変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第六十七話 死の味」

 羽毛のような軽やかな雪が黒と薄紅の髪を所々白く染めていく。

 

「少し冷えてきたな……」

 

 乾いた軽い雪が降っているが、その勢いは先程よりは弱まっている。

 しかし、それでも感じる寒さは変わらず、コートをすり抜けて僅かに骨身に染みた。

 白銀の粉雪が地面に座り込む友奈の体を凍らせていくのか、少女も唐突に体を震わせた。

 

「……くちっ」

 

 抱きしめて分かったのは、たった今くしゃみをした友奈の体は雪の所為で冷え切っていたこと。

 このままお互い地べたで抱き合っていても埒が明かず、悪戯に体温を失うだけであること。

 いつまでも抱きしめていたいが、心を鬼にして俺は力を入れていた腕を解いた。

 

「――俺の勘だと、風邪ひく一歩手前ぐらいだな。今から風先輩の所に行っても移すだけだな」

 

「……そうかな?」

 

「これまでに何回友奈の看病してきたと思ってんだよ?」

 

「うーん。5回くらい?」

 

「7回だ。あれ8回だったっけ……。だいたい年に2回のペースだな」

 

 転んだのだろう、土で頬や手を汚している友奈。

 少女の顔を汚している土を手で払いながら片手で携帯端末を取り出し、『友奈が体調を崩したので一緒に帰還する』といった趣旨のメッセージを勇者部のSNS『NARUKO』に送ると、部員たちからある程度予想通りの返答がすぐにきた。

 メッセージは送ったので、これでひとまず風の方にいるであろう勇者部員たちは大丈夫だろう。

 

「どのみち、その顔で行ってもみんな心配するだろうし……」

 

「――――ぅ」

 

 雪の勢いが弱まったと言っても、津々と曇天の夜空から降る雪は止まることを知らない。

 地面の色を蹂躙するかのように、穢れを知らない無垢の『白』一色へと染め上げていく。

 そんな空の下で息を抜くように告げながら、目尻を赤くした友奈を立たせる。

 

「――――」

 

「――――」

 

 俺の腕に掴まり立ち上がった友奈は一応泣き止み、表面上は元の状態に近くなった。

 笑顔は浮かべておらず僅かに小さく微笑む程度だが、無理に作る『嘘』の笑顔ではなかった。

 最後に手早く紺色のコートや履いている長い黒のソックスに付着した雪を払う。

 いつもと異なり、気恥ずかしさの所為か無言であった友奈はされるがままであった。

 

「――。あらやだ、お尻にも雪が。払わなきゃ」

 

「わひゃ!」 

 

 当たり前だが、雪の上に座り込んでいれば土や雪が付着してしまう。

 加えて、友奈が現在着用しているのは学校の冬用の制服であり、スカートが僅かに汚れていた。

 制服は汚れると洗うのが面倒なので可能な限り、揉んででも汚れを取らなければならない。

 

 そんな訳で少女の衣服や体に付着した土と雪を手で払い取り、合間に『不可抗力』もあったが、

 頭に軽い勇者パンチを受けた後は少しでも寒さを和らげる為に何となく手を繋いで歩き出した。

 寒い中でやることではなかったが、多少は元気が出たようなので何よりである。

 

 このまま歩けば、およそ15分ほどで加賀家が見えてくるだろう。

 降り積もる雪に足が取られることと、隣で歩く友奈を考慮すると20分ほどになるだろうか。

 右手に確かな温もりを感じながら、俺は友奈を引き連れ大通りに向かって歩き出した。

 

「――――」

 

「――――」

 

 無言で数分ほど歩き、市民会館前の大通りにまで戻ってきた。

 白銀の世界に彩りをもたらさんとする色とりどりのイルミネーションが光を灯している。

 歩いてしばらくすると、病院へ向かう途中聞こえた少年少女によるコーラスが行われていた。

 外で歌う彼女たちは一人一人が桃色の唇を震わせて、清らかな声で歌を唄っていた。

 

「良い歌だな……」

 

「――うん、そうだね」

 

 立ち止まって聞いても良いが、流石に優先順位が異なっている。

 コーラスも聴くだけの価値が感じられる物であり、道行く人も降雪の中で立ち止まっている。

 僅かな人混みの中をゆっくりと歩いていると、ふと握っていた右手に力が籠るのを感じた。

 

 右手に込められた手、掴んでいる友奈の顔をそっと窺い見ると、友奈はこちらを見て何か言いたげな顔をしていた。寒さで降る雪と同じような色白の肌にほんのりと朱色を混じらせている。

 

「どうかしたのか? 友奈」

 

「ううん、ちょっと……ね」

 

 そうして疑問に対して答える友奈の薄紅の瞳が向ける視線の先、クリスマスイヴだからか、

 よくよく落ち着いて周りを見回すと、仲の良さそうなカップルが多く通りを歩いていた。

 大胆なことに、クリスマスツリーのイルミネーションの下で微笑ましくキスをしている男女もいた。

 そんな光景を見てから俺がもう一度視線を向けると薄紅の瞳と目が合い、逸らされた。

 

「幸せそうだったね……」

 

「爆発しろとしか思わないけどな」

 

「そんなこと言ったら駄目だよ」

 

「そうだね、友奈がいるからな。幸せ係数はいい感じだよ」

 

「係数? 良く分からないけど……うん、私も亮ちゃんが暖かくて幸せだよ」

 

「――そっか」

 

 にへらっとした笑みを浮かべた友奈の様子は、表面上は少しずつ元に戻っているように思える。

 流石に活発な元気を見せる訳ではなく、先程まで流していた涙の痕は残っているが。

 

 そんな彼女の姿に僅かに眉を顰め、周囲にいる恋仲と思わしき人たちを見る。

 誰も彼もが世界で一番幸せであるのは自分たちであると、柔らかな態度や雰囲気で語っている。

 寒々とした夜空の下で、彩りのある街で、その隣にいる愛おしい人と共に歩いているのだろう。

 

「どいつもこいつも、幸せそうにしやがって……」

 

 それが何故か無性に気に入らなかった。

 隣で歩く少女、己の手を握る柔らかい手をしている友奈が苦しい思いをしているのに。

 世界の真実も何も知らず、与えられた平和をただ享受し、無知という幸せを抱く愚か者共よ。

 

 彼らにはわかるまい。その幸せを築く為にどれだけ多くの犠牲を――友奈を苦しめているのか。

 戦いは終わってなどいない。もしそんな事を言う人がいれば、それを俺は笑う。嗤ってやる。

 

 そんなわけがない。この世界は外に地獄がある限り、一部の者が戦わなければならない。

 かつて多くの勇者が死に、数百年経過してもなおその屍の上で、更に身体機能を捧げて戦った。

 その理は何一つ変わってなどいない。寧ろ更に状況は刻一刻と最悪の方向へと向かっている。

 

「――――」

 

「―――っ」

 

 そんなことを考えて、俺は思わず小さくため息を吐いた。

 霧のような薄く白い息は瞬く間に雪景色に消え、ゆっくりと友奈の手を引いて歩き出した。

 暗い考えだ。八つ当たりにも近い考えであると言っても良いだろうと自嘲気に頭を振ると、

 

「ねえ、亮ちゃん」

 

「ん……?」

 

「本当に風先輩の所に行かなくて良かったの?」

 

 ふとそんな事を友奈が口にして、俺は思わず視線を向けた。

 言葉を告げ震える桜色の唇、向ける瞳に様々な感情が過り、掴む手に先ほどよりも力が籠る。

 

 俺がその感情を読み取ろうと視線を向けるが、瞬きの後には何も感じ取れなかった。

 今更になって不安になったのだろうか、それともため息を勘違いでもされたのだろうかと苦笑しながら、手持ち無沙汰な左手で頭を掻いた。

 

「さっき連絡いれたのを見ただろ? それに友奈の方が大事だよ」

 

 情緒不安定気味なのだろうか、不安そうな顔をする友奈に対してそう口にした。

 その想いに嘘はなく、足を止めて真摯な意志で、正面から友奈を見て口にしようとして、

 

「――そっか、ありがとう。私も――」

 

「――――」

 

 熱の所為なのかうっすらと顔を赤くする友奈、幼さの残る顔よりも下に視線を動かした。

 前世から培ってきた直感が、勇者としての本能が、釘付けになる己の脳裏に警鐘を鳴らした。

 それ以前に警鐘を鳴らす鳴らさないに関わらず、ソレが危険である事を目で理解した。

 

 友奈とは自分の右手で手を繋ぎ合わせ、人通りの多い場所まで歩いてきた。

 そこまで強く握った訳ではなく、対照的に必死に掴む様に握る友奈との距離は近い。

 不安なのだろう。溺れた川でもがき苦しみ、助けのない中で唯一掴んだ藁という心象だろうか。

 紺色のコート越しではあるが、友奈の少しずつ成長している柔らかな感触が腕に伝わってくる。

 

「――――」

 

 問題はそこではない。

 先ほど友奈が向けていた視線、俺の左胸付近へ戸惑いの目を向けていたのを思い出す。

 ある種の含みを持って向ける視線、その些細な動きを逃す様な薄い関係ではないつもりだ。

 だから、人間が祟りを受けたのならば、恐らくだが左胸付近に何かが出現するのだと予想していた。

 

「太陽……」

 

「えっ……、―――っ!!」

 

 俺の視界に映るのは、友奈の左胸に浮かび上がっているように見える太陽の刻印であった。

 初めて見た『祟り』。その形状は何となく太陽の記号を模しており、呟くように口にした。

 悪寒が胸中を過る中で、ふと降り続いていた雪が止んでいることに気づいた。

 

 ――突如、轟音が世界に響いた。

 

 空を見上げ、音の方向に耳を傾け、それに俺は意識を奪われた。

 気のせいだろうか、気のせいであれと、呆然としそうになる感情が胸中を過るのを余所に、

 雪で冷め切っていた思考が冷静に、冷徹に、あれが何であるか、疑問の答えを模索する。

 

「へ」

 

 海岸の方向、その上空に膨れ上がる有り得ない光景と違和感があった。

 結界が壊されたのだろうか、空にパキリと皹が入り、やがて小さな穴が開いたように見えた。

 曇天の空模様、赤い光点、暗がりに歪に浮かぶ『ソレ』が、俺を捉えたように思えた。

 

 小さな穴、その先に広がる赤黒い光景は、見慣れた吐き気のする地獄であった。

 こちらに向ける殺意に、憎悪に呆然とすると、白い星々、その先にいる『ナニカ』と目が合った気がした。

 随分と遠くに見えるはずだというのに、不思議と俺にはその確信があった。

 

「あ」

 

 ――想像を絶するほど光輝く複数のビーム状の針が、こちらに放たれた。

 

 あれはサジタリウスの矢だろうか。

 迫る敵の一撃に対して、未だに樹海化は始まらない。端末から『警報』は鳴らない。

 神樹にその余裕が無いのだろうか。空を裂く轟きに周囲にいた人たちも悲鳴を上げず、呆然と見るだけだ。

 

「亮ちゃん!!」

 

 矢が迫る瞬間、隣で友奈が叫ぶのが分かった。

 飛来する矢が周囲の建物を砕き、破壊していき、凄まじい破壊の渦を展開していく。

 

 

 

 ---

 

 

 

 その瞬間、俺には友奈を抱きしめて回避することしか頭に無かった。余裕はない。

 10秒あれば勇者服に着替えて撃退することも出来ただろう。その10秒がとても遠い。

 光の矢の先端がこちら目掛けて飛来してくるのに対し、咄嗟に手をかざした。

 

「――――」

 

 その瞬間、意思を読み牛鬼と茨木童子が同時に出現し精霊バリアを展開、光矢の一撃を防いだ。

 恐らく精霊が一匹であったら防げなかったであろう、それを痛感させるような破壊音であった。

 だが他の人は精霊バリアなど持ってはいない。周りの建物は砕かれ衝撃波が広がる。

 

 意識が遠ざかりそうになるような凄まじい衝撃波が吹き荒れ、多くの人が叫び声を上げる。

 衝撃に音が遠くなり、血と瓦礫と人体であった何かが舞い散る中で、建物が崩壊する音が聞こえた。亀裂が奔り床や天井、壁が崩れていくことで多くの人が恐怖に悲鳴を上げた。

 

「な―――、ん」

 

 未だに樹海化が始まらないのは何故なのだろうか。

 そう思っている矢先、外側から破壊された結界の修復が始まり、凄まじい速さで穴が消えていく。

 かつて、東郷美森が瀬戸内海にある壁を攻撃して穴を開けた事があったが、天に開いた穴はあれほど大きくはない。

 樹海化して対応するよりも、堅いはずの結界の穴の修復にリソースを回したのだろう。

 

「――くそ」

 

 たったの一撃、それでこの様である。

 油断した。油断してしまった。慢心してたつもりはないが、足りなかった。

 

 敵は神であり、決して舐めていたつもりはない。なかったはずなのだ。

 だが現実は泣く友奈を抱きしめて、彼女の勇者になると誓いを立てて、この様である。

 周囲には血の匂いが漂い、多くの人が世界を呪うような呻き声と泣き声を響かせている。

 

 咄嗟に友奈を庇い、その上で精霊バリアを展開し直撃だけは避けたが、それだけだ。

 その後の衝撃に多少巻き込まれた体のあちこちに痛みが奔り、血が滲んでいる。

 先程の衝撃の中でなんとか少女の体を庇ったが、気絶したのか友奈の意識は薄い。

 

「―――うぅっ」

 

「たくっ……痛いな、まったく……痛い……」

 

 喉で呻き声をこぼしながら、俺はぐったりと意識のない友奈を背負った。

 この原因を作ったのはいったい誰だ。目の前で悲しむ少女を救ったと思い上がった自分だ。

 その場だけ救おうとして湧き上がる感情に従った結果、この地獄の光景を作り出した。

 

 俺の周囲で先程の神の一撃とでも呼ぶべきか、降り注いだ矢によって火の手が上がる。

 理不尽とも、不条理であるとも言えるソレは『神』の名前を持つに相応しい攻撃であった。

 先程の攻撃だけで終わったのか、曇天に開いた穴が瞬く間に塞がった後は何か来る気配はない。

 

「終わったか……?」

 

 あの一撃で十分だと思ったのか。ひとまず凌いだと思って良いのだろうと、そう思って――

 

『半身』

 

「今忙しいんだ、後にしろ」

 

 ――思考を遮るように、唐突に背後から囁くような声が聞こえた。

 見知った声に、その柔らかで艶のある声音の人物に、俺は苛立ちと共に返答した。

 

『唐突なんだが、少し聞いてくれるかい? 大事な話だ』

 

「――? 手短にな」

 

 傍から見ると一人で会話している頭の可笑しい人だが、周りも呻き叫んでいる。

 通報があったのか、遠くから救急車のサイレンの音が響くように聞こえる。

 友奈を背負い、引き摺る右足は先程の攻撃で裂傷により血が流れ出し、まだ止まらない。

 止血の必要性があったが、まずは現場を離れ、二次被害を防ぐ必要があった。

 

『以前、契約するにあたって3つボクの望みを叶えるって誓っただろ? アレ、今すぐ叶えて欲しいのだが』

 

「今かよ!? 状況分かってんのか、軽く棺に片足突っ込んでいるんだけども!!」

 

『いや、今のキミでも出来る簡単な事だ。端的に言えば――』

 

 苛立ちに叫ぶ俺の声に対して、揶揄するかのように飄々とした態度で告げる初代。

 遠くから爆発音が聞こえ、どこかで建物の崩壊する音が聞こえる中で、それらの音を無視して冷静に語る初代の声に俺は耳を傾けた。傾けてしまった。

 

『――今すぐ、死んでほしい』

 

 何てことないように、当たり前のように、声音を変えず、初代は対価を要求した。

 唐突な対価に数秒だけ本当に俺は呆然として、脳裏が一瞬驚愕のみに染め上げられた。

 

「うっ………あれ……?」

 

「――――」

 

 気絶していた友奈が俺の背中で呻き声と共に覚醒を果たしたらしいが、無事を喜ぶ場合ではない。

 初代のつまらない『冗談』を無視して、背後にいる友奈に声を掛けようと振り向き――、

 彼女の左胸で蠢いている太陽の刻印と、猛スピードで走り来る大型のトラックを目にした。

 

「亮ちゃん?」

 

「―――に」

 

 にげろと言っている場合ではない。混乱する思考の中で必死に逃げ道を模索する。

 友奈の背後、あと数秒しない内に確実に速度を上げて大型トラックが走り衝突するだろう。

 轟とエンジンを唸らせ、何かしらの意志を感じるトラックは白い地面に跡を作り迫り来る。

 

 明らかに速度がおかしい。

 それに生きていた他の人々も気づいたのか逃げようとする中で、俺も射線から外れるべく走った。

 走ろうとしたが異常に体が重く、また身体中が軋み痛みを上げ、転びそうになった。

 

「――――ぐっ!!」

 

 無理だ。このボロボロの体では間違いなく友奈ごと一緒に轢かれてしまう。

 回避など無理だ。思考が加速し、スローとなる視界の中で友奈を背中から下ろし、抱きしめる。

 状況を判断できず、ただ戸惑いと不安に目を潤ませる友奈の頭を抱きしめ横へ飛ぼうと―――

 

 

 

 ---

 

 

 

 衝撃。

 爆音。

 悲鳴。

 

 固い地べたの感触を顔面に感じながら、俺は地面に転がっているのを自覚した。

 誰かの叫びが、悲痛に溢れた叫びが、友奈の声が近くから聞こえ、ゆっくりと瞼を上げた。

 自分を見下ろす曇天の空から暖かな雨粒が頬へと流れ、それが友奈の流す涙だと気づいた。

 

「亮ちゃん、亮ちゃん……!!」

 

「―――ぁ」

 

 口を開くとゴボゴボと大量の血がこぼれ落ちる。どれだけ気絶していたのだろう。

 無事だと、大丈夫だと告げようと体を起こそうとしても、立ち上がるための手足は動かない。

 灼熱に体を焼かれ、痛む体は軋むどころかピクリともせず、断続的な痛みに眉を顰める。

 

「待ってよ、どうして……、私を……」

 

「――――」

 

 緩々と首を振り、所々血で汚れた制服姿の友奈の姿を視界に収めると胸が痛む。

 何か圧迫感を感じ視線を向けると、友奈が必死に己のコートを俺の胸に押し付けていた。

 支離滅裂な言葉を語り、錯乱しかけのその姿は、多少の擦り傷はあっても大事には至ってない。

 だがその眦から際限なく頬を伝い、俺の頬に涙を落とし叫ぶ姿は、安堵と同時に後悔した。

 

 『どうして』とは、何のことだろうか。

 『どうして』こんな事になってしまったのか、だろうか。

 『どうして』友奈を助けたのか、だろうか。

 

「あ、あぁ―――」

 

 その薄紅の瞳を見ていると、ふと思い出す事があった。

 かつて、生前の幕を下ろす時に助けた、名前も知らない少女の瞳と似た色をしていた。

 随分と前の転機を、あれこそ運命の分岐路と呼べる出来事を、死の間際に思い出していた。

 

 改めて周りを見渡し、再度降り出す白い雪、地面を飾る雪を冷えた紅が染めていく。

 嗅覚がむせ返るような血の匂いと、炎の匂いと、焼け焦げた肉の匂いを拾っていく。

 首を振り、必死に出血を抑えている友奈の両手とコートが赤く染まり、申し訳なく思う。

 

 死。

 

 かつて、一度だけ味わったことがある死が迫りつつあるのが分かった。

 『死』という味は冷たい血と鉄であるというのは、きっと誰も知らないだろう。

 きっとこの世界で俺が、俺だけが知っている『死』の冷たい感触が体に触れてくる。

 その恐ろしくもありどこか懐かしさすら感じる感覚は、死にゆく者にしか分からないだろう。

 

「――ゆ……な」

 

「亮ちゃん!」

 

 目の前の少女を泣かせた後悔と、無力さへの憎しみと、敗北の屈辱と、未練が浸食してくる。

 痛みも熱さも遠くなりつつ、冷たさが襲い来る中で何かを言うべく口を開いた。

 だけども悲しいかな、あまり多くのことを告げる時間は無いだろう。だから――

 

「――好きだよ」

 

 万感の想いを籠めて、息を抜くように、俺は友奈へと微笑んだ。

 それを最後に、俺の意識は闇へと沈み込んだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 涙をこぼし続け、少年を抱き叫ぶ少女の周りには無数の屍や瓦礫が転がっている。

 少年が息を抜くように告げた言葉を最後に、赤毛の少女が抱えた体に重さが増した。

 それを確認し、慟哭を上げ続ける少女の胸で蠢いていた刻印は、ゆっくりとその動きを止めた。

 

 救急車の音が近づく中、少年の体は動かない。

 血に塗れ、首から垂れ下げるチェーンに掛かる蒼い指輪は少年の血に浸されている。

 

『――――』

 

 そして。

 少年の肉体に隠れるようにアスファルトから芽を出し、急速な勢いで生えた小さな樹木の根が少年の体に突き刺さったことは、この世界の誰も、天の神ですら知らない。

 

 

 




【第六幕】 勇者の章-完-

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