仕舞っている昏髪の少年。

 

「……で、亮之佑は一体何やってる訳?」

 

「うん? 見ての通り夏凜の観察だよ。あと貝殻拾ってる。それよりもいつから気づいてたんだ?」

 

「最初っからよ。10分くらい前からウロチョロと……」

 

「おっ、流石完成型。気配の察知も伊達ではありませんなぁ」

 

「ふんっ。当然よ!」

 

 ほにゃりとした顔を浮かべながら告げる少年の賛辞を夏凜は素直に受け取る。

 大赦の勇者であるという事に拘りを持っていた過去。

 現在は“大赦の”という言葉が取れ、勇者部の三好夏凜として仲間達と共に過ごす日々。

 

 現在は勇者システムが収められた先代勇者から継承された端末は、

 目の前の少年含め、他に端末を所持していた勇者達と同じく御役目終了と共に大赦へと回収されている。

 それでも、勇者でなくても、夏凜はこれからも仲間と共に勇者部で活躍していくだろう。

 

「はい」

 

「ありがと……いや私のタオルだけどね」

 

「細かい事を気にすると女子力が上がらないぞ?」

 

「女子力って……風じゃないんだから」

 

「確かに!」

 

 少年がリュックからはみ出ていたタオルを渡すと、受け取る夏凜は口を開く。

 洗濯したてのタオルで首筋に流れる汗を拭く夏凜の姿を、亮之佑の紅の瞳が捉える。

 

「それで……今日はどうした訳?」

 

「何が?」

 

「とぼけないでよ。あんたが私に会いに来るなんてそうそうないじゃない」

 

「ああ、実は――」

 

 ほにゃりとしていた顔を瞬時に真面目な顔へと亮之佑は切り替える。

 夏凜の中での亮之佑の評価は、異性の友人であり、同じ勇者部の仲間であり、

 共に勇者としてあらゆる侵略者を退け、暗く冷たい死線を潜り抜けた戦友の一人である。

 

 噂や流行といったものに対して疎い方であると自負している夏凜ではあるが、

 そんな彼女でも彼に付き纏っている多くの噂には眉を顰める時も多かった。

 

 しかし、夏凜としてはそんな事は馬鹿馬鹿しい物でしかない。

 噂という尾ひれの付きやすい伝言ゲームに騙されるよりも、己の眼で本人を見た方が早い。

 そうして共に絆を育み、うどんを食べ、実際に人柄に触れる中で、所詮は噂だと切り捨てた。

 

「―――――」

 

 そんな彼が真面目な顔をしてこちらを見てくる。何かよほど重要な事態なのではないか。

 その真摯な眼差しを向けられて夏凜は思わず喉を鳴らしたが、

 シリアスな顔をしていた亮之佑は姿勢が真っ直ぐに伸びた夏凜を見ながら、

 

「――夏凜と遊びたくて」

 

「――――は」

 

 その言葉を向けられて、思わず掠れた息がこぼれた。

 その真意を理解して、わずかに顔の熱の温度が上がった気がした。

 

「だから、たまには夏凜とも遊びたいなーって思ったんよ」

 

「…………ああ、うん。なるほどね」

 

「一応、端末にも連絡は入れたんだけどさ。全然既読が付かないし。まあ海岸辺りにいそうだなぁと己の直感に従ったんだけども……おっと」

 

 羞恥か憤怒か。

 頬を少しずつ赤らませ、震える夏凜の姿を亮之佑はにこやかに見つめる。

 

 その反応の良さと己の演技力に感嘆しながら饒舌に海岸に来るまでの経緯を少年が話していると、

 突如木刀が横に回転しながら此方に向かって飛んでくるのを掌に収めた。

 

「……せっかくだから、一回だけ私と打ち合わない?」

 

「いや、俺基本的に銃火器と体術専門だから」

 

「あんた、結構剣も使ってたじゃない! 使わないと鈍るわよ!」

 

「……なんか怒ってる?」

 

「怒ってないわよ!」

 

 そう言いながらも眦を吊り上げる夏凜は既に距離を取り、木刀を構え本気な様子だ。

 少し揶揄い過ぎたかと思ったが、せっかくだからと亮之佑も木刀を構える事にする。

 夏凜越しに青い海の先、海上に聳え立つ植物組織でできた壁が目に入った。

 

 

 

---

 

 

 

「あーあ、これ絶対腕が折れてるって」

 

「そんな訳ないでしょ。キチンと寸止めしたんだから」

 

 数回ほどの打ち合いは、ほぼ夏凜の圧勝であった。

 完全な剣のみでの対決は純粋に経験年数の多い夏凜に分があった。

 一応なんでもありの勝負ならば負ける気が無いが、今回は苦笑いと共に負けを認める。

 

「それで、どこに行くのよ」

 

「うどんとかどうよ? 今日は俺の奢りだ。勝者として存分に啜るがよい」

 

「なんでちょっと偉そうなのよ。……まあせっかくだから頂くけど」

 

 二人分の足音が砂を踏み鳴らし、俺と夏凜は石の階段を上り、人通りの少ない道路に出る。

 柔らかい砂の感触ではなく道路の硬い感触を靴底に感じる事に言い様のない物を感じつつ、

 しばらく談笑を交わしながら、風が以前教えてくれたうどん屋へと向かった。

 

 コンビニよりも多いかもしれない街中のうどん屋で適当な席に座る。

 お互いにメニューを見る事数分。俺と夏凜は思い思いにうどんを注文した。

 やがて席に届いたにぼしうどんとちくわ天うどんは、どちらがどちらを注文したかは言うまでもない。

 

 木刀での打ち合いは適度にお腹を空かせたのか、俺も夏凜も黙々とうどんを食べた。

 醤油の味がはっきりとしており、ダシの香りと醤油の香りが全面にくるつゆ。

 うどん自体もコシがしっかりとしており、歯ごたえもある。

 半分ほど食べたところで、漸く食欲よりも理性が上回り、夏凜に口を開いた。

 

「夏凜のソレって美味しいの……?」

 

「――? 美味しいわよ。完全食であるうどんとにぼしの奇跡のコラボレーションよ!」

 

「完成型うどんか」

 

「そうよ。あんたこそ七味掛けすぎじゃない?」

 

 高らかと告げる夏凜が食べるにぼしうどんは、決して煮干しで出汁を取った訳ではなく、

 煮干しがうどんに直接乗っかっているという中々に珍しいうどんである。

 

「うどんを食べる時はいつもこうだよ」

 

「いや、掛けすぎでしょ! もはやうどんへの冒涜よ」

 

 チラリと己のちくわ天うどんを見下ろすと、僅かに赤く染まった汁は壁の外を思わせる。

 それらを飲み、青い顔をして此方を見る夏凜にニコリと微笑みながら、俺は二つの紙切れを出した。

 

「それは……? チケット?」

 

「そう、貰い物でさ。ちょうど今日が期限だったのを思い出してさ」

 

 紙切れは、とある映画のチケットであった。

 近場ならイネスに行けば観る事が出来るだろう。

 うどんに残ったにぼしを食べながら、僅かに半眼で夏凜が小さく鼻を鳴らす。

 

「ふーん。なら友奈や東郷と行けばいいじゃない」

 

「彼女達は今日は二人でお出かけ。だから夏凜、せっかくだから二人で行かない? 俺は今日夏凜と一緒に映画を観に行きたいんだよ」

 

「――――まあ、亮之佑がどうしてもって言うなら、しょうがないから行ってあげるわよ!」

 

 少し悲しげに、それでいて僅かに希望を抱いて『お願い』をする。

 そんな鏡の前で練習した表情で、風のように揶揄する訳ではなく友奈のようにストレートに言う。

 それだけで、普段素直になれない少女を肯定へと導くのは容易かった。

 

「そっか。ありがとう。夏凜と一緒に行けるなんて嬉しいな」

 

「――――っ、ふ、ふん。勘違いしないでよ。今日はちょっと暇だっただけだから!」

 

 人はそれをちょろいと言うかツンデレであると言うが、決して俺は口には出さない。

 精々が心の中で思いながら、薄い笑みを浮かべるだけだ。

 

「そ、それでどんな奴なの?」

 

 僅かに頬に朱を浮かべ、微笑の俺から逃れるように眼を逸らす夏凜は、

 己の身体を両腕で抱きながら早口でこの後観るであろう映画の内容について聞いてきた。

 

「そうだな……。それなりに面白いらしいけども。『あの日食べたうどんの味をボクは覚えていない』ってタイトルなんだけど」

 

「酷いタイトルね」

 

「案外、面白いかもよ?」

 

 観もしていない映画のタイトルに関して批判する評論家気取りが二人。

 この後観る映画への予想を浮かべつつ、夏凜がうどんを食べ終わる。

 

「ご馳走様。さて、見に行きましょうか」

 

「夏凜って結構礼儀正しいよね」

 

「実家が厳しかったからね。……なによ?」

 

「礼儀正しい子って、俺は好きだよ」

 

「なっ……!!」

 

 ありがとう、いただきますをキチンと言うことが出来る人間はあまりいない。

 この世界でもやはりそれなりの人がそうであるのは、個人的にはあまり好きではなかった。

 だからこそ、作法や相手に対する礼節を重んじる事の出来る人間は俺は気に入っていた。

 

 言葉の一つ一つに感情を乱し、瞳を、アッシュブラウンの髪を揺らす少女の姿を面白く感じた。

 何を言っているのかと睨んでくる少女の瞳を受け流しながら、会計へと向かった。

 

 

 

---

 

 

 

 夕方になり、映画館から出てくる人々に混じりながら、俺と夏凜は二人で歩いていた。

 秋の黄昏は幕が下りるように早くも夜へと変貌を始めている。

 冷たく心地の良い空気で肺を満たしながら、先ほどの映画の余韻の残る中で口を開いた。

 

「意外と面白かったな。結構ダークなスリルがある感じが良かった」

 

「……でも主人公が一番の悪であったっていうのがビックリだわ。何よりもあれタイトル詐欺じゃない!」

 

 叫ぶように見終えた創作物に対して様々なツッコミを入れる夏凜に苦笑いを浮かべながら、

 ふと俺は暗くなりつつある空を見上げた。

 

 朱を流し灼熱の太陽をどっぷりと呑みこむ地平線。

 夕焼けと入れ替わりでやってきた宵空には星の輝きが時間が過ぎる度に増していく。

 

 見上げるそれらは、結局は偽りの夜空でしかないのは知っている。

 それでもこの夜空には、14年の時を過ごす中でいつの間にか愛着を持った。

 

「そうだ、夏凜。夕飯食べていきなよ」

 

「はあ!? なんでよ」

 

「だって夕飯はどうせコンビニ弁当と野菜ジュースなんだろ? それは主夫として見過ごせません」

 

「オカンか!」

 

「まあまあ。寄ってけよ、お嬢さん。今日は美味い飯と良い子がいますぜぇ?」

 

「誰よその口調は……。良い子って?」

 

「友奈、もしかしたら東郷さんもいるかも」

 

「――――」

 

 その言葉に息を止め、夏凜は昏くなる空の下で考える。

 夏凜の横顔を見ながら、俺は更なる追撃をするべく口を開く。

 

「夏凜が来たら、友奈ならきっと喜ぶだろうな~」

 

「……仕方ないわね。あんたがそこまで言うなら」

 

「はーい、夏凜のお持ち帰りが決まりました~」

 

「変な事言うなっ!」

 

 

 

---

 

 

 

 そんな訳で夏凜を連れて俺は加賀家に帰還した。

 直感通りに友奈がいたという訳ではなく、普通に携帯で連絡したらやはりいたらしい。

 朝に仕込みをしたおかげで、すぐに夕飯を食べることができた。

 

 リビングでワイワイと可憐な少女達と食事を共にしながら、

 俺は本日夏凜にボロ負けした事を思い出していた。

 確かに木刀オンリーの勝負ではあったが、以前よりも少し息切れをしていた。

 

「―――――」

 

 いつの間にか、鍛錬する事を忘れてしまっていたのだろう。

 平和ボケしかけた己に今日の出来事は良薬になったと思う。

 そんな事を考えていると、夏凜と談笑をしていた友奈がこちらを向いて、

 

「――? どうしたの、亮ちゃん」

 

「いや、夏凜は可愛いなぁって」

 

「確かに夏凜ちゃんは可愛いけど、どちらかというと凛々しいかな?」

 

「何の話をしているのよ!」

 

 夏凜のツッコミが炸裂し笑う中で、俺は再び自己鍛錬を再開する事を決意した。

 ひとまず海岸沿いをジョギングしようと思いながら、俺は服の下にある指輪に触れるのだった。

 

 

 

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