変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「第七十一話 裁きを嗤う」

 そして、俺は眠りから醒めるように意識を覚醒させた。

 柔らかな草が天然のベッドになっていたらしく、俺が目覚めると同時に散っていった。

 

「…………」

 

 その様子を見ながらなんとなく己の唇を指で触るが、少しかさついた感触に俺は眉を顰めた。過去の中、運命に抗う『自分』に代わって戦い、敵を撃破した矢先に感じ始めた眠気を思い出す。

 消える最後の瞬間は、意識が文字通り離脱していく様な感覚の中で、彼女にしてやられた。

 

 公園のベンチにまで移動し、限界の中で朦朧とした意識。

 その中で、ボロボロであった俺に対して口づけをした園子の心境など判るはずもない。

 そしてあの時間を切り取るように眠った俺も、その時の心境も感触もあの時間に置いてきてしまった。

 

「――――」

 

 何の感慨も残らなかった事はしょうがない。

 回想としては残りはしたが、今の俺にとっては感慨深く振り返っている時間はない。

 

 結局あの後、記憶通りなら俺は園子と引き離され、大赦管轄の病院へと運ばれるはずなのだ。

 大赦によって後に『瀬戸大橋跡地の合戦』などと呼ばれた戦いであったが、当時本当に何も分からず、知らず、無知であった俺は、その被害者として表面上は扱われていたのを覚えている。

 

 意識を消毒液の匂いがするベッドで取り戻した俺は、最初端末と指輪を持ってはいなかった。

 だが当時はそれどころではなく、知らぬ間に折れていた腕の痛みと空白の記憶に苛まれていた。

 

 入院中に戦闘データは抜き取られ、兵装の類はこの時に封印された可能性が一番高いだろう。

 戦闘データは園子や鷲尾須美からも取ったはずだが、大赦がどう判断したかは不明だ。

 真相は文字通り過去に置いてきてしまったが、今の俺にとっては重要な情報ではない。

 

「――さて、と」

 

 そう言いながら、俺は目の前の草原を見下ろした。

 見覚えのある空間、どこまでも広がるような草木は風に靡けども、虫の音は全く聞こえない。

 静寂な暗闇を照らし出すのは、幻想染みた現実よりも優美に見える黄金の満月だ。

 

 頬に張り付いていた葉っぱを払い落とし、緩慢な動きながらも俺は立ち上がった。

 見覚えがある光景というよりも随分と見慣れた光景であると思いながら、周囲を見渡す。

 しかし、あの巨大な桜の大樹と、傲慢で不遜な先祖の姿が見られないと眉を寄せ――

 

「――んんっ」

 

「―――っ!」

 

 小さく喉を鳴らす音に、まだ寝ぼけていたらしい俺は音の方向、背後を振り返った。

 己の不覚に心の中で舌打ちをし、途端に桜の花弁が数枚、俺の頬を撫でるように優しく当たった。

 その感触よりも、奇妙なことにその存在を視界に収めたことに己が安堵しているのに気付いた。

 

「――おかえり」

 

 白いテーブルにカップを置き、優雅に椅子に座る共犯者。

 聞き慣れた声を掛けられたことに対して、俺は思わず肩を竦めて笑った。

 片頬を吊り上げながら、ゆっくりと空いている彼女の向かいの席に腰を掛けた。

 

「ただいま」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 待合室で寄り添うように座っていた友奈たちは、夜も遅いという事で大赦の車で家に送られた。

 最初は渋っていた友奈たちであったが、途中で手術が成功したという報を受けた為に受け入れた。

 その次の日も、彼の姿を一目見ようと少女たちは病院へ向かったが、家族以外面会謝絶とされた。

 

 そして、血のクリスマスイヴから2日後の事であった。

 

「友奈様に、急ぎお知らせしなければならないことがあります」

 

「――――」

 

「ご両親には、全て了解していただいております」

 

 一人で家に帰り、両親が不在である時を狙ったように、大赦の神官が結城家を訪れていた。

 白い装束、神樹のマークの入った仮面を着けている大赦の神官は、髪の長さから女性と見て取れた。

 その女神官は深々と赤髪の少女に頭を下げながら、淡々と友奈だけにある事を語った。

 

「私たちを約300年の間守ってきてくださった、神樹様の寿命が近づいております」

 

「……え?」

 

「神樹様が枯れてしまわれれば、外の世界から守る結界が無くなり、我々が暮らすこの世界は炎に呑まれ、消えてしまいます」

 

「消え、る……?」

 

「――遺憾ながら」

 

 目の前の神官が何を言っているのか、告げられた言葉が唐突過ぎて友奈には理解できなかった。

 いや、理解できなかったわけではない。ただ決して軽くはない衝撃が脳内を支配していたのだ。

 神樹様が消える。その事実がいずれ来るのだと、友奈は告げられた。

 

 神樹が消えれば必然、世界を守る結界はたちどころに消え、世界はあの炎に包まれる。

 そうなればどうなるかなど――

 

「消えるのは、だめ……」

 

 この世界に暮らす多くの人たちには、大切な人と呼べる者が存在するだろう。

 それは友奈も同じで、育ててくれた両親や学校の同級生、商店街の人たちや、勇者部の仲間達。

 彼らが、彼女たちが理不尽に蹂躙され、不条理に消し飛ばされてしまうなどあってはならない。

 

 分からないなりに箱庭が壊れた結果は想像に難くはない。2日前にその縮図を見たのだから。

 無意識に、取れない何かを拭うように、何となく両手を摩りながら友奈は一言だけ告げた。

 その言葉には、拙くも少女の想いが、思いが込められていて、

 

「仰る通りです。人間を全滅させるわけにはまいりません。そして全滅を免れ、皆が生きる解決策を我々は見つけております」

 

 そしてその言葉に、その想いに優しく寄り添うように、目の前の神官は友奈の言葉に賛同した。

 賛同すると言いながら、目の前に相対する神官の仮面は淡々とあらゆる感情を閉ざしている。

 

「皆が助かる方法は一つ、選ばれた人間が神樹様と結婚するのです」

 

「結婚……?」

 

「はい。神との結婚を古来より『神婚』と云います。神と聖なる乙女の結合によって、世界の安寧を確かなものとする儀式です」

 

 自分が天の神に祟られているのを大赦は知っていながら、ある話を持ち掛けてきた。

 神婚という儀式を行えば神樹は新たな力を得て、人は神の一族となり、永久に神樹と共に生きる。

 神官にそう言われ、よく分からない話ではあったが、それでも友奈が思うことは一つであった。

 

「よく分かりませんけど………でも、とにかく全滅だけは……」

 

「私たちも、友奈様と同じ気持ちです。神婚が成立すれば、選ばれた少女の存在は神界に移行し、俗界との接触は不可能になります」

 

「えっと……」

 

「――神婚した少女は死ぬということです」

 

 死ぬ。そんな言葉を告げられて、一瞬だけ頭の中が真っ白に染まった。

 自分と志が同じであると告げながら、皆が助かるという方法の果てにあるのは『死』だという。

 最近、友奈は最も死に近づいた瞬間があったのを思い出し、咄嗟に震える両手を握り締めた。

 

 両手を握る度に思い出す、温かく、そして冷たくなっていく血紅色の光景は僅か2日前の事だ。

 大勢の悲鳴と怒号が飛び交い、神樹の結界を嘲笑うように容易く破壊した、文字通りの天の一撃。

 大赦の隠蔽能力が高いと言えども、それでも隠し切れず未だに噂が飛び交っている事件となった。

 

『――俺が友奈の勇者になるよ』

 

 優しく、愛おしく、狂おしく、静かに囁かれた心地良い言葉が耳から離れない。

 それがまるで遺言のように、凍り付いた息で血を零しながら、こちらの身を案じるように告げられた。

 

『――好きだよ』

 

 甘い、甘い優しい言葉が友奈に寄りそって、そして目の前で血の海に沈んでしまった。

 

「―――っ」

 

 消えない震えを、瞼を閉じると忘れられない感触を己を抱いて抑える友奈を神官は見ない。

 ただ懸命に、淡々と大赦の神官として、目の前の少女に、その優しさに、良心に訴えかける。

 世界中の人々を救うために、生贄として、人柱として、神婚することで死んでくれと頭を下げる。

 

 神樹が神婚の相手として神託で指名したのは、友奈であったのだと神官は口にした。

 以前の戦いによって全身を散華させた友奈が、心も身体も神に近い『御姿』となったかららしい。

 その表情は白い仮面に覆い隠され見えずとも、どこか機械的に話すような印象を感じさせた。

 

 神官が言うことには、神婚をすれば人は神樹に管理された優しい世界で生きるという。

 神の膝下で、神の眷属として幸せに存在することが出来るのだと、淡々と神官は語った。

 その言葉の意味は友奈にはやはり理解は出来なかったが、それでも何となく歪に感じられた。

 

「えっと、すみません。すぐには答えられなくて……」

 

「私たち大赦は人類が生き延びるために様々な方法を模索し続けてきました。他にも意見はありましたが、神婚という選択肢のみが残りました。天の神の怒りを背負われることはさぞお辛いでしょう。祟りの為に皆にも話せずに……」

 

「いえ……、もっと賢いやり方もあったのかもしれないんですけど……私、大切な人を傷つけちゃって……」

 

 脳裏に浮かぶのは、鮮血の光景だ。それが頭から離れない。

 ここ数日はそればかりが、後悔と悲しみと共に友奈を苦しめる。

 はやく会いたいと、この2日でどれだけ思い、どれだけ泣いてしまっただろうか。

 

「――亮之佑様は、友奈様が天の神に祟られているのに、お気づきになっておりました」

 

「――――」

 

 そんな中で、気のせいかもしれないが淡々と語る声音に、僅かに色が混ざった気がした。

 無言で友奈の薄紅の瞳は、畳の上で頭を下げたままの神官に自然と向けられていた。

 声を殺して、呼吸すら止めて、友奈は目の前の神官を見下ろす。

 

「亮之佑様はその身をもって友奈様をお守りになられました。彼を、友達を、人間を救うことが出来るのは友奈様だけです」

 

「――――」

 

「どうか……この世全ての人々をお救いください。どうか慈悲深い選択を……」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 白いカップに注がれるコーヒーの匂いが漂い始め、わずかに俺の鼻腔をくすぐった。

 静寂な空間で、月夜の下で俺と初代、二人が向かい合って座っていた。

 

「神婚。神に近い御姿になれるのは現状で結城友奈、次点で乃木園子が妥当だっただろう」

 

「まあ、俺は反対だから行動を開始していたんだけどな」

 

 頬杖をつき、極力抑揚を減らした声音の少女に告げる。

 神婚というのは、神世紀の始まり頃にも『未遂』ではあったが執り行われかけたらしい。

 神世紀72年に、当時最後の勇者を生贄にしようとする動きがあったのだと初代は語った。

 

 だから、大赦の選択肢として神婚の可能性があるのには気づいていた。

 だからそれだけはさせないと、ある計画をクリスマスイヴの1週間前から進めていたが――

 

「神の一撃っていうか……ワンパンで逝っちゃったんだけど、俺」

 

「あれはキミが調子に乗った結果だとボクは思うけどね」

 

 友奈への告白は、彼女の呪印を通じて天の神に知られていたらしい。

 人間一人の戯言すら聞き逃さない器の小ささには失笑ものだが、現実は笑えない状況だった。

 目の前で含み笑いをし、唇に指を当てて悪戯っぽく笑いながら初代が俺に語る。

 

「あの時点で天神は絶対にキミを殺すまで攻撃を止めなかっただろう。呪術が効かない存在が我慢ならないのか、強引に結界を破ってまで攻撃するとは、キミも偉くなったもんだね」

 

「神よりも、気になる子からの痛くない可愛らしいアプローチの方が良かったけどな」

 

「だから、キミは死ぬ必要があった」

 

 軽口を叩く俺を無視し、初代は吐息をこぼす。

 そうして自身の黒髪の先を指で弄りながら、目を瞑り、

 

「仕込んだ血糊程度よりも、魂ごと神樹経由で体から引き離す方が神を騙せる可能性が高い。ついでに歴史の矛盾を正しくする為に、過去との調和を保つ為に霊的に死んでもらった――という話が現状なのは理解しているかな?」

 

「しているさ。計画に狂いが生じるのもだが、まさか過去に行くとは思わなかったがな」

 

「――本当に予想外だった」

 

 つまりはそういうこと。

 あの場で最適な解を模索し、解れた計画を強引に修正するべく、咄嗟に初代の誘いに乗った。

 確かに即入院レベルの怪我を負ったが、本当に肉体的に死んでしまうというわけではなかった。

 霊的に死んだと思わせ、神を欺くことが出来たから、今俺の意識はこの世界に戻ってこれたのだ。

 

「笑うなよ」

 

「悪かったよ。――ところでキミは怒らないのかい? 不本意な状況と『対価』はあったが、それでも死ななければならない状況に追い込まれた事に」

 

「え? ……いや、対価というかそういう契約だったし。まあ、いきなり死ねっていうのは多少驚いたがな」

 

「――そうかい」

 

 確かに過去に飛ばされたことで散華してしまったのは間違いない。

 だが生活に支障が出るような障害も、大切な記憶が無くなったわけではない。

 手は剣を、銃を握ることが出来る。足は動き走ることも出来る。記憶は減ったが問題ない。

 どのみち前世の分であるのだ。トラウマが減った所で困るものでもないと己を納得させる。

 

「友奈を神婚させるくらいなら、世界中の人間を生贄にして神樹に奉げるさ」

 

 何よりも、誓いは覚えている。

 加賀亮之佑の原点となった、今もなお満天の夜空で輝く満月の光景を覚えている。

 後悔しないという己の指標は、今までもこれからも変わらずに俺を支え続けている。

 

「満開を続けても、手足や五感には未だに影響は出ていない。これってやっぱりお前の仕業だよな?」

 

「――そうだよ。とはいっても、散華に指向性をつけただけだが」

 

 園子の散華の回数は13回だった。

 そして俺もその回数にまでは届かずとも、それなりの回数を散華したのだ。

 例外と言っても、命を弾丸に勝利を掴みとるためにロシアンルーレットを行ってきたのだ。

 

 勇者部の皆は眼や味覚、耳や声などが失われる中で、俺だけは大した物は失わなかった。

 運が良いという話ではないのだ。実際に戦っていれば、その疑問に気づかない訳がないのだ。

 戦う度に、空に刹那の華を咲かせる度に、この身は戦闘を行う度により洗練されていった。

 

「別に恨んでる訳じゃない。この力があったから戦ってこれたんだから」

 

 大いなる力には、それ相応の代償がある。

 神の如き力を一瞬であれど得るには、何かしら失う物もあるというだけのこと。

 結局自分はその代償を知りながらも使用したのだから、初代を怒る資格などないだろう。

 

「――神というのはいつだって理不尽極まりない。それを撃退するのは人の身に余る行為だ」

 

「かもな」

 

 話は変わり、静かに、わずかに声音を上げて初代が当たり前の事実を指摘する。

 少し前にその神の力を思い知った。所詮は人である事をよく思い知らされたのだ。

 今回は運よく、運命の魔手から隠れ逃れることが出来たが、二度目は神に通じないだろう。

 

「死ねば終わりだ、半身。次は無い。本のような、不条理に勝つ物語なんて物は実在しない」

 

「――なら物語を創ればいい。内容は諦めないで神に抗う勇者の物語。主人公は俺。摂理に抗う勇者は戦いの末にお姫様を守り抜いたのでした……ってな」

 

「――――」

 

 初代は、一度神の不条理に敗北を喫した少女は、静かにその愚かさを嗤う。

 既に話し合いは決着しており、加賀亮之佑が結城友奈を救うという意見を変えることなどない。

 その姿を見て、肩を竦めた初代は無言でカップを傾け優美に中身を飲み干し、瞳を向ける。

 

「キミの覚悟は分かったよ、半身。だが、『対価』はあと2つ残っている」

 

「――――」

 

「2つ目の望みは、必ず叶えてもらう。その為に因子と土台を作ったのだから」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 死んでしまったのかと思うぐらい、床に伏せた少年は静かであった。

 

「――――」

 

 寝台に体躯を、清潔な枕に頭を預け、昏々と眠り続けている少年を神官は見つめている。

 少年の着ていた薄緑色の手術着は呼吸をする度に上下に動き、それが辛うじて目の前の少年が生きているということを物語っていた。

 

 手術着の裾から覗かせる包帯と、全身にある切り傷やかすり傷などが少年の痛ましさを思わせる。

 辛うじて峠を越えることが出来たが、未だに死人のように意識を戻すことはなく、昏々と眠り続けていた。

 手術を終え、運ばれた先の病室は、本来ならば誰も入室は出来ないものとされていたが、

 

「3日目となりました」

 

 病的に白い肌を撫でて、本来ならば必要の無い報告を神官――安芸は行う。

 バイタルを示す機器の音が小さく部屋に響く中で、淡々と意識の無い少年に語っていく。

 

「亮之佑様が意識を失われて3日。最悪の事態だけは避けましたが、大赦はすぐに次の行動に移らなければなりません」

 

 返事はない。

 それでも淡々と安芸は目の前で眠りにつく少年を見下ろす。

 仮面は外さず、それでも静かな声音には僅かながらも色が込められていた。

 

「友奈様は神婚を行うと言われました。儀式が行われるのは5日後です」

 

「――――」

 

「時期を同じくして天の神が襲来することも予想されています」

 

 安芸は大赦の神官として訪れたわけではない。

 あれはクリスマスイヴの前だったか。ふらりと大赦を訪ねて来た亮之佑は、安芸に面会を求めた。

 久しぶりに安芸の教え子として、勇者として、安芸個人と話をしたいのだと。

 

 彼の家庭教師をしてから随分と経つというのに、彼は今も自分の事を先生と慕ってくれる。

 そんな彼が話した内容は、きっと大赦全体からしてみれば喜ばしい物ではなかっただろう。

 神婚を行い、人類を神の眷属として、幸せな世界へとその身を奉げる事こそが大赦の総意。

 

 それをどこから嗅ぎつけたのか、神婚を囮として天の神と戦うつもりはないかと彼は口にした。

 天の神を倒すには、わずかであれど、大赦の力が必要になるのだからと泣き落としに来た。

 しかし、今も変わらず亮之佑が演技派であるのは、一応書類上彼の保護者となっている安芸には分かっていたので相手にはしなかったが――

 

「ゴールドタワーの改装も完了し、防人たちにも通達はしています」

 

 だというのに、律儀に眠る教え子の様子を見に来るのはなぜか。

 湧き出す感情を呑み込み、大赦の神官として少女たちの矢面に立つのは慣れていた。

 人は最も身近な存在に当たりやすいものだ。それがせめてもの贖罪とも呼べぬ行動で、

 

「――――」

 

 自分でも分からぬ感情を抑えながら、それでも少しだけ心情を彼の方向に傾けてしまっていた。

 この行動に意味はないと知りながら背を向けて、安芸は部屋を離れ、本庁に戻ろうと――

 

「安芸先生」

 

「―――っ!」

 

 部屋を出る直前だった。

 その小さな声音に振り返った安芸を、空虚な血紅の瞳が見つめていた。

 あの頃とは異なる色、散華の影響で昏色の瞳ではなくなった色の瞳に、仮面越しに安芸は息を呑む。即座に動揺する自身を、肺から息を抜いて冷静さを保とうとする保護者。

 そんな動く死体を見たような反応をする彼女の前で、亮之佑は掠れた声で、わずかに微笑む。

 

「5日もあれば十分ですよ」

 

「――――」

 

 薄く開いた瞳、紅色の瞳は仮面の奥の保護者の顔を見つめる。

 唐突に意味の分からない言葉を吐く彼の言動を、安芸は知っている。

 舞台で踊るように、楽し気に、仰々しく、彼は言うのだ。

 

「それだけあれば」

 

 勇者は嗤う。

 

「――運命なんて、変えてみせますよ」

 

 

 


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