宙へと舞う、輝く白燐の風。
――あなたは、誰――
――……ん――
――誰――
――んだよ――
淡い太陽の光、朝とも昼ともつかない輝きの中、少年は呼び掛けてくる女の声に答える。
――あなたは、誰――
――慎二だよ――
彼が答えると同時に、燐が太陽の光を強く乱反射をした。
――黒井、慎二――
――あなたに、望みはある?――
――何を言っているんだか、わかんねぇよ――
燐の渦が上方へ吹き上げられ、陽光が地平とへ落ちていく。
――しいて言うなら――
何かを詰問するような、凛とした女の声に微かな苛立ちを感じた彼は。
――十連ガチャを無限に出来る事かな――
あえてふざけた調子で、そう薄く言葉を舌へと上げた少年。その声に謎の女性が淡く笑ったように見えた。
――なあ、あんたは――
――いずれ、会える――
――誰だよ――
その言葉に女性は答えず。
ザァ……
太陽光が、全て地平へと沈んだ。
――――――
「……井君」
「んあ……?」
「黒井慎二君!!」
まだ少しぼやりとした頭を振り、慎二は傍らへ立ちそびている男へその視線を向けた。
「スマァト・ホンをそんなに顔へ近づけてはいかん」
「なんでぇ……」
居眠りをし、寝転がっていた自分の顔へ被さっているスマート・フォンをやや神経質そうにその手で掴みながら、慎二は強い夏の陽の光にその両目を細める。
「大月かよ」
「うん?」
「大月センセ、です」
「よろしい」
慎二が通う軽子坂高校での名物教師である大月は、彼のすぐに言葉使いを直した態度に少しは気を良くしたようだ。
「スマホンの使いすぎは良くない」
「分かっていますよ、だ」
「小癪な携帯端末から発生されるプラズマの人体への影響は未だに解明されていない」
この時代遅れ、そしてエキセントリックさが科学教師である彼大月を軽子坂高校一の珍教師とさせている理由であろう。
「私は君たち前途ある若者を一人でも多く、スマホンプラズマから守りたい」
「へいへい……」
「その為には、心を鬼にして一時的にスマホンを没収……」
「あれぇ、大月先生」
「なんだね?」
この雲行きの怪しさを回避する頭の働きが、彼の評判をいわゆる「チャラい」と言わせている評判の原因かもしれない。
「話の途中で、黒井慎二君?」
「そのアームターミナルとやら」
教師大月がその左腕へ備え付けている、まるで介護ギブスか何かかと見間違うような電子機器へ、慎二はわざとらしい声を上げながら指差す。
「改良したんじゃないすか?」
「解るのかい、キミ?」
「カッコイイっすねぇ!!」
「そうだとも!!」
生徒のおだてにここまで簡単に乗る教師というものはいかがなものか。
「この古式ゆかしいスタイル、これこそが真の科学というものだ」
「イケテル、イケテル」
音頭をとる慎二の言葉に、何か本当に教師大月は気を良くしたようだ。大事そうにその手へ装着をされているハンディ・コンピュータをその空いた反対側の手で撫で回した。
「まっ、それはともかく」
「スマホンは控えめにな、黒井君」
「へぇい……」
鼻歌、確かZだかXファイルとかいう番組の主題歌に使われた、今の慎二位の歳ではよく分からない曲を口ずさみながら、大月は屋上のドアへと近づき、屋上から去っていこうとする。
「ふん、まったく」
ドアから校内へ戻っていく大月へ聴こえない位の声を出しながら、慎二は首を一回転させる。微かな音が彼の肩の辺りから鳴った。
「何が真の科学だよ、ローガイ先生」
キィン、コン……
スピーカーから、午後の予鈴が良く晴れた青空へ響く。
「ん?」
現国の授業中、どう先生の目を盗みつつ、スマホでプレイ中のゲームを進めようか考えながらドアへ向かった慎二は、その途中にあるものが転がっている事に気が付いた。
「メモリーカード、先生め」
彼の携帯電話にも接続可能な、ごくありふれた小型のデータメモリー。その黒い小型記録媒体が屋上のコンクリートの床へ落ちている。
「ちゃんと現代の利器を使っているじゃねえか」
拾い上げたそのメモリーカードは、パッと見た所には特に何の変哲もない。
「ウィルスとか、ニュースではやっているけど」
最近、少し授業をサボり過ぎている事に少年は僅かに気にはなったが。
「まさか、このカードは大丈夫だろう」
後で先生にヘラヘラと謝ればいい、そう彼は思い、彼は五時限目の授業を無視することにした。
「エロ画像でも入っていれば、大月センセに冷や汗をかかせられるかも」
スマホから自分のメモリーカードとその拾ったカードを差し替え、慎二はスマホを起動させる。
「コンテンツ、コンテンツと」
あまり自分の端末の中身、容量だかを気にしない慎二ではあるが、それでもスマホ内の管理アプリをすぐにリスト内から見つけ出す。
「良いもん使ってんじゃん……」
その拾ったカードの容量は、ゆうに慎二の端末本体の十倍以上はある。
「見直したぜ大月」
そのメモリーカード、その中身を読み取るのにスマホがかなりの時間をかけている事に対し、慎二は妙な感心をしてみせた。
「DDS、何だろ?」
かなりの数のファイルが収まっているが、ほぼ全てにDDS、そう名前の先頭へあたかもタグのように名付けられたファイルがカード内を占めている。
「とりあえず、は」
容量で検索をし、一番上位へ来たファイル、そのファイルの膨大なギガバイト数に少し躊躇いながらも、慎二は携帯端末へその指を這わせた。
「いちいち読む奴はいねえっての」
使用上の注意、最近では紙媒体の冊子にすればどう工夫をしても、必ずちょっとした小説並みになる文字の群れを無視し、とにかく慎二は「次」へ進む為のボタンを探そうとその目を走らせる。
「よし、次」
ザァ……
テキスト・ボタンを押すと同時に、日本語ではない、何か不可解なアルファベットで構成をされた文章がスマホのモニターを埋め尽くす。
「何だ、何だ……?」
英語、のようには見えない。どこかカタカナに似た文字もあるが、無論日本語ではない。
「まさか、今流行りの過激派何とかの関係じゃねぇよな……」
あの珍教師大月ならやりかねない、参加しかねないと思い、慎二はこれ以上先へ進むのを止めようかとも思ったが。
「もし本当に過激派なんたらなら、その関係品を見つけだした俺、黒井慎二様ちゃんは」
キン、コォン……
やや空の雲が太陽を隠すと同時に、本鈴が軽やかに鳴る。
「お手柄高校生として、ちょっとしたニュースに載るかも、な」
そう呟きながら、慎二はスマホ上の謎の文を指先で上部へ押し流し、文章の最下部所、薄く黒と金の色で縁取りをされたテキスト、おそらくはテキストボタンと思われる部分を発見した。
「……」
少しの間、彼はその文字をじっと眺めていたが。
「押したれ、押したれ……」
どうせ古いスマホだ、壊れたら親へねだれば良い。そう自分へ言い聞かせながら、慎二はそのボタンへ親指を乗せた。
シァア……
「うん?」
一瞬、彼の目の前に一筋の、何か紅い光が疾る。
「何だ……?」
何回か目を瞬かせてみたが、何も異変はない。
「本当に、ゲームのやり過ぎかな?」
しかし、今やっているソーシャル・ゲームではようやく上位ランクへと食い込めたのだ。しばらくは彼は続けるつもりである。
「だが、なぁ」
慎二は気を取り直して、再び携帯へその視線を注ぐ。
「何もおこんねぇな……」
少しスマホが熱を持ち始めたのが気になったが、全く画面が変わらない、動く気配が無いことに慎二は苛立ち始めた。
「バグか、機種の対応外か?」
何か俺は無駄な事をしているのか、顔をしかめながらそう口ごもった彼は、そのままファイルを閉じようとする。
「ん?」
微かに入道雲により陽が陰る屋上、慎二の目の前に何か妙な陽炎のような物が揺らめいた。
「スマホのカメラ機能に、そんなもんがあったっけな?」
確かにその影、それは携帯端末へ備わっているカメラから映し出されているように見えなくもない。
ズゥ……
「な……」
影、それが徐々に形を作り始めながら二つに別れ始め、何か、ちょうど二人の人間の姿を取り始めた。
「なんか、マジィんじゃないの……?」
日、太陽のその光が厚い雲の影響の為か、慎二のその双眸には淡く感じられる。
「携帯は落としたと言い訳をすれば……」
何かを、直感的に何かを危険だと思った慎二は、屋上へスマホを置いたまま立ち去ろうと思い、くるりとその身体を翻した瞬間。
「お待ちなさい」
女の声、おそらくは中年の女とおぼしき声がその影の片の方から放たれる。
「せっかく、坊ちゃまがここまで来られたのに、その無礼は何事です」
その強い、咎めるような女の声に、慎二はおそるおそるその面を再び「影」へと向けた。
「ちゃんと身体を我々の方へ向けなさい、少年」
「ハ、ハイ……」
何かの最新のソーシャル・ゲーム、それのハイテクな演出だ。そう慎二は頭の中へ誤魔化しの言葉を反芻させながら、影達の方へ自身の身体を正対させる。
「ババアに子供、ガキか……?」
淡い、不自然な陽の光の中、二人の人間が慎二の目の前に立っている。中年の女と、おそらくは子供とおぼしき少年、男の子。
「ねえ、お兄ちゃん」
輝くばかりの金色の髪、それに加えて美しく端正な面立ちをしている少年から明るい、無邪気な声が慎二へと響く。
「な、なんだよ……?」
「これ、知ってる?」
どこからともなく、周囲へ陽炎が立ち上ぼり始めると共に、少年の手に何か小さな、人形のような物が姿を現す。
「手品かよ、子供?」
「坐っているね」
「な、何がだ?」
ジァア……!!
突然に人形を握りつぶしてみせた少年の小さな手。少年がその身へと纏っている黒い子供用の礼服へと人形の残骸から血飛沫が跳ねる。
「お肝、お兄ちゃんにはそれが」
その少年の握りこぶしから血が滴り落ちている光景を見て、屋上の床へ腰を抜かしへたりこんでいる慎二、その姿を見てもぬけぬけとそう言ってのける少年。
「た、助け……!!」
「坐っていると言ったでしょう、僕は」
「け、警察……!!」
しかし、震える慎二の指は携帯の上をつるりと滑るのみで、無意味なアダルト・グラビア画像しか再生をされない。
ガシュア……
「くそ!!」
慌てた慎二の手から滑り、床へ叩きつけられたスマホ、彼はその画面が割れた端末を睨み付けた後、思い出したかのように黒衣の少年達へその視線、脅えの色が強い両の瞳を向けた。
「僕の携帯を使いなよ、お兄ちゃん」
カラァ……
慎二のその姿を面白そうに見つめながら、少年は小型の、いわゆるガラパゴス携帯電話と呼ばれる物を自分の胸ポケット、黒い礼服の上張りから取り出す。
「スマホは僕にはまだ早いらしい」
「左様でございます、坊ちゃま」
少年と主従関係にあると思われる女性、少年と同じ礼服、葬儀用の喪服に身を包んだ彼女の素顔、それはその面へと覆い被さったヴェールに遮られ、窺い知る事は出来ない。
「行きすぎた先見を持ち過ぎましたが故、坊ちゃまは御受験を落ちましたのでして」
「父上と同じような事を言う」
少年はその女の言葉にひとしきり笑った後、再度に慎二の顔を見つめた。その少年の身体へ屋上を覆う陽炎が強くまとわりつく。
「助けてくれないかなぁ、お坊ちゃまクン……」
「フフ……」
卑屈な笑みをその顔へ張り付かせながらも、慎二のその媚びの言葉は他の者の耳へ聞き取れる位には明瞭。
リィ……
「な、何だ!?」
「なんだろうね、お兄さん」
少年の黒服にこびりついた血飛沫、それに彼の携帯電話を握っている反対側の手、人形を握りこぶした拳が開かれたと同時に慎二へ向けてその血液が、まるで意思を持っているかのように飛び掛かった。
「血、血のヘビ!?」
常識離れをしたその光景を見て、慎二はこの場から逃げだそうと見苦しくその両手足をバタつかせても、一度抜けた彼の腰が逃げる事を許さない。
シィ、ア……
「ガ、カフゥ!?」
その血液の流れは、何回か慎二の周囲を廻った後、彼の口内へスルリと流れ込む。
リィ、リ……
どこからともなく聴こえる涼やかな鈴の音色と共に、屋上を包んでいた陽炎が徐々に立ち消え始める。
「ハア……!!」
空を切った血は慎二の口、ちょうど舌の上の辺りで霧散をし、消え去った。
「何だ、何なんだよ……」
慎二の口や舌には血の味は感じられない。むしろ、何か清涼飲料水を飲んだかのような清々しさが残っている。
「今までの中では最も素質は低いのかもしれないが」
ふと辺りを見渡すと、周囲の白昼夢のような太陽の光も、霧のように立ち込めていた陽炎は完全に消えている。再び真夏の陽射しが慎二とかる軽子坂高校の屋上をギラギラと照らし出す。
「面白そうだ」
「それはようございました、坊ちゃま」
いや、まだこの二人がいる。
「あんた達は何モンで」
見ると、少年は軽子坂高校の制服、ちょうど慎二が来ている服を小さい寸法で手直しをしたかのような服をキッチリと纏い。
「何なんだよ、全て……」
「初のマグネタイト吸引らしき身の上で、なかなかに冷静であること」
少し小馬鹿にしたように慎二を声をかける中年の女はごく普通の、PTAへと出席をする保護者が着るような衣服を身に付けている。
「マグネ、タイト?」
「今回はマガツヒと言った方が良いかな、お兄ちゃん?」
「単語が解らないんだよ……」
不満げにその口を尖らせた慎二に対して、再び少年はその小さい手を向けた。
「ヒッ……!!」
「案内」
無邪気そうに、明るい声でそう言いながら、少年はニコリと慎二へ笑いかける。
「学校とやらを案内して、お兄さん」
「な、何を……」
「始めての学校、楽しそうだホー」
少年は未だ脅え続けている慎二の手を強引に取り、強く握手をしかけた。
「御無礼は許しませんよ、ええと……」
ヴェールを外し、その容貌を見せた中年の女の顔は、別にそこらのおばさんとは大して、本当に変わらない。
「黒井、黒井慎二です」
「クロイシンジとやら」
そう一方的に言い放った後、女はまたしても彼を小馬鹿にするような態度を、その鼻を鳴らす事で示す。
「友達百人出来るかなぁ?」
「さ、さあ……」
人懐こい少年の態度に安堵をしながらも、慎二は不思議と自分がこの謎の現象へと馴染んでいる事に対し、表現が難しい、謎の感覚が彼のその頭の中を軽く揺らした。
「順応性が高い、あの人間」
少年に引っ張られるように階段を降りていく慎二を見つめながら、ポソリとそう呟いた女は彼らの後を追っていく。
「メンタリティは堕天をした者達に近いような感じがある、かなりに」
慎二たちが降りた階段の下の方で、軽子坂高校へ通う女生徒が何やら黄色い声を出しているようだ。女が仕えている美少年へ対して向けた声かもしれない。
「お姉さん達、美人だホー」
「何よぅ、そのホーって!!」
その騒ぎを聞き付けたのか、女生徒達に続いて大人の男が怒鳴っている声が聴こえる。学校の教師であろう。
「面白そうだ」
女は少年と同じ言葉を何か、何者かに宣言をするように強く呟いた後、慎二達の後を追い、静かに階段を降りていった。