変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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「エピローグ:夜が終わり、日がまた昇る」

 明確に『死』を意識したのはいつだったかと、少女は思い出す。

 

「――なん、で」

 

 紅が暖かく、蒼が冷たい色だと、一体誰が言ったのだろうか。

 そんな訳がないと、血紅色の瞳の少女は今ほど思ったことは後にも先にもないだろう。

 だって、こんなにも紅とは死を連想させるじゃないかと、黒髪を血に染めながら場違いに思う。

 

 『紅色』も『昏色』も、どちらも少女にとっては嫌いな物だった。

 生まれた瞬間からどちらも自らを構成する要因だが、幼少期に散々揶揄われたからか。

 どちらにせよ、今はどうでも良いことだと、地面のアスファルトに己の血を染み込ませながら、

 

「―――――ゴッ、―――――ブッ」

 

「―――ぁ」

 

 強烈な痺れに襲われて動けぬ己の身体、代わりに人の吐音と思わしき音の方向に目を向ける。

 見知らぬ男性だ。いや、数秒前まで全く知らない人なのに、逃げるのが遅れた自分を助けた。

 唇を舐めると判る味、焦げ臭い匂いよりも充満し鼻腔を擽るコレは、男の血なのだろう。

 

 そんな彼はゴボゴボと血塊を口から溢し、濃密な『死』の色を滲ませている。

 

「――――」

 

 白く染まりつつある意識と耳から、己の背後で起きた事故を理解したが、全く体は動かない。

 彼の身体が盾となってくれたにも関わらず、脆弱な肉体は衝撃を受けて立ち上がることも出来ない。

 ただ無様を晒し、醜態を晒し、無能を晒し、そうして目の前の男が死に至る瞬間を見届ける。

 

「――ど、うし、て」

 

 小さく掠れた声が目の前で転がる男に届いたかなど分からない。

 想いも、考えも、どうして助けたのかなど他人に分かるはずがない。

 

 どんな思いで、松葉杖をつく己を助けたのか、本人に聞かなければ分からない。

 そしてその時は恐らく二度と来ないことを、どこか冷静な頭脳が答えを導いた。

 そうして何とか男の顔を見ようと、己の狭まる視界に入れようと首をわずかに動かし、

 

「―――は」

 

 どこか現実離れした血の光景の中で、その瞬間を、男の顔を見て、小さく笑みがこぼれた。

 死に逝く彼の瞳に、昏色の瞳に宿る感情、自らにも宿り巣食う『絶望』という名の病を見つけた。

 

 自分と同じこの世界に希望を見いだせず、狂気に染まり、狂喜を求めた双眸を少女は見た。

 きっと鏡を見れば、自分も目の前の男と同じ目をしているはずだと場違いに頬を緩めた。

 

 全てを救う『勇者』など、この世のどこにも存在しない。

 ただの偽善が蔓延り、目の前の自殺者に救われただけ。

 

 ――それを少女は嬉しく思い、そして祈った。

 

 もしも、彼の人生の終わりの果てに『次』があるのなら、彼に幸福があらんことを。

 この狂気の偽善者がどのような心境で他者を救っても、それで救われた者もいる。

 青白く冷たくなっていく手の持ち主、魂を血に染め死へと赴く男への、最初で最後の祈り。

 

 それが男の旅路の終わり。

 そして少女の旅路の始まり。

 

「――――」

 

 意識が途絶する瞬間。

 少女が最後に首を上に傾けると、空に七色に輝く暖かな光を見たような気がした。

 その光の先、濃紺に広がる黄昏の闇を貫かんと、無限の白い星々が隕ちてくるのを見た。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 ――思い出せない長い夢を見たような気がした。

 

 瞼を開き、自らの肉体がどこか見慣れた地面に立っていることを認識する。

 同時に湯舟に沈むような柔らかな眠気から意識が乖離していく感覚に満たされていく。

 

「――――」

 

 思わず息を吐き、肺から空気を抜き、また冷たい夜の空気を取り込んでいく。

 そんな夜風が自分の頬を優しく撫でていき、同時に周囲にある草木を揺らし空へと舞い上がる。

 小風に巻き込まれた小さな木の葉を照らし出すのは、黄金色に光を放ち輝く満月と夜の星々だ。

 

「やあ」

 

 そうして数秒月夜に目を奪われていると、神経を溶かすような甘やかな声音。

 果てが見えず、ひたすらに闇が広がり、漆黒に塗り潰された中で僅かに煌めく光の下で、

 

「――よお」

 

 この少女は背後から話し掛けるのが好きなのだろうかと、そんな事を思いながら振り返る。

 柔らかな土を踏みしめる感覚と共に、己の視線がその可憐な黒髪の少女の姿を確かめた。

 何となく掠れた声を震わせて、決してその少女の名前ではないが、呼び慣れたソレを口にする。

 

「久しぶりだな、初代」

 

「そうだね」

 

 血紅色の瞳を煌かせ、クツ……と独特な含み笑いを響かせる少女は、いつもの場所にいた。

 巨大な桜の樹を背後に置き、白い丸テーブルを挟みながら、抑揚を減らした声音で此方に応じる。

 トントンと指先がテーブルの上を叩く小気味良いリズムが、言葉に出さずとも座れという意思を示す。

 

「――。どうして俺、ここに来たんだっけ……」

 

「うん?」

 

 小首を傾げる指輪の王。

 その胡散臭さと可愛さを両立させた仕草をする黒髪の少女に、俺は小さく頷いた。

 己の意思でこの世界に入ったにしては、その過程に至る前後の記憶はない。

 当然、目の前に座る少女が呼んだ可能性も考えられるが、それにしては突然だった。

 

「俺って、どうなったんだ……?」

 

「――――」

 

 おぼろげだが記憶はある。

 神世紀301年2月、新生『大社』の最初の任務、『真・国造り』作戦は結果から言うと成功した。

 霊山に土地神の一柱を納めていくことで、枯渇し掛けていた神樹の力を少しずつ取り戻していった。

 

 外の世界は、天の神によって理を塗り替えられた時点で時が止まっていた。

 だから、崩壊からおよそ5年ほどしか経過していない廃墟群や星屑に喰われたらしき人骨も見てきた。

 人にしか興味を示さない星屑、しかしその余波だけで、かつての人類の英知は尽く瓦礫へと消えていた。

 

 そんな状況下で『真・国造り』の儀を執り行い、本土から星屑等の敵は消えたように思えた。

 それから人類が箱庭の外、近畿地方に仮拠点を配置し、少しずつ生活拠点を広げていた。

 神の庇護から自立して、少しずつ自分たちだけで生きていけるように。

 

「けど、西暦の時代のようにはいかなかった……」

 

 確かに人類の生存圏は旧四国から、日本の領土を奪還することは出来た。

 少しずつ復興していく中で生き残った人類は、それでも一丸となることは出来なかった。

 

 真実を知り、そして天の神を復活させようとする集団。人工勇者。海外からの敵と勇者。

 そんな風に敵は現れて、事件に遭遇して、新たな仲間を得ていき、そうして時が流れた。

 

 土地神に力が戻り、国土防衛の為に新たな勇者が生まれ、無垢な少年少女に継承されていった。

 何を思ったのか、神樹は無垢な少女だけではなく、少ないが少年も勇者に選ぶようになった。

 いつか、必ず世界に平和が訪れるまで、勇者は戦いを終えることはないだろう。

 

「そうだったね、ボクも見てたよ」

 

「そうかい……」

 

「――――」

 

「――――」

 

 久方ぶりの夜会は、静かだった。

 俺は彼女に何を話していいのか分からなかった。

 だが、あれからも絶えず指輪を身に着けていたのなら分かるだろう。

 

「なあ、初代」

 

「なんだい?」

 

「俺は、死んだのか」

 

「そうだよ」

 

 淡々と、静かで真面目な声音で肯定を返された。

 だが同時に、ストンと何か詰まった物が突き抜けた感覚があった。納得がいった。

 記憶はあった。望み続けた家族を作り、子供を作り、病院で彼らに囲まれて死んだらしい記憶。

 

 あれから少なくない年月が流れていた。

 どこか認めたくない思いもあったに違いない。

 だから、彼女の言葉に対して、憤りよりも安堵を覚えた。

 

「そうか……」

 

「55歳なら、それなりに生きた方じゃないかな。あの時代は平均寿命もそんなに長くないようだし。加賀の家系はあまり長生きはしない方だね」

 

「――――」

 

「結局キミは宗一朗ほどとはいかずに、結構ヤらかしたしね。面白かったよ」

 

「……そうだっけ、覚えてないな。終わり良ければ総て良しだ」

 

 何となく手を見ると随分若い気がする。

 それなりにヤンチャした記憶どころか、虫食いのように記憶に穴がある。

 この身体、意識もまたボロボロに酷使されたのだけは何となくだが覚えている。

 

「まあ、いいや」

 

 今更になって思う事があるとすればわずかな後悔だろうか。

 あの時こうすればとか、もっと上手くやることが出来た場面もあった気がする。

 

 ――後悔しない。

 

 あの日の『誓い』、加賀亮之佑の始まりの日を覚えている。

 あの冴えた月に見下ろされて立てた『誓い』に、俺は今まで突き動かされてきた。

 その強大な思いが今は嘘のように軽いのは、肉体という鎖から解き放たれた所為だろうか。

 

 だけれども、もういいのだ。

 もう、満足だ。

 

「――そうだ、初代」

 

「うん? ああ、ボクの旅路はあの瞬間に果たされたような物だからね。もういいんだ」

 

「――――」

 

 わずかに微笑を浮かべる少女の姿を己の双眸に見る。

 あの瞬間とはつまり、天の神を撃破した瞬間の事だろう。

 

「ボクはキミを待ってたんだ」

 

「――死ぬのをか?」

 

「そうだね……。うん、そう、この意識はその為だけに残ってたんだ」

 

 そう穏やかに自らの胸に手を当てる初代の姿は、本当に静かな声音だった。

 確かに彼女がいなくとも、指輪の機能が働かなくとも、世界のほとんどは平和になった。

 天の神へ復讐するという彼女の思いは果たされ、あとは意識を残すだけなのだろう。

 

「死ねばどうなるんだ?」

 

「全てが無に、因果が巡る。それは神樹を介して、大地に溶け、時間を流れ、別の物になる」

 

「――――」

 

 残念ながら、初代曰く天国や地獄という物はないらしい。

 ただこの意識ももうすぐ消え、何か別の物に生まれ変わるのだろう。

 ……もしくは、目の前の少女がただ知ったかぶりをしているという可能性に賭けるとしよう。

 

 そんな事を思っていると、椅子から初代が立ち上がり、指である方向を示した。

 その指先、何となく俺も立ち上がり振り向くと、この世界で終ぞ見られなかった光景を目にした。

 

 夜が終われば朝が来る。

 この夜の世界にも、その果てから和やかな白い光が昇っていく。

 生まれたばかりの太陽が、この世界に新しい幻想的な景色を作り出していく。

 

「そうだ、半身。あの時の最後の望み、聞いて貰おうか」

 

「――――」

 

 その光景を見て呆ける俺は、ただ心地よい少女の言葉に耳を傾ける。

 俺の隣に並び立つ少女、わずかに俺よりも低い背丈の少女は手袋に包まれた手を差し出した。

 

「――ボクについてきてくれ」

 

「……よろこんで」

 

 ダンスに誘うように。

 交錯する血紅色の瞳は揺らぐことはなく。

 

 差し出された少女の手は、朝日の光を受けて透明に薄く照らし出されている。

 小さな最後の望みを叶えるべく、彼女の手を握った俺の手も、その意識も既に薄れかけていた。

 そうして暖かな彼女の体温を感じながら、ゆっくりと散歩するように白い光に向かって歩いていく。

 

 

 冴えた月が消える中、少女とその半身は、歩いて、いく――――

 

 

 

 ---

 

 

 

 永久に続く戦いの果てに得た、悠久の安寧。

 後悔も、復讐も、全てを終わらせた、穏やかな時間。

 

 死によって始まり、死によって終わる。

 これは、人生という旅路を、ただの一度も後悔せず生き抜いた男と少女の物語。

 

 

『変わらぬ空で、貴方に愛を』-完-

 

 




---

以上で本編は終わり。
死で開幕したなら、死で閉幕するという男の物語。
この後は、リクエストや蛇足話、ギルティな話など書きたいなと。
最後に80話と長くなりましたが、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。
感想、評価よろしくお願いします。

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