変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第六十一話 ――誰かがいない」

「―――――」

 

 ふと過ったその考え、湧き出した唐突な思いに、俺は押し黙っていた。

 風により開かれる定例部会。園子が加入し、今後の部活動と依頼内容について冗談も時々入り混じりながらも説明が進む中で、ふと胸中に生じた謎の違和感。

 

 無言で薄い笑みを張りつけながら、胸中で生じた唐突な疑問に俺は動くことは出来ない。

 依頼内容を話す少女の話以上に己の脳裏を占めているのは、異質に感じられる疑念であった。

 

 ――誰かがいない。

 

 自分でも意味が解らないと思った。どうしてそんな考えに至ったのか。

 “誰”とは一体何のことか。それは誰のことで、それが何を意味しているのか、解らない。

 

 周囲をそっと見渡してみても何か問題があるという訳ではない。

 何も問題はないのだ。風がいて、樹がいて、夏凜がいて、園子がいて、友奈がいる。

 全員揃っている。そんな当たり前の事実の中で、唐突に生じた思いに胸中で波紋が広がる。

 

 授業の最中、教師の話を聞いている間、ふと『どうでもいいこと』へと意識が離れる。

 窓辺を見ると寒々とした晴天の中で、数匹の鳥が中空を舞う姿に視線が数秒だけ奪われる。

 そういった『どうでもいい』事象は、教師の話す内容に意識を戻してしまい覚えておくことはない。

 

 これはそういったレベルの事だ。デジャブのようなもので、以前にも似たような事はあった。

 そういう程度の低い話であり、俺はそんなものよりも目の前の事に集中しなければならないのだ。

 そう、分かっている。だが、どうしても違和感が、生じる考えが払拭できない。

 

「―――――」

 

 忘れてしまうべきだ。

 重要な事ではないのならば、大切な人は目の前にいるのだから。

 ならば、切り捨てても何も問題は無いだろう。

 

「亮之佑、大丈夫?」

 

 ふと考え込みすぎたのか、説明の大半を終えた風がそんな事を口にする。

 黒板を背にこちらと向き合うように立っている薄緑の瞳に囚われ、俺は静かに息を抜いた。

 ちらりと周りを見ると、部長である風の言葉を受け、こちらに振り向く少女達と目があった。

 

「やっぱり気分とか……」

 

「――えっと、その、こ」

 

「ん~……?」

 

 彼女たちは気づいているのだろうか。

 考えないようにすればするほどに膨らむ違和感は、俺だけしか理解できていないのか。

 忘れたい、忘れられない。知りたい、知りたくない。

 

 矛盾に満ちた思いが思考を支配していく中、解答を俺は望む。

 この不快感を絶ち切り、明瞭なる解答を導く為の手段が欲しい。

 

 ―――その答えはどうすれば導けるのか。

 

「かっきー、やっぱり具合悪いんじゃないの……? 熱っぽいなら帰って眠った方がいいよ?」

 

「風邪ですか?」

 

「あ、いや……」

 

 咄嗟に言葉に詰まる俺の姿を琥珀の瞳が捉える。隣に座る園子、彼女との距離が縮まり、

 

「うーん、熱があるかも……」

 

「大丈夫だって」

 

 ひんやりとした少女の手のひらに視界の上部が黒く染められる。

 穏やかな口調とは裏腹に僅かに低い声、心配する園子の姿に俺は思わず頬を緩めた。

 片手を額に当て、もう片方の手は頬や首筋を遊ぶように触れてくる園子の柔な手の感触に思わず目を細めていると、少し離れている椅子に座る友奈の声が聞こえた。

 

「うーん。でもそんな鼻声だとやっぱり心配かな」

 

「――大丈夫だって。問題ない、話も聞いてた」

 

 視界を塞ぐ白く柔らかな少女の手を名残惜し気に手に取りつつ俺は友奈に告げるが、

 ふと周りを見渡すと、こちらを見る少女達の純粋に心配してそうな視線に俺は息を詰めた。

 

「……まあ、そこまで言うならおやつを皆にあげたら撤収するとしよう」

 

「亮ちゃんのお菓子、やったー!」

 

 数の力とは偉大である。

 どれだけ強靭な意志を持ってしても逆らえない時が来る。

 片手で収まる程度の数ではあるが、一斉に向けられる視線に対して、俺は自分の考えを改める。

 

「亮之佑のお菓子は美味しいもんね」

 

「今日は何かな~……?」

 

「羊羹だよ」

 

 ひとまず頭を振り、口端に笑みを渦巻かせた俺は、鞄からお菓子を入れた箱を取り出す。

 加賀家のレシピ本に記載されていたお菓子の一つであるが、ふとなんとなく作りたくなった。

 部室で一度出してみたら思いのほか好評であった為に、時々俺は少女たちに作ってきている。

 

「あれ? 今日って和菓子なんだね」

 

「ん。まあなんというか……気分ですかね」

 

 樹が皿を出す中で、友奈がふと出した疑問の声に気分という曖昧な答えで応じながら、

 基本的には洋菓子しか作らない俺が、なんとなくで作りたくなった和菓子。

 羊羹を人数分に切り渡していくと、黒色をした羊羹はさながら夜の海を思わせる。

 

「ん~! 美味しい!」

 

「かっきーかっきー、お店屋さんやろう! ゆくゆくはフランチャイズで!」

 

「やりません。それよりも旧世紀の福井県では羊羹を冬季に食べる習慣があったとかないとか……」

 

「ほへー」

 

 適当な冗談を園子と言い合いながら、食べる周囲の評価は上々である事に安堵を覚えた。

 爪楊枝に刺した羊羹は今生まれたかのように艶やかで、一個の芸術品にも思えるが、

 同時に口に含めばたちまち崩れるほど繊細で柔らかな舌触りは、西洋のお菓子では見られない。

 

 羊羹を食べていると、先程まで感じていた違和感が少し薄れていくのを感じた。

 糖分を摂取した為か、先程よりは静止していたはずの自らの脳が動き出すのが分かった。

 

「―――、ぼた餅」

 

「ん? どうしたの、友奈?」

 

 一体なんだったのか、そう思う矢先。

 にこやかに羊羹を食べていた友奈は、ふと僅かに困惑したような表情で一言だけ呟いた。

 その小さく呟いた言葉は隣にいた風が拾い、小首を傾げた。

 

「なんか、前に部室でぼた餅食べなかったかなーって……」

 

「ああ、前に友奈さんが家庭科の授業で作ってきたんですよね」

 

「――。うん、そうだったね」

 

 何かが納得いかない。そんな顔をしながらも樹の言葉に対して友奈は頷いていた。

 実際に友奈が以前、家庭科の授業終わりに作ったぼた餅を部室に持ってきたのを覚えている。

 夜海色を思わせる羊羹とぼた餅は、形は違えども和菓子であり色合いも似てはいる。

 

「さっ、おやつの時間はおしまい。みんな明後日の劇の練習開始よ。あと亮之佑はさっさと帰って休みなさい。体壊したりしたら洒落にならないからね」

 

「まあ、大丈夫だと思いますけどね」

 

「そういう事言っている人に限って風邪ひくんだから」

 

「煮干し食べないからよ……まあ、お大事に」

 

「亮ちゃん、後で様子を見に行くからね!」

 

「いや、大丈夫だって」

 

 心配してくれる姉御肌の部長たちに見送られながら、苦笑いで俺は部室を出た。

 基本的に演劇は俺はあまり出ない。裏方としてモノづくりをしている方が好きだからだ。

 もちろん人手や役が多い時などはしっかりと演技もするのだが、今回はなしであった。

 

 

 

 ---

 

 

 

「―――――」

 

 可能な限り早く自宅へと帰還しつつ、途中から本当に熱っぽさが身体に感じられた為、スーパーで買ってきた諸々の食糧を冷蔵庫に放り込んでから学校の制服を脱ぐと、さっさと部屋着へと着替えた。

 普段加賀家の自宅で過ごす時は、紺色のシャツの袖を捲った物と黒色のズボンだ。

 

 しかし、今回は自身でも落ち着いた途端に熱が発生するという経験則に基づく風邪の予知をしていた為、ゆったりとしたいつも着ているパジャマへと着替える。

 着替え終えた俺は、壁に固定されている時計を見やり自身の部屋へと移動する。

 先程胸中を占めた違和感はなく、それらは身体全体に感じる微かな熱に塗り潰されていた。

 

 どのみち今日は眠って体力を回復させた方がいいだろう。

 このまま放置して何かをして風邪を悪化させるよりは、今すぐに眠った方が良い。

 他の家と異なって誰も身内のいない俺は、誰かに頼ることなく、速やかに治さなければならない。

 

「――――」

 

 部屋のカーテンを閉め、寝台に横たわる。

 そうして眠りにつく準備を整えた後は、最後に自分のペンダントに触れた。

 ペンダントと言っても、その実態は指輪にチェーンを通しただけの物でしかない。

 

 降り出しそうな雨空模様を思わすチェーンに通された蒼色の指輪は結晶の様に光る。

 代々『加賀』の血を受け継ぐ者のみに、そして後継者であると認められた者だけが所持する事ができる指輪は、俺を勇者とし、現実と夢の世界を繋げるパスポートの様なものだ。

 

 ――誰かがいない。

 

 目を閉じ、己の意識を指輪へと集中させると、鈍い頭痛も、気持ち悪い違和感も、熱を帯びた身体も、意識すら全てが遠ざかっていくのを感じる。

 それこそが、もう何度目か分からない夢と現実が入れ替わる瞬間だ。

 瞬間、瞼を閉じると見える暗闇、それ以上の昏い光が意識を塗り潰していった。

 

「――――ん」

 

 世界の切り替えは一瞬で終わり、沈んだ意識が再浮上するのを感じる。

 閉じていた瞼を開くと、見えるのは月夜の光を呑み込む無限に広がる黒い夜空だ。

 天の光を蔽い塗り潰さんとする空で輝くのは、何物よりも美しく天上に輝く黄金の満月だ。

 

 満月から注がれる月光は宝石の如く煌めき、草木を照らしていた。

 幻想とも呼べる夜空、いつまでも見たいと思える意識と視線を下げていくと、見慣れた壮大な草原があった。

 水平に広がる空の昏と大地の緑が無限に広がる光景は、美しさと寂寥感で心を埋め尽くした。

 

 草の海と表現すべき背の高い草は穏やかな風に揺られ、来訪者のために道を作る。

 ある種のファンタジーとも呼べる魔法は数秒ほどで一本の道を形作った。

 

「―――――」

 

 作られた道、柔らかな地面を歩き、しばらくして見えてくる大樹こそが世界の中心だ。

 常闇の世界、黄金の満月に照らされる夜桜は季節を無視し、いつまでも咲き誇り続けている。

 その大樹の下で、黒服の王は白いテーブルに肘を乗せこちらを見下ろしていた。

 無言で椅子への着席を求められる。

 

「―――で?」

 

「違和感がある」

 

 単刀直入に、聞かれた言葉に回答する。

 勇者部には聞きづらく、空気を壊してまでしようと思えなかった疑問、それを王にぶつける。

 

「違和感」

 

「誰かがいないと、そう思うようになった。それから生じた違和感。デジャブのようなそれは、なんとなくだが無視出来る物じゃない。まるで誰かに魔法でも掛けられたかのような……」

 

 上手く理論立てた説明が出来ない。

 かといって、友奈のようにあやふやな擬音での説明ではないが、どうにも稚拙な言葉。

 それらを目の前で余裕ぶっている少女の皮を被った王に吐き出す。

 

 拭い切れない違和感。

 粘り付いた粘液のようなソレが気持ち悪い。その正体を俺は知りたい。

 直感ではあるが、目の前に座る少女が答えを持っていると理屈ではない何かが俺に告げていた。

 

 その言葉を受け、白いカップを片手に忽然と息を抜く少女は俺の言葉に肩をすくめると、

 

「魔法、ね……。そんな都合の良い代物が存在するなら是非見てみたいものだ」

 

 神秘の塊のような存在、初代が小さく吐息をつき、赤い手袋で覆われた指を二本立てた。

 

「まず大前提にバーテックス、ひいては天神による精神に対するキミ自身への直接攻撃かと言われると、決して無いとは言い切れないが―――これはまず無いだろう」

 

「なぜだ……? 相手は曲がりなりにも神。何のつもりか知らんが、出来なくは無いだろう?」

 

「いや、出来ない。キミの魂に限っては、この指輪の世界――ボクと契約を交わした時点で既に天の神からの干渉は受けられない。あらゆる精神的干渉、呪術の類ならばほとんど無効化できるだろう。物理的なものならともかく、だが」

 

 桜の下で開かれる夜会において初代が口にする言葉は、基本的に希望的観測はない。

 差し出されるカップ、僅かに湯気が立ち上る白いマグカップにはコーヒーが入っている。

 何も無い空中、そこからテーブルに音も無く出現したそれを手に取りながら、俺は初代の言葉に耳を傾けた。

 

「だから、もう一つ」

 

 唐突に桜吹雪が舞う小さな風に、肩ほどまである黒の髪をなびかせながら、

 

「彼女は人を想い行動することができた。他者の為にと行動しながらも中途半端に鍵を残し、極端に行動することしかできない愚かしさはいっそ愉快でもあるけどね」

 

「誰の話だ……?」

 

「中途半端、彼女へのボクの評価はそんなところだけど。キミも多分だがそんな辺りの評価だったと思うよ」

 

「―――――」

 

 文脈を無視したその言葉。

 何を言っているのか解らない、『誰か』へと向けた批判の言葉。

 唐突に告げられた初代の言葉。お前は一体何を言っているのだと追及しようとして――

 

「西暦の時代、ひとまず人類と天神は戦いの末に一応の和解という形へと持ち込んだ。そこにはかつての勇者たち、幾千の人間たち、多くの国を犠牲にしながら、『四国から外には出ない』という講和の象徴である壁を破壊したことが主な原因だろう」

 

「―――――」

 

「加えて防人―――大赦の犬たちだ。あれは恐らく『類感呪術』の真似事だが、あんな装備、雑な儀式の準備で堂々と壁の外に出ているのも天神の逆鱗に触れたんだろう。実に愚かなことだね」

 

 ――開いた口からは、何も出なかった。

 何かが脳裏を過り始めた。クツクツ、クツクツと嗤う少女、目の前で哂う初代を見ながら、

 緩慢に、だが明確に忘却の彼方に飛んでいた存在を思い出し始めていた。

 

「絶対に忘れない、だったか。……綺麗ごとでこの世界が救えるなら神世紀なんてものは来ないんだよ。犠牲を出さないなんて考えが甘いんだよ」

 

「―――――」

 

 重ねられる初代の言葉に、その内容に俺が目を細めると、彼女は慣れた仕草で肩をすくめた。

 その動作、何気なく行うそれらは男の目を奪う気品と雰囲気で溢れている。

 

「まったく、自業自得にも程がある」

 

「―――――」

 

 彼女との付き合いの中で、彼女が悪態をつき、暴言を吐き捨てるのは極めて稀だ。

 無言でその言葉を受け取りながら、消える違和感、同時に発生する疑問を口にした。

 

「西暦時代は、何をして講和が成立したんだ?」

 

「この地より出ないことを条件に神の信仰を赦して貰いたい――――神代の前例を模倣とした儀式を、大社は『奉火祭』と名づけた」

 

 常闇の下で、少女の紅の瞳と少年の紅の瞳が交差する。

 一呼吸置いて数秒交わされる中、先に目を逸らし遠くを眺める初代は、遠い過去を思い出すかのように、色の薄れたアルバムを見て懐かしむかのように、

 

「外の炎の世界へ、7人の巫女を生贄にして赦して貰ったんだ」

 

 

 

 ---

 

 

 

 意識が現実へと帰還する。

 

 目を覚ました時、鈍い頭痛に思わず俺は顔をしかめた。

 同時に額に掛かっている白いタオル、水を絞り濡らしたタオルに気づいた。

 指輪の世界へと向かう前に自らの額に載せた覚えは無い。

 

「―――――」

 

 枕元の小さな電灯以外は薄暗い部屋、静寂がある中でただ一つ、壁に掛けられた時計の針の音を聞きそちらを向いた時、こちらを静かに見下ろす薄紅の瞳と目があった。

 

「……友奈」

 

「―――ぁ」

 

 僅かにしわがれた声で名前を告げると、暗い部屋の中、ひっそりとこちらを見る少女、友奈は驚きに目を丸くした。

 同時に意識が戻り出す中で、全身を包む熱さと喉の渇きに俺は思わず呻いた。

 

「いつから……?」

 

「さっき、部活が終わったから。言ったよね、私。様子見に来るからねって」

 

 小テーブルに予め置いていた小さなグラス、水を飲むために体を起こすのを、友奈は俺の背中に手を回して手伝う。介護されている気分になりながらも、手に取ったグラスを傾ける。

 乾いた口内、甘露のような水が喉を潤す感覚に、ようやく思考が戻るのを感じた。

 

「大丈夫……?」

 

「――ああ。友奈に看護されて元気が出たよ」

 

「……そっか」

 

「このまま一緒に寝る?」

 

「――風邪、私がひいたら、亮ちゃんが責任とってくれるならね?」

 

 その言葉に、小さな電灯に照らされた友奈の頬が赤らんでいるのが見える。

 一瞬風邪が移ったのかと心配し、彼女の頬に手を伸ばすと餅のような柔肌が掌に収まった。

 きょとんとする友奈は僅かに微笑み、伸ばした俺の手を更に自身の掌に包み込んだ。

 

「ねえ、友奈」

 

「なーに?」

 

「俺さ、思い出したんだ。俺を風邪になるように仕向けた元凶、その原因とも言える人が」

 

「えっ、そんな人がいたの? ……ちなみに何て人?」

 

 俺の言葉に首を傾げ、友奈は目を丸くする。

 可愛らしい少女の疑問に、俺は掠れた笑みを浮かべて、告げた。

 

「――東郷美森って人だよ」

 

 

 


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