6歳になった。
今年の4月から俺は小学生になる。
場所は神樹館小学校という。
大赦の高い家柄の、つまるところお坊ちゃんやご令嬢が行く学校だ。
いい子ちゃんぞろいと聞くが、園子のような子もいれば世界は平和なのは間違いないだろう。
その代わりに世界がカオスになりそうだが。
「いままでお世話になりました。安芸先生」
「こちらこそ、色々学ぶことができとても充実していた日々でした。これからも頑張ってくださいね、加賀君」
「はい!」
小学生になるということは、小学校入学までが契約だった安芸先生とのお別れを意味した。
あまり勉強以外での思い出を築く事は出来なかったが、それでも安芸先生のスパルタ指導は、この3年で培った経験は、きちんと頭の中に入っている。
「じゃあ先生、最後にハグしましょ」
「なんですか、それは? 一体どこの文脈から、じゃあが……」
「先生、安芸せーんせい!」
「はい?」
「―――寂しいです」
「―――まったく……」
先生は呆れた様子だったが、なんだかんだで俺を抱きしめてくれた。
本当に先生には助けられた。
知識は力なり。
俺が自分から何もしなければ、小学校に入るまで何も学ばず、のほほんと暮らすだけだったろう。
既に小学校の勉強は6歳前の時には完了してしまった。今は中学2~3年生の勉強をしている。
どのみち受験とかもあるだろう。何があるか分からない。勉強は頭に入るうちにしなければ。
安芸先生は教職への道を進んでいるらしく、
「無事教師になれたら、また学校で会えるかもしれませんね」と言っていた。
「―――先生、ピーマンもちゃーんと、食べてくださいね?」
「……ええ、頑張ります」
ありがとう、安芸先生。
そっと俺は彼女の体に顔を押し当てた。
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6歳になると同時に、俺は母さんからあるモノを受け取った。
指輪だ。黒曜石とシルバーの装飾が施されたリングで中心の台座には小さな蒼色の石。
宝石には詳しくないが、青い石の中には黒い花の模様が刻まれていた。
「これを、亮にあげるわ。それは亮が正式な加賀家の血を引いていることを証明する指輪」
「……はぁ」
「いついかなる時も決して、それを手放してはいけないからね」
綾香は珍しく真面目な顔でそう言った。
加賀家の後継者はみんなその指輪を引き継いできたらしい。
「―――分かりました。この指輪は肌身離さず着けますね」
「ええ、そうよ。いい子ね、亮」
なんでもいいが、いちいち俺に抱き着くなよ。美人だから許すが。
指輪はひとまず母さんの用意したチェーンに通して、自らの首に掛ける事になった。
首に巻き、僅かに肌を通じて指輪に熱を感じた。
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「お、懐かしいなそれ」
「父さんも着けていたんですか?」
「ああ、お父さんも若い頃着けていた。なんでも加賀家から輩出した初代勇者の遺品だとよ」
「へぇー」
嘘くさい。
宗一朗と近接格闘術の稽古を終え、一休みしている間、
首に着けている指輪に目敏く気づいた宗一朗が話しかけてきた。
この指輪は加賀家の家訓として後継者への着用が義務付けられるらしい。
正直、勇者がどうこう言われてもよく分からない。
普通勇者がいるなら魔王もいると思うのだが、壁の向こうにいるのだろうか。
「父さんも首にこうやって巻いていたんですね」
「そうそう、学校で見つかると面倒だからな」
ハッハッハと笑って水を宗一朗が飲み、俺に渡してくる。
投げ渡された水筒を受け取り、中の液体を飲む。
冷たく、氷の入った水は、火照る体に心地よかった。
「それにしても、お前が学校か。時間が経つのは早いな。昔は体が弱いと思っていたのにな」
「体が弱いと思っていたんですか」
意外な事実である。
宗一朗が告げる。
「亮はさ、5歳までランニングする時以外は全然家から出ないし本ばかり読んでいただろ。
今では園子ちゃんとこにちょくちょく出かけるようになったけど」
「そういえばそうでしたね」
いつの間にか、対人恐怖症を克服したのかもしれない。
これは園子に足を向けて寝られないな。
「俺がお前くらいの時はな……女のスカートを捲って回っていた悪ガキだったんだぜ?」
「ほう……スカート捲りですか」
こいつ今さらっと自分のこと悪ガキっていったぞ。
まぁ小学校ってそういう輩しかいなかったのをなんとなくだが覚えている。
意味の分からない下ネタを発して爆笑。
「まぁ、元気になってよかったがな……」
「お父さんの息子は、愛嬌があっていつでも元気な子ですよ〜」
俺は変顔をした。宗一朗は苦笑した。
「そういう所は心配だがな。だが、もうすぐ学校だ。今までとは比べ物にならないくらい多くの経験をするだろうな」
「……そうかもしれませんね」
「そうなるさ」
宗一朗は立ち上がってニヤッと不敵に笑う。俺はその笑みが好きだった。
稽古をしている時の宗一朗の最も尊敬できる真面目な顔と同等で好きだった。
「とにかく、勉強もいいが友達も作れよ。お父さんなんかモテモテで酷かったんだぞ」
「―――ほう」
確かに宗一朗はモテる。マジでゲロまずにモテる。
遊びに行く時、偶に家にくる謎の美女を自分の息子に会わせて「昔の女さ」とかっこつける。
女たちも満更じゃない顔をして、そのたびに宗一朗は綾香に折檻された。
因みに宗一朗の髪がどうして白いのか聞いたことがある。
宗一朗は「女の修羅場に巻き込まれたのさ」と言っていたが、六股かけてやられてしまったらしい。
何をされて白髪になったかは聞かないでおいた。
綾香に聞くと、目が笑ってない笑みを浮かべ、そっと俺の首に手を掛け、
『――亮は、そんなことしないよね?』
と聞いてくる。
どんな事? と聞く余裕は母さんの真っ黒い目を前に消え去ったが、そこには深淵があった。
それはさておき、
「ではまず、可愛い子を探しますよ。ついスカートを捲りたくなるような」
「うむ、流石俺の息子」
「まあね」
グハハハハ、とおよそ魔王が上げるような笑い声で俺たちは笑い合った。
女性が見聞きしたらドン引きの光景なのは間違いないだろう。
「それと亮、これでひとまず近接格闘術のすべてを叩き込んだつもりだ」
「はい」
「これからは学校で忙しくなるが、暇を見て精進するように」
「分かりました!」
こうして俺は、加賀家近接格闘術の免許を皆伝した。
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「―――で、あるからにして」
欠伸をする。
どうしてどこの世界も共通して、校長というのは話をしたがるのだろう。
見ろ。もう寝てるやつがいるぞ、鼻提灯をだして寝てるぞ。
園子だった。
「―――で、あるからにして」
あの夏の日以降、度々俺は乃木家に訪れる機会があった。
園子の友達という事と、両親公認で顔パスで入ることができるようになった。
「―――で、あるからにして」
たまに園子が俺の家に遊びにくることもあった。
コロコロと笑って、家の食卓を和ませてくれた。
「――で、あるからにして」
ただ、一度だけ事件が起きたことがある。
ある日、目が覚めたら知らない天井が見えた。流石にビックリした。
ここはどこ? 私は誰? 「知らない天井だ」を思わず呟いた。
横を見ると、園子が寝ていた。
どうも、どうしても俺に来てほしく夜中に拉致してきたらしい。
乃木家の権力すげー、全く気配を感じなかったのですけど。
流石にちょっと叱って、必要なら呼んだら飛んで行くからと言った。
それ以降は反省したらしく、拉致されることは無くなった。
「――――以上で終わります」
終わったか。礼をして教室に引き返す。
ちなみに、朝目が覚めるとたまに園子が俺の隣で寝ているようになった。
それはそれでビックリだが。
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そんな訳で入学式も終わり、晴れて俺は小学生。
学校と言ってもやることは前世とそう変わらない。
朝、登校して着席。1、2、3、4限は授業。
ただ、授業の終了時に神樹様を祀っているという教室の隅っこにある小型の神棚に体を向け、日直の号令に合わせ手を合わせる。日々生きていることに感謝をするために。
「神樹様に、拝」
4限が終わると御飯を食べて5、6限が始まるのだが、俺たちは1年生なので免除だ。
因みに昼は弁当だった。給食がなかったことが残念だった。
俺の場合は、大体することもないのでちゃっちゃと帰宅する。
家に帰り、手品の練習、時々園子がくるので披露する。
「えっ、今どうやって壺を消したの?」
「イッツ、カガワ☆イリュージョン!!」
「キャガワァァァ!!」
HEY! HEY! YO! HOOOO!!
ハイテンションの園子の掌を叩く。宗一朗のコレクションの一つを消し去ったのはご愛敬だ。
俺の手品にはいつの間にか、見る者のテンションを上げる力が宿ったらしい。
そろそろ一歩先に進化するときが来たのかもしれない。
加賀亮之佑は、手品師になった。
「チャララッタ、ラッターン!」
「かっきー。どうしたの? 大丈夫?」
「――なんでもない」
あとはたまにだが、土日に一緒に街中の大型ショッピングモール――『イネス』に行ったりする。
流石に親同伴だが、一緒にアイスを食べたり歩きまわったりした。
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秋になった。
そんな感じで俺たちは小学生低学年の時を過ごしていた。
園子の居眠りを起こしたり、くすぐったり、
べったりしている内に、なぜかお付きの者扱いの噂が流れた時はイラッとした。
残念なことに、小学生の諸君とは話が通じなかった。
できるだけ優しく喋ったつもりだが、いつも園子と一緒に遠巻きに見られるだけだった。
あの幼児化した眼鏡の餓鬼はこんな気分だったのだろうか。
暇になるのはたまに園子が御役目で休む時ぐらいだった。
なんでも神樹様に関することらしいが口外は禁止らしい。
ところで、俺にも、というか俺の所属するクラスで、なぜか大赦による調査が行われた。
簡単な採血検査やアンケートだとは言うが、どうも怪しい。
健康診断は大体4月に行われてきた。だというのに、今は秋。うどんがおいしい季節だ。
子供の俺には抵抗しようにもどうもできない。御役目のためと言われると即座に行うものばかりだ。俺も結局、赤い血が抜かれるのを指をくわえて見ているだけだった。
別に変なことはしてないが、あいつらなんで仮面しているの? 何あの装束。
よく分からない職場だが、正直関わり合いになりたくはない。
ああいうのは狂人の部類だ。関わると碌なことにはならないし巻き込まれるだろう。
だがあの仮面は何だ。ださい。俺ならもっとかっこよくだなぁ。
ふと俺は思った。
俺の父さん、宗一朗もあんなコスプレしているのだろうか。
「嫌だなぁ」
コスプレ制服は微妙だ。
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それにしても、暇だった。
「―――――」
少しずつ停滞し始める怠惰な日常を、俺は享受し始めていた。
手品師(壺を消すことができる)