うどんを食べると身体が喜びの声を上げるのが解る。
それは年月の長さによるUDON因子が、麺を汁を啜り食べる度に活性化していくからか。
それとも独りで食べるのではなく、目の前の誰かと共に食事をする事が嬉しいと思うからか。
「……美味いね」
「うん!」
ズルズルと細くコシが強く歯ごたえのある白い麺が己の舌を通り喉を滑り抜けていく。
つゆは滑らかなうどんの肌を優しく包む薄絹の風合いで、お互いが自然と融合しているのが分かる。
しみじみと心に染みる味と彩りは俺の胃袋を満たし、冷めた心を温かくしていくのを感じた。
「ねえ、亮ちゃん」
「ん……?」
しばらく無言でうどんと二人だけの世界にいると、テーブルを挟み相対する少女から声が掛かる。
己の名前を呼ばれ、その鈴音のような声が鼓膜に響き、器から顔を上げ無言で少女に目を向ける。
無邪気な笑顔が世界で誰よりも似合う、華が咲いたと言えば脳裏で一番最初に浮かべる少女。
赤い髪、薄紅色の瞳を長い睫が彩り、白い肌が幼さとあどけなさのある少女の童顔を可憐に飾る。
友奈との長い付き合いは、彼女の向かいに引っ越してから既に4年目が経過しようとしていた。
「で、どうしたんだ? 友奈」
キチンと口の中にある物を飲み込み、ついでに汁を一口飲み俺は口を開いた。
「……一昨日の部活は面白かったね!」
「ああ、そうだな。勇者部での放送も面白かったな」
「だね!」
楽しそうに喋る友奈の姿に自然と頬が緩むのは彼女の人徳の所為か。
にへらっとした笑みを浮かべる友奈の柔らかな笑みを見ながら、一昨日の出来事を思い出す。
勇者部と、俺が以前から実質掛け持ち状態の放送部とのコラボ企画の放送が行われることになった。
コツコツと人脈を広げ、部の名前が広がる中で、俺以外の勇者部の少女が出演する機会を得た。
放送部側から持ち掛けられ、部の宣伝も兼ねるとのことで名誉部長の風のテンションは最高潮だった。
当然、少女たちの中で誰が放送に出るか決める勝負がある日の放課後に行われた。
内容は学校の敷地を使った『かくれんぼ』と、色々と一悶着あったがそれはまた別の話だ。
『勇者部活動報告ーー!!』
『えー、木曜日の昼の時間を借りて始まりました、今回は勇者部のみなさんです!』
『こ、こんにちはーー! えっと、私たちは……えー』
『お姉ちゃん、ここ読んで』
『ああ、ありがとね樹……友奈!』
『はい!』
『ここは任せた!』
結果から言うと、戦いの勝者は友奈、風、樹の3人に決まった。
一応台本はあり、どんな活動を行っているのか、普段は何をしているのか、そういった内容を語る。
本番は放送室で収録したのだが、実際は緊張した風を樹と友奈がフォローするという状態だった。
中々新鮮な少女たちの語りではあったが、それが受けたらしい。
次の日、改めて認知度が上がったのか勇者部への依頼が少し増加したのは先週の話だ。
そうして週が変わり、一昨日また少し慣れた彼女たちの声音を昼ご飯のお供に聞いていた。
そんな事を思い出し思わず小さく含み笑いをすると、友奈もまた楽しそうに笑みを浮かべた。
「みんな良い声だったよ。きっと声優にだってなれるくらいにさ」
「んへへ、嬉しいな!」
今日、俺と友奈は二人で『かめや』にうどんを食べに来ていた。
そろそろ12月も中盤を終え、既に讃州中学校は冬休みに入ろうとしていた。
いつの時代も長期休暇という物は素晴らしい。そんな感傷に小さく俺は笑みを浮かべる。
「友奈の、美味しそうだね。二個頂戴」
「じゃあ、亮ちゃんのと交換ね!」
「……おーけい」
友奈が頼んだ『肉ぶっかけうどん』と、俺が頼んだ『エビ天ぷらうどん』のトレード。
このやり取りに懐かしさを感じながら交渉が成立したので天ぷらと牛肉を交換していく。
箸で彼女の椀に天ぷらを入れ、友奈の箸でうどんのつゆが染み込んだ牛肉が俺の椀に運ばれる。
ユウナエキスが染み込んだ牛肉はホロホロと柔らかく、口に含んだ瞬間に舌の上で溶けていく。
口の中で満開したような引き締まった極上の風味にコクコクと頷きながら飲み込んでいく。
「美味しい」
「だね……!」
そんな風に黙々とうどんを食べていると、ふいに見知らぬ人の声が耳に届いた。
店内の片隅に配置されている小さなテレビ、そこから流れるニュースを目端で捉える。
『社会的現象として若者の間で人気となっている映画“うどんが前世”の続編である“そばが来世”が来年緊急放映するという会見がありましたが――』
『そうですね、確かに凄まじいタイトルですが、その内容がまた――』
「えぇ……」
「この映画凄いよねー。次の作品も楽しみだね!」
「えっ……、あ、はい」
この世界に転生してもう十数年と生きてきたが、この世界の住人のセンスは不明だ。
この箱庭の住人の方が考え方としては普通なのだろうが少し疑問に思わない訳ではない。
ニコニコと少し前に東郷と観に行ったと口にする友奈の顔を見ながら、コクリと曖昧に頷き同意する。
『続いてのニュースです。血のクリスマスイヴから1年。被害者の悲しみは未だに――』
「……」
「ごちそうさま。そろそろ行こっか、亮ちゃん」
「……そうだな、ごちそうさま」
---
『かめや』を出ると冬の乾いた風に首を竦める。
空を見上げると未だ雪は降らずとも曇天がどこまでも広がり、静かに俺と友奈を見下ろす。
すっかり気温は下がったなと思いながら、二人でゆっくりと家までの帰り道を歩いていく。
「そろそろ雪が降りそうだな……」
「そうだね」
街道に飾られたイルミネーションを見ながら呟くと、静かに友奈は同調する。
その声色に、道で何かを売っている可愛いお姉さんたちから隣で歩く赤色の少女に目を向ける。
「……どうかしたか、友奈」
「えっ……?」
「なんか元気なくなったから」
「……ちょっとだけ、嫌な事思い出しちゃって」
「――――」
そう言いながら静かに友奈は笑みを浮かべた。
それは笑みでありながら、いつもと異なりどこか辛そうで寂しそうで悲しそうだった。
その表情はどこかで見た覚えがあり、どこだったかと記憶の中を探ると思い出す事があった。
神世紀300年の12月24日。
つまり去年の冬、世間では『血のクリスマスイヴ』と呼ばれている天の神の襲撃があった日だ。
神に祟られていた友奈の手を引いて歩き、結界が破壊された直後に見た彼女の悲痛に満ちた顔に似ている。
あれから1年、それなりに色々とあったがそれでも時間は巡る。
季節は春に夏に秋になり、そして今年も冬はやってきたのだ。
「……りょ」
「友奈」
唐突に友奈が口を開くのと、俺が唇を震わせ愛おしい彼女の名前を呼ぶのは同時だった。
歩みを止めずお互いの歩調を合わせたまま、拳一つ分お互いに距離が開いた中で言葉を紡ぐ。
「手、つなごうか」
「ほぇ……?」
一体何を言っているのかとこちらを見上げる友奈の冷えた手を俺は取る。
外気に触れたからか少し冷えているが、友奈の手は柔らかく女の子だと思わせるには充分だ。
この手が多くの人に勇気を与え、多くの敵を退けてきたのだと思うと少し感慨深く感じる。
「……亮ちゃんの手、冷たいね」
「友奈だって冷たいよ」
「……ふふっ」
何が面白いのか、小さく微笑む友奈は俺の手を解くことなく握る手に力を入れる。
唐突な行為だったが、友奈の態度的に問題はなさそうなので握り締めた手を己のコートのポケットに入れる。
ポケットの中で指を絡め合っているとお互いの熱に少しずつ手が温まるのを感じた。
「……あったかいね」
それは友奈も同じだったらしく、小さく息を吐くように言う。
ゆっくりと歩調を合わせて二人、俺と友奈は家への道を歩いていく。
「……私ね、去年の事、思い出してた」
「そっか」
「あの時は本当に、亮ちゃんが、死んじゃったって……、そう思って……」
「――――」
「―――私の目の前で冷たくなっていく亮ちゃんを見て、私ってこんなに無力なんだなって」
声を、身体を震わせて、友奈は自分の想いを吐露する。
脚を止めて友奈の方をそっと見ると、僅かに顔を上げて薄紅色の瞳を揺らしている。
いつの間にか少しだけ彼女との身長に差が出来たことに時の流れを感じつつ、それでも口を開く。
「だけど、俺は生きてた」
「うん……でもね、私不安なんだ。またあの時みたいな事が今後も起きるんじゃないかって……」
いつも明るい友奈とは正反対の表情を浮かべている。
不安を瞳に宿し、見えない未来という暗闇に怯えるただの少女が隣に立っている。
珍しいとは思わない。寧ろその心情をこんなにも簡単に吐露してくれることを嬉しく思う。
「――――」
こういう時、どんな事を言えばいいか分からなくなる。
笑うことも出来ず、いつもの紳士調の語りもできず、それでも何とか思いを口にする。
確かに怪我を負い、血を流し、友奈とは今生の別れと思ってあの時告白したのを覚えている。
あの時の怪我は、胸部分に確かな傷跡として残っている。
それを知っているからか、友奈の瞳は揺らぎ、コートを通して胸元に向けられていた。
唇を小さく噛み、かつての記憶に囚われて、友奈は悲しみを瞳に宿し微かに涙を浮かべている。
唐突だとは思わなかった。
この季節だからだとか、さっきのニュースを耳にしたからだとか。
ただ、未だに天の神の影響は、微かにだが友奈の心の中に残っているのだと理解した。
だがあの憎き不条理の影を前にして、俺の言葉も態度も彼女に届き伝わるとは思えない。
だから、
「――ぁ」
「――――」
その震える小さく華奢な身体を俺は抱きしめた。
二度とどこにも離さないように、その意志をただ行動で目の前で不安に怯える少女に伝える。
抵抗はなかった。抱きしめた瞬間、僅かに身体を硬直させたが、やがてゆっくりと弛緩させる。
「――言っただろ。俺は友奈の勇者になるって」
「……」
「たとえ神だろうと、運命だろうとも、俺はもう二度と友奈を離すつもりはないよ」
「―――っ」
この想いがせめて友奈に届くように。
去年のクリスマスが嫌な思い出だというのなら、今年も来年も幸せにして見せると。
今一度この腕の中にいる友奈という少女を俺は見下ろし、少女もまた俺を見上げ視線が交錯する。
「俺は友奈が好きだ」
「――――」
「この想いは、死してもなお……いや、どんなに傷を負っても、どれだけ死に追われても決して変わらなかった。あれから時間は経ったけど、それでも俺は変わらずに友奈が好きだ。だから大丈夫だよ」
「答えになってないよぉ……」
「なっているさ。これからも友奈を離さないし、もう二度と不安になんて絶対にさせないよ。だって……」
「好きだから……?」
「ああ」
背中に手を回し、こちらを見上げる友奈と至近距離で息を忘れて見つめ合う。
俺の言葉を引き継ぎ、理屈でも何でもない言葉に、ただそこに込めた想いに友奈は呆然とする。
お互いの額を合わせて、少女の白い頬を伝う涙は月の滴のように煌めき落ちていく。
「重いか?」
「ううん。私は……、私も、亮ちゃんと離れたくないよ……」
「なら、こうして掴まえていてくれよ。こんな風に、ずっとさ」
「……うん、うん!」
先程までコートのポケットに入れていた握り合った手を見せる。
この話の最中も決して離すことはなかった、握り締めた行動の証明だと俺が笑っていると、
ふと俺の頬に片手を触れる友奈の顔が、視界に広がるように接近するのに対し咄嗟に動けず、
「――んっ」
「――――」
息すら間に入れない距離、その距離すら縮めて互いの息遣いが絡み合った。
唇が触れるだけの啄むようなキス、だが膨大な熱と柔らかさに意識が奪われていく。
思考すら奪われるような、そんな暖かみのあるキスはほんの数秒の出来事だったが、
「――――」
「え、へへ……」
馬鹿みたいに呆ける自分に、友奈の唇がかすかに微笑を描いた。
そうして俺の腕の中から抜け出し、だが握った手は離さずゆっくりと歩き出す。
それは空元気なのかもしれない。本当に不安を払拭出来たのかすら俺には分からない。
「帰ろ、亮ちゃん。お家に!」
「……ああ」
そんな思いは、振り返る友奈の笑みに吹き飛ぶ。
桜が咲き誇るような、わずかに頬を赤く染める俺が好きな笑顔に小さく見惚れる。
だから彼女の言葉に返事をして、手を引かれながら曇天の空模様の下を一緒に歩き出したのだ。
歩き出したのだ。
ちなみに、友奈の言う『お家』が加賀家の方だった事は亮之佑の心を温めたらしい。
メリークリスマス。