変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第六十四話 安らかな日々さえ、私を苦しめる」

 神世紀300年の12月。

 完全に秋は終わりを迎え、冷たく寒い冬が少しずつ、だけども確実に近づいてきていた。

 まだクリスマスの日は近くは無いが、まだすぐに雪が積もるという訳ではないだろう。

 

「もう飾り付けされてるね、東郷さん!」

 

 勇者部の催し事で使うための道具を買いに讃州駅前のショッピングモールへと向かった帰り道。

 冬の季節だからかすっかり早い時間で夕日が地平線へと沈み、空が暗くなってきていた。

 今年も街中で飾られ始めるイルミネーション、友奈が意見を振ると東郷は恍惚とした表情で、

 

「外国の祝祭をも祝う我が国の寛容さ……、あぁ……やはりこの国は素晴らしいわ」

 

「なんか言い方が怖いよ、東郷さん……」

 

 国を愛するやや偏りの激しい隣の少女のトリッキーさには慣れているため、特に何も言わない。

 お互いに学校が指定する紺色のコートを着込み、東郷と友奈は荷物を持って歩いていた。

 友奈が持つ茶色の紙袋が歩き揺れる度に枯葉を思わせる乾いた小さな音を立てていた。

 

「ツリーの飾り付け、どんな風にしよっかな……?」

 

 まだ少し先のことではあるが、それでも飾り付けという準備もみんなで行えば楽しく思える。

 そんな事を思いつつ同じく荷物を持つ親友、微笑む東郷が友奈を見ていることに気づいた。

 クリスマス仕様の街灯、イルミネーションの淡い光が、東郷をより可憐な姿へと変えていた。

 

「――良かった」

 

「……え?」

 

 綺麗な姿に僅かに見惚れ、危うく聞き逃す程の小さい声が、それでも友奈に届いた。

 心地良い声に耳を傾け、その言葉の真意が解らずに小首を傾げると東郷は薄く微笑み、

 

「友奈ちゃんと亮くん、また今年もみんなで一緒にクリスマスを迎えることが出来そうで」

 

「――――」

 

 その言葉にどれだけの想いを籠めたのだろうか。

 きっともう一緒にクリスマスを過ごすことは出来ないと、東郷はそう思っていたのだろうか。

 二度と会うことはない。それほどの覚悟を抱き、東郷は一人で奉火祭へと向かったのだろう。

 

「当たり前だよ」

 

 自分もイルミネーションの温かみのある光に当てられたのか柔らかく東郷へと微笑み返し、

 少しだけ歩調を隣の東郷よりも早めて彼女の正面に立つと、自然と東郷の足が止まった。

 

「東郷さんが、どこにも行かない限り、一緒だよ?」

 

 少し自分よりも背の高くなった東郷。彼女に向けて優しく、悪戯っぽく微笑むと、

 その濃緑の大きな瞳を驚愕で更に大きくしたが、数秒の間をおき東郷も友奈へと微笑んだ。

 友愛に、親愛に満ち溢れた、誰でもない友奈だけへと向けられる東郷の暖かな笑みは、

 

「もう……。その表情、亮くんに似てる」

 

「えっ、そう? そうなのかなー?」

 

 僅かな苦笑交じりの指摘に思わず友奈は己の頬をこねる。

 夜の外気に晒され、やや冷たくなった頬を指の腹でくすぐると少しだけ熱が戻った気がした。

 そんな他愛ない一時を終えた後、友奈と東郷は再びゆっくりと足並みを揃えて歩き出す。

 

「――――」

 

「そういえば」

 

「どうしたの?」

 

 足を向け歩く先、学校の部室でまだ活動しているであろう彼らの方角へと歩く中で、

 なんとなくという様子で小さくこぼした東郷の言葉に友奈は再び足を止め、目を向けた。

 

「去年は、友奈ちゃんと亮くんの3人でクリスマス会をしたじゃない?」

 

「うん、そうだね」

 

 東郷の言葉に頷きながら、少しだけ友奈は1年前の事を思い出した。

 当時、風と東郷と亮之佑の4人だけでの勇者部は、今ほどの知名度は無かった。

 結成してからまだ半年程度、雑用を少しずつ行い、地道に堅実に活動を積み重ねてきた。

 

 そうして夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が来た。

 あの頃はまだ樹や夏凜、園子の顔も名前も知らなかったのだと思うと少し感慨深く感じる。

 当時は部長の「人見知りで可愛い妹がいるから」という事情で、勇者部としてのクリスマス会は無かった。

 去年は亮之佑風に言うならば、東郷の家でご近所陣営だけでの催し事を色々と行ったのだ。

 

「それが、どうしたの?」

 

「去年は3人で、その、『いぶ』の日に集まったじゃない? それでふと気になったのだけれども、その前の年ってどんな風にクリスマスを過ごしていたのかなって」

 

「――う~んとね……」

 

 その言葉に指を顎に這わせ、友奈は少しだけ考える。

 去年の去年。つまりは一昨年のクリスマスの時はどうしていたかを目の前の少女は聞いてくる。

 その頃は友奈と亮之佑は小学生、まだ東郷に出会っていなかった時期であったのを覚えている。

 

「確か、亮ちゃんが腕を折って、私が亮ちゃんのお家で修行を始めた頃だったかな……」

 

「ん?」

 

「あっ、でもね、今の時期には腕が元通りになってたっけ。クリスマスの日にね、私のお父さんに頼まれたらしくてね、夜にサンタのコスプレして家に来たんだ!」

 

「んん?」

 

「でねっ! 凄く渋い迫真の演技で『前世からやってきたサンタだよ』って言ってきて、もう凄くビックリしたんだ! それで一緒にケーキ食べて、プレゼントを交換して、その日は一緒に眠って……」

 

「同衾!? それでどうしたの……?」

 

 何となく思い出す言葉を口にしながら、記憶の回廊から当時の記憶を引っ張り出す。

 今でも色褪せない色彩豊かで、何より暖かで、楽しかった思い出を友奈は振り返った。

 加賀家で過ごすのと似た感じ、他愛の無い話をして、じゃれ合って、穏やかな時を過ごした。

 

 流石に冬、一緒に眠ると温かい肌の温度で沼地に沈むように眠りについたのを覚えている。

 当時はまだサンタなる存在がどこかにいるのではないかと子供心に思っていた。

 そんな自分を想って、優しい両親が毎年自分の枕元に贈り物を用意してくれていたのは知っている。

 

 その渡す役割がどういう理由かは不明ではあるが、仲の良い少年が両親によって選ばれたらしい。

 どのみち彼が来なくても、その日は向かいである加賀家へと行くつもりではあったのだが。

 

 彼の家の事情が複雑なのは何となく分かってはいたが、面と向かって聞くことはしなかった。

 それは亮之佑との関係を悪化させたくないという臆病な打算もあったのかもしれない。

 両親や家の周囲の人たちは事情を聞いていたらしいが、いつも彼は大きな家に一人きりだった。

 

 訪れる度に胸中に過るのは、決して変な同情や哀れみの気持ちではない。

 彼と深い絆を紡いでいくのが楽しくて嬉しくて、ずっと一緒にいたいと思うようになっただけ。

 

「えっとね……秘密」

 

「私の知らない……ユウナチャンが」

 

「東郷さん?」

 

 その時の事を思い出すと、体が熱を帯びた様な気分になり、なんとなく東郷にも秘密にした。

 別にそこまでの何か衝撃的な事は無く、よく少年とするちょっとしたスキンシップ程度だ。

 唇に指を当てて微笑むと、何故か顔を強張らせ片言になる東郷の姿に疑問を生じさせていると、

 

「――そんなことがあったんだ~」

 

 金髪の髪をたなびかせ、穏やかな顔の園子とクリスマス仕様のサンチョが忽然と姿を現した。

 白いコートがその華奢な体躯と肢体を包み込みながらも、着用者を美しく引き立てている。

 園子も買い出しを終えたのか、左手には友奈が持っているのと似た茶色の紙袋を下げている。

 

「――ハッ! そのっち!」

 

「えへへ~、実はかっきー以外で誰かとクリスマスするの、初めてなんよ」

 

「そう言われると、確かにね……」

 

「――。今度は勇者部みんなと一緒だよ! 盛り上がろうね、クリスマス!」

 

「マ~ス!」

 

「マース、マース!」

 

「まぁーす?」

 

 園子と不思議な感性が絡み、お互いに意味は無い言葉を呼び合うのが楽しかった。

 よく分からずも友奈と園子の何か魂的な物が通じ合う中で、何となく東郷も口にした。

 ちょっと困ったような、嬉しいような顔の東郷を見て、園子を見て、友奈は自然と笑みを溢した。

 

「そういえば、園ちゃんと亮ちゃんはどんな感じでクリスマスを過ごしたの?」

 

「う~ん、そうだねぇ……二人だけの夜、私の家でかっきーの手品ショーを見て、料理を食べて、お風呂に入って……みたいな普通の感じだったよ」

 

「そっか……なら今年はみんなで、ガンガン楽しもうね!」

 

「――うん!」

 

 一瞬きょとんとした表情の園子であったが、目尻を和らげて心底楽しそうに頷いた。

 そうして園子と笑い、釣られて笑顔を溢す中で、そっと紺のコート越しに左胸を押さえた。

 小さな痛みが胸中を過ったが、それでも友奈は笑顔を保っていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 最近は部室でも勤勉に勉強に取り組む風と、下級生のはずなのに風に教えている園子。

 あべこべの光景は本来は逆のはずだが、それは園子のハイスペックさが可能へと変えていた。

 丸い眼鏡を掛けている風が夏凜に揶揄われながらも、園子の作ったテストを解答し終える。

 

「まぁほら、先週は忙しかったしね」

 

「ああ……、確かに受験勉強よりもブラックホールが急務だったもんね」

 

「確かに」

 

 優しい彼女たちは、決して悪意を持って東郷を揶揄った訳ではないのだろう。

 部長である風はともかく、一割程度は揶揄いの意識があったかもしれない夏凜の言葉。

 それに頷く樹の言葉に対して、真面目で極端な行動に奔るトリッキーで長い黒髪の少女は、

 

「陳謝っ……!!」

 

 惚れ惚れするような土下座を部室の床で決めた後、カッターで切腹しようとしていた。

 唐突に始まる親友の奇行を全員で抑え込んでいると、園子によるテスト採点が終わった。

 勤勉な風と、教えるのが上手いらしい園子のおかげで随分と進んだらしい。

 

「ありがとね、乃木。来週は樹のショーがあるからね、姉としてどうしても行かねば」

 

「お姉ちゃん! 私のショーじゃなくて街のクリスマスイベント! 学生コーラスだって!」

 

「なら、風邪には気をつけないとね……そのっち!」

 

「あいよ~、合体技だね〜!」

 

 学校代表として赴くという樹に友奈が関心していると、風邪をひいてはいけないと東郷と園子が樹の目の前で謎の動きを始めた。手をかざし、時計回りに一定の動きで腕を回転させる。

 それは以前東郷自身が言っていた『アルファ波』なる物の応用技らしい。

 

「健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康……」

 

「けんこーけんこーけんこーけんこーけんこーけんこーけんこー……」

 

「えっ、いきなり何を……!」

 

 らせん状に両手を回す二人は、『健康』の二文字をひたすら口にしながら樹へ謎の動きをする。

 先輩たちの奇行に対し驚愕に身を竦める樹ではあったが、謎の温風が二人から発生したらしく、

 何故か体の体温が上昇し、「ぽかぽかする」という暖かさにそっと目を細め目尻を下げていた。

 

「あはは……」

 

 そんな彼女たちを、友奈は薄く笑みを浮かべて見ていた。

 そう、戻ってきたのだ。全員が揃った日常を、友奈たちは再び取り戻すことが出来たのだ。

 誰もが楽しそうに笑っている。みんなが戦って東郷を取り戻すことができ、幸せにしている。

 

 ――誰も友奈の左胸にある物を知らずに。

 

「―――っ」

 

 東郷を助けたその日から、友奈に御役目が引き継がれたのだ……と思う。

 ブラックホールの先、秋に獅子座を撃退した後に訪れたことがあった、何もない淀んだ場所。

 炎に焼かれ、水晶の如き鏡に囚われていた東郷を引き摺り出した際に、太陽の様な印が友奈の左鎖骨の下付近に現れ、その後現実の肉体の同じ箇所にも、同等の歪で小さな焼き印が現れたのだ。

 

 タオルで擦っても、お湯で洗っても取れない、拭えない、決して消えない。消えないのだ。

 時折針を刺したかの様に痛むだけで、今のところは特に何かがある訳ではない。

 病院に行って治る類の物ではないだろう。早急に大赦か誰かに相談するべきだ。

 

「――――」

 

 分かっている。分かっているのだ。

 だけど、それをしたら、結局東郷が自分たちを想って行動した全てが無駄になってしまう。

 御役目がただ友奈へと移っただけに過ぎないのだと、苦しませてしまうことが嫌だった。

 

 ――相談するか、否か。

 

 東郷と園子によるポカポカな行為、それが現在夏凜へ行われている。

 それを受けている夏凜もなんだかんだで満更ではないらしく、微笑ましい光景が生まれている。

 なんとなく不安で手が制服越しにある印に触れながら、ふと自らの視界がある物を捉えた。

 

「悩んだら、相談……」

 

 勇者部五箇条。5つの誓いとも言えるそれは、かつて1年生の頃に作成した物だ。

 風と東郷と亮之佑、4人だけの部活動をしていく中で、みんなで考えて作った物だ。

 今まで友奈は、その5つの誓いを胸に勇者として戦ってきた。

 

「風、あんたも勉強終わったんなら飾りつけ手伝いなさいよ」

 

「何よ~。アタシが手伝う以前にほとんど終わっているじゃないのよ。さすが完成型の飾りつけは違いますな~」

 

「馬鹿にしてんの?」

 

 そうだ、なせば大抵なんとかなる。そうであって欲しい。

 言わなければ、相談しなければ、自らが一歩踏み出さなければ何も変えられないのだから。

 今は放送部の手伝いに行っている亮之佑、彼以外全員が揃っているこの場で、喋るのだ。

 

「あっ、あの……みんな」

 

 小さな痛みが胸中に過るのは胸の印のせいか、それとも緊張のせいか分からない。

 それでも友奈は懸命に唇を震わせ、どう伝えるべきかを考えて、話そうと思い――

 

「ん、どうしたの友奈?」

 

「私ね、実は――」

 

 ――その瞬間、何が起きたのか友奈にはよく分からなかった。

 単純に視界がジャックでもされたかのように、目の前で疑問を瞳に浮かべて聞く少女たちが、

 耳を傾けて友奈の話を聞こうとする東郷、風、樹、夏凜、園子の全員に、見たことのある太陽の模様が己の位置と同じ場所に出現したように見えた。

 

「――――ぇ」

 

「……ゆーゆ?」

 

「――。あ、青鬼の話なんだけどね、えっと……赤鬼が人々の恐怖をこっそりと肩代わりしたら、どうなるでしょうか?」

 

 それは、一瞬の出来事。瞬きをし、元の視界に変わる1秒にも満たない時間。

 臆病な本能が、勇者としての直感が、何かを察知し震える心が、咄嗟に話の内容を変えた。

 その行為の意味があるかは論理としては不明だが、瞬きをし、見直す頃には太陽は見えなかった。

 赤黒い太陽のような刻印が、話そうとする友奈に対し見せ付けるように増殖したように見えた。

 

「――――」

 

「何かの問題?」

 

「えっと、学校新聞のクイズを考えてて――」

 

 焦る胸中、自分が何を言っているのか分からずとも、とにかく今は別のことを喋った。

 身振り手振りで話をし、どうにか必死に頭を動かし、僅かな恐怖と戦いながら誤魔化した。

 今のはまさか、幻覚なのだろうか。友奈には分からなかったが、答えは次の日に現れた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「それは災難だったな」

 

「私の家の電灯も急に壊れちゃうし……」

 

「大変だったんだね」

 

 東郷と夏凜はどうやらお互いの家の電灯やエアコンが点かなくなったらしい。

 その話を聞きながら相槌を打ち頷く亮之佑は、特に昨日は何も起きなかったらしい。

 少年の隣で同じく話に耳を傾けていると、どうも犬吠埼家でも不幸が起きたらしい。

 

「うちなんて昨日、樹が鍵を落として寒空の下で本当に大変だったんだから」

 

「い、言わないでよ~」

 

 憤然と悲嘆さの篭った顔の風が肩をすくめ、慌てる樹という光景は珍しい。

 少しコンビニへと向かい、その足で帰る途中に失くしたらしく、大騒ぎだったらしい。

 

「まったくドジね」

 

「本当よ、しっかりしてきたと思ったんだけどね」

 

「あわわ……」

 

 苦笑いする夏凜と姉からの評価が若干降下している事に泡を食ったかのような困り顔の樹。

 突然4人を襲ったらしい謎の不幸。それに覚えがある友奈は何かを言うことは出来なかった。

 昨日告げようとした結果、一瞬の瞬きで見えた太陽の様な刻印が脳裏を過った。

 

 偶然だろうか。これで園子も何か不運な出来事に遭遇していたのならば。

 そう考え込みながらふと開いた扉、部室の出入口で遅れたことに謝る園子の姿を見て、

 

「―――っ」

 

「あれ、園ちゃん、その手どうしたの?」

 

「ああ、これ? ちょっと朝にポットで火傷しちゃって。小怪我だから大丈夫だよ」

 

「火傷は怖いから、本当に気をつけなよ」

 

「うん、かっきーも気をつけてね」

 

 右手に包帯をし、特に問題なさげな表情を浮かべる園子と少し心配気な亮之佑。

 彼女らを見て、昨日のソレが幻覚ではないのだと友奈はある種の確信を抱き始めた。

 しかし、それでも、一度の偶然ならば。

 

「勇者部全員、厄払いにでも行った方がいいんじゃない?」

 

「ちょっと縁起でもないこと言わないでよ。それより全員来たんだから作業の続き始めるわよ! 各自持ち場についてー!」

 

 部長の音頭で部員たちは各々の仕事に取り組み始める。

 大なり小なり風に返事をし、行動を開始する亮之佑を、東郷を、樹を、夏凜を、園子を見る。

 一度の偶然ならば、もう一度相談してみるべきではないかと脳裏を過るが、口は動かない。

 

「――――」

 

 相談するべきだ。

 この部室で唯一先輩の頼りになる風に目を向ける。少年の方は既に業務に取り掛かり話し辛い。

 もしもまた、何か変なことが起きてしまったらと、嫌な方向へしか想像はいかないが――

 

「風先輩」

 

「ん?」

 

「――ちょっと、いいですか」

 

 願わくば偶然で、気のせいであれ。

 純粋にどうしたのかと疑問を生じさせる薄緑の瞳、風に決意を固めて友奈は告げることにした。

 あまり大事にはしたくない。東郷や亮之佑に話すのではなく、まずは風に話すことにした。

 

 

 

 ---

 

 

 

「――――」

 

「――――」

 

 二人、友奈と風が正面から対峙し、お互いを見つめ合った。

 部室を離れ少し歩き、足を止めた校庭が見える渡り廊下を茜色の夕焼けが照らし始める。

 見上げると亮之佑と同じくらいだろうかと、やや現実逃避しがちな友奈を見下ろす風は、

 

「どしたの? 悩み事?」

 

「えっと……えっとですね……」

 

 あれだけ語ろうと決めたはずなのに、不安で口が重かった。

 もしもまた、あの炎の刻印が風に見えたらと思うと、体が少し強張っているのが分かった。

 そう悩む己の痴態を見ていた風は、憂慮を帯びこちらを見る表情を一変させ、

 

「もしかして、恋愛のことだったりして……」

 

「―――ぇ?」

 

 悪戯するとある少年のような、腰を屈め友奈と目線を合わせる風はニヤリと笑った。

 己の体躯を腕で抱きながら揶揄するように告げる風に対して思わず呆気にとられると、

 

「うーん、亮之佑なら東郷も煩くないだろうし……。あっ、でも乃木に取られないか心配なんだー!」

 

「ち、ちがっ、違いますよ!」

 

 見当違いの先輩に、熱くなる頬を夕日に誤魔化し、しかし相談の内容は違うので否定する。

 あまりに唐突で、それでもドキリとさせられる言葉を受けながら、緊張が抜けていくのを感じた。

 

「ふーん。まあそれよりも、何? 言ってみなさいよ」

 

 道化めいた動き、その口調に強張っていたはずの体が僅かに緩んでいた。

 その気遣いに、優しさに対して心の中で感謝しながら、一息に勢いで語ろうと息を吸った。

 風の顔を見ることが何となく出来ず、それでも少し下の地面を見つめた視線を上げることにした。

 

「実はこの間、スマホを返して貰った日」

 

「うん、何かあった?」

 

 いつものように相手の目をキチンと見ようと友奈は視線を上げ、

 

「その、東郷さんを助けに行くときに――」

 

「――?」

 

「――――」

 

 残りの言葉全てが、ただ肺の中の息を抜くのと同時に霧散していく。

 中途半端に言葉を切り上げ、疑問に首を傾げる風の表情が目に映らない。

 その一瞬、時間にすれば一秒もない筈だが、その刹那、風の左胸に明確に赤黒い刻印が見えた。

 

「友奈?」

 

「――――」

 

「………ぁ! いえ……、前に撮った写真、スマホに入れていたんですけど、消えちゃってて残念だなって」

 

「ああ、大赦からの検閲で消えちゃったのかもね」

 

「ですよね、あはは……みんなにちょっと悪いなーって」

 

「……もしかして、結構恥ずかしい写真とかあったりして」

 

「――うぇ!?」

 

「あれ、もしかして図星? 亮之佑や東郷、一体どんなヤバイ写真だったのか……」

 

「ちちち、違いますよぉ!」

 

 話をするのを止めると同時に、己の瞳に映りこむ刻印が瞬時に消えた。

 いつもの調子で風に少し揶揄われながら、必死に動揺を悟られないようにした。

 それでも隠し切れない友奈の微かな声に震えが混じったが、幸いにも変には思われなかった。

 

「――――」

 

 結局、誰にも相談出来なかった。

 風への相談を終えて、部室に戻って活動し、その後解散して一緒に帰る亮之佑や東郷にも。

 誰かにこれ以上何かを告げようとすると、友奈はひどく喉が渇くような感覚に襲われた。

 

「――――」

 

 一体どうするべきなのだろうか。

 友奈には分からない。どうしたらいいのか、分からない。

 

 これからどうするべきか、地面に足がつかないような不安に沈黙するしかなかった。

 押さえる左胸、胸の奥で心の臓が震えるのが己の手のひら越しに伝わった。

 

「よし……」

 

 少し気を落ち着けよう。

 自宅に帰宅し、目の端で出現する牛鬼を尻目に、押し花をする準備を始めた。

 トンネルのように何も見えない状況だけども、暗いことを考えていても良いことはない。

 不安を押し殺し、せめて平常心を取り戻そうとして――

 

 

 

 ---

 

 

 

「……ぇ」

 

 唖然とする友奈は、何度も何度も同じ文面を見返した。

 

『お姉ちゃんが車にはねられてしまって』

 

 押し花に取り組んでいる最中、手に取った端末に、現実味の薄れた文面が目に入った。

 淡々と綴られた文章、混乱が伝わってくる樹の文面に衝撃で頭が真っ白になるのを感じた。

 嫌な予感が的中したことに己の左胸へと目を向けるが、どうすればいいのか分からない。

 

 ――どうしたらいいのか、分からなかった。

 

 

 


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