変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第六十九話 あの日の続きを」

 常闇の草原。消えぬ満月が桜の大樹を見下ろす。

 世界の中心である小高い丘にその少女はいる。

 喉の渇きを潤すために白いカップを傾ける黒服を着た紅目の少女は、何よりも優美で、優雅だ。

 白い椅子に腰を掛けつつ、時折空から舞い落ちる桜の花弁を自らの手のひらに載せながら、

 

「キミの父親が作ったアプリは、本来ならばキミが勇者となる上で、少しでも神樹との融和性を図る為に作った物らしいね。勇者が選ばれる基準として無垢な少女である必要があるが、キミはやはり少年なんだ。その前提を崩したいなら、巫女を使ってより強く主張しなければ無理だろう。それこそ奉火祭のような……。だからそのアプリは無駄でしかない」

 

 温かな茶の味を舌で感じながら、少女はゆっくりと大きな目を細めた。

 向ける視線の先、白く丸いテーブルを挟み、座っている少年に静かに語りかける。

 

「だが、それによって神樹とのパスを繋ぐことが出来た。これは意味のあることだろう」

 

「――――」

 

「“彼”がここに逃げることが出来た。その手段があったのは素直に宗一朗の成果だろうね……」

 

 語りかける先、少し癖のある黒髪の少年は答えない。答えられない。

 白い椅子に体を預け、夜風が優しく前髪をくすぐる様に揺らしたが、一切起きる気配はない。

 目の前に置かれている白いカップから香ばしい湯気が立ち昇るが、取ることはない。

 

 僅かに俯くような姿勢で少年は両手を重ねて椅子に座り、死んだように眠っていた。

 昏色の瞳を覗かせることはなく、ただ無言でその瞼を下ろしたまま、人形のようにそこに座る。

 少女の言葉に返事どころか一切の反応すら見せない、いっそ死んでいるような少年を見ながら、

 

「……順調なようだ。キミの叫びに、助けに応えたのはキミ自身らしいね」

 

「――――」

 

 肩を竦め、再びカップを傾けて、少女は自身の舌を潤す。

 目の前にいる少年、先程まで現実にいた『加賀亮之佑』の魂はこの世界に凍結された。

 死んではいない。ただ意識はなく夢を見ることもなく、ただ昏々と眠り続けているのだ。

 

「それなりに使いこなせているのか……。まあ当然か」

 

 指輪を通じて、眠れる少年に代わり、現在戦っている亮之佑の因子を通じて世界を知る。

 銃火器を扱う動作や仕草を通じてどの程度の習熟度かを見ていき、恍惚とした息を吐いた。

 

 現実世界で、彼の精神体が来た理屈に関しては、簡単に言えば以下の理屈になる。

 アプリ『Y.H.O.C.』によって神樹とのパスを繋ぎ、魂の到着地点を指輪に設定したのだ。

 神樹経由で精神を過去に送る為、タイムリープの様にも思えるが、この手段は問題しかない。

 

 まず、加賀亮之佑の魂が2つ同じ時間に存在するという事になり、世界に矛盾が生じる。

 だからこそ、この指輪の世界に急遽、『神世紀298年』の加賀亮之佑の魂を凍結、移動させた。

 

 同時に、アプリを通じて送られてきた未来の亮之佑の魂を召喚させるという物だが、リスクが高く、また同じ人物とはいえ肉体へかかる負荷は非常に高いだろう。精霊の守護に関係なく、何かしら体にダメージが入るかもしれない。いや既にダメージは生じ始めているだろうと初代は推測した。

 

「だからこそ、チャンスは一度きり……」

 

 強引とも取れる手段は何者かによって為されたのだろうが、次に行えば肉体が耐えられない。

 故に、この疑似タイムリープとも言える精神移動は、たとえ神の奇跡であっても一回が限度。

 

「貴方にチャンスをもう一度、ね」

 

 恐らく未来で『何か』が起き、神樹が何らかの事情によって、魂を移動させたのだろう。

 今日と同じような、それ以上の苦難の時が、理不尽な運命が、少年に降りかかったのだろう。

 それが具体的には何かまでは初代には判らない。ある程度の予想は出来るが――、

 

「まあ、キミなら大丈夫だろう。何せボクの半身なのだからね。死なない限りは力を貸し、命を張り続ける限りは知恵を吐き出そう。キミがボクとの契約を続ける限りね」

 

「――――」

 

 あらゆる可能性を考えて、枝分かれする『分岐路』のどれが“あの”少年に至らせたのか。

 その道を想像すると非常に楽しみであって、忽然と吐息を溢しながら舌先を茶で潤す。

 どれもが可能性を持ちながら、そのどれもが結局は想像の域を出ない。だから楽しみだ。

 

「――本当に、キミは素敵だよ。半身」

 

 桜の花弁がふと少年の黒髪に一枚落ちた。

 そっと手を伸ばし、ゆっくりとソレを細い指で摘まみながら王は笑った。

 

 ――クツクツ、クツクツ

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 地獄の中を、赤黒い世界という絵の中に華を咲かせるような爆炎と、少し遅れて爆音が響く。

 無限に広がり続けていると思わせる、時折轟という音と共に火炎が散るのを尻目に飛び続ける。

 跳躍ではない、満開時にのみ得られる飛翔能力は、慣れるまでは常に内臓の浮遊感が最悪だった。

 

「オオッ―――!!」

 

 雨の代わりに星屑が降り注ぎ、対抗するように軽機関銃を振り回すように回転しながら撃つ。

 火薬と硝煙の匂い、肩から骨を伝い全身に広がる振動を頼もしく感じながら銃口を向ける。

 重厚な音が形作る鉛と紅色をした雨音を、否定するように轟音に紛れて鳴き声が聞こえる。

 

 キチキチ、キチキチと鋸のような刃筋の大きい歯を鳴らし合わせ、獲物を威嚇し近づいてくる。

 星屑は人間を、勇者を殺すべく、隣の同胞が文字通り粉砕されようともこちらに飛翔する。

 破綻した化け物は牙と牙を噛み合わせ、銃弾の雨の中を掻い潜りつつ近づいてくる。

 

「――?」

 

 数匹の星屑を生み出した剣で水平に斬ると、僅かな抵抗を感じつつも切り裂いた。

 手のひらに感じる重厚な振動と星屑を切り裂いた時の感覚に僅かな違和感を覚える。

 数十分前に感じていた本来の肉体と比べ、己の体であれども2年前の体は少し動かし難い。

 それでも、残っている数匹のバーテックスへと接近するべく黒衣を翻し――

 

「―――ぉ、落ちっ……!?」

 

 直後、満開システムが終了し、地面に向けて羽をもがれた鳥のように僅かな浮遊感の後、落ちた。

 重力に引かれて、喉を灼熱に焼かれる感覚と共に樹海の根へと浮遊感を伴い俺は落ちていく。

 このまま地面に落ちても、恐らく死ぬことはないだろう。だがそれだけ。

 

 恐らく一度でも意識を失えば、次に目覚めるのは少なくともこの場所ではない。

 病院で目覚めるという意味ならば正しいだろうが、“この時代の”病室という意味ではない。

 時間が経過する程に感じる肉体の至る所に奔る僅かな痛みが、直感で感じさせるのだ。

 

 そして何よりも、再び紫の光を放ち、理不尽に抗い幾度と戦う少女に対して申し訳が立たない。

 敵は数百の星屑と不出来な黄道十二星座だ。星座の方は、園子が既に何体かを撃退している。

 だが、やはりその代償は決して軽くはない。既にこの短時間の間に数回は散華しているのだ。

 

 息を吐き、バリアごと噛み砕こうとする星屑を、真上から踵を打ち落として胴体を踏み潰す。

 風船を指で押したような感触と弾けるような音と共に地面に蹴落とし、落下速度を遅らせる。

 だが、同時に背中に無視できない爆撃を浴びて、今度は真横に水平に飛ぶように吹き飛ばされる。

 

「――――あ、―――ぎぐっ!!!」

 

 乙女座だ。本来の色は何一つなく、太陽に炙られたように全身に熱が奔っている。

 それでもなお、不条理に抗う者を嗤い殺すべく、腹の様な部分を膨らませ爆弾を吐き出す。

 

「――――」

 

 爆炎と熱を黄金色のバリアが防ぐのを感じながら、衝撃に奥歯を噛みしめる。

 血の味を噛みしめて、屈辱と湧き出す復讐の想いを噛みしめて、俺は再度決断を下す。

 満開の持続時間も、その攻撃力も明らかに以前の物とは違っている。だがそれだけだ。

 

「――満開」

 

 覚悟なら既にできている。後悔も不安も、過去に置いてきた。

 体中から、細胞の全てが熱を発するような感覚と共に、紫黒色の花が咲き誇る。

 

 その光を煙たがるように、羽虫を叩かんとするように、乙女座は首らしき部分に巻かれたスカーフを伸ばしこちらを薙ぎ払おうとするのを、再度飛翔しギリギリで回避する。

 殺意を帯びた風が頬を撫でるのを感じながら、乙女座の頭部分に生み出した砲筒を向ける。

 

 何十発もいらない。乙女座程度と侮る訳ではないが、RPGの砲弾を至近距離で浴びせるのだ。

 満開の持続時間は少ない分、節約しつつ、だが強力無慈悲な一撃をお見舞いしてやるのだ。

 空中で放ち体に伝わる衝撃に奥歯を噛みしめながら、放たれた金色の砲弾は標的を狙い、

 

「――はっ」

 

 ドゴッ!! と重さのある衝撃音が響く。満開状態での一撃は容易に乙女座の頭部分を穿つ。

 回転しながら放たれた頼もしき人類の叡智の結晶は、中の御霊ごと星座を撃ち砕き、爆散させた。

 数体の星屑を巻き込み、砂状へと体を変化させ崩壊していく様に嘲笑を浴びせながら、

 

「―――獅子座ぁ……」

 

 乙女座の爆弾よりも大きい、いっそ太陽を思わせる一撃を、咄嗟に上昇して回避する。

 だが、多面的な状況――つまり空中戦自体はあまり経験がない為か、僅かに右腕に被弾する。

 もしも東郷や園子のような満開――戦艦タイプならば、直接対峙か被弾の二択しかなかっただろう。

 

 この時には既に俺は、3回の満開をしていた。

 バーテックスを撃退し、力尽きて他のバーテックスや星屑になぶられ攻撃される。

 中空で漂いながら、時折星屑を踏み台にしながら、落下だけは避けながら満開する繰り返し。

 ここまでの散華はやはり体のどこにも異変はなかった。ならば問題はないだろう。

 

 そうして戦っている間、園子も更に何回かの満開をしていた。

 一人だったら更に時間が掛かっていただろうか。独りで戦っていたならばきっとそうだろう。

 戦闘の最中に、幾度園子に話しかけたいと思っただろうか、分からない。

 

「あと、お前だけ、なんだよ……」

 

 恐らく、いや間違いなく園子はこちらに気づいている。気づかない訳がない。

 それでも戦闘の最中だから、目の前の敵に集中して、堅実に着実に対処していたのだ。

 だから無駄なく十一体の星座の怪物たちと、散華をしながら戦ってこられたのだ。

 

 星屑を蹴り飛ばし、樹海の壁を背後に置く獅子座へと近付こうとするが僅かに距離がある。

 その上で、射線上に神樹を狙うようにしつつ、太陽の如き球体を獅子座は既に構築していた。

 

「――――」

 

 回避は出来ない。してもいいが、確率的に神樹が破壊されてしまえば文字通りに世界は終わる。

 だが迎撃しようにも、軽機関銃やRPGの砲弾程度では間違いなく焼け石に水でしかない。

 最悪、剣で特攻すればなんとかなるかもしれないが、意識を奪われるのはまずい。

 

「――かっきー」

 

 僅かに逡巡していた俺、その背に他のバーテックスを撃退した園子の声が掛けられた。

 叫んでいるわけでもないのに、静かなその声は5メートルほど離れた俺の耳に明瞭に届いた。

 振り返ると、片目の光を失くした、それでも美しい琥珀色の瞳が映りこんだ。

 

「あれは私がなんとかするから。かっきーが」

 

 ――とどめをさして。

 灼熱の太陽が構築され、陽光に照らし出された美貌はかつてないほど剣呑な表情を湛えていた。

 なぜ自分が戦えているのか、そんな疑問を浮かべてもいいはずなのに、彼女は戸惑わなかった。

 冷静に、懸命に、静粛に、ただこの戦場で勝利に向けて思考を加速させていた。

 

「――わかった」

 

 背後で戦艦に乗り、冷徹な光を宿らせる槍使いの双眸に一瞬だけ視線を送り、一言だけ返した。

 お互いに喋りたい事はきっと多くある。語り尽くせばきっと日がまた昇るだろう。

 だが今は、目の前の敵にのみ思考を傾ける。絶対に勝たなければならないと、再度集中する。

 

 瞬間、チャージが完了したのか、獅子座から太陽が放たれた。

 この攻撃を乗り切れば、獅子座は致命的といってもいい隙を曝け出す。

 それは数秒にも満たない、次のチャージの間のみなのだが、それでも十分である。

 

「ハ、アアアァァアアアアアッ!」

 

 勝利をもぎ取るため、園子は鋭い気合いとともに戦艦から紫色のビームを放った。

 複数のビームを収束させ、一直線に迫る太陽の塊と衝突、同時に衝撃波が生じる。

 瞬間、俺はその衝突の下から掻い潜るように、コートをはためかせて加速した。

 

 衝撃波が僅かに体を叩く中、己の身を守るべく茨木童子が追随する。

 黒衣から金粉をこぼれさせながら、周囲の星屑を無視しつつ左手に愛剣を出現させる。

 通常の遠距離攻撃ではなく、この時剣の方に頼ったのは、ただの直感でしかない。

 

 砲弾を複数ぶつけるよりも確実に敵を斬り裂けると確信していたわけではない。

 しかしこの時だけは、俺はこの一刀に、手のひらの中の剣にすべてを賭けることにしていた。

 

「オオオオッ!!」

 

 “園子に”任されたのだ。ならば俺は、全身全霊を賭けて確実に敵を排除しなければならない。

 そういう思いで腹の底から雄叫びを迸らせ、愛剣を捻りながら突き上げる。

 剣尖から鮮紅色の光束が幾つも迸り、その光を黒剣が呑み込んでいく。

 

 背後に下がろうとする獅子座。ここは反撃を恐れずに渾身の一撃を叩き込み、意思を示すのだ。

 星屑の追撃を振り切り、隙を曝け出した獅子座の御霊部分目掛けて左手の剣を解き放つ。

 

 『獅子座』の名を冠するバーテックスは巨大で、接近すればする程自分がどれほど小さいか分かる。

 加えてその装甲は完成したばかりなのか、全身に熱を帯びさせ近づけば火傷をしかねない。

 だが関係ない。どれだけ巨大であっても、どれだけ強くても、立ちはだかる壁は破壊する。

 

 そんな思いを左手に乗せて、俺は剣を突き刺す。

 装甲を一瞬だけ掠めて小さな火花を散らした剣は、僅かな抵抗感を切り裂き、潜り込み――

 中の御霊を貫き、左の手のひらから頭の芯まで伝播する、重厚な音を周囲に鳴り響かせた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 冷たい夜風が肌を撫でつけ、その風に煽られたように獅子座が砂状に変わっていった。

 同時に獅子座の中心に右手を押し当て、俺は黒剣を引き抜いた。

 

 崩れ落ちていくバーテックス、その残骸から七色の光が空へと舞い上がっていく。

 その様子を見ながら、他の星座が残っていないかを確認しつつ、冷たい空気で肺を膨らませた。

 まだ満開の時間が微妙に残っている為か、黒衣が翼のように浮遊感を作り、空を漂っていると、

 

「―――ぁ」

 

「…………」

 

 ふとこちらを見る視線を感じ、その方向を俺は見た。

 根で構成された壁の上、外の世界と内の世界の狭間に位置するように、その存在はいた。

 星屑を捏ね合わせたような、白い粘土の塊を思わせる造形は何者であるか、正体は掴め―――

 

「オフューカス……」

 

 端末で見れば、おそらく『???』といったマークがつくだろう。

 まだ完成すらしていない、黄道十二星座に後に加えられるであろう新たな星座の原型がいた。

 他のバーテックスのように敵対の意思を示すわけではなく、ただこちらを観察していた。

 

 目のような器官が表面にあるわけではないが、なんとなくそういう行動をしていると思った。

 こちらが数百年の時間を掛けて成長しているように、あちらもまた学習しているのだ。

 着実に、堅実に、勤勉に、勇者の力を確かめて、次は確実にこちらを倒し殺すために。

 

「――――」

 

 その結果を知っている。実際に蛇遣座の攻撃が一番、どのバーテックスよりも被害を出した。

 知っているとも。勇者の大半が意識を持っていかれ、指示に従う星屑は揃って樹海を破壊した。

 だから、こちらに背を向けて立ち去ろうとする、その歪な塊を追うかを考えて……やめた。

 

 どのみち、あの個体を倒しても、もう意味はないだろう。

 既にあちらも望みのデータは手に入れて、二年後に記憶にある形に造られるのは変わらない。

 そうしてその個体が結界の外に姿を眩ませた瞬間、神樹は敵が去ったと判断したのだろう。

 

 世界に白い閃光が奔り、樹海は元の世界へと再変換されていく。

 この戦いを乗り切ったことで、何かが変わったのかは分からない。

 可能な限り、園子に負担を負わせないように戦ってきたつもりではあったが――

 

「――あ……」

 

 ふと思考を遮るように、小さく可憐な声音が俺の耳に届いた。

 慌てて声の方向に目を向けると、満開の時間が終了したのか、少女の戦艦が光に解けていた。

 金色の長い髪をポニーテールにしている少女、紫の装束を纏った園子が地面に落下していく。

 

「おっと」

 

「わわっ……!!」

 

 それを阻止するべく、なんとか飛翔し、落下する園子を抱きとめることに成功した。

 そのまま慣性に従って、破壊された大橋、その残骸付近の座れる場所へと俺は向かった。

 この肉体で、両腕を使って抱き上げた園子の身体は、随分と軽いなと俺は思った。

 

「……」

 

「……」

 

 この時、正直に言えば俺は少し気まずかった。

 この夢というか、現実のような世界では、敵を排除するのが何かの目的だと思っていた。

 だから、バーテックスを排除すれば自然と何かが終わると思っていたが、現実はそうではない。

 

 直感に従って気絶なり意識を失うなりすれば、この夢は終わると予感していた。

 だが園子を放置するというのも寝覚めが悪いので、どこかしらで降ろそうと思ったのだが、

 

「……」

 

 残念なことに、この腕に抱えた金色の髪をしたお嬢様は、無言ながらも右手で俺の装束を掴んでいた。意識を失うことはなく、きっと疲れただろうに、光の残った片目を爛々と輝かせる。

 琥珀色の瞳は、瞬きをする度に多くの感情を宿らせているのが俺には分かった。

 

 しかし、なんと声をかけたらいいのだろう。

 園子にとって、『俺』にとっては、この後2年は確実に会えなくなる。

 ならば、せめて彼女の心に何かを残せないだろうかと、俺はそう思った。だから――

 

「かっきー」

 

「園ちゃん」

 

 奇しくも言葉を紡いだタイミングは同じで、思わず僅かに唇を片方上げてしまった。

 そうしていると、壊れた大橋の残骸、それでも二人程度ならば座れそうな所に着地した。

 同時に満開の効果時間が終了し、身体に残ったのは言いようのない虚無感だけだった。

 

 ――だが身体は動く。

 

 この手は剣を、銃を握れる。ならば問題はないと、俺は園子の目を見つめた。

 いわゆるお姫様抱っこで至近距離、お互いの息が届きそうな距離で、園子の瞳を見下ろした。

 戸惑いと不安、そんな感情が混ざり合いながらも、期待が見えるのは俺の思い上がりだろうか。

 

 現実世界は夜で、微かな夜風が梢を鳴らした。

 おそらく大赦の霊的医療班か、安芸先生が来れば一悶着あるかもしれない。

 だがそれでも、放置してきてしまった鷲尾須美だった少女をキチンと回収するだろう。

 

 彼らが来るまでの時間、いや来ても邪魔はさせないが。

 この奇跡とも言える時間は、せっかくなのでこの腕の中の少女の為に使おうと決めていた。

 

「園ちゃん、俺からいいか?」

 

「――うん」

 

 コクリと小さく頷く少女、その身体は弛緩していた。

 気を緩ませているわけではない。体の一部を散華した結果がこれなのだ。

 そんな状態でも、眦を震わせ、片目を閉じながら、縋るように抱きつく少女に言葉を告げる。

 

「俺に少しだけ、園子の時間をくれるか――?」

 

 彼女に断るという選択肢はない。

 既に自力では立てない体、加えて足場のよくない状況は、彼女に選択肢など与えない。

 それはきっと彼女自身が一番分かっているはずだ。だから勇者装束を纏ったままなのだ。

 

 そんな残酷なことを迫る少年に対して、少女は「この人は困った人だな〜」という笑みを浮かべて、

 

「――いいよ~」

 

 そんな少女の柔和な微笑みを見下ろしながら、ふと頭上を見上げると、

 満天の夜空が広がる中で、一際大きな黄金の月が俺と園子を照らしていた。

 

 

 


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