息を吸っては静かに息を吐く。
肺の中に空気を入れて、再び外へと吐き出していく行為。
その行為を意識的に繰り返しながら、赤い髪の少女はふと窓を見る。
窓から見える景色、眼前に広がる土と草木と華と、青色の空がどこまでも広がる。
幼さのある顔立ちの少女は、薄紅色の瞳に窓から見える景色を映しながら小さく呟いた。
「春だね」
「……そうね」
小さく呟かれる言葉に同意する言葉。
後頭部で纏めた髪を揺らし、その声音が聞こえた方向に少女は顔を向ける。
彼女が視線を向ける先、長い黒髪を青いリボンで束ねた壮麗な少女が頷き返す。
「今日はぽかぽかしてるね……東郷さん」
「そうね、友奈ちゃん」
窓から見上げた空は一面が青色と白色に彩られている。
小さく開けた窓からは静かに風が入り込み、少女の髪をたなびかせる。
「こういう日は外で鬼ごっことかしてみたいね!」
「ふふっ……友奈ちゃんったら……、みんなに連絡してみる?」
「……ううん、言ってみただけだよ」
今日は久方振りに天気が良いと、少女達の考えは一致していた。
既に勇者部でお花見も済ませたが、再び行きたくなるような天気だ。
――だが、今は難しいだろう。
「――――」
東郷の視線を受け友奈はわずかに俯く。
それは後ろめたさではなく、単純にその視線に誘導された結果に過ぎない。
「――――」
友奈の膝の上で寝ている少年。
死んでしまったのかと思うくらい、少年の寝顔は静かなものだった。
特別に寝不足というわけでもなく、最近は『勇者』としての活動も少ない方だが――、
「亮くん、大丈夫?」
「うん。きっと、もう少しすれば起きるよ」
「……そう」
最近、電池が切れたように少女の膝の上で亮之佑は眠る時がある。
金色の長い髪が特徴的な少女の癖が移ったように昼寝をする少年を少女は見下ろす。
額を撫で、睫毛を指で弄り、寝顔を自由にする友奈の隣に腰掛ける東郷は周囲を見渡す。
「――――」
畳と障子、和を中心とし、バリアフリーの痕跡の残る屋敷のとある一室だ。
東郷の住まう屋敷の一室、目の前の二人が訪れた際に真っ先に案内する自室だ。
赤い髪の少女はともかく、東郷が見下ろす黒髪の少年が寝るのは珍しく――嬉しく感じる。
他人の家で眠るという行為。
一部の人間を除けば、それはある程度の信頼が培われなくてはあり得ない行為だ。
乱れた少年の髪の毛に手を伸ばし、そっと指で弄りながら東郷はそんな事をふと思った。
「ねえ、友奈ちゃん」
「なに……?」
「ぼた餅、食べる?」
「ありがとう。……でも、せっかくだし亮ちゃんとも一緒に食べたいなって……」
自然と小声になり、少年を起こさないように友奈と東郷は顔を合わせ囁き合う。
そんな気遣いの精神より生まれた行動故にか、死んだような寝顔の少年は目覚めない。
スカートとハイニーソの出で立ち、時折太腿に髪が擦れくすぐったそうにする少女は微笑む。
「ねえ、友奈ちゃん」
「何? 東郷さん」
「30秒間抱きしめ合うと身体のストレスが随分減るらしいっていうの……知ってる?」
「うん、園ちゃんから聞いたよ!」
そんな少女の隣で、薄青色の洋服に身を包む東郷も言葉少なに微笑み返す。
そうして数分が経過した頃、赤い髪の少女の膝に頭を乗せていた少年は身動ぎした。
「――ん」
「ぁ、起きたよ、東郷さん」
瞼を震わせ、血紅色の瞳を覗かせた少年。
その瞳は虚ろながら、ぼんやりと周囲を見渡し二人の少女と視線に気づいた。
徐々に意識の覚醒に伴い、瞬きを繰り返す少年はしばらく少女達と視線を交わらせる。
「おはよう、亮くん」
「おはよう!」
「ああ……おはよう」
欠伸を噛み殺し、僅かに残った眠気に抗いながら亮之佑は身体を起こした。
友奈の腿肉の感触を惜しく感じつつも起き上がり、東郷の姿をぼんやりと見つめる。
「大きいぼたもち」
「……亮くん?」
正確には東郷の首から下部分を見ながら亮之佑は呟いた。
その言葉の真意を数秒で理解した東郷は、静かに微笑みながら少年の名前を呼んだ。
「あ、いえ……マッサージ、じゃなくて……、二人とも何の話をしてたんだ?」
取り繕うように口を開く亮之佑に東郷は疑惑の視線を向ける。
完全に目覚めたのか、その視線を受け流しながら余裕の表情で少年は応じた。
「えっとね、ハグすると凄く身体に良いんだってって東郷さんと話をしてたんだよ!」
「ああ……なるほど」
天真爛漫な笑顔を見せる友奈に小さく微笑みながら亮之佑はコクリと頷く。
どこかで聞いたような話だが、発生源を気にしてもどうしようもないだろう。
もしかしたら、ネタを発掘する為にと手帳片手にどこかに潜んでいるかもしれない。
「いいんじゃない? 二人でやってみたら?」
「りょ、亮くん!?」
「うん! それじゃ……東郷さんにハグー!」
「ぁ……ッ、も、もう……友奈ちゃんったら」
何となくして欲しそうな顔をしていた東郷に友奈は笑顔で抱き着く。
百合の花が咲いた光景に欠伸をする亮之佑だったが、ふと思いつきで呟いた。
「あれって一人で1/3減るから、二人で抱き着けば2/3減るんじゃね?」
「そうなの?」
「たしか、交互にやるか、一緒に抱き着くかだったような……そうじゃないような」
「そっかー」
東郷に抱き着きながら亮之佑と話をする友奈。
おずおずと両手を友奈の背中に回しながら東郷は慌てたように口を開いた。
「あ、あの、友奈ちゃん」
「亮ちゃんも東郷さんに抱き着いてみて!」
「よしきた」
無邪気な笑顔を浮かべながら友奈はそんな事を言った。
ほんわかと笑みを浮かべる友奈に笑みを返しつつ亮之佑は東郷に近づく。
わずかに邪悪な笑みを混ぜながら、抱き着かれ動けない東郷の背後に迫る。
「ぐへへ……」
「あ、あの、亮くん?」
「東郷さんをサンドイッチだー!」
何かあっても寝起きだからという理由にしよう。
すっきりと醒めた意識の下、亮之佑はすぐ近くにいる東郷の背中に抱き着いた。
後悔はなく、むしろ乗り気で少年は黒髪の少女と赤い髪の少女を両腕に抱いたのだった。
---
「カップラーメンってさ」
「ん……?」
静寂の空間を切り裂くような言葉、唐突な少年の言葉に友奈は耳を傾けた。
加賀別宅のリビングにて、訪れていた友奈に構う黒髪の少年は台所から口を開く。
「カップラーメンってさ、たまに食べると美味しいよね」
「そうだね!」
「寒い時に、ここぞって時に食べると良い感じだよね……分かる?」
「今日は少し寒いもんね」
明るい同意の声、柔らかな少女の声音を聞きながら少年はケトルを手に取る。
ヤカンでお湯を沸かすのも良いが、最近買ったばかりだからか何度も使いたくなるのだ。
「あ、もしかして」
開口一番、亮之佑の言葉に何か気付いたのか友奈も台所に脚を向ける。
ふわりと柔らかな石鹸と少女の香りが鼻腔をくすぐり、自然と明るい髪に目が向く。
ポニーテールにした髪、うなじが見える白い首筋は噛みつきたくなる程に綺麗だ。
「ん、まあ……な。夕飯にはまだまだ時間はあるし。ところで友奈って味、何が好きだっけ?」
そんな年頃の男子的な衝動を抑え、亮之佑は視線を逸らす。
その視線に気づきながらも後頭部の髪を揺らし、微笑み掛ける友奈は答えた。
「うーん、どれも好きだよ。亮ちゃんは……」
「味噌味」
「ザ・亮ちゃんって感じだね」
「……うん?」
独特の表現だと思いながら戸棚から取り出した適当なカップ麺の容器を見せる。
醤油味や塩味などを見せ、目線で選ばせながらお湯が沸くのを亮之佑は待った。
顎に指を置き、ムムム……と形の良い眉をひそめた少女は数秒程で醤油味を選んだ。
「そういえば、この前駅前に新しいラーメン屋さんが出来たんだって」
「ふーん。今度行ってみる?」
「そうだね。園ちゃんも誘ってみようと思うんだけど」
蓋を半分まで開き、お湯が沸くのを二人、亮之佑と友奈は待つ。
背中を壁に預け、肩に感じる少女の体温と香りに少年は小さく欠伸をした。
「大丈夫?」
「いや、最近妙に眠くて。まいったね」
「……」
軽い冗談で笑う亮之佑だったが、隣の少女の反応は乏しい。
わずかに顔を向けると、どこか心配したような表情で友奈が距離を縮める。
そうして元々無いような距離は縮まり、正面から見据える形で向かい合う。
「――本当に大丈夫だよね?」
どこか不安気な表情を友奈は見せた。
そんな表情を作らせた事に、少年は酷く心を軋ませた。
「ただの寝不足だよ。大丈夫だよ」
「……そうだよね」
「たぶん」
「ぇ」
口角を上げ小さく笑いかける。
そうして少女の小さく柔らかい手を握り、安心させるように微笑む。
「そうだな……、今日友奈と一緒に寝たら解消されるかも」
「……じゃあ、泊まる」
「……」
「……」
ムムム……としばらく友奈と睨めっこしていると、ケトルの蒸気が噴出した。
お湯が沸き、目を離したのはどちらが先か、亮之佑はケトルを手に取った。
同じく無言になった少女は一歩離れ、コポコポと音を立てて熱湯が容器に注がれるのを見る。
この世界に生を受けたが、以前の世界と似た物を見つけた時は衝撃的だった。
その時の事を思い出しながら、お湯を注いだ容器に蓋をし、亮之佑は口を開いた。
「この3分間って異様に長く感じるんだけど、どう思う?」
「どう? ……うーん、長い、かな?」
亮之佑の問い掛けに小首を傾げた友奈はそう答えた。
その答えは概ね同意見であると亮之佑は思いながら隣の少女に目を向ける。
無防備とも、無警戒とも言える距離感なのは、今に始まったことではない。それだけの信頼を構築できたのだろうかと、しかし口にも出し難いという微妙な心境だと何気なく少女の手を手に取る。
特に抵抗もなく薄紅色の視線を向けられながら、友奈の手に亮之佑は関心を向けた。
暖かく生気を感じる少女の白く滑らかな手だ。
この拳で、『勇者』として多くの敵を屠ってきたのだと感慨深く感じる。
「んっ……どうしたの?」
「いや、人肌が恋しい時期だなって」
「そっか」
ただいつまでも触れていたいと感じる少女の手の感触。
玩具を弄るように、ただしこの世の何よりも繊細に扱う亮之佑に友奈は小さく声を掛けた。
「寂しがり屋だもんね、亮ちゃんは」
「――――」
視線を手のひらから上に上げると少女の瞳と交錯した。
肩に掛からない程度の赤い髪を揺らし、その薄紅色の瞳を亮之佑に向け、薄く微笑む。
「寂しがり屋……ね。なら構ってくれないと気付いたら死んでるかも」
「それは嫌だよ。亮ちゃんには長生きして欲しいよ!」
「――――」
長生きして欲しいと、孫が祖父母に言うような文言を友奈は告げる。
告げた言葉に偽りなど無いと、本心であると告げる少女の瞳に亮之佑は吐息をした。
小さく「は」と吐息をし、やがて少しずつ喉を震わせる笑い声へと変わった。
加賀亮之佑は笑った。
『勇者』としてではなく、誰かの為の『奇術師』としてではなく、素の亮之佑として。
「本当、友奈って……、そういうところだよ」
「ええ!? もしかして怒ってる?」
「まさか。ぐうの音も出なくて面白かったのさ」
肺の中の息を吐き尽くして、再び息を吸い込む。
どこか生活臭のある空気を新鮮な物に感じながら亮之佑は小さく笑った。
そうして、目の前に置いてある蓋をしたカップ麺の容器に手を伸ばした。
3分など気が付けばあっという間であった。
長いと友奈は言っていたが、亮之佑にとっては短いとすら思わせた。
結城友奈が傍にいるだけで、日常の退屈も停滞も消え失せてしまうのだから。
「――そうだ、友奈の元気を分けてちょうだい」
「うん!」
いつか行ったやり取り。
友奈の手のひらは温かく、不思議と活力が湧いてくるのを感じた。
「あっ! そういえば、亮ちゃんの味噌味も美味しそうだね」
「……一口の交換で手を打とう」
「にゃす!」
「―――。昔、思っていた事だけどさ……」
「うん?」
「生きてても良い事なんて無くて、最後はどうやって死のうかって考える事が多かったけど」
「――――」
「今はもう、そんな事はないよ」
---
かつて、絶望と後悔の果てに死んだ男がいた。
生前の思いを苦渋の糧に、決して停滞も後悔もしないと男は誓いを立てた。
己の人生という旅路を誰にも邪魔させないと歩みを止めずに。
第二の人生で、神を殺し、少しずつ退屈に殺されかけた男は。
愛する少女達と共に、生きていく。
少しの停滞を、日常として受け入れて、生きていく。
――いつか死ぬまで、幸せに、生きていく。
平成最後の日という事で。
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