「ハザマ、あの狭間偉出夫かよ」
「まあ、ね」
その名前を聞いた途端に黒井慎二、通称チャーリーの顔に乗る両眉の間に強く皺が寄る。
「お兄ちゃん」
グゥ……
少年がその右手で慎二の制服のすそを軽く引き、声をかけた。
「おう、何だ?」
その少年は逆腕、小さな左手で女子生徒から貰ったキーホルダー、確か「ヒーホー君」といった名前をしたゲームマスコットをかたどるアクセサリーを弄びながら、再び慎二へとその口を開く。
「そのハザマって人、誰なの?」
「それはな、お前」
少年の顔へとその視線を向けながら、慎二は先程聞いた彼の名前を頭へ思い浮かばせようと、その自身の額を軽く親指で叩いた。
「ええと類、ルゥ……」
「ルイ、でいいよ」
チャ……
キーホルダーのリングに指先を入れてでクルクルと振り回しながら、少年「類澤花」はどこか小生意気にその両肩を竦めてみせる。
「読みづらい名前だと、自分でも思うから」
ルイ少年のその言葉に、自分の胸の辺りに何かモヤが籠った事、それについて慎二は何とも言えない不思議な表情をその面へと出す。
「それで、さ」
その慎二の気持ちに気がついたか気づかないか、少年の声もどこか微かに、不思議な声の音程へと変わったように慎二には見受けられた。
「そのハザマって人だけど」
「あ、ああ」
続けて訊ねる少年に、慎二は一つ頭を振ってみせてからその口を開き、声を舌へと乗せる。
「まっ、いわゆるオタクってやつだ」
「オタク?」
「ゲームとか、アニメやらばかりを見る奴ってこと」
とは言っても黒井慎二、彼とてソーシャル・ゲームへと夢中になっている立場ではあまり人の事を悪く言えた筋合いではないだろう。
「別に学業を怠っている訳ではないがね、彼は」
その大月がハザマ、狭間偉出夫のフォローをする言葉、それにはどこか慎二を咎めるような響きがあったのは気のせいであろうか。そのニュアンスを敏感に感じ取り、慎二の鼻が一つ鳴らされた。
「そのハザマがくれたのか、そのメモリーカードは」
「さすがに軽子坂高校が始まって以来の、天才的な生徒だとかなんとか言われているだけの事がある、彼は」
「フーン……」
内心、軽子坂高校カーストの下位、狭間偉出夫を自分より下の人間だと思っていた慎二にとって、たとえ教師の言葉であろうとも彼を誉める言葉は面白くない。
「私のプラズマ理論に、興味を持ってくれたよ」
「変態どうし、類は友を呼ぶってね……」
「何か言ったか、黒井君?」
「別に……」
が、その教師大月が狭間を誉める言葉、それに自分が抱いた気持ちの中にヒガミが混じっているのにちゃんと気がつく、自覚が出来る程には彼、黒井慎二の頭は悪くない。
「このメモリー内のファイルを解析した後に、プラズマ研究がはかどってね」
そう言いながら、大月は近くの机の引き出しから数枚のレポート用紙を取り出す。
「プラズマ・パラサイトという、生きた昆虫型のプラズマも作れたよ」
「生きたプラズマ、昆虫?」
大月の口から放たれたその言葉を聞き止めた途端、ルイ少年の唇が軽く、可愛く弾んだ。
「ねえ、おじさん」
「なんだい、ボウヤ?」
「その生きたプラズマ虫って」
シャシ……
少年は大月が取り出したレポート用紙の片隅へ、近くにあった鉛筆で何かの絵を書き込む。
「こんな形をしてなかった?」
「おお、まさしくそれだ」
よく地面へ潜っているカブトムシ等の幼虫、それがその姿を保ったままにキチン質の外骨格を纏ったかのような不気味な虫のイラスト、少年が描いたその絵に対して、大月がその首を深く頷かせた。
「よく知っているね、ボウヤ」
「以前に、世界のびっくり昆虫図鑑に載っていたから」
「おや、そうなのか?」
そのルイ少年の言葉に、大月は驚いたような顔を見せ、軽く自分の眼鏡を親指で押し上げてみせる。
「もし何度も再現が出来た暁には、学会へ発表すべきかと思っていたが」
「ノーベル賞やら何やら、取れなくて残念だったな、センセ」
「パソコンで画像検索をしても、全く現れなかったので、私が発見したものだと思っていたんだがね……」
慎二の放った皮肉がその耳へ入ったのかどうかは解らないが、大月の表情が暗く沈み始めてしまう。
「そのプラズマ虫だけど」
「今度はなんだい、ボウヤ?」
少年へ対して少しうろんげな声を出しながらも、力こそ無いがその顔へは笑みを浮かべて、ちゃんとルイ少年の低い背丈へと腰を落としてその視線を合わせてやる大月。もしかしたら彼は子供好きなのかもしれない。
「今も先生が持っているの?」
「いや……」
ルイの言葉に大月は一つ息を吐いてから、コツコツと自分のアームターミナル、慎二の身体から絞り出した「プラズマ」とやらの吸収をした部分、エアコンの小さな送風口のような箇所へ軽くその手をあてがい、微調整をさせる。
「ハザマ君にあげたよ」
「おい、大月センセ……」
「いきなり口の中へ入り込もうとする習性があるらしいので、私は止めたんだが」
「あのよ……」
もしかしたら、意外にこの珍教師大月と自分との話が続くのは、この大月にもいわゆる「チャラい」部分があるからかもしれない、そう僅かに慎二は頭の中で想像をしてしまう。
「そのハザマって人、今どこにいるのかな?」
「午前中まで、この理化学室にいたが」
少し自らのアゴをその手でさする大月の眼鏡を、傾き始めた太陽の光が鈍く照らしだす。
「少し、公園に行ってくるとか言っていたな」
「公園ってどこ、先生?」
「多分、軽子坂高校の裏手にある、一の頭公園だろう」
「行ってみよう」
唐突にその言葉を舌へと乗せる少年へ、慎二達の驚いたような視線が集まった。
「おいガキ、何を言っているんだよ……」
「そのハザマって人に会いたい」
ルイ少年のその台詞に、もはや今日だけで何度目かも数える気が失せた慎二のため息、それが彼の肺の奥から絞り出される。
「もうすぐ夕方だぜ」
「黒井君の言う通りだ」
大月もチラリと五森婦人、少年の保護者を務めている女へと視線を向けてから、ルイのその端正な顔をじっと見つめた。
「公園と言っても、かなりの大きさがある雑木林のような物」
アームターミナルを装着した自分の左手、それをその公園とやらの方向へ差し向けながら、大月は少年へ諭すようにそう語りかける。
「日が暮れてからは危険だ、悪性プラズマが出るかもしれん」
「行きたい」
「駄目だ、ボウヤ」
「会いたい」
「五森婦人」
軽く息を吐いた大月は、少し助けを求めるように再度五森婦人へとその目を向ける。彼女は少し首を傾げ、眉間へ僅かな皺を寄せながらその口をゆっくりと開く。
「坊ちゃま、今回は久しぶりですので、少しこの方々の御意見を聞いて……」
「会いにいく」
ドッ……!!
突如、一方的にそう宣言をした少年は、そのまま理化学室から勢いよく飛び出していってしまう。
「おい小僧、ルイ!?」
「ボウヤ!?」
少年の突然のその行動に、慎二と大月がその顔を見合わせる。
「失礼を、先生方」
トッ……
僅かな間をおいた後、五森婦人がその少年の後を追うため、踵を返して理化学室の半開きのドアからその姿を消し、慎二達の前から立ち去っていった。
「どうするよ、先生……」
「どうするも何も」
ゴソッ……
ブツブツと呟きながら、大月は部屋の片隅のロッカーへその足を進め、そこへ納められている、何やら珍妙な機械部品へと軽くその手を触れさせる。
「子供の危険を見逃してはいかん」
「大月……」
その毅然として言い放った大月教師の言葉、その声を聴いた時、慎二は以前に彼の落とした千円札をそのままちょろまかしてしまった事に対し、軽い後ろめたさをその心へと感じてしまう。
「行くぞ、黒井君」
「俺も行くのかよ!?」
「君が連れてきたルイ君達だろう」
眉間をしかめるながらそう言う大月の手には、短いホースのような物が握られている。
「それに、最近あの公園にな」
そのホースを机の上に置きながら、再び大月はその大型のロッカーへと向かっていく。
「プラズマが出るらしい」
「ニュースでお馴染みの奴、変質者プラズマか」
もはや、プラズマという言葉によって耳へタコが出来てしまった慎二は、大月の言葉なんぞを深く考えない。
「私も何度か、あの付近でプラズマを見た事がある」
「しかたねぇな……」
しかし、もしかしたら彼、チャーリーのアダ名で呼ばれている軽子坂高校の生徒である黒井慎二は、その大月が常に口にする「プラズマ」の定義を、もっと深く考えるべきであったのであろうか。