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和やかな朝の光に包まれ、青い空は朗らかに晴れ渡り、まだらの白い雲の筋が浮かんでいる。
昨日の小雨から一変し、心地よい秋の風を感じながらも俺は肌寒さを誤魔化すように首を縮めた。
「朝は冷えるな……」
「うん、最近は特にそうだね!」
平日の学校へ向かう朝。
俺は隣で歩く可憐な少女たちに目を向けると、華が咲いたと思わせる柔和な笑顔が向けられた。
薄紅と、艶のある黒という髪を秋風になびかせ、少女たちが答えてくれた。
「―――――」
東郷を俺と友奈で挟み込み登校するのが、ご近所陣でのお約束とも言える。
実は初めて会った頃の東郷や、以前の戦いの後リハビリをしていた友奈が車椅子の時は、
一緒に登校する事はあまりなかったが、最近は3人で歩いて登校するということができている。
健常にこうして他愛もない雑談をして歩くという日常がどれだけ尊いか。
戦場を潜り抜け、絶望と迫り来る理不尽を払い除け御役目を達成した俺たちだから分かるのだろう。
時折こうして少女たちと歩いているとやはり中学生か、何かしらの嫉妬か羨望の視線を多く感じる。
それらを込めて揶揄してくる愚か者も時々いたが、所詮は昔の話だ。
小学校だろうと中学校だろうと俺が行う事には後悔をするということはない。
今では視線はともかく、そういった声は完全に根絶されたと言っていいだろう。
「ところで友奈ちゃん、ちゃんと宿題はやったの?」
「もちろんだよ東郷さん! 結城友奈、キチンと終わらせました!」
そう言って天真爛漫な笑顔を浮かべながら友奈は隣にいる東郷に敬礼をする。
その様子にクスリと笑みを浮かべながら、「良かったわ」と東郷が呟いた。
「……?」
青いリボンで一束にまとめた、濡羽色と表現すべき黒髪を背中へ垂れ流す少女を無言で見る。
友奈と反対方向から注がれる視線に程無く気づいた東郷が、その言葉の意味を口にする。
「宿題をしない子には、ぼた餅はあげません」
「―――あぁ、そういう。良かったね、友奈」
「うん! ところでね、昨日テレビで骨付鳥の特集をやってたんだけど―――」
「骨付鳥か……」
その言葉に、そういえば昨日自宅のリビングで見たなと思い出す。
骨付鳥とは、鳥のモモ肉を骨つきのまま焼き上げた料理で、丸亀市で生まれたご当地グルメ。
丸亀市だけでなく、香川県内でも多くの人に好まれており、俺も好物として認定している。
あれはいつだったか。
この世界に加賀亮之佑として生を得て、数年が経過した頃だったはずだ。
唐突な思いつきで宗一朗や綾香に連れられ、初めて食べた鶏肉は俺の世界に革命を起こした。
鼻腔を擽る鶏肉の匂いと、噛んだ時の皮の食感。そして口の中で溢れ出す肉汁。
生前はあんな美味しい料理にありつけた事は無く、人生で3番目くらいに神に感謝したものだ。
せっかくなので以前自宅で作り、ふと七味を掛けて食べると味覚の革命が起きたのは別の話。
「友奈ちゃんはどっち派なの?」
「私? 私はどっちも好きだよ」
友奈と東郷が話しながら、無言で俺は相槌を打つ。基本的には朝はこんな感じである。
最近ふとした事で昔を思い出すなと胸中で自嘲しながら話に頷いていると、
讃州中学校の校門が見えてきた辺りで、白い高級車が俺たちの少し前で止まった。
「―――でね、……あれ?」
「…………」
立ち止まる少女たちの一歩前に出て一応警戒する俺は、後部座席を開け、横に回転するように出てきた人物を見て、そう言えば今日は園子が讃州中学校に来る初日だったと思い出した。
「じゃじゃじゃ~ん! 乃木さんちの園子だよ!」
「……園子」
「驚いた?」
金色の長い髪は以前と変わらず。
ほにゃりとした笑みを浮かべた少女の白い肌を包み込むのは、隣にいる少女と同じ制服だ。
この世の不思議を一身に集めたような少女が、乃木園子が校門の前で俺たちの前に立っていた。
「――えへへ」
「―――っ」
小首を傾げ、片側の琥珀色の瞳を瞼に隠し、ウインクという愛嬌ある仕草を方向的に俺へとする園子に片頬を緩めながらゆっくりと目を逸らしつつ、隣の呆然とする少女たちの方を窺い見た。
「―――えっと……、あの?」
「――――、……!!」
口を半開きにし、薄紅の瞳が数秒だけ逡巡するが、記憶が誰であるか該当したのだろう。
友奈はおそるおそる、もしかしてという思いで口を開くが、園子は薄く微笑むだけだ。
隣に佇む黒髪の少女は刹那の間息を止め、目の前に立ち柔和な笑みを浮かべている相手を見る。
俺とタイミングが異なる時ゆえに居合わせることは無かったが、
ちょうど園子と過ごした怠惰で非生産的に溺れた1週間の後、二人は一度園子に会ったらしい。
東郷に至っては叛乱を起こす動機とも呼べる世界の真実を園子の口から聞かされたはずだ。
「今日から同じクラスだよ~。よろしくね~!」
「その、っち……」
東郷は認識が追い付いていないのだろう。
彼女にしては珍しいきょとんとした白い顔は、震える薄い桃色の唇が以前呼んでいたあだ名を紡ぐ。
「へいへいわっしー! 園子だよ~」
「そのっち……」
両手を振りながら徐々にこちらに歩き、近寄ってくる金髪の少女から深緑の瞳を離せない。
空気を求めるように喘ぎ、震える唇。その震えが全身へと回る頃、大きく瞳は見開かれた。
「驚いてる驚いてる~、サプライズは大成功〜!!」
驚愕に体を震わせている目の前の少女に、園子は悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべ、
「そのっち!」
「わわっ!?」
ようやく認識が染み込んだ東郷が学校用のカバンを放り投げ、感極まったように園子に抱き着いた。
万力の如き膂力で背中まで伸びる金髪ごと抱きしめられた園子は、倒れそうになるのを堪えつつ全身で喜びを示す東郷の背中に、聞き分けの無い子供をあやすかのように手を回した。
「ちょ、ちょっと、わっしー……」
ここまでサプライズが上手くいくとは思ってはいなかったのか。
校門前で繰り広げられる百合の花。美少女同士の熱い感動の抱擁に群がり始める群衆。
その中にチラホラといる『お友達』である有能なる紳士や淑女が微笑みを口の端に渦巻かせる。
きっと同じ気持ちなのであろう彼ら彼女たちは、たった今気づいたように俺に片手を振る。
俺も紳士淑女に応じつつ、東郷がアスファルトに落とした白い学生カバンを手に取りながら、
「じゃあ行こうか、友奈」
「ええ!? いやでも……」
「彼女たちは今感動のハグの途中だ。邪魔なんて出来ないよ」
「――――うーん。それもそうかもね。東郷さんと、……あとでね!」
「ちょ、かっきー!」
いつ味わったか忘れたが、俺の手をも粉砕しかねない膂力で抱き着かれている園子は、
助けを求めるように震える東郷の背中越しにこちらへ手を伸ばすが、俺は微笑み首を横に振る。
どのみち同じクラスならば数分後に会うだろうし、東郷が案内してくれるだろう。
「また後で、な」
朝はいつも静かである方が俺は好きだ。
決して朝から高いテンションで誰かと絡むのが面倒だったという訳ではない。
どのような思いであれ、言わぬが華である。
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讃州中学校。
その家庭科準備室が勇者部の部室である。
授業終わりの放課後、少し早めに集合していた俺たちは、ノックと共に開かれた扉を見た。
「勇者部に入部希望の――――乃木園子だぜぇーー!!」
引き戸から手を離し、謎のテンションで声高らかに自己紹介をする少女。
乃木園子の姿に平然とする部員の中で、明らかに動揺する煮干し……夏凜が口を開いた。
「乃木園子!? えっ、あの……?」
「2年前、大橋の方で勇者やってたんだぜ~」
冗談染みた口調で真実を告げる園子の姿、おどけた態度に目を丸くし驚愕に口を開く夏凜。
制服を着ると全く分からない薄い胸と腕に抱かれた煮干しの入った袋にくしゃりと皺が寄る中、
先代の勇者が何故こんなところにいるのかと疑問を口にすると、
「う~ん、家にいてもやることないから?」
「そんな理由で?」
「あ、あとはかっきーやわっしーがいるからかな~」
「誰!?」
「実は私、これでも小学校中退なんよ~」
「そんな重いことをしれっと!?」
眦を和らげ後頭部へと手を回す園子とツッコミを入れていく夏凜。
初めて目にする、テレビのような漫才染みた光景に俺は思わず苦笑してしまった。
やや事情が分からず曖昧に笑う樹には、部長である風が非常に簡潔で明瞭な説明をした。
「御役目から解放された乃木さんは、普通の生活に戻ることを大赦に要請したの」
「改めて、よろしくお願いしま~す」
「またそのっちと勉強できるなんて……」
「授業中に居眠りしたら注意してね~」
「しないように気をつけないと駄目よ」
そんな少し駄目な娘と、厳しさと優しさを両立したような母親の如き会話を目にした。
「まさか本当に普通の生活が出来るなんてね~」
ほにゃりとした金髪の少女は微笑を浮かべる。
その姿はお嬢様然とした姿を彷彿とさせ、見る者を惹きつける可憐さがあるが、
笑顔で話し掛ける相手が既に東郷ではなく持参してきた両手に持つサンチョという奇行は、
「―――――」
「ふ、不思議な人ですね」
夏凜に「伝説の勇者?」という顔をさせ、思わずといった感じで樹に呟かせるには十分だった。
その後、乃木さんを歓迎するという言葉を口にした我らが勇者部の部長に対し、
誰であっても特に態度の変わらない少女、園子は両腕でサンチョを抱きしめながら、
「乃木とか、園子で良いですよ~。フーミン先輩」
「ふ……?」
彼女の中では恒例行事なのか、親しみ深くなるようなのかは本人に聞いていないが、
勇者部全員に対して、風には『フーミン』と、樹には『イッつん』とあだ名を付けた。
本人たちは戸惑うが特に嫌がる様子も無く受け入れていく中で、
「よろしくね、にぼっしー」
「――これ教えたの、あんた?」
「……チガイマス」
『にぼっしー』というあだ名に憤りを感じた夏凜は、隣に立っていただけの俺に冤罪を掛けた。
冤罪は許さない俺だが、その指に挟んでいる一匹の煮干しを強奪し笑うだけで許すことにした。
唇に挟み込み、タバコを吸う感じで苦い味に顔を顰めていると、園子が友奈の目の前に立った。
お互いにふわふわとした笑みを浮かべる二人。
「友奈ちゃんは、ゆーゆかな」
「わあ〜素敵! じゃあ、私は園ちゃんで!」
「―――。おお! さすがに良いセンスしているよ~。それでおねが〜い!」
何故か笑みを浮かべた園子の頬が硬直したように見えたのは、瞬きの一瞬だけだった。
ニコニコとお互いに笑みを浮かべる金と赤の髪の少女達。
その姿を自らの視界に収めるという一種の奇跡に、感じた懸念を捨て、ひたすらに感動した。
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「ところで乃木は、亮之佑とはどんな関係なの……?」
「かっきーと、ですか?」
勇者部の面々が園子を歓迎し、少し時間が経過した頃。
新たな新人の歓迎会をするべく、部長の鶴の一声により『かめや』でうどんを食べることになった。
何てことはない部活の歓迎会。
隣に座った園子のうどんを食べる姿が品を感じると樹が感嘆の声を上げる中、
実は東郷と俺と園子が同じ神樹館小学校に居たという事実が勇者部で共有されたりなど。
初対面とは思えないフレンドリーさを発揮し、時々眠る園子の扱いを東郷に任せながら、
俺は七味をうどんに掛けスパイシーな味わいへと変化させ、赤白くなった麺を啜っていた。
そんな中、何気ない感じで呟いた風の声が、ゆっくりと着実に俺の耳朶を響かせた。
「うん。東郷とはその……記憶を失う前からの関係だってのは分かったけどさ」
既に3杯目に挑戦しようとしている風が、僅かに揶揄の意味を込めた声音で「お二人は~、いったいどんな関係なのかな。グヘヘ」といった中年のおっさんを模倣した感じで聞いてきた。
流石にその聞き方はどうかと思うのだが、これも親睦を深める為のコミュニケーションなのだろう。ひとまず無言で俺は赤いうどんの汁を飲みながら、隣のお嬢様に回答を任せた。
「う~ん、そうですね~……かっきーは―――」
「うんうん、この女子力の化身たる存在に言ってみなさいな!」
「お姉ちゃん……」
気のせいか、『かめや』の空気全体が静かになっているかのような空気の中。
他の女性陣も手を止めて聞く者、止めないまでも耳を傾けている者などがいる中で、
傾聴されていることすら気に留めず、ひたすらにマイペースな園子は頬に手を当てながら、
「――かっきーは、私にとって特別な人ですね~」
何てことないかのように、それが当たり前の事実であるかのように、
僅かに頬に朱色を色づけながら、うどんを食べる手を止めて悠然と、平然と言い放った。
「―――――」
園子の言葉が勇者部の面々の脳裏に、胸中へと浸透していく中で。
その言葉を聞いた時、胸の奥底、湧き上がる感情の渦の中で何かが産声を上げた。
それは隣の少女から容易くもたらされた歓喜と、それ以上に感じる薄暗い快感があった。
「かっきーとは、5歳から小学校4年生までよく一緒に過ごしていたんですよ~」
「なるほどね~。いわゆる幼馴染って奴ね」
「そういうのって憧れます!」
幼馴染という存在がいるのは、年頃の少女たちにとっては目を輝かせる対象なのか。
盲目的に目を輝かせる樹はいつになく高いテンションで園子の話に食いついていた。
「なら、亮之佑のこれって前からなの?」
「どれ~……?」
「この赤いのよ」
「赤いのって……、お前七味様になんて無礼を。謝れ煮干し、鶏肉取るぞ」
「誰が煮干しよ」
そんな中で、ふと気になったのか夏凜が俺のうどんのお椀に視線を誘導させた。
既に食べ終わったきつねうどんの汁だけとなったお椀は、七味によって赤く染まっていた。
「あ~、これは初めて見るかもね~」
「亮くんったら私が何度言っても直さないのよ。これが美学だーとか言って」
「困った人ですね~わっしー」
「そうなのよ、そのっち」
困ったように眉を顰める東郷と向かい合う席に座る園子は穏やかに笑みを浮かべながら、
示し合わせたかのように俺を使って茶番劇を繰り広げ、向けられる眼差しに俺は肩をすくめた。
そんな中で、
「――――」
「ん、どうかした友奈?」
「―――うぇ!? なんでもないですよ? あっ、うどんが冷めちゃう!」
周囲の視線、向けられる如何ともし難い女子たちの視線を搔い潜りぬけていると、
ふと真顔でいる友奈に気づいた風がその様子を問い掛けたが、何でもないと言う友奈は普段通りの笑みを浮かべながら、再びうどんのお椀へと向き直った。
「……ん」
その様子を見ていると、ふと制服のズボンに入れていた端末が僅かに震えた。
友奈へと向かった意識が体を震わす小さな振動へと向けられるのを感じながら、一体誰からのメールなのかと騒がしくなり始める空気の中で端末を開き―――
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絨毯と仮面を着けた顔が、息を吐けば届く距離にある。
深く深く頭を下げた神官の座礼は、目の前に座る一人にのみ向けられていた。
その頭を下げる顔に隠された感情は誠意か畏怖か、尊敬か、何とも読み取れない。
それでも、目の前に相対する人物が誰なのか、分からない訳が無かった。
「―――――」
雨が降る夜。
既に園子の歓迎会を終え、静寂な夜に霧のような小雨が降る中で。
かつての恩師でありながら、その後はほとんど会うことなどなかった一人の女性。
それらは白い仮面と神官の装束によって、顔も感情も全てが無へと塗り固められていた。
「顔を上げて下さい、安芸先生」
「―――既に私は教師の職は辞めました」
「それでも、俺にとっては先生ですよ」
「―――――」
淡々と冷淡に語る安芸の声音に感情は感じられない。
あの頃の安芸先生を思わせる姿はどこにもなく、懐かしき思い出は遠い忘却の彼方であった。
「この度は、勇者である加賀様にご用件が――」
多少長く装飾された言葉を聞き流し、重要な部分のみを抽出するとこうなる。
まず、前回の唐突な防人の援護に関して、大赦側では感謝する声は少なく、むしろ何故端末も無いのに勇者装束を纏うことが出来たのかという疑問の声が上がっているらしい。
その事に対しては、初代との契約の都合上、誰にも語ることは出来ない。
黙秘を続けながら無言で続きを促していると、不自然に安芸は一言だけ単語を呟いた。
「加賀家の、指輪」
「―――――」
静寂の空間で響くのは外から聞こえる微かな雨音のみ。
見下ろす濃紅の瞳と、見上げる神樹のマークが施された仮面が交錯すれど、一瞬だけだ。
数秒の間をおき、再び神官は頭を下げ淡々と告げた。
「いえ、なんでも御座いません」
「――安芸先生。一つだけ質問が」
「……」
「壁の外、結界を抜けた先で燃え盛る炎ですが。明らかに温度が上がってますよね」
「天神、彼の神の怒りによりこの世界を覆う炎の温度は確かに上昇してきています。ですが、我々は既に対処に向けて準備を進めております。どうかご安心下さい」
「……そうですか」
それ以上の追及を許さないと、静かに厳かに安芸は頭を下げる。
そうして後ろにもう一人控えていた神官が、紫の布に包まれた物を俺の前に差し出した。
「大赦は今回の件について、不明である手段が存在する事実に対しては不問とする事にしましたが―――」
「…………」
結び目を解く。紫の布に包まれていたのは、小さな携帯端末。
白い端末が、かつて勇者の御役目にあたって使用していた端末がそこにあった。
「今後はそれを常に所持して下さい。それが今後の御役目となります」
「監視ですか」
「―――――」
無言は肯定である。
だが、同時に頭を上げた安芸の視線が向く先、服の袖から見える小さな火傷痕。
「―――――」
無言を貫くが、それでも何となく言いたいことが分かった。
要するに彼らは、大赦は、通りすがりで助けただけの存在が怖いのだ。
端末抜きで変身が出来るならば、以前の風のような反逆行為も可能であると考えている。
馬鹿げているとは言え、対処としては合理的であった。
同時に、今後変身するならばこちらの大赦が用意した端末での装束を纏って欲しいのだろう。
以前の防人との邂逅で、多少なりともボロボロであったのが上に報告されたのだろう。
そこから大赦は、なんらかの手段で装束を着たにせよ、精霊バリアは無いことに気づいたか。
もしくは、男の勇者という貴重なサンプルを失いたくはないのだろうか。
――いずれにせよ、この端末は枷であるが、鎧にもなりえる。
端末の電源を点ける。
起動した端末の液晶には見慣れた機能も多い中で、異質さのあるアプリが二つ。
「勇者アプリ……」
「使用はお控え下さい」
「あ、はい」
以前は有事の際に使用していた、勇者としての力を得るアプリ。
他にも様々な事で使っていたのだが、今後はGPSか何かで場所を知られるという制限がある。
そしてもう一つはひどく懐かしく感じるアプリ。『Y.H.O.C.』とだけ書かれたアプリがあった。
「先生、これは……?」
「―――それは先代である加賀宗一朗様が、亮之佑様に作られたアプリだそうです」
質問に答えたのは安芸ではなく、先ほど端末を出し、背後に控えていた神官のほうであった。
その神官に目を向けると、体格、声の低さ、纏う装束など、仮面はしているが男であるのが見て取れた。
「父さんが、ですか」
「はい、亮之佑様と神樹様の融和性を高めるというアプリだったそうです。この度技術部の方で残りの部分が完成した為、端末の方へとインストールさせて頂きました」
「―――。そうですか」
年は二十歳程度だろうか。
非常に礼節に理解が及び、明らかに年下であろう自分に対してもその態度は変わらない。
その声をふとどこかで聞いたような気がしたが、それを思い出す前に、
「我々の用件はこれで以上となりますが―――」
「せっかくですし、夕飯でもどうですか?」
「……この後も少し、やることがありますので」
立ち上がり、リビングから玄関へと向かう神官たちを見送る。
玄関の扉を開けると、深まる夜の帳の中で陰鬱な小雨が地面のアスファルトを黒く染めていた。
屋根下から家の前に停めてある車へと向かう二人を見送る中、途中で安芸がこちらを振り返った。
僅かな逡巡があったのか、数秒の沈黙の末、安芸は口を開いた。
「……、そう言えば―――」
「――?」
「国防仮面という者をご存知でしょうか」
淡々と、口にした。