拳に伝わる鈍い感触と、何かを貫く感覚。
「――――」
決まった。
手応えのある一撃であるのが分かった。
パキリという音が聞こえる中で、目の前の存在が崩れていくのを俺は見ていた。
天の神。その巨大な存在は、砂がこぼれ落ちるように、ゆっくりと空中に消えていった。
それを見届けながら満開が終了し、『精霊』が己の肉体から離れていくのを感じる。
「あ――」
ゆっくりと重力に従って、地面に向かって落ちていく己の肉体。
自らの意思で肉体が動かせるようになったのが分かりつつも、動こうという気力が抜けていく。
このまま落ちれば落下死だと思いつつ、同時に展開された金色の精霊バリアに身体が包まれる。
「茨木童子……」
「――――」
返事はない。いつもの事だが。
金色の妖精。片角の小鬼をデフォルメしたような精霊が目の前に無言で現れる。
力の入らない手でそっと小鬼の頭を撫でると、柔らかな感触が手のひらに広がる。
「――――」
「そうだな……」
ゆっくりと地面に向かって落ちていく中で、茨木童子に話しかける。
上空にいた天の神は、崩壊と同時にその欠片すら残さず空中に消えていくのが見えた。
一応は、不条理という名の『神』に対して、一矢報いることが出来たのだろう。恐らくだが。
「…………」
襲来者は撃滅に成功した。
だが神の襲撃は、繰り出した攻撃の一つ一つが樹海の根を砕き、壊し、燃やしてしまった。
このまま樹海化が解かれれば、きっと四国に住まう人も建物も、何もかもが失われてしまうだろう。
「…………」
朦朧とし出す意識の中で、そんな事を思った時だった。
視界の端で虹色の光が映り込み、その光を見て緩慢とする動きで息を吐いた。
神樹のいる方向から膨大な虹色の光が、炎で焼かれた周囲へと放射されていくのが見えた。
その暖かで優しい光に目を細めながら、凄まじい速さで樹海が再生していくのが分かった。
神樹の心境は不明だが、こちらの勝利を見て、地の神も人間に何かを感じたのだろうか。
紅蓮の炎に神樹の光が干渉することで、世界を舐め焼く劫火を鎮火し、正常へと戻していく。
「…………」
そうしてある程度樹海が修復された後に樹海化が終わり、白光が奔り、現実世界へと再変換されていく。
天の神が四国を去ったことでひとまず戦いは終わり、あの赤黒い空が夜空へと戻っていく。
満天の夜空だ。手を伸ばせば幾千の星に届きそうな程の冬の夜空が俺の視界一杯に広がった。
「……ああ」
だから、その光景を見て安心した。
軽く吐き出した息。肺の中の空気を吐き出すと、空気に触れた吐息が薄く白に染まる。
――少し休もう。
唐突にそんな事を思った。
いや、唐突ではないかもしれない。身体は鉛の如く重く、意識は夜空に溶けかけている。
不条理に、摂理に、運命に、頂点に、天の神に、人間の力と執念を見せてやったのだ。
神婚の儀は風と東郷が中止に追い込んだのだろう。
どのように行ったのか、何が起きたか不明ではあるが、自分の信頼に応えてくれたのだろう。
その証拠に自らは神に取り込まれることもなく、神樹はその力で焼かれた樹海に修復を施した。
こちらの勝利と捻くれずに捉えても良いだろう。
天の神に対して勝利することができ、神婚の儀も防ぐことが出来ただろう。
「――――」
恐らく友奈も無事だろう。
だから、もういい。少し休むとしよう。
少し眠ればきっと、また立ち上がることができるだろうから。
---
大きな月と星空が眼前に広がっている。
見慣れた静かな夜の風景は、寒々としながらもいつもの平穏な日常の光景だ。
まだ新年は始まったばかり。神世紀301年が始まってから、まだ数日しか経過していない。
「もう、夜なんだ……」
勇者たちは気が付くと学校の屋上にいた。
天の神が消え去り、樹海化が終わると讃州中学校の屋上に全員が横たわっていた。
背中に感じるアスファルトの冷たさに、生きていることを少女たちはゆっくりと実感した。
「帰ってきた?」
「えっ、世界は……?」
「終わったの……?」
「神樹様が、最後に樹海を回復させた……?」
口々に己の目で、主観で得た情報を呟くが確証は得られない。
6人の少女たちと1人の少年、場所は違えども同じ戦場で戦っていた『勇者部』は、
戦闘の熱が、横たわり続け体温を奪う屋上のアスファルトと外の寒さによって冷えていくのを感じた。
「…………」
それは友奈も例外ではなく、神婚の儀のために着ていた専用の装束を見下ろす。
左胸付近を捲り見るが、あの太陽を思わせる痛みを伴う呪印は無く、健常な白い肌があるだけだ。
それが意味することは、もう友奈は天の神に祟られて死ぬという運命を回避したということで、
「うっ……、うぅっ……」
「どうしたの、友奈ちゃん! 身体の具合が……!?」
「……ううん」
その事実がじんわりと己の胸中に広がり、安堵が友奈の涙腺を緩めていった。
何よりも熱い滴が頬を伝い、屋上のアスファルトに染みを作り、隠せない嗚咽がこぼれていく。
「消えてる……」
「烙印が消えてたの~……?」
「うん……、うん……!」
その嗚咽の意味、東郷や園子も友奈の烙印が消えたことを理解して、安堵のため息を吐く。
友奈の呪印が無くなり、天の神の祟りで死ぬことは無くなったという事実を、勇者部の全員が知る。
「夏凜ちゃん……みんな、ごめんね……っ」
涙が止まらない。
袖で拭っても拭っても、温かい涙が雪解けの水のように流れ落ちる。
友奈は泣きながら、勇者部のみんなへと謝った。謝らなければならないことが一杯あったのだ。
ずっと友奈は不安だったのだ。誰にも話せずに独りで堪え続けていく日々が。
痛みを堪えて、それでも相談しようとした自分の所為で風を交通事故に巻き込んだことが。
東郷にも園子にも夏凜にも気づかれていながらも、何も話せずに悲しい思いをさせたことが。
亮之佑がいない間は苦しみと自己嫌悪の日々で、食べた物は結局吐いてしまった。
夜は眠れずに、明日が来ない事への恐怖で電気を消して眠ることが出来なくなってしまった。
そうして大赦から持ち掛けられた『神婚』を行うか否かで、勇者部のみんなと言い争った。
祟りの所為で自分の心が弱っていたというのもある。
目の前で広がる鮮血が、血紅色が、昏色が、雪が赤に染まる光景が脳裏から離れなくて。
「――おかえり、友奈」
そんな友奈に、勇者部部長は、風は暖かな言葉を投げかけてくれた。
その周囲で己を見る園子も東郷も夏凜も樹も、友奈に対して暖かな視線を向けてくれる。
だから自分の居場所は失われていないと、そう思って涙が――
「かっきー……?」
小さく呟く園子の声が夜空に響いた。
その静かで震える声音に友奈は視線を向けた。
「――――」
亮之佑はいた。
夜露に濡れたような黒髪を夜風に揺らしながら、友奈の手の届く位置にいた。
ただ無造作に転がっているような、糸の千切れた人形のように、瞼を下ろしたままだった。
---
――夢から目覚めた時、最初に感じたのはわずかな頭痛だった。
「――――」
睡魔の魔手から意識を離し、目を開いて瞬きを繰り返す。
ぼんやりと浮上する意識は酷く重いままで、血の巡りが少し悪いのだろうかと疑問に思う。
瞬きを再度繰り返し、呼吸を意識的に繰り返してどこかの白い天井と照明を見上げた。
白い部屋だ。
周囲に視線を向け、鼻腔を擽る消毒液の匂いに、病院であるとぼんやりとした意識で考える。
「あー、あ」
声を出し、聞きなれた己の声であることに安堵する。
間延びした声を出しながら、されど大事なことなのでしっかりと行い、己の生存を確かめる。
声の調子を確かめ、呼吸ができていることを確認し、手足が問題なく動くことを認識して、
「――?」
左手に違和感を感じて、天井の照明からそちらに目を向けた。
何かに包まれているような感覚、毛布ではなく誰かに触られているような感覚に気づく。
亮之佑が目を向けた先、赤い髪の美少女が自分の手を握っていることで、意識が明瞭となった。
「友奈」
「んぅ……」
掠れた声で呼びかけると、友奈の眦が震え、ゆっくりと開かれる。
眠っていたのだろうか、少しぼんやりとした表情の少女の薄紅の瞳が静かにこちらを見返す。
数秒ほどその煌めく彼女の瞳と視線を交差させていると、小さな声音で亮之佑の名前を呼んだ。
「亮ちゃん……」
「友奈? おっ、とっ!」
「良かった、亮ちゃん……亮ちゃん……!」
「……」
その大きな瞳で亮之佑の姿を捉えるや否や、友奈に抱きつかれ、白いベッドに押し倒された。
そうしてその懐かしい鈴の声音と彼女のあまやかな匂いと、身体の柔らかさを感じて初めて、
亮之佑はここが天国でも地獄でもなく現実であるのだと受け止めることが出来た。
「――――」
「死んだかと思った?」
「―――ぅっ」
改めて再会できた友奈を見ると、泣いてこちらに強く抱き着いている彼女は変わりなかった。
確かな温もりが、痛いほどの抱擁が、私服を着た友奈から亮之佑へと与えられる。
己の衣服を見下ろすと、身に纏っているのは薄緑の手術着で、友奈の涙が染み込んでいく。
「よしよし……」
そうして少しずつ現実を受け入れて、疑問を浮かべる脳裏はそのままに友奈を抱きしめる。
背中に手を回し、わずかに冷えていた友奈の体躯を抱きしめ返すと、彼女は顔を上げてこちらを見た。
薄紅に波が奔り、涙を浮かべ、堪えきれずに零し続けていく姿が亮之佑の眼球に焼き付いていく。
「……心配だった、ずっと……会えなくて……」
「――俺も、逢いたかったよ」
「―――ッ!!」
静かで、涙まじりの消えそうな声に亮之佑が眉を上げると、彼女はジッとこちらを見てくる。
思えば友奈とこうして顔を合わせるのは去年のクリスマスイヴ以来だろうか。
今年初めて友奈に会うのかと思うと、僅かに感慨深い物を感じる。
同時にこうして今年も友奈と会話をし、感情を交わし、身体を触れ合わせることが出来た。
全てがハッピーエンドかどうかは分からないが、今はそれを為せたと亮之佑は頬を緩めた。
「――。天の神の祟りはもうないんだよな?」
「……うん、ほら」
白いベッドに身体を預け、亮之佑の上におぶさるように友奈が寄りかかる。
そうして呪印が消えた証拠を示すように、己の服の襟をそっと引っ張り亮之佑に肌を見せた。
涙声で詰め寄る友奈と亮之佑の互いの息が掛かるような距離で見つめ合うのは変わらない。
「――良かったな」
「……うん」
子供をあやすように彼女の柔らかな背中を手で弄っていると、友奈の瞳が揺れる。
「ねえ、亮ちゃん」
「どうして、こんな無茶をしたの……?」
「――――」
そう問いかける友奈の緋色に淡く輝く瞳を向けられて、安堵に緩んでいた口元を引き締める。
いつものふにゃりとした顔ではなく、少しだけ真面目で、それでいてわずかに哀しげに見えて、
その表情を最も近くで見上げる亮之佑に対して、友奈はたどたどしく事の顛末を告げた。
神婚をしようとしていた友奈は、阻止せんとする東郷の声に「助けて欲しい」と心の内を告げた。その声に応じた東郷を神樹の結界によって妨げられていたが、神樹の中に宿る多くの勇者の思念が力を貸してくれ結界を抉じ開け、ギリギリのところで神婚の儀が阻止されたらしい。
解放された友奈ではあったが、同時に神樹による力が世界に広がるのを見届けたこと。
そうして気がつくと、夜になっていて学校の屋上に勇者部全員が怪我なくいたこと。
その時には既に亮之佑は意識がなく、すぐに病院に運び込まれたということ。
「それで、俺が意識を失ってどれだけ時間が経ったんだ?」
「――3日だよ」
「そっか……」
擬音の入る友奈らしい説明を脳内で補完し、最も恐れていた疑問を解消する。
天の神を撃破して、体力と精神の限界で半年位経過していたらゾッとしただろう。
3日程度ならば、入院し慣れている身としては大丈夫だろうと患者は頬を緩ませた。
身体に纏わりつく倦怠感はあるが、確かに痛みは少ない。
世界の修復ついでに、亮之佑の傷も治してくれたのだろうか。
「それで亮ちゃん。どうして、私を助けてくれたの?」
繰り返される二度目の少女が問う質問。
亮之佑の両頬に友奈は手のひらを合わせて、わずかに声を震わせて告げる。
その表情は、こちらを見る瞳は、あの冬の日、最後に見た記憶の中の少女と一致していて、
「――好きだからだよ、友奈」
だから目を逸らさず、真っ直ぐに友奈の瞳を見つめ返して、はっきりと亮之佑は告げた。
あの時と変わらない答えを、死してもなお、決して変わらない愛を囁くように、
「たとえ神が相手だろうと、世界中の人を敵に回そうと、俺は友奈が好きだよ。好きだから友奈を助ける。ずっと」
「……」
背中に回した両手から、片手を友奈の後頭部へと移動させ髪の毛を梳くように撫でる。
そうして友奈の眼を見て告げると、亮之佑を見る友奈の瞳に再び涙が溜まっていく。
それは瞬きと同時に流れ出し、乾き始めた彼女の涙跡を上書きするように透明な軌跡を描く。
「友奈を神樹と結婚させない。結婚式で友奈を奪ってしまうくらいに好きだよ」
「……私も」
亮之佑が笑いかけると、友奈も泣き笑いのような表情を見せた。
困ったような、嬉しいような、そうして頬を伝い零れ落とす涙は何よりも綺麗で、
「私も……亮ちゃんのことが大好きだよ……!」
たった一言。そこに万感の想いを乗せたような言葉が耳朶に響く。
そうして額を触れ合わせて、お互いの頬に感じる体温を擦り付けて、彼女はそう言った。
---
身体の傷は少なくとも、検査は必要だと入院する事になった。
勇者部のみんなも交代で見舞いに来る予定だったらしく、その後に全員と会った。
久し振りにゆっくり言葉を交わし笑い合いたかったが、検査の為にやむなく別れる事になった。
勇者御用達の病院、いつもの先生という組み合わせに苦笑しながら数時間。
解放され、就寝時間にはまだ早く、休憩室で一人俺はテレビを見ようとリモコンを探していた。
「あれ……」
探しながらふと我に返り、奇術師でも勇者でもなく、素になった俺は思った。
――これって浮気なのか?
記憶の中の出来事で、直接は確認していない出来事だが園子にも愛を囁いた気がする。
あの時は肉体の主である己に代わり思いを告げただけだが、最後にキスをされた気がする。
でも確認はまだしていないし、愛のベクトルが違うし、付き合っている訳でもないのでセーフ。
友奈に対する「好きだよ」と、園子に対する「好きだよ」云々の話は完全に別問題なのだ。そうであれ。
「……いや、宗一朗は六刀流だから。全然辿ってはいないな、うん」
そうブツブツと誰もいない部屋で呟く俺だったが、やがて目的の物を見つけて思考を中断する。
適当なパイプ椅子を引っ張り座りながら、数回ほどリモコンの電源ボタンを連打する。
残念ながら、緊急入院という形で家からはパソコンを持ってきてはいない。
端末は持ってはいるが、現在は充電中で外部の情報を得ることは出来なかった。
そうして、ノイズを吐き出しながらも、テレビは視聴者に求めている情報を与えた。
『御覧ください。廃墟です、廃墟! 本土に人がいる気配はありません!』
映像は生中継のようで、ヘリコプターを使用し、そこからリポーターが状況を伝えていた。
どこかの放送局が視聴率を稼ぎたいのか、夜にも関わらず本土の様子をライブ放送している。
「――――」
彼らが放送している映像では、確かに瓦礫や時々炎が闇夜に映っている。
わずかに興奮を抑えられない様子で、それでもリポーターとして現場の様子を語る。
これが本当ならば、外の世界は既に平和だと言うべきなのだが――
「情報が足りないか……」
ここからではどうしようもなく、ただその映像を見つめる。
きっと視聴率も鰻上りなのだろうかと他のお茶の間の様子を想像して、
『――? あれはなんでしょうか? 何か白い物体が此方に近づいてきて……、あ』
次の瞬間に起きた凄惨たる血の光景、その数秒の出来事に意識を凍りつかせた。