――『防人』と呼ばれる存在がいる。
まず天の神と地の神、人間による長きにわたる戦いは、人間の視点からは『勇者』の存在を中心として語らなければならないだろう。歴史が隠蔽されていなければの話ではあるが。
土地神の集合体である神樹に見初められ、華々しい活躍を上げる勇者たち。
そして勇者の活動の裏でもう一つ、同じく神の力を得て活動する少女たちの存在がある。
彼女たちは『防人』と呼ばれ、その役割は大赦が天の神への対策を行うための補佐である。
縁の下の力持ちと言えば聞こえはいいが、その実態は命じられるがままに行動する大赦の犬。
勇者たちを可憐な『花々』とするならば、彼女たち防人は誰も見向きしない『雑草』なのだ。
「まあ、前回チラッと見た感じ、可愛い子がそこそこいたように見えたけど。好みじゃないが」
「彼女たちは容姿で選ばれたわけではありません。神樹様が見初められた少女たちです」
個人的な感想を言うと、隣にいる仮面の女性に淡々と、しかしやや冷淡な声音で否定される。
防人側は勇者との接触は大赦によって禁じられ、また勇者もその存在を知らされていない。
それは様々な思惑が絡んだ結果だったのか。本来ならば亮之佑も知らされてはいないのだ。
――知らされてはいなかったのだが。
それは少し前、神世紀300年の秋を過ぎ冬が訪れた頃だ。
亮之佑が朝のジョギング中に遭遇した、偶然とも呼べる防人たちとの出会いがあった。
接点は偶然に、運命に。呼び方は何であれ、そこから生じたのだ。
彼女たちを追いかける形で壁の外、あの地獄以外の表現を思いつかない世界へ足を踏み入れた。
そこで彼女たちがバーテックスによる奇襲を受けているところに、運よく援護射撃を行った。
結果的に、御役目でも任務でもなく勇者が防人を助ける形で、彼らは一度出会ったのである。
危機を脱出し、彼女らと巫女らしき少女と少し話をし、そして別れた。
何となく勇者として彼女たちを助けた手前、気安い感じではなく意識して凛として接していたが。
その時、遠目に見ていた少女の姿は、やはり記憶の中にある物と同一であった事を確信した。
それはいつだったか。愛媛から来たという少女はわざわざ勇者部に訪れたことがあって――
「――雀って言ったっけ。彼女とだけは勇者部で会ったんだったよな。……まあそれはいいか」
彼女達『防人』の構成員は32人で、4人1班で戦うスタイルなのだという。
勇者部に所属している『勇者』は7人と圧倒的に防人の方が数は多いが、纏う神気が違うらしい。
彼女たちも神樹から勇者の素養、つまり勇者適正を与えられていたが、結局は選ばれなかった存在だ。
故に彼女たちは自身の力が非力であるのを理解した上で、数を合わせ力を発揮しているらしい。
彼女たちと連絡先を交換してからまだ3ヶ月も経過していないが、人の縁とは数奇なものだ。
そんな事を思いながら、亮之佑は隣に座る大赦神官――安芸に血紅色の視線を向けた。
数秒ほどジッと見ていると、やがて首を動かし白い仮面越しにこちらを見返してくるのが分かった。
「――――」
「何か?」
「仮面、取ってみては?」
「……いえ、むしろ亮之佑様は、千景殿に到着してからは仮面を外さないで下さい」
「ああ、上手くやりますよ。……それよりも、『様』なんていらないですよ、安芸先生。前みたいに加賀君、もしくは亮之佑君でいいですよ」
「――もう、先生は辞めました」
現在亮之佑は車に乗り、防人たちのいる場所へと向かっている。
乗るというよりは搬送されているような気分だが、既に儀式の準備は始まっている。
自然回復力が常人よりも多少上昇する勇者装束を着込み、その上から大赦の装束を着ている。
あとは神樹のマークの入った仮面を着ければ、何処にでもいる大赦所属の神官が出来上がる。
何故この様な恰好をしているのかというと、この姿の方が彼女たちに会いやすいかららしい。
先ほども述べたが、勇者と防人が顔を合わせることを大赦は是としてはいない。
そこには多くの思惑が絡んでいるだろうが。
しかし、大赦の力を借りたい亮之佑としては、彼女たち、というよりもその住居に用がある。
だから、建前としては大赦の神婚の儀に『勇者』として賛同の意を示し協力を申し出た。
大赦側としては、やはり神婚成立までの時間稼ぎが出来る戦力は欲しいのだろう。
協力の要請は受け入れられ、亮之佑も対天の神への時間稼ぎに協力する事を大赦側は受け取った。
そういうわけで、大赦の用意した車に乗っている亮之佑は出来る限り楽な姿勢を取っていた。
「俺、この戦いが終わったら再入院するんだ……」
フラグの様な事を言いながら後部座席で横になるという状態だったが、以前よりもマシだ。
天の神の攻撃を受け、車の爆発による破片で抉る様に傷を負って身体は昏睡状態だった。
本来は絶対安静の身なのだが、意識の覚醒から回復に数日だけ治療に専念していたのだ。
血を増やすため、ずっとベッドの上で食っては寝るというサイクルを繰り返していただけだが。
「体の方はどうですか?」
「ええ、この3日でそれなりに回復しましたね。大丈夫でしょう。七味肉ぶっかけうどんのおかげですね……ゴホッゴホッ!」
「――大丈夫ですか?」
「え、ええ……ちょっとむせただけです。それにしても、なぜこんなに神婚の時期が早いんですかね。神樹……様の寿命ってそんなに余裕ないんですか?」
「いえ、本来ならば、神婚は2月頃を予定していたのですが。天の神が強制的に結界を破壊し、直接の攻撃を仕掛けるという異例の事態を大赦は重く捉えております。大赦内部でもすぐに次の行動を開始するべきだという声が大きく」
神樹の寿命が間もなく尽きるという状況下で、大赦は打つ手をなくしていた。
そこで計画されていたのが、真に最後の手段である『神婚』であった。
もはや大赦にとっても他の選択を考慮する時間などなく、追い詰められていた。
そして決め手となったのが、1週間前になるクリスマスイヴでの攻撃であったのだろう。
安芸が言うには、大赦内でも神婚に対する考え方は違うのだと言う。
大赦全体としては神婚によって神の一部となり、人の形を失っても土地神と共に生きるというものだが、一部だが天の神を激怒させて誘き出す切っ掛けとして神婚を行い、彼の存在を討とうという考えもあったという。
大赦内部でも色々と騒ぎがあったらしいが、亮之佑にとっては重要ではない。
大事なのは、結局神婚が行われる事と、そしてその時間に天の神が現れると想定される事だ。
想定がされているのならば、襲撃される時間も正確に分かって当然なのだ。
「――――」
「――――」
静かな車内で、お互いが無言で語ることはなく、亮之佑は小さく息を吐いた。
以前、安芸に対しては血のクリスマスイヴの1週間前に協力を要請した。
その時は素気無く淡々と断られたが、意識を戻した後には淡々ながらも力を貸してくれる。
確かに大赦側の事情を理解した上で、時間稼ぎという名目で協力は得られた。
安芸の心境に関しては分かるはずもないが、それでも何となくだが信用できると思った。
これで裏切られた場合は目も当てられないが、今は彼女との昔の思い出を信じたい。
たとえその仮面に感情を隠し、大赦の神官という立場であっても、根底は『先生』であると――
そうして後部座席に亮之佑と安芸、運転を別の神官が行い、讃州市を離れて、
「そういえば、実はゴールドタワーに行くのって初めてなんですよね。丸亀市に行ったことはあったんですが……」
「以前に、骨付鳥を食べた時でしたね」
やがて亮之佑の乗った車は、30分ほど時間を掛けて香川県大束町のガラス張りのタワーに着いた。
昔話を一方的に語り、時折安芸が相槌を打ってくれるのを嬉しく、懐かしく思いながら、防人たちが家として住まい、彼女たち専用の訓練施設でもあるゴールドタワーを見上げた。
「このゴールドタワーが大赦内で『千景殿』と呼ばれ、かつての大橋と同じく霊的国防装置であることは先ほど話しました」
先ほど車の中で聞いた話をもう一度安芸は伝える。
これから他の大赦神官数名がゴールドタワーを訪れ、防人たちに任務を言い渡すらしい。
明後日、天の神が襲来する中で、一番最初に天の神と接近する場所がこの千景殿となっている。
千景殿の攻撃方法は二段階存在している。
一つ目は大地より霊的エネルギーを吸い上げ、上空の敵に向けて放射する『千景砲』だ。
外観がビルのようにも見えるタワーの屋上にアンテナ状の装置があり、そこから発射するらしい。
二段階目は千景殿そのものが射出され、標的を穿つ絡繰だが、まだ設備が未完成で使えないらしい。
大赦は神婚が始まり天の神が襲撃してくるのに対して、この千景殿で侵攻の妨害を行うつもりだ。
あくまで大赦は防人にも勇者にも、神婚が成立するまでの“時間稼ぎしか”求めていないのだ。
「――――」
そのことに対して、亮之佑も思わないことはない。
ぶっちゃけた話、結局は見知らぬ他人を犠牲にして多くの人が助かるならそれでいい。
ただ、その犠牲になる人が自分にとって大切な人だから神婚を阻止しようとしているだけ。
だから、大赦の合理的で非情とも言えるやり方に対して、あまり否定的には思わない。
しかし、結局は全員が人間的には死んでしまうという『狂気』は受け入れられなかった。
当たり前だ。自分はともかく、身近にいる友達、仲間、大切な人が死ぬなど絶対に駄目だ。
大赦は大赦。亮之佑は亮之佑の考え方がある。
要は『それはそれ、これはこれ』という考えでしかない。
だから多くの思惑がある中で、亮之佑が考える事はただ一つに専心する。
「傲慢でもなんでも、俺は友奈を神婚なんてさせない」
その決意だけは変わらない。誰にも誓ったわけではない。強いて言うならば自分への誓いだ。
友奈本人に断られても、否定されても、拒否されても、彼女自身が望んでも、神婚はさせない。
そういう己の身勝手で愚かで自己満足な思いで今、亮之佑は大地に再び立ち上がったのだから。
それから数分後、車が千景殿の正面へと着き、ゆっくりと停車した。
滑らかに停止し、エンジン音が切れる音を確かめて、亮之佑は車のドアを開けた。
「安芸先生。色々ありがとうございました」
「――いえ、私はこの程度の事しか出来ません」
安芸は防人の監視役だったが、何かの事情で同行しないらしい。
どのみち他の神官たちも、防人たちに次の作戦を告げて、大半は撤収するらしい。
だからここで別れる。安芸がこの後どうするかは亮之佑は関与せず、安芸も亮之佑に関与しない。
そうしてゴールドタワー前で車を降りた亮之佑は身体の痛みにわずかに眉を顰めながらも、
緩慢な動きで、血紅色の瞳で、こちらに跪く安芸の姿を見て唇を緩めると、
「――本当に、ありがとうございました」
「――――」
「――――」
息を抜くように感謝の言葉を告げた。
本当ならば手伝う義務も必要性も無いことに、わずかであっても安芸は手を貸してくれた。
だから十分だ。ここからは一人で行動するべく、亮之佑は仮面を装着した。
---
「――やっぱり、少し疲れやすいな」
身体は動くのを確認した亮之佑は、事前に大赦に用意された部屋で休んでいた。
千景殿にある防人の居住区、そこから少し離れた部屋を割り振られていた。
誰もいないが、掃除の行き届いた部屋の寝台に腰を下ろしながら、瞑想するように目を閉じた。
「――――」
亮之佑は、千景殿の主砲とも呼べる兵装――千景砲に目を付けていた。
大地の、つまりは土地神の力を、巫女という回路を用いて屋上のアンテナに込める。
その一撃はそこまで天の神に大打撃を与えられるわけではなく、時間稼ぎに過ぎない。
そう大赦側は考えていた。
今回亮之佑に命じられている御役目とは、その回路である巫女を守ることである。
本来ならば、巫女の一人くらい防人に守らせるのだろうが、不穏分子は避けたいらしい。
要するにそういう口実が、大赦にとっても亮之佑にとっても、お互いに都合が良かったのだ。
「――――」
この4日で亮之佑が出来たことは正直に言ってあまりない。
情報収集と可能な限りの肉体の回復に力を注ぎ、仕込みをしたぐらいだ。
本日、ゴールドタワーの展望台で、防人が明日天の神がこの地を訪れる可能性が高いと説明を受けていた。
安芸や自分と同じく大赦から千景殿を訪れた神官が説明をしている間に、亮之佑は主砲となる千景砲を見てきた。そうしてわずかに細工を施しておく事に成功した。その程度だろうか。
神官たちは足止めの後は勇者たちに託すと言っていたが、それは抗うという意味ではない。
「――――」
そう考えて、ふと亮之佑は彼女たちが今何をしているのか気になった。
彼女たち、勇者部の少女たちとは、意識を戻した後も連絡を取れてはいなかった。
携帯端末は手元にある。だから、彼女たちに連絡することはいつでも出来るのだが――
「悩んだら、相談、か……」
勇者部五箇条の一つを、寝台の上に寝転がりながら呟いた。
そろそろ風も退院した頃だろうか。受験勉強に支障がなければいいのだが。
もしも受験に失敗してしまったら、もう先輩と呼べないと思うと少し悲しい。
樹は入院中の風がいなくてもしっかり自炊出来るだろう。
それなりに厳しく自分が指導したのだ。優しくしたが甘くしたつもりはない。
そして彼女は勇者部の中でも芯が強い少女だ。根底部分では姉すら凌駕するだろう。
夏凜はきっと変わらずに黙々とトレーニングをしているのだろう。
年末だろうが年を越そうが、『完成型』勇者に意地と誇りを持つ勤勉な少女だ。
彼女が勇者部に入部してから、一番変わることが出来たのではないかと亮之佑は思う。
東郷はきっと友奈の状況に薄っすらとだが気づいているだろう。
自分以上に友奈を親友として大切に思い、すぐさま行動を起こす事の出来る少女だ。
彼女の傍にいる東郷が気づけないはずがないのだ。その確信は紡いだ絆が証明する。
園子も聡明な少女だ。
年中何ものにも囚われないような不思議な少女だが、いざという時は頼りになる。
友奈は――
そこまで考えて、小さく亮之佑は呟いた。
「みんな、俺のこと、心配してくれてるのかな……」
今まで全く連絡をしていないのだ。風のように心配してくれていたら嬉しく思う。
真面目にその様子をビデオか何かで撮影して観賞したい程度には嬉しく思うだろう。
家族以外面会謝絶にされているなど、大赦からの嫌味かと亮之佑は本気で思ったりもした。
しかし、友奈に関してだけは対応を誤るわけにはいかない。
前例は己が作ってしまった。友奈を通じて天の神に情報が行き渡ることが不安の種だった。
虎視眈々と、一匹の鼠を喰らうべく暗闇に身を潜める毒蛇のように隠れていたのが無駄になる。
「あとは、そう、タイミングだ……」
讃州市から千景殿までは彼女たちが勇者装束に着替えればすぐに来られるだろう。
どのタイミングかは不明だが、亮之佑の知っている友奈が何も言わずに去ることはないだろう。
そして自分の知っている勇者部の面々が『神婚』に反対するという絶対的な確信があった。
彼女たちが喧嘩するというのは終ぞ見たこともなかったが――
「みんなに、逢いたいなぁ……」
少しだけ寂しく感じている自分がいた。
それを堪えて冷徹に思考を冴えさせる自分もいた。
そうして手持ち無沙汰に携帯端末を手のひらで弄り回していると、
「――――」
小さく、遠慮がちにドアを叩く音が聞こえた。
---
「勇者様に最大限の敬意を」
ゴールドタワーに備えられた住居施設、その一角で床に平伏する巫女服を着た少女がいた。
敬意を向ける相手は神官の装束を身に纏っている少年、仮面を着けた勇者であった。
防人たちは現在、明日襲来するとされている天の神との戦いに向けての準備中だという。
向けられる感情の意味が分からず、亮之佑は困惑した。
一応、大赦からは防人との接触は控えるようにと言われていたので従っていた。
従う道理はないが、余計な混乱が生じないように大人しくしていたつもりなのだが、
「明日は加賀様直々に私の警護をしていただけるとのことで、心より感謝いたします!」
「――――」
警護対象には告げられていたのか、それとも大赦の神官から挨拶に行けと言われたのか。
いずれにせよ、『勇者』であるだけでここまで敬意を向けられるのはいい気分ではない。
結局は大赦と亮之佑間だけで決まった密約のような物だ。本人は知らないだろうが。
「任務だから。……それに、そんなに畏まらなくていいよ?」
「い、いえ! そんなこと、勇者様にそのような不敬なことは!」
「――いいから」
「……は、はい」
怠惰ながら、身体的にもあまり動かしたくなかったので静かな声音で言うと、少女は従った。
緊張を顔に貼りつけ、綺麗な亜麻色の髪をした少女は立ち上がり、素直に椅子に座った。
その様子に思わず険が抜け、自らも緊張していた事に軽く苦笑してしまう。
そうして向かい合う中で、亮之佑はその少女の顔を仮面越しに見つめる。
幼さと可憐さのある可愛らしい顔をした少女は、中学1年生くらいだろうか。
大赦からの差し金だろうかと思いながら、緩慢と大赦の仮面を外すことにした。
「――――」
「――それで、うん。それだけかな? 明日の準備には早いと思うけど」
仮面を外し、手袋越しに顎に触れながら己の瞳を彼女に向けると、少女は僅かにどもりながら、
「その……お礼を言いにきました!」
「――お礼?」
そうして真剣さを帯びさせ告げる少女の言葉に、思い出すことがあった。
亮之佑が以前彼女たち防人の援護をした時、僅かに記憶の残滓にだが、目の前の少女がいたのを思い出した。気のせいかと思っていたが、あの時目が合った気がしたのだ。
「あの時は、芽吹先輩……防人のみんなを守ってくださり、ありがとうございました!」
「――――」
再び自らに頭を下げて感謝を告げる少女に、亮之佑は少し戸惑っていた。
あれは本当に気まぐれでしかない物だった。ただ好奇心で見に行き、ついでに助けただけ。
彼女はそれを知らず、亮之佑に媚を売るわけでもなく、ただ本当に感謝を告げていた。
「気にしなくていいよ、好きでしたことだから」
何となく重なって見えた。
外見は全く違うのに、赤い髪の少女と重なって見えた。
最も逢いたくて、助けたくて、華奢なあの身体を抱きしめたい少女と重なって。
「――確か、名前は……」
「国土亜耶です」
「そっか、うん。いい名前だね。――俺の名前は加賀亮之佑。勇者で奇術師さ」
彼女は仕事なのか、温かい食事を持ってきてくれた。
亜耶は掃除が好きらしく、防人の少女たちの部屋も掃除をしているのだという。
この千景殿の中にも食堂はあるが、大赦側の都合なのか彼女に配膳係をさせるようだ。
2日程度の付き合いとはいえ申し訳なく思うが、亜耶はそんな事はないと笑顔で否定した。
どのみち既に準備は終わった。
後はその時が来るのを待つだけなのだ。
そう思って亮之佑は舌と喉を震わせて、僅かに逡巡しながらも口を開いた。
「せっかくだから、少しお話でもしよっか。亜耶ちゃん」
「お話ですか――?」
「うん。俺は亜耶ちゃんの話、聞きたいな。防人の子たちの事とか、日頃の生活とか興味が湧いたよ。……あ、でもその前に――」
小首を傾げる巫女の少女に対して、何も持っていない両手を見せる。
その行動を不可解に思い瞬きを繰り返す亜耶に小さく微笑み、両手を握り締める。
握り締めた両手、そこに彼女の小さく柔らかな手を触れさせ、巫女の力を取り込んでいる風体で両手を開くと――、右手には鈍く輝く緋色の弾丸と、左手には蒼色に光る指輪が亜耶の目に映り込んだ。
「わぁ……! 凄いですね!! どうやったんですか?」
両手を合わせ、簡単な手品に目を煌めかせる亜耶。
その無邪気ながら喜びを示す姿に亮之佑も頬を小さく緩めた。
「ん~、知りたいかい? ――なら1つだけ質問しよう」
「――?」
「たとえばの話だけども。自分の大切な人の命、そう例えば防人の少女たちの誰かを犠牲にして代わりに多くの人の命を救えるよって言われたら、亜耶ちゃんはどうする?」
「――そうですね……」
その言葉に真剣な顔をして考える少女の姿を、亮之佑は目を細めて見つめて。
あまり時間を掛けずに彼女が出した答えに、静かに口端を上げて小さな笑い声を上げた。
――そうして夜が更けていき、やがてその日が来た。