凍り付いた少女の瞳に過るその感情は、いったい何と呼べばいいのだろうか。
「とうごう、さん」
その言葉を耳にして、その名前を口にして、寝台の端に腰掛け硬直した友奈は目を見開いた。
ゆっくりと見開かれる瞳には戸惑いと不安、何故という困惑で埋め尽くされていく。
揺れる薄紅の瞳、桜色の唇は震えと共に、友奈は何度も何度も己の親友の名前を口にした。
「―――東郷さん……東郷さん」
意味が分からない、と。
なぜ、どうして、その存在を今まで忘れていたのかと少女は首をゆるゆると振った。
心臓が弾み、胸が痛くなり、熱い何かが目に溜まり始め、そっと己の体を腕に抱いた。
「私……私は……!」
「――――」
掛ける言葉が見当たらず、亮之佑は無言で友奈の顔を見つめた。
大切な親友の存在を忘れていたという後悔に苛まれ、呼ぶたびに思い出す彼女と築いた思い出。
今はいない少女と紡いだ絆の全てが友奈の胸を掻き毟り、感情が堰を切って漏れ出し始めた。
『絶対に忘れない』
かつて戦いの中で、暴走する東郷に対して強く、友奈自身がそう言ったのだ。
自分という存在を忘れられたくない、大切な存在を忘れたくはないと感情を爆発させ壁を破壊し、世界へと反逆を翻す東郷へ、誰よりも懸命な想いで告げたはずだ。
絶対に東郷を忘れない。誰よりも強く思って、いつまでもずっと覚え続けているのだと。
それなのに。
――告げた言葉は偽りの物となり、交わした約束は無価値な物へと成り下がった。
「友奈」
「わたし、私は……ずっと! 一緒にいるよって約束したのに……!」
昏々と眠っていた為、ひどく重く軋む体を亮之佑は動かし、悔恨の表情を浮かべる友奈へと手を伸ばす。
軽はずみに言う言葉では無かった。だがそれ以上に速やかに告げなくてはならなかった。
脳裏に、胸中に過っていたあの吐き気を催す違和感は既に無い。
「したのにぃ……!」
「―――――」
カーテンを閉め薄暗い部屋の中、小さな電灯が枕元を薄く照らす中で、
肩を細かく震わせて友奈がこぼす一筋の涙は、両方の眼に溜まった水滴から流れ出ていた。
こんな状況にありながら、少年は親友を想って涙を流す友奈の姿を、どうしようもなく綺麗だと思った。
「ぅっ……、ぅ……」
唇を噛み、嗚咽を小さく溢す友奈の姿。
瞳に過る様々な感情が、瞬きをする度に涙と共に頬を伝っていく。
そうして泣いている友奈の体を抱きしめると、パジャマの鎖骨部分が濡れていくのが分かった。
「――――」
嗚咽をこぼし、背中に回した手、強く亮之佑を抱きしめ泣く友奈の姿を少年はそっと見下ろす。
友奈のぼやけた視界に、穏やかに悲しげにこちらを見る彼の姿が映りこむ。
自分の泣き顔を見られることへの羞恥などよりも、喪失していた悲しみがこみ上げてくる。
「――大丈夫だよ」
「……ぁ」
根拠などない、その場しのぎの言葉でしかない言葉は、それでも少女へと届いた。
自分を抱きしめる力は決して強くなく、寧ろ自分を気遣っている優しさに涙がこぼれる。
同時に親友を忘れていたという後悔と悲しみに、心が砕けそうになる。
以前よりも少しだけ背の伸びた少年。背中を擦り、親愛と友愛に満ちたその声に、
「――――」
薄暗い部屋の中で、大粒の涙がゆっくりと頬を伝った。
---
昨夜まで泣き続けた友奈を抱きしめていると、時間は既に夜の10時手前であった。
泣き疲れ抵抗の薄い友奈の服を着替え己のベッドに入れながら、以前使っていたSNS『NARUKO』に代わり、現在使用しているSNSの勇者部グループチャットで東郷に関しての話を進めていた。
神世紀の住人といえど夜10時には寝ない人も多いが、そこは中学生。
日々の学業や部活など青春に勤しんでいれば、当然真面目な夏凜などは既に眠っている。
とはいえ、樹や風はまだギリギリ起きており『東郷美森』という字を載せただけで、
現在の自分たちに何が起きているのかを断片的ながらも理解したらしい。
だが時間は既に深夜になり、時計の針は上を指していた。
俺自身はともかく、少女たちが出かけるには神世紀であろうと無理があるだろう。
そうしてひとまず朝にどこかへ集まろうという風の指示の下、
今現在も風邪で動けない俺の家へと勇者部全員が集合することとなり、一先ず友奈と仮眠を取った。
それから数時間後、5時頃には起きた夏凜が僅かな眠気を衝撃に吹き飛ばし、電話を掛けてきた。
『これ、一体何が起きてんのよ!』
「分からない。けど、ひとまずメッセージの通りに全員集合ってこと」
『――――ッ。……分かった、すぐ行くわ』
少し前に園子と、そして現在夏凜と続いて電話を終えた後、俺は端末を見た。
実に白々しいやり取りであったと、口端に浮かべるのは己への嘲笑である。
初代との会話で戻った記憶、壁の外で行われている儀式――奉火祭といった情報などを踏まえると、東郷がどこにいるかは明白であろう。既に判っているが、意図的に伝えなかった。
「壁の外、か……」
手の中の携帯端末を持て遊ぶ。
安芸先生、というよりも大赦から再び渡された携帯端末、その中に収められた勇者アプリ。
以前の防人との接触に対して、大赦側が監視の名目で俺に端末を渡した事は誰にも教えていない。
あの時はまだ、確かに東郷は存在していた。
もしも、この端末がそれを想定して、事前に監視という名目で渡してきたというのならば。
「―――――」
そんな益体もないことをふと考えて、俺は頭を振った。
人間の本質が、根本が短い時間で変わることが無いように、組織もまた同じだ。
隠蔽体質が300年。箱庭の世界で強大な力を持つ組織が、勇者の反乱で簡単に変わると思えない。
だから、今考えることはそこではない。
現に俺は、既に東郷がいる可能性が高い場所の情報と、そこへ至る為の手段を所持している。
「――――」
ふいに勇者部五箇条という勇者部の誓いの言葉が脳裏を過った。
何も言わず、何も語らず、何かを決意して一人で先走った東郷。
東郷だけではない、相談をせず一人で抱え込むのは風など、部員の中には多くいる。
だから今回は、今回だけはきちんと相談しようと思う。
一人で先走らず、仲間に相談して行動しようと、今回俺はそう決意を抱いた。
勇者システムがある今、人類の叡智たる武器群を携えてあの地獄へと行くことは確かに出来る。
だがそこから先、何があるか、何が待ち構えているか、不可解な要素が多すぎる。
「――――」
加えて、東郷が何故壁の外にいるか、俺は知らないという体を取らなければならない。
端末についても話をしなかった為に、聞かれた場合適当な誤魔化しを考えなければならない上に、
奉火祭も、壁の外の熱量が上昇していることも、天神のことも語ることは出来ない理由がある。
即ちそれらは初代から聞いた情報であり、夜会で手に入れた情報であるという事だ。
加賀の血筋であっても、直系の子孫であろうとも、根本的に男は勇者には成れない。
神に見初められない男が勇者になる。
それは、数多の不正行為をして現在、砂上のバランスで亮之佑は戦うことが出来るのだ。
その不正行為を成り立たせる為の条件の一つが、『夜会での会話は口外しない』ということだ。
勇者の力を行使する為の条件、強大な力には相応の代償がいると言うが、地味に面倒な点もある。
初代との約束は破ったことは無いが、どう考えても勇者としての力の剥奪という可能性がある。
加えて契約の際の対価というのもいつ提示されるか分からない。本人曰く、オマケらしいが。
「面倒くさいな……」
ひとまず、全員が揃ってからそれとなく東郷救出に向けて行動しよう。
こちらも体は軋むが、昨日の時点で連絡を入れ、他人任せではあるが準備は完了した。
そう考えていると流石は完成型だけあるのか、丁度1時間後、最初に玄関のチャイムが鳴らされた。
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「悪いけど、俺の家には煮干しは常備してないからね。あと加賀さんちの朝御飯は洋食だから」
「さすがに朝から煮干しは食べないわよ」
朝7時を少し過ぎた頃、加賀家に勇者部全員が揃いつつあった。
風邪ひきの体なれど、朝御飯を用意する程度ならば友奈という手伝いのおかげで容易い。
トースト、スクランブルエッグ、コーヒー(ミルクと砂糖はお好み)をリビングに運び込む。
「それよりも、大赦はなんて……?」
リビングの白いテーブル。そこに各々座る少女たちは、一様に険しさと小さな疲れを見せていた。
俺の質問に対し、誰よりも険の入った表情である風は、眉間に皺を寄せ横に頭を振った。
僅かに目の下に薄い隈が見え、責任ある部長として睡眠が出来なかったのだろう。
「大赦は何も知らないって……」
昨日の俺のメッセージより、およそ10時間が経過しようとしていた。
みんなの反応は、やはり一番色濃いのが混乱、戸惑いと悲嘆と、様々であった。
「私のところもよ、同じ答えが返ってきたわ」
風の言葉に同調するのは夏凜だった。
大赦本庁とアドレスでのやり取りが出来る彼女たちはすぐに大赦に連絡を取ったらしいが、
やがて返ってきたメールには知らぬ存ぜぬという回答があるばかりであったという。
「――――」
沈痛な面持ちで紙切れを眺めているのは樹だ。
紙切れと言うのは失礼で、以前歌の授業で緊張する樹を励まそうと、
当時の勇者部全員で応援メッセージを書いた時の用紙が小さな手の中にある。
その紙、不自然に空いている空白の欄を、樹は無言で指でなぞっている。
「ここに東郷先輩が『みんなカボチャ』って書いてくれてたんです……」と樹は先程ポツリと言っていた。
「大赦は、またとぼけているってこと……?」
「――どうでしょうか?」
眉間に皺を寄せる風の言葉に対して、俺は否定した。
隠蔽が得意な組織、大赦といえども、人一人の存在を完璧に隠すことが出来るだろうか。
紙に書かれた筆跡も、写真などの画像データ、人の記憶を数日で改竄するのは可能だろうか。
不可能だ。人間の出来る範囲を超えている。
十中八九、神樹による力であるのは間違いないだろう。
しかし、それでは東郷はどうやって神樹に頼み事をすることが出来たのだろうかという疑問があるが。
「亮之佑は……落ち着いてるわね」
「ん……」
思考の海へと飛び込んでいた俺を引き戻したのは、僅かに苛立つ風の声であった。
向けられる視線に、俺は少し痛む喉を鳴らしながら言葉を選ぶべく顎を掻いた。
「慌てても仕方がないですよ。それにそろそろ来るはずですから」
「来るって……。そういえば乃木は?」
向けられる薄緑の視線、見渡すと友奈も、樹も、夏凜も、全員がこちらに視線を向けていた。
彼女たちの瞳に過る感情、それらから目を逸らし、家の時計を見ながら俺は呟いた。
俺の呟きに眉を顰めた風が問いかけ、その言葉に答える前に、最後の一人が現れた。
「ここだよ~」
「園子」
「――お待たせ」
音も立てずリビングに入ってきた白いコートに身を包んだ園子は、扉に片手を掛けている。
流石にというか真面目な表情をし、凛々しさを感じる琥珀の瞳が俺たちへと向けられている。
「乃木、アンタどこに……?」
勇者部最後の一人が到着したことで、全員の視線が園子へと向けられた。
「大赦本部にさっきまで。私が話せる地位の神官さんたちに聞いたけど、みんな震えながら知らないって……」
告げる園子の横顔を見ていると、視線に気づいていたのか園子がこちらへと歩いてきた。
見ればアタッシュケースを持つ手を持ち上げ、俺へと渡してくる。
「――これしか手段はないんだよね」
「最初からなかったよ」
言葉を交わしながら受け取り、テーブルの上に置きアタッシュケースを開ける。
緩衝クッションに包まれた5つの長方形の穴、そこに収められた4つの携帯端末を風は覗き込んだ。
「それって……、勇者システム?」
「そそっ。かっきーに頼まれて大赦の人たちの所に少し……ね。ちょっと『お願い』したら震えながら出してくれたんよ」
そう穏やかに告げる声音はいつもと同じであっても、その言葉の端には真摯な意志と凛とした態度が今の園子を飾っていた。
真面目な時にはキチンとする子は個人的に好感度が高いと思いながら、園子から説明を引き継ぐ。
「結論から言うと、東郷さんは壁の外にいる。俺と園子の端末のレーダーにも彼女の反応は壁内には存在しない。だから……」
「―――壁の外。確かに東郷ならやりかねないわね。ぶっ飛んでるし」
「……だから、勇者になって行ってみようと思うんだ」
言葉にする園子、指を鳴らした瞬間、その頭上には彼女の精霊である烏のような天狗が現れた。
同時に僅かに己の頭上に感じる小さな重みと感触が、茨木童子が出現したことを悟らせた。
金色の片角鬼が頭上より周囲の勇者を見下ろす中、おずおずと言った様子で樹が手を挙げた。
「あの、代償って……」
以前の戦いにおける不和の原因となった存在。
満開の代償、散華に伴う身体機能の喪失を大赦が黙っていた事は、大きな引き金となった。
確かに知っておきたいのは当然だろう。俺自身も熱の所為かそこまで頭が回らなかった。
「うん、やっぱり気になるよね。それは――」
「――待ちなさい」
正直以前と同じであっても精霊バリアがあれば良いと思っていたが、やはり変更点があったらしい。
それについて園子が言及しようとした矢先、反対側から静かな声色が聞こえた。
振り返る先、視界に飛び込んできたのは、園子の言葉と俺に懐疑的な目をする風だ。
「確かにこれがあれば、東郷を探しに行くことが出来る――けど、アタシは勇者部の部長として、前の時とは違って簡単にみんなを変身させたくない。それはもちろん乃木も、亮之佑も」
「――――」
「――――」
静かに、厳かに告げる風の言葉は、詰まるところ言外に勢いだけで行動をするなという物だ。
以前の何も知らされていない状況で戦い、その先がどこへ繋がっていたかを知り、誰よりも裏切られたと激昂したのは、一体どこの誰であったのか、知らないとは言わせない。
「まあ、いきなりの話だし、慎重に行くべきという気持ちも解るんですけど……」
「けど?」
「確かに私たちは被害にあった。けど、勇者は身体を供物にして戦わなければ世界は滅んでいた」
慎重に言葉を模索する俺に代わって、風に応じたのは園子であった。
風の瞳の奥底には大赦を信用出来ないという想いが込められている。その風の瞳に真摯な態度と眼差しで応じる園子は、事前に相談して以来、東郷を助けようという俺の味方だ。
「仕方なかったんだよ。大赦はやり方が拙かっただけで、誰も悪くない」
「――――」
「大赦はね、勇者システムについて今後一切の隠し事をしないって言ってくれた。私はそれを直接聞いて、信じようって思ったんだ。だから今回は私は納得してやるから……私たちは行くよ」
“信じる”という言葉を口にする園子の言葉に、全員が黙りこんだ。
勢いではない。誰かに命じられた訳ではない。ただ己の意思で東郷を助けに行く、と。
その上で、
「別に大赦を信用しろってことじゃない。――単純に俺と園子のことなら信用出来るだろ?」
園子の言葉を僅かに否定しながらも、自分たちを信用しろと暴力的な理論で告げた。
「――――」
その俺の言葉を聞いて、やがて小さくため息をつくのは懐疑的な目を向けていた風であった。
自らを抱いた腕を放し、アタッシュケースに収められていた端末を1つ手に取った。
「まったく……部長を置いて勝手に行くんじゃないわよ」
「……風先輩」
「乃木や亮之佑なら、アタシも信じているからさ」
真剣な表情の中、ふと眦を下げ小さく微笑む風に、俺は頷いた。
---
風が端末を手に取ったのを皮切りに、友奈、樹、夏凜も端末を手に取った。
これで東郷を救出するのに必要な戦力は十分に揃ったと言えるだろう。
その後、園子から改めて新しい勇者システムに関する話があった。
更にアップデートされた勇者システムは、満開ゲージが最初から5枚全て溜まっている状態だ。
精霊がバリアで勇者を護るが、肝心のバリアは使用の度にゲージを1枚ずつ消費するらしい。
加えて、ゲージが最大値の状態での満開は変わらず、しかし使用すればゲージは一気に0になる。
ゲージ回復の手段は無く、精霊がバリアを張れない為、直接命の危機に瀕するらしい。
「――――」
園子の言葉通り、俺の所持していた端末も洩れなくアップデートされているらしく、左肩のゲージは既に溜まっていたのだが、果たしてこれが本当にアップデートと呼べるのかは少し疑問が残る。
確かに説明通りならば、散華の心配無しに一度のみの満開が可能だろう。
しかし安全を優先した結果、今度は戦闘継続能力が下がっているのが新たに問題だ。
そして何より――
『本当に、大赦は隠し事をしていないのか』
「――――」
背後から囁くように、唄うように初代が声を掛けてくる。
その声は誰にも聞こえない。この世界でただ一人、加賀亮之佑しか聞くことが出来ない。
『逆に言えば、大赦は勇者システム以外については隠し事があるのは間違いないのだろうけど』
「黙れ」
悲しいくらいに、いっそ開き直りかねないくらいに疑り深い自分がいるのが分かる。
人が信用出来なくなったのは何時の頃からだろうか。間違いなく生前からだろう。
――人は簡単に嘘を吐き、平然と裏切るのだ。
「かっきー、大丈夫?」
「――、体はまずまずかな。一先ずこのミッションを終えたら一眠りするけど」
「それならいいけど。ここから先はズゴゴゴッ……!! って感じだから気をつけてね」
考え事をしながら強化された脚力で跳躍を繰り返すと、あっという間に壁の上に辿り着いた。
四国を囲む巨大な根で編み込まれたような壁は、何時見てもその珍しさに目を奪われる。
その存在を目にする度に、慣れた筈なのに非現実的だと感じるのは前世の名残だろうか。
「私が先頭で行くから、園子は後ろでサポートをお願い」
「――にぼっしー、あまり前に出ないでね」
「……? ええ」
前に出ようとする完成型勇者の姿に何かを見たのか、困り顔の園子は軽い苦笑いをした。
その光景を尻目に、やや軋む体と断続的に発生する頭痛に眉を顰めながら、
「――――」
外の世界に広がる地獄、途方も無く無限に続く死の世界へと足を踏み入れた。
幸いなのが、今回は精霊の守護のおかげで体に外からの高熱を感じないことだ。
ただし、内側から発生する風邪の熱が着々と自らの体力を削っているのが俺には分かった。
「それにしても、この世の光景じゃないわね」
「相変わらず凄まじい景色ね……」
「わっ、レーダーに反応あったよ!」
この世界を誰かと見るのは、そういえば東郷の叛乱時以外は無かったなと思いながら、
似たような感想を告げる夏凜や風から目を逸らし、端末を持つ園子へと意識を向けた。
壁の外、つまり異界側から少し離れた所に、『東郷美森』と名前が表示されていた。
しかし、その方向に目を向けても灼熱に炎や赤黒い空が広がるばかりで――
「……ぁ」
「東郷さんが……」
前回防人の援護をした時との違い、これまで見られなかった異界での変化があった。
衝撃に全身が貫かれる中で、勇者部全員に代わり、友奈が衝動的にその思いを叫んだ。
「東郷さんが……ブラックホールになってる……!!」
「いや、それはない」
友奈の言葉を否定しつつも、明らかにあのブラックホールが怪しいのは分かる。
その周囲を護るように、数体のバーテックスと無数の星屑たちが勇者を捕捉したらしく、
着々と集まってきているが、対するこちらは遥か上空、天高く存在している東郷への道が無い。
あと十数秒後に戦闘になり、ジリ貧になるのが直感で分かったのは、夏凜もだった。
「このままじゃ……。そもそもどうやって東郷の所まで……」
手段は、方法は、無い訳ではない。
この状況は、いつかの蛇遣座の状況と似ている。
つまりは――
「あそこまでなら、私の船でいけそうだね」
「船?」
「――満開っ!」
満開によって得られる浮遊能力が必要になるのは、園子も分かっていたらしい。
戸惑う夏凜や風、躊躇した俺へと振り返る園子、紫の花が咲き誇り出現するオールの付いた戦艦は、どことなく東郷の乗っていた可動砲台を搭載した戦艦と似ていた。
「アンタ、いきなり満開しちゃって……精霊の加護が無くなっちゃうのよ!」
「昔はバリアなかったし、問題ないよ~」
「――――」
「さあ、これがわっしー行きの船だよ。乗って乗って~」
絶句する風を置いて、前代勇者・乃木園子は浮遊する戦艦から俺たちを見下ろした。
火の鳥のようなデザインの戦艦へ飛び乗る為、脚に力を入れ跳躍し園子の背後、空いた場所へと降り立った。
「それじゃ任せた、船長」
「任されました~」
全員が乗り込んだのを確認し、園子の船が一気に急上昇し―――
―――――――――――――――――
―――――