アイドル:池袋晶葉
「おい、プロデューサー。ようやく頼まれていたものが完成したぞ」
疲れなど一切見せず、晴れやかな笑顔を顔に浮かべながら晶葉が言った。彼女の手には実験用の試験管があり、中には半透明な液体が入っていた。彼女が発明した新薬。この薬を飲むと、なんと存在を完全に消すことができるというのだ。
普段はロボット製作を趣味としている彼女だけれど、研究が得意ならば薬品も発明できるのではないかと思ったのだ。そのことを彼女に尋ねてみると『へへん♪ この天才少女の私の手にかかればできぬものなどありはしない』と、自信ありげに胸を張って言った。ならばと思い、頼んだのがその新薬だった。
「まさかこんなものを発明することになるなんて。たまには別のものを作るのも息抜きになるものだな。助手としてよき気遣いだったぞ、プロデューサー」
新薬の効果は天才曰く、完璧だという。彼女にとっては当然の結果だろう。とはいえ、こんなものをまさか本当に作ってしまうとは。まだまだ彼女のことを侮っていたようだ。
「晶葉、あとはこれを飲めばいいんだな?」
「うむ、その通り、あとはそれを飲めば効果は期待できる。誰からも、どんなものからも存在を認識されなくなる」晶葉自信たっぷりに言う。
「なるほど」プロデューサーは晶葉から受け取った試験管の中身を興味深げに眺めながら「それじゃあ……これを飲んだ人間はなにをしても認識されないから、つかまらないんだよな」
「そうだ。どんな高性能なカメラにだって捉えられないからな」
「くっくっく……それを聞けて安心したよ、晶葉」
突然の奇妙な笑い声に、晶葉は驚く。プロデューサーの態度と雰囲気が突然に変わったのだ。目の前にいるのはいったい誰だ。そう錯覚するほど、普段とはかけ離れた様子だった。まるで、羊だと思っていたら、突然目の前に狼が現れたような心境だ。
「ぷ、ロデューサー……」困惑の表情を浮かべながら、晶葉はつぶやく。
「ふふふっ、新薬の発明ありがとうな。なにを驚いているんだ。俺がどうして、存在を消せる薬品を作ってくれるか、なんて言ったのか、これっぽっちも想像しなかったのか? 世の中の男がこんなすばらしいものを手にしたら、どんなことを望むのか……ずばり、覗きだ」
「ま、待ってくれ」慌てて引き止めるように、晶葉が叫ぶ。「作った私が言うのもなんだが、それを飲むのだけはやめてくれ」まるで拝むように。
「なにを今さら。止めようとデマカセでも言うつもりなんだろう。晶葉、お前だって言っただろう、これは完璧だって」
しかし、プロデューサーは今にも試験管の中身を飲もうとしている。晶葉の言葉に、まったく聞く耳を持たない。彼からすれば、彼女の言動は、これからの楽しみを取り上げようとしているのに過ぎなかった。
「天才のお墨付きなんだ。これが粗悪品なわけがない。副作用があるわけがない。あるのは完璧な効果だけ。完璧なもののどこに、ケチをつけられるんだ。つけられないだろう」
「そ、そうじゃない。完璧……それ自体が問題なのだ」後悔の色を濃く見せながら、晶葉はなんとか絞り出すように答える。
「なにを寝言みたいなことを。どこの世界に、完璧が問題になるんだっていうんだ。なあに、別に事務所に不利益になるようなへまはしないさ。晶葉は、遠くから自分の発明品のすばらしさを見ていればいいさ。あ、これを飲むと見えなくなるんだったな。たははは」
陽気な笑い声を上げながら、プロデューサーがグイッと一息に試験管に入っていた新薬を飲み干した。それから一秒、二秒、三秒が経とうとしたところで、突然虚空に試験管が漂うという奇妙な光景になった。そこにはすでに、プロデューサーの姿はなかった。重力に引かれた試験管が床に落ち、乾いた音を立てて砕け散った。薬の効果が利いたのを確認して、晶葉は喜ぶとは逆に、深い深いため息をついた。そこには見慣れた事務所の風景が、静かにあるだけだった。これまでと、なに一つ変わらない。きっと、これからも。
***
「ねえ、このデスクってどうして使われないまま放置されてるの?」
所属しているアイドルの一人が、不思議そうにそのデスクを見ながらつぶやいた。使われないまま、と言うけれど、まるでずっと使われていたかのように埃一つないきれいな状態だった。
「最近ね、なにかモヤモヤするんだ」
胸の辺りを手で押さえる。彼女以外に、彼を慕っていた者たちは全員そんな奇妙な感覚を覚えている。それがいったい何なのか。彼女たちがそれに気づくことは、きっと一生ないだろう。
存在を完全に消すことができる――それは、視界からだけでなく、この世界からも消えてしまうということだったのだ。
今後とも宜しくお願いします♪