変わらぬ空で、貴方に愛を   作:毒蛇

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【短編】 誰もいないから

「――抱きしめると、凄いんだって~」

 

 その言葉に、加賀亮之佑は血紅色の瞳を向けた。

 どこか間延びした穏やかな声音が、すぐ隣に座る少女から発せられた。

 付き合いも長く聞き慣れた、見知った少女の声が独り言の如く、少年の耳朶に響く。

 

「――――」

 

 少年が向けた視線の先、隣のパイプ椅子に座る金色の少女。

 ワンピースタイプの制服に身を包み、長い金色の髪を白いリボンで束ねた少女だ。

 

「――――」

 

 乃木園子。正真正銘のお嬢様である彼女は、しかし亮之佑を見る事は無い。

 『サンチョ』というキャラを模した枕を抱えながら、器用に本に目を向けている。

 だからこそ、どこか独り言のような、聞いて欲しいような言葉に亮之佑は反応に困った。

 

 ペラリ、と単行本のページを捲る音が聞こえる。

 わずかに俯き、どこか真剣みを帯びた少女の視線は、連なった文字に注がれている。

 その眼差しの先にあるのは空想の御伽噺か、何かの学問書か、定かではない。

 

 ならば聞けばいいだけの話だ。

 「一体何を読んでいるのか」と。今更躊躇うような関係ではないはずだ。

 

「――――」

 

 だというのに、亮之佑は園子の横顔を見て躊躇していた。

 金色の髪、雪肌の如く白い肌、琥珀色の眼差し、形の良い眉、薄い唇と、ただ静かに見ていた。

 端的に言うなら、現実離れした超絶美少女の人形のような姿に、ただ、見惚れていただけだ。

 

 少年と少女の距離は近い。

 拳一つ分という隙間しかなく、少女の甘い香りすら仄かに感じられる程だ。

 このままずっとこうしていたいと、そう思える程に穏やかで、静かな空間であった。

 

 ――今は園子と亮之佑以外誰もいない。誰も。

 

「……抱きしめると、凄いんだって」

 

「……」

 

 再び、少女の薄い唇から金鈴の如き声が言葉を紡いだ。

 ゆっくりと息を吐くように呟いた少女の声は、しっかりと亮之佑に届いた。 

 

 ペラリ、と再びページが捲れる。

 少女の細い指が白い紙を捲り、本の中の文章を進めた証だ。

 繰り返すように告げた園子の言葉、しかしその眼差しは隣に座る亮之佑に向けられない。

 

 物語ならば、きっと何かしらの話が進んだことだろう。

 きっと、園子が好きそうな奇想天外な展開が目まぐるしく進んでいるのだろう。

 それだけ熱中する何かがある事も、そういう経験がある亮之佑にも理解はある方だ。

 

「――――」

 

 ただ、それでも個人的に一つだけ気になる事があった。

 ゆっくりと亮之佑は、己の右手の人差し指を無言のままで園子の頬に伸ばした。

 虚空を漂い、漂流したような動きだったが、目指す場所には何一つ間違うことなく届いた。

 

「抱き……」

 

「そい」

 

「……ん、ん……?」

 

 ふにゅんと指が少女の頬に触れた。

 柔らかでしっとりとした頬肉と、プリンのように指が沈む感触に、言いようのない感覚に襲われた。何度も触りたいと思う動きは少女の唇から息を漏らし、何とも言えない不思議な気分になった。

 

 思わず笑いたくなる程の心地良さに、亮之佑は小さく口角を上げた。

 こういった行動が一部の人間から悪戯っぽいと言われる要因だったが、どうでも良かった。

 他人の考えなんて物は脅迫したところで変わる訳ではない。どうしようもない部分は多々ある。

 

 何よりも、亮之佑がしたかったのは頬を突くことではない。

 それは手段でありながらも、決して目的ではなかったのだ。

 異物が頬に触れ続ける感触に、本に視線を向けていた園子は顔を上げ、琥珀色の視線を向けた。

 

 そうして初めて園子の瞳に亮之佑が映し出された。

 不満気に、それでいてどこか満足気な紅色の瞳の少年がゆっくりと頬から指を離した。

 

「えっと――」

 

「俺と話をしたいなら、キチンと目を見てからにして貰おうか。園子」

 

「……ぁ、うん。ごめんね~」

 

「いいよ」

 

 どこか呆然とする瞳に、亮之佑の言葉を噛み砕くのに時間は掛からなかった。

 理解を示し、謝る園子に頷き返しながら、頬を突きたがる指を拳を握り抑えながら告げた。

 

「それで?」

 

「うん?」

 

「抱きしめると凄いってのは?」

 

「う〜んとね〜、一日30秒抱きしめ合うと1/3のストレスが無くなるんだって~」

 

「凄いじゃないか。他には?」

 

 どこか楽しそうな顔をしながら、園子は亮之佑に説明した。

 サンチョを抱きしめながら柔和な微笑を浮かべる少女に、亮之佑は相槌を打つ。

 園子の言葉が正しければ、90秒抱きしめ合えばストレスフリーの生活が待っているのだ。

 

 疑う訳ではない。相手は園子なのだ。

 亮之佑にとって、この世界で少ない信頼と信用のおける少女の言葉である。

 

「他には不眠にも効くんよ。あと多幸感も増えるって~」

 

「ほう」

 

 聞く限り良い事尽くめである。

 この世界では確認されていないが、旧世紀の外国人のハグの効果は高いらしい。

 医療でも『ハグヒーリング』なる物があるのだと力説する園子の語りに亮之佑は頷いた。

 

「そうなんだ」

 

「かっきー、今日は反応が薄いよ。大丈夫? 疲れてない? ハグしよ?」

 

「急だな。園ちゃんらしいけど」

 

「わ~! 褒められた~」

 

 だからこそ、両手を広げ小首を傾げる園子の言葉に対しての驚きは少なかった。

 何となくではあるが、付き合いの長さも相まって彼女がこう言ってくる予感はあった。

 椅子に腰掛け、重心を亮之佑の方に傾けながら向けられる園子の視線を亮之佑は見返す。

 

「……まあ、いいけど。なんか今更感というか、それ以上の事も」

 

「かっきー」

 

「独り言だよ」

 

 何かを口走りかけた亮之佑の名前を園子は呼ぶ。

 特に意識する程の事ではない。ただ抱きしめ合うという行為でしかないのだ。

 ただ場所が場所である。亮之佑と園子、二人がいる場所はお互いの家ではなく学校なのだ。

 

 即ち、現在他の部員たちが留守にしている部室にいる。

 既に放課後ではあるが、それでも壁に耳あり障子に目ありという言葉がある。

 尤も、『夜の奇術師』という評判は凄まじく、様々な噂が有象無象の間で既に流れているが。

 

「そういうの私、気にしないよ~」

 

「……そっか。そうだったな」

 

 噂や見た目、評判で人を評価しない。

 言葉にすれば簡単だが、実際に行動できる人間はほんの一握りしかいない。

 目の前のフランクで温厚な彼女であっても、『乃木』家であるというだけで自然と避けられた。そんな風に神樹館小学校ではお互い以外に友達が出来なかったのは懐かしい話だ。

 

 ゆるりと立ち上がる亮之佑とほぼ同時に園子は立ち上がった。

 中学生故かあまり身長に差は無く、僅かに園子が亮之佑を見上げる程度である。

 

「それで……どうすればいいんだ?」

 

「抱きしめ合うだけだよ~」

 

 向かい合い尋ねる亮之佑に、端的に告げる園子の頬にはわずかに朱が差していた。

 そんな少女を前にして、照れ臭さに亮之佑の頬が不自然に緩みかけるが、辛うじて自制する。

 

「じゃあ」

 

「うん」

 

 一歩分の距離。

 お互いに言葉少なにその距離を縮め、亮之佑は園子を両腕で抱きしめた。

 

「――――」

 

 細く、柔らかく、暖かい身体に腕を回す。

 背中に回した手が長い金色の髪の毛に触れ、同時に少女の香りが鼻腔一杯に広がる。

 そうして数秒の内に、亮之佑の背中に感じる園子の手の感触にゆっくりと力を抜いた。

 

 鼓動が聞こえた。

 トクン、トクン、と目を閉じると感じられる心の鼓動が身体を通じて聞こえる。

 息を吐き再び吸い、肺に息を入れながら、安らぎという意味を亮之佑は真に知った気がした。

 

「……幸せ」

 

「――――」

 

 神経が過敏になったようだった。

 ボソリと呟かれた少女の声、安心したような声音で亮之佑に囁かれた。

 脳に直接響くような言葉に同意の意味を込めて腕に力を入れると、「ん」と少女の声が漏れる。

 

「……そうだな」

 

 10秒、20秒、30秒。

 それ以降の時間を数え忘れて、それでも亮之佑は園子から離れることが無かった。

 タイミングを失くした訳ではない。嫌なんてはずがない。単純にこのままでいたかった。

 

「こうしていると、落ち着くよ。毎日したいくらいだよ」

 

「……本当に~……?」

 

「ああ、本当さ」

 

「…………そっか。分かった」

 

「何が?」

 

「明日も、明後日も、かっきーと抱き合うんよ」

 

「それも……いいかもな」

 

 それは紛れもなく奇術師としてでも勇者としてでもない、亮之佑の本心だった。

 二人を除き、誰もいない静寂、静けさだけが広がる部室でただ抱き合う男女。

 割れ物を扱うように、愛おし気に、優し気に背中に触れる園子の手の感触が伝わる。

 

「――――」

 

 人肌は心地良かったが、だからこそ、それに溺れてしまいそうで怖かった。

 まるで大切なモノを扱うような、繊細な手つきが、亮之佑を大事にしていると分かって。

 

「もう少しだけ、こうしていたいな~」

 

 少女の頬の感触が亮之佑の頬に軽く触れる。

 二つが一つになったような触れ合い、目を閉じると伝わる二つの心の鼓動は穏やかだ。

 

「――――」

 

 離し時を見失って、背中に回した手はそのままで。

 その柔らかさが、その香りが、その暖かさが、その言葉が亮之佑に染み込んでいく。

 

「……」

 

「かっきー?」

 

「――。園子を抱いていると落ち着くよ。だから、これからはこうして抱き合ってもいいかもな」

 

「――かっきーは私のこと、スキ?」

 

「ああ、好きだよ。本当に。……さ、そろそろ他の部員たちが帰ってくるぞ」

 

「かっきーがデレた~!」

 

「冗談だ」

 

「わわ!? どっちが~?」

 

 そっと離れた残り香が亮之佑の鼻腔をくすぐる。

 そうして離れながらも目の前の少女に血の瞳を向け、少年は薄く微笑んだのだ。

 

 

 




ハグって浮気防止の効果もあるらしいです。
ちなみに今話は何かの記念日でもなく、ふと思いついた小ネタです。
そして誤字報告、評価、感想。ありがとうございました。
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